「即刻、除隊処分にするべきでしょう!」
さして広くもない会議室の中に、男性にしては甲高い声が悲鳴のように響き渡る。
「私情を多分に含んだトリガーの使用! トリオン体への過剰な攻撃! 一か月の謹慎処分ではあまりにもぬるい!」
パァン!と、報告書の束を机の上に叩きつけ、ボーダーの広報を一手に担うメディア対策室長……根付栄蔵は叫ぶ。
「もう一度! 重ねて! 何度でも言いましょう! 音海綸訓練生は、即刻除隊処分にするべきです!」
「……だが、トリガーを私闘目的で使用したのは、他の訓練生達も同じだ。彼女だけ処分する、というわけにもいくまい」
「それに、ケンカをふっかけたのは音海じゃなく、訓練生達の方が先だったって証言も他の隊員からあがってんでしょう? すぐに結論を出すのは、あまりに早計なんじゃないかい、根付さん?」
腕を組み、視線を伏せたまま反駁したのは本部長である忍田。それに同意を示したのは玉狛支部支部長の林藤である。しかし、根付は2人の反論を鼻で笑うだけだった。
「はっ! 成る程。処分が平等ではない、と。しかし、それは他の訓練生達に処分が必要な場合でしょう?」
「根付さん、そりゃあ、一体どういう……?」
「どうもこうも、こういう意味ですよ!」
スーツの懐から、根付は何通もの……数え切れない封筒の束を取り出し、広げてみせた。
「きっちり16人分! 今回の事件に関わった隊員達の除隊届けです。何通かは本人からではなく、親御さんを通じて預かった分もあります。処分を言い渡すまでもなく「ボーダーをやめる」と言っているんですよ、彼らは!」
「…………」
「……はぁ、なんてこった」
今期、入隊が決定した新人隊員は18名。つまり、綸と出水を除く全員がボーダーからの除隊を希望したということになる。未知の敵と戦う、というその職務上、自主的にボーダーを去る人間が出ることは予想していたとはいえ、これはあまりにも痛すぎる。
「みなさんも、音海訓練生の映像はみたでしょう? あのおぞましい戦い方……人命を軽んじ、自分がどんな力を預かっているか。きちんと理解していない証拠です。事実、ほとんどの訓練生が彼女の戦い方に恐怖を覚えた……恐ろしかったと言っているのです! すでに、保護者からの苦情も出始めています。16人が一斉除隊となれば、マスコミも黙ってはいないでしょう。何を書かれるか分からない! 対応を誤れば、命取りになります!」
「それをするのがお主の仕事じゃろう」
「ですからっ!」
ぼそりと呟いた鬼怒田を睨み据え、根付はこの場の最高責任者……司令官である城戸に向き直った。
「改めて、お願いしたい! 音海訓練生は除隊処分に! 事件の中心にいた者を処罰しておくだけでも、世間への印象はガラリと変わりますからねぇ……」
「…………たしかに、な」
それまで沈黙を貫いてきた城戸が、遂に口を開いた。
「音海隊員の戦闘時の行動は、目に余る。あれらの行動が彼女本人の性格や嗜好に寄ものだとしたら……このまま彼女をボーダーに置いておくのは、少なくないリスクを伴うだろう」
「では!」
「ああ。音海隊員の処分は、保留とする」
「……は?」
それまで滑らかに言葉を紡いできた根付の口はあんぐりと開き……固まった。数瞬の沈黙を経て、我に返ったように落ち窪んだ目が見開かれる。
「い、い、今……今、なんと仰ったのですか城戸司令!?」
「処分は保留にする、と。そう言った」
「なぜです!? 今の話の流れでなぜそうなるのです!? 彼女をボーダーに残しておくことは少なくないリスクを伴う、とあなたも言ったではありませんか!?」
「そうだ。彼女をボーダーに残す、という選択は少なくないリスクを伴う。だが、同時にリターンも大きい」
組んだ手を顔の前におき、城戸はゆったりと言い聞かせるように言う。
「除隊申請を提出した16人の隊員達の復帰が期待できない以上、1人で彼ら全員と同等の戦力となる彼女を手放すのは……少々惜しい」
「お、惜しい……? な、なにをバカなことを!? そもそも、彼女さえ追い出してしまえば、他の訓練生達は戻ってくる可能性も……」
「それはありえんよ」
顔の傷に人差し指を当てながら、城戸はふっと息を吐く。そして、否定の言葉を重ねた。
「それは、有り得ない。一度体験してしまった戦闘の恐怖というものは、早々簡単に払拭できるものではない。ましてや、同じ人間相手の恐怖なら尚更だ。きみも薄々分かっているだろう、根付くん」
「…………」
