「ひぃえええっ!」
真夜中の寂れた廊下に、少女の情けない悲鳴が響き渡る。
誅魔忍の雨野雲雀が、照明もなく真っ暗な廊下を全力疾走していた。
そしてそれを追い掛けるのは、床一面を埋め尽くす大量の虫だった。見た目はカブトムシやクワガタムシの幼虫に似ているが、一匹一匹の大きさが犬ほどもある。移動スピードも速く、雲雀との距離がぐんぐん縮まっていた。
そして次々と身をたわめてジャンプし、雲雀の体に、肩と言わず足と言わず尻と言わず取り付いて来る。
バランスを崩した雲雀がその場に転倒すると、幼虫の群れが津波となって押し寄せてきた。
「ひぃいいいっ!」
目尻に涙を浮かべる雲雀。大きな顎で着衣に噛みついて来る虫たちを、霊力を具現化させた手裏剣で切り裂いていくが、数が多すぎる。
瞬間、雲雀の頭の方から白い輝きを放つ炎がほとばしり、幼虫の群れを焼き払った。
しかし雲雀の体はおろか、着衣にさえ焦げ跡一つ付いていない。
炎が噴いてきた方向から、足音と金属音が近付いてくる。
一人は黒髪の少年。太い眉とガッシリした顎、鋭い眼差しで、モッズコートとジーパン姿だ。右手には一振りの木刀を携え、だらりと下げていた。
久我憂助であった。
先の白炎は彼が放った久我流念法《闇祓い》である。
その後ろから一人の僧侶が続く。金属音は彼の持つ錫杖だった。
憂助は、ジロリと雲雀に視線を落とす。
「……お前、確かゆらぎ荘の……あの忍者の親戚の……雨野雀やったか」
「雲雀だよ、ひーばーり! 漢字一文字抜けてるよぅ!」
憂助の言葉を、雲雀は訂正した。
「こげな所で何しよんか」
憂助はそれを無視して、しかし雲雀を助け起こしながら問い掛ける。
「あ、ありがと……誅魔忍のお仕事だよ。ここに危険な妖怪がいて、雲雀たちに討伐命令が出たの」
「
「……狭霧だよ、さーぎーり。
「そうか。じゃあそいつ等連れて今すぐ帰れ。邪魔だ」
歯に衣着せぬ物言いに、雲雀はカチンと来た。
「……あなたにそんな事言われる筋合い無いんだけど!? だいたいそういうあなたこそ、なんでここにいるの!?」
「お前には関係ねえ」
憂助はジロリと、険しい一瞥をくれた。雲雀は思わずすくみ、一歩後退りした。
「お待ちを」
彼の後ろに控えていた鷲鼻の僧侶が、憂助に呼び掛けた。
「この先もまだまだ敵は多い。それにご友人の救出もせねばなりませぬ。人手は多いに越した事はありますまい」
言われた憂助は、口をへの字に曲げた。
次いで、雲雀を上から下までジロジロと、値踏みするように眺める。まるで藪の中から獲物の隙をうかがう虎のような視線に、雲雀はついもう一歩後退りした。
「……おらんよりはマシか。ついてこい」
「あなたに命令される筋合いも無いんだけど……」
恐る恐ると言った風に反論する雲雀。
「拙僧がご説明いたしましょう」
と苦笑いしながら言い出したのは、先の鷲鼻の僧侶である。
「拙僧は
と、まずは自己紹介してから、事情を説明し始めた。
かつて憂助が倒した、元救沌衆の白朗。
彼は総本山にて幽閉されていたのだが、内部に彼のシンパがいたらしく、彼等の助力により、白朗は総本山からの脱獄に成功。憂助に復讐するため、湯煙市に舞い戻ってきた。
その復讐のために行ったのが、今夜の雲雀たちの討伐対象だった妖怪『鬼蜂』を蠱毒の呪法で強化し、使役するというものだった。
蠱毒とは、壺の中にたくさんの毒虫を閉じ込めて放置し、共食いをさせるものだ。そうして生き残った最後の一匹は、他の虫の毒も取り込みより強力な毒虫となる。これを呪いの触媒に用いるのであるが、白朗はこれを鬼蜂を始めとする妖怪や悪霊を用いて行ったのだ。
そして憂助を誘き出す餌として、千紗希をさらったのである。赤蓮は三人の弟子を伴っていたが、その弟子たちは千紗希を守ろうとして返り討ちに遭ってしまった。
「千紗希ちゃんが!?」
