消毒用のアルコールの臭いが鼻につくあまり好きな臭いではない。……病院にはあまりいい思い出はないからだ。だから病院に来るとき、世話になる時は大分謙虚な気持ちになる。こう、無駄に落ち着いてしまう部分がある。一種の刷り込みかもしれない。子供の頃にやって事は未来に対して大きな影響を与えると言うが、これもその一つだろうなぁ、と思う。
「お兄さん無茶したもんだねー」
「あ、え、え? うん」
「どうしたの? ぼーっとしちゃって」
自分は病院にいる。クラナガン中央病院という管理局傘下の病院だ。なのになんだ。自分が存在している個人病室、すぐ横の椅子にはキャスケット帽にゴーグル、水色ワンピース姿の少女がいる。ゴーグルを装着する事で顔をうまく隠しているし、髪型もポニーテールにすることで”本人”とは全く異なる風に見えるが、それでも良く見れば似ている事は明白なのだ。管理局のおひざ元へ、この娘が―――レヴィ・ラッセルが何で来ているのか良く解らない。というか解りたくない。
「お前、何やってるんだよ……!」
反射的に荒げそうな声を抑え込み、リンゴを握るレヴィに顔を近づけてガンを飛ばす。それを受けてもレヴィは平気そうに笑みを浮かべる。
「うん? もちろんお兄さんのお見舞いだよ。ほらほら、病人だからはしゃがないはしゃがない。ふふっ、僕がいるんだから何も焦る事はないんだぞ」
「お、おう」
レヴィに押し返され、溜息を吐くしかなかった。この娘は今、自分が物凄い危険地帯にいる自覚はないのだろうか。いや、あったらそもそもここまで来ることはなかったのだろうが。そんなこっちの心を一切察することもなく、レヴィは果物ナイフをどこからともなく取り出すと、それでリンゴを切り始める。その手つきは実に慣れているようで、危なげなさは一切ない。……まあ、レヴィも台所の手伝いはちょくちょくやっているのだ。これぐらいはできるようじゃなきゃ嫁の貰い手はいないだろう。
「で、お兄さんどれぐらい入院するの?」
「全治一週間だよばぁーか」
「あ、僕は確かに馬鹿だけどそう言うのは酷いよ!」
自覚している馬鹿程厄介なものはないという。軽く頭を抱えると、レヴィはそれを無視し、切ったリンゴスライスを握り、それを此方へと差し向けてくる。それを貰おうと手を伸ばそうとすると、レヴィが手を引っ込める。なので手を引っ込めれば、レヴィの手が伸びてくる。
「はい、あーん」
「殴るぞ」
「えー! 僕もあーんとかやりたいー! テレビで一回見たんだけど憧れてたんだよー!」
……もう、いいや……。
一種のあきらめの境地に立つ。レヴィの性格が常時からイケイケすぎて、自分では手に負えないものとなっている。ここにシュテルがいれば容赦なくシュテルがレヴィを沈めてくれるのでどうにかなるのだが、ここにシュテルはいない。つまりレヴィは俺が何とかしない限りは無法状態だ。だがそれをどうにかするのも諦める。口を開けると、そこにレヴィがリンゴを入れてくれる。
「えへへへ、美味しい?」
「皮は剥け」
「お兄さん結構シビア……!」
別に皮が付いたままでもいいのだが、どうせなら皮を剥いた方が楽しめるものだ。いや、その場合は手が汚れてしまうのだが。むしゃむしゃと口の中のリンゴを咀嚼し、口の中が空っぽになってから口を開く。
「悪いな、一週間ほど帰れないわ」
「ほんとだよ。入院したって聞いてシュテるんが犯人に砲撃撃つ準備してたんだから! 王様が止めるのに苦労したんだよ! まあ、メールで死んじゃったって知ったおかげでシュテるんが止まったんだけどね」
そこにレヴィとユーリの名前がない辺り、二人ともシュテルを止める気はなかったんだろうなぁ、と唯一止めてくれたディアーチェに心の中で感謝する。お前が今のバサラ家を間違いなく支えている。俺が復帰するまでの間、問題児の世話は完全に任せたぞディアーチェ……! 届け、俺の電波。
「お兄さんお兄さん?」
「うん?」
「それで傷の調子はどうなの?」
「うーん、表面上は大体治ってるんだよなぁ」
こう見えて治癒系統の魔法に関してはプロフェッショナルと言える領域の腕前を持っている事を自負している。そんじょそこらの医者よりも優秀である事も自覚している。だからこそ戦闘中に半バーサーク状態の無茶が通じるわけだ。あの紫の魔導師から受けた傷の内裂傷、火傷の類は完全に自力で回復した。だがそれとは別に、
「筋肉の断裂とか内臓のダメージ残っちゃったんだよなぁー……いやぁ、怖いね電撃。アレ以上食らってたらマジヤバかったかもしんねぇ。気づかない内に体を内側から壊されてたっぽいんだよ。なるべくヒールしながら戦ってたわけだけど、少しずつ、じわりじわり体内に溜め込んで殺すとかエゲつねぇわ」
あの相手が最初から弱っていて助かった。いや、弱っていたのではなく体が病を患っていたのだ。十中八九アレがプロジェクトF関連の存在であることは疑いようがない。というより此方に対して攻撃してくる存在がプロジェクトFの事件に関する存在だ。じゃなきゃ情報屋吹っ飛ばした後に登場するわけがないし。そしてあの襲ってきた相手の名前を知れば、アレが確実にクローンだという事も納得できる。
プレシア・テスタロッサ。
晩年の彼女は病を患っていた、とデータには出ていた。何年か前のPT事件でプレシア・テスタロッサは消え去った事を思えば、今回遭遇した彼女がクローンであることは明白だ。そして死に際の言葉を聞くに、プレシアは勝利と引き換えに愛娘であるアリシア・テスタロッサの蘇生を約束されていた……と見るべきか?
