千紗希さんの悩み事   作:阿修羅丸

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ゆらぎ荘と憂助くん

 宮崎千紗希はその日、一人でゆらぎ荘を訪れた。

 玄関前で、仲居ちとせが箒で掃除をしていた。幽奈から話を聞き、また少し前に訪れた際にも会っているので、この一見小中学生にしか見えない小柄な少女がゆらぎ荘の最古参である事は、既に知っている。互いに挨拶を交わしたところで、千紗希は軒先に吊るされたある物に気付いた。

 それは、先端部分を切り欠いた竹筒を輪っかにまとめて吊るした物で、風が吹くと筒同士がぶつかり合い、カラコロと音を立てた。竹製の風鈴である。

 

「知り合いの息子さんが作って、プレゼントしてくれたんですよ」

 

 と、ちとせが教えてくれた。どこか嬉しそうだ。

 その後、彼女は千紗希をこゆずの部屋に案内する。

 

「こゆずちゃん、千紗希さんがお見えですよ」

 

 引き戸越しにちとせが呼び掛けると、ガラガラと音を立てて戸が開き、こゆずが顔を出した。

 

「千紗希ちゃん、いらっしゃい!」

 

 耳をピコピコ動かし、尻尾をブンブン振って、こゆずは全身で喜びを現しながら千紗希を招き入れた。

 部屋の奥の机の上に、横笛が置かれてある。白地にたくさんの花の絵が描かれた、カラフルな物だ。

 

「あれ? 新しい笛買ったの?」

「ううん、憂助くんが作ってくれたの」

 

 と答えるこゆずの顔は、バツが悪そうだった。

 

「ボク、最初にもらった笛を割っちゃって……そしたらね、次の日に憂助くんがこれを作って持ってきてくれたんだ。最初は真っ白だったけど、ボクの好きなように絵を描いていいって言って、それでいっぱいお花を描いたんだ」

 

 そう説明して、その新しい笛で短い曲を吹いてみせた。

 千紗希は拍手しながら、机の上にもう一つ見慣れぬ物体があるのに気付いた。

 輪っか状にしたタコ糸を通した、小さな四角形の厚紙のように見えた。片面は赤と青で、反対の面は黄色と青で半分ずつ色が塗られていた。

 

「こゆずちゃん、これなぁに?」

「憂助くんが作ったオモチャだよ」

 

 こゆずは答えて、どう遊ぶのか実演してみせた。

 タコ糸の輪の両端を左右の手に持ち、真ん中に位置する厚紙をクルクルと回転させる。すると糸がねじれてくる。そこで両手を広げてねじれをほどくと、厚紙が高速で回転してブーンブーンと音を立て、表面の色が混ざり合い、紫と緑に変色した。

 ぶんぶんゴマ、びゅんびゅんゴマ、あるいは、回転する音が松の木に吹く風を思わせる事から、松風ゴマとも呼ばれている、伝統的な玩具である。

 

「これを久我くんが?」

「うん。今度お店に出すんだって。他にもいろいろ作ってるみたいだよ? 玄関の風鈴も憂助くんが作ったし」

「へぇ、そうなんだ……」

 

 ちとせの言っていた知り合いの息子さんというのが憂助の事なのだと、そこでようやくわかった。

 ふと、憂助と山で共に過ごした夜を思い出した。あの時も憂助は、かき集めた細木や蔓草で千紗希を運ぶ背負子を組み上げた。

 今自分のハンドバッグに取り付けてる、丸っこくデフォルメされた玄武の絵が描かれたアクリルキーホルダーも、憂助がデザインしたらしい。

 

(結構器用なんだ……)

 

 ちょっぴり感心した。

 

 

 時間は朝の10時になろうかという頃だった。

 憂助は自室で夏休みの宿題をやっていた。

 不意に廊下から、電話の鳴る音がした。しかし、すぐに父が出た──かと思うと、

 

「おぉーい、憂助ぇー。友達から電話ぞー」

 

 と大声で呼ばわる。

 廊下に出た憂助は、父から受話器を受け取った。

 

「もしもし」

『おう、久我。俺だ、冬空』

「何か用か」

『お前さ、ちょっとモデルになってくれねえかな?』

「はぁ?」

 

 憂助は間の抜けた声を上げた。

 コガラシいわく、ゆらぎ荘の住民の一人『荒覇吐(あらはばき)吞子(のんこ)』という女性はプロの漫画家で、今描いている読み切り作品のキャラクターのポージングのモデルをやってほしいとの事であった。

 

「お前がやれ」

 

 憂助はバッサリと切り捨てる。

 