「でなければ、戻ってくる可能性、などと。そんな不確実な言葉は口から出てこないはずだ」
城戸が口にしているのは、可能性ではなく結果だった。
16人の訓練生達は、もう戻ってこない、という結果。それを踏まえてどうするべきかという議論を、今行っているのだ、と。
「マスコミへの対応は、無論考慮に入れるべき重要な事項だ。しかし、対応策がないわけではない。鬼怒田開発室長」
「ん?」
「『記憶封印措置』の手はずは、どうなっている?」
「……準備事態は、できておる」
城戸の問いに、苦々しい表情で鬼怒田は首を縦に振った。その発言が意味するところを悟って、根付と忍田が身を乗り出す。
「ま、待ってください城戸司令! それはまさか……」
「16人分の記憶を、消すつもりか!?」
「できなくはないだろう」
あまりにもあっさりと。城戸は言い切った。
「今回の件の当事者達に、元通りの生活を送ってもらうためには、それが最も手っ取り早い。忘れられるものは……本人が忘れたいと願うものは、忘れさせてやった方がいい。違うかね?」
「それは……そうですが」
「一般人への機密漏洩を避けるため……という名目で、使用の許可は既に政府からもぎ取ってある。市議会の承認と、地元病院との連携も取れている。そうだな、唐沢くん?」
「ええ。問題ありません」
それまではタバコをふかすだけで会話に参加していなかった唐沢が、そこでようやく吸いかけのタバコを灰皿に押しつけた。
「元々、一般人への使用だけでなく『こういった事態』を想定して実用化を急いでいた側面もあります。使用には何の支障もありませんし……なにより、使うなら今しかないでしょう。私は、城戸司令の意見に賛成です」
「しかし、それでまたなにか問題が起こったら……?」
「鬼怒田開発室長が、問題ない、と太鼓判を押したものなら、私は信用しますがね?」
「はっ! 簡単に言ってくれるわい!」
トリオン技術を利用した記憶封印装置は、以前から研究が進められていた。警戒区域に監視の目をくぐり抜けて入り込んでしまった、近界民の姿を目撃してしまった民間人の記憶を一部凍結することで、ボーダーと近界民、ひいてはトリオン技術の機密を守る。そういったお題目で実用化にこぎ着けた技術だが……その対象は一般人に限らない。
組織が大きくなればなるほど、知られたくない秘密というものは増えていく。
「ここでは、決定できないこともある」
再び、全員の視線が城戸に向かう。
「訓練生への対応については、記憶封印措置の使用を前提に進める。保護者への対応、個別の補償については、私も直接立ち会おう。構わないな、根付くん?」
「……承知しました」
「唐沢くんも、いいな?」
「はい。改めて使用に関する根回しを。マスコミへの対応についても、根付さんと話を詰めておきます」
「……メディアへの対応は、私の領分なんですがねぇ」
皮肉混じりに根付が呟くと、唐沢が苦笑した。
「そう言わないでください。こちらで作ったパイプもありますから。共有できるところは共有して、うまく活かしていきましょう。もちろん、根付さんの伝手も期待していますよ」
「まったく、人を煽ててのせるのがうまい」
「チームプレイは大切でしょう? 学生時代に実感しているんですよ。ラグビーをやっていたものですから」
相変わらず底が見えない飄々とした態度に、根付は「ラグビーは関係ないでしょう」と肩を竦めた。
「音海隊員の処遇は、再度時間を置いて検討する。彼女本人の意思もあるだろう。対応は慎重に進める。3日後のこの時間に、再度この件についての会議を設ける。各々予定はあるだろうが、必ず参加するように」
話は、ほぼまとまった。
「本日は、これで解散とする。ご苦労だった」
最初に根付が、次に唐沢と鬼怒田が立ち上がり出ていく。立ち上がろうとしない古株の2人を見て、城戸は言った。
「……忍田と林藤は、残れ」
「どう思う?」
「思っていたよりも早かった、っていうところですかね」
「ああ……こうした事態を予測していなかったわけではなかった。ただ、我々の認識が甘かった。そういうことでしょう」
瞳を閉じ、眉根を押さえて城戸は大きく息を吐く。それは、昔から付き合いのある、この2人にしか見せない弱みだった。
「防衛というお題目……街を守るという綺麗事でいくら着飾ったとしても……我々が子ども達に与えているのは『武器』であり、紛れもない『力』だ」
トリオンという、普通ではありえない未知の力。それを悪用する者、それに溺れる者が出る可能性を、城戸達は決して考慮していなかったわけではない。ただ、予想を超える悪辣な形で、その想定が現実になってしまったというだけだ。