そこまで聞いて、雲雀が声を上げた。
「もうっ、それなら最初にそう言ってよ! そういう事なら喜んで力を貸すよ。千紗希ちゃんは友達だもん! 狭霧っちゃんやうららちゃんの他にコガラシくんも来てるから、みんなで力を合わせれば絶対助けられるよ!」
「
「時々誅魔忍のお仕事手伝ってくれてるの」
「……そうか」
暇人め。
憂助は心中そうぼやくと、それで一方的に会話を打ち切り、奥へと歩き出す。赤蓮と雲雀も後に続いた。
「冬空たちはどこにおるんか」
歩きながら、憂助が問う。
「上の階だよ。今連絡するね」
そう答えて雲雀は上着の内ポケットに入れていた通信機を取り出した──が、それは無惨にひしゃげていた。さっき転んだ拍子に、廊下に転がっていた石か何かに当たったのだろう。
憂助はそれを見て唇をへの字に曲げた。
「ま、上に上がって行きゃあどっかで出会すやろ」
とだけ言って、上へと続く階段を上っていく。
「うう、ごめんなさぁい……」
ショボくれる雲雀と、その背中を慰めるようにポンと叩いた赤蓮が、それに続いた。
階段の踊場を通り過ぎた時、雲雀がふと浮かんだ疑問を口にする。
「そう言えばコガラシくんから聞いたんだけど、久我くんって瞬間移動出来るんだよね? どうして千紗希ちゃんの所に直接飛ばないの?」
「変な結界が張られとった」
憂助は振り向きもせず、素っ気なく答える。
実際その通りで、赤蓮から話を聞かされた憂助は赤蓮と共に瞬間移動で千紗希の元へと飛んだが、テレポートアウトしたのは白朗が潜伏するこの廃ビルの前であった。霊的知覚力のある者ならば見る事が出来る光の壁が、ビル全体を包んでいたのだ。
「ごめん、それうららちゃんが張ったやつ……あれ? じゃあどうやって入ったの?」
「穴空けた」
これもまた、素っ気ない返答であった。
それを聞いて赤蓮は先程の光景を思い出す。
憂助はどこからともなく木刀を取り出すと、その切っ先を結界の壁面に当てて、上から下へと振り下ろした。するとジッパーを開けるように、結界に穴が空いたのである。赤蓮を伴って中に入った憂助が空けた穴の縁に木刀を当てて、同じように振り下ろすと、今度はジッパーが閉じるように穴が塞がった。
「入ったら入ったで、向こうが別の結界張って隠しとうんか妖気が強すぎるせいか知らんが、宮崎の気配が探れん。自分の足で探すしかねえ」
と話してる内に、上の階に到達した。
雲雀の顔がひきつる。先程の巨大な幼虫の群れがここにもいて、冬空コガラシと雨野狭霧が応戦していた。しかし数の多さに手を焼いているようだ。
コガラシがフルパワーを開放すれば全滅させるのは造作もないが、ビルまで破壊しかねないため、霊力を抑えざるを得ないのだ。
憂助が木刀を、切っ先で床をこするようにして振り上げた。発生した微かな摩擦熱が念で増幅され、破邪の白炎となってほとばしる。先の雲雀同様、幼虫に取り囲まれたコガラシと狭霧には一切被害を与えず、幼虫の群れだけを焼き払い、消滅させた。
「久我じゃねえか。お前も来てくれたのか!」
コガラシは嬉しそうだったが、狭霧は険しい顔つきだ。念法使いに助けられた事、コガラシが嬉しそうにしている事、両方ともが気に食わなかった。
「……久我憂助。何故ここにいる?」
「かくかくしかじか」
「まるまるうまうまという事か」
「おう、そういう事なら俺たちも手を貸すぜ! どうせその鬼蜂ってのがターゲットだったしな」
『ちょい待ち!』
突如関西弁で割って入る声が、狭霧の方から響いてきた。
後方支援の浦方うららが、通信機越しに話し掛けてきた。
『助けてくれたんは感謝するけど、アンタは民間人や。ここは専門家であるうちら誅魔忍に任せてアンタは帰った方がええんちゃう? こっちには
「やかましい」
どこか突き放すような物言いのうららに、憂助は取り付く島もない。
(はてな──?)
