千紗希さんの悩み事   作:阿修羅丸

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一学期
千紗希さんの日曜日


 板張りの道場で、剣道着姿の久我憂助は木刀を正眼に構えていた。

 奇妙なのは、彼が手拭いで目隠しをしている事だ。

 そして更に奇妙なのが、同じように目隠しをし、同じように木刀を正眼に構える剣道着姿の男がいる事である。

 憂助と向かい合う、口髭をたくわえたその男の名は久我京一郎。憂助の父だ。

 父子は木刀の切っ先を相手に向け合ったまま、じっとしている。まるでビデオの静止画像のように、微動だにしない。

 ──かと思うや否や、憂助の木刀が動いた。電光石火の突きが父親の喉元目掛けて繰り出される。

 京一郎の木刀がかすかに揺れて、憂助の木刀に触れた。

 その瞬間、憂助の身体はポーンと宙に跳ね上がり、大きな弧を描いて京一郎の背後の床板に叩きつけられた。

 彼の木刀は、京一郎の木刀に磁石のように吸い付いていた……。

 

「ちちっ……!」

 

 派手に落下した割りには、憂助にダメージはなさそうだ。すぐにムクリと起き上がって腰をさすると、目隠しを取った。

 

「ふむ……『(たい)の起こり』は完璧に消せとうが、『気の起こり』はまだまだやのう」

 

 立ち上がった息子に、京一郎は同じく目隠しを取りながら、木刀を返してやった。

 起こりとは、簡単に言うと、技を出す際に生じる予備動作の事である。『体の起こり』がまさにその事で、『気の起こり』とはこの場合、攻撃しようとする意思を指す。いわゆる殺気と呼ばれるものだ。

 

「お前はどうにも気性が荒いきのぉ……お母さんは菩薩様んごと優しい人やったき、やっぱりじいちゃんに似たんやろうな」

「嘘つけ、じいちゃんメチャクチャ優しいやねぇーか。遊び行ったらいっつも小遣いくれるし、でけぇヤマメ食わしてくれるぞ」

 

 福岡の山奥に一人隠居している、祖父の久我玄馬を思い出し、憂助は優しい祖父の名誉のために抗議するが……、

 

「そらお前、じいちゃんからしたらたった一人の孫やき、優しくもなるわ。そやけどじいちゃんああ見えて、若い頃はものすご怖かったぞ? 名前にかけて『鬼より怖い久我閻魔』っち呼ばれとったらしい。父ちゃんも小さい頃は、悪戯するたびに泣くまでぶっ叩かれてなぁ……怒ったじいちゃんを止められるのは死んだ婆ちゃんくらいやったわ。

 ──じいちゃんがお前に甘いのは、昔の自分を思い出して親近感湧くからかも知れんのぉ」

「……あのじいちゃんが……?」

 

 憂助には信じがたい話のようだ。

 しかし、自分の両頬をバチンと叩いて、気持ちを切り替える。

 

「それはそれとして、親父、もう一丁!」

「そろそろ朝飯作らなならんきの、続きは帰ってからな」

 

 京一郎は自分の木刀を壁に架けて、道場を出ていった。

 

 

 朝食を済ませた後、憂助は家の掃除を始める。

 父は軽トラに乗って早々に出掛けてしまった。道の駅内で経営している店があるのだ。彼が自作した小物を売っている。

 掃除を終えた憂助が洗濯物を庭に干す頃には、時計の針は10時を回っていた。家の戸締まりをすると、愛用のマウンテンバイクにまたがり、父のいる小物屋へ向かう。日曜日は店の手伝いをする事になっていた。

 念法の力の為せる技か、マウンテンバイクはオートバイを思わせる猛速で町に出た。

 道の駅につくとブレーキを掛けるが、それまでの慣性をまったく無視して、ビデオの静止画像のごとくピタリと止まる。

 駐輪場に自転車を停めてから、敷地内の端っこにチョコンと建つ二件のプレハブ小屋へ向かった。

 一件が小物屋『まよひが』で「まよいが」と読み、山の怪異の一つである『迷い家』とかけてあるらしい。2メートルほどの(憂助には今一必要性が感じられない)渡り廊下でつながった隣は、商品となる小物を作る工房だ。

 憂助が店の方に入ると、女性歌手のキャピキャピした歌声が響いていた。京一郎が今(年甲斐もなく)はまっているアイドル歌手の新しいアルバムだと、憂助は思い出した。

 

「おう、お疲れさん」

 

 奥のカウンターに座って新聞を読んでいた京一郎は、息子に声を掛ける。

 

