戦女神×魔導巧殻 第三期 ~新たなる理想郷~   作:Hermes_0724

9 / 10
第八話:狂気の魔術師

 新七古神戦争以降においても、ディジェネール大森林は「腐海の地」として人々の立ち入りを受け入れないでいる。その理由は大きく二つある。一つは無論、隣接する大国エディカーヌ帝国が、ディジェネール大森林の立ち入りを厳しく制限しているからである。エディカーヌ帝国は、ディジェネール大森林を東西に走る大道路(獣道よりマシという程度だが)を敷くと、北部のブレニア内海沿岸部に砦を設け、冒険者の立ち入りを制限するようになる。ディジェネール地方進出を目論んでいたベルリア王国はこれに反発、腐海の地を巡る紛争が起きている。

 もう一つの理由は、アヴァタール地方やレルン地方で語られ続けている「腐海の大魔術師伝説」にある。エディカーヌ王国建国から間もなく、腐海の地に「闇の大魔術師」が出現し、光闇を問わず様々な種族を苦しめた。その悪行はエディカーヌ王国のみならず、アヴァタール地方からレルン地方までのあらゆる国々を混乱に陥れたと言われている。エディカーヌ歴百三十七年、メルキア王国の穀倉地帯において土壌が汚染されるという事件が発生している。当時、第一級の魔導技術研究者であった「ヴェルロカ・プラダ」によって辛うじて浄化に成功するが、この事件によって腐海の大魔術師の名はアヴァタール五大国に知れ渡るようになった。

 その後、レウィニア、メルキア、ベルリアの三大国による連合討伐軍が興されるが、エディカーヌ王国がこれに反発し、アヴァタール地方から陸路でディジェネール大森林に入ることが不可能となる。ブレニア内海中央部で合流し、ディジェネール地方への上陸する計画が起案されるが、実行に移されることは無かった。腐海の大魔術師をも上回る衝撃が、アヴァタール地方に発生したからである。それが「神殺しの登場」である。

 

 

 

 

 

 ディジェネール大森林の深い森や険しい山道を駆け抜ける男がいた。マーズテリア神殿対魔特務機関長ドレッド・アンデルセンは、通常であれば二週間は掛かるであろう路を立ち止まること無く駆け抜ける。複数の魔物が襲いかかるが、アンデルセンは速度を落とすこと無く、その間を走り抜けた。暫くしてから、魔物たちの身体から血が吹き出す。

 

・・・闘争に臨みし者たちよ、己が心に蒼き炎を灯せ。水面の如く涼やかに想いて、炎の如く熱く屠るが良い。終わりし時を見定め、激流の如く戦場(いくさば)を駆け抜けよ・・・

 

(マリアを連れての移動であれば、奴とて戻るまでに数日の時を要したはず。追いつけぬまでも、縮めることはできよう・・・)

 

 アンデルセンは殆ど休むこと無く、五日間を駆けた。神核を持つとは言え、尋常な気力では不可能である。肺の苦しさはやがて快感となり、それを通り過ぎて無感覚になる。「死域」と呼ばれる領域であった。この領域に入れば、死ぬまで動き続けることができる。マーズテリア神の教典を唱えることで己の信仰心を高め、人為らざる力を生み出し、人の持つ限界を超える。五日目の夕刻、夕日に照らされる遺跡が見えてきた。勅封の斜宮である。本来であれば古神の遺跡などは破壊対象であるが、今回の目的は部下の救出である。幾度目かの山を超え、教えられた洞窟に辿り着いた。

 

『ここか…』

 

 肩で息をする。腕も足も本来の力は出せない状態だ。だが今は、回復させる時すら惜しかった。入り口に立ち、瞑目する。心気を整えているとき、背後に気配を感じた。だがアンデルセンは振り返ること無く問い掛けた。

 

『・・・何の用だ、魔神よ?』

 

『お前、死ぬぞ?そんな状態で入ればな・・・』

 

 振り返ったアンデルセンが見たのは、夕日に照らされる黒衣の男であった。その姿を見た途端、意識を失った。

 

 

 

 

 

 腐海の大魔術師アビルース・カッサレは、研究記録を書いていた。机上には先日解剖した獣人族の頭蓋骨がある。それを手に持ち、熱心に眺める。

 