後方で赤蓮が小首を傾げた。『八咫鋼のコガラシくん』が学生服姿の少年の事なのだとはわかるが、彼が後継者だとすると年数が合わないのが不思議なのだ。むべなるかな、よもや先代が幽霊となってこの世に留まりコガラシを指導したなどとは、わかるはずもなし……。
「そうだよ、うららちゃん。戦力は多い方が良いし目的も同じなんだし……千紗希ちゃんを助けるためにも我慢してよ」
雲雀が憂助の側についた事がちょっと意外だったのか、うららは黙り込む。
「……私もうららと同意見だが、宮崎さんの危機とあらば是非もない。今回ばかりは奴の力を借りるとしよう……ところで、そちらの方は?」
憂助の後ろに控える
『念法使いに救沌衆かいや……』
と、うららのうんざりした声が通信機から漏れた。誅魔忍は別に救沌衆と競合してる訳ではない。ただ任務に次々と割り込みが入ったのが不愉快なだけである。
「無駄口叩くな。来るぞ」
憂助が凄味のある声で言った数秒後、虫の羽音が複数、廊下の奥の闇から聞こえてきた。しかし虫の羽音にしてはやけに大きな音だ。
それもそのはず、姿を現したのは人間ほどもある巨大な雀蜂であった。額から一本の角が生えている。
「お、鬼蜂!?」
「しかも複数!?」
雲雀と狭霧が手裏剣やクナイを創造して構えた。
『いや、羽化した鬼蜂はもっとデカイで?』
通信機にはカメラも付いているのか、見えているかのようにうららが指摘する。
「恐らくは白朗めが、幼虫の成長を早めて強制的に羽化させたのでしょうな」
赤蓮が錫杖を構えつつ推論を語る。
鬼蜂は前方のみならず、背後の階段からも現れ、一行は挟み撃ちに遭った形となる。
鬼蜂が一斉に襲い掛かってきた。
虚空を数条の銀光が駆け抜ける。雲雀の手裏剣が弧を描いて鬼蜂の羽を切り裂き、動きが止まったところを狭霧のクナイが仕留めた。
「喝!」
赤蓮の錫杖が霊力を注がれて光を帯び、迫る巨蟲の頭を砕き、胴を貫いた。
「うらぁっ!」
コガラシも霊力を解き放ち、拳打で以て鬼蜂を文字通りに粉砕していく。
憂助も木刀を縦横無尽に振るい、応戦した。
しかし小型鬼蜂は次々と湧いて出てくる。そして一行の攻撃を潜り抜けて、近付いてくる。
憂助は目を閉じて、精神を集中させた。肉体の下部に宿る物理的な力を司るチャクラを開く。練り上げた念を注がれて白い光輝を放つ木刀を、体を独楽のように回転させて振り抜いた。発生した微かな気流が念で増幅され、烈風となる──久我流念法《太刀風》の変化技《
廊下内を吹き荒れる烈風は、狭霧や雲雀のスカートすら全くなびかせる事なく、しかして鬼蜂の群れを吹き飛ばし廊下の両端にまで押しやった。
「うぉらあっ!」
「エェイッ!」
コガラシが霊力を込めた拳を振り被り、打ち抜いた。
憂助もまた、霞の構えからの突きを逆方向へ繰り出す。
霊力と念がそれぞれ強烈無比な波動となって、鬼蜂の群れを一網打尽に消滅させた。
「狭霧っちゃん、大丈夫!?」
戦いを終えたのも束の間、雲雀が狭霧に声を掛ける。
鬼蜂に接近された狭霧は、巨蟲の大顎で上腕を切り裂かれ、出血していた。
その痛ましい傷口に、何を思ったか憂助が木刀を打ち付ける。
激痛が走った──かと思えば痛みは一瞬で消え、傷もほとんど塞がっていた。
「す、すまない、久我憂助……」
「無駄口叩くな。行くぞ」
憂助はそう言って、上の階へと階段を上り始める。
