空に一つの姿が増える。それは背中に羽を生やした少女だった。その姿には見覚えはある。白い髪に鎧の様なバリアジャケット、その手に握るデバイスは見た事のないものだが、それでもその姿を見間違えることはない。両腕で抱くシュテルの遺体から視線を外し、空に浮かび上がる彼女たちの王を見る。
「……ディアーチェ」
「闇総べる王(ロード・ディアーチェ)、だ」
ディアーチェの背後に生える六枚翼は本来の黒色ではなく、二色に染まっていた。片側が赤色に、そしてもう片方が青色に。それはまるでシュテルとレヴィの魔力光の色のようだった。いや、よう、ではない。それを軽く解析すればそれが間違いなくシュテルとレヴィの魔力であると把握できる。本来は扱えない筈の別人の魔力、それを受け取ってディアーチェはかつてない程に力を増していた。
ただそうやって空に浮かび上がる王は周りの惨状を見ていた。
上半身の無いレヴィ。
胸に穴を開けたシュテル。
「馬鹿者め……我は王ぞ……!」
そう言って、ディアーチェは赤い涙を流していた。自らを慕ってくれていた臣下の成れの果てを見て血の涙を流していた。
「臣下がおらずして真の王でいられるものか……! 我よりも先に逝きおって」
そう静かに、言葉を辛そうに吐き出してからディアーチェは此方と、そして下でレヴィの死体を前に放心するなのはの姿を見る。それから再び此方へと視線を向け、少しだけ声を震わせながらつぶやく。
「……有難う。少なくともこの刹那は間違いなく二人にとって死の国へ持って行くには十分すぎる時間であっただろう」
そして、語りだす。
「我らはお前を苦しめる為だけに生まれてきた。本来はもっと準備を整え、此方から仕掛けて心を折りに行くつもりだったらしいが、狂人の妄言だ。我には本当はどういうつもりだったかは解らぬ。だが我は研究所の奥深くに魔力を封じられ捉えられ、そしてレヴィもシュテルも我を助ける為に貴様らを殺す必要があった。が、シュテルもレヴィも死ぬのと同時に魔力を全て我へと送った故こうやって脱獄に成功したのだが……」
あぁ、とディアーチェは言って話に付け加える。
「我に爆弾は設置されてない―――この状況が我に対する十分すぎる凶器である故にな」
臣下を失ったディアーチェ文字通り身を引きちぎられる思いだったのだろう。マテリアルズはセットで運用するとか、そういうレベルの話ではなく、彼女たちと接してきた自分だからこそわかる。彼女たちは生まれついての家族なのだ。王と臣下、等という風に言ってはいるが、結局のところ彼女たちは三人で一つの家族。それが死んだのであれば悲しみしかなく、そして恨みもあるだろう。
「―――討つか?」
「いや、恨みがないと言えば確実に嘘であろう。だが貴様らを殺したいほど憎いか、と問われれば否だ。確かに手を下したのは貴様らだろうが、こういう状況に追い込まれたのは生まれてきてしまった我の過ちだ。そして、何よりも我自身を斬り捨てる事をさせられなかった我の弱さ故だ。あぁ、何故だ。何故我は躊躇したのだ―――あの時、自害しておれば良かった」
恨みはあるが、殺したくはない。そう言ってディアーチェは握るデバイスを強く握り直す。そして自身に持てる魔力を全て溜め込んで行くのを理解する。ディアーチェを中心に膨大な術式が形成されて行くのを認識する。それを見て、確認し、そしてその一端を理解する。自分には絶対使えないタイプの術式だが、これは―――次元跳躍魔法。
「あぁ、だがな―――報いを受けぬばならぬ輩という者はおろう……!」
涙を流しながらディアーチェは持てる魔力を操る。
「フルドライブモード……!」
持てる生命力さえも全て込め、
「ジェイル・スカリエッティが保有するダミーを含めた全研究所130件、そのうち70件であれば囚われている間に把握しておいたわ、何も出来ぬ女囚と侮ったか! いいか、外道。貴様にくれてやる言葉は一つ―――くたばれ……!」
そして、文字通り決死の一撃が放たれる。
「―――ジャガーノート」
