昼休み。
久我憂助は校舎の裏庭にいた。一人だ。
そこに植えられている木の根本にレジャーシートを敷き、その上に座り込んでいる。
膝の上でA4サイズのスケッチブックを広げて、せっせと鉛筆を走らせていた。
描いているのは、お化けの絵だ。1ページに二つ、頭身の低いコミカルな感じのイラストが描かれてある。
父が経営する小物屋に出す新商品のデザインを頼まれたのである。
この絵をアクリル板に転写して、アクセサリーやストラップにする予定らしく、
「時代は今、お化けだ!」
と、かなり真剣な口調で言う父に、頭を下げられたのだ……。
よく晴れた昼休みにも関わらず、憂助以外誰もいないのは、ここが物理の実験や家庭科の調理実習などを行うための別棟だからである。
「わぁ、可愛い」
不意に少女の声がして、憂助はスケッチブックに落としていた視線を、正面に向けた。
白い髪を長く伸ばした、浴衣姿の少女が、そこにいた。その身体はフヨフヨと宙に浮いている。
「……幽奈さん。こげなとこで何しようとですか」
憂助は鉛筆を動かす手は止めずに、湯ノ花幽奈に問い掛けた。
「あ、すいません。その辺をお散歩してたら久我さんが見えたので、ご挨拶とお礼をと思いまして」
「礼? 俺、何かしましたっけ?」
「ほら、この前、コガラシさんたちと一緒に、私を助けてくださったじゃないですか」
「ああ……それなら、礼はこゆずに言うてください。俺は、あいつに頼まれただけですき」
「はぁ……」
幽奈は曖昧な返事をする。
それきり会話はぶつ切りとなった。
憂助は気にせず、黙々と絵を描いていく。
スケッチブックのページの上半分に、
「はうぅ、可愛かったのにぃ……」
未だに横から覗き込んでいた幽奈が、残念そうにつぶやく。
「描いた俺が言うのも何やけど、ぶんぶく茶釜の丸パクり過ぎやろが」
憂助はボツにした理由をそう語った。
そして、そこで不意にある疑問が思い浮かび、それを尋ねてみた。
「前にこゆずから、幽奈さんは地縛霊っち聞いたんですが……なしこげな所におるんですか」
地縛霊は読んで字のごとく、その土地、もしくは地点に縛られた霊である。
幽奈はゆらぎ荘の四号室に出る地縛霊だと、憂助は数日ほど前にこゆずから聞かされていたのだ。
幽奈がさらわれたのは、黒龍神が地縛霊をその地からひっぺがす力なり術なりを行使したからだろうと勝手に思っていた。
コガラシ共々初めてゆらぎ荘で顔合わせをした時も、ゆらぎ荘内なら自由に動けるんだろうくらいに思っていた。
しかし今、幽奈は校内を平然とうろついている。憂助の知る地縛霊の定義からは外れた現象であった。
「フッフッフ、よくぞ聞いてくれました! 実は私、幽霊歴がかなり長くて、ゆらぎ荘から離れた所にだって移動出来るんです!」
幽奈は何故か誇らしげに答えた。
「他にも、こんな事も出来ますよぉ~!」
言うなり、幽奈の体からボムッ! と煙が爆発するように発生し、彼女を包んだ。
その煙が消えると、幽奈の服装がゆらぎ荘の浴衣から湯煙高校の女子制服に変わっていた。
「私の着ている服も、実は私の幽体の一部なんです。だから強く、はっきりしっかりとイメージ出来れば、どんな服にだってお着替え出来るんです!」
「エコロジーやのぉ」
適当なコメントをする憂助。
(……幽体の一部っちゅう事は、いつもスッポンポンで外をうろついとるようなもんか)
とも思ったが、それは言わないでおいてやった。
代わりに、新たに生まれた別の疑問を口にした。
「今、幽霊歴長いとか言うとったが……」
「はい、正確には覚えてませんが、もう何年もの間、幽霊をやってます」
