千紗希さんの悩み事   作:阿修羅丸

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狭霧さんのお誘い

 夕方の6時を過ぎた公園。

 林の中に設置された遊歩道を、宮崎千紗希と久我憂助が歩いていた。

 しかし、外灯で煌々と照らされていた周囲が、突然暗くなった。

 

 道の脇の林から黒い霧が発生し、広がって、二人を包み込んだのだ。

 

「きゃあああっ!」

 

 千紗希の悲鳴が響き渡る。彼女の服が、霧に触れた部分から灰や砂のようにボロボロと崩れ始めたのである。その崩壊速度も非常に速く、霧が発生してから数秒と経っていないにも関わらず、下着が露出し始めていた。

 

 憂助の服も同様で、崩壊した服の下から鍛えられた筋肉が見えている。

 

 少年の右手には──いつの間に、そしてどこから取り出したのか──木刀が握られていた。

 

「久我流念法、太刀風!」

 

 横一文字に振り抜かれた木刀から強風が吹き荒れ、周囲の妖霧を吹き飛ばし、蹴散らした。

 

 風は意思を持っているかのように一方向に──霧が発生した林へと向きを変える。

 

 木々の間に、蜘蛛がいた。ただし、牛ほどの大きさがある。そして黒い霧を吐き出していたその口は、人間と同じ歯と舌を備えたものだった。

 

「テメーかぁ!」

 

 憂助は自ら起こした風に乗って跳躍。瞬く間に距離を詰めた。

 

 八双に構えた木刀が破邪の念を帯びて白い光輝を放つ。

 

 白光が煌めき、蜘蛛の怪物は身動き一つ出来ぬまま、巨体を真っ二つに斬割され、黒い塵となって消滅した。

 

 ──その様子を遠くの木陰から見つめる、一組の男女があった。

 冬空コガラシと雨野狭霧である。

 人の衣服を溶かす黒い霧を出す妖怪が出没しているため、それを退治するためにやって来たのだ。

 元々その妖怪は別の公園に棲み着いていたのだが、相次ぐ被害のために公園が立入禁止になったため、獲物を求めてこの公園に移動してきた。

 コガラシと狭霧の二人は、それを追っていたのである。

 憂助が、下着姿に剥かれた千紗希を連れて瞬間移動で立ち去ると、コガラシは木陰から出てきて、さっきまで蜘蛛の妖怪がいた場所に立つ。

 蜘蛛の妖怪は、死体はおろか、かすかな妖気すら残ってなかった。

 

「やっぱすげぇなアイツ……一発で仕留めやがった……!」

 

 憂助の手並みに、コガラシはどこか嬉しそうだ。

 

「俺たちの出番、全然なかったな。なぁ、狭霧……狭霧?」

 

 背後の少女に呼び掛けるコガラシ。

 しかし、返事がない。

 振り返ると、狭霧は険しい顔つきをしていた。

 

「お前、どうしたんだ? 最近変だぞ?」

「別に。何でもない」

「嘘つけ、明らかに何かあるだろ。最近、久我の事になるとすぐに機嫌悪くなるじゃねえか。まぁ、人それぞれ好き嫌いはあるから、無理に仲良くしろなんて言わねえけどよ……」

「うるさいっ! 貴様には関係ないッッ!!」

 

 狭霧は怒鳴りつけ、ついでにクナイまで投げつけると、その場から姿を消す。

 彼女が木の枝を蹴って移動する音が、夜の林に響いた。

 

 

 憂助が蜘蛛の妖怪を成り行きで退治してから、三日後。

 憂助がトイレから教室に戻ると、眼鏡をかけたマッシュルームカットの男子生徒が出迎えた。

 

「く、く、久我くん……大変だ……っ!」

「何か瀬戸。また安城にいじられたか? オメェーもちったぁ受け流す度量を身に付けんと……」

「いや、そうじゃなくて。こ、こ、こ、これを!」

 

 瀬戸と呼ばれた同級生の男子が、両手で手紙を差し出した。

 縦にした洋封筒の()()に、差出人の名前が書いてある。

 

『雨野狭霧』

 

 ──あの忍者女か、と憂助は思い出す。

 

「く、く、く、久我くんが戻ってきたら渡してくれって頼まれて……あ、あ、あの雨野さんから手紙だなんて……久我くん、いつの間にあの雨野さんとそんな関係に……ッ!」

 

 瀬戸がうろたえるのも無理はない。

 狭霧は入学当初こそ、眉目秀麗・文武両道・成績優秀と持て囃されたが、腕っぷしの強さと男嫌いな性格のせいで、早々に男子たちから恐れられるようになってしまったのだ。

 女子からはお姉様的な人気があるらしいが……。

 

「阿呆、これはラブレターやねえ」

 

 憂助はひったくるように、手紙を受け取った。

 

「違うの?」

「当たり前だ。左封じのラブレターとかある訳ねかろーが」

「ヒダリフージって?」

「封筒の口が左に来ちょろうが。だき左封じだ」

 