『やはり、人間族とは根本的に違います。人間族の中には、獣人族の若い女子を見て「猫耳娘」などと呼んで興奮する人もいるそうですが、理解できません。左右ではなく、頭頂部に耳が付いているということは、頭蓋骨の形状および脳の容量が人間とは異なるということです。同年、同身長の人間族の娘と比較すると、脳の容量はおよそ八割といったところでしょうか。エルフ族やドワーフ族と違って、獣人族が深くモノを考えることが苦手なのは、この脳の容量にあるのかもしれませんねぇ。しかしその分、筋力や反射力は獣人族のほうが上です。ほぼ同じ重さの筋肉なのに、これはどういうことでしょうか・・・』

 

 解剖したばかりの獣人の娘が石台の上に横たわっている。腕や足を切り開き、筋肉の形状をスケッチする。内臓や子宮の形状なども確認する。夢中になること数刻、ようやく一段落すると思い出したように顔を上げた。

 

『そういえば、あのハーフ・エルフに水を与え忘れていました。貴重な実験体が台無しになるところでした』

 

 水瓶を持って部屋に入ると、ツンとした匂いがする。尿意を耐えきれずに、漏らしていた。アビルースは気にすること無く、台に拘束されたまま憔悴しているマリアに近づく。水瓶を見せると、マリアが口を開いた。そこに漏斗を差し込む。

 

『大変申し訳ありませんでした。水を飲ませて差し上げましょう。遠慮なく、お漏らししてください。貴女に種付けるリザードマンは、そんなことは気にしませんよ』

 

 普段であれば羞恥に顔を染めるであろうが、渇ききっていたマリアは夢中で水を飲んだ。アビルースはマリアの下腹を撫でると頷いた。

 

『そろそろ準備もできたようですね。では種付け作業に入りましょうか。異種族交配の実験開始です。ヒヒャヒャヒャッ!』

 

 嬉しそうに嗤い、狂気の魔術師は部屋から出ていった。

 

 

 

 

 

 気づいたら、洞窟の入り口から少し離れた場所に横たわっていた。起き上がると、横から革袋が差し出される

 

『水はゆっくり飲め。一応は回復魔法を掛けているが、死域から戻ったばかりで水を飲みすぎれば、身体の負担になる』

 

『貴様に言われるまでもない。それより、先程の質問に答えろ。何故、貴様がここにいる?』

 

 水を一口ずつ飲む。一滴一滴の水が、全身に染み渡るようであった。黒衣の魔神は肩を竦めた。

 

『言っただろ。オレも奴を追っているんだ。ちょっと確認したいことがあってな…』

 

 魔神はそれ以上は言わなかった。アンデルセンは鼻を鳴らすと両手を握った。肉体も精神も問題ない。今すぐにでも動けるだろう。洞窟に向けて歩き始める。魔神が後ろから付いてきた。

 

『…貴様の力など借りん。あの程度の相手、俺一人で十分だ』

 

『ま、お前はお前の目的を果たせ。オレの狙いは奴の「蔵書」だ。ついでに研究成果も貰っていく。あぁ、お前にも聞いておこうか。「オメラスの解放者」という名前を聞いたことはあるか?』

 

 アンデルセンは足を止めた。背中から殺気が立ち昇る。

 

『西方諸神殿の中でも、その名を知る者はごく少数… 我ら特務機関が設立された理由でもある「仇敵」の名… 何故、貴様がその名を知っている?』

 

『これでも長い時間を生きているからな。色々と知ってるのさ。これから戦うアビルース(イカレた魔術師)は「解放者」に関係しているかもしれん。奴が、何処から科学的知識を得たのかを掴みたい』

 

『つまりこの俺に、奴を生かして捉えろと言いたいのか?』

 

 魔神は肩を竦めた。

 

『そこまで望んじゃいないさ。奴の研究室を漁れば何か出てくるだろ。お前は仲間を助けることだけを考えろ。言っておくが、奴は手強いぞ?』

 

『お前は戦ったことがあるのか?』

 

『一度だけな。膂力も速度も魔力も、お前のほうが上だろう。だが闘いでは、それらより重要な事がある。奴は強いんじゃない。巧いんだ』

 

 フンッと鼻を鳴らし、アンデルセンは再び歩き始めた。後ろから付いてくる魔神には、もう声を掛けることはなかった。

 

 

 

 

 

