六花が中二病になった原因が勇太かもしれないというのをきっかけに二日間の走り書きで仕上げました。六花が中二病になるまでの経緯、父が亡くなった時の十花さんの視点を描いてみたりもしてみました。
小鳥遊六花は極東魔術昼寝結社の夏の部室で椅子に座り、放課後の空をじっと見続けていた。
ほんのりと茜色に染まりつつも、少しだけ蒼みを残している空は、いつもの日常その物の空だった。果たして、不可視境界線はどこにあるのだろうかと考える。勇太の教えてくれたあの鉄塔では成果も得られず、またゆっくりと探す日々が続いていた。
今日の部室には、六花しか居ない。凸森はクラスメイトに引っ張られてしばらく来れないらしく、くみんは猫が若干風邪気味だから病院に連れて行くとさっき言いに来て今日はもう来ない。一色は軽音部につれて行かれてしまい、丹生谷と勇太は委員会で遅れるそうだ。
いつもは必ず誰かいて、何かと騒がしかったり声が聞こえたりするはずなのだが、今日に限って静かだ。
空から目を離して、昼寝結社の部屋を見回す。相変わらず部屋の真ん中にある魔法陣がやたらと存在感を出しているが、何も聞こえない部屋は少し不気味で、これ以上寂しい物は無かった。
「……んふ」
机に突っ伏して、六花は退屈そうに足をふらふらと揺らす。ほんの少しだけ、中学時代を思い出す。またあの時に戻った気がしてまた一段と気分が沈んだ。
「……勇太」
ちょっとだけ、自分にしか聞こえない程度に勇太の名前を呼ぶ。その名前を呼ぶと、ほんの少しだけ胸がどきりとして、六花の体温を上昇させた。
「早く……来ないかな…………」
*
三年前。六花はただただ寂しかった。いつもあるはずの物が無くなり、まるで体の一部を失った様なものだった。
当然だろう。この前まで話していた父親が、突然居なくなったのだ。この前まで、本当につい最近まで会話をしていた父親は、帰って来なかった。
何かの病気で入院して、でも父は六花に対して「大丈夫、すぐに良くなるから」と言ってくれていた。だから、六花もすぐに良くなるはずだし、また電話するなりお見舞いに行くなりして大好きな父に会いに行こうと思っていた。
だが、ある日。少しだけ家が慌ただしくなって、母親と一旦実家に戻っていた十花が焦った顔になっていたのを覚えていた。
「どうしたの……お姉ちゃん?」
「六花……」
不穏な気配に、六花はそっと自室の扉を開けて十花に何があったのかを聞く。そんな六花を、十花は気不味そうな顔で見下ろす。一体なんて説明すればいいのか、必死で考える様な顔。六花は本能的に不安になった。
「……パパが家に忘れものしたから、ちょっと届けに行ってくるだけだ。心配するな」
「じゃ、じゃあ私も……」
六花も、部屋に半分入れていた体を廊下に出して自分も行くと主張する。何より、父親と言う単語を出されると、どうしても気になった。もしかして何かあったのだろうかという不安に駆り立てられた。
そこで十花は発言を間違えた事に気がついた。それでまた表情が曇ってしまったから、それに気がついた六花はどうしても行きたくなった。
だが、十花とて六花の姉である。そう簡単には行かせるわけにはいかない。まだこの事実を六花に言うわけにはいかないのだ。姉として、妹に悲惨な現実を見せるわけには行かなかった。だから、もう少しだけ現実を知らせるのは先延ばしにしたかった。
「大丈夫だ。何でも無い。六花が行くほどの事でもないし、今日は検査の日だから行ってもすぐに会えなくなるぞ」
「で、でも……」
それでもと、六花は食い下がる。万が一、本当に何かあったらと思うと恐ろしくてしょうがなかった。
だが、十花は六花を行かせるわけには行かなかった。目線を六花に合わせて、両肩に手を置く。
「ったく、安心しろ。パパも言っただろ。すぐに帰るって。だから待ってろ」
十花は表情を変え、朗らかな表情になって、笑顔を作った。優しい姉の顔だった。
六花もその顔を見て安心感が増した。十花が不安な時にこの笑顔を出す時は、大丈夫な時だと。昔からそうやって、十花は六花を安心させてきた。だから、きっと今回も大丈夫だろう。