まだ年若い少年少女を、未知の侵略者との戦いに駆り立てる。ただ、その事実と自分達の罪の深さを、再認識しただけだ。
「ボーダーはまだ小さい。近界民の驚異に立ち向かうためには、より多くの隊員を集め……組織を巨大にしていかなければならない」
トリオン器官は、幼少期に成長するもの。その特性上、ボーダーという組織はその成り立ちの時点から、子ども達を犠牲にすることを強いられている。
犠牲とは、単純な命の危険だけではない。生活、境遇、人間関係……そういった精神的なものを含めて、ボーダーの隊員達は普通の子どもとは違う重荷を背負わなければならない。
そして、それを背負わせているのは、他ならぬ自分達だ。
「……ままならんな」
絞り出した呟きはどこまでも黒く重く。林藤も忍田も、顔を伏せて聞き逃すふりをすることしかできなかった。
「音海隊員の様子は?」
「謹慎処分を言い渡してから、学校にも行っていないようだ。完全に、家に閉じこもっている」
音海綸の個人情報をまとめた書類を、城戸は手に取った。ボーダーのスカウトを受けて三門市に引越したため、一人暮らし。頼るべき家族も、すぐに会える距離にはいない。
「……林藤」
「わかってますよ。もう、蒼也と一緒に向かわせました」
新しいタバコを箱から取り出しながら、林藤は言う。
「あんまり……こういう形で駆り出すのは好きじゃないんですがね」
ふっと、紫煙を吐き出して、
「ほんと、俺達は頼りにならない……情けない大人ですよ」
加えた一言は、やはり苦かった。
◇◆◇◆
音海綸の家は、大学生が一人暮らしをしていそう、というイメージに大体当てはまる、学生向けのこじんまりとしたワンルームだった。とはいえ、小さくても小奇麗で、セキュリティもそれなりにしっかりしている。女子の一人暮らしということで、最低限の住まいではあるようだった。
「204号室だそうだ」
「おっと。階段そっちなんですね」
住所を書いたメモを片手に、足早に階段を上がる風間蒼也。その後ろをへらへらとついていくのは、額に上げたサングラスが悪目立ちする少年だった。
元々、風間は数日置いてから綸の様子を見に行こうとは思っていた。しかしその前に、城戸からの直々の命令を受けて、訪れることになったのだ。嵐山が彼女と『ああなってしまった』以上、会いに行ける人間の候補は風間くらいしかいなくなってしまったのが関係しているらしい。出水も綸とはよく言葉を交わす間柄だったが、まさか中学生の出水に様子を見に行けとは上層部も命令できないのだろう。
便利に使われてしまった形だが、とはいえ、どうせ行くつもりではあったのだ。手間が省けたと風間は考えることにした。問題は、何故かついてきた後ろの実力派エリートである。
「迅。分かっているとは思うが、お前は音海とは初対面だ。しかも、今のアイツはおそらく精神的に不安定な状態になっている。不用意な言動は謹めよ」
「わかってるよ風間さん。おれは林藤さんに『視てこい』って言われただけだし。自己紹介だけして、メインの対応は風間さんに任せるよ」
やけに素直に頷いて、自称実力派エリートはニヤリと笑った。
「まあ、あんまり美人さんだったらちょっと出しゃばって声かけに行っちゃうかもしれないけど」
「……冗談は休み休み言え」
「でも、顔写真見た限り、結構かわいかったよね? おとみちゃん」
「……ついたぞ」
もはやツッコむの馬鹿らしく、風間はドアの前で立ち止まった。204号室。ここだ。
インターフォンを鳴らしても、応答がない。風間と迅は顔を見合わせて、ドアを軽くノックした。
「音海。風間だ。いるか?」
やはり、返事はない。
「……いないのか?」
「どうだろうね。謹慎処分っていっても、マジメに家にいるかは本人次第だし……ちょっとそこらへんまで買い物に行ってる、とかならいいんだけど」
言いながらドアノブに手をかけた迅は、まるで見つけたくないものを見つけてしまったように押し黙った。
「……風間さん」
ぎっ……と鈍い音を鳴らして、銀色のドアノブがあっさりと回る。
「開いてる」
瞬間、風間は思考を放棄してドアを叩き開け、中に踏み込んだ。
そして、中の様子を一目見ただけで、数日後に様子を見に来ようなどと……そんな、あまりに呑気な考えを抱いていた自分を心の中で罵倒した。
凄まじい有り様だった。
あの事件から3日。たった3日でここまで部屋が荒れるのか?
