マテリアルズRebirth   作:てんぞー

144 / 210
ウィザウト・ユー

 ―――。

 

「―――い」

 

「……っぁ」

 

 意識が唐突に覚醒する。感じる事柄に感覚が生まれる。意識がなぞる事から動く事へと変動する。広がった白が段々と消えて、目の前に見に覚えのある光景が広がる。テーブルでスプーンを握ったまま、動きを止めている自分の姿がある。手の中にはスプーンが存在し、そしてそれは手に握られたまま動きを止めている。そのスプーンの下にあるはずのあったかいスープはもう湯気を立てている様子を見せていない。普通なら重力のままに下へと落ちる筈の腕は義手である為、命令がない限りは動きを停止させ、固まっている。スプーンを落としてしまえば軽く自分のズボンが悲劇になるだろうし、有難く感じる。

 

「イスト」

 

「大丈夫、少し夢を見ていただけだから」

 

「……そうか」

 

 ザフィーラが椅子の横で心配そうな声を出してくれる。俺はそこ、警戒しておくべきだと思うのだが……”昔”と比べてだいぶ甘くなったな、この男は、と思う。スプーンをスープの中へと淹れて、スープを掬いあげて口に運ぶが―――冷たく、大分味が失われている。正直に言えばそこまで美味しくなくなっている。トマトを使ったチリのスープだったのだが……ここまで冷たくなってしまうとあまり、飲みたくないものではある。本来は好きだが。

 

「……すぅ……すぅ」

 

 向かい側の椅子を見ればヴィヴィオが小さく寝息を立てている。まだ時間が早いのに寝ている事から多分、遊び疲れじゃないかと思う。それなりに遊んでいたし今日は。途中からは寮母のアイナも混ざってフリスビーでザフィーラを苛めたりと、割と充実した一日だった。……少なくとも子供には。大人の自分はいい休暇を過ごした、という程度の認識だ。まあ、その程度だろうと思う。ともあれ、

 

「温め直すか」

 

 スープの入ったボウルを持ち上げて、それを部屋に備え付けのキッチンへと持っていく。そこにはスープの入った鍋が存在する。そこにまだ一度しか口を付けていないスープを戻し、そしてコンロの火をつける。強火でやってはいけない、……なんてことをディアーチェが言っていたのを思いだし、強くしそうだった火を少し抑え気味にして、あくびが漏れそうな口の前に手を置く。

 

「イスト……どんな夢を見ていた」

 

「そうさなぁ……」

 

 コンロの前でスープが温まるのを待ちながら、軽く時計を見る。時刻は既に七時半過ぎだ。七時ごろに夕食を始めた事を考えれば大体三十分ほど白昼夢にとらわれていた、という事だろうが。もう少し空気を読んで時間を飛ばしてくれればうれしいのだが……そこらへんは完全に自分の意志から逸脱しているのでどうにもならない。溜息を吐いて諦めるしかないのだ。

 

 あー、なんだっけ、確か―――そう、今回のは戦争の夢だった。目を閉じて、その経験を思い出そうとすれば、鮮明にその時の記憶が蘇ってくる。

 

「ゆりかごが没した後にベルカを守るために戦った頃の記憶だったな……ほら、みんなで集まって、守ろうと言って、手段を選ばない戦いから意見を通す為に手段を選び始めた頃―――覚えてるか? ほら、極悪過ぎる兵器は封印したころの話だよ」

 

 言葉にザフィーラは目を閉じて、そして静かにそれを縦に振る。戦乱時代のベルカはゆりかごの活躍にほとんど終止符を打ったが―――それですべてが終わったわけではない。その後の戦いや活動があって初めて今の状態が存在する。だから意見を通すための政治的な活動やらも多く行われた―――と、クラウスの記憶は訴えかけている。もはや半ば俺の記憶となっているが。もう、別人とは感じられない。

 

 このころの記憶の中のクラウスは若干自暴自棄というか、なりふり構わない所がある……まあ、こんな喪失感にクラウスは襲われていたのだ。それなら納得も出来ると、同一人物になりそうな自分からすればそう答える。まあ、俺の精神とクラウスの記憶で常時主権をせめぎ合っているような状況だ。この果てにどうなるかなんか四年後の俺に聞きたい所だが……まあ、究極的に言えば、

 

「どうでもいいな」

 

「何がだ?」

 

「俺が勝つか、それとも俺が負けるかって話」

 

「……貴様、それは本気か」

 

 ザフィーラが起き上がり、テーブルからキッチンの方へとやってくる。姿は狼の姿のままだが、その視線は確実に此方を睨んでいる。何故だ、と思考してからあぁ、と納得する。そうか―――ザフィーラ的にはクラウスよりも俺のままでいてほしい、つまり俺の心配をしているのか。変わってしまう事に恐怖を感じてくれているのか―――だとすればそれはとんでもなく的外れな事だとザフィーラに伝えなくてはならない。だからまだ暖かくならないスープを見てから、キッチンに並べられている調味料を見て―――そしてバイオウェポンを見つける。