「大丈夫……だよね」
「ああ、大丈夫だ」
「…………じゃあ、待ってる」
「よし、いい子だ」
十花は六花の頭を撫でてやる。六花は姉の手の暖かさにまた安心して、きっと大丈夫だと思う事が出来た。だから笑い返して待つ事に決めた。
その笑顔が、十花の胸に突き刺さった。ほんの少しだけ悲観的な顔になりかけたが、当時の六花にはまだそれを認識できるほどの目は持ち合わせてなかったから、十花は騙しきる事に成功した。
思えば、これが六花の父親の死を受け入れられない原因の一つかもしれなかった。絶対に大丈夫。それが、襲いかかってくる現実と言う壁を打ち壊し続けていたのかもしれなかった。
その日、十花と六花の母は帰って来なかった。
母と十花が帰って来たのは、病院に行ってからほぼ丸一日の事だった。その間、近くに住む祖母が料理を作ってくれたり、身の回りの世話をしてくれたから生活には困らなかったし、暇つぶしには最近はじめた裁縫で十分時間を潰すには十分だった。
「お帰り、お姉ちゃん……」
「ああ、ただいま」
十花は、家から出て行った時よりも低いトーンで返事をした。その表情は暗く、六花は全身から嫌な汗が溢れ出るのを感じた。
「お姉ちゃん……パパは?」
恐る恐ると、六花は聞く。その問いかけに、十花はいよいよ表情を隠せなくなってきた。気付けば、目元が熱くなっていた。こらえようと何とか抵抗するが、父親の死を目の当たりにしてしまえば、そんな抵抗も無意味だった。
「パ……パパ、は……」
口を開こうとすれば、嗚咽が一緒に溢れだそうとする。それをこらえようと歯を食いしばるが、その反動で目から涙が流れ落ちる。それを見られまいと、顔をそらすが、またもう片方から涙がこぼれ落ちた。
「どうしたの……パパ、大丈夫だよね?」
六花も事の大きさを察した。父の身に何かがあった。姉が涙を流すまでの出来事があったのだ。その要因なんて思い当たる節は一つしかない。
「ねぇ、お姉ちゃん……どうして泣いてるの?」
「りっ……か……」
無垢な瞳が十花の涙に溺れた瞳を見据える。その目を十花は直視できなかった。顔を反らすしかなかった。
「ねぇ、お姉ちゃん、パパ元気だよね? すぐ帰るって言ってたから大丈夫だよね……なのに何で泣いてるの? どうしてこんなに遅く帰って来たの? ねぇ、お姉ちゃん……!」
気がつけば、六花の語尾に震えがあった。はっとして十花は六花の顔を見る。六花の両目には、今まさに決壊寸前の涙のダムがあった。もう、隠しきれない。十花は、重い口を開いた。
「パパは……もう居ない……」
「……別の病院に行ったの?」
「もう、居ないんだ……」
「どこに行ったの……ねぇ、お姉ちゃん」
「パパはもう居ないんだ……」
十花は、ついに重い現実を突き付ける事に決めた。もっと自分に表情を隠せる技量があったら、もっと後に知らせられただろう。すまない六花、私は今からお前に酷な事を言う。いつものお前の姉を演じきれなくてすまない。もう、限界なんだ。
「パパは、天国に行ったんだ!」
「―――――っ!!」
六花の表情が一瞬固まる。それが合図だった。
それから一気に六花の涙が溢れだし、顔は一気に涙で塗りたくられていく。
「う……そ……」
「パパには、六花に話すなって言われてたんだ。だからずっと隠してたんだよ」
「うそ……うそ……!」
六花の声にも嗚咽が混じり始める。十花の腕にしがみつき、六花は精一杯の力で十花を揺らす。十花も限界だった。一気に我慢していた涙が溢れる。
「嘘だよね、お姉ちゃん! パパ大丈夫って、お姉ちゃんも大丈夫って言ってたよね!?」
これでもかこれでもかと、六花は十花の体を揺らす。その細い腕で、高校時代に鍛え上げられた十花のたくましい腕をこれでもかと揺らす。だが、六花の力では、十花の体を大きく揺らすことなんてできなかった。
それでも、彼女の涙腺を叩き潰すには十分だった。
「居ないんだ……もうパパは居ないんだ! 死んだんだ!」
「うそっ……うそだよ! 絶対嘘だよ、そんなの!!」
