前編
県立湯煙高校。
入学式を終えた後の一年四組の教室で、三人の女子が一つの机を囲んで雑談に興じていた。同じ中学校出身で、同じクラスになれたのである。二人が机を挟むように立ち、一人は椅子に座っていた。
しかしその椅子に座っている宮崎千紗希は、今一つ楽しそうではなさそうだ。
「千紗希、どうしたの?」
彼女の右手側に立つポニーテールの女子、三浦博子が心配そうに顔を覗き込んだ。
「最近、家で変な事が起きてて……」
「ストーカーか?」
反対側の、ストレートロングの女子が粗野な口調で言った。こちらは
「そういうのじゃなくて、その……最近ね、お風呂入ってシャワー浴びてて、気が付いたら湯船の中にヌイグルミが入ってたりするの」
「いくら好きだからってお風呂に持ち込んじゃダメでしょ」
千紗希のヌイグルミ好きを知る博子は、呆れたように言った。
「わかってるよ。だからあたしだってそんな事絶対にしないのに、いつの間にか入ってきてるの。今朝だってカバンの中に入ってたし、それに、その……一昨日なんて、夜中に部屋の中を飛び回ってたし……」
「……マジで?」
博子と芹は同時にうめいた。付き合いが長いだけに、相手が嘘を言ってるかどうかくらいはわかる。
「ネットで調べてみたけど、霊能者さんのお祓いって凄くお金がかかるし、だからってママに出してもらう訳にはいかないし……」
「下手したら窓に鉄格子がはまってるタイプの病院に入れられちゃうよね……」
「親父さんは?」
「お父さんは海外に出張してるから……もうどうしたらいいかわからなくて……」
「うーん……何なら一人、とびっきりの奴を紹介してあげるけど?」
「とびっきり?」
千紗希は首を傾げた。博子にそんな知り合いがいたとは聞いてないのだ。
「そ。確か隣のクラスにいるはずだから、後で連れてってあげるよ」
ちょうどチャイムが鳴り、教師も入ってきたので、博子はそう言って自分の席に戻っていった。
◆
ホームルームが終わると、博子に連れられて千紗希と芹は隣の五組の教室に向かう。
開け放された廊下側の窓から、博子は中を見渡す。
「あれー? 確か五組だったはずなんだけど……」
どうやらお目当ての人物が見当たらないようだ。そこへ、窓際の席にいた眼鏡をかけた女子が声をかけてきた。
「誰か探してるの?」
「このクラスにクガユースケってのがいるはずなんだけど、知らない?」
「ユースケって、憂鬱の憂に助けるって字?」
「そうそう、その久我憂助」
「あなたの後ろにいるわよ?」
言われた博子が振り向くと、そこに男子生徒が一人立っていた。
身長は170cmほどだろうか。肩幅のあるガッシリとした体格だ。両手の親指をズボンのポケットに引っ掛けている。
「やっほー久我っち」
バチンッ。
博子の挨拶に、少年はデコピンで応じた。
「その呼び方はやめれっち言っちょろうが」
「いった~……手加減してよ、もう」
「したやろうが。何か用か?」
「ああ、そうそう。実はちょっとセンセーのお力をお借りしたくて~……立ち話も何だから場所変えよ?」
博子は眼鏡の女子に「ありがとうねー」と言って、少年の背中を押して去っていく。訳のわからぬまま、千紗希と芹も後に続いた。
校舎裏に移動した博子は、ちょうど体育倉庫があったのでそこに入ろうとする。しかし引き戸には鍵がかけられていた。
「こん中やねえと出来ん話か?」
「あんたにする頼み事なんだから、当たり前でしょ」
背中越しに答えながら、博子は何とか開けようと悪戦苦闘する。
久我憂助は彼女をどかせると、引き戸の鍵の部分に手をかざした。
二、三秒の間を置いて、カチャリとロックの外れる音がして、引き戸は難なく開かれた。
「――!?」
千紗希と芹はそれを見て驚く。博子だけが「おー、さすが!」と感心していた。
中に入って戸を閉めると、博子は友人二人を紹介した。
そして、千紗希の身に起こる怪奇現象について述べる。
「という訳だから、あんたの必殺の久我流ニンポーで何とかしてやってよ」