巨大な次元跳躍魔法陣へと向けて何十という黒の魔導が放たれる。それは次元の壁を越えながらディアーチェが捕捉した研究所へと叩き込まれて行く。その光景を目の当たりにすることはできないが、それを繰り出すディアーチェの苛烈さからその結果がどうなるか、という事だけは把握できる。黒い魔導を全て魔法陣へと叩き込み終わると、ディアーチェがぐったりとした様子で、両手から本と杖のデバイスを手放し、海へと落とす。
「く、くくく、はははは……これで少しぐらいは痛手を負ったであろう―――」
『ごめんね、それはわざと掴ませてあげたヤツで全部ダミーなんだよね。お疲れ様』
その声が響いてきたのはディアーチェが手から離したデバイスからだった。間違えるはずがなく、その声の主はこの悲劇の黒幕―――ジェイル・スカリエッティ。楽しそうな声をデバイスから弾ませた瞬間、次に起こりうる事態を幻視し、叫ぶ。
「ディアーチェェェェ―――!!」
「―――不甲斐無い王で悪かったな。我も其方へ向かおう」
『あぁ、もちろんつけてないなんて嘘だよ。だっておもちゃはちゃんと片付けないとね』
―――爆ぜた。
◆
―――そうして短いようで長いような、悪夢は終わる。
研究所は壊滅、残されたのは胸糞の悪い思い出と、最後の爆破と共に半壊したデバイスに死体が三つ。これ以上ない最悪な結末にそのままミッドチルダへと戻る事も出来なく、この世界唯一の陸地、島の端から足をぶら下げながら海を眺める。足首だけが海へとつかり、熱線を何度も浴びた身としてはかなり気持ちのいい冷たさだった。
「あー、こりゃあまた入院コースかねぇ。左腕さんに全く感覚がないんだけど。これ、入院したらまたお前か、何て顔で見られんのかなぁ。俺、病院と保険の方に顔を覚えられたっぽいんだけど」
場を和ますつもりで言葉を吐きながら横へとチラリ、と視線を向ければそこには高町なのはの姿がある。ただディアーチェが登場した時からなのはの反応はかなり薄い。こういう経験は必要と理解しているが、レヴィが最後に少々余計な事をしてくれたらしい。最後の最後で、
……恨む、か。
なのはとマテリアルズの間で決定的に違うのは死生観だ。マテリアルズは戦うために生まれてきた。だから戦いで死ぬのは当たり前だ。だがなのはは普通の少女として生まれ、育てられ、そして管理局へとやってきた。戦って誰かが死ぬのは当たり前―――だが非殺傷を使わない世界へと踏み込んで日の浅いなのははその当たり前がそのままではなかったのかと思う。正確に経歴を把握してはいないが、大体そんなもんじゃないかと思う。
厳しいもんだと思う。
俺でさえ今回の件はかなりキツイもんなぁ……。
静かに流れる海を眺めながら何かを口にするわけでもなく、ただ黙って時間を過ごす。本当なら今すぐにでもミッドチルダへと戻り、全てを報告するべきなのだろう。だが到底そんな気分にはなれない。何よりもこのままなのはを放置するわけにはいかない。最低限”なにか”をしなくてはならない。ただそれにしたって自分から話し始めるのは少し違うと思う。だからそれ以上は何かを口にすることはなく、無言で目を瞑り、なのはの言葉を待つ。
そうして無言のまま時を過ごして十数分。
「……あの」
なのはが口を開く。
「死ぬ必要って……あったの……んですか?」
「話しやすい喋り方でいいよ」
「じゃあ……シュテルちゃんも、レヴィちゃんも、最後に出てきたディアーチェちゃんも。死ぬ必要はあった……のかな?」
必要だったのか? それが質問であれば、
「死ぬ必要はなかっただろうな」
それだけは間違いない。この世界に死ぬ必要な命なんてものはないと思う。誰もが現状に満足して、つつましく暮らせばそれで十分なのだ。だがそれができないのが人間という生き物で、どうしても欲望に溢れている。あのジェイル・スカリエッティという男はその欲望の極地だ。やりたい事をやる。結局のところはそれだけに尽きる存在だ。
「じゃあ、なんで殺したの……!?」
少しだけなのはは言葉を強くして此方へと語りかけてくる。だから答える。
「何で殺したか。―――何でだと思う?」
「ふざけないで」
「ふざけてないさ」
大真面目だ。流石にこんな時までふざける程ねじまがった精神構造を俺はしていない。
「ほら、考えようぜなのは。ウチの隊は考えないやつを馬鹿っつーんだよ。少しだけ大人なお兄さんが手伝ってやるから考えようぜ? ―――なんで俺がシュテルを殺したのか」