『それが、そうはいかねえんだよ……そのキャラクターってのが剣の達人って設定で、吞子さん的にはちゃんとやってる奴のピシッとしたポージングを見たいっていうんだ。俺だとどうしてもオーバーアクションになるらしくてさ』

「お前ずっと前に、いろんな幽霊に取り憑かれていろんな技術覚えさせられたとか言うとったやねえか」

『全部って訳でもねえよ。中には素質がなくて覚えきれなかったやつとかもあるし、剣道家の幽霊には取り憑かれた事もなかったしな。教本とかDVDとかだと角度も限られるから、生で見ておきたいって吞子さんがうるさくってさ……引き受けてくれたら、お礼に今日の昼飯は俺がカツカレー作ってやるよ』

「今からそっち行くわ」

 

 憂助は電話を切ると身支度を整え、父に一言言ってからゆらぎ荘へ瞬間移動した。

 コガラシは憂助を201号室へ案内する。そこが荒覇吐吞子の居室兼仕事場である。

 

「吞子さーん、モデル連れて来ましたー」

 

 コガラシが呼び掛けると、戸が開かれて荒覇吐吞子が飛び出して来た。

 

「あ~ん、ありがとうコガラシちゃぁ~ん! 助かるぅ~!」

 

 間延びした口調で感謝の言葉を述べた吞子は、憂助の方をチラリと見た。

 

「あら、この前の子じゃな~い。確かクガユースケちゃんだっけぇ~? 今日はごめんなさいね~」

「いえ、お気になさらず」

 

 憂助はペコリと頭を下げてそう言った。

 吞子はデジカムを手に、二人を裏庭へと連れていく。

 

「今描いてる読み切りが時代劇でぇ~、身分違いの恋に落ちたお侍と町娘が駆け落ちするって話でぇ~、ラストの追っ手を蹴散らすシーンが上手く描けないのよぉ~。漫画に大事なのはリアリティだって岸辺露伴先生も言ってるしぃ、そーゆー訳だから、お願いねぇ、ユースケちゃ~ん」

「うっす」

 

 憂助は素っ気なく答え、右手をサッと横に振る。掌から、木刀が滑り出た。吞子が「すごぉ~い!」と呑気な声を上げた。

 

「それじゃあコガラシちゃんは敵役お願いねぇ~」

「え、俺もっスか?」

「主人公と敵役の位置関係とかも確認したいのぉ~」

「徹底してますね」

「漫画に大事なのはリアリティだって岸辺露伴先生も言ってるしぃ~」

「ま、まぁ、岸辺露伴がそう言うんなら……」

 

 岸辺露伴はあの週刊少年ジャンプで『ピンクダークの少年』というタイトルの漫画を描いている大物作家だ。霊媒体質が災いして悪霊に悩まされ、霊能力修行と借金返済に追われる壮絶な幼少期を過ごしたコガラシですら名前を知っている。

 その岸辺露伴の名前を出されて納得したコガラシは、玄関から箒を持ってきて、それを得物とした。

 

「それじゃあ、ヨ~イ、アクショ~ン!」

 

 吞子の今一緊張感に欠ける合図と共に、撮影が始まった。

 コガラシが箒で斬りかかり、それを憂助が木刀で、ある時は受け止め、ある時は受け流し、ある時は打ち払う。

 そして反撃に出る。

 小手。

 胴。

 面。

 突き。

 いずれも寸止めである。

 見事な動きだった。対峙するコガラシですら、気が付いたら木刀が迫っていて、いつ動いたのかわからなかった。

 様々な角度から撮影する吞子も、デジカム越しに見とれていた。

 撮影が終わると、コガラシは憂助への報酬であるカツカレーを作るために、厨房へと向かった。

 

「ありがとうねぇ、ユースケちゃん。凄くカッコ良かったわぁ~!」

「あざます」

 

 憂助は素っ気なく答えた。

 

「剣道か何かやってるのぉ?」

「その何かの方っス」

「何かってなぁ~に?」

「……念法っス」

 

 隠すのも面倒くさいし、ゆらぎ荘の住民なら話しても問題あるまいと判断した憂助はそう答え、それがどういう武術なのかも簡単に説明した。

 

「ふぅ~ん、思念を力に変える技ねぇ~……」

 

 説明を受けた吞子は、

 

(……なぁ~んか、どこかで聞いた覚えがあるわねぇ~)

 

 そう思った。

 記憶の糸を手繰っていくうちに、眉間にシワが寄った。

 

