「むう、遅いなあ」
壁にかけてある時計を確認すると、既に時間は9時を過ぎている―――普段はどんなにふざけていようとも、約束は守る男だ。8時半には帰ると言ったのだから、8時半にいつもは帰ってくる。少し遅くなるかもしれないとは言っていたが、流石に9時前には帰ってくる男だ。だからこそ何かがあったのではないかと邪推してしまう。たしか、家を出る時間は早く、どっかの犯罪者を囲んで捕まえてくる、と朝に言っていた。ともなれば、可能性としてはなくもないが……返り討ちにあってしまったのではなかろうか? あるかもしれないが……いや、ないだろう。
得意な魔法と、そして技術を知っている分、逃げに集中するか、生き残る事だけに集中すればほとんどの状況でも生き残れるような能力を持っている。だから何かがあったとしたら、デバイスを通して此方にメールか電話でも入れているだろう。ともなれば、純粋に仕事が長引いているのだろう。
と、その時。
「あ」
ピピピ、と音を鳴らしてテーブルの上に置かれている簡易端末が着信を知らせる。それに手を伸ばそうとした瞬間、青い影が飛び出してくる。
「とったぁ―――!」
素早く飛び付こうとするレヴィは端末を取ろうとして、
「だが駄目です」
「ぐぇ」
横からシュテルに踵落としを食らい、床に叩きつけられて潰れる。そのあと悠々とテーブルへと向かい、テーブルの上の簡易端末を取る。シュテルのその蛮行をユーリと共に無言で眺めていると、シュテルが簡易端末から顔をあげる。
「イストからのメールです」
「どうだ?」
「仕事の後そのまま飲み屋に拉致されて、今まで拘束されていたそうです。キチガイな上司がいるそうなのですが下戸なのを見抜いて無理やり飲まして潰して今メールを送った所らしいです」
「なんですかその修羅場」
「大体こんな状況です」
シュテルが此方へ簡易端末を向けると、そこには一枚の写真があった。
―――バインドで縛られた状態のイストが、白目向けながらダブルピースを決めていた。
「なんだこれぇ―――!?」
「あ、シュテルできたらその写真のデータ此方にも」
「バックアップ取っておきましょう。脅迫に使えるかもしれません」
「シュテるん容赦ないよね……!」
その下には連絡が遅くなってすまないと、そして帰りが遅くなるので先に寝ておけという連絡の内容だった。全く本当に、無駄に心配させおって馬鹿者めと嘆息し、
「激しく何時も通りだなぁ」
そう呟き、
「はい、かいさーん」
「おやすみー」
「おやすみなさいー」
「今日も平和でしたねー」
「そうだなー」
バカバカしくなったのでとっとと寝る。
◆
「送った? 送れた?」
「バッチシバッチシ」
「いえーい」
軽く酒が入ってハイテンションの同僚とハイタッチをする。横のテーブルを見れば酒を無理やり飲まされたフィガロが顔をテーブルに突っ伏す様に倒れている。死んでいる様にすら見えるが、これはまだ被害としては軽い方だ。少し視線を奥へと向ければ、人妻とオタクが胸倉掴んで激しく互いを罵り合っている。
「塩!」
「レモン!」
「塩ッッ!」
「レモンッッ!!」
から揚げにかけるものの闘争は何時になったら終わるのだろうか。あの二人、から揚げがテーブルに到着してから三十分間、御代わりのから揚げが来るようになってもまだ続けている。正直に言ってアホではないだろうか。―――そこは素材の味をキープするために余分なものは無しだろうが。少なくとも我が家ではそれで満場一致である。
ともあれ。
キチガイ上司の進めでやってきた店はあのエース・オブ・エースの出身世界である地球という世界、その日本という国の居酒屋スタイルのお店であり、見た事のある料理があれば、見た事の無い料理もたくさん出てきている。珍味を楽しみながら、こうやって混沌に染まり上がっている空隊の面々を見る。建前上は俺の歓迎会、だが実際は仕事が終わったので飲みたかっただけ、というのが過半数に至った結果こうなった。こんな連中がクラナガンの平和を守っているので首都航空隊も色々と終わっている。酒に強いだけではなく、周りが混沌としすぎているせいでいまいち上手く酔いきれてない身としては若干身の危機を感じつつある。
「いや、さっきの白目ピース完全に君の発案だったじゃないか。何無害な表情をしているんだ。完全にアウトだよ」
