Fate/Remnant Order 改竄地下世界アガルタ ■■の邪竜殺し   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

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番外編:英霊伝承~后羿~

 気が付いたら一人だった。

 貧しい家に生まれ五歳の頃に扶持減らしの為に山に置き去りにされた羿には頼る者はおらず、頼みとなるのは持って生まれたよく見える目のみ。

 羿が置き去りにされた山は人里へと続く道が閉ざされており、羿に生家へと戻る手段はない。加えて彼が生きた神代――特に山という人の理が及ばない環境には魔獣や幻獣、さらには神獣すらも跋扈しておりいつ餌になってもおかしくはない状況であった。そして、悲しいかな人である以上羿は食らわなければ生きていけない。己よりも力も速力も優れた幻想種の生き物を狩り、それを糧としなければならない状況でありかつ羿は目に優れる。

 であれば彼が弓矢を頼りにするのは必然であった。巨躯から放たれる幻獣の膂力も弓の射程があればその恐怖を殺すことが出来る。優れた目以外はただの人として生まれ、頑強な肉体も不死性も持たない羿にとっては打ってつけの武器であった。

 そして、幸運にも羿は弓引きとしても狩人としても優れた才を有していた。その為に二〇年の月日を生き延びることが出来た。その頃には閉ざされた山の中で羿に勝る生き物などおらず、また彼の目が及ぶ範囲にも彼より強い生き物などいなかった。

 ――何故、羿はこんなにも強いのだろう?

 ――父や母は何故、羿にこんな優れた目をくれたのだろう?

 故に羿は疑問を抱いた。過剰なまでの己の強さに。それを与えられた意味に。

 そんな頃であった。羿の前に人の姿をした何かが現れた。男とも女とも分からず、髪の代わりに白い蔓のようなものが生えた金色の鎧に身を包むそれは己を“帝夋”と名乗る。

 羿の記憶する限りでは神々の首長の名であった。

 

「神の長が羿に何の用だ?」

 

 そう問われると帝夋は羿に手を差し伸べて言った。

 

(けい)を迎えに来た。今この世界で最も優れた射手にして勇士、それが(けい)である。この天地の安寧と人々の平穏を守る為に、私は(けい)の力を求めたい」

 

 その言葉を聞き羿はその目に映る人々を改めて観察した。

 

「この羿にこんなにも弱い生き物を守れというのか?」

 

 それらはどうして二本の足で立てているのかさえ分からないような弱い存在だった。

 些細なことですぐに死ぬ。この山にでも迷い込めばいとも容易く失われるような命であった。

 

「弱いからこそ守るのだ。この天地にあって何より強い(けい)が」

 

 その言葉は羿が抱えていた疑問を容易く打ち破った。

 

「キハハハハハハハッ! 何だ、それが俺がこの世界に在る意味だったのか!」

 

 羿は呵呵大笑した。

 確かに人間は弱い生き物だった。だが、だからこそその生は尊いものであった。他者を愛し、時には傷つけながらそれでも懸命に生きている。その営みが、この世界でそれが行われているという事実が羿には奇跡に感ぜられた。

 否、ずっとそう思っていたのかもしれない。閉ざされた山の中で時折下界を見ながら羿はきっと素晴らしいと思っていたのだ。

 

「有難い。手前ェの為に漸く理解出来たぞ。俺の力が一体何なのか」

 

 感謝と共に羿は帝夋の手を取った。

 そして感謝を述べた対象は帝夋のみではなかった。羿をこの世界に存在させてくれた両親。素晴らしき世界を守るだけの力をその肉と精とで練り上げてくれた親に羿は心から礼を述べた。

 帝夋に連れられ天に昇ると羿は神格と共にその実力に相応しい弓と矢を与えられた。

 神となった羿の活躍は目覚ましいものであった。黄帝に不死の力を与えられた人面を有した雄牛窫窳(あつゆ)、尾が揺れるだけ津波が立つ大蟒蛇の巴蛇(はだ)、火炎と水を操る魔力を持った九つの首を持つ大蛇の九嬰。一匹一匹がそこにいるだけで中原を転覆させかねないような恐るべき悪獣を羿は弓を以って討ち取った。

