湯煙市郊外の山林を、冬空コガラシは一人でうろついていた。
時刻は、午後4時前。
制服姿なのは、下校途中だからだ。道に迷った訳でも何でもない。夕食の足しになればと思い、山菜採りに勤しんでいるのである。湯煙市に住み始めて日も浅いが、この周辺にはよく育ったワラビやゼンマイが採れる事は、既に確認済みだった。
木々の間をすり抜けて進む内に、アスファルトで舗装された山道に出た。
手にしたビニール袋は、大量の山菜で膨らんでいる。
道に出た事だし、今日はこのくらいにして帰ろうと判断したコガラシは、山菜の詰まったビニール袋をバッグに押し込み、ゆらぎ荘のある方角目指して、道路の路肩を歩き始めた。
平日の夕方だが、通る車はほとんどない。時折どこからか、鳥たちのさえずりが聞こえてきた。
しばらく歩くと、道路の左手に建物が見えた。
山菜レストラン《やすらぎ》
横書きで書かれた看板が出入口の上に掲げられている。
しかしコガラシの目を引いたのは、その出入口の左右の
『開店記念タイムセール中。夕方4時から6時までは全品半額!』
そのように書かれてある幟の前で、コガラシは一度目をまばたきさせた後、もう一度まじまじと幟の文句に目を通す。
『開店記念タイムセール中。夕方4時から6時までは全品半額!』
(行くしかないッッ!!)
コガラシは勇んで店内へと入っていった。
「いらっしゃいませ、空いてるお席へどうぞ」
ドアを開けて入るなり、店員が出迎えてくれた。
ミニスカメイド服とでも形容すべき服装の、ショートヘアの女性だ。
左目には、刀の鍔を利用した眼帯がされてあった。
「なんでここにいるんだ朧ぉぉおおおおおーーーーッッ!!」
コガラシは叫んだ。
しかし朧は、冷静沈着だった。
「お客様、店内で大奇声を上げるのは他のお客様のご迷惑ですので、ご遠慮なさるようお願い申し上げます」
「……あ、ああ、悪い」
あまりの落ち着きように、コガラシは思わず素直に謝ってしまった。
とりあえず窓際の席に座ると、朧が水の入ったグラスを持ってくる。
「……で、なんでここにいるんだ? 何を企んでやがる」
コガラシはじろりと朧を睨み、詰問した。
「目的は以前にも言っただろう? あの木刀使いへの雪辱と、貴様の子種だ。そのためには当分湯煙市に滞在せねばならん。それで、当座の生活費を稼ぐためにこの店でアルバイトをする事にしたのだ。なに、そう構えるな。私を雇ってくれたオーナーに報いるためにも、この店の中では手は出さん──ではお客様。ご注文がお決まりになりましたら、そちらのボタンでお呼びください」
朧はそう言って、奥の厨房があるカウンターの中へと入っていった。
コガラシは店内をぐるりと見渡す。
席が五つほどの、こじんまりとした店構えだ。
他の席には、サラリーマンやOLらしきスーツ姿の客が見受けられる。
朧と同じ格好のウェイトレスが一人、彼等の間をキビキビと動き回っていた。
控えめな音量でジャズが流れて、落ち着いた雰囲気だ。
特に怪しい感じはしなかった。
(考えすぎか……)
コガラシはテーブルの上に置かれたお品書きを広げた。
品数は少ない物の、写真と一緒に記載されたメニューは、どれも街中のレストランと比べても良心的といえる値段だ。それらが今は、タイムセールで更に半額と来ている。
「ガチでいいとこ見付けたな……帰ったらみんなにも教えてやらねえと」
そんな事をつぶやいていると、カランカランと音がした。また来客のようだ。
「いらっしゃいませ、空いてるお席へどうぞ」
「……
応対に出た朧に、訛りのある詰問をする声。
思わずバッと振り向いたコガラシの目に、久我憂助の姿が映った。
「おーい久我! こっち空いてるぜ!」
立ち上がり、手を振って呼び掛けると、憂助はそちらに向かい、テーブルを挟んでコガラシの正面に座った。
「オメェーもこげなとこで何しようとか。ゆらぎ荘はこっちやねかろうも」
「晩のおかずに山菜採ってたんだよ。で、帰り道にこの店見付けたんで、今半額中らしいからちょっとな」
「それでか」
「久我は? もしかして家、この辺なのか?」
「もうちっと奥の方やけどの」
「そっかぁー。ちょっと羨ましいぜ。この辺、ガチででっかいワラビやゼンマイがうじゃうじゃ生えてるからな」
「この辺りは気の流れの交差するポイントがいくつかあるきの。そういう所では植物もよう育つ」
「それでか。前からちょくちょく来てたけど、この辺に来ると何となく元気が出てくるんだよなぁー。そういう事なら納得だ」
そこへ、朧が水の入ったグラスを憂助の前に置いた。