「何が未練で、そげ長い間とどまっとうとですか?」
憂助のその問いに、幽奈の表情がかすかに陰りが差した。
「覚えてないんです」
「はぁ?」
「気が付いたら、ゆらぎ荘にいました。でも自分の名前すら思い出せなくて……湯ノ花幽奈って名前も、仲居さんにつけてもらったくらいでして……だから、自分がこの世にとどまってる理由が、自分でもわからないんです……ホント私って、ダメな幽霊ですよね~!」
幽奈はおどけた口調で言って、アハハと笑った。
「──確かに、史上まれに見るポンコツ幽霊やのぉ」
「はうっ!」
憂助の言葉が、割りと真面目に幽奈に突き刺さったようだった。
「──冬空は、その事知っちょうとですか?」
「はい……私が成仏出来るようにと色々考えて、色々やってくださるんですけど……でも上手くいかなくて……」
そう言って膝を抱え、ショボくれる幽奈を、憂助はスケッチブックの上に鉛筆を走らせながら、横目で見ていた。
◆
日曜日の昼下がり。
ゆらぎ荘に一台の自転車がやって来た。
久我憂助である。
愛用のマウンテンバイクではなく、前面にはカゴ、後ろに荷台の付いた、いわゆるママチャリだ。
その荷台に、大きな箱が乗せられていた。
来客に気付いたのは、玄関を掃き掃除していた小柄な女の子だ。和服の上からエプロンを着けている。
「あら憂助くん、こんにちは。」
ゆらぎ荘の仲居を務める仲居ちとせ。
見た目は幼く、中学生くらいにしか見えないが、その正体は座敷童子で、ゆらぎ荘の最古参である。
憂助の父京一郎は高校卒業後、日頃のいい加減さが祟って就職浪人となり、職を求めて湯煙市に上京したのだが、その際当座の住まいとしたのが、ここゆらぎ荘である。当時温泉旅館だったゆらぎ荘で、住み込みのアルバイトをしていたという。
ちとせとはその時に知り合った仲で、こゆずがゆらぎ荘に住めるようになったのもその縁だ。
「仲居さん、こんちは。冬空くんと湯ノ花さん、いますか?」
「ええ、コガラシくんは今、お風呂場の掃除をやってもらってます。幽奈さんも一緒です。もうすぐ終わるはずですから、お部屋で待っててくださいね」
ちとせは持っていた竹箒を壁に立て掛けると、憂助を二人が住む四号室に案内した。
憂助は自転車の荷台の大荷物を肩に担ぎ、彼女に続いた。
「京一郎くんはお元気ですか?」
「相変わらずです」
「憂助くんはお稽古頑張ってます?」
「……他にやる事もないんで」
「ふふっ、真面目に頑張れるのは良い事ですよ。だから、照れる事ありません」
ちとせの言葉に、憂助は口をへの字に曲げた。
ちとせからすれば、憂助はクール気取りのとっぽい弟みたいなものだ。いまいち愛想に欠ける態度も、歳の離れた弟が精一杯突っ張ってかっこつけてるようにしか見えないのである。
四号室に憂助を案内すると、ちとせは一度引っ込み、麦茶の入ったコップと小さな饅頭を乗せたお盆を持って戻って来た。
「それじゃあゆっくりしていってくださいね」
そう言い残し、パタパタと玄関へ下りていった。
一人残された憂助は、麦茶と饅頭をさっさと平らげると、持参した箱を開ける。
白木で出来たたくさんのパーツを取り出し、それを同梱されている説明書とにらめっこしながら組み立て始めた。
そうして、大きな神棚が出来上がった。
パーツを梱包していた袋と説明書を箱の中にしまっていると、部屋の戸が開いて、冬空コガラシが入ってきた。その後ろに、幽奈がフヨフヨと浮かんでいる。
「よぉー、久我。遊びに来てくれたのか? ……って、何だそれ」
「見りゃわかるやろが。神棚だ」
