「―――ッ!?」
それが自分の体に叩き込まれるまでオリヴィエは殴られた、という事実に気づく事さえできなかった。確かに全てを目で捉えていたはずだ。廃墟の上から見下ろしていたイングの姿を。ユニゾンの影響で髪色は金に染まり、そしてバリアジャケットも自分がデータとして知っている物が赤く染まっただけのシンプルなものだ。髪は全て下に降ろしている状態で、廃墟の上でふいていた風に揺れる姿が印象的だった。そこまではいい。そこからどうした、とオリヴィエが思考する。
イングは早かったか。いや、むしろ遅い。その動きは本来知っていたデータのよりも圧倒的に遅かったはずだ―――であるのに、オリヴィエはイングの動きを察知する事が出来なかった。聖王の鎧を貫通し、直接オリヴィエの体へと拳を叩き込んでいた。しかもそれをオリヴィエは認識できていない為、覚える事すらできない。それはオリヴィエの体に一瞬の硬直を生み出し、そして笑みをイングの顔に浮かばせる。
「砕け散れオリヴィエ、クラウスの記憶なんて邪魔な塵ですが、それでも貴女を殺すための道具としてはこれ以上なく有効です。ならばこそ、有効活用させてもらいます―――願わくば理解できないまま滅びる事を聖王」
そして再びイングの拳がオリヴィエの体に叩き込まれる。抉りこむ様に放たれた拳はオリヴィエの腹へと叩き込まれ、その体をくの字に折り曲げる。その状態からイングはオリヴィエを殴り飛ばす。その衝撃に逆らう事無くオリヴィエは吹き飛び、そして数メートル進んだところで回転しながら大地に着地する―――その体に攻撃は叩き込まれど、ダメージは少ない。イングはその様子を腕を振りながら確認し、言葉を漏らす。
「浅いですね」
イングのその言葉は真実だ。イングは今までのスペックを”本来”と表現するのであれば、それに到達するレベルの能力を出せてはいない。イングには魔力が存在せず、そしてイングの魔力は全てアギトが補っている。故に本来は膨大な魔力を有しているイングはそれを失い、大幅なスペックダウンが行われているが―――それが逆にイングの動きを研ぎ澄ませていた。
再びイングが前に出る。それに対応する様にオリヴィエも前へと出る。繰り出される踏み込みからの掌撃。それをオリヴィエは確実に遅いと感じる。実際に速度で言えば魔法によって強化されているシグナムやヴィータの攻撃と比べて一段と遅い。だがそれでも、
オリヴィエはそれを認識する事が出来る事無く胸に打撃を食らった。
「―――何故です!?」
それをシグナムは即座に看破した。
◆
―――知覚外からの攻撃か……!
オリヴィエの武技が完成された領域にあるのには間違いはない。戦士として、兵器としてこれ以上なく強い存在だ。これ以上人間という範疇を超えずに到達する事は不可能だと言えるレベルには完成されている。だから、だからこそ、オリヴィエはまだ人間の範疇内だ。人間を超えていないからこそ”ヒューマンエラー”が、人間特有のミスが生まれる。それこそ知覚外。意識の死角だ。本来は意識する事の出来ない所。オリヴィエのそれは此方から認識できない筈だが、そこだけを的確にイングは打撃してる。
これは好機であると判断する。
「加勢する」
「どうぞ遠慮なく」
イングが攻撃をオリヴィエに叩き込むのに合わせてオリヴィエへと向けてレヴァンティンを振るう。オリヴィエのバイザーの向こう側からの目が此方の動きを見抜く。そしてイングの拳を耐える動作を変えずに、此方の攻撃を、レヴァンティンを聖王の鎧で受け止めきる。イングが何故相手の知覚外を的確に突けるかは……ある程度予想できる。が、それよりも勝利の可能性が出た事の方が重要だ。
「あたしらを忘れてもらっては困るぞ」
オリヴィエの背後からヴィータがグラーフアイゼンを振るう。それも再び鎧によって阻まれ、衝撃がオリヴィエへと届く事はない。だが聖王の鎧を、その発動を意識させることによってオリヴィエの動きの処理を重くし、そして明確にイングに動きやすい環境を生み出す。元々敵だった存在を利用し、助け、そして勝利する事に対して憤りや不満など存在しない。
勝てばよろしい。それが戦争だった。
故に、
「くっ」
「覇王鋼裂衝」
確実に一撃を叩き込み、オリヴィエにダメージを通すイングをここで立てるのは決して間違いではないと、そう判断する。そしてそれを確実にするためにも動きを作る。レヴァンティンに炎を纏わせ、わざと大振りに振るう。隙だらけの動きにオリヴィエは反応し、即座に拳が返ってくる。だがその間を縫うように狼姿のザフィーラが飛び出し、攻撃を受け止める。その瞬間にヴィータと共に挟み込む様に大ぶりな一撃を叩き込む。聖王の鎧によって防がれるそれはしかし、土埃と炎を大きくまき散らす。そしてその中を突っ切る様にイングが動き、