 元々は竜人族が棲んでいたという洞窟は、多少は入り組んでいるが道なりに歩けば奥へと進める造りであった。魔物などは出てこない。アンデルセンとディアンは互いに光魔法を駆使して洞窟内を照らしていた。やがて壁に灯りが備え付けられた回廊へと入っていく。別れ道の前で、二人は立ち止まった。

 

『…魔導技術の一種だな。だがそれだけではない。未知の技術だ。外して持ち帰るか』

 

 壁に設置されている燈籠らしきものを観察するディアンに、アンデルセンは溜息をついた。

 

『おい。お前の好奇心などどうでも良い。左側からマリアの気配を感じる。俺は左に進むぞ』

 

『ならオレは右だ。薬品らしき妙な臭いがする。恐らく研究施設があるだろう』

 

 二人は黙って別れ、別々の道へと進んだ。

 

『フンンンンッ!』

 

 一方その頃、対魔特務機関の一員にしてハーフ・エルフであるマリア・セレンティーヌは、台座に拘束されたまま首を激しく振っていた。赤黒い瞳をした蜥蜴人種(リザードマン)が近づいてくる。その下半身に不気味な生殖器がむき出しになっていた。

 

『安心してください。薬物で自我を失っていますが、喰われることはありません。ただの「種馬」です。さぁ、実験開始です』

 

 マリアは顔を背け、きつく目を閉じた。生臭い臭いが強くなった。

 

 

 

 

 

 その部屋は異様な空間であった。「竜人族の全身骨格」か飾られ、棚には様々な「標本」が置かれていた。透明なガラス容器の中には「人間の胎児」「種族不明の脳」などが入っており、粘性のある液体に浸されている。

 

『プラテットを改良して保存溶液にしているのか。ホルマリンのようなものだな。これは…』

 

 一際大きなガラス容器には、悪魔族と思われる肉体が入っている。「思われる」としたのは、表皮や肉などが残っていないからだ。脳、内臓、血管だけが容器内で固定され、綺麗に残っている。

 

『…ここまで血管を残すには、心臓が鼓動している状態で保存液を注入しなければ不可能だ。生きたまま、水銀を注入したのか』

 

 それは正に「狂気の産物」であった。全身に水銀を行き渡らせるために大動脈、大静脈に複数箇所から同時に水銀を注入する。被験者は涙を流して泣き叫び、やがてその瞳から涙ではなく水銀が垂れ落ちたはずだ。吐き気がするほどに残酷で非道な行為である。僅かでも良心がある者には、決して出来ない。だがそれによって得られた資料は極めて貴重だ。内臓、血管の「完全標本」などディル=リフィーナ世界でも、この一点のみだろう。

 

『やはり、生かしてはおけん。生きていて良い存在ではない』

 

 ディアンは舌打ちし、苦い表情を浮かべた。一人の人間として当然持つであろう「怒り」に拳を震わせながらも同時に、一人の「研究者」としてはこの標本の「価値」を冷静に認めていた。焼き払おうかとしばらく迷い、手を下ろした。

 

 

 

 

 

 呻き声の中をアンデルセンは歩いた。牢獄を思わせる小部屋が左右に並んでいる。その中は目を背けたくなるような「狂気」に満ちていた。

 

『アッ…アッ…アッ…』

 

 樹木の魔物「エント」が閉じ込められているが、その表面が異様であった。人間の子供と思しき貌が浮かび上がり、何かを発声している。どす黒い血液のようなものを注入されている獣人の子供もいる。この空間全てが、狂気の魔術師の実験施設であった。普通の人間であれば、あまりの悍ましさに発狂してしまうかもしれない。その中をアンデルセンは歩き続けた。若い男が牢獄につながれていた。全身の皮が剥ぎ取られ、既に絶命しているようであった。かつての自分の教え子のようにも見える。アンデルセンは額に青筋を浮かべたが、小さく祈りの言葉を唱え、そのまま歩き続けた。

 

…主よ、我に仇為す敵のなんと多きことか。「我に救い無し」と囀りし魔の多きことか。されど主よ、その輝きは我の盾、我の栄え、我の道標となりて聖なる山より我を導きたらん。一時伏して眠り、再び目を醒まし、我は歩を進める。我を囲い込み立ちはだかる(よろず)の民を恐れず、頬を打ち、歯を砕き、主の祝福を民の頭へと掲げん…

 

