日が暮れて夜の
噴水のそばのベンチに、奇妙な風体の人影が二つ。
ベンチに座っているのは、黒いインバネスコートを着込んだ中年の男。コートと同じ黒の鳥打ち帽も被っている。
もう一人もコートを着込んでいる。ファー付きのフードを被って口元もマフラーで隠しているので、顔はわからない。体つきもほっそりしていて、男女の判別が付かなかった。
「そうか、葉札が全て取り除かれたのか……」
ベンチの男がそう言うと、相手はコクンとうなずいた。
「もう一度仕込み直す必要があるんだけど、今夜はみんなずっと家にいるみたい。それにあの男の人、何て言うか……妙に勘が働くみたい。おじさんの仕込みも消しちゃったんだ」
「なぁに、あんな物はただのオマケ。雰囲気を盛り上げるための演出装置にしか過ぎんよ。私に任せなさい。アイツ等を全員家から追い出してあげよう。その間に、葉札を仕込むといい」
「だ、大丈夫かな……他の家に狙いを変えた方が……」
「そんな風にすぐに音を上げて諦めてばかりでは、いつまで経っても上達しないよ? いいから私に任せておきなさい」
「……うん、そうだね。ありがとうおじさん。僕も頑張るよ!」
「その意気だ」
背丈の割りに幼い口調の相手に微笑むと、鳥打ち帽の男は懐からソフトボールほどの大きさの水晶玉を取り出した。
「なぁに、どんな霊能力者でも私の敵ではないよ」
水晶玉に手をかざすと、玉の内部で不可思議な紫色の光が灯った……。
◆
宮崎千紗希は書斎のドアの前に立った。既に制服から部屋着に着替えており、その上からエプロンも付けている。
ドアをノックしようとした時、中から久我憂助の声がした。
「開いちょうぞ」
その言葉に一瞬驚いたものの、気を取り直してドアを開ける。
憂助はカーペットの上で座禅を組んでいた。その組まれた足の上に木刀を置いている。よく見ると柄の部分に――恐らくは手彫りで――『獅子王』の文字が彫られていた。
「どうした」
「あの、これからお夕飯作るんだけど、久我くん何かアレルギーとかで食べられない物とか、嫌いな物とかある?」
「俺の飯はいらん」
「でも、お昼だって食べてないでしょ?」
「平気だ。一週間断食した事だってある」
「で、でも……」
なおも食い下がり、何かを言おうとする千紗希。自分のために見えない敵と戦ってくれる少年をのけ者にして、自分たちだけで食事をするのがはばかられるのだ。
しかし久我憂助は、苛立たしげに目を細めた。次いでこめかみを人差し指でポリポリと掻く。
「……握り飯を二つ作って持ってこい。具は入れんでいい」
「うん、わかった」
それが彼なりの譲歩なのだと察した千紗希は、コクンとうなずいた。
久我憂助は見向きもせずに、書斎の真ん中で目を閉じて――また開いた。
「来た」
「え?」
何が? と聞こうとした千紗希だが、そう問い掛ける前に答えがわかった。
ズズンッ!
地響きが突如聞こえたかと思うと、家が激しく揺れ出したのだ。
まるで巨人が家全体を掴んで、上下に揺さぶってるかのような激しさだ。
バランスを崩した千紗希は、後ろに倒れてしまう。その先には本棚があり、後頭部を強打しそうになるが、その前に久我憂助が彼女の腰に左腕を回して、抱き止めてくれた。
憂助は木刀を右手で上下逆にして握っている。
「イィーー……エヤァッ!」
鋭い掛け声と共に、木刀の切っ先をカーペットに突き立てた瞬間、地震は発生した時と同じように、突如としてピタリと収まった。
千紗希が室内を見渡すと、立っていられないほどの揺れだったのにも関わらず、棚の中に陳列された本も、机の上のペン立ても、全く動いていない。
階下から、玄関のドアの開く音と二つの足音が聞こえた。恐らく芹と博子が逃げ出したのだろう。つまり、今の揺れは実際に起きた事のはず……。
困惑する千紗希を残して、憂助は書斎を飛び出した。
行く先はすぐそばの千紗希の部屋。
乱暴にドアを開けると、閉めていた窓が開かれて、フードとマフラーで顔を隠したコート姿の人物がそこにいた。
右手には木の葉を、左手には千紗希が『ナゴさん』と呼んでいるニシキアナゴのヌイグルミを持っている。
そしてそいつは、突然の闖入者に驚き、立ち竦んでいた。
「イヤァッ!」
気合い一閃、憂助の木刀が唸り、相手の肩口を鋭く打った!
