ジトッとした、湿度の高い地下室になった。
姉とは違う、黄金のように綺麗な髪。死んだように白い肌。そして、彼女の身体を、まるで布団のように包み込んでいる色とりどりの宝石を思わせる羽。
彼女が眠って、既に495年の月日が経とうとしていた。
友人であるレミリアと知り合って200年、彼女で知識の探求をしている間もずっと眠っていたのだという。
……本当に生きているのだとしたら、いつ目覚めるのだろうか。一度話してみたい、そのために人間を棄てたようなものなのだから。
今、パチュリーに与えられている膨大な量の本は、元々彼女のものだったという。1ページ2分で読んだとしても数百年はかかるというものを、彼女は人間である間に8%も読み終えたのだ。
未だパチュリーが読み終えた本が、全体のたった0.6%なのを鑑みれば、彼女がどれだけ異常か分かるだろう。
「……どんな妖怪なのかしらね、あなたは」
そっと優しく、妹の頬を撫でる。
190年前に自慢げに姉が話していたものが本当であれば、彼女は確実に、パチュリー以上の知識人であるといえる。
が、どうも本当とは思えない。だが、嘘とも思いたくはない。知識を友人と共有しあうという楽しみは、レミリアでは出来なかったものだ。
「パチュリ-、相変わらず楽しそうね」
コンコンと扉をノックしながら、レミリアが扉にもたれながらつまらなそうに言う。
「貴女の自慢の妹なんでしょ? 一度話してみたいわ」
「それは友人の妹としてか? それとも、自分と同じ探求者としてか?」
その問いに、パチュリーは答えない。
レミリアは呆れたように首を振り、物言わぬ妹を指差す。
「相変わらず物好きだな、お前は。古い書物にかび臭い部屋、挙げ句の果てには物言わぬそいつにお熱とは……」
「あら、嫉妬? 可愛らしいところもあるのね、レミィ」
「ふん、馬鹿を言うな」
そう言いつつも、レミリアは顔を背けている。
分かりやすい吸血鬼。どのような陰謀を持っているか、なにを企んでいるか分からない人間に比べたら、とても親しみやすい。とパチュリーは感じている。
だからこそ、友人になったのだ。人間の世界を棄ててまで。
パチュリーは侍女に紅茶を注がせながら、ニヤニヤとレミリアを見つめる。
「ねえ、レミィ。そういえば、あの話は本当なの? 妹さんが、この図書館の本、1割を読み終えたって」
「……何回目だその質問は」
「たったの276回目よ。190年間ずっと本の虫として過ごしてきたけれど、未だそれすらにたどり着いていないんだもの。月日が経つごとに規格外さを痛感してしまうわ」
パチュリーが虚空から取り出したカップをレミリアは受け取り、ウンザリとした風に答える。
「約1割だ。その時期は算数だって貴族が嗜むものだったんだぞ? 私達みたいな、くだらないマナーをたたき込まれるしかないような年齢のヤツに、正確な計算なんて求めてくれるなよ」
「まあ、そうよね。まずその前に……どれだけ本があるのかも分からないものね」
侍女に注がれた紅茶をフーフーしながら、レミリアはパチュリーの言葉に頷く。
紅魔図書館。どれだけの広さがあるのか、全く分からない未知の領域。メイド長である十六夜咲夜がここに足を踏み入れた瞬間能力を開花したように『なにが』『どうなって』『どのような異変を起こすのか』全く分かっていない。
まるで、常識が破壊されているかのように。
「んっ、美味しい……あんたんとこの悪魔、紅茶淹れるのこんな得意だっけ?」
「インスタントです」
「……咲夜の変な紅茶に慣れすぎたのかな」
ニッコリと答えられ、頭を抱える館の主人。
毎度毎度咲夜は、主人であるレミリアに変な紅茶ばかりを淹れている。レミリアは既に忘れているだろうが、パチュリーは未だに覚えている。
が、別に教えるほどのものでもないし、それに、変な紅茶を淹れるのが彼女、十六夜咲夜の息抜きになっているとレミリアも知っている。だから、あえてなにも言わない。言う必要は無い。
まあ、他人が困っているのは友人だとしても面白いものだ。
ニヤニヤ笑いながらレミリアを眺めていると、不意にレミリアは懐中時計を取りだし、時間を確認すると席を立った。
