小林さんちのアインズ様   作:タッパ・タッパ

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2017/7/10 「袖すり合うも他生の縁」→「袖すり合うも多生の縁」 訂正しました
2017/8/2 「ほほえましい」→「微笑ましい」、「決済」→「決裁」
いくつかのアラビア数字を漢数字に変更しました


第2話 お出かけしませんか?

「いただきます」

 

 小林の声に続いて、「いただきます!」と(ドラゴン)二人の声が唱和する。

 

 よく晴れた日曜の朝。今日の朝ご飯はトールが作った卵焼きに漬物、お味噌汁、そしてホカホカと湯気を立てるご飯というラインナップである。

 実はもう一品あったのであるが、小林家の食事のレギュレーション、『異世界の食材を使ってはいけない』に抵触したため、廃棄処分とあいなってしまった。

 

「小林さん、あーんしてください」

「いや、1人で食べられるから……」

「コバヤシ、お醤油取って」

「はいカンナちゃん」

「小林さん、小林さん! 私にも胡椒を取ってください!」

「いや、トールの目の前にあるでしょ」

 

 

 にぎやかな食卓。

 そんな和気あいあいとしたテーブルから、ふと小林が目をそらすと、そこには独り離れた所でソファーに腰かけ、テレビを見ている骸骨――アインズの姿があった。

 

 

 ポリポリときゅうりの浅漬けを齧る彼女に、トールが話しかける。

 

「小林さん、今日はせっかくの休日ですから、私と子作りでもしませんか?」

「いや、私もトールも女同士だっての」

 

 ため息を一つつき、味噌汁をすする小林。

 味噌汁の具は、お豆腐とほうれん草。口の中で柔らかく砕けていく豆腐と、よく火の通ったほうれん草の柔らかいながらも繊維質の歯ごたえがちょうどいい。

 ずずーっと音を立てて飲み干し、大きく息を吐いた彼女は言った。

 

 

「そうだね。今日は皆でお出かけでもしない?」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「いいお天気ですねー」

「うん」

 

 数刻の後、小林らの姿は自宅から少し離れた郊外にある、ちょっとした大きさの池のほとりにあった。

 

 池の周囲を回る道々には、桜祭りと書かれたぼんぼりを模した照明が多数、設置されていた。

 だが、一応、桜祭りとは銘うっているものの、あいにく寒気の影響により、桜はまだかすかに咲いているものもあるという程度でしかなく、そのほとんどは未だつぼみの中に頑強に閉じこもったままである。

 しかし、祭りに出店する屋台の日程というものはそうそう簡単には動かせないらしい。花はまだまばらである中、池をぐるりと囲む通路のうち、南側の一区画にだけソースの香りが立ち込める屋台の列がずらっと並んでおり、そこは花より屋台目当ての人たちでそれなりに(にぎ)わっていた。

 

 

 

 そんな池のほとりにある広場の一角に立つ4人。

 小林にトール、カンナ、そして幻覚魔法で正体を隠したアインズである。

 

 

「ねえ、トール様。アレは何?」

 

 カンナは始めてみる屋台を前に、トールのメイド服の袖を引っ張り、興味深げに尋ねる。

 

「ああ、あれはこの世界で行われている拷問の一種で……」

 

 あまり詳しくないにもかかわらず、いい加減な知識で答えるトール。

 興奮して鼻息を荒くしているカンナに引っ張られ、彼女が向こうへ歩いていくと、その場には小林と成人男性の姿を偽装しているアインズが残された。

 

 アインズはコリコリとその指で顎先を掻く。指先が顔部分の幻覚を突き抜け、ずぶりと沈み込んで見える。

 

「ふむ。1人でいた私に気を使ってくれたという事かな?」

「うん。アインズさんは私がこっちに呼び出しちゃったわけだからね」

「罪悪感かね?」

「まあ、それも確かにあるよ」

 

 小林は素直に認めた。

 

「ただ……私たちの食卓に加わることもなく、アインズさんはただテレビを見ていたからね」

「気遣いは無用だ。私はアンデッドであるから、飲食は不要だからな」

「ううん、そういう事じゃないよ」

 

 小林はあちこちを見て回り、元気に騒いでいるトールとカンナを眺めながら言う。

 