(──思い出したわ。アホ親父がよう愚痴っとったやつやないの……せやけど、念法がこの子の説明通りなら、まぁわからんでもないわぁ……)

 

 思い出すのも腹立たしい髭面が脳裏に浮かび、吞子はそれをすぐに掻き消した。

 

「ところでぇ~、幽奈ちゃんのあの神棚、ユースケちゃんが買ってあげたんだってぇ?」

 

 そして二度と思い出したくないので、強引に話題を変えた。

 

「ええ、まぁ」

「幽奈ちゃんのために、ありがとうねぇ~。原稿料入ったら、お姉さんがお金払うからねぇ~」

「お構い無く」

「そうはいかないわよぉ~、五万円なんて大金だし、高校生なら尚更でしょぉ?」

「いえ、別に。小学生の時からやってる五百円貯金がだいぶ貯まってましたんで」

「そうなのぉ? だいぶってどれくらい?」

「神棚買うても、まだ四十万くらい残ってます」

「あらぁ~、お金持ちねぇ~! そんなに貯まってるなんて無駄遣いしてない証拠よぉ? 偉い偉い♪」

「あざます」

 

 吞子は憂助を抱き寄せて頭をよしよしと撫でるが、憂助の態度は変わらず素っ気なかった。

 

「もぉ~、ユースケちゃんもっと愛想良くした方がいいわよぉ? 絶対女の子にモテるからぁ」

「前向きに検討しときます」

「はぁ~い、素直な子はお姉さん大好きよぉ~?」

 

 吞子はそう言うと更に憂助にくっつき、頬擦りまでやり始めた。華麗な剣技を見せた少年のツンツンした態度が、妙に可愛らしく見えるのだ。(うぶ)な反応を見せるコガラシとも、すぐに鼻の下を伸ばし、下心を剥き出しにした、過去に出会った男たちとも違うこの反応が新鮮で面白かったのもあるが。

 

 その後、コガラシの作ったカツカレーで腹を満たした憂助は、軽い足取りでゆらぎ荘を出た。

 それをコガラシと吞子が見送った。

 しかし、憂助の背中に注がれる吞子の眼差しには、いつもとは違う険しさがあった。

 

(……肌で感じ取れる限りでは、いいとこ千を越えるかどうかかぁ……あの子、ほんまに御三家相手に張り合えるんやろか?)

「──うちやっぱり、騙されたんかなぁ」

 

 思わず声に出た。

 コガラシが振り向く。

 

「何スか?」

「ん~ん、独り言よ。気にしないでぇ?」

 

 吞子はケラケラと笑って誤魔化し、原稿を仕上げるためにさっさと自室へと戻っていった。

 コガラシは取り残されて、ポカンと口を開けている。

 

「……今の、京都弁か?」

 

 何と言ったのかはよく聞こえなかったが、発音からなんとなくそう思った。

 

 

 日曜日。

 千紗希は道の駅の片隅の『迷ひ家』を訪れた。

 

「いらっしゃい」

 

 しかし、出迎えたのは店の手伝いをしてるはずの憂助ではなく、その父の京一郎だった。深草色の作務衣を着て、新聞を読んでいる。店内にはアイドルの歌が流れていた。

 

「あ、こんにちは……あの、久我くんは……」

「憂助やったら隣の工房におるよ」

「ありがとうございます」

 

 千紗希はペコリとお辞儀をすると、出入り口の右手にあるサッシを開けて、渡り廊下を通って工房に移動した。

 中では紺色の作務衣を着た憂助が、たくさんの木の実を加工してやじろべえや起き上がりこぼしなどを作っていた。

 しかし、千紗希に気付くと手を止め、ジロリと睨み付けた。

 

「店はあっちだ」

「うん、わかってる。でもそうじゃなくて、久我くんにこれを渡したくて……」

 

 千紗希は鞄の中から、ビニール袋を取り出した。

 中にはカレーパンがキッチンペーパーにくるまれて、三つほど入っていた。

 

「この前助けてくれたお礼に、カレーパン作ったの」

「……カレーパンっちゃ、家で作れるもんなんか?」

「うん、作れるよ? 初めてだからちょっと手間取ったけど、味は保証するよ?」

 

 そう言って、千紗希は手作りカレーパンの入った袋を、憂助に手渡した。

 恐らく休憩場所なのだろう。プレハブの奥に折り畳み式の長机とパイプ椅子が置かれてあり、そのそばには水道と流し台もある。憂助はそこで手を洗ってから、カレーパンを食べ始めた。

 千紗希も向かいの椅子に座る。

 黙々とカレーパンを頬張る憂助の顔は、どちらかと言えば男臭い、いかつい造形に反して、妙に幼く見えて、千紗希は知らず知らず口角が上がった。

 

