小林さんちのアインズ様   作:タッパ・タッパ

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2017/8/2 「爬虫類ごとく」→「爬虫類のごとく」
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「-」が意味の無いところにあったので削除しました




第1話 プロローグ

「ただいまー」

 

 そう言いながら玄関に入ってきた人物は、後ろ手に扉を閉めた。

 一見、線の細い男性かと見紛うような姿だが、セミロングの髪を後頭部でまとめているその人物は立派な女性である。

 今、そんな彼女は眼鏡の奥にある瞳、そしてその目の周りに隠せぬほどの疲労の色が見えていた。

 

 

 そして玄関で靴を脱ぐ彼女の許へ、廊下の向こうから駆け寄ってきた人物がいる。

 

 それはメイドであった。

 

 

 ここは中世やファンタジー世界ではなく現代。

 そして、日本におけるごく普通のマンション、その一室である。

 

 なぜ、こんなところに金髪ツインテールのメイドがいるのか?

 誰もが初見において、戸惑いを覚えてしまう事は間違いない。

 

 しかも、よくよく見ればその瞳は赤みがかった金色であり、その光彩は爬虫類のごとく縦に伸びているのだ。

 

 そして、最も特徴的なのはその頭部。

 いかにもメイドという白いホワイトブリムのそのすぐ後ろから、二股に枝分かれした角が左右一対、にょきりと生えていた。

 

 

 そんな彼女はその顔に極上の笑みを浮かべ、帰って来た家主を出迎えた。

 

「おかえりなさいませ、小林さん」

 

 

 彼女、トールは(ドラゴン)である。

 かつてはここではない異世界において、破壊と支配を望む混沌勢の一員として、その恐るべき力を振るっていたが、数奇な運命の果て、今はこうして小林の下でメイドとして過ごしている。

 

 

 そんな彼女に「ただいま」と挨拶すると、手にしていたカバンをトールに預け、後ろをついてくる彼女と共に小林はリビングへと向かう。

 すると、トテトテという軽い足音と共に、小林の身体にぶつかってきたものがある。

 

「おかえり、コバヤシー」

 

 その自分の腰ほどしかない少女の頭を、小林は優しく撫でてやる。

 

「ただいま、カンナちゃん」

 

 この少女カンナもまた、その正体は(ドラゴン)であり、トール同様、小林の家で暮らしていた。

 そして、共に暮らしているといえば……。

 

 

「おかえり、小林」

 

 リビングのソファーに腰かけていたもう一人の居候が声をかける。

 漆黒のアカデミック・ガウンに身を包み、その雪花石膏(アラバスタ―)のように白い骸骨の指には、たった一つでどれほどの価値があるのかもわからぬほどの大ぶりの宝石が埋め込まれた指輪をいくつも嵌めている。

 そして頭部のしゃれこうべ。その眼窩の奥には地獄の熾火のような紅い光が爛々(らんらん)と灯っていた。

 

 

 そんな現代の人間であれば、恐れてしかるべき姿である彼に向かって、小林は何の気負いもなく声をかけた。

 

「ただいま、アインズさん」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 彼、アインズ・ウール・ゴウンはこの世界の存在ではない。

 

 かつてDMMO-RPGであるユグドラシルをプレイしていた鈴木悟――ゲームでのキャラクター名モモンガは、ゲームの終了を彼らのギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の拠点であるナザリック地下大墳墓で迎えようとしていた。

 しかし、ゲーム終了と共に強制的にログアウトされると思っていたところ、いったいどういう訳だか、異世界へと転移してしまった。それもギルド拠点であったナザリック地下大墳墓ごとである。さらに、かつて友人たちと共に作ったNPCたちが、まるで生きているかの如くに動き、話しだしたのだ。

 

 その後、彼はギルド名であったアインズ・ウール・ゴウンに名を変え、転移後の世界でかつての友人たちと共に作り上げたナザリック、そしてNPC達を守るために活動した。

 そうして、ついにその地において、アインズ・ウール・ゴウン魔導国という国を創るに至ったのである。

 

 

 そんな彼が、何故こうして現代日本にいるのかというと……。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ぷっはー」

 

 声をあげて缶ビールから口を離し、大きく息を継ぐ小林。

 

  

 開け放たれている窓の向こうからは、通りを行き交う車のエンジン音が遠く聞こえる。

 小林はそれを聞くとはなしに聞きながら、座っていた座布団に後ろ手をつき、リラックスした様子で再度ビールに口をつける。

 