「あら、もう行くの?」
「ああ、あの巫女のところに遊びにな。羊羹というものをもらいに行く」
「あっ、そう。お土産、よろしくね」
そう言ってレミリアは、いそいそと図書館を出て行った。
これでまた、一人になった。侍女や物言わぬフランは、なにも語らない。なにも言わない。
ただ、いつものものに戻っただけだ。ひとりぼっちで本を読む、いつもの生活に。
音も音楽もなにも無い、侍女達が動き回る際の、布のこすれる音と足音だけ。
……そういえば、幻想郷に引っ越してきてからレミリアが図書館へ訪れる機会が増えたような気がする。そのせいか、とパチュリーははたと気がついた。
どうも、寂しいとどこかで感じていたのは。
……ふと時計を見ると、既に時刻は夕方となっていた。
今頃レミィは羊羹をたらふく食べているのだろうか、とレミリアの様子を想像し、少し、羨ましくなる。
だが実際に行って話すと、本を読んでいた方が時間を有意義に感じてしまう。そういう者だ、とパチュリーは自らを知っていた。
そもそも、話自体通じないのだが……あの無教養な奴等とは。
「少し、休憩しようかしら……ッ」
本で指を少し、切ってしまったようだ。鍾乳石のように白い肌に、ぷっくりと赤い血が玉になる。
侍女が慌ててこちらへ駆け寄ってくる。
ふと、パチュリーの好奇心が顔を出した。この血をあの妹に、フランドールに付けると蘇ったりはしないだろうか、と。
流石に、唯一の、血の繋がった妹にこんなことをしたらレミリアは怒るだろうか。だが、そのレミリアは今はいない。
元々、好奇心の探求のためだけに魔法使いとなったようなものだ。自らの好奇心には、決して逆らえない。
治療しようとする侍女を制し、パチュリーはフランドールの顔に1滴、血を垂らした。
白い画用紙のような肌に、血の絵の具。それはすぐに肌の中へと吸収される。
「……どういう仕組みになっているのかしら、これ」
「……血の付いた指で突かないでほしいんだけど、お姉さん」
指で突いていると、フランドールがジト目でパチュリーを睨んでいた。
フランドールは上体を起こすと、大きく伸びをして辺りを見渡した。
「私の部屋ではない、けれども本は私のもの……そして見たことの無いお姉さん、姿の無いあいつ……ついに討伐された? 私、何年寝ていたのかしら?」
「495年よ、ついでに言うとレミィはご存命。今は神社に遊びに行ってるわ」
考察するフランドールに、パチュリーが疑問に答える。
「へえ、あの引きこもりが……で、お姉さんは誰? 盗人? それとも死体性愛者?」
「どちらも違うわ、私はパチュリー・ノーレッジ。貴女の姉、レミリア・スカーレットの友人よ」
「ああ、あいつの友人……あいつの友人!?」
何故か妙に驚くフランドール。どうも信じられないようだ。
とはいえ、パチュリーは今、そんなものはどうでもいい。今あるのはただ一つ、好奇心だけ。そこに当人の心は、関係無い。
「ねえフランドール、少し私とお話しない?」
「いや、今はあいつの友達と神社ってのが気になるから。外の世界がどうなっているか、ちょっと気になるし」
そう言って紅魔館を出ようと動くフランドール。パチュリーは慌ててその後ろを付いていく。
そして、地下から地上へ、一階へ上がると、パチュリーは指を鳴らす。
すると途端に外は雨雲が空を覆い、ぽつぽつと雨が降り始めた。
「どうやら、雨が降ってきたようよフランドール。貴女も吸血鬼なんだったら、流石に外へは出られないでしょ?」
「まあ、濡れるのは嫌だけど……でも、遠くの方は晴れてるよ――」
「それよりも! 貴女の知識がどれだけあるのか語り合わない? いいえ語り合うべきよ! 是非! さあ!」
「あっ、あの、パチュリー……? 顔が、近いような」
「そんなことどうでも良いでしょ! さあ、早く行くわよ!」
パチュリーに半ば引きずられるように、フランドールはあの図書館へと連れ戻された。
その後、いつまでも博麗神社に入り浸っていた、というか半ば居候みたいになっていたレミリアを戻すために霊夢たちが乗り込んでくるのだが、それはまた、別のお話……。