「私たちは同じ家に暮らしてるのに、話をしている輪に加われない人がいるのは寂しいなって思ったからね」

 

 視線の先ではトールが紐を引いて景品を引き上げるくじで能力を使ったらしく、引けるはずの無い大当たりを引き当て、店のおっさんとトラブルになっていた。

 

「『袖すり合うも多生の縁』っていう言葉もあるしね。せっかく一緒の場所にいて、一緒の時間を過ごしているのに、距離をとって隔絶したままっていうわけにもいかないよ」

 

 言うと、今にも口から炎のブレスを噴き出しそうになっているトールを止めに、小林は運動不足の身体にむち打ち、駆けていった。

 

 

 

 その場に一人残されたアインズ。

 彼はしばし、そのまま(たたず)んでいた。

 頭の中を駆け巡るのは、先ほど小林が語った言葉。

 

『せっかく一緒の場所にいて、一緒の時間を過ごしているのに、距離をとって隔絶したままっていうわけにもいかないよ』

 

 その言葉を思い返し――アインズはがっくりと肩を落とした。

 

 

 ――そうだよなぁ。偶然とはいえ、せっかく一緒に暮らしてるのに、壁作ってたんじゃ意味ないよなぁ。無駄に神経すり減らすだけだし。

 いや、前はナザリックの皆の手前、他の人間とかにフランクに接することとか出来なかったわけだけどさ。『人間なんてゴミです』なんて、平気で言ったりするくらいだったし。

 でも、今は、ナザリックと離れているわけだから、別に支配者口調じゃなくて普通の口調で話してもよかったわけだよなぁ。

 『うむ。そうか』とかじゃなくて、『あれ? どうかしたんですか?』とかでさ。

 一人称も『私』じゃなくて、『俺』で。

 最初、状況が分からなかったってのもあるけど、失敗したなぁ。いや、普通分からないじゃん? いきなり、また別の所に転移しました。でも、今度はナザリックなしです、とかさ。

 せっかく、ずっと続けていた支配者ロールを止める良い機会だったのになぁ。

 はあ、失敗したなぁ。

 

 

 

 そうして、アインズはもう一度大きくため息をついた。

 

「ナザリック……大丈夫かなぁ」

 

 ポツリとつぶやいた。

 

 

 アインズの心のうちを占めるのは、自分という指導者不在となってしまっているナザリックのことである。

 

「何とか帰れればいいんだけどな」

 

 元の世界、ナザリックが転移したあの世界、今やエ・ランテルを首都とした国家としての道を歩み始めたアインズ・ウール・ゴウン魔導国があるあの世界に戻ることができたのならば……。

 だが帰ろうにも、アインズはめちゃくちゃな魔法陣によって呼び出されてしまったために、その世界がある座標が正確に分からず、そこへの異世界ゲートを開くことが出来ないらしい。

 

 

 実はアインズもまた、自力で何とかしようとはしてみたのである。

 自身が使える転移系を始めとした様々な魔法をあれこれ使用してみたのだが、さすがに異なる世界の間を移動することまでは出来なかった。

 ならばと、思い切って〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉までをも使ってみたのだが、その超位魔法を持ってしても、ナザリックへの帰還は叶わなかった。

 

 しかし、その効果により短時間ながら、かろうじて〈伝言(メッセージ)〉の魔法をアルベドにつなげることには成功した。

 

 予想はしていたが、向こうは突然、アインズがいなくなったことにより、混乱の渦に叩きこまれてしまっていたらしい。

 そんな時、不意に届いたアインズからの〈伝言(メッセージ)〉。

 狂喜乱舞するアルベドを落ち着かせ、自分が異世界へと来てしまった事、帰ろうにも帰れない事、何とか帰還の方法を探すから、それまでナザリック並びに魔導国の運営を頼むという事を伝えたところで効果時間が切れてしまった。

 

 

 とりあえずはアルベドらがいればナザリックや魔導国は安心だろう。

 自分がいなくても――いや、自分がいないまま、すべてをアルベドとデミウルゴスに任せてしまっていた方が上手く事が進むかもしれない。

 