玄関から靴やビニール袋が散乱し、詰まったシンクにはくすんだ水が溜まっている。足の踏み場もないほどにぐちゃぐちゃになった床には、衣類が無造作に放り捨てられていた。物を投げたり、部屋の中のものが壊されている様子こそなかったが、まるで駄々をこねた子どもが家中のものを引っ張り出して、気の向くままに散らかしたような。そんな状況だった。
「っ……音海!」
靴も脱がず、風間は土足で家の中に立ち入り、水場と部屋を間仕切りしているドアを開いた。玄関付近に負けず劣らず荒れ切った、部屋の片隅で。
音海綸は、顔を伏せて座り込んでいた。
もう何時間、そうしていたのだろう。制服のブレザーは脱ぎ捨てられ、白のブラウス襟元には緩んだネクタイが引っかかっており。乱れた前髪の間からは、濁った瞳が虚ろに宙を見ていた。目の前まで来てようやく気がついたのか、ゆっくりと、その焦点が合う。
「かざま、さん……?」
低く、しわがれた声だった。
背筋が凍るような、生きた人間のものではないような、何か大切なものを芯から抜き取られたような。
そんな、声音。
風間は自分自身を落ち着かせるために、まず深呼吸をし……それから床に膝をついて、綸の肩に手を当てた。
「大丈夫か? 自分で立てるか?」
「……はい。だいじょうぶ、です」
「この部屋は、どういうことだ? 昨日は何を食べた? 体は大丈夫か?」
「……ごめんなさい。わたし、みなさんにいっぱい迷惑をかけて……」
「謝らなくていい。俺の質問に答えろ」
「ごはんは……食べてないです。水は、すこし飲みました……あと……」
「おいっ! 音海!?」
糸が切れたように倒れこんだ体を、風間は咄嗟に支え、その軽さに唇を噛んだ。明らかに、衰弱している。唇の色も悪く、肌も乾いている。ゆっくりと、慎重に。風間は抱き留めた綸の体を床に横にした。
「迅……すぐに救急に電話しろ」
逸る感情を押し殺し、風間は細く白い手首に指先を当てた。脈の触れ方が弱い。風間は医者ではないし、応急処置の知識も人並みにしか持っていない。こんな時、父がレスキュー隊員だった木崎がいれば……と、考えても仕方がない思考が頭の中を掻き乱す。
おそらく、脱水症状。栄養失調に近い状態か。
「迅、電話は繋がったか? ここの住所は……」
そこでようやく。
風間は、迅が呆然と立ちつくしていることに気が付いた。
「お前……何をしている! いそげ! 音海を……」
殺したいのか、と。言葉を紡ぎかけた唇が止まる。
迅悠一は、音海綸を見ていた。しかし同時に、音海綸を見ていなかった。くっきりと見開かれた迅の瞳は、ここにはない『べつのモノ』を視ていた。
「迅……お前、」
問いかける声が、上擦る。
「何が視えた?」
◇◆◇◆◇◆◇◆
食事が、喉を通らなかった。
引っ立てるように個人用ブースから叩き出されて、小さな部屋に連れて行かれて、幹部の大人達から質問攻めを受けて、その後はカウンセラーらしき人がやってきて。また話をして、わたしがやったことをひとつずつ理解させるように並べ立てられて、それから本当に困ったような表情で「今日はもう帰りなさい」と言われて。
トリガーを取り上げられて、わたしは謹慎処分を命じられた。
家に着いたら、何か考える前にとにかく「ああ、疲れたな」という重さが体にきて、ベッドに倒れこんで、でも空腹を感じて、起き上がって冷蔵庫を開いて。
口に入れた冷えた食パンを、全部吐き出した。
それから頭の中が妙にクリアになって、やったこと撃ったこと踏みにじったこと全てが鮮明に思い出されて、また吐いて、気持ち悪くなって、それから、
嵐山さんに言われた一言を思い出して、泣いた。
舌を引き抜いた感触は手のひらに残っていて、あの柔らかいぶよぶよとした塊を引き千切った時の爽快感は、やはり言葉に代えがたい、チョコレートのような甘さを孕んでいて。だけどその後、わたしを見つめる嵐山さんの表情が、それを気持ちいいと感じるわたしの心に急ブレーキをかけて。
こわい。
誰が?
銃が?
わたしが?
寒くなって、震えが全身を包み込んで、でもわたしはどうしようもなくひとりぼっちで。
ポケットをまさぐって、トリガーを探して、それがないことに気がついて。
こわくなった。
家中をひっかきまわして、出てくるわけもない黒く小さなそれを探して、でもやっぱり見つからなくて。
また泣いた。
わたしの引き金は、どこ?
過去編終了。次回からは遠征編になります。