「そりゃあ、お前、アレだよ。ノリに身を任せた結果だよ。ただノリに身を任せたら予想以上にひどかったからやってみて逆に冷静になった。家に帰ったらおそらくバックアップ取られているだろうからそれを消去する事から始めるわ」
身内がセメントだとそこらへん、本当に気を使うのが辛い。シュテルはもう少し此方に優しくしてくれないのだから。無表情のまま偶に肩をもんでくれたりするのは純粋に嬉しいのだが。だがなぁ、クーデレ気取るつもりだったらもうチョイセメントっぷりを―――まあ、口に出して言うと確実にルシフェリオン! 等と叫びながらデバイスなしで砲撃かましてくるので思っている事は絶対に口に出さない。
「そういえばイストは兄弟がいるのかい?」
「まあ、親戚の子なんだがなぁ、ちょっとした事情で今ウチで預かってるんだよ。つくづく思う事だけど18歳に子育てとかは無理だわ……」
予め用意していた嘘なだけにすらすらと言葉は出てくる。嘘をつく事にはもう慣れている為、別段心が痛むこともない。ただそれが恐ろしい程に自然に出てきた事に驚きはある。……自分の中で、あの少女達を身内ではなく、家族として認めている部分が大きいのかもしれない。
……と、ここで会話に間を開ける事は出来ない。
「というとティーダにもいるのか?」
近くのジョッキに手を伸ばそうとしたら別の奴にジョッキを奪われ、一気飲みをさせられた。手をピクピクとさせながら空中を掴み、手を戻す。とりあえず近くを通りかかったウェイターにジョッキの追加を頼む。
「うん、まあ、俺も一人だけ、妹がいるんだ。両親は二人とも数年前に逝っちゃってねー……うん、やっぱり男一人で子育てはないよねぇ」
少し無神経な事を聞いただろうか。……いや、此処は逆にそう言って気遣う方が失礼だ。相手が気にするようなそぶりを見せない限りは適度に触れつつ話題を提供するのが吉。露骨に”ごめん”等と言ってしまう方が面倒だ。
「へぇ、やっぱ色々とか面倒じゃないか? 服とかアクセサリーとか強請られて」
「あぁ、やっぱりあるね、それは。妹……ティアナって言うんだけどまだ10歳にもなってないんだけどさ、アレが欲しい、これが欲しい、友達が着ていたあの服がいい、デバイスが欲しいとか本当に困るよね。俺もこうやって負け組を引き離す勢いでエリートコースを進んでいるわけだけど、それでもやっぱり要望を全て叶える程お金がある訳じゃないからさ」
「今の一言で各方面に喧嘩を売った事はとりあえずスルーな? でも大体間違ってないよなぁ、何で女の子ってあんなに服の代えを欲しがるんだろうなぁ……いや、ファッションに敏感なのはいいんだけど、もうちょっと懐事情考慮してくれるといいなぁ」
懐事情を把握してきてからはそういうのもだいぶ減ってきたが、欠食児童がいるのでエンゲル係数は高いままだ。レヴィの栄養は明らかに脳へと向かっていない。一体どこへと向かっているのだろうか……。
「あー、でも最近お裁縫を覚えてきて、次の冬にはセーターとか手編みマフラー用意するとか言ってたなあ」
「本当かい? そりゃあ嬉しい事だなぁ……あ、ちなみにそっちの年齢は?」
「こっちは13だな」
うーん、と言いながらティーダは首をかしげ、そしておかわりのジョッキがやってくる。それを盗られない様に直接受け取りながら、口へと運ぶ。
「イスト18? だったっけ? だから大体5歳差かぁ。となるとうちのティアナよりは大分大人なんだろうけど、うーん、それでもやっぱりそこまで変わらないものなのかな?」
「たぶん変わらないもんだと思うよ。第一16、17過ぎるまで大体子供って”子供”な感じしないか?」
「あー、それは解る解る。大体それぐらいだよね、明確に周りとか、社会とか意識し始めるのって」
なんというか、それまでの年齢は大人ではなく、まだ社会とかを広く認識せず、自分の小さな世界にひっついている子供のように思えるのだ。大体それぐらいになると高等学校で将来の目標に関して現実的に考える頃だろう。このまま大学へと進学するか、就職するか、そういう思考が生まれるからこそ、少しずつ垢が抜けてくるのだろうと思う。が、まあ、
……結構共通点あるもんだなぁ……。
