千紗希さんの悩み事   作:阿修羅丸

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弱きを助け、強きを挫く

 久我憂助が朧を打ち据えた後、さらに十人ほどの半魚人を倒した時、城の天守閣の窓を突き破って、何か黒い物が飛び出してきた。

 それは放物線を描いて落ちていき、城壁に激突する。

 

「冬空……!?」

 

 憂助の眼は、その黒い影が冬空コガラシである事をハッキリと捉えていた。

 

 不意に背後から、何かが落ちてくる音がした。振り向くと、髪の長い、浅黒い肌の男が立っている。

 龍雅玄士郎。

 コガラシが突き破った窓から、この中庭に飛び下りてきたようだ。

 ジロリと憂助を、鋭い眼差しで睨みつける。

 

「貴様も狼藉者の一味か……仲間はたった今、余が成敗した。貴様も観念するが良い」

「てめぇ……っ!」

 

 木刀を握る憂助の右手に力がこもった。

 ついさっき自己紹介し合ったばかりでしかないが、それでも多少なりとも仲間意識はあった。

 そして、自分がいながら仲間をやられてしまった事に、自分自身に対する怒りも感じていた。

 しかし龍雅玄士郎は、そんな憂助の怒りの形相を見ても、つまらなそうにフンと鼻を鳴らすだけだった。

 

「何を怒っておる。余はこの城の主。余の許しもなく城に入り、余の妻をさらおうとする者を排除するのは当然の事ではないか……ましてや」

 

 そこまで言って、玄士郎の視線は足下に移った。そこには朧が、未だに倒れたままでいる。

 

「余の大切な朧まで倒されたとあっては、なおさら許してはおけぬ……覚悟してもらおう」

「こっちの台詞だ!」

 

 憂助が吠え、猛虎のごとく躍りかかった。

 八双からの鋭い面打ちには、一切の加減が感じられない。必倒の一撃だ。

 爆発にも似た轟音が響き渡った。

 憂助の木刀は、玄士郎の拳によって止められていた。

 

「ほう、人間にしては良い打ち込みだ……だが、力が足りんな」

 

 玄士郎は木刀を拳で受け止めたまま、憂助の空いた脇腹へ回し蹴りを放つ。

 しかし憂助の身体が白い光を放ったかと思うと、その姿が消え、龍神の蹴りは虚空を薙ぐのみに終わる。

 憂助は玄士郎の背後に瞬間移動していた。

 

「エヤァッ!」

 

 相手の首筋目掛けて、横殴りの一刀!

 しかし何という事か――玄士郎は振り向き様に、迫る木刀を歯で噛み止めた!

 そのまま顔を振って、憂助を放り投げる。

 憂助は空中で体を回転させ、猫のように器用に着地した。

 

「神をも恐れぬ不届き者……砕け散れいっ!」

 

 その憂助目掛けて、玄士郎は拳打を繰り出す。

 両者の距離、二十メートルはある。

 しかしその遠間をものともせず、拳圧が拳を象った巨大な光波となって迫る。

 憂助は一瞬、回避の体勢を取った――が、何を思ったかその場にとどまり、攻撃を木刀で受け止めた。凄まじい圧力が木刀を通して全身にのし掛かり、筋肉と骨が嫌な音を立てて軋んだ。

 

「ぐっ……があああっ!」

 

 ケダモノめいた声を上げつつ、木刀を横に振る。

 拳圧の光波が矛先を逸らされ、城の外壁にぶち当たり、大穴を開けた。

 

「ほう、余の攻撃をいなすとは、やるではないか……先程の瞬間移動といい、いかなる妖術だ?」

 

 玄士郎が歩み寄りながら問い掛ける。どこか楽しげな声音だった。

 

「一緒にするな。これは念法だ。人の思念を極限まで鍛えて、高めて、物理法則を超えた霊的な力に変える……それを武術に応用して、妖魔や悪霊を退治する。人間がお前等げな連中に立ち向かうために編み出した、人間の技だ」

「ほうほう、つまり修練で得た力という訳か。人間もなかなか侮れぬではないか……しかし今のそなたは、身を守るのが精一杯のようだな」

 