「わぁ~、立派ですねぇ~」
「今日からこれが、幽奈さんの住まいだ」
「……へっ?」
コガラシと幽奈が、間の抜けた声をハモらせた。
「聞けば幽奈さんは、自分がこの世にとどまっちょう理由が自分でもわかっとらんらしいの」
「ああ、そうなんだ……でも、無理矢理成仏させるのも何か可哀想だし」
──アホかお前は。
コガラシの言葉に、憂助は胸の内で毒づいた。
「そこで、こいつだ」
胸の内の言葉をグッと飲み込み、今しがた組み立てた神棚の屋根をコンコンと叩く。
「冬空。お前はこれから毎日、朝晩こいつに水を供えてお参りしろ」
「ん? それ、幽奈が住むんじゃ──あ、そうか」
「おうよ。菅原道真とか平将門とかと同じだ。幽奈さんには、ゆらぎ荘の守り神になってもらう」
「わ、私がですか?」
「本人にも何が未練なのかわからんとやったら、成仏させるのも時間掛かる。その間に悪霊化されちゃたまらんやろ。だからまぁ、最悪の場合に備えての保険っち思っとけ」
「そういう事か……ありがとな、久我。でもこれ、高かったんじゃねえか?」
「おう、消費税抜きでも五万くらいしたわ」
「五万っ!?」
コガラシと幽奈が、すっとんきょうな声をハモらせた。
「ご、ごごごご、五万!? ご、ご、ごま、ごま、ごま塩おにぎり、の、間違いでは!?」
「ごまま、ごま、ごま、五万円って、それこの世の全てが思い通りになる金額じゃねーかぁぁあああ……!」
「いや、幽奈さんは幽霊やきまだわからんでもないが、なしオメェーまで金銭感覚が明治辺りで止まっとうんか……」
ガタガタ震える二人に、憂助は呆れた。
彼は知らないが、コガラシは幼少の折り、霊媒体質が災いしてデイトレーダーの悪霊に取り憑かれた事がある。その際に株に手を出して大負けし、借金地獄のホームレス生活に陥ったのだ。
このゆらぎ荘に来た時も、川や滝ではない温かい風呂に入れるというだけで涙ぐんだ程である……。
「まぁ心配するな、別にお前に代金請求するつもりはねえ。それより今言うたごと、お供えとお参りはちゃんとやれ。その間にお前が幽奈さんを円満成仏出来たら、それに越した事はねえけどの」
「わ、わかった。ありがとよ、久我。お前の心遣い、絶対無駄にはしねえぜ!」
コガラシは憂助の手を両手で握り、強く誓った。
◆
翌週の日曜日。
今度は愛用のマウンテンバイクで、憂助はゆらぎ荘を訪れた。コガラシが自分の言い付けを守っているかどうか、様子を見に来たのだ。
ゆらぎ荘に到着し、適当な場所で自転車のスタンドを立てていると、ガラガラと玄関の引き戸の開閉音が鳴り響いた。
そちらを見やると、一人の見慣れぬ男が入っていく、その後ろ姿が見えた。
頭巾を被り、錫杖を手にした、旅の僧侶といった感じの男だ。
時代劇から抜け出してきたような身なりのその男は、憂助に気付かず、ガラガラと音を立てて戸を閉めた。
「よう、久我」
ジャージ姿のコガラシが、裏手から出てきた。裏庭の草むしりをやっていたのだ。
「おう、冬空……俺の知らんうちに、新しい人でも来たんか?」
「いや? 新顔は俺とこゆずしかいねえけど……どうかしたのか?」
「今、いかにも旅の僧侶ですって感じの奴が入ってったぞ」
「坊さんかぁ……来客の予定とかは何も聞いてねえけど……ひょっとして入居希望者かな? とにかく、ちょっとでも
二人がそんな事を話していると、
「きゃあああああっ!」
絹を裂くような悲鳴が響き渡った。
それが幽奈の悲鳴だとわかった瞬間、コガラシは駆け出していた。
憂助は四号室へと瞬間移動していた。
