千紗希さんの悩み事   作:阿修羅丸

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積もる雪と千紗希さん

 洋風一戸建て住宅の、昼前から降り始めた雪が積もって白く彩られた庭。

 そこから響く釘を打つ音に、もし通行人が興味を持って生け垣から覗き込めば、恐らくぎょっとするだろう。

 雪が降る中で、高校生くらいの少年が簡素なテラスの修理をしている。下は制服と思わしき黒いズボンだが、上はグレーの半袖シャツなのだ。

 久我憂助である。

 ここは父・京一郎の知り合いである佐伯夫妻の家で、夫の正夫がDIYで作ったテラスが老朽化して来た。その修理を頼まれた京一郎が、憂助に学校帰りに行ってくるよう命じたのである。

「頼まれた本人が行けや」と言いたかった憂助だが、佐伯夫妻には世話になっている。高校入学の祝いに腕時計を買ってくれた恩もあるので、黙って父の言葉に従ったという次第である。天気の良い日にと考えなくもなかったが、天気予報では今夜から明日に掛けて大雪になると言う。雪の重みでテラスが潰れてはお手上げなので今日のうちに行く事にした。

 幸い、修理用の板は既に用意されてあったので、憂助はその板を傷んだ箇所と取り替えるだけで良かった。床板の修理が終わると、庭の隅の小さな物置から脚立を引っ張り出し、それを使って屋根板の修理も行う。

 作業は小一時間ほどで終わった。

 大工道具と脚立を物置にしまった憂助は、テラスを通ってリビングに戻る。

 

「わざわざありがとうね、憂くん」

 

 妻の敏子が温かいココアを用意してくれた。

 憂助はソファに座って、それをフーフーしながら飲む。

 飲み終わるとソファの背もたれに掛けていた制服の上着と、フード付きのモッズコートを着て、鞄を肩に提げ、敏子にココアの礼を言って帰ろうとした。

 しかし玄関まで見送ってくれた敏子が、財布から一万円札を取り出して憂助に差し出した。

 

「少ないけど、おはさんからのお小遣いとバイト代ね」

「おばちゃん。ありがてえけど、こら貰い過ぎばい」

「良いの良いの。うちの宿六(やどろく)*1がもっと早くからやってれば良かったのに……二ヶ月も前に材料買うだけ買っておいて、また今度また今度って先伸ばしにするんだもの。おかげでこんな日に憂くんに手間取らせちゃったから、そのお詫びよ」

「そげ言うんなら……ごっつぁんです」

 

 憂助は差し出された一万円札に左・右・真ん中と三度手刀を切ってから、両手で受け取った。

 佐伯家を出た憂助は、家路につく。

 住宅の屋根や並木、道路の路肩は雪が厚く降り積もり、歩く度にザクザクと音がする。風も吹き始めて来た。

 持参していた傘を差してしばらく歩くと──、

 

「よう、久我」

 

 不意に呼び止められた。振り向くと、こんな天気にふさわしい名前の男がいた。

 冬空コガラシだ。

 傘を差した彼の姿を見るなり、憂助は呆れたように言った。

 

「──お前、その格好はどげしたんか」

「えっ? 何か変か? いつも通りのはずだけどな……」

「このくそ(さび)い日に何故(なし)いつも通りの格好しとんかっち聞きようんてぇ」

 

 そう、コガラシの格好はいつも通りだった。制服の前を開け、袖と裾をまくっている。コートやジャンパーはおろか、マフラーや手袋すらしていない。

 

「いやぁ、コートとかそんなモン持ってねえからさぁ」

「買え。学校指定のウインドブレーカーならその辺の店のよりなんぼか安かろ」

「んな金もねえよ……」

「借りれ。仲居さんとか荒覇吐(あらはばき)の先生ならそんくれえ無利息無担保で貸してくれるやろ」

「うーん、確かにそうだけど……これ以上借金増やすのもなぁ……」

 

 借金返済のためのアルバイトで日々東奔西走するコガラシにしてみれば、必要不可欠で誰からも責められる謂れがなくとも、金を借りるという行為には躊躇いが生じるのである。

 憂助は唇をへの字に曲げると、鞄と傘を下ろし、着ていたモッズコートを脱いだ。それを叩きつけるようにコガラシに投げ渡す。

 

「それ着れ。くれてやる」

「い、いいのか?」

「お前が風邪引いたらゆらぎ荘の連中も困るやろが」

「そ、そうだな……サンキュー久我」

 

