昼休み、宮崎千紗希は柳沢芹と三浦博子の二人と一緒に、校舎の裏庭で昼食を取っていた。植え込みの木が作る木陰の下でレジャーシートを敷き、弁当をつつきながらのガールズトークに花を咲かせている。
話題が、来週開かれる体育祭の話になった。
「久我くんは何に出るの?」
千紗希が横を向いて話を振る。
三人に背中を向けて、久我憂助が一人弁当を食べていた。
天気の良い日はここで昼食を取っているのだが、千紗希たち三人も『ここなら静かに食事が出来るから』と押し掛けてきたのである。ペチャクチャお喋りして全く静かではないのだが、自分に彼女たちを追い払う権利はないし、かと言って自分が場所を変えるのも何だか逃げるみたいで腹が立つので、やむを得ず同じ場所で昼休みを過ごしているのだ。
千紗希の問い掛けに対して肩越しに振り向き、ジロリと鋭い眼差しをくれる──が、千紗希は全く動じる風もなく、ニコニコしている。
「敵のお前らにそれ教えてどげするんか」
突き放すような返答をして、また食事を再開する。
「もー、久我っちは大袈裟なんだから」
「そうそう。んな堅っ苦しく考えるこたねぇーんだよ」
「……締めにやるクラス対抗リレーのアンカーだ」
ボソッと返ってきた答えに、芹と博子は「おおっ!」と声を上げた。
「なんだよお前、そういう事は早く言えよな~! 頑張れよ久我!」
「もう何ならチアガール姿で応援してやってもいいよ!」
「……は?」
二人の真意が掴めず、憂助は間の抜けた声を上げた。
「うちの組からは冬空くんが出ることになってるの」
「それでか」
「おうともよ! あのセクハラ星のセクハラ大魔王にキャン言わせてやってくれ!」
「あのエロ始皇帝、この前はうちの転校生のスカートの中に顔面ダイブしたんだから! ちょっと久我っち正義の鉄槌下してやってよ! その前なんかずっこけたふりして千紗希を押し倒しておっぱもがっ!?」
博子の台詞を遮るように、千紗希が弁当のチキンナゲットを一切れ、口中に押し込んだ。その頬が、恥ずかしい記憶で赤らんでいる。
「あたしの時も雲雀ちゃんの時もわざとって訳じゃないんだから、そういう言い方は良くないよ?」
「んなこたぁわかってんだよ。てかあんなの狙って出来る芸当じゃねえし」
「でも自分の意思とか関係なくあんなアクシデントが起こるんなら、相応の距離を保つべきでしょ。簡単に出来る対策すらしないんだったらわざとと同じよ、同じ!」
博子は押し込まれたチキンナゲットをよく噛んで呑み込んでから、そう続けた。そして自分の弁当から鶏の竜田揚げを一切れ、千紗希の弁当箱に移す。
「久我くん。気にしなくていいから、怪我だけはしないようにね?」
千紗希は憂助の背中にそう言うが、憂助は振り向きもせず、ただ右手をヒョイッと小さく挙げるのみだった。
◆
体育祭当日。
晴れた陽射しに、時折そよ風が吹き、絶好と言っても良い天気だ。
午前の部が終わり、昼休みになった。
憂助はいつもの場所で弁当を食べる。千紗希も一緒だったが、芹と博子はいない。
「他の二人はどげんしたんか」
「芹は応援団の打ち合わせで、博子は次の二人三脚に出るから最後のリハーサルだって」
「そうか」
そこで会話は唐突に終わったが、二人の間に気まずさはなく、黙々と自分の弁当をつついている。
先に食べ終わった憂助が弁当箱を風呂敷に包み、無言でごちそうさまの合唱をした。
千紗希もそれから二~三分ほどで食べ終わり、こちらも小さく無言でごちそうさま。
そして二人は、会話を再開するでもなく、のんびりとそよ風に涼んでいた。
が、千紗希は時折自分の肩をトントンと握り拳で叩いている。
「どげんしたんか」