瞬間移動した憂助が見たのは、先程の僧侶が錫杖の切っ先から稲妻をほとばしらせているところだった。
その稲妻が、獲物を捕らえる大蛇めいて幽奈に巻き付いて、その身を拘束していた。
幽奈が触りたいと思えば、触る事は出来る。触らせたいと思えば、他者が幽奈に触れる事も可能だ。
しかし、今目の前で繰り広げられている光景は、明らかに違った。
「うああああっ!」
幽奈は苦悶の悲鳴を上げて、もがき苦しんでいる。
錫杖から伸びる雷光の荒縄は、幽奈の幽体の一部たる浴衣を、少しずつではあるが削り、引き裂き、消滅させている。
憂助の右手に、白い光が生まれた。
その光の中から、木刀が現れる。
柄に『獅子王』の文字を彫り込んだ愛刀を憂助が手にした時、一陣の風が彼の横を駆け抜けた。
冬空コガラシだ。
何とも凄まじい脚力であった。
憂助が瞬間移動で四号室に現れた直後──遅くともせいぜい二、三秒ほどで、玄関先から駆け付けた事になる。
コガラシは更に、幽奈を束縛し苦しめる光を、素手で引きちぎった。
素手で引きちぎった。
「昇天陣を、素手で……!?」
僧侶もかなり驚いている。無理もない。
「おう、坊さんのくせに、よそ様の部屋に土足で上がり込んで女の子に暴行加えるっちゃあ、どういう了見か」
憂助が木刀を僧侶の喉元に突きつけて、問い詰める。
「我が名は
しかし僧侶は、すぐに冷静さを取り戻し、まずはそう名乗った。
「世にはびこる悪霊妖魔の類いを調伏する、救沌衆降魔僧の一人」
「うどんだかグドンだか知らねーが、なんで幽奈を襲ったんだ」
幽奈を背中にかばいつつ、コガラシが尋ねた。
洩寛と名乗った僧侶は、錫杖で幽奈を指し示す。
「そこな娘、恐らくかなりの長期に渡り、霊となってこの世をさまよっておるのだろう。このまま放置すれば悪霊となり、人に害を与える。故に、そうなる前に成仏させんとしておったのだ。
──お主等二人、その娘が見えるという事は、相応の力を持っておるのであろう? ならば何故邪魔をする? 悪霊となり、人に害を加えれば、生前がいかに清廉潔白であっても地獄行きとなる。ここで成仏させてやる事こそが、その娘のためになる」
コガラシは言い返してやろうと口を開けたが、言葉が出なかった。洩寛の言葉には、信念が感じられたからだ。筋が通っているからだ。
何年も霊としてさ迷っている以上、簡単に晴れる未練ではあるまい。しかも本人が、その未練が何なのか思い出せないでいる始末だ。
その未練を晴らす前に、そして憂助が考えているようにゆらぎ荘の守り神となる前に悪霊化する可能性は、大いにあると言っていいだろう。
「──イヤ、です」
言い返したのは、幽奈だった。
「私はまだ、この世にいたい……やりたい事、知りたい事、たくさんあります……コガラシさんともお友達になれたし、久我さんの事だって知りたいです……!」
「気持ちはわかる。別れはつらかろう。しかしそれは、誰もが受け入れねばならぬ事だ。そなたが悪霊となれば、そなたが大事に思う友人を傷付けるやも知れぬ。そうなる前に成仏し、この世を去れば、極楽浄土なり輪廻転生なり、好きな道を選ぶ事も出来る」
洩寛は優しい声色で、語り掛ける。
彼はこの世をさまよう霊を救いたいという気持ちから行動しているのだと、コガラシにはわかった。
しかし──、
「坊さんよ、あんたの言い分はわかる。でもやっぱ、幽奈の意思を無視して無理矢理ってのは、納得出来ねえ……怨んでくれても構わねえ。それでも、悪いがあんたには、力ずくでお帰り願うぜ!」
意を決して握り締めた拳を振り上げた瞬間、彼の胸を憂助が木刀で軽く突いた。