それ以上、六花は何も言えなかった。代わりに、家中に六花の嗚咽が響き渡った。十花もこらえようと必死だったが、無駄なあがきだった。目の前の泣き叫ぶ妹を見れば、我慢するのがばかばかしくて仕方なかった。
十花は六花を自分の胸に押しつけ、泣いた。六花も十花の服を掴んで涙をその胸に押しつける。
十三歳の六花に、信じた父親の帰還が永久に訪れないという現実は、あまりにも重すぎた。
*
「……んっ」
ふと目が覚めれば、いつの間にか部室はオレンジ色に染まり、薄暗くなっていた。時計を見れば、午後五時を過ぎたころだった。
と、頬が湿っている事に気がついた。そっと手を当てて、その原因をたどると目元に届く。ああ、自分は泣いていたのかと六花は気がついて、夢の内容を思い出してまた泣きそうになった。
「ん、なんだまだ帰って無かったのか」
声がした。その声がした入り口を見れば、委員会の仕事を終えた富樫勇太が立っていた。
「勇太……」
「って、どうしたんだよ? 泣いてるじゃないか」
「あっ……」
六花は少し慌てて袖でぐしぐしと涙と涙の後を拭って、「何でも無い」と付け加えた。
「ちょっと、悲しい夢を見てた」
「ん? どんな夢だ?」
「えっと……」
一瞬本当の事を言おうかと思ったが、勇太に変な心配をさせるわけにはいかないと、六花はとっさに嘘を吐く。
「……よく覚えてない……」
「ん、そうか。まぁ夢って見たらすぐ忘れるもんだしな」
「うん」
少し念入りに涙を拭い、六花は通学鞄を持って立ち上がる。
「丹生谷は?」
「あいつは先に帰ったよ。ごゆっくり、だそうだ」
「モリサマーに感謝」
「ああ、まったくだ」
にっこりと、勇太は照れ笑いを浮かべる。六花もつられて笑顔になり、部室の鍵を持って二人で廊下に出て、六花は鍵を閉めると、二人で歩きだした。
夢の内容は、勇太には言わないでおこうと密かに誓った。
*
父の葬儀を終えても、六花はまだ父が今にも帰ってくるのではないかと思っていた。
いつものように、ドアを開けて優しい父が帰って来て、自分に笑いかけてくれる。今にもそんな光景が広がるものと信じていた。
だが、その光景が訪れる事は二度となかった。
毎日毎日、六花は父の帰りを待った。暇さえあれば、窓の外を見て父の乗った車が来るのではないかと、或いはタクシーに乗って帰って、二階に居る自分に気がついて手を振ってくれるのではないかと信じていた。
だが、現実は日を重ねるごとに六花に重くのしかかり、その重さとは反対に六花の体重は減っていく。十花も、六花の母も、いつも心配して何かを食べさせようとした。が、六花は最初こそ口に入れるが、それ以降は手も動かずに、何時間も食卓から動かなかった。
十花は自分を呪った。あの時、変に六花に安心しろと言わなければ、彼女はここまでならなかっただろうか。彼女は、もう少し現実を受け止める事が出来ただろうか。
分からない。もう、今となってはそれを確かめる手段は何一つない。あるのは日に日に痩せて行く六花と、それを見続ければならないと言う重い毎日だった。
ある日、ついに六花は部屋から出なくなった。母が必死に父の死を伝えなかった事を謝っている。だが、六花は部屋から出ようとしなかった。ろくに食事もとらなかった。
一体、どうすれば六花は動いてくれるのだろうか。どうしたら、心を開いてくれるだろうか。
十花は悩んだ。毎日悩んだ。毎日毎日、頭が痛くなるほど考えた。
だが、それは結果的に十花自信を追い込む形になり、ついには軽いノイローゼを起こしてしまった。もし、十花の友人がそれに気がついて病院に連れて行かなければ、彼女は倒れていたかもしれないし、最悪精神的に病んでいたのかもしれなかった。
取りあえず、容体は軽かったから、軽く薬を飲んで休むくらいでよかった。おかげで、少し思い詰め過ぎていたと十花も自覚し、持ち直す事は簡単だった。
それでも、六花の問題は解決しそうになかった。ほとんど部屋に籠りっきりで、母も手がつけられないと思わず嘆いてしまった。どうすれば、あの子は元気を出してくれるだろう。何か出来る事は無いのか?