 

「ザッフィーザッフィー、こっちへ」

 

「なんだ」

 

 ザッフィー呼ばわりには既に慣れているのか諦めているのか、普通に対応してしまったザフィーラの姿が少しだけ寂しい。ここはやめろ、とツッコミを入れて欲しかったところなのだが。そんな寂しさを紛らわす為にバイオウェポン―――醤油をカウンターの上から取って、近づいてきて喋ろうと口を開けたザフィーラの口の中へと流し込む。一瞬でむせた。

 

「ぼふぅっ、ごふっ、き、きさまっ、おふっ」

 

「すげぇ、醤油飲ますとこうなるんだ」

 

「殴るぞ貴様ァ―――!!」

 

 即座に人間の姿へと変身したザフィーラが片手で胸倉掴んでくるので即座に視線を外して横の方へと顔を向ける。軽く口をすぼめて口笛を吹いてみたりすると横目でザフィーラの額に青筋が浮かぶのを確認できる。心なしか胸倉を掴むザフィーラの手が強くなっている気がする。

 

「ごめんねー」

 

「そろそろ殴ってもいいか」

 

「冗談だよ冗談」

 

「……はぁ」

 

 ザフィーラが解放してくれる。口の中が塩分で凄まじいであろうからコップを渡すと、そのままシンクへ水を入れる為にザフィーラが動く。だからその間に鍋の前へと戻り、おたまで鍋の中身を軽くかき回す。湯気が出ているが、そこまで温まってはいない。もう少し、といったところだろうか。

 

「まあ、ぶっちゃけると感覚的に言えば”どっちであろうと変わらない”ってのが正しい結論なんだよザッフィー。アッチ寄りなのか、もしくはコッチ寄りなのか、基準がそれだけで俺という存在自身は変わりはないよ。まあ、俺が俺であるという事に総じて変化は訪れない―――ただ女々しいか、女々しくないか、それだけの差だよ。ま、個人的にゃあ女々しいのはかっこ悪いから嫌だね。だけど総じて言えば”どちらでも変わらない”って話さ。俺は俺で。アイツはアイツ。引っ張られて影響されようとも俺の芯は変わらず俺のまま、ってやつさ」

 

 俺の言葉にザフィーラは水を飲みながら聞き、飲み終わったところで狼の姿へと戻る。別にヴィヴィオは寝ているのでこれ以上狼の姿で過ごさなくても問題ないように思えるのだが……まあ、ザフィーラが慣れちゃっている所もあるのかもしれない―――こいつのメシはドッグフードで、何の疑いもなくドッグフードを食べていたし。……誇り高きベルカの守護獣としての姿はもうない。

 

「……貴様がそういうのであればそういう事にしておこう。ただ、私は貴様が”あのように”変わり果てる姿を見るのは嫌だぞ」

 

「ならねぇから大丈夫さ。誰が好き好んで覇王の終わりを再現するのさ。馬鹿みてぇ」

 

 本当にな。

 

 そう呟いたところでスープが十分温まったか確かめる。ボウルに一口分だけ掬って、口へと運んで、十分温まっている事を確かめる。少しだけピリっと口の中に来るスープの味が昔、まだこうなる前に飲んだことのあるスープの味を思い出させる。ふと、懐かしさが彼女たちに会いたいという気持ちを呼び覚まし―――彼女達を信じているのでその気持ちを抑え込む。彼女たちが何かを成そうと、そして俺をここへ置いたのには間違いなく目的があるはずだ。だとしたら自分にできるのはそれを信じるだけの事。

 

 だから特にやる事もなく、スープをボウルへと移し、それを元のダイニングテーブルへと運ぶ。ダイニングテーブルには目を閉じてテーブルを支えに、眠っているヴィヴィオの姿がある。季節は夏へと入ろうとしている六月中旬、風邪を引く事を心配しなくて良い季節だと思う。彼女の姿を前に、テーブルにスープを置いて、そして元の席でスープを飲み始める。テレビは付いていないし、音楽もつけていない。静かにスプーンでスープを飲む音が響く、そんな空間だ。……別に、居辛さは感じない。自分の立場はよく理解しているからだ。静かに眠っているヴィヴィオの姿を眺めながら、温め直したスープを飲む。

 

 ……少し、寂しいな。

 

 自分の記憶にある食卓風景には何時もメシを飲み込む様に食べるレヴィと、それを止めようとするディアーチェ、場を混沌とさせる二人がいて、何かと献身的なナルがいて―――そんな光景があった。早く、あの光景に戻りたい。

 

 そう思った時、

 