コガラシが後に続き、遅れて雲雀と狭霧が、そして背後を警戒しつつ赤蓮が続いた。
「何か機嫌悪いな久我。宮崎がさらわれたの、自分のせいだって思ってんのか?」
コガラシの問い掛けに、憂助は鋭い一瞥をくれるのみだった。構わずコガラシは続ける。
「だとしたらそいつぁ違うぜ。そもそもその白朗って奴が悪事を働かなけりゃ良かった話じゃねぇか。力に溺れてお前にとっちめられた挙げ句、反省もしないでお前を逆恨みするソイツが悪いんだ。お前が責任感じるような事じゃねえよ──大丈夫だ久我。俺たちがついてる。狭霧も雲雀も俺には出来ねえ事がたくさん出来る
そして憂助を励ますように、その背中をポンと叩く。
憂助は何も言わなかったが、微かに表情から険が取れていた。
◆
夜風の冷たさに、千紗希は目を覚ました。
(ここは……?)
記憶の糸を手繰り寄せて、すぐに意識が覚醒した。
友達と別れて家路につく途中、以前こゆずを騙して利用していたあの霊能力者が目の前に現れたのだ。あの時と同じ黒い鳥打ち帽とインバネスコートをまとい、幽鬼の如く。
そして千紗希をどこかへ連れ去るつもりらしく、手首を掴んだ。途端にその掴まれた箇所から力が抜けていき、全身が冷たくなっていく。
その時、三人の僧侶が現れて彼女を助けようとしてくれたが、既に千紗希は半ば意識を失いかけており、やけに大きな虫の羽音が響き、その僧侶たちの苦痛に呻く声が聞こえてきた事しか覚えていない。
(あたし、さらわれちゃったんだ……!)
起き上がろうとしたが、ロープで縛られているらしく、上手く体を動かせない。それでもどうにかこうにか起き上がって辺りを見渡すと、ここはどこかのビルの屋上らしかった。フェンス越しに見下ろせば、ビルの下に森が広がり、その向こうに湯煙市を一望出来る。郊外の山中に心霊スポットとして噂されている廃ビルがあったのを思い出した。恐らくそこに連れ込まれたのだ。
「目を覚ましたようだな」
呼び掛ける声に振り向けば、黒い鳥打ち帽にインバネスコート。あの白朗が、月下に浮かぶ影の如く佇んでいた。
千紗希は気丈にも、誘拐犯に険しい眼差しを向ける。
「あ、あたしをさらって、どうするつもりなの!?」
「あの小僧への復讐……お前はそのための餌だ……それが済めば……」
白朗は最後まで言わず、意味ありげな含み笑いをするだけ。
「それが済んだら、何!? はっきり言いなさいよ!」
「餌だ。愛しい我が子たちが力を得るためのな」
「子供……?」
「そうだ。つまらん邪魔者もいるようだが、そいつ等もまとめて我が子等に喰わせてやる。寂しくないぞ?」
「く、久我くんは、あなたなんかには絶対負けないんだから!」
「いいや、無理だね。どんなに強かろうと所詮は人間……だが私は、人間を超えた……一足先に、お前に見せてやろう。
白朗が千紗希の前に歩み寄る。
着衣が突如、ゴワゴワと波打ち、蠢き始めた。
背中から透明の板が四枚生えてきた──羽だ。虫の羽だ。
左手が膨らみ、形を変える。サッカーボールほどの大きさもある、雀蜂の頭部……大顎がギチギチと音を立てる。
右腕も変化していく。蜂の腹部を模したそこから、毒液を滴らせて短剣並みの大きさの針が伸びている。
白朗の胸から、昆虫の足が四本飛び出した。
両足もまた、昆虫のそれへと変化していく。
白朗の目が膨れ上がり、眼窩から飛び出したかと思うと、長く伸びた複眼へと変わっていく。