 その他人々の生を脅かす幻想種の数々を葬り去り、そんな彼を人々は英雄と讃えた。併し、その称賛を受ける度に羿の傍らからは人が、神々が彼の元から離れていった。

 羿は中原で起きる総ての脅威を沈黙させる程に強かった。強過ぎた。

 そして総ての脅威を治める程に強いということは、逆にあらゆる脅威になり得るということでもあり、故に羿は恐れられる存在となった。

 燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや。人も、神も誰も羿の心の内を理解しなかった。

 

「それで良い。羿は強い。その身を焼くかもしれん力を恐れるのは当然だろうよ」

 

 だが、羿は己に対する恐怖の一切を受け入れた。

 

「手前ェらが健やかであれば羿はそれで良い」

 

 それが羿の願い。故に羿は傍らに何も無く、無謬の空を飛ぶ鴻鵠として振る舞った。

 孤高であろうとした。

 本当に羿が孤高の英雄であったのならば、屹度羿は幸せだっただろう。

 だが、現実はそうではなかった。接触の無い生き方は羿の心に否応なしの痛みを与える。

 己を鼓舞するように敢えて言葉にしなければならない程に羿は痛んでいた。

 

「アナタ、寂しいのね」

 

 それに気付かされたのは篠突くような雨が降るある日のこと。

 ただ羽ばたくだけで嵐となる怪鳥“大風”を討伐し、空を見上げ早くこの雨が止まないものかと顔を顰めていた時だった。

 突然羿は後ろから声を掛けられた。

 戦いに因る疲労が原因で視界の一部が霞んでいた為だろう。後ろにいる彼女に気が付くことが出来なかった。

 艶やかな長い黒髪、喉元に刃を突き付けられているかのような心持にさせる冷ややかな美貌の人。月白色の羽衣は月の女神たる証。彼女は天上の神の中で最も美しいとされる嫦娥であった。

 

「女神嫦娥か。何故こんな所にいる?」

 

 羿は後ろを向いたまま視界から嫦娥を文字通り消して話した。何故か今まで姿を見ることはなかったが、嫦娥は噂に違わぬ美貌の持ち主だった。もし目と目が合えば自分に何が起こるか分かったものではない。

 狂い始めた挙句に、この清廉な女を欲してしまうかもしれない。

 羿にはそれが恐ろしくて堪らなかった。

 

「アナタを見ていたから。ずっと」

「月の女神は浪費が激しいんだな」

 

 弓以外に何もない武骨漢に一体どんな面白味があると言えるだろう。万物にとって時間とは有限であり、その中でも最も退屈な時間の過ごし方をすることは間違いなく浪費と言える。

 

「浪費ではないわ。私にとっては、ね」

「よく口が回るな、月の女神。さっさと手前の宮に帰ったらどうだ?」

「いやよ。アナタを手に入れるまで、私はここを動かない」

 

 羿は嫦娥の見せた意志に困り果てた。

 女神というのは須らく完璧な肉体を持つ者であり当然、風邪などにはかかりようがない。それでも体を冷やすのは良くないだろう。

 羿としては嫦娥にはすぐに雨の当たらない所に移動して貰いたかった。

 

「何故、俺を欲する? 番犬の代わりでも要るのか?」

「いいえ、違うわ」

 

 羿に思い至る理由などそれしかなかった。

 だが、嫦娥はそれを否定した。

 

「可哀想なの。寂しそうなアナタが」

 

 真に羿が孤高であれば屹度、激昂しただろう。

 だが、そうはならなかった。

 己の抱えていた痛みの名前を言い当てられたこと、自分でさえ分からなかった痛みの名前を教えられたこと、そしてその痛みに手を差し伸べられたこと。

 

「……俺は“孤独”だったのか」

 