そんな自問自答を繰り返して行くうちに、十花はある日夢を見た。それは、小さいころ両親が出かけて、六花と二人でお留守番していた時。お腹が空いたとぐずる六花をなだめる為に、十花は初めてオムライスを作った。
母の作っていた物を、見よう見真似で作った歪(いびつ)な形のオムライス。味も美味しいかと問われれば正直微妙なものであったが、六花はでき上がったそれを見て食べたいと言い、そして十花も食べさせた。
『美味しいよ、お姉ちゃん!』
六花の顔は、本当に幸せそうだった。大して美味しくないのに、幼い妹はあっという間にオムライスを平らげてしまった。その笑顔は、今でも心の奥にしまっている大切な思い出だった。
それは、きっかけには十分すぎる程だった。
十花は、レストランで修業をする事に決めた。六花が笑ってくれるなら、六花が少しでも元気になってくれるなら、なんだってしてやる。今自分に出来るのはこれだ。何も食べないなら、私が作った物を無理やりにでも食べさせてやる。そして、その泣き顔が引っ込み、どんな状況でも笑顔させる事の出来る料理を作ろうと、胸に刻んだ。
決断からの実行は早かった。母に六花の事を託し、一人修行に出た。とある団地の一室に引っ越し、それから片端からレストランでの弟子入りに頭を下げに回った。
行く先行く先で門前払いを喰らい、それでもと十花は何度も何度も、何件も何件も店を回って自分を修業させてくれと訴えた。
そして、ようやく入れたのが今の大手レストランの支店だった。
嬉しかった。六花を元気づけられる大きな一歩だった。これであの子に美味しい物を食べさせられる、笑顔に出来る。そう思っていた矢先だった。
母が、元気になれない六花に疲れ果て、六花を預けて出て行ってしまった。
*
勇太の背中は、春に見た時よりも少し大きく感じられた。それが物理的なのか感覚的なのかは分からないが、少なくとも六花は今の方がかっこいい、と思っていた。
もう空は夜へと向かい、西の空には太陽が地平線の中へ潜り込もうとしていた。真っ暗になるまで、そう時間はいらないだろう。勇太は暗くなる前に電車に乗りたいのか、いつもよりほんの少し足早な気がした。
六花は、その勇太の背中を、あの時見たある人物の背中と掛け合わせた。中学時代、行き場を無くした心は迷走を続けて、自分を見失いそうになっていた時に見かけたあの人。
その人は、あの時あった時とはすっかり変わっていたが、それでも六花にとって、自分を救ってくれた人物に変わりは無かった。
思わず、勇太の制服を後ろから軽く掴んでしまい、でもすぐにはっとして話そうとしたが、その前に勇太が気がついて振り向いた。
「ん? どうしたんだ六花?」
「あ……ううん、何でも無い」
「? そうか。ほら、暗くなる前に駅行くぞ」
「了解」
再び歩き出す勇太の背中を見つめ、六花は少しだけ寂しそうな顔になる。彼は忘れてしまっている。あの時の事を。自分を救ってくれた、あの時のことを。
それが寂しくて、六花は少し泣きそうになった。三歩も歩けば、涙が一粒流れ出すだろう。寂しくない。むしろ幸せすぎるくらいだ。
だが、それでも、自分にとっては大切な思い出を相手が忘れていると思うと、その事実が悲しかった。
「なぁ、六花」
まるで狙っていたかのようなタイミングだった。勇太が再び口を開いて六花の涙を食い止めた。
「な、なに?」
「お前、なんか今日大人しくないか?」
「えっ……」
勇太は振り向かずに六花に問いかけた。思わず足を止めて、歩き続けるその背中を凝視する。
「なん……で?」
「なんて言うかな、さっきから妙にしおらしいし、部室でも泣いてたしな。なんかあったのか?」
ああ、この人は本当に鋭い。こういう所は変わってないんだなと、六花は少し嬉しくなった。
*
母が出て行き、祖父母の家に預けられた六花は、また一段と寂しくなってしまった。何とか食事を取る程度に回復したが、それでも心にぽっかりと空いた穴を埋める事は出来なかった。
それでも、表向きは元気な姿を見せないと、祖父母に迷惑をかけてしまう。だから、出来るだけ笑顔を作るようにした。
六花の祖父母も、それを見て安心した。学校の皆も、それなりに話したり、励ましてくれたりもした。六花も素直に嬉しかったし、その励ましにも応えた。
だが、その一方で、密かに泣いている自分と言う、ある意味裏の人格を作った。そうやって部屋に居る時、主に寝る前にひっそりと泣いて父の事を思った。そうしないと、たぶん自分が壊れてしまいそうだった。
そんな日々を送って、一年くらいだろうか。レストランの修行に出ていた十花に長期休暇を利用して遊びに来いと誘われた。
少し回復したとはいえ、やはり家族に会わせるのが一番だろうと、祖父母が十花に提案し、十花もそれに賛成した。
六花も、その提案を受け入れた。それなりに話したい事もある。それに、腕を上げたと言う十花の料理も食べてみたかった。だがトマトは御免だ。