 彼女の職場は忙しいのが常であるのだが、今日はクライアント先の都合によって予定されていた打ち合わせが急きょキャンセルになり、早めに仕事がはけたのだ。

 そして自宅に帰ってきたのだが、ちょうどトールは近所の商店街へ買い出しに出かけており、カンナもまたクラスメイトである才川の家に寄ってきているらしく、まだ学校から帰ってきていなかった。

 

 そのため、久しぶりに自宅で一人になった小林は、まだ日もある時間ながら、こうして一人ビールの味を満喫しているのであった。

 

 

 そうして、まったりとした空気の中、早くも二本目のビールに取り掛かりつつ、何か面白そうな番組はないかなとテレビの番組表が載っている新聞を探したとき、ふとテーブルの上、そこに置かれた今日の新聞の下に見慣れぬ冊子があるのに気がついた。

 

 なんだろうと思ってみると、そこにはこう書かれていた。

 

 

 『漫画で分かる召喚魔法』

 

 

 奥付を確認してみると、案の定、トールが来てから知り合いとなった(ドラゴン)、ファフニールが書いた同人誌であった。

 

 

 

 ごくりと緊張に喉を鳴らしながら、中身を確認してみる小林。

 

 実は以前もファフニールは『呪いアンソロ』なる、実際に呪いをかける方法を記述したものを同人誌として出したことがあった。

 その内容は、まさしく相手に呪いをかけ、病や怪我、果てには死に至るまで対象者を様々な状態に陥らせる恐るべき呪法の数々。

 それがろくに魔力も知識もない一般人でさえも使えるように、実に平易にして効率的な方法が記載されていたのだ。

 

 だが、幸いといってはなんだが、その本はほとんど売れはしなかった。

 もし、そこに記載されている内容が実践されでもしたら、それこそ下手をすると世界情勢が変わるほどのとんでもない事態が引き起こされかねなかったのだが、ただのオカルトマニアの趣味本としか思われなかったため、ろくに流通もせず、真面目にとる者もいなかったため、結果的にそれが悪用されることもなかった。

 

 おそらくこの本は、前回の失敗に懲りたファフニールがただ文章だけではなく、漫画形式で分かりやすいHOW TO本として作成したものなのだろう。

 

 

 ――前回の呪い本も本当の事が書かれてたみたいだし、この本に書かれている召喚魔法とかも、もし誰かが実践でもしたら、本当に何かが召喚されることになるんじゃ……?

 

 

 そんな疑念と共にページをめくってみた小林。

 だが、そこに書かれていた絵を見た瞬間、その顔が引きつった。

 

 漫画で分かると銘うったものであるため、たしかにその内容は漫画仕立てで、誰でも簡単に唱え方が理解できるような内容となっていた。

 

 問題はその絵柄である。

 

 それがいわゆる萌え絵であったならば、手にとる者もいるだろう。

 もしくは怪奇漫画風であったり、子供向け学習漫画風であったのならば、まだいい。

 

 

 だが、その絵柄は漫☆画太郎風であった。

 

 

 なぜ、よりにもよって漫☆画太郎風なのだろうか?

 見たものが思わず中身が気になるようなインパクト重視としても、いくらなんでも限度がある。

 小林がぺらぺらとページをめくると、いかにも御大らしいババアキャラが懇切丁寧に召喚魔法の使い方を解説するという、正気とは思えないような展開となっていた。

 

 それを読んだ彼女の肩に徒労感がどっと押し寄せた。

 身構えていた分、反動も大きい。

 これならば、仮に買ってしまった人がいたとしても、本気にして実践してみるという事はあるまい。

 

 

 ……いや、そもそも、これは実践出来るものなのだろうか?

 

 

 たしか以前の呪いに関する本は、実際に普通の人間でも使えるような内容だったと聞いた。

 だが、これもそうだとは限らない。

 普通の人間が使用しようとしても、魔力とやらがないため使えないとかもあるかもしれない。

 

 

 そこで、「まあ、自分には関係ないか」と考えるのを止めてしまえばよかった。

 

 前回もファフニールの本は売れなかったわけだし、きっと今回のコレも買う者はいないだろう。

 余計な厄介ごとのタネに、トールやカンナらがいない状態で一般人に過ぎない彼女が積極的に関わることもあるまい。

 

 

 そんな考えでよかったのだが、不幸な事にその時、小林はとあるバッドステータス状態にあったのだ。

 