額から二本の触覚と一本の角が生えた。
千紗希は逃げるどころか、声を上げる事すら出来なかった。目の前で行われるおぞましい変身現象に、恐怖の余りヒューヒューと荒い呼吸しか出来ない。
雀蜂と人間を冒涜的に混ぜ合わせたような、それはまさに異形の怪人であった。
「どうだ、この姿……素晴らしいだろう?」
どこか酔ったような声色で、白朗は問い掛ける。
千紗希はかろうじて、言葉を絞り出せた。
「……ば、ば、化け物……!」
その一言を、白朗はフンと鼻で笑う。
「体つきこそ大人顔負けだが、やはり所詮は子供か……この力の素晴らしさがわからんとはな」
「わ、わかりたくもないよ! そん、そんな、そんな醜い化け物になってまで、久我くんに復讐したいの!? そんな事して、あなたに何が残るっていうの!?」
「説明したところで、子供にはわからんさ……おとなしく私の信者となって奉仕していた方がよほど幸せだったと、あの世で嘆くがいい──おっとぉ!」
不意に白朗は背中の羽を唸らせて、宙に舞い上がった。
千紗希の背後から白い炎が巻き起こり、彼の立っていた場所を通り過ぎていく。炎に呑み込まれたはずの千紗希には、火傷も焦げ跡もない。
何者かが千紗希の背後に立ち、棒のようなもので背中を突くと、ロープが意思ある者のように独りでにほどけた。
思わず振り向いた千紗希の眼に飛び込んだのは、太い眉とガッシリした顎、鋭い眼差しの、歳の割りに男臭い顔つきの少年。
その手に握られた木刀には、彼女からは見えないが、柄に『獅子王』の三文字が彫られているだろう。
久我憂助であった。
「もう大丈夫だ」
憂助が柔らかな声音で、言った。
彼の姿に、そして彼の声に、千紗希の胸中を安堵が満たす。
張りつめていた緊張の糸がプツンと切れて、涙がポロポロとこぼれ出た。
「うっ……うぁあああっ!」
言葉も出せず、ただ小さい子供のように憂助にしがみつき、泣きじゃくった。
千紗希の背中をポンポンと叩いてやりながら、憂助は虚空に浮かぶ化け物に、険しい眼差しを向ける。
コガラシたちに千紗希を預け、木刀の切っ先を突きつけた。
『な、何やアレは……』
狭霧の通信機から、うららの動揺した声がする。
「アレ、鬼蜂……?」
「いや、データではあんな姿ではなかった……さっき片付けた奴等を、もっと大きくしたような姿だったはずだ」
雲雀と狭霧も、正体が掴めず戸惑っている。
正体に気付いたのは、赤蓮だった。
「あれは……あれこそが白朗にござる……あ奴め、そこまで外道に堕ちたか……」
「どういう事だよ?」
コガラシの問いに、赤蓮は吐き出すように答えた。
「白朗は蠱毒の呪法で強化した鬼蜂を、自身の中に取り込んだのです……否、融合したと言っても──ぐうっ!」
赤蓮が呻き、肩を押さえた。
白朗が空中から足の爪で、肩の肉を抉り取ったのだ。
コガラシが拳を振るって殴りかかるが、白朗はこれを上昇してかわし、左手の大顎で斬り付ける。しかし霊力を開放したコガラシの肉体を傷付けるには至らなかった。
そこへ閃く白光。しかし憂助の木刀もまた、むなしく空を切る。
散開した雲雀と狭霧がそれぞれ手裏剣とクナイを投げつけるが、これも当たらない。
「あくびが出るな」
白朗は空中でニタリと歯を向いて笑うと、狭霧の頭上に移動、彼女の頭を足の爪で掴み、雲雀へと投げ飛ばした。雲雀が狭霧を受け止めた瞬間、二人まとめて踏み潰した。