 コガラシはそう言って、憂助のコートを着て、フードも被ると、「じゃあまた明日な」と言って去っていった。

 鞄を肩に提げ、傘を拾って差し直すと、憂助も歩き出した。

 雪は依然降り止まず、早くも道路全体が雪に埋もれ始めている。しかし憂助は特に気にしない。それどころか『足腰の鍛練にちょうどいい』くらいにしか思ってない。何より、いざとなれば瞬間移動で飛べば良いのだから、気楽であった。

 

「あっ、久我くん」

 

 そこへ再び呼び止められて振り向くと、今度は宮崎千紗希だった。コートとマフラーを装備し、スカートの下にはタイツを穿いていた。傘を差す手にも手袋をしている。

 

「おう」

 

 憂助は素っ気ない返事を返した。

 何とはなしに、二人並んで歩き出す。

 

「……お前、今帰りか」

 

 少しして、憂助から問い掛けた。時刻はもう午後六時を回っている。帰宅部の下校時間にしては遅い。

 

「う、うん。ちょっと用事があったから……」

 

 千紗希はそう答えた。実は上級生に呼び出されて告白され、それを断るのに手間取ったのだ。芹と博子が助け船を出してくれたので何とか穏便に済んだ。それから三人で喫茶店に寄って気分転換のティータイムを過ごした後、二人と分かれて今に到る。

 

「久我くんこそどうしたの?」

「知り合いの家で大工仕事しとったらこげな時間になっしもた」

「そうなんだ……でもあたしが聞きたいのはそっちじゃなくて、なんでコートとか着てないのかって事なんだけど……」

「そっちか。さっきそこで冬空の阿呆に出会しての、あの阿呆こげな(さみ)い日でもコートとか何も着とらんかったき、俺のをくれてやったわ」

「そうだったんだ。もう、冬空くんも変なとこで無茶するんだから……」

 

 千紗希は呆れたように嘆息した。

 そこへ、風が強さを増して、雪の粒を叩きつけるかのような強風となった。

 傘を差したままではかえって危ないと感じた憂助は傘を畳む。

 しかし千紗希は、風でめくれそうなスカートを思わず押さえてしまい、その隙に傘を飛ばされそうになってしまう。

 憂助はそれを素早く掴んで畳むと、千紗希を抱き寄せた。

 

「飛ぶぞ」

 

 言うなり、二人は光に包まれてその場から消えた。

 そして宮崎家の玄関前に現れる。

 自宅の玄関を見て瞬間移動で送ってくれたのだとわかった千紗希は、礼を言おうと憂助の方を向き直って、固まった。

 ほんのわずかな時間とはいえ吹雪にさらされた憂助は雪まみれで、制服も半ば以上白くなっていた。

 

「久我くん、とりあえず上がって? 体拭いて制服も乾かさないと風邪引いちゃうよ?」

 

 鞄から取り出した鍵で玄関のドアを開け、憂助の手を引いて招き入れた。

 靴の中まで雪が入り込んでいたようで、憂助は靴下もびしょ濡れだ。

 

「久我くん、早く体温めないと……うちのシャワー使っていいから」

「いらん。お前が入れ」

 

 千紗希が持ってきたバスタオルで頭を拭き、靴下を脱いで足も拭きながら、憂助は突き放すように答えたが、

 

「いいから先に入って! 風邪引いてお父さんに心配させたくないでしょ!」

 

 と、千紗希はいつになく声を荒げた。

 憂助は口をへの字に曲げたが、それでも彼女の言葉に従った。

 

 

 リビングで髪を拭きながら、千紗希は溜め息をついた。

 

(冬空くんも割りと無茶しがちだけど、やっぱり久我くんの方がそれ以上だよ……)

 

 体育祭の時を思い出して、改めてそう思った。

 そこへバスルームからシャワーの音が聞こえてきて、どうやら憂助はちゃんとシャワーを浴びているようだと安心する。

 風は依然強く、庭に面したサッシがカーテンの向こうでガタガタと音を立てている。

 ふと母の事が心配になった矢先、見計らったように、スマホにその母から電話が掛かってきた。何でも数十年ぶりの大雪で明日までやまないらしく、電車も運休して身動きが取れないため会社に泊まるとの事である。

 通話が終わると、今の『数十年ぶりの大雪』というフレーズが妙に重くのしかかり、心細くなってきた。

 