「―――ッ!」
再びオリヴィエへと一撃を叩き込む。その体が曲がるのを気にせず、イングが次の一撃を放つ。オリヴィエの体へ拳が突き刺さり、そして次の瞬間には蹴りが中っていた。その動きの連鎖は流れるように、そして止まることなく続き―――そしてオリヴィエの姿を最後の一撃で大きく吹き飛ばす。炎をまき散らしながら放たれた拳は周りの大地を砕き、そしてオリヴィエをその背後の廃墟へと強く叩きつける。拳を繰り出した体勢で動きを止めるイングの姿を眺めてから廃墟へと叩きつけられたオリヴィエの姿を眺め、そして言葉を漏らす。
「浅いか」
「ですね」
本来なら今の一撃はもっと破壊力があったはずだ―――少なくとも食らった時はもっと威力があったように思えた。止められるとは思わないが、それでももっとダメージをたたき出せていたはずだ。その理由を聞くのは今は場違いだろうが、
「おい、アンタ、味方でいいんだよな」
「少なくとも敵対する意思はもうありません」
「ならいい―――久しぶりに背中を預けるぞ」
「私は彼とは別人ですが……いえ、いいでしょう。それは野暮というものでしょう」
昔、ずっと昔。オリジナルだったか、自分だったのか、それはもう忘れてしまった。だが覇王と肩を並べて戦った事は何度もあった。お互いに戦友と呼べる関係だったと思っている。相手が相手のせいで喜ぶことはできないが、この状況に対して確かに感じるものはある。
レヴァンティンを構えつつ、視線を真直ぐ、オリヴィエの方向へと向ける。立ち上る土煙の中から起き上がり、そして視線を此方側へと向けていた。そうして真直ぐ向ける視線の中で、オリヴィエが顔の上半分を隠すバイザーを掴み、そして取る。それを握りつぶしながら大地へと捨てると、口を開く。
「―――なるほど」
オリヴィエが前に出た。
◆
一呼吸以下で一瞬で前へと追いつく。自分の前に立ちはだかるのはヴィータ、ザフィーラ、そしてシグナム。懐かしい、非常に懐かしい顔ぶれだ。懐かしいが―――敵だ。そして立ちはだかっている。故に倒さなくてはいけない。故に前に出てくる三人を倒す必要が出てくる。どうするべきか、そう悩むのは一瞬だ。ほんの一瞬だけの話。だが結論は既に出来上がっている―――殺すべきだ、と。だから遠慮も容赦もしない。なぜなら、
「少しだけ、本気にさせましたね」
盾になろうと接近してきたザフィーラの姿を踏み砕く。足元で骨の折れる音を聞きながらヴィータのグーラフアイゼンと、シグナムのレヴァンティンを素手で掴む。それに全力の握撃を繰り出しデバイスを両方共砕こうと力を込める。結果は次の瞬間にデバイスに現れる罅として出現する。それを止める為にデバイスが引き戻され、その瞬間に拳を両者に同時に叩き込む。ヴォルケンリッターを蹂躙し、そして乗り越えた所でイングと正対する。
放たれてくる拳は遅いが、恐ろしい程にキレがある。記憶の中にあるクラウスよりも強い。あの頃のクラウスよりも見事に完成された美しさが、完成された強さがある。遅いのは単純に魔力による強化が不十分な証拠だ。だがその点を抜けば拳闘士としては完成された存在と言っても過言ではない。故に遅いことなど関係なく、後出しからでも先手をこの存在は取れる。故に再び拳が振るわれる時に、それは捉えられなくなる。
それを片手で受け止める。
「なっ!?」
「―――意識の死角からの攻撃ですか。なるほど、理にはかなっています。何よりクラウスの記憶を持っている貴方だからこそ私の全てを分析し、理解し、そして放てているのでしょう。ですがだったら簡単な話、”意識外や無意識を意識すればいい”、それだけの話です。さほど難しい事ではありません」
拳を握られた状態で固まるイングが苦笑いを浮かべながら言葉を零す。
「……無意識を意識する。意識的死角を認識する。それはつまり”空気を見る”のと同じような事ですよ? 貴女は本当に同じ人類か疑わしい所ですね」
それは酷い。自分だって立派な人間だ。そう、人間だからこそこういう感情を抱いて、想いを抱いて、そしてなせる事と成せない事がある。この程度はまだ簡単な部類だ。本当に難しい事と比べればこの程度、苦でもない。しかし反省しなくてはならない。少々高揚して慢心していたところがあるかもしれない。
イングの拳を解放すると、イングが大きくバックステップする。その間に、意識的に”それ”を解除する。
「聖王の鎧―――必要ありませんね、これは」