「んじゃ父ちゃん、工房の方におるきの」

 

 そしてさっさと裏口から、隣のプレハブ小屋へ引っ込んだ。

 憂助はカウンターに入り、エプロンを付けると、まずは店内に流れる歌を止めた。

 他人の趣味にケチをつけるのはカッコ悪いので黙ってるが、父のアイドル趣味にだけはついていけない。加えて、憂助にとって興味のないジャンルの音楽など、雑音と変わらない。

 せっかくの日曜日を費やして、ろくに客の来ない店の手伝いをやってる自分の、せめてもの権利として、憂助は代わりにポール・モーリアのCDをプレイヤーに入れて、音量を控え目にして再生させた。

 

 

 何事もなく退屈な1日が過ぎ、時計の針は午後6時を回った。

 憂助がそろそろ片付けに入ろうかと考えていた矢先に、店の出入口が開いた。珍しい事に、客が来たのだ。

 

「……!」

 

 その客の顔を見て、憂助は思わず軽く竦み上がった。

 来店したのは一人の少女。

 宮崎千紗希だった。

 

「あれ、久我くん? ここでアルバイトしてるの?」

「……バイトやねえ。親父がやっとる店を手伝っとる」

「そうなんだ……そのお父さんは?」

 

 千紗希は店内を見渡すが、それらしき人物はいない。

 

「店の隣にもう一個小屋があったやろう。そこで売り物作っとる」

「え? じゃあこのお店の物って、全部お父さんの手作りなの? すごぉい!」

「いやいや、それほどでも」

 

 不意に声がした。京一郎がいつの間にか工房から出て来ていたのだ。

 

「それに全部が全部やないんよ。そこの壁の絵は憂助が描いたもんやし、そっちの竹笛も憂助が作った」

「おい」

 

 憂助が声に凄みを加えて呼び掛ける。

 

「照れるな照れるな。だいたいお客さんに嘘つく訳にもいくめえも。

 ああ、そうそう。そこの四神のキーホルダーもね、作ったのはおいちゃんやけど、デザインは憂助がしたんよ」

 

 京一郎はそう言って、レジの横に陳列されたキーホルダー群を指し示す。

 

「シシン?」

「東西南北を守る動物の神様の事よ。北が玄武、西が白虎、東が青龍で、南が朱雀」

「ああ、漫画とかで名前なら聞いた事があります……へえ……これを久我くんが……」

 

 小さなアクリル板に絵が描かれているだけの簡素な作りだが、丸っこくデフォルメされた四神の姿は、千紗希の目から見ても愛らしい。

 

「じゃあこの亀さん……玄武さん、一つください」

「おありがとうございます! ほれ、憂助」

「…………」

 

 憂助は余計な事ばかりペラペラ喋る父をジロリと睨んでから、商品を受け取り、精算し、小さな紙袋に包んでお釣りと一緒に千紗希に渡した。

 

「ところでお嬢ちゃんは、憂助とは友達なんかね?」

「はい。以前助けてもらった事があって……」

「ひょっとして、宮崎千紗希さん? こゆずちゃんがよう話しよったけど……」

「はい、そうです」

「おお、やっぱり。いやいや、しかしこうして実際に会うと、想像してた以上の別嬪さんやねぇ」

「あ、ありがとうございます……」

「こげな店に一人で来る辺り、彼氏募集中とお見受けするが……どうやろかね、うちの憂助とか、ちょっと考えてみてくれんかね。気性も激しいで、とっぽいとこもあるが、根は真面目で優しい子なんよ」

「──おい」

 

 憂助は声に更なる凄みを加えて呼び掛けた。

 

「何か憂助。こげな器量良しの別嬪さん、ほっとく手はねぇーぞ? 久我家の存続のためにも早いうちから行動しとかんといかん。父ちゃんに任せとけ」

「知るか。一人で空回ってんじゃあねえ。大概にしとかんとじいちゃんに言い付けるぞ」

 

 カウンターに置いていた自分のスマホを指でトントンと叩いて、憂助は脅しつける。

 京一郎にとって、父の玄馬は依然として恐怖の対象らしく、顔がひきつった。

 

「さぁ、冗談はこの辺にしとこうかね。千紗希ちゃん、良かったらまた来てね。こゆずちゃんに会ったらよろしゅう言うとって」

「は、はぁ……」

「憂助。店はもういいき、お送りしてやれ。最近は物騒やきのぉ」

 

 ……憂助はため息をついてから、立ち上がった。

 立ち上がりながら、考えた。

 