「風呂上がったぞ。あんがとさん」

 

 千紗希が用意してくれた父用のパジャマを着て、憂助がリビングに入ってきた。

 彼の姿を見た途端、さっきまでの心細さが消えて、ホッとするのを千紗希は感じた。

 厚かましいのは百も承知だが、思いきって交渉してみる。

 

「あのね、久我くん……お願いがあるの」

「なんか」

「さっきママから電話があって、今夜は会社に泊まる事にしたんだって。パパも海外出張でいなくて、今夜はあたし一人なんだけど……こんな天気だからちょっと一人だと心細くて……」

「おう。で?」

「今夜、うちに泊まっていってくれないかな?」

 

 言われた憂助は、横目で壁時計を見た。あと十分ほどで、午後7時になる。

 7時からのお笑い番組に、ジャッカル富岡が出る。しかし、番組のいつ出るかまではわからない。千紗希の頼みを断り、瞬間移動で家に帰っても、今夜の夕飯は自分が当番だ。食事を作っているうちに出番を見逃してしまったら……録画予約はしてあるが、出来る事ならリアルタイムで見たいという欲があった。

 

「……しゃあねぇのぉ」

 

 そして憂助は、その欲に負けた。

 

 

 シャワーを浴びながら、千紗希は今の自分の状況を思い返し、クスッと小さく笑ってしまった。

 友人たちから『プチ男性恐怖症』などと言われている自分が、親がおらず一人きりの家に男性を招き入れ、泊まらせてまでいるのだ。

 

(芹や博子が聞いたら、きっとビックリするかも……)

 

 そう思うと、またちょっと可笑しくなってしまった。

 

 プチ男性恐怖症──千紗希は自分でもそれを自覚している。

 男子の目線が、怖い。街でも学校でも、常に目線を感じてしまう。中学生になってからは胸もどんどん成長していき、余計に目線を感じてしまうようになった。

 大きな黒縁の伊達眼鏡を掛け、髪型もお下げにするなど、なるべく地味な格好をした。

 何か手荷物があれば、それで胸を隠した。

 それでも男の視線は付いて回った。

 こんな調子ではお洒落も出来ないから、結局開き直って気にしないようにしているが、それでもやはり、怖いものは怖い。

 今日の放課後に呼び出して告白してきた上級生にしても、態度こそ紳士的だったが爛々とぎらつく目線に、逃げ出したい心境だった。

 

 だが、憂助にはそれがない。

 素っ気ない態度で、時には突き放すような言動さえある。初めて会った時こそ突き刺すような視線を浴びたが、今にして思えばあれは単に、初めて会う人間を警戒していただけだったのではなかろうか。

 しかしそんな日頃の態度とは裏腹、自分が危機に陥った時はすぐに駆け付けて助けてくれる。守ってくれる。臨海学校では一日に二度も助けられた。*2夏休みの時も助けられ、足を怪我した自分のために、食事もせずにせっせと背負子や杖を作ってくれた。*3

 父親以外で、一緒にいて安心出来る男性は憂助だけなのだ。

 その憂助が、今、同じ屋根の下にいるというだけで、千紗希は不思議な安心感を覚えるのである。

 

(あたしの我が儘でお泊まりしてもらってるんだし、お夕飯は久我くんの好きな物作ってあげよっと)

 

 入浴を終えて、そんな事を考えながら体をバスタオルで拭いていた時である。

 

 ──ブハハハハハハッ!

 

 リビングの方から声が響いてきた。

 普段は寡黙とまでいかずとも口数の少ない憂助があんな大声を出すなど、只事ではない。心配の余り、服を着る間も惜しんで全裸のままでバスルームを飛び出した。

 

「どうしたの久我くん! 大丈夫!?」

 

 持っていたバスタオルを乱雑に巻き付け、裸身を隠しながらリビングに飛び込むと、ソファに座った憂助がテレビを見ながらゲラゲラと大笑いしているところだった。画面には彼の大好きなお笑い芸人のジャッカル富岡が映っている。

 憂助はリビングに駆け込んだ千紗希の姿を見て、ぎょっと目を見開いた。

 濡れた髪をまとわりつかせ、超高校生級のプロポーションを誇る肉体には雑にバスタオルを巻き付けただけ。豊満な胸は盛り上がって今にもバスタオルからこぼれ出そうだし、ムッチリした太股は全く隠せておらず、肉感的なラインが見て取れた。

 