「どう? 美味しい?」

「おう」

 

 憂助の返答は素っ気ないが、ひたむきに食べる様を見れば、満足しているのが一目瞭然だ。初めてのカレーパンが好評なようで、千紗希はホッとした。

 しかし、ふと憂助の右肩に目がいった。

 

「久我くん。右の肩、ほつれてるよ?」

「あん?」

 

 憂助は首を捻って、右肩を見る。確かに作務衣の縫合部分の糸がほつれて、小さな穴さえ空いていた。

 

「長いこと着とうきのぉ、ま、しゃーねえ」

「貸して? 縫ってあげる」

「おう」

 

 憂助は作務衣の上を脱ぎ、千紗希に渡した。下にはグレーのシャツを着ているので、女の子の前で上半身裸になるような事もなかった。あっさり脱いだのもそのためである。

 千紗希は鞄から携帯式裁縫セットを取り出した。ピンク色の小さなケースの中に、糸と針、ハサミや糸通しまで入っている。

 上着を受け取ると、針に糸を通して縫い始めた。

 憂助はその様をじっと見ている。

 

(……母ちゃんっち、こんな感じなんやろか)

 

 ふと、そんな事を思った。

 

(──くだらねえ)

 

 思った直後に、胸の内でそうぼやいた。

 同い年の少女に、写真でしか知らない母を重ねるなど、馬鹿馬鹿しいにも程がある。高校生にもなって、女々しいにも程がある。

 憂助は口をへの字に曲げた。

 そうやって感情の高ぶりや揺らぎを抑え込むのが、少年の癖であった。

 しかし、自分の服のほつれに気付き、当たり前のようにそれを縫ってくれる千紗希の姿に、安らぎのようなものを感じたのも、事実である。

 

「はい、出来たよ」

「おう、すまんの」

 

 憂助は上着を受け取り、着直した。

 

「ううん、久我くんにはいつも危ないところを助けてもらってるもん。これくらいお安い御用だよ」

 

 裁縫セットのケースを鞄にしまいながら、千紗希は朗らかに言った。どうやらさっきの憂助の視線には気付いてないらしい。

 

「そういえば、こゆずちゃんから聞いたけど、久我くんが作ったオモチャもお店に出すんだって?」

「YouTubeで見て面白そうやったき作ってみただけだ。そげ大した代物やねえ。この店自体が親父の道楽で、大したもんやねぇがのぉ」

「でも、いろんな物を作れるのは立派だと思うよ? こゆずちゃんに新しい笛を作ってあげて、確かゆらぎ荘の玄関の竹の風鈴も、久我くんが作ったんでしょ?」

「まぁの」

「あの絵は?」

 

 千紗希は作業場の端に置かれた山並みや川辺を描いた風景画を指差して、聞いた。

 

「あれも俺だ。後でカラーコピーして、額縁に入れて店に並べる──端金(はしたがね)にもならんやろうけどの」

「そんな事ないよ。凄く綺麗だし、きっと人気出ると思うよ?」

「おい、おだてても木には登らんぞ」

「おたててなんかないってば」

 

 千紗希はコロコロと笑った。憂助が照れているように見えたのだ。

 じっと真正面から、憂助の顔を見る。

 太く、濃い眉毛と、がっしりした顎。男臭い、いかつい顔つきだ。

 言動もぶっきらぼうで素っ気ない。

 なのに、この少年が妙に可愛らしかった。

 

「何か。俺の顔が親の仇にでも見えるんか」

「ううん。何かね、久我くんって可愛いなぁって思って」

「張っ倒すぞ」

「ごめんごめん。でも何て言うかな……久我くんって笛も絵も上手で、いろんな物を作れて、そういうの、凄く素敵だと思うの。だから恥ずかしがらずに、もうちょっと胸を張ってもいいと思うよ?」

「……うるせえ。いらん世話だ」

 

 憂助は顔を背けて立ち上がった。

 そして作業場に戻り、途中だったやじろべえの製作を再開する。

 しかし千紗希は、目ざとく見ていた。

 立ち上がった時の憂助の頬に、赤みが差していたのを。

 

「じゃあ久我くん、アタシ帰るから──頑張ってね」

 

 作業する憂助に後ろから近付きそう言うと、軽く抱き締めて、頭をよしよしと撫でてやった。

 臨海学校で友人二人に、憂助の事は弟みたいに思っていると言ったが、今、その感覚は更に強まり、庇護欲に近い感情になっていた……。

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