 すなわち『酩酊』である。

 

 疲れた体。空腹時のアルコール。一緒に話でもする存在、トールらの不在といった諸条件が重なり、その頭は回転が鈍り、かつ危険なものへの警戒心も火に近づけたワタアメの如くにとろけてしまっていたのである。

 

 

 ビール片手にテーブル上に新聞紙や広告紙を並べると、小林はその本を見ながら、水性マジックで召喚の際に使用する魔法陣とやらをぐりぐりと書いた。マジックのインクがテーブル板の方にまで裏うつりしてしまっており結構、というかかなりひどい事になっているのだが、そのような些細な事など酔っ払いの前には問題ではない。

 

 

 そうして、一つ大きなゲップと共に、その本に書かれていた呪文とやらを唱えようとした。

 

 だが、そこでさらなる偶然が重なった。

 

 

「おっじゃましまーす」

 

 陽気な声と共に、ノックもせずに玄関を開けはなって入ってきたのは長身の女性。

 長い髪は緩やかなウェーブがかかっており、その髪の合間から、トールのものとも似ているが、枝分かれはしていない角がにょっきりと伸びている。

 

 だが、角が生えているだの生えていないだのなどという事は、どうでもいい。

 そんな些末な差異より彼女の特徴を大きく現すもの。

 

 それはその胸である。

 

 彼女が一歩足を進めるたびに、まるで巨大な水風船のごとくに揺れるその巨乳。

 それはもはや双丘などという表現を超え、胸に寄生したドラクエ風スライムとでもいうべき物体であった。

 

 

 彼女の名はルコア。

 トールらと同じく、この世界にやって来た(ドラゴン)である。

 

 

 だが、普段から飄々とした態度である彼女であったが、今日は明らかにいつもと違う態度であった。

 

 目元は相変わらず開いているのかいないのか分からないようであるが、その頬は赤く染まっており、口元はだらしなく緩んでいる。ふらふらと左右に揺れる身体。そして、更には、その小脇に赤いひょうたんの酒瓶を抱えていた。

 

 

 一目で分かる。

 彼女もまた酔っ払いなのである。

 

 

 ルコアはひょいひょいと飛ぶようなしぐさで小林の許へと歩み寄ると、彼女の頭をその豊満な胸で抱え込んだ。

 

「うっへへー。おはこんばんちはー」

 

 いつの時間でもいいという万能の挨拶を口にする彼女の呼気からは、すでにとんでもないレベルのアルコール臭がする。

 

 常人であれば、思わず顔をしかめたであろう。

 しかし、対する小林もまた彼女に負けず劣らず酔っ払いなのである。

 

「あー、ルコアさん。おっはー」

 

 すでに時刻は夕暮れ時なのであるが、朝の挨拶、しかもかなりの時代遅れネタを小林は照れすらせずに口にした。

 

 

 ふらつく足取りで勝手知ったる台所からグラスを二つ手にとり、小林のいるテーブル上へ置くと、ルコアは先ほどから小脇に抱えている赤いひょうたんの口を開け、そこから透明な液体を注ぐ。

 二人はそれを手にとると、「かんぱーい!」とガラスが割れそうなほどにグラスを打ち合わせ、一息に飲み干した。

 「ぷっはーっ!」と大きく息を吐く二人。

 

「んー、なにこれ? すっごく美味しいお酒だね」

「えへへー、そうでしょー。ちょっと向こうの世界で宴会があってー。それでー、えーと、誰だったかなー? ああ、そうそう、テスカトリポカが前のお詫びって言って、持ってきてくれたお酒なんだよー」

 

 言いつつ、くいくいと杯を重ねる二人。

 そうしていると、そこでルコアはようやく机の上にあるもの、マジックで魔法陣のかかれた新聞紙と一冊の薄い本に気がついた。

 

「んー? 小林さん、何これ? 召喚魔法? なにか、召喚するのー?」

「うんー。本当にぃー、私でも出来るのかぁー、試しにやってみようと思ってぇー」

 

 竜の酒を飲み、一気に酔いが回ったらしく、変に間延びした口調で話す小林。

 それに対し、ルコアは、「おー、それならちょうどよかった」と言って、その胸の谷間から握りこぶし大の球を取り出した。

 

「えへへー、これはねぇ、えーと、誰だったかからもらった(ドラゴン)の間に伝わる秘宝なんだよー。使えば、きっとなんだかよく分からないことになるよー」

「あはははは。なに、それ? よく分からない事になるって、あはははは!」

「あはははは!」

 