あの自爆の瞬間、反射的にティーダを庇ったおかげでティーダだけはほぼ無傷で済んだ。その代わり俺が吹っ飛んだ。だが判断としてはそれが正しい。何せ、ティーダの方が捜査能力や交渉能力がズバ抜けて高いのだ。プレシアの事に関しても入院したその日の夜の内に纏めて送ってきてくれたのだ。相変わらず働き者だと思う。
「まあ、死んじまったからもう何も聞きだせないんだけどなぁ」
「ま、死んじゃった人の事は気にしてもしょうがないよ」
「だよな」
軽んじるわけではないが、気にしていてもしょうがない話だ。死者は死者であり、彼らは眠るべき存在で、暴かれるべきものではない。―――だからこそプレシアのクローン、蘇生とも見えるこの出来事に対してはフェイト・T・ハラオウンに同情し、そして主犯に憎悪する。
何て浅ましい。
金さえあれば死者さえ蘇る事が出来るようになった―――だがそれはなんてクソなんだ。金だ。その存在を、人間を、金と同価値へと引き落としているのだ。奇跡等という安い言葉で死者の眠りは覚ますべきではないのに、それを叩き起こし、利用しているのだ。到底生かしては置けないクソだが―――もうどうしようもない。
「はい、あーん」
「うーい」
リンゴを食べながら思考が大きくズレていた事に今更ながら気づく。
「というかお前ここまでどうやって来た。というかそもそもお前ここまでやってきて平気だったのか」
うん? とレヴィはリンゴを一つ口に放り入れ、首をかしげる。
「僕は確かに”力”のマテリアルで四人の中じゃ純粋な勝負では最強だけど、それだけじゃないよ? 極限までの隠密行動と潜入活動ができる様に技術を会得しているし、雷の資質変換の応用で電磁波とか扱えるから自分の姿だけカメラから外したりできるし。あとシュテるんよりも気配を感じたり索敵能力も高いんだよ!」
だから、ほら、とレヴィは言う。
「今この部屋へと向かってエレベーターから此方へと向かう人がいるって事も解るよ!」
「さっさと隠れろぉ―――!」
わあ、という軽い悲鳴がレヴィの口から漏れる。走って扉へと向かおうとするのをレヴィは止め、ブレーキをかけるとUターンし、
「じゃ、僕帰ってるね! 次はたぶんユーリの番だよ―――!」
窓から飛び降りた。魔法があるから無事だと解っていても、やる事が心臓に悪い。レヴィが慌てた結果ベッドの上へと投げ出されたリンゴを片手で掴み、それを齧りながら視線を部屋の入口へと向ける。レヴィが窓の外から飛び降りてから数秒後、扉をコンコン、と叩く音がする。
「入っていいぞ」
「お、元気そうだね」
そう言って入ってきたのはティーダ、
そして、
「―――お邪魔します」
レヴィとよく似た金髪の少女、フェイト・T・ハラオウンだった。
◆
「とりあえず軽い報告から入るよ? 捜査に関しては完全に移譲してきたからこのケースを僕たちは降りたよ。流石に隊長もここまで大規模な襲撃が来るとは思ってなかったからお金の代わりにいいもんを上の方から強奪してきたよ」
そう言ってニヤリ、とティーダは笑みを浮かべる。
「おめでとうイスト・バサラ”空曹長”殿。あ、ちなみに俺がティーダ・ランスター一等空尉な。いいだろ、追いついたと一瞬でも思った? 残念、俺の方が一歩先でした! 俺が上でお前が下、この関係性は絶対埋まらないんだよバサラ君」
とりあえず拳を作ってティーダを脅迫する。それでティーダは黙ってくれるので、軽く自分の中で今までの情報を整理する。……つまり今回の襲撃に対する”慰謝料”と、そして”口止め”用に金の代わりに階級をふんだくってきた、という事だ。これ以上は関わるなという意味での昇格だろう。……まあ、そこには確実にティーダとキチガイ上司の活躍があったのだろうが。ともあれ、それを一旦置いておく。
「初めまして、フェイト・T・ハラオウン空曹です」
「初めましてハラオウン空曹、イスト・バサラ空曹長だ」
そこでビシ、と綺麗な敬礼をフェイトが決める。―――なるほど、今のでフェイトが”私的”な理由でここに来ているわけではないのが把握できた。公的な、業務の一環としてここへとやって来たゆえの対応なのだろう。それを表す証拠としてフェイトは最初に敬礼をし、階級を名乗ったのだ。それはつまりフェイトとしてではなく、”フェイト空曹”としてこの場にいるという意味を表す。だとすれば此方もそれなりの態度で対応しなければならない。