そう言われ、なのはは何かを言おうとして口を開き、そして止めて口を閉じる。解っているのだなのはも、別段俺が殺人好きな変態ではない事を。殺すにはそれだけの思いと理由があった事に。だからこそ言おうとした言葉を吐き出さずに飲み込んだのだ。そして、
「解らない、解らないよ……」
次に口を開くなのはは涙を流し、自分の手を震わせながら服の裾を掴んでいた。
「解らないよ、何で、何で死んだの? なんで殺したの? なんでこうなっちゃったの? こんなの、こんなの無いよ……」
「ま、こんな人生嫌だよなぁ、普通は」
ゆっくりとだが日が落ちてきている。青かった空も段々と夕陽の色に染まり、水平線に少しずつだが太陽が隠れて行くのが解る。あと一時間もすれば完全に日が落ちて夜の闇がここらを包むだろう。それまでには帰らないと色々と心配させる人が多いな、と考えながらも口を開く。
「まあ、殺してあげたかったんだ」
「どういう?」
「だってさ、あんなクソ野郎に殺されるぐらいには、ちゃんと形が残る様に殺してあげたいじゃん。つまりはどういう形で死なせてあげるか、という問題に対する答えだな。アイツらは生まれた時点でどう足掻いても助からない運命だったんだ。だったらせめて綺麗な死に方ぐらいは用意してやりたいだろ? まあ、そんなもんだ」
「そんなの……!」
おかしい、だろう。もっとよく探せば何か助かる可能性があったかもしれない。そんな事をする必要はあったのか。言葉を探せばいっぱいあるだろう。良く考えればなのはまだ14歳の少女なのだ。それも誕生日を一ヶ月ほど前に済ませたばかりの。そんな少女に殺し、殺されの話をして、そして戦士としての心構えを教えたって困るものだ。
「好きな事を言えばいいよ。お前が納得できるまでここにいるから」
「その言い方は卑怯だよ……」
「卑怯なのは大人の特権だよ。そして汚れるのも大人の特権だよ」
だから、
「吐き出したい言葉があるなら誰かにぶつける前に俺に吐いとけ」
そう言うと、なのはが拳の握りを強くするのを確認する。
「なんなの……死に方は用意したいって。殺してあげたいって。助からない運命って! 形が残るって! ふざけないで! なんで、なんであんなにも簡単に殺せるの!? なんで……」
だが後半から言葉は此方へと向けられていない。ほとんど空へと向かって吐かれている言葉だった。改めていい子だと思う。仲間を傷つけないようにする優しさと甘さがある。正直に言えば、管理局へ来なかった方がもっと安全で、平和で、そして平凡な人生を歩めただろう。そう思うと管理局はどこまでも業の深い場所だと解る。
「なのはは優しいねぇ、俺に当たれば簡単なのに」
「そんなの……簡単に当ったらイストが可哀想だもん。ちょこっとだけ話を聞いたけど家族と同じ姿をしているんだっけ?」
「げ、覚えていたのかテメェ」
「うん……どうなの?」
もうここまで来ると隠す事も出来ないだろう。手で軽くデバイスに証言が残らない様にハンドシグナルを送ると、なのはがそれを察してレイジングハートにこの時間の記録を止めさせる。
「もう一年になるのかねぇー……そん時はまだ嘱託魔導師でプロジェクトF関連の研究所に踏み込んだんだよ、陸んとこの要請で。んで研究員は掴まらなかったんだけどそこでシュテル達を見つけてなぁ……まあ、そこで色々あって我が家で匿う事にしたんだよ。何を血迷ったんだ、って思うけど明らかに表に出せる様な連中じゃなかったからなぁー……ウチでこっそり隠していたつもりだけど最初からバレてたとは思いもしなかったわ。どうすっかねぇ」
「もしかしなくてもロリコン?」
「18歳以下は対象外なんで」
「残念」
そう言ってくすり、と笑うなのはには少しだけ活力が戻ってきている様に思えた。
「で、納得できた?」
「できない。たぶん、一生」
「俺も納得できない。そして一生するつもりはない―――だけど諦めは出来る。そしてたぶん、彼女たちもそうやって諦める事が出来たから最後は」
「諦め?」