 憂助は封筒の裏表を確認して、『折り曲げ厳禁』の一文がないのを確認してから、手紙を封筒ごと二つ折りにして内ポケットに入れた。

 

 左封じは、主に弔事や凶事の手紙に用いられる。

 そして、決闘の申し込み……俗に言う果たし状にも。

 

 

 日曜日。

 湯煙市郊外の、とある河原。

 時間は午前7時。空がすっかり明るくなっているが、元々民家のまばらな場所なのもあり、人気は全くなかった。

 狭霧はその河原に一人、腕を組んでたたずんでいる。発育の良い肉体は、霊装結界に包まれていた。

 

 シャーッと自転車の走行音が、土手の上から聞こえてくる。一台のマウンテンバイクがオートバイと見紛うスピードでやって来て、ピタリと止まった。

 それに乗っていたのは、憂助である。

 グレーのTシャツとジーパン。シャツの上にはカーキ色のベストを着ている。腰には黒のウエストポーチを巻いていた。

 自転車から下り、スタンドを立てると、土手を下りて狭霧と向かい合った。

 

「おはようさん」

「ああ」

 

 狭霧は憂助の挨拶に素っ気ない返事を返し、クナイを取り出した。

 

「待て待て待て。ここまで来たんやき、逃げも隠れもせんわ。でもその前に、事情くらいは話せ。俺はお前の事なんぞ、最近知り合ったばっかりで音楽の好みもわからんとぞ? なし果たし状げな前時代的なもんもらわなならんとか。まさか石ころぶつけられたんが、そんなに屈辱やったか?」

「……それもある。私は幼い頃から、誅魔忍として修行してきた。その私の隠行術をああも簡単に見破られたとあっては、こだわらない訳にも行くまい」

「アホか。別にお前一人だけが修行しとった訳やねえ。俺だって物心ついた時にはもう念法の修行始めとったわ」

「──もう一つの理由が、それだ」

「……それっちゃ、どれか」

「貴様の使う技、念法だ」

 

 狭霧はそう言って、クナイの切っ先を憂助に向けた。

 

「冬空コガラシから聞いた。貴様が念法の使い手だと」

「……?」

 

 言われて憂助は、記憶の糸を手繰ったが、コガラシにそんな話をした覚えは全くない。

 しかし、黒龍神の城で龍雅玄士郎と戦った時、彼に念法の事を話した。

 その際コガラシは自分の後ろにいた。あの時点で意識を取り戻しており、憂助の話を聞いていたのだろう。

 

「貴様等念法使いと、我々誅魔忍軍との間には、深い因縁がある……過去、我々誅魔忍軍は、天皇陛下の霊的ボディガードの座を貴様等念法使いの一族と争った事がある。明治時代に宮内省が設置された頃の対抗戦……誅魔忍軍にとっては、歴史的な大敗だった」

「知るか」

 

 憂助は、吐き出すように言った。

 

「そらたぶん御本家やろ。文句はそっちに言え。うちは分家だ」

「……どうやら貴様、何も知らないようだな」

「何が」

「その対抗戦は、両陣営から代表選手五名を選出して行う団体戦でな。貴様の言う御本家、結城家には当時の当主とその弟しか戦える者がいなかったため、特別に分家からも代表選手を出して良いという事になった……それで選ばれた代表の一人が、久我鉄心だ」

「…………」

 

 憂助は黙り込んだ。

 久我鉄心とは、彼の高祖父の名前である。

 小さい頃、父や祖父から、その久我鉄心が忍者と戦ったという話を聞かされた事がある。

 

(あれ、ホントの事やったんか……)

 

 何せ、日頃からいい加減でお調子者の父が言い出した話である。祖父は単に話を合わせてやってるだけで、実際は父のホラ話だと思っていた。

 

「……だいたいわかった。うちのご先祖様にお前んとこのご先祖様が世話になったき、その子孫がお礼参りっちとこか」

「勘違いするな。勝敗は兵家の常、怨んではいない。しかし誅魔忍としても、一個人としても、貴様にはこだわらずにはいられない。それだけの事だ」

「そっちこそ勘違いすんなよ? さっきも言うたが、逃げも隠れもせん。単に理由を聞きたかっただけだ」

 

 憂助はベストの懐に右手を差し込む。

 引き抜かれた右手には、木刀が握られていた。

 憂助がその木刀を八双に構えた瞬間、狭霧はクナイを投げる。

 どこにしまっていて、いつの間に取り出したのか、投擲されたクナイの数は、三本だった。

 その三本を投げると同時に、狭霧は地を蹴って高々と跳躍する。

 そして、今度は五本のクナイを、地上の憂助目掛けて投げつけた。

 正面からのクナイをかわそうとすれば、頭上からのクナイが。

 頭上からのクナイをかわそうとすれば、正面からのクナイが。

 どちらか一方は、その身に受ける事となる。

 狭霧は勝利を確信した。

 

 ──しかし。

 

 憂助は木刀を八双から下段脇構えに変え、下から上へと虚空を斬り上げる。

 振り抜かれた木刀から発生した烈風が、正面から迫る三本のクナイを宙高く舞い上げた。

 それが頭上から降り注ぐ五本のクナイにぶつかり、互いに弾き合って、勢いなく憂助の周りに落っこちた。

 

「くっ……!」

 

 必勝を期した攻撃を木刀の一振りで潰されてしまい、狭霧は歯噛みする。

 河原に着地した彼女は、すかさず次の攻撃に移ろうとした──が、体が動かない。

 足下にふと目をやれば、一本のクナイが自分の影に刺さっていた。それは、今しがた自分が投げた物である。

 

(まさか、これが……?)