直後、侵入者は声も立てずにその場に昏倒した。
「く、久我くん……?」
後からやって来た千紗希が、ドアから部屋の中を覗き込む。
「まずは、一匹」
憂助は木刀の切っ先で相手のフードをめくり、マフラーを下ろす。
現れた顔は――狸だった。
◆
公園のベンチには、インバネスコートと鳥打ち帽の男が未だに座っていた。
足下に、水晶玉が転がっている。
「“天狗揺すり”が破られるとは……何者だ、あの小僧……」
呻きながら水晶玉を拾い上げた。
突然の揺れに対して憂助が木刀で書斎の床を打った瞬間、男の手に衝撃が走り、玉を落としてしまったのである。
「あのチビ狸も捕まった……口を封じねばビジネスに影響が出る」
男は再び水晶玉に手をかざした。
透明な内部に、怪しい光が灯る。光が強まっていくと、男の足下に陽炎のような
「ターゲットはこの家だ」
煙に向かって男が水晶玉を差し出すと、内部に宮崎家が映し出された。
「今家の中にいる者を――この娘以外は皆殺しにしろ」
次いで、千紗希の顔が水晶玉に映る。
獣の形をした黒煙は、爛々と輝く真っ赤な両目でそれをじっと見ていた。
◆
宮崎家のリビングに、一同は集まっていた。
四人の目線は、ソファに座る一人の幼い女の子に集中している。
丈の短い半袖の着物を着た、見た目は十歳かそこらの女の子だ。しかし頭には狸の耳が、尻からは狸の尻尾が生えている。
彼女の名前は
化け狸は五歳を過ぎると自然と人間に近い姿になる。
その後、木の葉を使った妖術『葉札術』を学び、十歳になると人間に化けて一人で生きていかなくてはならないのだ。
「十歳って、まだ子供なのに……」
こゆずからの説明を聞いて、千紗希は驚いた。
「畜生なら充分大人だ」
しかし久我憂助はそう否定した。
「で?
木刀を突きつけると、こゆずは震え上がった。
「そ、それは……僕、変化の術が苦手で、どうしても大人の姿に上手く化けられないんです! でも本来の姿だと子供扱いされちゃって……!」
「どう見ても小学生くらいやしの。で?」
「何とか変化の術を上達させないとって思ってた時、千紗希ちゃんを見掛けて、ヌイグルミに葉札を仕込んで千紗希ちゃんの事を研究してたんです……僕、どうせなら千紗希ちゃんみたいな可愛い子に化けたいし、それに 」
「誰かに言われたんやろ、あの家の
「…………」
不意にこゆずは口をつぐんだ。しかしその沈黙こそ、何よりも雄弁な答えだった。
「霊道を操作してこの家に誘導させて、さっきもおかしな地震を起こしてたな。そいつは誰だ。どこにいる」
こゆずは答えない。下を向いて、ぐっと唇を引き結ぶ。
「いいか」
憂助は木刀でこゆずの額を小突いて、顔を無理矢理上げさせた。
「俺はこいつの事は何も知らん。こいつも俺の事は何も知らん。お互いの音楽の好みすらわからん、赤の他人やった。今日会ったばかりやきの――逆に言えば、その赤の他人にすがるほど怖い思いして、追い詰められとったっち事ぞ。お前らが、そこまでこいつを追い詰めた、何の罪もない人間をの」
「……!」
こゆずは千紗希の方を見た。
そして、すぐに目線をそらす。
「お前は宮崎に恨みがある訳やねかろうが。悪いと思ってるなら、全部吐け」
「――い、いやだ! だっておじさんは、僕が妖怪だってわかっても優しくしてくれたんだ! 変化の術もきっと上手くなれるって言ってくれたんだ! この家の人たちなら、失敗してもひどい目に遭わせたりはしないだろうから大丈夫だよって言って教えてくれたし……あ」
こゆずは途中で、自分が半ば自白している事に気付き、口を手で塞いだ。
「つまりそのおじさんってのは、人間の男って訳だな」
「し、知らないもん!」
「言いたくねえなら言わんでいい……向こうから来たみたいやしの」
憂助はサッシから、夜闇に包まれた庭を見る。
他の者も釣られて振り向くと、闇の中に二つの赤い光が灯っていた。
「そのチビ連れて上に行っとけ」
千紗希たちに命じて、憂助が立ち上がった。
赤い光はサッシのすぐ前にいた。部屋からの明かりで姿もわかりそうなものだが、四本足の獣らしいという事以外、まるでわからなかった。
そしてソイツが前足をサッシに掛けると、隙間から黒い煙が室内に入ってきた――否、ソイツの前足が煙に変じて侵入してきたのだ!