「そうだな。案外、守護者たちも私がいない間、鬼のいぬ間に洗濯とばかりにのんびりしているかもしれないな」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「では、アインズ様がいらっしゃらない間のナザリック並びに魔導国の方針としてはそれでいいわね?」

 

 アルベドの言葉に皆、首を縦に振る。

 そうしてアウラはようやく会議が終わったことに、肩の荷が下りたとばかり大きく息を吐いた。

 

「ふう、疲れた。急にアインズ様、どこかに行っちゃうんだもんな」

「私の所に来た〈伝言(メッセージ)〉によると、向こうから召喚魔法で呼び寄せられたらしいけどね。まあ、アインズ様の最終的な決裁は飛ばしてしまう事になるけれども、とりあえずは現状維持のまま、地固めをしていけばいいでしょう」

「もとより、細かな調整や雑事は我々でこなしていたからね。しばしの間、御不在にされていても特に問題にはならないだろう」

 

 続くアルベドとデミウルゴスの言葉に異論は出ない。

 そしてアウラは椅子に座ったまま、グーッと伸びをする。

 

「でも、これでしばらくは気楽にできるね」

「う、うん。アインズ様がいると……その……緊張しちゃうし」

「そうだね。今、割り振られた各々の仕事に不備が出ない程度には、という注釈がつくが、その範囲内では多少、羽を伸ばしてもいいかもしれないね」

「本当に、アインズ様がいると色々と気を使わなくてはならないでありんすからね」

「そうそう。一応、至高の御方の一人だから、とにかく立ててあげなきゃいけないし」

「で、でも、それが僕らの仕事だから」

「ウム。ソレガ我ラノ役目トハ言エ、イササカ重荷ニ感ジルトキハアルナ」

「ああ、まったくだね。アインズ様のおっしゃったお言葉を無理やり解釈して、そこに深い真意があるのだとなんとか取り繕うのも、さすがに毎回は大変だ」

「なに言ってるのよ、あなたたち」

 

 ぼやく面々を前に、アルベドはその(なま)めかしさすら感じるほどの黒髪を苛立たし気にかき上げた。

 

「あなたたちはまだましでしょう。せいぜいがアインズ様を前にしたときに、おべっかを使う程度で済むんだから。私なんて、『モモンガを愛している』なんておかしな設定に書き替えられているのよ」

 

 アルベドの口から発せられた言葉に、シャルティアは目を丸くする。

 

「おや、アルベド。おんし、自分の設定が書き替えられたのに気がついていたでありんすか?」

「当然よ。私の設定は私の創造主たるタブラ・スマラグディナ様が手ずから書き込んでくださった、至高にして究極の設定。それをまあ、最後に残った至高の御方でギルドマスターだからといって、勝手に書き換えたのよ。しかも、よりにもよって自分を愛している、なんて。本当に恥ずかしくないのかしら?」

「うわー、そう考えると正直キモイね」

「う、うん。なんだか、鳥肌が立っちゃうね」

「ナンデモ、アインズ様ハ女性経験ガナイラシイカラナ。アンデッドトハイエ、男トシテ欠陥トイウコトデハナイカ」

「いや、そんな御方とは言え、一応、至高の御方でありんす。私たちの存在意義はあくまで至高の御方にお仕えすること。あまりきつく言うのもどうかと思うんでありんすよ」

「じゃあ、シャルティア。もし、あなたの設定が『モモンガを愛している』なんていうのに書き換えられていたらどう思うかしら」

 

 アルベドにそう問われたシャルティアは、思わず「ひいっ」と声を漏らした。

 

「そ、それだけは勘弁してほしいでありんす!」

「でしょう? 友達もいない、彼女もいない、誇れるものは何もない、そんな男を愛せとかどうしろってのよ」

 

 吐き捨てるようなアルベドの言葉に、皆が「お気の毒様」と慰めのような言葉をかける中、デミウルゴスはその尖った顎に手を当て考え込んでいた。

 

「そうだね。ふむ。ならば、ならばだよ。アインズ様と()()()となる存在を、アルベドの代わりに用意してあげてはどうかな?」

「私の代わりに?」

 

 思わず、アルベドが声を発した。

 