 憂助は反論しなかった。実際に、玄士郎の言う通りだ。それどころか、今の攻撃にいたっては受け流せたかどうかも怪しい。もう一度やれと言われたら、十中八九失敗するだろう。

 

 玄士郎が歩みを止めた。

 木刀の届く範囲の、一歩外だ。

 

「朧には悪いが、気が変わった。小僧、仲間を連れて引き上げるなら、そなた等の命は助けてやろう。近々幽奈と祝言を上げる予定なのでな、慶事の前の殺生沙汰は、余も好まぬ」

「お断りだ」

 

 憂助は一ミリ秒の間も置かず、返答した。

 

「意地を張るな。この龍雅玄士郎を――黒龍神を相手にしたのだ。逃げてもそなたの恥にはならぬ。敗北を認め、技を磨け。その方がよっぽど、そなたのためになるというものだ」

「一昨日来やがれ」

 

 憂助は一ミリ秒の間も置かず、返答した。

 

「何を意固地になっておる……そなた、幽奈と深い仲であったのか?」

「馬鹿言うな。俺は幽奈さんの顔も知らねえ。赤の他人だ」

「ますますわからぬ。ならば何故、ここに来たのだ?」

「……大した理由じゃねえよ。そやけど、昔から言うやねえか、『強いやつはぶっ飛ばせ、弱いやつは助けろ』っちの。ガキが泣いて助けを求めようんなら、手ぇ貸してやるのが男っちもんやろが」

 

 その言葉に、玄士郎は幽奈と会った時の事を思い出した。確かあの場には、人間の娘に化けた一匹の小狸がいた。

 つまり、この木刀を持った少年は、あの小狸に懇願されてここに来たという事か……。

 

「そのような考え方、嫌いではないが……退く気がないというのであれば、仕方あるまい」

 

 玄士郎は拳を握り、振りかぶった。恐らくは全力での攻撃となるだろう。

 憂助は木刀を脇構えに構え、身を沈めた。拳をかわして、カウンターで抜き胴を叩き込むつもりだった。

 木刀が白い光輝を放ち始める。

 

 憂助は感じ取っていた。

 玄士郎の全身からほとばしる凄まじい気の圧力を。

 これから繰り出される拳をくらえば、自分など死体も残るまい。

 だが、恐れはしなかった。

 木刀に彫り込んだ『獅子王』の文字。これは仏教の言葉で、『小兎を狩るのにも全力を尽くし、巨象にも怯まず挑む獅子王のごとき心』を意味する。小事を侮らず、大事に怯まぬ心構えをあらわした言葉だ。

 ――もっとも、日頃から何かといい加減な父の言った事なので、どこまで本当かはわからない。しかし憂助は、気に入っていた。

 そして今、その獅子王の心で、黒龍神に挑むのだ。

 

「さらばだ小僧!」

 

 玄士郎が拳を放った。フェイントなどの小細工一切なしの、これ以上ないくらい単純なストレートパンチ。

 しかし不意に憂助の身体が真横に飛び、その拳は的を外した。

 そして、憂助の後ろにいた者の左手で、受け止められた。

 

 冬空コガラシ。

 彼が憂助を、右手一本で投げ飛ばしたのだ。

 憂助が先の玄士郎の拳圧に対して、回避から防御に切り替えたのは、自分の後ろに彼がいたからだ。

 しかし、城の天守閣から地上の城壁に叩きつけられ、立ち上がれるだけでも有り得ない事だというのに、黒龍神の全力パンチを片手で受け止めるとは……!

 憂助も玄士郎も、目の前で起きた出来事が全く信じられなかった。

 

「ありがとな、久我……こんなありきたりな言葉じゃ追い付かねえくらい、感謝してる。後は任せてくれ」

 

 コガラシはポカーンと口を開けたままの憂助に、そう言った。

 そして玄士郎に鋭い眼差しを向ける。

 

「余の拳を受け止めただと……貴様、いったい何者だ……?」

「俺は冬空コガラシ。お前にさらわれた幽奈を助けに来た」

 

 コガラシの左手に、力がこもる。

 玄士郎の拳が、ミシリと音を立てた。

 

 外せない。

 黒龍神である玄士郎が、人間の小僧一人の握力から拳を外せない。

 

「ぬうううっ!」

 

 玄士郎は左の拳を振り上げた。

 が、コガラシの方が速い。

 一歩踏み出して繰り出した右のボディブローが深々と玄士郎の腹筋にめり込んだ!