「さっさと行け!」
立ち竦む三人に、憂助は煩わしげに怒鳴り付けた。
千紗希がこゆずを抱き上げ、芹がリビングのドアを開ける。
――開かれたドアのノブに、黒い煙が巻き付いた。それは人間の手を形作って、しっかりとノブを握り、驚く芹の目の前で彼女を嘲笑うようにドアを閉めた。
煙はサッシから、触手のように伸びていた。
「エヤァッ!」
憂助が木刀を打ち付けると、煙の腕はスパッと切断される。
そしてまた元の煙に戻り、サッシの隙間から侵入を果たしつつある本体に取り込まれた。
「化け物が!」
憂助はその本体の頭目掛けて木刀を振り下ろす。しかし敵は体を煙に変え、四方八方に散ってかわした。
散り散りになった煙は、芹と博子に襲い掛かる。
二人は煙が変じた縄に首を絞められ、そのまま宙に釣り上げられた。じたばたと足をばたつかせるが、それは文字通りの無駄な足掻きでしかない。縄を外そうにも、それは確かに自分たちの首に巻き付いているのに、手は煙の中に突っ込んでいるかのように、何の手応えもないのだ。
そして千紗希にも……否、彼女が抱き抱えているこゆずにも、怪物の魔の手が伸びようとしていた。
煙の塊が狼の頭部を形作り、牙を剥く。
千紗希はこゆずを庇うように、その場にうずくまった。
憂助は木刀を脇構えにして、目を閉じた。
精神を集中させて、体内の力の流れを意識する。
「久我流念法、太刀風!」
木刀を真横に振り抜いた瞬間、凄まじい風がリビングの中を縦横無尽に吹き荒れた!
不可思議な烈風が少女たちを襲う煙を吹き飛ばす。
煙は天井の隅に集まっていく。そこにいち早くあの赤い光が移動しているのを、憂助は見ていた。
「久我流念法、流れ星!」
直感による行動だった。
槍投げの要領で投擲した木刀は真っ直ぐに飛翔して、その二つの光点の真ん中を貫く!
「ぎぃやぁぁあああああっ!」
おぞましい絶叫が響き渡った。
そして同時に、あの黒い煙も赤い光も消えた。
カラン、と木刀がフローリングの床の上に落ちた。憂助はそれを拾い上げ、見えない汚れを落とすかのように、左手で刀身を拭った。
「や、やっつけたの? 久我っち」
博子の問いに憂助は答えない。その代わり、彼女の頭を木刀でコツンと軽く叩いた。
「その呼び方はやめれっち言いよろうが」
◆
「襲煙鬼が、やられた……!?」
公園のベンチで、男は信じられないと言いたげに呻いた。
水晶玉には、彼が今しがた『襲煙鬼』と呼んだ怪物の見ている風景が映し出されていた。天井から見下ろす形で。
その映像が途切れたのだ。
「何なんだ、あのガキは……うん?」
パタパタと近付く足音に、男は水晶玉から顔を上げた。
駆け寄ってきたのは、こゆずだった。
「おじさん!」
「……こゆずちゃん。上手く逃げ出せたようだね、良かった良かった」
男は優しく声を掛けるが、こゆずは彼を険しい目付きで睨むだけだった。
「おじさん、どうして僕を殺そうとしたの? 僕たち、友達なんじゃなかったの?」
「何を言ってるんだい。
「嘘だ! あの煙の怪物、僕を殺そうとしてた! 僕が捕まったから、邪魔になったんだろ!」
――チッ
舌打ちの音が響いた。