そうして、学校が長期休暇に入って六花は十花の家に行った。まったく知らない土地の、知らない団地。そこに姉は住んでいた。
久々に見る姉の顔は、前に見た時よりも大人びていて、どこか大人の魅力を持っていたのをよく覚えている。
十花は、盛大に六花を歓迎してくれた。見た事のない料理を、十花はたった一人でさながらフランス料理店のコース料理の様な食事を作ってくれた。今回だけは特別にトマト抜きにと言うサービス付きで。
それはもう美味しかった。思わず涙が出たくらいだ。こんなに美味しい物があったのかと、何で今まで自分はこんなに美味しい物を拒んでいたのかとおかしくてしょうがなかった。
しばらく、六花の食べるご飯には、塩味が混じっていた。
*
十花の家に泊まって数日。しばらくは毎日六花の相手をしていた十かだったが、さすがに休暇が利かなくなってきたため、仕事に行かなければならなかった。よってその日は朝から六花一人だった。
久々に、誰も居ない部屋と言う物を堪能してみると、忘れていた父の居ない日々を思い出した。一年前よりかはショックは大きくない者の、それでも寂しさだけはいつになっても埋められそうになかった。
せっかく立ち直れそうになっているのに、これではダメだと六花は頭を振って、散歩に出ようと家の鍵を持ってドアを開けた。
見知らぬ土地だが、近くのコンビニ程度までなら行く事は出来た。何回か十花に連れられた事はあるから、目印になる建物さえ覚えていれば問題なかった。
コンビニまで時間はかからなかった。そこで適当にお菓子を買い込んだりして、さっさと家へと向かう。
ふと、十花の住む団地を見てみる。団地、ときかれれば少し古めかしい内装を思い浮かべるが、十花の住む団地はどうやら比較的新しく作られたもので、内装もその辺りのマンションよりかは綺麗な部屋だった。
さて、正直どうでもいいのだがふと団地の裏が気になって、裏はどうなっているのだろうと回ってみる。何の変哲もない一般的な団地のベランダが並んで、いくつか洗濯物が干されていた。
なんで裏に回ったのだろうかと六花はそこで気がついた。別にこんな所に来た所で何も無いのに、何で自分はここに来たのか。
そう思って、部屋に帰ろうとした時だった。
「ふははは! 見よ、この大地を!風は吹き、空は我を導かんと開き渡っている。だが、そんな物は今の私にとってはただのまやかしだ!」
六花は思わず、はぁ? と言いそうになった。それもそうだろう。声のした方、団地の二階を見て見れば、学生服を着た六花とさほど年の変わらない男子中学生が、腕組をして高らかに笑い声を上げていた。
他人から聞けば、ただの痛々しい発言。それはもう見るからにあるはずの無い幻想を唱えるような、そんな感じだった。
だが、なぜか六花はそれに見覚えがあった気がして、同時に懐かしい気がした。普通の人なら馬鹿にするだろうそれは、六花の中に何かをもたらした。だが、それが一体何なのか分からない。もう少し彼を見続ければ分かるだろうかと、もう少しその行く末を見守る事にした。
「大地よ、空よ、世界よ、闇に染まり、我にひれ伏せ!」
一言一言の言葉にあわせて、少年は腕を大きく振り、それぞれにポーズを決める。そして、一呼吸を置いて少年は大きく右腕を振りかざして叫んだ。
「我が名はダークフレイムマスター、闇の焔に抱かれて消えろっ!!」
それが、後に邪王心眼を名乗る少女と、後にダークフレイムマスターの名を捨てた男の、知られざる最初の出会いだった。
*
六花の頭の中には、さっきの少年の行動が夜になっても焼き付いてた。どうも忘れられない。そう言えばあの少年が叫んでいたのはちょうど自分の部屋の真下ではないだろうか?
ふと、ベランダに出て下を見てみる。誰かいるらしく、明かりは点いていた。
耳を澄ましてみれば、家族と思われる声が聞こえる。元気そうな女の子のはしゃぐ声と、さっきの少年の声。よく聞き取れないが、昼間と同じように高らかな声を上げていた。
その声を聞いて六花が思ったのは、すごく楽しそうだと言う事だった。
一体何を話しているんだろう。六花は底知れぬ興味を抱いた。どうにかして聞き取れないのだろうかと使えそうなものを探す。
と、六花にある物が目に入った。それは、なぜか食卓の上に置かれていたボイスレコーダー。これを使えば聞き取れるだろうか? いや、もっと近付けないと聞こえないだろう。せめて同じ階まで降ろすくらいはしなければ。
六花は、自分に宛てられた部屋には行って、何かないかと探してみる。と、荷造り用に使われたのだろうか。ビニール紐が見つかった。これなら二階まで降ろすには十分だった。
それをボイスレコーダに括り付け、録音ボタンを押す。それをそのまま二階へと投下し、声を拾う。