それで会話が一瞬途切れたが、すぐにコガラシの方から再開した。
「でもホントにいいとこ見付けたよな。今も言ったけど、前からこの辺にはちょくちょく来てたんだぜ? なのに、レストラン建ててるなんて全然気付かなかったよ」
「俺も毎日通りようんやけどのう……今朝まで影も形もなかったどころか、店建てるための空き地すらなかったんやが……灯台下暗しっちゃあこのことやのぉ」
「ああ、まったくだな」
そう言い合って、二人は朗らかに笑い合った。
笑い合った後、黙り込む。
二人は全く同じ事を思ったのだ。
──いや、おかしいだろ、それ。
「今朝なかったもんが、半日かそこらで建つ訳ねかろうに……」
「あ、あれ? なんで俺、何の疑問も持たずに入ったんだ?」
憂助とコガラシは文字通り頭を抱えた。
気が付くと、妙に店内が静まり返っていた。
音楽が止まったようだが、それにしても静かすぎる。他の客の雑談の声すら聞こえない。
「……おい、ちょっとおかしねぇか? こげな時間にこげな山ん中に、なしサラリーマンとかおるんか……まだ仕事中のはずやろ」
「あ、あの、すいません! ちょっとこの店の事で聞きたい事が」
コガラシが近くの席に座っているサラリーマンに呼び掛けながら、その肩に手をやった。
途端に、サラリーマンは倒れる。
「うおっ!? す、すんません、だいじょ──」
大丈夫ですかと聞こうとした声が、途中で止まった。
床に倒れていたのは、サラリーマンではなく案山子だったのだ。
「な、何だよこれ……さっきまでは確かに……」
「おい」
憂助が呼び掛けた。
振り向くと、彼は立ち上がり、窓を睨んでいる。
「窓が、ただの壁に描いた絵になっとう……」
言いながら、拳で窓を叩く。
ガラスを叩く音では、なかった。
ウインドウの枠も、その向こう側にある外の景色も、憂助の言う通り、粗雑に描かれたただの絵になっていた。
コガラシが弾かれたように、出入口のドアの方を見ると──何もなかった。確かにあったはずの、ついさっき自分たちが入ってきたドアが、ない。ただの壁に変わっていた。
「まさか、罠……?」
「その通り」
コガラシのつぶやきに答えたのは、朧だった。
「この店は貴様たちを捕らえるために私が妖術で造り上げた、まやかしの異空間だ。まさか目当ての二人が揃ってやって来るとは、思わぬ幸運だったがな」
朧の白い両腕が、鉄色の刃に変形する。
客やもう一人のウェイトレスの姿は、既に跡形もなく掻き消えていた。
コガラシはとっさに拳を握り、身構えた。
しかし身構えただけで、動こうとしない。
彼の性格や信条が、敵とはいえ女性に手を上げる事を許さないのだ。
「下がっとけ」
憂助が後ろから声を掛けた。その右手には、柄に『獅子王』の文字を彫った木刀が握られている。
「お前、女は殴れんとやろが。なら、俺がやらなしゃあねかろ」
そう言ってコガラシの前に出ると、木刀を右八双に構えた。
「話が早いな──いざ、参る」
朧の体がかすかに沈んだかと思うと、既に一足一刀の間境を越えていた。
刀に変化した両腕が閃く。
右は憂助の首を、左は脇腹を狙っていた。
左右が別々の方向から同時攻撃出来る、二刀流の強みを活かしたアタックである。
対して憂助、木刀で首筋に迫る刃を打ち、受け流す。
受け流された刃は加速して、憂助の脇腹を狙っていた刃と激しくぶつかり合った。朧は自分の右腕で、自分の左腕での攻撃を阻害した形となった。
「エヤアッ!」
鋭い掛け声と共に、憂助の突きが朧の胴に入る。
朧はまるでカンフー映画のワイヤーアクションめいて吹き飛んだ。
そしてそのまま壁に叩き付けられ──たりは、しない。宙で身をひるがえして
同時に、朧の両足首まで刃に変化して、天井に突き刺さる。彼女の体はコウモリめいて天井にぶら下がった。
丈の短いスカートが重力に従ってめくれ上がり、レースの下着があらわになる。
構わず朧、憂助の真上に移動して急降下。
頭上から迫る刃を、憂助は横に跳んでかわす。床に降りた朧に反撃しようとするが、敵の姿は既にそこになく、天井へと戻っていた。
朧は天井と床を超高速で行き来しながら、熾烈な攻撃を繰り返す。
憂助は時に避け、時に木刀で打ち払いするものの、テーブルや椅子が邪魔をして、思うようには動けない。
朧の口角が、上がっていた。勝利を確信した笑みだ。罠に掛かった獲物を目の前にした、狩人の笑みだ。
不意に憂助が、木刀を上下逆に持ち換えた。
「久我流念法、天地返し!」
そして床に勢い良く木刀を突き立てると、次の瞬間、弾かれたように店中のテーブルや椅子が宙に舞い上がった!