 やがて最奥に辿り着く。木で出来た扉であった。その中からマリアの気配を感じていた。そしてそれ以外の気配もある。五歩程離れたところに立つと、扉が開いた。漆黒の魔導衣を着た「狂気の魔術師」が出てきた。

 

『ヒヒャヒャッ!これはこれは、マーズテリア神殿の方ではありませんか。それともう片方は魔神ですかねぇ?いつの間に光神殿は魔神と手を組んだのですか?』

 

『勘違いするな。奴が勝手に付いてきただけのこと… マリアを返してもらうぞ?』

 

 だが狂える魔術師は肩を揺らしながら首を振った。

 

『ヒヒヒッ!それは無理ですねぇ。彼女はいま、とても大事な実験の最中なのです。折角、最初の種付けが終わったのです。今は二発目に入っているところですよ。さてさて、果たして彼女の仔袋は何を産み出してくれますかねぇ』

 

『…狂ってるな。貴様… ならば死ねィィィッ!』

 

 アンデルセンは猛然と斬りかかった。だが透明な壁のようなものに阻まれた。薄い膜のようなものに剣が絡め取られる。魔術師は漆黒の瞳をアンデルセンに顔を近づけた。

 

『空間そのものを歪めた結界です。貴方程度の力では打ち破ることはできませんよ。それにしても… 「狂っている」ですか?貴方が狂気を語りますか?マーズテリア神殿対魔特務機関が?ヒヒヒッ!』

 

『貴様ァ…』

 

『まぁ、貴方はここで大人しくしていてください。私は種付け作業が気になりますので…』

 

 魔術師が踵を返そうとしたとき、アンデルセンの後方から手を叩く音とともに声が響いた。

 

『いやいや。見事なものだ。「歪魔の結界」の応用版か?』

 

 拍手をしながら、黒髪の魔神ディアン・ケヒトが姿を現した。魔術師は溜息を吐いた。だが余裕なのか、口元は笑ったままである。

 

『また貴方ですか。私の実験の邪魔ばかりする。困りますねぇ。いい加減、怒りますよ?』

 

『オレはとっくに怒ってるんだがな。まぁそれより、お前に聞きたい。ブレアード・カッサレの研究資料は何処だ?』

 

 その言葉にようやく、狂気の笑みが消えた。

 

 

 

 

 

『フゥンンンッッ!ンンンッ!』

 

 マリア・セレンティーヌは悍ましい感触と痛みに呻いていた。ゴツゴツとした皮膚が自分を擦り上げ、生暖かい「何か」が体内を犯してくる。目尻から涙を流しながら、必死にマーズテリア神への祈りを唱えていた。再び注ぎ込まれる。心のなかでまた一つ、何かが切れたような音がした。

 

 

 

 

 

『…物理障壁結界は、魔力を使って物理的な力、つまり運動エネルギーを「無」にする術式だ。無論、それには限界がある。強大なエネルギーを消すためには、それと同量の魔力が必要となる。だがお前の使っている結界はそれとは違うな。歪魔族は魔力を使ってディル=リフィーナ世界の「次元」そのものに影響を与え、異空間への道を空けている。オレも調べたことがあるが、アレは術式などではなく、歪魔族の「性質」そのもののようだ。つまり、普通では同様のことはできない』

 

『ヒヒョヒョッ!見事な見解です。どうやら貴方も私と同じく「真理の探求者」のようですね』

 

 黒衣の男二人が、まるで友人のように言葉を交わす。アンデルセンは眉間を険しくした。

 

『おい… 貴様の出番など無い。戦う気がないならさっさと失せろ』

 

 ディアンは横目でアンデルセンを見ると、そのまま狂気の魔術師アビルースに顔を向けた。

 

『「腐海の魔術師(コイツ)」がアビルース・カッサレだと仮説すると、一つの疑問が生まれる。「腐海の魔術師」の名が噂として広まったのはこの数年だ。だがオレがを見掛けたのは六十年以上も前のことだ。この六十年、アビルース・カッサレは何処で何をしていたのか?足取りは殆ど残っていなかったが、幾つかの証言を聞くことができたよ。リプリィール山脈の「狂えし巫女」の話や、いつの間にか姿が見えなくなった「得体の知れないモノ」、そして「解放者」の影… これらが全て繋がっているとしたら一つの可能性が見えてくる。お前… 「勅封の斜宮」で何を手に入れた?』

 

『貴方は既に予想しているのではありませんか?まぁご想像通りですよ』

 