「服着れ、このトンチキ!」

 

 憂助は思わず怒鳴り付ける。

 千紗希はその怒声にすくみ上がり、その拍子にタオルを押さえていた手を弛めてしまった。バスタオルがハラリと床に落ちて──、

 

「きゃああああっ!」

 

 後には千紗希の悲鳴が響くのであった……。

 

 

 幸い甘口カレーのルゥが残っていたので、千紗希はそれを使ってカレーライスを作る事にした。

 気まずさや気恥ずかしさで何とも言えない珍妙な静けさに包まれたダイニングで、二人は黙々と食事をする。

 静けさと気恥ずかしさに耐えかねて、千紗希が声を掛けた。

 

「く、久我くん……さっきはごめんね、驚かせちゃって……」

「忘れろ。俺も忘れる」

 

 重みのある声色で、憂助はそう言う。

 そう言いつつも、脳裏に焼き付いた千紗希のフルヌードが消えない。別の事に意識を逸らそうとするものの、テーブルを挟んで真正面に千紗希がいる。髪を洗うのに使ったシャンプーの香りを、定期的な山籠りで感覚が鋭くなっている憂助の嗅覚が捉えてしまうため、否が応でも思い出してしまう。

 

(~~~~っ!)

 

 そんな自分への苛立ちを紛らわそうと、憂助はつい、皿の左右に分けられていたカレーと白ご飯をぐちゃぐちゃにかき混ぜた。

 

「あっ、久我くんかき混ぜる派だったんだね」

 

 それを見て千紗希がクスクスと笑う。

 

「家じゃアホ親父がいっつもご飯の上にカレーぶっかけよるきの。いつの間にかこうなった」

「そうなんだ……あれ? でもこの前一緒に食べた時はかき混ぜてなかったよね?」

「人前でそげな真似出来るか阿呆」

 

 小学校一年生の頃にそのかき混ぜるくせをクラスメートに笑われて、カッとなってドロップキックをくらわせた事がある。担任の先生に自分だけ怒られて、それが不服で担任に怒鳴り付けたら今度はその事でまた怒られて散々だった。以来、人前ではやらないようにしていたのだが、今目の前にいる『馬鹿女』のせいで、そんな簡単な気遣いさえ忘れてしまったのである。

 

(やっぱコイツとおると調子狂うのぉ……)

 

 さっきの一件にしても、泣き声や怒鳴り声で駆け付けるならまだわかるが、笑い声を聞いて心配そうに駆け付けるとはどういう了見なのだろうか──聞いてもろくな答えは返って来るまいが。

 ふっと千紗希に視線をやると、彼女は皿の真ん中にご飯とカレーを丁寧に掻き寄せてからスプーンで掬って食べている。ありふれた仕草なのに、さっきの裸身がフラッシュバックして、妙に目が離せない。憂助は鉄石の不動心を以て目線を自分の皿に落とし、目を閉じてガツガツと残りを掻き込んだ。

 

 

 千紗希が目を覚ますと、辺りが暗い。豆電球のオレンジ色の明かりに照らされた室内を見渡すと、どうやら自分の部屋らしく、自分はベッドに寝かされていた。部屋のエアコンも作動している。

 

(あれ? あたし、何で……)

 

 記憶の糸を手繰り寄せる。

 確か憂助と一緒に夕飯を食べた後、リビングで一緒にテレビを見ていた。

 9時から始まったモンスターパニック映画を見ている内に眠くなってきて……、

 

(そっか、眠っちゃったあたしを、久我くんがお部屋に運んでくれたんだ……)

 

 きっとそうに違いない。

 憂助はどうしてるだろう?

 軽い喉の乾きを覚えたのもあり、部屋を出て一階に下りると、どこも灯りが消えている。

 リビングに入るとそこは豆電球のみが灯されていて、ソファには毛布にくるまった憂助が横たわっていた。

 両親の部屋で休んでいいと事前に伝えておいたが、そのつもりはないようだ。千紗希は思わず苦笑した。

 リビングとはカウンターのみで仕切られたキッチンへ行き、そこで水を飲んでから、千紗希は眠っている憂助のそばまで来た。足音を立てたつもりはなかったが、

 

「なんか、どうした」

 

 と、憂助が毛布にくるまったまま尋ねた。

 