「忍法じゃねえよ」
「何でもいいから、お願い! 今度味噌ラーメン奢るから!」
「……」
少年は、拝み倒す博子ではなく千紗希に視線を向けていた。鋭い目付きで、高校生らしからぬ迫力がある。千紗希は思わずたじろぎ、芹はそんな彼女を庇うように前に立った。
「お前ん家、どこか」
「……え? あの、ひょっとしてあたしの家に行くの?」
「お前ん家で起きようんやき当たり前やろ」
久我憂助は平然と返す。しかし千紗希にしてみれば、知らない男性を家に招くなどとんでもない事だ。
「う、家に来るのはちょっと……あの、その、この場で出来る事って何かないかな? 魔除けのお札とか……」
「ねえよ。生業にしてる訳でもねえのに、そんなん持ち歩く訳ねかろうが」
「け、結界とか……」
「張ろうと思ったらどの道お前ん家行くしかねーぞ?」
「うう……」
「大丈夫よ千紗希。こいつクール気取ってて
ためらう千紗希に、博子がそう言う。
「私たちも一緒だから怖くないって。ねえ?」
「ああ、そうだな。いざって時はアタシ等が守るから大丈夫だよ」
芹もそう言うので、千紗希も腹を括った。
◆
山沿いの住宅街に千紗希の家はある。長い坂道の中ほどにある二階建ての一軒屋がそうだ。
実を言うと、千紗希は道中でも不安でたまらなかった。何せ男子を招くのは初めての事だからだ。体育倉庫で向けられた、あの突き刺すような眼差しを思い返すと、飢えた猛獣を招き入れるような気持ちにすらなってくる。
(やっぱり冬空くんに頼んだ方が良かったのかな……)
同じクラスの男子生徒冬空コガラシの顔を思い出す。
ホームルームでの自己紹介で自ら霊能力者であると公言し、何かあったら相談に乗るとまで言った少年だ。
しかし同時に、休み時間に千紗希のスカートをめくった男でもある。それについては、本人はわざとやった訳じゃないと弁解し、謝ってもくれたが、わざとでなかったというのなら本人の意思とは無関係にああいう事が起こるという事なのだから(実際スカートめくりの直後、教室中の机と椅子が浮き上がる珍事が発生した)、正直に言えば一緒にいたくない。
紹介してくれた博子の顔を立てるためにも我慢しようと、千紗希は自分に言い聞かせる。
――が、それでも不安なのは不安だった。
千紗希の家が見えてきた辺りで、不意に久我憂助は足を止めた。そして辺りをじろりと見渡す。
どうしたのだろうかと小首を傾げる三人をよそに、制服の胸ポケットに差していたボールペンを右掌に乗せて、目を閉じる。
数秒の間を置いて、ボールペンが方位磁石の針のようにクルクルと回転し始めた。そして電柱の方を指してピタリと止まる。
憂助はその電柱に近付き、調べ始めた。最初は上の方を見ていたが、すぐにその場にしゃがむ。
千紗希たちがそばに寄ると、壁に面した電柱の根本に赤い鳥居のマークが描かれていた。憂助はそれを、手近な小石でガリガリと削り取る。
「それ、消しちゃってもいいの?」
「消さなまずい」
博子の問いに彼はそう答えた。
「呪いのマークとかそっち系?」
「少し違うが……こいつが霊の通り道をねじ曲げてやがる。そういう意味では厄介だ」
鳥居のマークを消し終えると、憂助は小石を捨てて立ち上がった。
「行くぞ」
そして千紗希の家へと向かう。
千紗希が玄関の鍵を開けて、一同を中に入れた。
「……お前ん家って、こんな暗かったか?」
芹が入るなりつぶやく。
「……ちゃんと換気してる?」
これは博子。
二人がそんな失礼な事を言うのも無理はない。時間的には昼を少し回った頃だというのに、家の中全体が妙に薄暗く、空気も淀んでいた。
「変な事が起き始めてから、家の中の雰囲気もこんな感じになっちゃって……」
「邪魔するぜ」
説明する千紗希をどかして、憂助は靴を脱いで廊下に上がり奥に進む。
廊下を真っ直ぐに行けばリビングに入る。その手前に二階への階段があり、その階段の所で止まった。
スゥー、ハァー……。
深呼吸をして、
パァンッ!