数分ほどして、六花はボイスレコーダーを引き上げた。録音ボタンを止めて、巻き戻して最初から再生させる。初めは六花が録音ボタンを押した冒頭から始まり、カタカタと二階へ降ろす作業音が聞こえ、すぐに別の声が聞こえた。
『フフフフ……フハハハハハハハ!! これはお芝居でもなければ夢でもない!!』
あの人だ。六花はすぐに分かった。その声はいかにも悪人と言うか、死かそれでいて主人公みたいなカッコいい声、俗に言うイケボだったから不快感や、訳の分からない事を言っていると言う嫌悪感は無かった。むしろ、その声がいい演技をしてむしろ似あってる程だった。
『この世界は2012年、マヤの予言により暗黒の世界へ引きずり込まれるのだッ!!』
『お兄ちゃんどうしたの?』
『兄ではない! 我が名はダークフレイムマスター! 闇の焔の使い手にして、この世界を焼き払う者だ! フハハハハハッ!!』
「おぉ……」
六花は、なぜかかっこいいと思ってしまった。今まで聞いた事のない、呪文のような言葉が連続で続き、そしてその難しい言葉の連続が彼女の好奇心をくすぐった。さらに聞き入ってしまう。
『今日は風が素晴らしい……フッ、漲る……力が漲ってきたぁぁああぁあ!!!』
『大声出さないで。みんな笑ってるよ?』
と、それから先の声が聞こえなくなった。どうやらこの辺りで自分は回収したらしい。もう少し録音すればよかったなと思ったが、やり過ぎると見つかってしまうため正解だろう。
と、六花はある事を思い出した。それはまだ小さかった頃、父に言われたある言葉だった。
『いいか六花、お父さんは昔邪王心眼という能力を持っていたんだぞ』
『じゃおーしんがん?』
『ああ、そうだ。この力は不可視境界線と言う異世界へ向かう事も出来る能力だ。パパはいざとなればその力を使って病気なんて治せるさ』
『じゃあなんで今使わないの?』
『うーん……年取ったからなぁ。あまりむやみに使えないんだ』
『じゃあ、私にもじゃおーしんがんがあるの?』
『もちろんだとも。六花はお父さんの娘だぞ? きっと使えるようになるさ!』
「邪王……心眼……」
六花は、そっと右目に手を当ててみる。当てて見た所で別に急激に目が熱くなったり、突然見えないはずの世界が見えたりするわけでもない。
でも、六花は唐突にその力がほしいと思った。
その理由は数か月前。父が帰らなくて、海辺を歩いていた時だった。水平線、その先が光に包まれて人影が見えた。六花は、本能的にそれが父だと信じて疑わなかった。そして、聞こえた気がした。
私は不可視境界線に居る。だからしばらく帰れそうにないと。
ならどうすればいいのだ。どうしたら、あなたに会えるのだろうか。六花は悩んでいた。
だが、もしかしたら彼なら知っているのではないだろうか。こうも堂々と己の力を信じる、あの少年なら。
六花は、ある決断をした。
*
翌日。六花はあの少年の住んでいる部屋のベランダを、じっと観察していた。彼なら何か分かるかもしれない。なら、彼を調べればもっと何かが分かるのではないだろうか。
言い換えれば張り込みだ。いつ出て来るかなんて分からなかったが、それでも、ほんのわずかでも父に会える可能性があるのならそれに賭けたかった。
そうして、張り込む事丸一日。もう夕方になった頃だろうか。さすがに六花はギブアップ寸前だった。一日中外で監視もすれば嫌になる。一体何やっているのだろうか。時計を見ればゴールデンタイムのアニメが始まる時間。もう帰ろう。
そう思った瞬間だった。例の少年の住む部屋が騒がしくなり、窓が勢い良く開いた。来た! 六花は歓喜した。
「お、お兄ちゃん危ないよ!」
「止めるな、妹よ。これ以上零機関の策謀にお前達を巻き込むわけにはいかない!」
その声が終わると、ベランダからロープが投げられ、地面へと垂らされる。その瞬間、じっとりとして暑い時期だと言うのに、真っ黒のコートを着て、その手にショットガンを持った少年が窓から飛び出し、そのロープを伝って地面へと降り立ち、走り出した。
「あっ!」
六花も駆けだす。少年を捕まえようと、何とか見失わないように必死に追いかける。どうやら食事量を減らしたり、部屋にこもって運動量を減らした仇が出たようだ。まだ十秒も走ってないのに、息が上がりっぱなしになった。
「はぁ……はぁ……ま、まって……」
唯一の救いは、時期に似合わない黒いコートを着ているから簡単に見つけられる事だった。だが、それも日が完全に沈めば暗闇で認識ができなくなる。せめて歩いてくれればまだ助かるのだが……。
と、丸で六花の願いが通じたかのように少年は走るのをやめ、まるで目の前に壁を見つけたかのように立ち止まった。
「誰だ?」
「ぴっ!?」
少年は振り返ることなく、まるで六花が追いかけて来ていた事を知っていたかのように問いかけた。六花は驚き、息を呑む。もしかしたらこの人は本当に何か道の力を持っているのではないかと期待する。