「テメェ!」
コガラシが怒りの鉄拳を振るうが、怒濤の連打も当たらない。白朗は本物の雀蜂の如く宙を飛翔して避けていく。
「素晴らしい近接戦闘能力だが、当たらなければ意味はない!」
コガラシのストレートパンチをかわして背後に回ると、上下逆さまの状態で彼を空中に抱え上げる。そして体の上下を元に戻すと、猛スピードでコンクリートの地面にコガラシを頭から叩きつけた。コガラシは上半身を地面に埋め込まれてしまう。
そこへ伸びる、稲妻状の光。それが荒縄となって白朗の左足を捕らえた。赤蓮だ。救沌衆が霊を強制成仏させる時に使う《昇天陣》だ。生ある者に対しても、拘束術としては効果がある。
白朗の動きが止まった瞬間、憂助が動いた。
木刀が唸りを上げる。
しかし白朗、昇天陣を素早く大顎で断ち切り、この一撃もかわしてみせた。
かと思うと、その姿がフッと消える。
憂助、突如背後へ木刀を振るうと、その刀身が白朗の大顎に噛み止められていた。
「よく防いだな」
しかし白朗、余裕の笑み……、
「いつまで防げるかなぁ?」
そして再び姿を消す──否、文字通りの目にも止まらぬスピードで、憂助の周囲を飛び交い始める。
「ほら、こっちだ」
「いやいやこっちだ」
「ここだよ、ここ」
飛び交いながら時々に動きを止めて、からかうように声を掛ける。
憂助は意に介さず、木刀で自分の周囲に円を描いた。木刀の軌跡に添って光が生まれ、地面に消える。
そして憂助は、木刀を下段に下ろして目を閉じた。
「何のまじないか知らんが、無駄な事だ」
上空の白朗が急降下して、憂助の正面から大顎で攻撃してくる──かと思えば瞬時に背後に回り、右手の毒針で突いて来た。
「ぐああああっ!」
夜空に響く苦悶の叫び──それは、白朗の物だった。毒針が生えた右手が肘から切断されて宙に舞い、そして黒い塵と消える。
憂助が描いた円は、いわば結界。そこに侵入した者に体が反応し、自動的に神速の迎撃を行うのだ。
「おのれ……行け、我が子等よ!」
白朗の背中が膨らみ、雀蜂の縞模様の腹が出てきた。そこから大量の幼虫が生み出され、群れをなして憂助に迫った。
銀光が煌めく。雲雀の手裏剣が、狭霧のクナイが、次々と幼虫を切り裂き、貫いていく。
めり込んだ地面から脱出したコガラシも、霊力を全開にして拳から放出して、幼虫を蹴散らしていく。
赤蓮も怪我を押して、昇天陣を放って応戦した。
「おのれぇええっ! どいつもこいつも超越者たる私に楯突きおってぇええっ!」
歯噛みして激情のままに喚き散らす白朗。
憂助の眼は、彼の左足を見ていた。赤蓮の昇天陣に一度捕らえられたそこは、ボロボロに削られていた。
かつて憂助は別の僧侶が昇天陣で湯ノ花幽奈を捕らえたのを見た。幽奈は幽体を、少しずつではあるが削られていったが……。
「行き着くとこまで行っしもたの」
ポツリと呟いた。
千紗希をさらった男への憤怒に燃えていた眼差しに、別の色が浮かんだ。
憐憫であった。
憂助は、木刀を体の正面に垂直に立てた。腕を曲げて、窮屈な構えである。
そして、目を閉じた。
父の京一郎が一度だけ見せてくれた手だが、何故か今なら、或いは今だけは、出来る気がした。
「何の真似だ……ふざけおって!」
白朗は憂助の奇妙な構えを侮辱と受け取り、羽を唸らせて飛びかかる。