 砲弾のごとく吹っ飛んだ玄士郎は、城を貫通してその向こう側の城壁にぶち当たった。

 

 何が起きた?

 

 間近で見ていた憂助も、先程からすでに意識を取り戻していた朧も、天守閣から戦いを見守っていた幽奈たち三人も、誰も彼もが、我が目を疑う。

 

「俺は霊媒体質ってやつでな、小さい頃からいろんな霊に取り憑かれて、苦労してたんだ」

 

 コガラシがふと語り始めた。

 

「そんなある日、デタラメに強い霊能力者の霊に取り憑かれちまってな。無理矢理弟子入りさせられて、散々しごかれたけど、その地獄の修行と試練の果てに、師匠をも超える力を手に入れた」

 

 城の向こう側まで飛んでいった玄士郎に向けてであろう。グッと握った拳を突き出す。

 

「龍神様だろうが仏様だろうが関係ねえ。俺が殴れねえのは、女だけだ」

「――そういう事か」

 

 城の向こう側から、答える声があった。

 玄士郎がムクリと立ち上がり、プッと血を唾と一緒に吐き捨てた。そして一跳びでコガラシの前に立つ。

 

「その師匠とやら、もしや……」

「ああ。八咫鋼(やたはがね)の末裔だったそうだ」

「やはりか……!」

 

 途端に、周囲がざわめき始めた。

 無理もあるまい。

 コガラシが口にした『八咫鋼』とは、日本の霊的存在の中でも特に強力な三つの家系『御三家』の一つなのだ。

 

「血筋はとうに途絶えたと聞いたが、その末裔に鍛えられたとなれば、今の一撃の重さもうなずけるというものよ。血の繋がりこそなくとも、貴様は紛う事なき八咫鋼の後継者……で、あるならば、もはや是非もなし」

「やるか?」

「いや。断腸の思いで、幽奈は諦めるとしよう」

 

 玄士郎の言葉に、コガラシは握った拳を緩めて、下ろした。

 

「八咫鋼と事を構えたと知れれば、龍雅家に従っている妖怪たちの中から、反旗をひるがえす者が現れるやも知れぬ。信濃の平和のために、ここは余が退くとしよう」

「――そうしてくれるとありがたいな」

「ただし、これだけは言っておく。コガラシとやらよ、余は貴様から退くのではない。龍雅家当主として、八咫鋼の名から退くのだ。それだけは履き違えるなよ?」

「……ああ、わかってる」

 

 

 その後、一行は幽奈共々、半魚人たちに洞窟の外まで送られた。

 彼等が地下の闇に再び姿を消した後、憂助の瞬間移動でゆらぎ荘に帰る。

 到着した一行を、車のヘッドライトが照らし出した。

 

「あ、あらぁ~? あなたたち、幽奈ちゃんを助けに行ったんじゃなかったのぉ~?」

「……忘れ物?」

 

 車から下りた二つの人影が問い掛けた。

 運転席から下りてきたのは、眼鏡を掛けた長髪の女性で、Vネックのセーターの上からでも、その豊満な胸のラインが見て取れた。

 助手席からあくびしながら下りてきたのは、フード付きのパーカーを着込んだ少女。フードに付いてる猫耳のせいか、全体的に猫っぽい雰囲気が漂う。

 ゆらぎ荘の住人、荒覇吐(あらはばき)呑子(のんこ)伏黒(ふしぐろ)夜々(やや)だった。

 狭霧からの連絡を受けて、これから加勢に向かうところだったのだ。

 

「ど、どうも、ご心配をお掛けしました」

「あらぁ~、幽奈ちゃぁ~ん? もう助け出しちゃったのぉ~?」

 

 幽奈の姿を見て、呑子は間延びした口調ではあるものの、驚く。

 

「ああ、こゆずがすげえ助っ人連れてきてくれたお陰でさ……あれ? 久我?」

 