こういう酒の席じゃないとなかなかできる話ではないと思う、こういう身内とかに関する激しくどうでもいい話は。まあ、ここで働き始めてからやっているのは仕事の話ばかりで、あまり個人的な交流をしていなかった。だからこう言う話は初めてだ―――だからと言ってあまり油断が出来ないのも現状だ。飲むのはそこそこにして、大事な事を口から滑らせないようにしなくてはならない。間違えてクローンを囲っている、なんて事を口にしたくはない。が、露骨に話題を避ける事は逆に怪しいだけだ。嘘と真実は混ぜて使うのが賢いやり方だ。
うわぁ、めんどくせぇ。
近くの皿の上に置いてある串焼きっぽいものを取り、それを食べる。とりあえず塩味がきいていて、やっぱり酒と合うなぁ、と呟きながら視線を少し逸らしてみる。先ほどまでテーブルに突っ伏していたはずの上司は何故か店の入り口の方へと上半身を投げ出す形で放り投げられていた。少し目を離している間に一体何が―――。
「ギブ、ギブ、ギブ……!」
「レモン派は死ななければ治らない……!」
関節技を決めている人妻を見た瞬間察した。とりあえずそっちの方から視線を外すと、別方向に視線を向けてみる。少し穏やかに会話しているだけのように見えるテーブルがある。比較的平和にやってるなぁ、と思い、
「あー、イスト? ―――よく顔を見るんだ」
ティーダに視線の方向を察せられ、よくそのテーブルの方を見る。よく見ればメガネの同僚が俯きながらブツブツ喋っているのを周りがレイプ目で相槌を打っている地獄絵図だった。危ねぇ。
「基本的に平日は仕事で精神的リミッターがかかってる人が多いから結構ハメを外す人たちが多いんだよね、ここ」
「悪いけどハメを外してるのかどうかあやしい日常っぷりなんだけど、お前ら全員頭おかしいんじゃねぇの」
ふぅ、とそれを聞いてティーダは溜息を吐き、此方に視線を向ける。いいか、と前置きを置いてから話を続ける。
「……いいか、イスト」
「しつこいぞ」
「本当に聞いているかチェックしているだけだから許してくれよ男だろ? まあ、それはともかく軽い質問をしようか―――中々情報を吐かない敵がいたら君はどうやって情報を吐かせる?」
「拷問にかける」
「はい、アウト」
解せぬ。情報収集の手段に一番効率的な手段は拷問ではないのかとティーダへと問い詰めるが、拷問の前に尋問が来るのだと言われてしまった。なるほど、存在そのものを忘れていた。
「じゃあ質問その2」
「よし、ばっちこい! 今度こそは模範解答を出してやる!」
「それって最初から出せてないって事を自覚してるよね。……砲撃特化の魔導師がロングレンジから戦いを仕掛けてきた。イストならこれにどう対処する?」
「ブーストで強化して、継続ヒーリング使って、正面から砲撃の中を突き抜ける。逃げ撃ちし始めたらまっすぐ追いかける感じで」
「ハイ、アウトー。君はどこのターミネーターだ。トラウマになるよ」
解せぬ。使える手札を最大限利用しているだけなのにこの扱いはひどい。第一飛行魔法が苦手なのだから複雑な動きで避けながら前進するという選択肢はないのだ。地上にいる間は鴨撃ち状態だし。だからこの選択肢は間違っていない。
「いやいやいや、砲撃魔法が基準値で使えるんでしょ? そこは砲撃で牽制しつつ接近って手段を取ろうよ」
「じゃあティーダ、お前にも同じ質問させろよ。お前の場合どうやって情報吐かせたり対処するんだよ」
その質問に対してティーダはそうだね、と言ってまずは、と付け加える。
「とりあえず嘘でもいいから脅迫する」
「地獄に落ちろ」
「あとソロで砲撃系魔導師と当たる事なんてたぶんないし、当たる時は当たる時で前衛型の相棒が一緒にいると思うから相棒を盾にして狙撃する」
「お前は本当に地獄に落ちろ」
「俺は使える手札を使っているだけなんだけどなぁ……」
その結果それはおかしくはないか。まあ、ともあれ、ティーダとのコンビは上司の反応を見るに確定コンビとしてしばらくは続きそうだ。だから、
「ま、そう簡単に墜ちない様に頑張るさ、その時は」
「あぁ、頑張って盾になってくれよ、その時は俺も頑張るから」
お互いの位置を再度確かめ直しながら再びウェイターを呼びつける。もうだいぶいい時間に入り始めているが―――それでも、今出ている量の酒と料理では足りないだろう。家に帰るのは確実に遅くなるだろうが、たまにはこういう交流も悪くはないと思う。