 自転車に乗せて送るのは、愛車は二人乗りを想定してないので没。そもそも道交法違反である。

 瞬間移動なら早いが、まさか直接部屋に飛ぶ訳にもいかない。家の前に飛ぶ事になるが、誰かに見られたらごまかしも効かない。

 

 やむを得ず、普通に歩いて送る事にした。

 店を出た二人は、並んで歩き始める。

 

「お父さん、面白い人ね」

「おい、別に気ぃ遣わんでもいいぞ。親父は女と見たら誰にでも愛想良くしくさるきの。アホ親父がアホな事言うて、ホントにすまんかった……あー、でも、その、なんだ、あれだ」

「なぁに?」

「親父は誰にでも別嬪さんっち言うが、器量良しまでつける事は滅多になくてな……まぁ、つまり、そんだけお前が器量良しの別嬪さんっち事やき、まぁ、そう気ぃ悪くせんでくれ」

 

 憂助なりに、京一郎と千紗希の両方をフォローしてやってるようだ。

 

「そうなんだ、ありがとう──久我くん、お父さんの言った通りだね」

「あん?」

「根は真面目で優しい子だって言ってたじゃない。正直に言うと、初めて会った時はちょっと怖かったけど、こゆずちゃんもなついてたし、久我くんってホントに優しい人なんだなって思うよ?」

「……俺にまで気ぃ遣わんでもいいぞ」

 

 憂助はそう言って、そっぽを向いた。

 その様を見て、千紗希は思わず微笑ましい気持ちになるのだった。

 

 

 冬に比べて日は長くなったが、それでもまだまだ春先の事である。6時を過ぎると暗くなるのも早い。

 近道になるからと千紗希が言うので、憂助は彼女の指し示す公園を突っ切る事にした。

 外灯がたくさん設置されているため、林の中の遊歩道も歩くには支障のない明るさだった。

 

「へぇー、お父さんそんなに強いんだ?」

 

 二人の会話は、千紗希の

 

「久我くんの霊能力って、なんかあたしの知ってるのとイメージが違うね」

 

 という一言から、憂助の念法の説明に入り、そのまま京一郎の腕前に話題が移っていた。

 

「中学に上がる頃から手合わせしてもらうようになったが、一回も勝てた事がねえ。じいちゃんはその親父の、更に三倍は強いらしい」

「でも、久我くんも強いじゃない。あの悪い霊能者の時も、お化けをあっという間にやっつけたし」

「……その俺が手も足も出らんのが、うちの親父だ」

「うーん……でも、お父さんは久我くんが生まれるよりもずっと前からお稽古してたんでしょ? だったら、そんな簡単には勝てないのも仕方ないんじゃないかな?」

「……なら、いいんやけどの」

 

 不意に憂助の声が暗くなった。

 

「単に、俺が向いてねえだけかも知れん……」

 

 そうつぶやき苦笑する顔は、自信のない弱気な表情だった。

 千紗希は励ましの言葉を掛けようとしたが、何を言えばいいのかわからない。

 

 ──その時、外灯で煌々と照らされていた周囲が、突然暗くなった。

 道の脇の林から黒い霧が発生し、広がって、二人を包み込んだのだ。

 

「きゃあああっ!」

 

 千紗希の悲鳴が響き渡る。彼女の服が、霧に触れた部分から灰や砂のようにボロボロと崩れ始めたのである。その崩壊速度も非常に速く、霧が発生してから数秒と経っていないにも関わらず、下着が露出し始めていた。

 憂助の服も同様で、崩壊した服の下から鍛えられた筋肉が見えている。

 少年の右手には──いつの間に、そしてどこから取り出したのか──木刀が握られていた。

 

「久我流念法、太刀風!」

 

 横一文字に振り抜かれた木刀から強風が吹き荒れ、周囲の妖霧を吹き飛ばし、蹴散らした。

 風は意思を持っているかのように一方向に──霧が発生した林へと向きを変える。

 木々の間に、蜘蛛がいた。ただし、牛ほどの大きさがある。そして黒い霧を吐き出していたその口は、人間と同じ歯と舌を備えたものだった。

 

「テメーかぁ!」

 

 憂助は自ら起こした風に乗って跳躍。瞬く間に距離を詰めた。

 八双に構えた木刀が破邪の念を帯びて白い光輝を放つ。

 白光が煌めき、蜘蛛の怪物は身動き一つ出来ぬまま、巨体を真っ二つに斬割され、黒い塵となって消滅した。

 

「く、久我くぅ~ん!」

 