 羿の目は、肉体は溢れ出した感情の前に敗北し、降りしきる雨と共に土を濡らした。

 

「……そうだな。君が言うのなら羿は寂しいのだろう。ならば羿はその言葉に従おう」

 

 この時、羿は嫦娥の方を向くことも嫦娥に視線を向けることも出来なかった。

 鴻鵠たる羿に敗北は許されない。己に対してすらも、である。

 この時の羿の顔は正しく敗者のそれであった。こんな惨めな姿は嫦娥に見せられない。見せたくはない。

 それに幾度の戦いで羿の手は、魂はきっと汚れてしまっているから。それを思うと羿は怖かったのだ。視線が合うだけでも彼女の清らかな魂を穢してしまいそうで。

 ――恋に落ちた羿の前には何もかもが恐ろしかった。

 誰も気づきすらしなかった心の乾きに気付いてくれた人。抱えていた傷に触れてくれた優しい心。

 全てが羿の前には輝きとして映った。

 そしてこの日より羿の傍には嫦娥があった。

 夢のような日々だった。あまりに美しい嫦娥に触れることも視線を向けることも出来なかったが、それでも傍にいるだけで心が満たされた。

 そんな羿の暮らしが一変したのは、彼の最大の偉業、射日を成した後だった。

 彼が落とした九柱の太陽神は現代で言う人工衛生軌道上に存在していた。射落とすことなど不可能である筈だった。少なくとも中原の神々はそのように想定していた。

 だが羿の射は帝夋の想像を遥かに上回っていた。今後、二人として現れないと思われる射の太極に至った者。

 神々が彼を危険視したのは当然と言えた。万物は経年によって劣化する。どれほど完成された精神性を持っていてもその魂は歪んでいく。

 それは神であっても代わりはない。例えば百手巨人(ヘカトンケイル)独眼巨人(サイクロプス)をタルタロスに幽閉したウラヌスを討ちながら、自身も同じような行いに手を染めたギリシャのクロノスのように。

 日に日に神々の中から羿を除けとする声は大きくなり、彼を神にした帝夋でさえそれを抑えることが出来なくなった。

 

(けい)とその妻嫦娥を神籍から除く。許されよ」

 

 苦渋に満ちた顔でそう告げる帝夋に羿は自分のことは構わないと言った上でこう願い出た。

 

「嫦娥のことはこのまま天に留めてくれ」

 

 隣で自分と共に跪く嫦娥には目を向けず、羿は帝夋のみを見つめた。

 

「それはならない」

「何故だ?」

 

 問い掛ける羿の神性を奪い、また嫦娥からも神性を奪い帝夋は悲し気な顔をして答えた。

 

「分かってくれ。最早、定命になるしかない(けい)に与えてやれる唯一つの救いなのだ」

 

 帝夋には羿を散々に利用してしまったのに守り切れなかったことに強い負い目を感じていた。

 そんな彼を孤独の中で老い死なせることなど帝夋には出来なかった。せめて彼が愛する人と共にあることが帝夋に出来る最後の償いだったのだ。

 併し、帝夋の償いは裏目にしか出なかった。

 

「どうしよう、羿。私、女神でなくなってしまった。もう永遠に美しく在れないの。醜く老いてしまうの」

 

 地上に落とされた嫦娥は己の身に起った不幸を嘆き悲しんだ。

 嫦娥にとって女神であることと永遠の美を持つことは何よりの誇りであったのだ。

 

「……崑崙山に不死の霊薬に通じた仙人がいるらしい。待っていてくれ」

 

 羿は嫦娥が人になろうとも、どんなに老けようとも愛する自信があったが嫦娥にとっては重要な問題であったのだろう。

 であれば羿にとって奮迅する万の理由になる。

 そして羿は崑崙山に登ると不死の霊薬を二つ持ち帰り嫦娥に差し出して言った。

 

「この霊薬を一つ飲めば不死を得られる。二つ飲み干せば神籍を取り戻すことが出来るらしい。どうするかは君が決めてくれ」

 