「そ。所詮人間なんてこんなもんって諦め。どう頑張ってもひっくり返す事の出来ないもんは世の中にはあるんだ。そしてそれが理不尽という形で襲い掛かってきた場合、驚くほどに人間ってのは何もできないんだよ。でもな、別にそれでいいと俺は思っているし、アイツらもそう思ってるからこそ呪詛吐きまくって死んだわけじゃないんだろう。……レヴィはちょっくら悪辣な事をしてくれたけどな」
「私は……諦めたくないなあ」
「誰だって諦めたくないさ。でもどんなに諦めたくなくても終わる時はくる。ま、その場合一番最初に死ぬのは俺になるだろうがな。何度も内臓やってるし、入院の回数増えてるし、あんまし体が長く持つとは思えないんだよなぁ……」
「あんまりそう言う事を後輩の前で言わないでよ」
そう言われても空隊に所属してから、ティーダが死んでから、たぶん死ぬんだろうな、と覚悟はできているのだ。いや、むしろ自分の命だけでアイツを殺せるのであればまだ安い方だろう。おそらくもっとたくさん巻き込んで、そしてもっとたくさん傷つけて―――それでやっと届くような場所にいる。到底勝ち目が見える相手ではない。状況はまさに絶望的。でも、それでもできる限りを頑張るしかない。
「お前、俺が捜査の途中で死んだりしたらぜってーに追いかけるなよ。すっげぇ面倒だから」
「そう言われちゃったら追いかけたくなっちゃうかなぁー」
「クソォ、十代女子め! 貴様らは何でこうも天邪鬼なんだ!」
「あ、やっぱり生活苦労しているんだ」
「19歳の男児に子育ての何を期待しろってんだ」
「だよねー」
そこで一旦会話が止まり、静かに日が落ちてゆく海と空を眺める。少しだけ横にいる才能の化け物と距離が縮まった気がするが、如何なのだろうか。―――彼女は理解できたのだろうか。あるいは彼女は許せるのだろうか。
「イスト」
「あん?」
「理解は出来るけど許せないよ」
「……ま、そうだよな」
「―――だから」
そう言ってなのはは立ち上がる。不屈のエースはまだ健在だと証明するかのように、血だらけのバリアジャケットを陽光に晒しながら、腕を広げる。
「だから私頑張るよ。こういうのは増えちゃいけないんだ。許せるようになっちゃいけないんだ。理解できるようになる時を生み出しちゃいけないんだ。―――もう、こんな事をさせちゃ駄目なんだ。ありがとう、でも大丈夫。たぶんまたいつか辛い目に合うけど今の私はまだ立てるから。倒れないから。倒れちゃいけないから。たぶんレヴィちゃんもシュテルちゃんもディアーチェちゃんも、忘れちゃいけない事だから。してあげられなかった事を忘れちゃいけないから。……やってあげなかった事を覚えていなきゃいけないからだから、私は―――」
なのはは宣言する。
「―――戦う」
……それが覚悟できているのかどうかを判断する事は―――しなくていい。それは時が来ればおのずとなのはが証明してくれる。だからこれはこれでいいんだと思う。だからそっか、と呟いて立ち上がる。濡れている足を乾かして、靴下と靴を履いて軽く体を伸ばす。
そうして後ろに見えるのは三つの小さく盛り上がった土の山だった。
「じゃ、また遊びに来るからな―――じゃあな」
「ありがとう、そしてさよなら―――忘れないよ」
マテリアルズの墓に背を向けて歩き出す。
日は大分落ちてきているが、まだ暗くなる前だ。今から帰ればまだ暗くなる前にミッドへと帰れるかもしれない。そう思うと沈んだ心も少しだけ弾む。
「あ、そうだ。今度イストが匿っている子達を紹介してよ」
「お前遠慮しないなぁ……」
「うん。もう遠慮も容赦もしないって決めたから。だから罪滅ぼしってわけでもないから、会って話してみたいの。もう一人の私に。もう一人のフェイトちゃんに。もう一人のはやてちゃんに」
「美少女の頼みを断れないのが男の辛いところだよなぁ」
「精々頑張って抵抗してみてね」
苦笑し、この娘は強いなぁ、と思い、苦笑する。だが、
ただ、今は、
―――無性に彼女たちに逢いたかった。
結局なのはという存在は”主人公”なんだと思います。どんな苦境であれ、逆境であれ、最後は飲み込んでしまうご都合主義の塊だと思っています。でーすーのーでー……?
まあ、問題はなのはさんじゃないんですよ。
準OTONAの方なんです。