「……あれ?」
声を上げたのは千紗希だ。
家の中から、さっきまでの暗さがなくなっている。空気も澄みきったものに変わっていた。
「この家に溜まってた邪気を祓った。お前の部屋はどこだ?」
「そ、そこの階段を上がって左手だけど……」
「ん」
短く答えて、憂助は『ここは俺の家だけど何か?』と言わんばかりの足取りで階段を上がる。千紗希たちも慌てて後を追った。
憂助は部屋のドアの前で立っていた。さすがに勝手に開けて入るつもりはなかったらしい。
ホッと一安心して、千紗希は自室のドアを開けた。
整理整頓の行き届いた室内には、いたるところにヌイグルミが並べられていた。
ベッドの枕元。
出窓。
本棚。
そして勉強机の上にも――。
「――!」
千紗希はその机の上の亀のヌイグルミを見て、一歩後ずさった。
芹が尋ねる。
「どした?」
「あ、あたし、あそこには誰も置いてなかったのに……!」
怯える千紗希をよそにズカズカと入室した憂助は、部屋に居並ぶヌイグルミ群を見渡した。
ヌイグルミはどれも埃一つついていない。日光にさらされて色褪せた風でもない。先ほどこのヌイグルミたちを『何』ではなく『誰』と呼んだように、本当にこれ等を大切にしているのだろうとわかる。
そのヌイグルミたちに、憂助はスッと手をかざした。
「おい、宮崎」
「な、何?」
「ヌイグルミの中に、何か詰めたりしてるか?」
「え? してないよ……何か入ってるとしたら綿くらいだけど」
「そうか」
答えた憂助は、ベッドの上のヌイグルミを一つ掴み上げた。
眼鏡をかけて首にネクタイが巻かれた、ウサギのヌイグルミだ。その腹部に添えた右手が、ズブッとヌイグルミの中に入っていく。まるで水の中に手を入れたかのように。
直後、ヌイグルミから抜かれた右手の指に、一枚の木の葉が挟まっていた。
「……葉っぱ?」
千紗希は間の抜けた声を上げる。
「こいつだけやねえぞ。他のヌイグルミにも入ってる――入れられてる、と言うべきか」
「その葉っぱのせいで、この子たちは動き回ってたの?」
「たぶんな。抜き取るき、ヌイグルミ全部一ヶ所にまとめろ」
「あ、うん」
芹と博子も手伝って、部屋中のヌイグルミがベッドの上に集められた。
「これでいいの?」
作業を終えた千紗希が振り返ると、憂助の手には木刀が握られていた。長さ一メートルほどの物だ。彼の荷物は鞄のみだったはず。いったいどこに隠し持っていたのか……。
「どけ」
木刀の切っ先を振って、犬でも追い払うみたいに三人をベッドからどかした憂助は、木刀を脇構えに構えた。
(え、まさか――!)
あの木刀でヌイグルミたちを薙ぎ払うつもりかと思った千紗希が制止の声を上げようとするが、
「エヤァッ!」
鋭い掛け声と共に、彼女の予想した通りに木刀が横一文字に振り抜かれた。
しかしベッドの上のヌイグルミたちは、どれ一つとて位置を変えてはいない。
そして振り抜かれた木刀の刀身には、ヌイグルミと同じ数の木の葉がまとわりついていた。
「戻していいぞ」
憂助は木刀の刀身を左手で拭い、木の葉を取る。
「こ、これで解決した、の……?」
「半分はな」
「半分?」
「これを仕掛けた奴等をどうにかせんと、また同じ事の繰り返しだ」
「奴等って、犯人は複数いるって事か?」
芹が憂助に問う。
「ああ。俺の見立てでは、犯人は二人いる。この葉っぱを仕込んだ奴と、さっきの鳥居を描いて霊道をこの家に誘導した奴だ。葉っぱの方は、今夜辺りにでもまた仕掛けてくるやろ。そこを押さえる」
芹にそう答えると、憂助は千紗希をじろりと見やった。
「この家に、空いとう部屋はあるか?」
「お父さんの書斎が今空いてるけど……どうするの?」
「今言ったやろうが。葉っぱ使いが動くのを押さえる。それまでその部屋で待たせてもらうぞ」
「……え゙?」
変な声が出た。
男子を部屋に呼ぶだけでも不安だったのに、この少年は夜まで居座るつもりらしい。
助けを求めて博子へ視線を送るが、彼女は憂助を説得するつもりはないらしい。首を横に振るだけだった。
「我慢して千紗希。ここまで来たら毒を食らわば皿までってやつよ」
「それを言うなら乗りかかった船、な? あー、まぁ、アタシ等も一緒にいてやっからさ」
芹も博子と同意見のようだ。
「実際、こいつのおかげで家の中の空気がガラッと変わったし、さっきの変な手品見ても、どうも本物っぽいしさ……あんただって、どうにかしてほしいんだろ?」
「うう……」
それはそうだ。
憂助はちょっと怖いが、彼が家の中の暗い雰囲気を消し去ってくれたのは事実。
手の上でクルクルと回転するボールペンや、ヌイグルミを傷付けずにその中の葉っぱを取り出した技――彼が普通の人間にはない力を持っているのは間違いない。
それに、母の
可愛がっているヌイグルミたちを操っていた葉っぱの使い手に対する憤りもあった。
「うん、わかった……久我くん。よろしくお願いします。犯人を捕まえてください」
千紗希はハッキリと口にして頼み、深々と頭を下げた。
「任せろ」
葉っぱを握りつぶしながら、憂助は答えた。
気のせいだろうか。
その声に、不思議な頼もしさと暖かみを、千紗希は感じた。