無類の防御力を与える自分だけの特権を解除する。これによって他の魔導師同様の防御力しか自分には存在しない。だがこれでいい。目の前、クラウスだった存在が、あの女が魔力の消失というデメリットを背負うことによって慢心や安心感を捨てて自身を追いつめる事で武技を一段階引き上げた様に、自分も慢心の元となる最強の防具を放棄する。
「さて、これで私は殺せますよ? ―――殺せるのなら、ですけど」
イングが一瞬で瞬発する。自分へと向けられた拳を片手で受け止め、もう片手で拳撃を繰り出す。イングのもう片手がそれを受け流す動きに入るが、魔力量の違いでごり押し、受け流しの上からイングを潰して殴り飛ばす。廃墟へと向かって吹き飛ぶその体へと一瞬で追いつき、身体が廃墟へと叩きつけられるのと同時に膝蹴りを腹に叩き込む。背後にした廃墟が音と共に全壊するのを聞きつつ、崩れる廃墟の中へと落ちて行くイングの首を掴む。
「私の事、嫌いですか」
「殺したい程に」
「なるほど―――奇遇ですね。羨ましくて羨ましくて羨ましくて、私も嫉妬で殺したいぐらいですよ、貴女の事。ほんと、羨ましい。なんで貴女だけそうも幸せなんですか」
大地へと向かってイングを殴り飛ばす。それと同時に背後から矢が廃墟を溶かしながら進んでくるのを感じる。瓦礫を蹴ってからだを上へと飛ばす事でそれを回避する。次の瞬間、横から脅威を感じる。視線を向ける事無く体を動かせば鉄槌が通り過ぎるのが視線の端に映る。ヴィータへと蹴りをカウンターとして回転しつつ放つもそれは避けられる。
そのまま体を回転させ、拳を構え、下へと向かって落下する。
下で既に拳を構えるイングに対して落下しつつ拳を当てる。迎撃として繰り出されるのは同じ拳だ。だが威力は此方の方が圧倒的に勝っている。魔力の有無はそれだけ差として現れている。ユニゾンデバイスの魔力を使って騙そうが、無駄なものは無駄だ。頭上から素早く一撃を繰り出し、イングを大地へと叩きつけ、踵落としをそのまま腹に当てて周りの大地を衝撃で粉砕する。彼女の口から吐き出される血反吐を軽く顔に浴びつつ、横から迫ってくる姿に対して体勢を整え直しながら拳を叩き込む。
「ぐっ、ぅ……!」
「温い。鈍い。脆い」
飛び込んできた姿はシグナムのものだった。レヴァンティンで切りこんできた姿に対して拳を合わせ、完全に剣の威力を相殺してから武器では繰り出せない素早い連撃を右と左拳のコンビネーションで繰り出す。一瞬で打撃をシグナムの体へと意図的によろめかせる様に叩き込んでから、シグナムの頭を掴む。
「元々私に勝てるように造られてはいないんです。これが道理だと知りなさい」
「聞こえんな……!」
頭を掴まれながらもシグナムが体を動かし、顔面へと向かって蹴りを放ってくる。それを開いている片腕でガードするのと同時に、シグナムがレヴァンティンの柄で逆側から殴りかかってくる。反射的にシグナムを手放しガードすると、足元で感触を得る。反射的に視線を素早く下へと向ければ、そこには両足を掴むイングの姿があった。
「おや、此方を見ていていいんですか?」
その声に気づかされ、視線を横へと向ける瞬間、
イングを巻き込む様に、避けられない距離にドリルの先端が存在した。
「……!!」
聖王の鎧を呼び戻すか一瞬だけ思考し―――破棄する。
少なくともこの一戦、それに頼るのは心の弱さだと断じる。
故に大地に震脚を叩き込み、吹き飛ばしてイングから解放されるのと同時に拳をドリルの先端へと向ける。
「セイクリッドブレイザー」
ヴィータの一撃と自身の必殺が一瞬だけ拮抗し、圧倒的魔力量で鉄槌を吹き飛ばす。降り注ぐ瓦礫を全てを吹き飛ばしつつその先にいたヴィータを薙ぎ払い、吹き飛ばしたイングの姿をとらえ、下がったシグナムの姿を確認し、そして構えるザフィーラの姿を確認する。強い、それは確かだ。まぎれもなく次元世界中トップクラスの実力者たちがここに集まっている。連携も取れているし、それぞれが無双の実力を発揮している。それでも自分と比べれば、あまりにも矮小だ。
つけられた傷だって見て覚えた自己再生魔法によって既に完全に回復している。
「……所詮この程度、ですか」
落胆と共に言葉を零し、そして期待する。
―――だからこそ、私は滅びるでしょう。
タイトルには意味のある回とない回がある。意味がないときは大体ネタが思いつかなくなったとき。
そんなわけで案の定六課にいる間に大体覚えたせいおー様。鎧がなくなってもオートリジェネ実装されているので、削り戦法は通じない。鎧剥ぎ取って慢心なくした王様に敗北はあるのどうか。