 何が面白いのか、しらふの人間にはいまいちよく分からないが、腹を抱えて笑う酔っ払いたち。

 ゲラゲラと笑いつつ、ルコアはテーブル上に敷かれた新聞紙にマジックで書かれた魔方陣の上に、その竜の秘宝とやらをポンと投げ置く。

 

「イエー! じゃあ、レッツ召喚!」

「レッツ召喚!」

 

 

 本に書いてあるまま、抑揚もつけずに棒読みで読み上げられる魔法の言葉。

 ときおり、言葉の合間合間にしゃっくりが混じる。

 

 普通の魔術師が一つの魔法を行使する場合には、呪文の言葉を間違わず暗唱できるようになるまで何度も練習し、様々な触媒を取りそろえ、何日もかけて少しずつ魔術を使って下準備をして、使用する魔術に適した星の並びとなるのを待ち、ようやく儀式を行うのである。

 

 それに対して、小林がやったものは何の準備もせず、その辺にあった適当なものを使用して、特に星の運行なんぞも気にすることは無く、さらにもう酔っぱらって呂律すらも若干怪しい喋り方で呪文を唱えたのだ。

 

 

 普通であれば魔法が発動するはずもない。

 そんなもので簡単に魔法が使えたのなら、世の中苦労はしない。世界は魔法で溢れ、科学技術など不要のものとなったであろう。

 

 

 だが、どうだろう?

 

 テーブル上の新聞紙に書かれた魔方陣。

 それがなんと、怪しげな光を放ったのだ。

 

 

 もう一度言うが、今、小林がやったようなやり方で、普通は魔法など発動するはずもない。

 

 普通は。

 

 しかし、この場においては、いわゆるところの普通とは異なる要因があったのだ。

 

 

 

 一つはファフニールが書いた召喚魔法の本である。

 

 この世界においては、すでに魔法は衰退しており、ごく一部の者が技術を途絶えさせぬよう継承している程度である。

 だが、ファフニールは魔法が普通にある世界の、それもはるか長き時を生きた(ドラゴン)である。

 その魔術知識は、人間たちの長年にわたる研究と実践によって調べ、蓄えられた英知をはるかに上回る。

 いうなれば、人間の魔術は木片を拾い集め、板に溝を作り、そこに紐をつけた木の棒の先を当て何度も擦ることにより、摩擦熱によって火種を作り、それを少しずつ燃えやすい枯れ葉などに移して、火をつけるようなものとするものであり、対して(ドラゴン)の魔法は100円ライターで火をつけるようなものなのだ。

 

 そのため、実にいい加減且つテキトー極まりない儀式のやり方であったのだが、こうして実際に魔術が発動したのだ。

 

 

 

 次にトールの存在である。

 

 この現代世界は魔力の源であるマナが薄い。

 そのため、この世界で魔法を使う事は非常に困難を極める。

 先ほどの火の例えで言うならば、乾いた木に火をつけるのではなく、しけった木に火をつけようとするようなものであり、魔法を発動させるには、最初からかなり高度かつ熟練の技術が必要となる。

 

 だが、この部屋に限ってはそんなことがなかった。

 トールは自分で魔力の源であるマナを生成することが出来る。

 そして、そんなトールが普段から生活しているこの部屋は、通常の場所よりマナの濃度が非常に濃くなっていたのだ。

 

 

 

 さらに言うならば、もう一つ。

 それはルコアが持ってきた(ドラゴン)の秘宝である。

 

 遥か悠久の時を生き、この世のありとあらゆる種族を凌駕する種族、(ドラゴン)

 その(ドラゴン)が、己が財宝として集めた品はどれも人知を超えた桁外れの能力を有する。

 そんな(ドラゴン)族に伝わる秘宝が、素人の召喚魔法に惜しげもなく使われたのだ。

 そして、さらに(ドラゴン)と一口に言っても、その由来も生態も、そして使用する魔法の体系すらも異なることも多い。今回、ルコアが持ってきたその宝玉は偶然にも、たった今小林が行おうとしている召喚の儀式と、性質がぴたりと一致したのだ。

 

 

 

 (ドラゴン)の魔法と(ドラゴン)の存在と(ドラゴン)の秘宝。

 三つの奇跡がそこにあり、そしてそれが酔っ払いの手によって発動される。

 

 

 瞬間、突風が吹き荒れた。

 部屋中をつむじ風が吹き荒れ、雑誌や小物が辺りを飛び交う。

 