きっと、事情を話せば分かってくれる。六花は、思い切って返事をした。だが、それはすぐさまほんの少し裏切られる。
「い、いつから分かってたんですか?」
「ってえぇ!? ほんとに居たの!?」
少年は驚きながら振り向く。その顔は六花もよく見る、ただの男子中学生のあどけなさを残した少年の顔そのものだった。一瞬、やっぱりただの演技? と思ったが、はっとした少年がすぐさま表情を作り直し、不敵な笑みを浮かべた。
「フッ、当然だ。ただの人間の気配を察知するなど造作もない事だ」
「そ、そうなんですか……」
「それで少女よ。私に何の用だ?」
コートを翻し、少年は六花に向き直る。その闇に紛れる黒い服と翻す動作に、思わず本物のヒーローと言う物を重ねてみる。
「は、はい……確かあなたはただの人間では無い、ですよね?」
「その通りだ。私はダークフレイムマスター。いずれこの世の闇を正義の闇で照らし出す者だ」
六花を見下ろすその目は、自分に興味のある人間に興味を示す目と、少しだけ自分よりも下等な生物を見下ろすSの入った目をしていた。
「そ、それじゃああなたに相談があるんです! わ、私のパパ……私のパパが、帰って来ないの!」
「父親が? まさか、お前の父親も零機関に捕えられたか?」
「分からないの……病院から帰って来なくて……お姉ちゃんもお母さんも天国に行ったって言うけど、パパは帰ってくるって言った! パパは、きっと不可視境界線に居るんだよ!」
「不可視境界線……?」
聞いた事のない名だ、と少年は首をかしげるが、同時に興味にそそられる表情にもなった。取りあえず、掴みはいいようだ。
「そう、不可視境界線……私のパパは、昔邪王心眼って言う能力を持っていて、それで不可視境界線って言う世界に……」
「待て!」
少年は、六花の口を手で塞ぎ、左右を見回す。誰も居ないことを確信して、六花の手を引いて小走りで移動をする。向かうのはどうやら鉄道の高架下のようだった。
「あの下で話を聞こう。スパイが居るかもしれないから気をつけろ」
「は、はい……」
慎重に、少年は六花の手を握って壁から顔を出し、安全を確認すると走り出す。六花は慣れない異性に手を握られて、心臓の鼓動が速くなっているのに気がつく。男の子の手は自分より大きくて、包み込んでくれて、それでいて大丈夫だと自分の手を握ってくれた父を思い出した。
*
「ここまで来ればいいだろう。人目に付きにくいし、逆にこちらからは向かってくる人間も確認できる。何かあったら言え」
「は、はい……」
「では、話を聞こう。貴様の邪王心眼、そして不可視境界線と言う奴を」
それから六花は、昔父が自分に邪王心眼の能力を受け継いでいる事、不可視境界線の存在があると言う事、一年前にもしかしたら父は不可視境界線に迷い込み、今も彷徨って助けを求めているかもしれない事。
ダークフレイムマスターと名乗った少年は、親身に話を聞いてくれた。時折周囲を警戒しながら、それでも耳は六花の言葉に向けていた。
そして全てを話し終わると、ダークフレイムマスターは。ショットガン(モデルガンだ)に薬莢を詰め込みながら自分の見解を口にした。
「つまり、お前は不可視境界線で彷徨っている父を助けたいのだな」
「はい……でも、もう死んじゃってるのかもしれない……本当は……本当は病院で死んじゃって……でも、でも!!」
気付けばまた涙が溢れそうになっていた。もう十分泣いた筈なのに、また流れ出す。父親が無くなったという現実と、異世界で生きているかもしれないというわずかな希望が入り混じり、そのギャップによって六花の涙腺は絶望によって再び叩き壊されて決壊寸前になっていた。暗くて涙が見えないだけ、ましだろうか。
「涙を拭け」
と、ダークフレイムマスターは黒いハンカチを差し出す。六花はそれを受け取り、何とか涙を抑えようとする。
「泣けば雨が降る。雨は人々の気持ちを沈ませる。そうすれば絶望が生まれ、世界は本当にただの暗黒の世界になってしまう。だが、私は違う! 私の求めている闇の世界は、正義を求めた闇の世界! その理想を実現させるために私は今を生きている!」
拳を握り、黒い少年は高らかに宣言する。六花はそれを驚愕と不安と、そして尊敬の入り混じった顔で見ていた。
「お前が邪王心眼の能力を受け継いでいるのはその父親が言うからには間違いないだろう。今はただの潜伏期間だ。何れ貴様が心から願う時、邪王心眼は発動する!」
「私の……邪王心眼……」
「そうだ。だがおそらく、発動した時は力の大きさゆえに制御できないだろう。異世界にも行ける能力だ。一歩間違えれば、制御不能になって世界を滅ぼしかねない」
「じゃ、じゃあどうすれば……」
不安げな顔の六花に、ダークフレイムマスターは今までにない優しい笑顔を見せた。六花は、その顔を見て何か胸の奥がチクリとするのを感じた。