 

 上下から迫る八本のクナイを、七本弾き落とし、一本は撃ち返しただけでなく、誅魔忍術で言うところの『影縫い』に使ったのだ。

 その技量に、狭霧は戦慄した。

 

 憂助が彼女の目の前に、悠然と歩み寄った。

 

「介錯」

 

 そうつぶやき、木刀を真横に振り抜いた瞬間、狭霧は意識を失った。

 

 

 魚が焼ける時の匂いに鼻孔をくすぐられて、狭霧は目を覚ました。

 河原の上で依然倒れたままだったようだ。視界には空が広がっている。

 起き上がると、何かが体からずり落ちた。憂助が着ていたベストだ。気絶している間に掛けてくれたのだろう。

 憂助は、すぐそばで火を焚いていた。

 焚き火のそばに、三匹の川魚が、先端を削って尖らせた木の枝に刺されて、串焼きにされていた。

 憂助のウエストポーチの中にオイルライターやアーミーナイフが入っており、それを使ったのだ。

 そして何故か、冬空コガラシも一緒だった。

 

「ふ、冬空コガラシ……何故ここに……!」

「お前がやけに怖い顔して朝早くから出掛けるもんだから、心配になって後をつけてたんだよ……幽奈の恩人に喧嘩売るとか、何考えてんだお前」

「うっ……!」

 

 ジロリと睨まれて、狭霧は言葉につまる。

 彼女とて、黒龍神との一件で、憂助に感謝の気持ちがなかった訳ではないのだ。

 

「夫婦漫才は帰ってからやれや──ほれ」

 

 憂助が、魚の串焼きを一つ狭霧に差し出す。

 

「どうせ飯食ってねかろ。別に金なんぞ取らんき食ってけ」

「……あ、ああ」

 

 狭霧はそれを受け取り、フーッフーッと息を吹き掛けて冷ましてから、腹の部分にかぶりついた。

 黙々と食べていると、不意にバリバリという音がした。

 

「…………!」

 

 音の方を見て、狭霧はかすかに口許をひきつらせる。

 憂助が自分の分の魚を食べているのだが、彼はフランクフルトでも食べるように、魚を頭から丸かじりしていたのだ。

 

「く、久我憂助……貴様もか……!」

「何が?」

「久我ぁぁあああっ! お前もなんだなぁぁあああっ!」

 

 聞き返す憂助に、今度は自分の分の串焼きを手にしていたコガラシが(とても嬉しそうに)同じ事を言った。

 

「お前も頭からいくんだな! そーだよな、だって骨とかもったいねえもんな! 俺も山でサバイバルしてた時は頭からバリバリやったもんだよ! なのにゆらぎ荘のみんな、俺の食い方がおかしいみたいな反応してさぁ!」

「……うちはみんな頭から食うが、よそは違うごとあるの。今日はうっかりやっしもたが、俺も人前ではあんまりやらん」

「そっかー、俺も気を付けた方がいいかなぁ」

「好きにせぇ」

 

 コガラシに素っ気なく言いながら、憂助は残りを平らげる。

 コガラシも憂助と同じように、魚を頭から食べ始めた。

 狭霧はその様子をしばし眺めた後、チラリと自分の魚を見た。

 口をあんぐりと開けた魚の、白くなった目玉と、視線が合ったような気がした。もちろん錯覚だ。

 錯覚なのだが……、

 

(──うん、無理)

 

 少女の胸の内でかすかに芽生えたチャレンジ精神を打ち砕くには、充分だった。

 

 三人ともが食事を終えると、憂助とコガラシがその辺の土砂を被せて、焚き火を消す。

 

「何か悪かったな、久我。喧嘩売ってきたのは狭霧なのに、飯までご馳走になっちまって」

「喧嘩ではない、決闘だ」

「同じだ同じ!」

 

 訂正を求める狭霧に、コガラシはピシャリと返す。

 

「気にすんな。いい運動になったわ」

 

 憂助はそう答えると、「じゃあな」と言い残して、マウンテンバイクに乗って帰っていった。

 

「いい運動になった、か。奴からすれば私など、その程度だったという事だな……だが、次はこうはいかんぞ、久我憂助」

 

 見送りながら、不穏な事をつぶやく狭霧。

 しかしコガラシが見たその横顔は、険が取れて、どこか晴れ晴れとしていた。

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