「ちーっす」

 

 部屋の扉が開いて、白い制服―――教導官用制服姿のなのはが出現する。最初に発した声は大きかったが、ダイニングテーブルで寝ているヴィヴィオの姿を見つけたとたんに声が小さくなる。足音を殺してなのはが近づいてくると、ザフィーラが顔を上げて挨拶し、自分も片手でなのはへと挨拶する。

 

「子守の一日はどうだった?」

 

「すっげぇ怠惰。超ゆるゆる。毎日こんな風にだらだらして過ごしてぇ」

 

「流石のダメ人間発言。聞きましたかザッフィーさん、これが人間の屑の言葉ですよ」

 

「お前はお前で人間として持ってちゃ駄目な部分を保有しているように見えるがな」

 

 ザフィーラの鋭いブロウになのはが一瞬たたらを踏むが、何とか持ち直す様に見えた。というか実際によろめいた。この元後輩はノリがいいなぁ……と思って、その原因となったのが自分だと思いだす。あぁ、だとしたら何か凄い納得。とりあえず、暇な時間にぽつぽつと打っておいた報告書をホロウィンドウという形で出現させ、それをなのはへと投げる。それをなのはは少し困ったような笑みで受け取る。

 

「ヴィヴィオの様子と俺の様子。最後の方が切れてるのは勘弁してくれ、トリップしてたから付け忘れてたんだ。おかげでスープが冷えちまった」

 

「正直元先輩がここまで真面目にやるとは思わなかった」

 

「腹パンするぞテメェ」

 

 なるほど、殺人予告、等とのたまうザフィーラの鼻にはこのチリスープを進呈する。嗅覚が凄まじいらしいのでしばらくの間はひたすらヒリヒリする感触と匂いで地獄を彷徨うだろう。そしてその姿に対して心の底から思おう―――ざまぁ、と。

 

 ともあれ、ヴィヴィオの横まで行くと眠っているヴィヴィオをなのはが抱き上げる。それで目を覚ましたのか、ヴィヴィオが眠そうに眼をこすり、なのはを見上げる。その視線を笑顔と共に受け止めながらなのははヴィヴィオを片腕で抱いて、身体に寄せる。

 

「ままぁ……?」

 

「ん、ただいまヴィヴィオ。もう部屋に戻って寝ましょうねー? ほら、バサラおじさんにおやすみ言ってねー」

 

「お前マジで腹パンするぞ。誰がオジサンだ誰が。一応まだ二十代だぞ俺は。ったく……」

 

 眠そうにヴィヴィオが此方へとなのはの胸から顔を上げて、そして片手を振ってくる。

 

「くらうす、おやすみー……」

 

「……えぇ、おやすみなさい、ヴィヴィオ」

 

 それを聞き届けたヴィヴィオは再び眠そうに顔をなのはの胸に埋めて、そして完全に眠ってしまう。その光景を微笑ましく眺めていると、不意になのはが此方に視線を向けているのが解った、スプーンをボウルの中へと戻し、肩肘をテーブルに乗せて頬杖をする。

 

「んだよ」

 

「ヴィヴィオに敬語で接してるのって―――」

 

「あぁ、クラウスがそうだったから。意識してないと自然とそうなる」

 

 オリヴィエとクラウスは互いに敬語で接していた。お互いにオリヴィエ、クラウスと呼び合う仲ではあったが、それでも王族だからか、互いには敬語で常に接していた。親しき仲にも礼儀を、というスタイルの二人だ。それに引っ張られているのかヴィヴィオを見る時はどうしてもオリヴィエと接していたように行動してしまう―――それ以外の所で素なのはキャラの濃さが完全に覇王を塗り潰しているからだろうか。

 

 芸風って凄いなぁ。

 

「ま、俺がヴィヴィオを相手に普通に喋れるようになるのは最低でも俺が完全に記憶を整理できてからになるから、一々敬語で話すたびに鳥肌になって嫌そうな表情浮かべるの止めてくれないかなぁ。俺そんなに敬語似合わないのかちょっと落ち込んでくる」

 

「だって先輩どちらかというとヒャッハー畑の人間だからモヒカンになってバイク乗り回しているのは似合っても敬語でスーツ姿はキモイってしか……」

 

「お前裏に訓練場あるんだったろ? ツラ貸せよ。ぶち殺してやる」

 

「落ち着け。落ち着け―――私がお前に噛みつくのが先だ」

 

 なんだここは、敵しかいないのか。そんな事を思い三人で軽く笑いあい、改めてお休み、と告げる。なんだかんだでザフィーラは監視のためにしばらくは同じこの部屋で生活するらしいし、完全に寂しいという事もなさそうだ。

 

 ただ、

 

 大事な事を忘れている、そんな思いが胸の中で燻っている。




 へいわだなぁ(目逸らし

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。