そして磁石で吸い付いたかのように、天井にくっついてしまう。それも、朧を囲むように!
「くっ、まさか、こんな……!」
行動の自由を思わぬ形で制限された朧。
だが、まだ手はあった。
左腕を刃から元の生身の腕に戻すと、その左手で自らの着衣を掴む。いったいどういう構造になっているのか、メイド服がまるごと綺麗に脱げた。
朧はそれを天井から憂助へと投げつける。メイド服が、少年の視界を塞いだ。
その隙に朧は天井から跳躍して、真正面から右腕の刃を振り下ろした。
だが、それより早くメイド服の向こうから、木刀の切っ先が稲妻のごとく伸びてきた!
メイド服を突き破ったのではなく、透過しての攻撃──久我流念法、陣幕突き!
それをまともに受けた朧は、エジプトの壁画を思わせる、乙女にあるまじきポーズで壁に叩き付けられ、気を失った。
◆
壁や天井もスゥーッと消えていき、一同は道から外れた森の中にいた。
憂助は木刀を左手の平にしまうと、地面に落ちている自分の鞄の中からアーミーナイフを取り出した。それを使って、近くの木の幹に巻き付いている蔓草を数本、手頃な長さに切り取り、下着姿で昏倒したままの朧を木に縛り付けた。
「久我、大丈夫か?」
「まぁ、風邪くらいは引くかも知れんが、そんくらいのペナルティがねぇとこっちも業腹やきのぉ」
コガラシは「怪我はないか」と聞いたのだが、憂助は「朧をこんな場所に放置していいのか」という意味に捉えたらしく、ちょっと噛み合わない返答をした。
「しかし回りくどい事しよんのぉ……おい、お前ちゃんと俺の携帯の番号渡しといたんやろうのぉ」
朧がゆらぎ荘に侵入したその日、コガラシは憂助に彼女の事を伝えて警戒を呼び掛けた。しかし憂助は、紙に自分のスマホの番号を書くと、
「いつでも稽古付けちゃるっち言うとけ」
と言って、その紙切れをコガラシに渡しておいたのだ。
「すまねえ、あれから全然姿を見せなかったもんだから……」
コガラシはそう謝った。
「なら、しょうがねえか。あの紙、今持っとうか?」
「あ、ああ。ほら」
コガラシが自分のバッグから出した紙を受け取った憂助は、それを持って朧の前に立つ。
数秒の思案の後、ブラジャーで寄せて上げて作られた胸の谷間に、恐る恐る差し込んだ。
「うっし!」
清々したとばかりに声を上げた憂助は、自分の鞄を拾い上げ、肩に掛ける。
「つまらん道草食っしもたわ。帰るか」
「そうだな……なんか、妙に疲れちまったぜ」
俺、何もしてないけど。
コガラシは胸の内で付け加えた。
チラリと朧の方を見やる。
特に外傷は見受けられなかった。
(怪我一つさせずに、こいつをやっつけたって事か……)
改めて、憂助に対する尊敬の気持ちが深まるコガラシであった……。