「デミウルゴス、あなたの提案だけど……残念だけどどう考えても上手くいくとは思えないわ」

「そうでありんす。アインズ様の恋人など、ナザリックの他の誰でもお断りでありんしょう」

「なに、いるじゃないか。この地に転移してから出会った、アインズ様をしたっている女性……雌が」

 

 そのわざわざ使った『雌』という言葉、それを受けて皆の脳裏にピンとくるものがあった。

 

「あ、もしかしてハムスケ?」

「そうだとも。ハムスケにとってアインズ様は名付け親。そして彼女としても()()()を欲しがっている。ならいっそのこと、あのハムスケをアインズ様にあてがってはどうかな? アインズ様にはお似合いだとは思わないかい?」

 

 

 デミウルゴスの提案に、場がどっと沸いた。

 アウラやシャルティアは言うに及ばず、コキュートスでさえ堪えきれぬとばかりに肩を震わせていた。

 

「あはは。それお似合い」

「ええ、アインズ様も、それとハムスケも本懐を遂げられるでありんしょうからね」

「お、お姉ちゃん、シャルティアさん、笑っちゃ可哀想だよ……ぷっ……くすくす」

「イクラ、同種ニモテヌカラトイッテ、ミジメダナ」

「この世界固有の存在であるハムスケとアインズ様。その間に生まれるのははたしてどのような子なのか気になるね」

「ぷぷぷ……、女にもてないあまりに辿りついたのが、あの巨大なハムスター。アインズ様が、あれに向かって必死に腰を振ってるかと思うと……」

 

 アルベドの言葉に再び一同の間で、破裂したようにいちどきに笑い声が響いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「のわーっ!」

 

 アインズは頭を抱え、身悶えた。

 実際にナザリックの守護者たちがそんな事を話している訳はない、そんなものは自分の邪推でしかないという事はアインズとて分かっている。

 しかし、もしかしたら本当は、守護者を始めとしたナザリックの者達は自分に愛想をつかしているのではないか、実は自分の事を馬鹿にしているのではないかという、もはや被害妄想の域に達している想像に、アインズは怯えたキツネリスのように身を震わせた。

 

 突然、奇声をあげてしゃがみ込み、身をのたくらせる成人男性の姿に、通りがかった人たちは気の毒な視線を向けつつも、黙って見て見ぬふりをしてくれていた。

 

 

 

 そうして、ひとしきり殺虫剤をかけられたムカデのごとく身をくねらせた後、ようやっと精神沈静で落ち着きを取り戻したアインズ。

 そんな彼の袖をひく者がいた。

 

「ねえ、アインズ」

 

 顔をあげると、傍に立つのは共に小林家で生活している(ドラゴン)、ピンク色のゴスロリ風衣装を身に纏った幼女、カンナであった。

 その青い瞳に見つめられ、アインズは咳払いをして立ち上がる。

 

「ウォッホン! ……どうしたのかな、カンナ?」

 

 ナザリックの支配者としてけっこう長いことやって来た経験もあり、取り繕うのはお手のものである。とりあえず、今更手遅れ感も多分にあるが、威厳ある態度で問いかけた。

 

 

 カンナはそんなアインズの服を引っ張りつつ、「あれ」と向こうを指さす。

 言われた方へ視線を向けると、そちらは屋台などが並び活気溢れるスペースから離れた所、そちらには特に出店もないただの広場が広がっており、道路を挟んで向こう側には、いくつかの商店が並んでいる。

 カンナの指さした先、そこには一軒の和菓子屋があった。

 

「あれ、食べたい」

 

 ふむ、と言われたアインズは襟もとに腕を突っ込む。

 そうして取り出したのは、深緑色のがま口財布。

 ぱかりと子気味のいい音を立てて開かれたその中には、数枚の紙片があった。

 出かける際に何があるか分からないからということで、小林からお小遣いとして3,000円もらっていたのである。

 

 

 そして、アインズはその手の中にある紙幣を取り出し――しばしじっと覗き込んだ。

 

「これは……どれくらい価値があるんだ……?」

 

 アインズはもともと日本人であるとはいえ、彼が生きていた時代は今からおよそ100年後である。当然貨幣や物の価値も今とは大きく異なる。

 その為、この1,000円札というものはどれほどの感覚で使っていいものか、結構な大金なのか、それともせいぜいお菓子を数個買える程度なのか、それが分からなかったのだ。