 

「うわっぷ」

 

 そのあまりの風圧に、小林は思わず目を閉じる。

 

 その時、飛ばされてきた小物が彼女の頭を直撃した。

 額に走った激痛と荒れ狂う暴風に、しばし耐えていると、やがて風が収まってきたのを感じる。

 

 

 そして、(せっかくトールが掃除してくれたところなのに、わるいことしたなぁ……)と少し酔いが醒めた頭で考えつつ目を開けると――。

 

 

「……ん?」

 

 目の前のテーブルに敷かれた新聞紙の上、そこに豪奢な漆黒のローブに身を包んだ骸骨が佇んでいた。

 

 

 そいつはきょろきょろと辺りを見回す。

 小林は訳が分からないのだが、そいつも訳が分からないようだ。

 

 やがて二人は視線を合わせる。

 しばし、そうして見つめ合った後――。

 

「……あ、どうも、小林です」

「……あーっと……アインズ……です」

 

 とりあえず、社会人の二人は気の抜けた挨拶を交わした。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 そして、その後アインズは小林の家に留まることになった。

 

 

 一応、彼を召喚したのは小林であり、彼女が責任を持って、アインズの事を元いた世界へと送り返さなくてはならない。

 

 だが、そこに問題があった。

 アインズをどの世界から呼び寄せたのか、分からないのである。

 

 

 小林はファフニールの書いた本の通りに魔法陣を描いたつもりであったが、あいにくと彼女は酔っ払いであった。

 ほんの少しの間違いがあるだけで、効果が変わってしまうのが魔法である。

 発動したこと自体が奇跡であったのだが、その際、部屋の中に吹き荒れた突風によって、新聞紙という破れやすい紙に書いた魔方陣がちぎれ飛んでしまっており、召喚の際に使用された正確な魔法陣が分からなくなってしまっていたのである。

 

 しかも、後から聞いたところ、新聞の上で酒盛りをしていたため、こぼれた酒やグラスの結露によって新聞紙が濡れてしまい、それによって書いた文字などがにじんだところをルコアが別の紙を張り合わせて適当に書き直すなどという事までしていたのだという。

 

 そして、その時のルコアもまた、小林に負けず劣らずの酔っ払いであった。

 当然ながら彼女もまた、自分が描いた紋様など、正確には憶えてはいなかった。

 

 

 さらに言うならば、召喚の際に使用した(ドラゴン)の秘宝。

 あれは使用できるのは一回きりのアイテムだったらしく、アインズの召喚が終わった後、辺りを探してみたのだが、もはや影も形も無くなってしまっていた。

 おまけに、それを持ってきたのはルコアであるのだが、しこたま呪いの酒を飲み、酔っぱらっていた彼女はそれが何処の誰からもらった何なのか、さっぱり憶えていなかったのである。

 そのため、同じものをどこから調達してきて用立てればいいのかすら、まったく分からないという有様であった。

 

  

 

 

 帰すに帰せず、現代日本において行くあてもないアインズ。

 とりあえず、酔いを覚まさせたルコアに、アインズのいた世界について調べる事を約束させたものの、世界というものは幾多も、それこそ数限りなくあるそうで、その中からアインズのいた世界を探し当てるというのは一朝一夕(いっちょういっせき)に調べがつくものではないのだそうな。

 

 問題となるのは、それが分かるまでの身の振り方である。

 

 そして小林はアインズの事を自宅マンションに置くことに決めた。

 

 責任感があり、また甲斐性もある彼女である。

 自分のせいでこの世界に来たアインズの面倒を見ることにしたのである。

 

 アインズとしても、それは願ったりかなったりであった。

 とにかく行くところなどないし、あの世界に帰還できる手掛かりとなるのは、自分をこの地に召喚した小林であり、彼女のそばをあまり離れたくはなかったのだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ひたすらまっすぐ続いていると見える大道も、実際は大蛇のごとく曲がりくねって進んでいることもある。またそこからいくつもの脇道がのび、その先には見た事もない景色が広がっていたり、出会ったこともない人が暮らしていたり、はたまた完全な行き止まりだったり、あるいはぐるっと回って本道へ戻ってきたりもする。

 

 この話は、そうして小林家に新たな居候として納まったアインズが、ほんのしばしの間、彼女らと共に過ごし、様々な体験を経た果てに元の世界に帰りつくまでの、人生のわずかな脇道の物語。

 

 


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