だが、その正体を知るのは、もっと先の話である。
「貴様に、これを託そう」
彼がコートのポケットから取り出したのは白い眼帯だった。六花はそれを受け取り、どうするのかと言いたげな目で見る。
「邪王心眼が発動した時、その眼帯を身につければ邪王心眼の能力抑止が可能だ。発動する際はその眼帯を外して使うがいい。だが、最初は開放時間を短めにし、慣れて行くのが大切だ。そしていずれは完全に制御で来た時、貴様は不可視境界線へと行く事が可能だろう」
「これで……邪王心眼を……」
「その通りだ。後は己を信じ、前に突き進むのみだ」
そう言うと、ダークフレイムマスターは立ちあがった。
「私から言えるのはこれだけだ。もし能力が使えるようになった時、私は再びお前の前に現れよう。さらばだ」
そう言い残し、少年は走り出した。六花の呼び止める暇もなく、あっという間に階段を駆け上がり、土手の向こうに消えて行ってしまった。
真上を、電車が走る、高架線の下は音が反響しやすく、耳が痛くなる程の騒音だった。だが、六花は気にしない。
右手に握られている眼帯を見る。何の変哲のなさそうなそれは、本当に何か力を秘めている魔法の道具のように見えた。
右目に眼帯を当て、耳かけを引っ張って固定する。左目だけの視界になり、若干視界の認識が悪くなる。が、六花は眼帯越しに手を目に当てて、そっと思う。
もし、私に邪王心眼があるなら。
もし、扱えるようになったら。
もし、不可視境界線を見つけられるなら。
今から言う言葉は、重要な儀式だ。邪王心眼が使えるようになったら、その能力制御するためのフィールドを作るための秘密の呪文。これが私の力。
「邪王心眼……発動……」
また電車が来る。正直こんなセリフをどうどうと叫ぶのは恥ずかしかったが、電車の騒音に紛れ込ませたら大丈夫だろう。これは予行演習だ。
「爆ぜろリアル!」
即席で考えた言葉。今のこんな現実を叩き壊す願い。それっぽい単語を並べた安っぽい呪文かもしれない。だが、今の六花にどんな形であれ、希望を持たせるには十分すぎる呪文だった。
これならきっと大丈夫。これがあるなら、これから先自分は大丈夫だ。どんな形でも、どんな形でも分かってくれる人が居ると信じて。どんな逆境をも打ち壊すために必要な身体能力だって手に入れられる力。
「弾けろシナプス!」
そして、絶望も逆境も撃ち破る最強の自分だけの世界。そう、
「パニッシュメント、ディス・ワールド!!」
この邪王心眼は最強なのだ。
*
地元駅から降りて、もうすぐ六花と勇太の自宅にたどり着くと言う所まで、二人は黙っていた。勇太はすぐに六花の気持ちが沈んでいる事に気がついたから、むやみに話しかけるよりも行動で示した方がいいと判断し、出来るだけ六花に寄り添ったり、手を繋いだりしていた。
そのおかげで、六花も安心する事が出来た。この優しさは、あの時から変わっていない。あの時、そっと泣いている自分にハンカチを渡してくれたときと同じだった。
だから大丈夫。あなたが居るから大丈夫。
「勇太」
六花は握っていた手を離し、勇太の一歩前に出て笑顔で振りかえる。
「もう大丈夫。ありがとう」
「ん、そっか」
勇太も安心した、と笑顔になってくれる。心なしかもう少し手を繋いでいたそうな表情が見えた気がしたが、着替えたらまた部屋に乗り込んで甘えようと思った。
「だから、家まで競争!」
「えっ、お、おい六花!?」
突然の提案に勇太は驚き、だが六花はそんな勇太にお構いなしにに走りだす。勇太は手を伸ばしてどういう事だと言おうかと思ったが、すぐにそんな考えは捨てた。
「……ったくしょうがないな」
まあいいかと勇太は思って、すぐに六花を追いかける。その小さい背中は、やっぱり元気になっていた。
「勇太、早く早く!」
ありがとう。どんな形でも、私に希望をくれた人。
幻想でもそうじゃなくても、例え周りから間違っていると言われ、そして実際そうであったとしても私に前に進む一歩をくれた人。
例えあなたがその名を口にしなくても、私にとっては永久の英雄。
あなたはたった一人の救世主。
ありがとう、ダークフレイムマスター。
ありがとう、富樫勇太。私の大切な、初恋の人。
終わり
まぁ突っ込みどころは満載です。テレビ版とはあれも違うこれも違うと、正直私自身丸々書き直したいのですが、あくまで結末がわからない状態で書いた妄想小説なので、丸々変えると当時知恵を絞りだして書いていた自分に対して失礼だと思い、そのまま掲載しました。
実際六花ちゃんの包帯や眼帯は自分で編み出したものですし、勇太とのコンタクトもしていませんし、でもあったらいいなーといった内容でした。
二期放送や映画化も決まってウハウハな中二病でも恋がしたい! ですが、これからも繁栄することを願ってあとがきは以上です。ここまで見てくれてありがとうございました。