 そもそも、彼の感覚からすれば、通貨に原料が植物である『紙』を使うところからしてあり得ないのである。

 

 ともかく、その売店の前まで行くと、丁寧に並べられたお菓子の前にそれぞれの値段が紙に書いておかれている。

 よく分からないままに、とりあえず一番中央にあったものを指さし、「それを一つ」と言って、そこにいた妙齢(配慮)の女性に1,000円札を一枚渡すと、商品ケースに入っていたまんじゅうを一つビニールに入れて渡してくれた。それと、おつりとしてジャラジャラとした硬貨も。

 

 それをカンナに渡してやると「おおー」と目を輝かせながら、その白い薄皮に包まれたお饅頭をぱくついた。

 

 

 そうして、もぐもぐと口を動かしていたカンナの目が、再び一点で制止する。

 その先に目を向けると今、彼らがいる広場、その中央には平和の象徴とかいう白ではなく灰色っぽい羽毛に包まれた鳩たちが警戒心のかけらもなくのんびりと、且つ堂々たる態度で地面を闊歩している。

 

 ふむとアインズが辺りを見回すと、広場の片隅、池に浮かべるボート乗り場の脇に、屋台の出店にも似た、小さな小屋状の店舗があった。

 よく目を凝らしてみると、その店では広場にたむろする鳩にやる餌を売っているらしい。

 

 たった今、お菓子をなんなく購入した件で、この時代のお金の使い方に自信を持ったアインズは、足取り軽くそちらへおもむくと、先ほどおつりとして渡された硬貨を使い、見事『鳩の餌』をゲットすることに成功した。

 

 

 それを受け取り、鳩のいる広場中央へと戻ってくると、目を輝かせるカンナの脇で、アインズは鳩の餌が入った袋を開けようとした。

 

 だが、アインズは魔法職とはいえ100レベルキャラ。力加減を間違えたらしく、袋が一気に破れ、中の餌がバラバラと辺りに飛び散ってしまった。

 「おっとと」とつぶやき、体に飛び散った何か小さな実らしきものを、パンパンと払い落とす。

 

 

 しかし、次の瞬間――。

 

「のうわっ」 

 

 思わず声をあげてしまったアインズ。

 彼の身体に飛び散った飼料。それめがけて周辺の鳩が一斉に飛びかかったのだ。

 

 その光景はさながら小動物の大量発生もののパニック映画のごとく。今のアインズはアンデッドの肉体に人間の幻覚をかぶせているとはいえ、まさに鳥葬といった様相である。

 

 

「やれやれ」

 

 だがアインズはそんな状況に最初こそ驚いたものの、たいして動じることもなく、腕を振るって鳩たちを追い払おうとする。

 

 およそ鳩たちの(くちばし)についばまれたら、普通の人間であれば血がにじんでもおかしくはないのだが、幸いにしてアインズはアンデッドであり、柔らかい肌や肉などなく、いきなり固い骨なのである。

 そのうえ、アインズは〈上位物理無効化Ⅲ〉を持っているのだ。さすがに、この場にいる鳩の中にはレベル60を超える剛の者、いや剛の鳩などいなかったため、いくら()()()()されても、痛くも(かゆ)くもなかった。いや、ちょっとだけ痒くはあったが、痛くはなかった。とにかく少しばかり(わずら)わしい程度でしかなかったのである。

 

 

 そうして、群がる鳩の群れにいささか辟易(へきえき)していると、バサバサと音を立てて羽ばたく灰色の羽毛の隙間から、自身のすぐ傍らに立つカンナの姿が見えた。

 

 彼女はひょいと手を伸ばすと、そこにいた一羽の鳩をそっと捕まえた。

 揃えた両手の上にちょこんと鎮座する鳩に「おおー」と目を輝かせるカンナ。

 

 その姿を見て、(まあ、この娘が喜んでるようだし、こんな状態になった甲斐があったかな)と微笑(ほほえ)ましい気持ちになったアインズであったが、次の瞬間、その幻覚でおおわれた表情が引き攣った。

 

 

 