 千紗希の情けない声が聞こえた。

 行ってみると、彼女は両腕で自分の下着姿を隠している。憂助の目の前で、カーディガンの袖がボロリと崩れ落ちた。

 霧に直接触れられるより速度は遅いものの、侵食された部分から崩壊が続いているのだろう。

 

「目ぇつぶってじっとしとけ」

 

 言われて千紗希は、ギュッと目を閉じる。

 ブワッと熱風が我が身を叩くのが感じられた。

 そして少女の白い肌にまとわりついていた服の残骸が、綺麗に消し飛んだ。

 

「すまん。こうでもせんとスッポンポンになっしまうきのぉ」

 

 ほとんど残ってなかったとはいえ、服を吹き飛ばしてしまった事を、憂助は詫びた。

 詫びながら、木刀の切っ先を左手のひらに当てて押し込む。これも念法の技なのだろう。長さ1メートル近くある木刀はまるで手品のように、憂助の左手のひらの中に消えていった。

 

「ううん、いいの。わかってる……でもどうしよう。どの道こんな格好じゃ、動けないよ……」

 

 千紗希は、非常に居心地が悪そうにしている。

 腕に圧迫されて、93cmのFカップが更に谷間を深くしていた。

 

「……しゃあねえ。飛ぶか」

 

 憂助はつぶやき、千紗希の丸出しになった肩を掴んだ。

 

「えっ?」

 

 突然の行動に驚く千紗希。

 次の瞬間、辺りが白い光に包まれた。

 ──かと思うと光はすぐにおさまり、彼女はヌイグルミがたくさん並ぶ部屋の中にいた。他でもない、彼女の部屋である。

 

「えっ?」

「瞬間移動だ。知ってる人や場所にだけ行ける」

「……すごぉい」

 

 本当に心から、千紗希はそう思った。

 

「すまん。最初からこうしとけば良かったんやが……直接お前の部屋に飛ぶ訳にもいかんし、俺はこの辺詳しくねえき、他にはお前の家の前くらいにしか飛べん。もし誰かに見られたら何も言い訳出来んきの……」

「そっか、そうだよね……うん、それなら仕方ないよ。謝らないで、久我くん」

 

 千紗希は憂助の言い分に理解を示し、笑ってみせた。

 

「じゃあな」

 

 憂助は靴を脱いでから、部屋を出た。外からは何の物音もせず、まだ家族は帰ってきていないのはわかっている。

 

「久我くん、ちょっと待って!」

 

 千紗希はベッドの上に広げてあった部屋着に急いで着替えて、憂助を追う。

 

「……どうした?」

 

 憂助は廊下で立ち止まり、振り向く。

 

「うん、あのね……さっきの話なんだけど……あたしは、念法とか武術とかよくわかんなくて、何のアドバイスもしてあげられないけど……でも、久我くんが向いてないっていうのだけは、絶対にないと思うの。

 さっきも蜘蛛のお化けをやっつけてくれたし、瞬間移動なんて凄い事だって出来るし、それにお父さんだって、久我くんの事、とても自慢にしてるように見えたよ?

 だから、その……」

 

 そこで千紗希は、わずかに言い淀んだ。果たしてこんな月並みな言葉でいいのだろうかとためらう。

 しかし、思いきって憂助の手を両手でギュッと握り、彼の目を見て、口にした。

 

「だから、自信を持って、頑張って! あたしは、久我くんの事応援してるから!」

 

 少女の言葉に、憂助は一瞬だけだが、何も言えなくなった。

 月並みな励ましのはずだが、それがやけに自分の胸の内に暖かく響いたのである。

 

「……そうやの。おう、そうするわ。ありがとな」

 

 そう答えて、千紗希の手をグッと握り返した。

 

 

 その夜。

 千紗希はベッドの中で、抱き枕代わりにしている大きな熊のヌイグルミを抱いていた。

 そして、久我憂助について思いを巡らせていた。

 

(何だか、意外だったな……)

 

 初めて会った時は、自信と行動力に満ち溢れた少年だと思っていた。

 しかし、彼も彼なりに悩みや不安を抱えているらしい。

 

(良く考えたら、当たり前だよね……同い年なんだもん……)

 

 種類こそ違えど、自分にだって悩みや不安はある。

 憂助が同じように思い悩む事があっても、何ら不思議ではあるまい。

 しかしそれはそれとして、あの久我憂助という少年が少しだけ、身近に感じられるようになった。

 

(今日も助けてもらったし、また今度、何か美味しい物でも作ってあげようかな……)

 

 そんな事を考えながら、千紗希は眠りに就くのだった。

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