「そこまでわかったのなら、何故ノコノコと私の所に戻って来たんだ? まさか、一言文句でも言わなきゃ気がすまないとでも言うのか? 出来損ないの化け物が」
「…………!」
「どうせ殺処分する予定だったからな。遅いか早いかの違いでしかなかったんだよ」
「どういう、事?」
「あの家の娘を怪奇現象で怖がらせて、追い詰めて、私がその怪奇現象を解決する。そうすればあの親子は感激して、私の望むままに金を貢いでくれるだろう。その怪奇現象の原因を、君に全ておっ被せて始末するつもりだったんだよ。一から十まで自分で仕込むと、思わぬところでボロが出るからね」
「そ、そんな……嘘だ! だって、だっておじさんは……お、おじ、おじさん……!」
そこから先は、言葉にならなかった。
こゆずのクリッとした大きな目から、涙がポロポロとこぼれ落ちていた。
「これでハッキリしたな」
夜闇の向こうから、別の声がした。
外灯の明かりの下に姿を現したのは、久我憂助。右手に木刀を手にしている。
その背後に、千紗希たち三人の姿もあった。
千紗希が飛び出し、こゆずを抱き上げる。
「これはこれは……逃げ出したのではなく、奴を道案内していたという事か。ふん、貴様だって結局、俺を裏切ってるじゃあないか」
「言っておくが」
こゆずの代わりに憂助が答えた。
「裏切ってなんかいない。そいつは
「こんな小さな子を騙して利用して、殺そうとまでするなんて……最低よ!」
千紗希はキッと男を睨み付ける。
しかし男は、ただクックッと笑うだけだった。
「やれやれ、これでは金を搾り取る事は出来そうにないな……だがまぁ、鴨はそこら中にいる。私の力なら、信者などいくらでも増やせる。だがその前に、お前等には消えてもらわんとな」
水晶玉が光り始めた。
その輝きが強まるに連れて、噴水の水面がざわつき始めた。
水が溢れ出し、公園の広場を水浸しにした。
その、水深数ミリあるかないかの水面に、映画で見た事のある物体がニョキッと生えてきた。
鮫の背鰭だ。
「喰い殺せ、
鮫の背鰭が、男の命令に従って水面を滑るように動き始めた。
そしてこゆずを抱いた千紗希に狙いを定める。
突如水面から、水柱を上げて鮫が姿を現した。体長四メートルはある。普通の鮫と違うのは、水深がほんの数ミリしかない水の中を泳ぐ事と、左右に四つずつ目がある事だった。
大きく開かれた口には、鋭い牙が三列も並んでいる。
千紗希はこゆずを強く抱き締めた。
「エヤァッ!」
鋭い気迫と共に、その鮫が真横に吹っ飛んだ。
憂助の木刀の一撃が、千紗希とこゆずを救ったのだ。
憂助はこゆずを抱いたままの千紗希を小脇に抱えて跳躍した。
そして、離れた所にあるベンチの上に着地した。
「ここにいて、じっとしてろ」
言い残して、自分は水の膜が張られた地面の上に降り立つ。
鮫は水中に巨体を潜らせ、姿を隠していた。
だが、薄い水面は未だ波立ち、魔物が隙をうかがっているのだとわかる。
「ちょっと久我っちー! 早くやっつけてよー!」
外灯をよじ登って避難した博子が叫ぶ。その下に芹もいた。
憂助は答えず、見向きもせず、木刀の切っ先を足下の水に浸ける。
「久我流念法、昇り龍!」
振り上げられた木刀にいざなわれるように、広場を覆う水が吸い上げられて、憂助を中心とした竜巻となった!