 カンナはそのぷくぷくと太った鳩に顔を近づけると――それを一口で食べてしまったのである。

 

 

 

 ポキポキ、クチュクチュと音を立てて、咀嚼するカンナ。

 驚愕に凍り付くアインズの脇でまた一羽、鳩を掴むと、同じように大きく口を開け、かじりついた。

 

「食べ放題」

 

 

 アンデッドであるため、なんとか声をあげずに堪えられたが、もし『完全なる狂騒』状態であったのならば「きょえーーー!!」と叫び声をあげていたことは間違いない。

 かつてのナザリックでもエントマが似たような事をやっていたが、彼女の場合は普通の顔に見える部分は表情が変わることのない虫の仮面であり、人間であれば顎の下あたりにある本当の口で食べていた。そのため、不気味ではあっても、見えている顔はそのままだったので、まだ耐えられた。

 だが、カンナはというと、自分の頭より一回り小さい程度の鳩を口に入れるのに、その顔の造形が歪むほど口を大きく空け、そこから見え隠れする牙によって、一息に骨を噛み砕いたのだ。赤みがかったぷくぷくとしたほっぺを持つ可愛らしさを感じる幼女の顔が一瞬だが奇怪な形に崩れるその光景は、生理的な悍ましさすら感じさせるほどであった。

 

 

 ――いやいやいや、それは拙いだろ!

 

 アインズは慌てた。

 いかに現代日本の常識に疎いアインズとはいえ、さすがにここにいる鳩をそのまま食べてしまうのは拙いという事は分かる。

 

 慌てて周囲を見回すアインズ。

 幸いにして、こちらに視線を向けている者はいない。今の惨劇を見ていた者はいないようだ。

 

 

 取り繕う事も忘れ、アイテムボックスから布きれを取り出し、アインズはそれでカンナの手や口元についた血をぬぐってやる。

 

 だが、あらかた布で拭きはしたものの、やはりよく見るとあちこちに血の跡がまだ残っている。

 

 

 ――とにかく早くこの血を洗い流さねば……。

 

 

 きょろきょろと辺りを見回すアインズの視線に飛び込んできたもの、それは広場の端に立つ一軒の建物。公衆トイレであった。

 

 あそこならば水があるはず、と思い至ったアインズは「トイレに行くぞ」と言うなり、きょとんとしているカンナを小脇に抱えると、そちらへ駆けだした。

 

 

 そうして広場を横切り、トイレに入ろうとした、その時――。

 

「ちょっと、あなた」

 

 と、声がかけられた。

 

 

 

 振り向くと、そこにはパーマ頭の中高年とおぼしき年齢の女性が立っている。

 

「あなた、その子の何なの?」

「え?」

 

 突然投げかけられた女性からの詰問に、思わず間の抜けた言葉を漏らすアインズ。

 力の抜けたアインズの手からカンナは地上へと降りる。

 

「お嬢ちゃん? この男の人、あなたのお父さん?」

 

 カンナはプルプルと首を横に振る。

 

「違う。アインズはお父さんじゃない」

「そう。この人は悪い人じゃない? 何かされた?」

「ううん。アインズは悪い人じゃない。さっきおやつ買ってくれた」

「おやつ……。お嬢ちゃん、今この人にトイレに連れ込まれそうになってたけど、トイレ行きたかったの?」

「ううん。行きたくない。でも、アインズがトイレに行くって言って、連れてきた」

 

 そのやり取りを傍で聞いていたアインズ。

 そこでようやく自分が声をかけられた理由、今、自分がどんな疑いをかけられているのかを理解した。

 

 

 今の現状を整理してみよう。

 

 1.成人男性(アインズ)と、そして一緒にいる女の子。

 2.二人は血縁関係にない。

 3.男は女の子にお菓子を買い与えるなどしていた。

 4.そして男はその女の子を小脇に抱え、その子がトイレに行きたくないにもかかわらず、トイレに連れ込もうとしていた。

 

 

 明らかに事案である。

 即警察に通報されてもおかしくない案件である。

 

 

 おばちゃんのアインズを見る目がさらにきつくなる。

 これまでアインズは向こうの世界で殺気を込めた視線というものは幾度も受けており、そんなものにもひるまなかったのだが、その視線には狼狽えてしまった。

 