木刀もろともその首を断ち切らんと、左手の大顎を繰り出した。
憂助は、左足を大きく引き、身を沈めながら木刀を真っ直ぐに振り下ろした。
幹竹割りにされた白朗の異形の体が、憂助の左右を通り過ぎていき、黒い塵となって消滅した。
久我流念法《吹毛》。
吹毛とは、毛を吹き付けると吸い込まれるように切り裂いてしまう、凄まじい切れ味の名刀の事を指す。己れの身も心もその利剣となって、相手を迎え撃つ。
そして動くタイミングは、
「体がヒヤリとしたら斬れ」
である。すなわち、斬られて斬る。
成し遂げるには、死も敗北も恐れず、しかして生や勝利への執着も捨てた、無念無想の境地に至らねばならない。
フゥーッと、憂助は大きく息を吐いた。
白朗の生み出した幼虫を掃討し終えた時、
「ひいっ!」
不意に声が上がった。千紗希だ。一同が駆け寄ると、千紗希は屋上の片隅を指差す。
そこには、死体が横たわっていた。
胴体のほとんどの肉が喰い尽くされているが、狂気の笑みに固まったその顔は、先程まで戦っていた白朗のものであった。
「じゃあさっきのアイツは……?」
「魂だ」
コガラシの疑問に、憂助が答えた。
「あのおっさん、鬼蜂とかいう妖怪と自分の魂を融合させたんやろの。坊さんの術で足がボロボロに削れとったんもそのせいだ」
憂助は、白朗の死体の前に歩み寄り、膝をついてその顔を覗き込んだ。
肉が喰い尽くされているのは、肉体を幼虫の餌にでもしたからだろうか、或いは育てた鬼蜂への最後の供物か。
この男は赤蓮いわく、優れた術者だったという。しかし己れの力量に驕り、それを金儲けに使い始めた。こゆずを利用したマッチポンプで千紗希さえ毒牙に掛けようとした。そして己れの悪行を阻止した憂助への復讐のために、自身の魂さえ人間でないものへと作り替えた……。
「こいつの人生は、何やったんかの」
ポツリと呟くと、白朗の顔に手を当てて、まぶたを閉じさせてやった。それだけで不思議と安らいだ笑顔に変わったように見えるのは、ただの錯覚であろうか……。
◆
下の階に残っている幼虫の掃討をコガラシたちに任せて、憂助は千紗希と赤蓮を連れて湯煙市へ瞬間移動で戻った。
赤蓮と別れた後、千紗希を家まで瞬間移動で送り届ける。
宮崎家の玄関前に着くと、家は暗い。まだ母は帰っていないようだ。
「ありがとう久我くん……助けてくれて、本当にありがとう」
「礼には及ばん……つまらん事に巻き込んでしもて、すまんかったの」
「ううん、久我くんのせいじゃないよ……冷たい言い方だけど……全部あの人が自分で選んだ事でしょ? 久我くんが責任を感じる事なんて何一つないんだよ?」
千紗希は憂助の手を握って、優しく語り掛けるが、その手は震えていた。
その手に、憂助が空いた手を重ねる。
肉体の中位にある精神を司るチャクラを開放して、念を流し込むと、千紗希は自身の中に暖かなものが流れ込み、恐怖が鎮まっていくのを感じた。
「これも、念法?」
「まぁの」
「ありがとう久我くん……なんか、凄く落ち着く……今度お礼するね。何か食べたい物ってある?」
「カレー」
即答されて、千紗希は微笑んだ。やはりこの少年には、奇妙な可愛げを感じる。きっと自分だけだろうが、それで良いとさえ思えた。
「うん。それじゃあ今度の日曜にうちにおいでよ。いっぱい作っておくから」
「おう。期待しとうぞ」
答える憂助の口角も、微かに上がっていた。