『なるほどな… それで「狭間の宮殿」を調べていたわけか。お前、「神」になりたいのか?』

 

『「解放者の理想」など、私にとってはどうでも良いのです。私の願いはただ一つ。愛しの女神をこの手に収めること… ただそれだけですよ』

 

 アビルースは恍惚の表情を浮かべた。だがすぐに真顔に戻り、ディアンに漆黒の瞳を向ける。

 

『それにしても… 貴方は一体、何なのです?「エネルギー」という言葉は寡聞にして知らないのですが… 解放者たち(彼ら)も似たような「未知の言葉」を使っていましたね。貴方、本当に魔神ですか?』

 

『そんなことはどうでも良い。最後の質問だ。さっきも聞いたが、ブレアードの魔導書は何処にある?お前の研究室には無かった。まだ何処かに、別の研究室を持っているのか?』

 

『ブレアードの魔導書?あぁ、我が家に伝わっていた本ですね。あれは…燃やしましたよ』

 

『なんだと?』

 

『一通り記憶しましたし、もう必要ありませんからねぇ。どうせ私以外には読めないわけですし。あ、もしかして欲しかったんですか?』

 

 ディアンは舌打ちした。だがすぐに切り替える。

 

『…必要なことは聞いた。これで、お前を生かしておく理由も無くなったな』

 

 ディアンは上方に巨大な魔力を放った。山そのものが山頂から吹き飛ぶ。洞窟無いにいたはずなのに、頭上にいきなり空が出現し、アビルースは口を開けて呆れていた。落ちてくる瓦礫の中でディアンは笑った。

 

『歪魔の結界は、座標軸の固定が必要だ。固定された部分を吹き飛ばしてしまえば結界は成立しない。さぁどうする?もうその結界は使えんぞ?』

 

『全く、無茶苦茶な方法ですねぇ。おっと…』

 

 後方に飛び退いて、アンデルセンの剣撃を辛うじて交わす。ディアンの一撃で、後ろの扉も吹き飛ばされていた。頭上の変化に気づかないのか、リザードマンが腰を振っている。アビルースはヘラヘラと嗤いながら、リザードマンの背中を軽く叩いた。それだけで巨体が崩れ落ちる。鎖で手足を縛られ、吊るされている女性の姿があった。

 

『マリアッ!』

 

 アンデルセンが突撃する。ディアンも壁を蹴り、斜め上方からアビルースに斬りかかった。気配が人間から魔神に変化する。

 

《死ねぇっ!》

 

 バチンッという音が響く。アビルースの物理障壁結界と魔神の一撃が衝突した。バチバチと火花が散るが、やがてアビルースが押され始める。

 

《魔力と磁力を掛け合わせた結界… だが所詮は子供騙しだ!》

 

 魔神の膂力によって剣が突き抜けてくる。さらにその下から、アンデルセンが斬りかかった。さすがのアビルースも全方位に結界を張ることはできない。脇腹に深々と剣が突き刺さる。口から黒い血を吹き出し、結界が消える。魔神の剣がアビルースの左肩から胴体までを切り裂いた。狂気の魔術師がゆっくりと崩れる。ディアンはアビルースの横に屈み、声を掛けた。

 

『教えろ。解放者のアジトは何処にある?』

 

 だがアビルースは不敵な笑みを浮かべ、眼を閉じた。ディアンは立ち上がり、マリアを助けるアンデルセンを横目に研究室があった場所に戻った。山を吹き飛ばした衝撃で瓶などが落ちているが、書棚は無事であった。研究資料などをかき集める。一方、アンデルセンはマリアに声を掛けていた。

 

『マリア、気をしっかり保て』

 

 微かな反応を示す。回復魔法を掛け、穢れた躰を拭く。革袋に書類を詰める魔神の背中に声を掛けた。

 

『おい!マリアを救うために手を貸せ!』

 

 魔神は手を止めるとマリアの横まで歩み寄った。陰部に指を突っ込む。

 

あの狂人(アビルース)はどうやら、異種交配の研究をしていたようだな。ハーフ・エルフとリザードマンの交配か。妊娠しているかどうかは解らんが、躰を洗浄したほうが良いだろう。それと…』

 

 マリアの頭を両手で挟む。「忘却」の魔術を掛け、この数日間の記憶を封印する。

 