「ん、さっきのパン食い競争で、肩が痛くなっちゃって」
「……ん?」
パン食い競争と肩の痛みが繋がらず、間の抜けた声が出た。
「えーっと、ほら……ピョンピョン跳び跳ねるせいで胸が揺れちゃって、それで、そのー……ブラジャーの肩紐が、その度に肩にくいこむから……」
「ああ」
頬を赤らめた千紗希の説明に、憂助は納得した。
体操服の上からでもはっきりとその存在をアピールする膨らみには、充分過ぎる説得力がある。
「女は難儀やの」
呟いた憂助は立ち上がり、千紗希の後ろに回って、その両肩に手を置いた。
目を閉じて、精神を体内のエネルギーの流れに集中させる。
練り上げた念を、掌から千紗希の肩へと浸透させていく。
はぁあ……。
千紗希の唇から、暖かな溜め息がこぼれ出た。
憂助の手から、暖かいものが流れ込んできて、肩の痛みが消えたのだ。
「うっし」
終わり、と言いたげに千紗希の肩をポンと叩いて、憂助は元の場所に座った。
「ありがとう久我くん。凄く楽になったよ」
「そうか」
「こんな事も出来るなんて、念法って本当に凄いんだね……何でも出来るんだ」
「何でもは出来ん──死んだ人間生き返らせたりも出来んしの」
そう言う憂助の声色がかすかに暗くなったように、千紗希には感じられた。
遺影でしか知らない母の事を思い出したのだろうか。
何か慰めの言葉を掛けてやりたくなったが、何も思い付かない。
抱き締めて頭を撫でてあげようかと思ったが、たぶん彼を怒らせるだけだろう。
結局、気付かない振りをするのが良いように思えた。
「ねぇ、久我くん」
「おう」
「最後のクラス対抗リレーに出るんだったよね」
「おう」
「怪我だけは、しないでね?」
「おう」
千紗希の心中などわかるはずもなし、憂助は面倒くさそうに単調な返事をするのみだ。
こんな愛想のない少年が、しかし千紗希は放っておけなかった。
◆
午後の部の最後、クラス対抗リレーが始まった。
冬空コガラシはアンカーの待機位置で同級生の走りを見守りながら、時折隣のレーンに目線をやる。
そこに憂助がいた。
幼少時から悪霊に悩まされ、八咫鋼としての修行や借金返済に追われていた彼にとって、普通の学校行事は楽しくてたまらない。今日はそれに加えて、「ガチで惚れた」と言い切れるほど尊敬し、信頼する男と競走出来る。まるで青春ドラマの主人公になったような気さえしてきて、俄然やる気が湧いてくるのだ。
「お互い頑張ろうぜ、久我」
声を掛けたが、憂助は面倒くさそうに「おう」と答えるだけ。しかし自分のチームのレース運びを見つめる鋭い目付きに、
(もうガチモードに入ってやがる……すげえ集中力だ……!)
と、逆にますます尊敬の念が強まるコガラシであった。
やがて各クラスのバトンが、アンカーに回って来た。
コガラシはクラスメートからバトンを受け取り、走り出す。
憂助もかなり遅れて──最後のスタートとなった。何を思ったかスニーカーと靴下をその場に脱ぎ捨て、バトンを受け取り裸足で走り出す。
コガラシは早くも二人抜き去り、先頭を行くランナーも追い越そうとがむしゃらに走るが、相手は陸上部員のようで、走るフォームも様になっており、なかなか距離が詰められない。
「冬空ー、頑張れー!」
そこへクラスの応援席から、兵藤聡の声援が飛んでくる。
「この前ひったくりのバイクを走って捕まえた時のパワーを見せてやれー! お前なら勝てるー!」
そう叫ぶ兵藤に、コガラシの力を知る何人かの同級生も同調して声援を送る。
だがそれ以外の生徒は、そんな彼等を冷ややかな目で見て、中にはクスクスと笑う者もいた。
(ダチの顔に、泥は塗れねえよな……!)