面倒事だ、と理解しても対応する。
「宜しいでしょうか?」
「いいぞ」
階級も年齢も此方が上だから相手が敬語で、此方が素のままで問題はない。
「今回の件はプレシア・テスタロッサと思わしき魔導師と交戦、撃破、そして自爆という結末で終えたという事になっておりますがその事に間違いはありませんね?」
「それで間違ってはない」
「その際にプレシア・テスタロッサが吐血したおかげで勝機を得たとランスター一等空尉の報告書には書かれていましたが、これは事実ですか? データによればバサラ空曹長は体術に長けていると出ています。ともすれば内臓へのダメージを与える事が可能と思われますが」
その言葉を否定する。
「いや、それはありえない。あのときまでに何度かプレシアへと攻撃を叩きこむことに成功はしているが、その大半がバリアジャケットによって威力を減衰されていた。実質上俺がちゃんと”通した”一撃は最後の一発だけだ。それ以外はダメージをあまり通す事に成功してない。これに関してはデバイスに保存されている記録を確認して貰えば解るはずだ」
「了解しました。後ほどにそちらのデバイスの戦闘記録を捜査課の方へ提出をお願いします。では、最後に」
そこでフェイトは一旦言葉を区切り、
「……何故、犯人はプレシア・テスタロッサを病を患っている状態で生み出したのだと思いますか?」
……内心は辛いだろうなぁ。
自分が家で面倒を見ている四人の娘達と変わらない年齢の娘だ。執務官になろうと失敗し、そして今も嘱託魔導師として活動しながら再試験を受けているのだったか、かなり苦労しているに違いない。そして、そんな中で母のクローンが生み出され、そして死んだのだ。しまいにはそれに関して調べて報告しろとも言われているのだろう。
……辛いだろうなぁ。
が、それを同情するのも癒すのも気を使うのも俺の仕事ではない。彼女にはハラオウン家があるのだから、それは彼女の家族と、そして才能に恵まれた友人たちの役割りだ。だから容赦のない考えを口にする。
「俺の考えから言わせてもらえば―――完璧主義者ってやつだな」
その言葉にフェイトは首をかしげ、そしてティーダはあぁ、と言葉を漏らして納得する。
「研究者という連中は大なり小なり、理想というものを持って、それを探求している。次元犯罪者なんて呼ばれ方をするほどのキチガイとなればその理想というものは大きく、狂ったものになるのさ。それ故に理想が大きければ、それを追求し、完全に完成させようとする意欲も肥大化する―――だからこそ”完璧主義者”というやつだ。明らかにクローンへ向ける意欲がおかしい」
プロジェクトFを改めて調べて分かった事だ。本体のプロジェクトFでは完全なクローンを生み出す事は出来なかったはずなのだ。なのにマテリアルズを見れば解る。プロジェクトFは完全な形で完成させられている。
「性格や能力に不一致が現れる筈のクローニング技術で病にいたるまでの姿を完全にコピーしている。やっている事は下種の外道だが、技術と執念は認めざるを得ない。完璧だ。こいつをやっている黒幕は間違いなくイカレた完璧主義者なんだ」
だからこそ、ここからが問題なのだ。ここまで技術が完成しているのに、その先が見えない。技術が完成したらそれを売る、もしくは活用する。そういう話になるはずなのだが、この存在は確実に技術を使って遊んでいるのだ。臓器やら奴隷やら、どう考えても本来の目的とは思えない。プレシアのクローンの完成度を見れば明らかに兵器運用した方がはるかに凶悪であり、価値を見いだせるのにだ。
……まあ、ここから先は俺もティーダも関係の無い領域だ。
その証拠にフェイトはありがとうございます、と録音を終えて頭を下げる。お疲れ様と軽く言葉を継げるとフェイトは立ち上がり、再び、しかし今度は深く頭を下げる。
「改めてありがとうございます―――母を楽にしてくれて」
やはり身内からしても、不当に蘇らせられて利用されるのは気持ちのいい話ではなかったのだろう。最後の最後に私人としての顔を見せて、フェイトは病室を出る。それをティーダと共に見送りながら、
「さ、早く退院してくれよ? 君がいなきゃ仕事ができないんだから」
「勝手にいってろばぁーか」
今ばかりは仕事を忘れ、男だけの馬鹿な話に興じる事にした。
もう、例の件に関わる必要はないから。