 

 ――いかん。

 このままでは通報されてしまう。

 

 

 ナザリックの支配者たる自分が幼女略取で警察のお世話になる。

 醜聞などというレベルではない。

 

 この世界で起きた事を向こうの世界にいるナザリックの者たちが知りえるわけもないのだが、アインズの脳裏をよぎったのは先ほどの守護者たちの妄想。

 

 幻視した彼ら――シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ、デミウルゴス、そしてアルベド。更にはナザリックにいる(しもべ)たち全てが汚らしい害虫でも見るかのような目つきを、一斉にアインズへと向ける。

 

 

 恐怖公まで。

 

 

 ――拙い。

 ゴキブリにまで害虫を見るような視線を向けられたら、人として終わりである。

 アインズはアンデッドであるので、すでに人としては終わっているのだが、それでも拙い。

 

 

 

 アインズが自分の想像に身震いしているうちに、更に事態は悪化していく。

 騒ぎを聞きつけ、同じ広場にいた人や広場に面した道を歩く通行人たちが、一体何があったのだとこちらに視線を向けていた。

 

 魔法で何とかするにしても、1人2人ならともかく、この周辺にいる者達全てを何とかするのはさすがにアインズとはいえ、それは困難であると言わざるを得ない。近くにいる者達だけならいざしらず、遠方から視線を向けている者もおり、一体どれだけの人数がこちらを視認しているのかまでは把握できない。

 それにこの時代には機械的な監視カメラなどもあちこちに設置されているはずだ。

 例えば、時を止めてから遅延(ディレイ)で精神魔法をかけるにしても、それが映像として記録されていたら、不意に大勢の人間の様子がおかしくなったことがはっきりと記録として残されてしまう。

 それはいささか拙い。

 

 

 アインズはこの場をどう切り抜けるべきか判断に迷った。

 すると――。

 

「アインズさん! カンナちゃん!」

 

 声と共に、駆け足で近づいてくる二つの人影。

 小林とトールであった。

 

「どうしたんですか?」

「あ、ええとだな……」

 

 思わず何と言っていいのか迷うアインズを差し置き、おばちゃんが口を挟んできた。

 

「あら、アンタ、トールちゃんじゃない」

「あ、どうも、こんにちは」

 

 どうやら知り合いらしい様子に、小林が「知り合い?」と尋ねると、トールは「商店街の方です」と答えた。小林がこの前トールと一緒に商店街へ行った時の事を思い返すと、確かにあの時、服屋かどこかにいたおばさんであった。

 

 

「ちょっと、トールちゃん。この子の知り合い?」

 

 問われたトールは「あ、はい」と答え、そばにいた小林が言葉をつづける。

 

「ええ、カンナちゃんはうちの親戚の子です。今日は休みだったんで皆で遊びに来たんですよ。アインズさん、何かあったんですか?」

「あー、とだな……」

 

 困ったようなアインズの視線の指し示す所、カンナの手や服の汚れ、不審げな様子のおばちゃん、そして公衆トイレを順に見て、小林は何があったのかだいたいの事を悟った。

 

「ああ、なるほど。カンナちゃんがものを食べたときに汚してしまったんで、そこのトイレで洗おうとしたんですね」

 

 周りの人に説明するかのように、ことさら大きな声で話す小林。それにアインズもあわてて首を縦に振った。

 

「う、うむ。カンナが食べたいと言ったんで食べさせたら、手や服を汚してしまってな。それでどこか洗える場所は無いかと思ったのだ」

「確かに、トイレなら手洗い場で洗えますからね。トール、カンナちゃんの手とか洗ってきて」

 

 早口で小林が促すと、トールは「はい」と返事をし、カンナと共にトイレの建物の中へと入っていった。

 

 

 後に残されたのは小林とアインズ、そして先ほどのおばちゃんである。

 

 おばちゃんは疑ってしまった気まずさを誤魔化すため、笑いながら「あらあら、そうだったの。さっきはごめんなさいね」と謝罪の言葉を口にし、それに対しアインズもまた「いえいえ、こちらこそ落ち着いて考えれば、一緒に来ていた小林さんやトールに頼めばよかったですね。服にまで汚れがついてしまったようなので、急いで洗わねばと動転してしまいました。お騒がせしてしまって申し訳ありません」と社会人経験を活かし、事を荒立てぬよう取り繕った。