 久方振りの人の身の為か、羿は冒険に疲労しそう告げると寝てしまった。

 そして、その眠りから目を覚ますと嫦娥はいなかった。

 

「そうか、嫦娥は望みを叶えられたのか。良かった」

 

 そう口にしている筈なのに、羿は己の頬が湿っているのを感じた。

 地上の栖は屋根の作りが悪いのか、雨が差し込むのだろう。

 そんなことを思いながら、羿は独り言ちた。

 

「羿は欲が深いな。君に与えられたものはあまりにも大きかったというのに」

 

 嫦娥の傍にいたかったという思いを殺すことが出来なかった。

 再び一人きりになった羿はそれでも生きようとした。両親から貰った命を殺すことは悲しみの中でも羿には出来なかったのだ。

 そして数十年の時が経ち、朽木のように老いた羿の隣には一人の青年がいた。

 

「お師匠、見て下さい。星が綺麗です」

 

 岩に腰掛ける羿の隣でただの星に感動する男の名前は逢蒙(ほうもう)と言った。幼い頃羿が狩りをする姿に見惚れ、彼の弟子になった男だ。

 羿は子供が苦手であったが、彼があまりにも情熱的で執念深かった為、根負けして弟子にし今日まで一緒にいてしまった。

 

「そうか」

 

 羿は答えたが、星など見ていなかった。

 嫦娥が自分の元を去って以来、羿は空が苦手だった。特に彼女を象徴する月がある夜空は見ることさえ出来ないほどに。

 

「お師匠。お師匠は昔、弓で星を落としたとおっしゃいました。俺にも星を落とすことが出来るでしょうか?」

「まだ遠いな、手前には」

 

 羿から見て逢蒙の才は自分にも迫るものがあったが、星を射抜くにはもう少し鍛錬を重ねる必要があるだろう。

 それが五年先か十年先かは羿にも分からない。

 唯一分かるのは羿には、その瞬間を見届けることが出来ないということだけだった。

 寿命がもう間近まで迫っていた。それが明日なのか、一週間先なのかは分からないが、それでも近いことだけは確かだった。

 

「嫦娥……」

 

 そんなセンチメンタリズムに救いを求めるように羿は無意識のうちに月を見てしまった。

 そして、老いてなお衰えなかった羿の目は嫦娥を捉えてしまったのだ。

 醜い蟇蛙に変じてしまった嫦娥の姿を。

 

「嘘だァァァァァ!!」

 

 月は古くより狂気の象徴とされている。人狼が人から狼に変ずる際は月の光が関わるし、狂気のことを月的などと表現する国もある。

 羿はこの時月に正気を奪われ発狂した。

 いや、元より嫦娥に出会ったその瞬間に既に狂ってしまったのかもしれない。

 彼女が誇っていた美貌が失われてしまったことが羿にとっては怒らざるをえないことだった。

 一体嫦娥が何をしたというのだ?

 ただ、羿と共にいただけだ。

 何もしていない筈だ。

 霊薬を独り占めしたことなら俺は許した。彼女には俺の総てを奪う権利があったのだから。

 なのにこれは何だ? 因果応報とでも言うつもりなのか? そうだと言うならこんな因果は認めない。こんな世界は認めない。

 生きてきた中で感じたことのなかった胸を焦がす劫火。

 今まで抱いたことのなかった怒りという感情を羿はこの時初めて抱いた。

 

「死んでしまえッ!! こんな世界欠片も残さず!!」

 

 そう叫んだ瞬間、羿の視界が眩んだ。

 最後に霞む視界の中に映ったのは、血に濡れた剣を握り、涙を流した逢蒙の姿であった。

 こうして中原を翔け抜けた鴻鵠は座へと召し上げられた。

 嫦娥の受けた罰に対し理不尽に怒り、世界の総てを恨んだまま。

 滅亡の願いを持った最低最悪最強の弓兵が生まれてしまった。

 

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