「イィーーエヤァッ!」
水竜巻の中で、憂助の声が響く。そして、真っ二つに斬り割られた鮫の巨体が、水竜巻の中から弾き出された。地面に落ちた死体はその場でドロドロに溶けて、骨も残さず消滅する。
水竜巻はそのまま、まるで龍のように身をくねらせて噴水の中に戻っていった。
地面は、まったく濡れていない。乾いたままだ。
「ば、馬鹿な……!」
「おい」
狼狽する男に、いつの間にか背後に接近していた憂助が声を掛ける。
男が反射的に振り向いた瞬間、木刀が翻り水晶玉を打ち砕いた。
「ひいいいっ!」
情けない声を上げ、男は逃げ出そうとする。だが遅かった。
「天誅!」
憂助の両手打ちが稲妻の如く額に炸裂する。
顔に赤い筋を垂らしながら、男は昏倒した。
「お見事」
太い声があった。
振り向いた憂助の前に、頭巾を被り錫杖を手にした僧侶が四人立っていた。今の賛辞は、先頭の男が発したようだ。その男が頭巾を下ろし、顔を見せた。鷲鼻で眉の太い、厳つい顔つきだった。
「拙僧は
「私は
「
「私は
続いて他の三人の僧侶も自己紹介をした。
その後赤蓮が錫杖で倒れている男を指し示す。
「そして、たった今あなた様が打ち倒したそれなる不埒者が
「
「我等は厳しい修行によって授かりし法力で、悪霊に悩まされる人々を救い、その悪霊もまた成仏させる事で罪の穢れから救う事を目的としております。その者は優れた降魔僧でしたが、己の力を鼻に掛け傲慢な振舞いをするようになり、無償で救うべき民草より金品を受け取るようにまでなったため破門された身。しかしそれを恨みに思った白朗はあろう事か、救沌衆の宝物の一つであった霊光玉を盗み、
憂助の背中に、嫌な汗がじっとりと浮かんだ。
「そのレーコーギョクっちゃあ……」
「あなた様がたった今打ち砕いた水晶玉にござる。されどご安心を。我等一同、その事を責めるつもりはありませぬし、そのような資格もございませぬ。本来、白朗の悪行は我等が正すべき事でござった。それを押し付ける結果になってしまい、申し訳なく思っております」
赤蓮はクルリと千紗希の方を向いた。
彼がその場に正座すると、他の三人の僧侶もそれにならう。
「救沌衆の一員として、あなた方にも深くお詫びを申し上げます」
そして、一斉に土下座をした。
話についていけず困惑する千紗希たちをよそに、僧侶たちは立ち上がり、倒れたままの男を縄で縛り上げた。
「そいつ、どうすんだ」
「我等はあくまでも、この者を捕らえるのが役目。処分については総本山が決める事です……しかし、二度と下界に戻る事はありますまい」
「言うたの? 今度そいつの面ぁ見掛けたら、たとえ改心してボランティアのゴミ拾いやってる最中でも、こいつをくらわすきのぉ」
憂助は木刀を軽く掲げて言った。
「ご随意に。では、これにて……それと、よろしければご尊名をお聞かせ願いたい」
「名乗るほどのもんやねぇが、まぁ、隠すほどのもんでもねえか……久我憂助。憂鬱の憂に助けるって字だ」
「良き御名前ですな」
「おう、おだてても木には登らんぞ」
赤蓮は、ただ微笑むだけだった。厳つい顔に似合わぬ、優しい笑みだった。
◆
翌日。
湯煙高校の正門を憂助がくぐると、前方に千紗希が立っていた。
「おはよう、久我くん」
「おう」
「こゆずちゃんはどうしてる?」
「家で留守番。しばらくは番犬代わりに置いとくが、親父の知り合いにそっち方面で理解のある連中がおるき、その内そいつ等に預ける事になるかもな」
「そっかぁ……今度、遊びに行ってもいいかな?」
「やめとけ、俺ん家は山ん中やき、帰れんごとなっても知らんぞ。都合のいい日にこっちから行かせる」
「そう? ありがとう……あぁ、それと、これ」
千紗希が鞄から取り出したのは、袋に入ったクッキーだった。
「昨日のお礼に焼いてきたの。良かったら食べて?」
「……ん」
憂助はちょっと困ったような顔で受け取った。
二人は並んで、校舎に向かう。
「でも昨日は驚いたよね。あのお坊さんたち、何か凄い迫力だったもの」
「ああ、面に似合わず見え透いたお世辞言いやがって……何がいい名前だ」
「そうかな、あたしもいい名前だと思うよ?」
「どこがだ。憂助の憂は憂鬱の憂やぞ? 生まれた時、よっぽど辛気臭い顔しとったんやろ」
「でも憂鬱の憂は『憂い』とも読むでしょ? 『憂い』は哀しみって意味で、『憂える』と書けば『心配する』って意味になるの。つまり、『哀しんでいる人を助ける』とか、『人を心配して助ける』とか、そんな意味の名前になるから、やっぱり素敵な名前だと思うよ?」
「……ほぉー、そらいい事聞いた。試験に出るかも知れんき覚えとくわ……ありがとよ」
「どういたしまして」
千紗希はそう言って微笑んだ。憂助の頬に、かすかな赤みが差してるのを見たからだ。
名前を誉められて照れているのだろう。
(案外、可愛いところがあるんだ……)
そう思うと、昨日の怖いイメージが和らいだ。
校舎の正面玄関で、博子と芹が彼女に呼び掛ける。
「じゃあね、久我くん。昨日は本当にありがとう」
手を振って、千紗希は友人たちの方へ小走りに駆け出した。
久我憂助は、その背中を無言で見送った。