 コガラシが、その助っ人を紹介しようとしたが、姿が見えない。

 そこへガシャンと音がした。一同が振り向くと、憂助がマウンテンバイクにまたがっている。

 

「おい、何だよ。もう帰るのか?」

「もう用は済んだきの。だいたい、明日も学校やろが」

「あー、そっか。ありがとな久我」

「憂助くん、ありがとー」

 

 コガラシとこゆずに軽く手を振って、憂助はマウンテンバイクを走らせ、去っていった。

 

「愛想のないお友達ねぇ~」

「憂助くんはいつもあんな感じだよ? でも、ホントはすごく優しい人なんだ」

 

 呆れる呑子に、こゆずがフォローを入れる。

 

 狭霧は無言で、憂助の背中を見送り、彼が夜の(とばり)に消えた後も、険しい眼差しで見送り続けた。

 

 

 翌朝。

 コガラシは手の中に突然湧いた、柔らかな感触で目が覚めた。

 幽奈はしょっちゅう、寝ぼけて彼の布団に潜り込む。今朝もまたそれかと思ったのだが……、

 

(幽奈にしては、何か小さいな……)

 

 疑問に思って目を開けると、そこにはあの龍雅玄士郎の従者、朧がいた。全裸で。

 コガラシの手は、彼女の胸の膨らみを鷲掴みして、指を食い込ませていたのである。

 

「――うっ、うわぁああああああッッ!!」

 

 コガラシの物凄い()()が響き渡る。その声で、朧を挟んで隣で寝ていた幽奈も目を覚まし、そして闖入者に悲鳴を上げ、コガラシの陰に隠れた。

 

「お、お、お、朧さん! どーしてここに!?」

「ままままま、まさかテメェ! 性懲りもなく幽奈をさらいに来やがったのか!」

「この私が、余人ならいざ知らず玄士郎様の意思に背くはずがなかろう」

 

 朧は冷静に答える。全裸で。

 

「ごく個人的な用事で来たのだ。冬空コガラシ、あの木刀を使う男の居場所を教えてほしい」

「久我の? ――そうか、リベンジだな?」

「察しがいいな。どうだ、教えてくれれば、一夜だけこの肉体(からだ)をお前の好きにしてくれても構わないぞ? 住所でも電話番号でもいいし、どこに行けば奴に出会えるか、或いは、この町に住んでいるのかだけでもいい」

「ふざけんな、誰が教えるか! いいか、アイツはな、赤の他人の幽奈を助けるために命がけで戦ってくれた、正真正銘本物の男だ! そんなアイツの男気を裏切るくらいなら腹かっさばいて死んでやらぁ! わかったらとっとと帰れ!」

 

 コガラシは一気にまくし立てた。

 

「……なるほど。そういう事なら仕方あるまい。ところで冬空コガラシよ」

「何だよ」

「私と子供を作らないか?」

「お前、俺の話聞いてたのか? 俺は久我を売るような真似は絶対に」

「それはそれ、これはこれだ。八咫鋼の後継者たる貴様の血を取り入れれば、龍雅家はより強固となる。だから貴様の子を授かりたいのだ」

「……」

 

 コガラシは「はぁ~っ」と大きなため息をついた。

 そして立ち上がり、窓を開ける。

 

「わかった。俺のクイズに正解出来たら考えてやるよ」

「ほう。で、そのクイズとは?」

 

 朧はコガラシの隣に寄り添うように立つ。全裸で。

 

「この下にあるのは何だ?」

 

 問われて窓の外を覗き込んだ朧。コガラシが指差す先にあるのは……、

 

「庭のようだが?」

「ハズレ。正解は『川』だ」

 

 言うなりコガラシは、朧を()()()()()()()へと投げ落とした。

 派手な音を立てて、水柱が高々と上がる。

 その川がなかなか深く、二階の部屋から飛び込んだ程度では怪我はしない事を彼は知っている。

 この高さから落ちれば着水の衝撃は相当あるだろうが、多少は痛い目に遭わせておいた方がいいだろう。

 

「顔を洗って出直してこい! ――じゃなかった、二度と来るな! 帰れ!」

 

 コガラシは怒鳴りつけて、窓をピシャリと閉めたのだった。

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