「あ、ごめんね。起こしちゃった?」

「お前が入ってきた時点で、気配で目ぇ覚めたわ──気にすんな、俺がそういう風に訓練しとうだけやきの」

「そう? でも久我くん、寝るならパパとママのお部屋使って良かったんだよ?」

「よその夫婦の寝室とか、こっ恥ずかしいでよう寝れんわ。いいきさっさと寝ろ。明日も学校やろが」

「そうだね……ごめんね久我くん、お部屋まで運んでくれてありがとう」

「気にすんな。あげな退屈なクソ映画見とったら誰でも眠くなるわ」

 

 ひどい言われようだが、実際何故テレビ局はこれを放送したのか疑問に思うくらいひどい映画だった。出てくる人喰いモンスターのCGは稚拙で、襲われて喰い殺される人間の血しぶきすらその稚拙なCGで表現しているのだ。てっきり昔の、CG黎明期の映画かと思ったが、主人公とヒロインがスマホのLINEでやり取りするシーンがあったので、信じられない事だがごく近年に製作された映画らしい。

 

「おやすみ、久我くん」

「おう」

 

 憂助はそれっきり黙りこくった。

 千紗希も静かにリビングを出た。彼の寝顔を見たかったのに、それが失敗に終わったのは少し残念だった。

 

 

 朝になると、雪はすっかり止んでいた。

 目覚まし時計で目を覚ました千紗希が朝食の支度をしようと一階に下りると、リビングで寝ていたはずの憂助の姿がない。

 憂助は庭に出ていた。念法の稽古なのだろう。一人黙々と木刀を振っている。

 しかしその姿を見て、千紗希は声を上げそうになった。

 憂助は、上半身裸だった。

 サッシの前に立って眺めると、足にも何も履いてない。裸足だ。

 ボディビルダーのように極端ではないが、それでも鍛えられた筋肉が、木刀を振るう度に皮膚の下でうねっていた。

 よくよく見ると、憂助の肌は汗ばみ、白いものが立ち上っている。庭に降り積もった雪も、無数の裸足の足跡で踏み荒らされ、半ば以上溶けていた。いったいどれくらい前から稽古しているのだろうか……。

 稽古に打ち込む憂助の真剣な表情に、千紗希は知らず知らず見入っていた──否、魅入っていた。

 稽古を終えた憂助が戻ってきた。

 サッシを開けて、事前に用意していたタオルで足を拭いてからリビングに上がる。

 

「おはよう久我くん。お稽古お疲れ様」

「おう」

 

 憂助はそれだけを返し、見向きもせず脱いだシャツと制服の上着を着る。

 相も変わらぬ素っ気ない態度だが、そのいつも通りの態度に千紗希はかえって安心する。

 昨夜のカレーがまだ残っていたので、それを暖め直して朝食とした。

 そして登校の準備をすると、戸締まりをして家を出る。

 

「世話んなったの」

「ううん、お願いしたのはあたしだし。久我くんが一緒だったから本当に助かったよ」

「俺ぁ何もしとらん」

「そんな事ないよ。久我くんが一緒にいてくれるだけで凄く落ち着くし、安心出来るもん」

「…………そうか」

 

 憂助はそう言って、そっぽを向く。

 

「あ、ところで久我くん。ウチに泊まった事、学校のみんなには内緒にしてね? 絶対誤解されちゃうから」

「そげなんいちいち言いふらすか阿呆」

「あはは、それもそうだね」

 

 千紗希は苦笑する。

 こういうところも、一緒にいて安心出来る理由だろう。

 憂助は防寒着を取りに、瞬間移動で一旦自宅へ飛んだ。

 憂助がいなくなった途端、千紗希はかすかに寂しさを覚える。

 ──そんな自分が、本当に不思議だった。

 実は、昨夜テレビを見ている時、憂助の視線が自分の胸元に何度かチラチラと向けられたのを感じた。

 なのに、それが全く不快ではなかった。

 男の視線は怖いはずなのに、憂助の視線はむしろ全く怖くない。

 昨夜は『あんなハプニングの後では気になってしまうだろう』と思えたし、だから微笑ましい気持ちで受け流せた。

 だが実際は、『相手が憂助だから』気にならなかったのではないか……今はそんな風に思えてしまう。

 

(……あれ? これってもしかして……えっ? でも、いや、そんな……)

 

 ふと自分の気持ちに気付いた千紗希は、困惑して立ち尽くしてしまうのだった……。

*1
妻が夫を罵って、または他人にふざけて使う呼び方

*2

*3
第14話参照

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