 

 

 程なくして、手や服についた血の汚れを落としたカンナとトールが戻ってきて、そこで再び全員笑いあった。

 はっきり言って、この場における双方とも、今回の事をあまり深く追及されたくないのである。なあなあで何とか誤魔化し、やり過ごしてしまいたいというのが、お互い共通の思いであった。

 とにかく笑えば、大抵の事は誤魔化せるのだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ちゃぷちゃぷと波の音が響く。

 その波にゆらゆらと揺られるのは、定番の白い白鳥を模した足漕ぎボート。

 その座席には、小林家ご一行がそろっており、前の座席ではカンナとトールがキコキコと人間、というか小林基準の力で足を動かしていた。

 

 後部座席でまったりしているのは、眼鏡をかけた色気のかけらもない女性――小林と、幻覚を解いたアインズである。

 

 

 アインズは疲れたような声を出した。

 

「はあ、拙いことになるところだった……」

「うん、何とか誤魔化せてよかった」

 

 隣の小林もまた、首を縦に振る。

 ボートに揺られながら、事のあらましをアインズの口から聞いたところだ。

 あのまま警察でも呼ばれたら、アインズだけではなく、小林たちも面倒な事になるところだった。

 当然ながら、トールやカンナは人間ではなく(ドラゴン)である。戸籍などは偽造しているとはいえ、正式に根掘り葉掘り調べられたらどこかでほころびが出かねない。あとで魔法で何とかするにしても、通報などでもされたらどこかに記録などが残りかねず、そういったものをすべて消していくというのは容易な事ではない。

 

 

「いや、しかし、すまなかったな。おかげで助かった」

「ううん。助かったのはこっちも。アインズさんがいないところでカンナちゃんが鳩を食べて、それを誰かに見られてたら、それこそ大騒ぎになるところだった」

 

 その言葉に「確かにな」とつぶやいて、外を眺める。

 陽光煌めく水面、その向こうには街並みがあり、多くの人や車が行きかっていた。

 その姿、色、形は様々であり、一人たりとも同じ人間はいない。

 

「袖すり合うも多生の縁か……」

 

 きっかけはともあれ、向こうの世界に帰還する方法を探し出すまで、アインズはこの世界にとどまらなければならない。

 そうなれば、必然的にこの世界の人間たちとの関わりは広まっていく。

 自分は偶然、こちらに迷い込んだ稀人(まれびと)だからと世捨て人のように他者と関わらないような生活をしても、完全に繋がりを断つことは出来ない。どうしてもなんらかの形で人と関わらずにはいられない。

 完全に拒絶することなどどだい無理ならば、むしろ自分から関わっていく方が良いのではないか?

 一期一会。

 ほんの一時かもしれないが、今こうして共にいる関わりをもっと大事にすべきかもしれない。

 

 

 アインズはボートの揺れに身を任せながら、そんなことを考えていた。

 そうしていると、前の座席で足漕ぎボートを漕いでいたトールが肩越しに振り返り、小林の方へその顔を向けた。

 

「じゃあ、この後は夕飯の食材を買って帰りましょうか。小林さん、今日の夕食は何がいいです?」

 

 その問いに小林は後頭部で腕を組んで考えた。

 

「そうだな……トールの尻尾焼き以外がいいかな」

「はっ! それはもしや、ご飯よりお前を食べたいぜという遠回しな隠喩ですか?!」

「いや、違うし……。えーと、アインズさんは何がいい?」

 

 そう訊ねられたアインズは、これまでとは違い、和やかに笑って返した。

 

「ははは、すまんが知っての通り、私はものを食べないからな」

「ああ、そうだったね」

 

 そうして二人で「ははは」と笑いあった。

 そこには今朝まであった、一線を引いた距離感は無かった。

 

 

「あはは。そうだな。じゃあ、カンナちゃん。カンナちゃんは何が食べたい?」

 

 聞かれたカンナは間髪容れずに答えた。

 

「鶏肉」

「「まだ、食べるの?!」」

 

 


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