自分をアンカーに推薦したのが兵藤で、それも彼自身が言ったように、以前ひったくりのバイクをコガラシが走って捕まえたのを目撃したからだ。彼の信頼を裏切る事は、出来ない。
コガラシの体から、見える者──誅魔忍の雨野狭霧や浦方うらら、二学期からコガラシや千紗希のいる4組に転校してきた、狭霧の従姉妹の雨野雲雀など──には見える、炎のような光が立ち上った。
それは八咫鋼の霊力だ。人間の身で、妖狐や鬼などの強力な妖怪とも対等に戦える神秘のパワー。コガラシはそれを、ほんの少しだけ開放した。
瞬間、コガラシは爆発的な勢いで加速して、先頭に追い付く。
応援席がどよめいた。
「すげえ、何だアイツ!」
「何かミサイルみたいにめっちゃ速い!」
「
「
聞こえてくるそんな声に違和感を覚えたコガラシの脇を、何かが通りすぎていった。
憂助だった。
前傾姿勢などというものではない。我が身を地面に投げ出さんばかりに、身体全体が限りなく地面と平行になっている。走った後には、裸足の指で地面を掻いて抉れた跡が残されている。前のめりになった身体が重力に従って倒れるそのベクトルを、地面を蹴る事で軌道修正して前進する力に変えているのだ。念法ではないが、念法修行で鍛えられた身体能力による技術ではあった。
(うおおっ、マジかぁっ!)
コガラシは思わず歯を剥くように笑った。
つくづく凄い男だ。惚れただけの事はある。
だが、だからこそ負けたくない。
惚れたからこそ、肩を並べたい。
コガラシは霊力を全開した。
更なる加速を得て、火の玉となって憂助に追いすがる。
しかし、力の開放がやはり遅すぎた。
もう少しで追いつけるというところで、憂助が張られたテープの下をくぐり抜けるようにして、ゴールインした。
最下位からの大逆転劇に、全校生徒が沸き立った。
一方、ゴールインした憂助は勢い余ってそのまま数メートルほどオーバーランして、地面に顔面からダイブした。
ムックリと起き上がり、フゥッと溜め息を一つ。しかしその表情には、勝利の喜びや達成感など微塵もなかった。
(ガラにもなくむきになってしもたわ……)
自分はその攻撃を捌くだけで精一杯だった黒龍神をあっさりと倒したコガラシへの、対抗心がそうさせた。
先週の博子の言葉も、頭の隅に引っ掛かっていた。
『ずっこけたふりして千紗希を押し倒しておっぱ──』
その後は千紗希に遮られたが、あれは『おっぱい触った』とでも言おうとしたのだろうか……そう考えると、何故かはわからないが、無性に腹が立ってくるのだ。
それもまた、憂助がむきになった理由だった。
「久我くん、大丈夫!?」
そこへ千紗希が駆け寄って来た。
「ああもう! あちこち擦りむいてるじゃない! ほら、早く手当てしないと!」
憂助の腕を取って立たせようとするが、憂助はその手を煩わしげに振り払った。
「触んな。俺が一人で立てんごとなるのは、そのまま死んじまう時だけてえ」
そう言い捨てて立ち上がり、手足や顔の砂埃を払い落とした(その様子を、コガラシが熱い視線で見つめていたが、それはまた別の話である)。
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ! ほら、こっち!」
しかし千紗希は引き下がらない。実際憂助は手足や顔に擦り傷をいくつも作っており、顔にいたっては、わずかながら出血までしているのだ。いつにない強引さで憂助の手を取って、保健委員が待機しているテントに引っ張る。
憂助は口をへの字に曲げつつも、それに従った。
「もう、怪我しないでねって言ったばかりなのに……」
「怪我すんなとは言われたが、怪我をせんとは言ってねえし、人間生きてりゃ怪我の一つ二つするもんやろが」
「屁理屈言わない! それに一つ二つってレベルじゃないよ!」
半ば怒鳴るように言いながら、千紗希は憂助を椅子に座らせ、濡れたタオルで傷口を拭いてやる。
途中から校医が交代して、傷の手当てを始める。千紗希はしかし応援席には戻らず、憂助のそばで見守っていた。
その気遣わしげな顔を見た憂助は、口をへの字に曲げて、プイッとそっぽを向く。
まるで、母親に叱られてへそを曲げる子供のようだ。
千紗希はそんな憂助を見て、心配のあまり、抱き締めたい衝動に駈られた。
そして、その代償行為であるかのように、憂助の肩に手を置いたのだった。