否、押したと言った方がいいだろう。
本当にそれくらいのかすかな力しか感じなかったのに、コガラシの身体は軽々と吹っ飛び、勢い良く窓に叩きつけられ、そのまま不可視の力で張り付けにされた。
窓ガラスは割れるどころか、ヒビすら入っていなかった。
「く、久我……!?」
「久我、さん……?」
憂助の行動に、コガラシも幽奈も驚いている。
「その方は、わかってくれたようだな」
「……ああ。お坊様、あんたの言い分は、正しい。無理矢理は良くないとか言いよったら、警察は仕事出来んしの」
憂助は、木刀を左手の中に収めた。
「俺も修行の一環で、何回か悪霊を退治した事がある。そいつ等がみんな、成仏したくて俺の前に現れた訳やねえ。中には、生者への妬みでおかしくなった奴もおる。そんな手合いを無理矢理高い所に送った俺に、文句を言う権利はない……そやけど」
そして、その場に両膝をつき、座り込んだ。
「俺も、幽奈さんの意思を無視出来ない程度には、情が湧いた──俺等が間違ってるのは百も承知です。それでも、どうか、幽奈さんに時間をください」
両手をついて、洩寛に深々と頭を下げた。
「甘っちょろい事を抜かすな! その時間とやらのためにその娘が悪霊になったらどうする! 貴様の情が彼女をかえって苦しめる事になるのだぞ!」
洩寛の怒号が、雷鳴のように響く。
「拙僧とて目が見えぬ訳ではない。そこな神棚はその娘のために用意したものであろう。だが、果たして間に合うのか? その娘が悪霊となる前に神格を得られると、保証出来るのか? 万が一の事が起きた時、貴様はどうするつもりだ!」
「その時は……」
憂助は、顔を上げた。
洩寛と、視線が合った。
憂助は、静かな声で言った。
「俺が幽奈さんを倒します」
「ほざくな、小僧!」
洩寛が吼え、錫杖を構えると、憂助の顔面目掛けて突き出した!
幽奈は思わず目を閉じる。
洩寛の錫杖は──憂助の顔のわずか数ミリ手前で、止まっていた。
憂助は、身じろぎ一つせず、目も閉じてなかった。
「手元が狂えば、右か左か……どちらかの目は抉れていたぞ?」
「生きていくだけなら、目ん玉一つで充分です」
「……名は」
「久我憂助です」
「やはりか」
洩寛は一人納得し、錫杖を引いた。
「
それに、我等救沌衆、白朗の一件で全員がそなたに借りがある。拙僧からの借りは、この場を黙って立ち去る事で返すとしよう」
洩寛はそう言うと、憂助、幽奈、コガラシにそれぞれ一礼し、去っていった。
コガラシを窓に貼り付けていた力が消え、彼は畳の上に落っこちて尻餅をついた。
「く、久我! 大丈夫か!」
「おう。すまんな、横槍入れっしもて」
「いや、謝るのは俺の方だ。幽奈のために高い金払って神棚用意してくれて、あの坊さんに土下座までしてくれて……本当にありがとうな……!」
コガラシは憂助の手を両手で握り締めた。
「礼なんぞいらん。言うとくが、今の言葉は本気ぞ? ここは生きとる
「おう、もちろんだ! 幽奈は必ず、俺が幸せにしてみせる!」
コガラシの答えに、
(そういう話やったか?)
と思う憂助だったが、黙っておいた。
洩寛がゆらぎ荘から離れていく姿を窓から確認してから、憂助もゆらぎ荘を出ていく。
その背中を、コガラシと幽奈は見送った。
「……久我さん、本当にいい人ですね」
「ああ、そうだな……正直、惚れたぜ。ガチでな」
答えながらコガラシは、マウンテンバイクに乗って遠ざかる憂助の背中に、いつまでも熱い眼差しを送り続けた。
幽奈がその横顔に言い知れぬ不安と危機感を覚えたのは、また別の話である……。