『…神殿の連中などどうでも良いが、乱暴された女性を見捨てることはできん。この数日の記憶を封印した。早くここから連れて行け。この場にいたら封印が解けるかもしれん』

 

 アンデルセンは頷き、マリアを抱え上げた。その場から去ろうとした時に呟いた。

 

『…一つ借りておく。いずれ返す』

 

 振り返ること無く、そのまま歩み去った。

 

 

 

 

 

 蝋燭の灯の中で資料をめくる。王都スケーマの地下にある研究室で、ディアンは回収した資料を読んでいた。いま読んでいるのは、獣人族の解剖記録である。悍ましい研究ではあるが論理は終始一貫し、客観的、科学的な視点から考察されている。叩扉され、第三使徒が入ってきた。地上では女王であっても、この空間では使徒の一人にすぎない。珈琲の香りに、ディアンは手を止めた。

 

『どうですか、狂人の研究記録は?』

 

『正に「狂気」だ。倫理の(たが)が外れると、人はここまで残酷になれるのかと怖くなった。だが貴重な記録ではある。研究者としてのアビルースは、間違いなく第一級だ』

 

『どれほど優れた才覚を持っていたとしても、人間性が破綻していては意味がありません。ある一定の水準を超えると、「人格」と「才能」の均衡は難しくなるのでしょうか?』

 

『社会で生きるためには、多数派である「凡人」によって生まれた「倫理」「規範」「常識」を受け入れねばならない。その結果、天才的な発想や行動が束縛されることがあるのは事実だ。「狂人とは、誰にも理解されない天才である」…そんな言葉があったな。正にアビルース・カッサレのことだろう』

 

『それで、「解放者」についての記録は?』

 

『残念ながら、ここには無いな。だが、持ってきたのは一部の資料にすぎない。明日にでも戻って、転送機を使って全ての資料を回収しよう』

 

 第三使徒ソフィア・ノア=エディカーヌは頷くと、憂鬱な表情を浮かべた。

 

『本当に…アビルース・カッサレは死んだのでしょうか?』

 

『左肩から右脇腹までを完全に切り裂いた。脈が止まったことも確認した。アレで生きているとは思えんがな』

 

『そうですね。ディアンがそう言うのなら、間違いないでしょう。あまりにも薄気味悪い存在だったので、少し不安になっただけです。気にしないでください』

 

 ディアンは頷いたが、そう言われると不安にならないわけではなかった。呼吸、脈拍、鼓動は停止したことは確認した。だが焼き払った訳ではない。死体は存在しているのである。

 

『…念のため、死体を完全に消し炭にするか。完全な炭の状態にすればアンデッドにすらならないからな』

 

『お化けとして出るかもしれませんよ?』

 

 ソフィアは少し笑いながら冗談を言った。だが後に、この時の冗談を憮然とした気持ちで振り返ることになるのであった。

 

 

 

 

 

『き、機関長!わ、私…全く覚えていません!この数日間、何があったのでしょう!?』

 

 マリア・セレンティーヌが叫ぶ。ベルリア王国王都ランヴァーナにあるマーズテリア大神殿の一室で目を醒ましたマリアは、日付を確認して混乱した。覚えているのはカイルの話を聞いて、雨の中を街に出たあたりまでである。アンデルセンは黙って茶をすすった。マリアは結局、妊娠していなかった。綺麗な小川で身体を洗い、回復魔法を掛け、眠らせたままここまで運んだのである。マリアは未だに、自分が「処女」だと思っているだろう。

 

『…気にするな。お前は突然倒れ、ずっと意識不明だったのだ。お前が寝ている間に、事件は俺が解決した。あとはこの神殿を「掃除」するだけだ。お前はまぁ…街に出て男でも漁ってろ』

 

『…機関長?私は主にこの身を捧げし者です。男なんて興味ありません!』

 

 アンデルセンは返答せず、ことさら真面目な表情で茶を啜る。その口元には、彼には珍しい穏やかな笑みが、僅かに浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 得体の知れない集団が出現し、死体を取り囲んだ。大きな革袋に死体を入れる。油のようなものを周囲に振りまき、火を投げた。辺り一面が火の海になる。

 

『…これで良い。石棺に入れて蘇生させるぞ。人格破綻の危険があるが、気にすることはない。元々、破綻しているからな』

 

 低い笑い声が複数おき、何処かへと姿を消した。一面焼き払われたその現場に黒衣の男が出現したのは、それから三日後のことであった…

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。