本日のヒーロー基礎学は救命訓練。
コスチュームの着用も許されていて、専用の訓練場での実技が主となる授業だ。
1-Aの面々は、訓練場向けのバスに乗り込んでいた。
「あなたの“個性”、オールマイトに似てる」
「!!!」
話のキッカケは何気ない蛙吹の一言だった。
移動中で暇を持て余していた生徒たちはお互いの“個性”について語り始めた。ヒーローが公的に認められ、エンターテイメント性を持ち始めた現代においては、“個性”は強いだけでなく派手で目立つことも長所の一つに数えられる。
緑谷のような増強型はシンプルで分かりやすく、アクションもド派手に決められるため、人気も出やすいのだが……如何せん、彼は“個性”を制御できていない。
そうなると、一番に名前が上がるのは……。
「派手で強えっつったらやっぱ爆豪と轟だな」
「衛宮の“個性”も派手っつったら派手だぞ」
耳に入ったらしく、自分と二人も名前を並べるなんて気に入らんとばかりの態度を示す爆豪。彼の場合、“個性”は強力でもそれ以外に問題があった。
「爆豪ちゃんはすぐキレるから人気出なさそ」
「なら轟か衛宮だな、爆豪のクソ煮込み人格じゃ難しそうだ!」
「んだとコラァ! 出すわそんなもん!!」
士郎としては、自分の名前が出ている話だけあって、この荒れようは苦笑ものだ。
元々、人気云々はさほど気にしていない。人助けが出来るなら、彼にはそれで十分であった。
それ以外の何物も、衛宮士郎は本心では必要としていなかったのだ。
*****
衛宮士郎がヴィランと向き合ったなら、どのような事態になるか……。相澤は、それを酷く警戒していた。
少なくとも今までは、ヒーローとヴィランが戦う現場に手を出すような真似はしていないが……それはきっと、ヒーローが問題なくヴィランを制圧出来ていたからだ。
もし仮に、ヒーローがピンチに陥ったなら……衛宮士郎は、何をしでかすか分からない。他の生徒にもその節はあるが、命令を無視してでもそれを実行に移すのは彼をおいて他にはいないだろう。
(先日のマスコミ侵入の件も含めて教師三人での監督を決めたんだが……)
オールマイト不在により、この場にいるヒーローは相澤と13号だけ。
そして相澤は長期戦に不向きで、13号は災害救助が専門。
よりにもよってそんな時に——ヴィランの襲撃に見舞われた。
ワープの“個性”と通信妨害を出来る“個性”による電撃的な奇襲。多くのヴィランを引き連れた青年が、暗いゲートから現れた。
大半は雑魚だが、少数ながら脅威となるヴィランも潜んでいる。特に、リーダー格の三人は明らかに危険な存在だ。
生徒たちの大半はヴィランのワープによって散り散りに飛ばされ、場所も不明。
(この場に衛宮が居なかったことを幸運と考えるべきか……。あいつなら、間違いなく飛び出している)
衛宮士郎も飛ばされた一人であり、この場には居ない。
相澤はヴィランの大半を一人で相手取りながらも、周囲の状況を正確に把握していた。
無謀をやらかすであろう衛宮がここに居ないのは、相澤にとって僥倖だ。ここにさえ居なければ、戦闘能力の高い衛宮は生き残れる。
となれば、心配なのは他の生徒だ。爆豪、轟辺りはまず問題ないが……サポート向きの峰田や“個性”の制御ができない緑谷は危ない。
(単独で送られたので無ければ連携も出来るだろうが……そう都合よく行くとも思えないしな……)
せめて、ここに居るぶんは自身で受け持たねばならない。
相澤の“個性”は集団戦……それも、長期戦となれば、絶望的なまでに向いていない。しかしそれでも、ヒーローには無茶を通さねばならない時がある。
今がまさに、その時だ。
*****
「へへへっ。一人たぁ運がねえなあ坊主?」
「——いや。むしろ、この方がいい」
火災時の救助作業を訓練するためのエリア、火災ゾーン。そこに飛ばされた生徒はたった一人。
ヴィラン達に囲まれながらも、その表情を微塵も曇らせてはいない。
多対一の戦闘は彼の得意分野。味方を巻き込む心配がないなら、その能力は十全に発揮される。
「
最低限、命は奪わない程度に……しかし、確実に行動不能にする剣の雨。
投影を放つ最中、士郎は動けなくなるが問題はない。一人であること、周囲を取り囲んでいることに油断して警戒を怠っているヴィランなど、単なる的に過ぎないからだ。まして、これらは有象無象もいいところ。
そこらのチンピラと変わらない連中など、ヒーロー科の雄英生であれば倒すのは容易い。
一気に大半のヴィランを磔にした剣軍は、彼らを決して逃しはしない。
“返し”のついた刃は、しっかりとヴィランを縫い止めている。
「て、てめぇ……!?」
「
干将・莫耶を構えた士郎の眼光は、驚くほど冷え切っていた。
「殺しはしない。だが、降伏しないなら腕の一本や二本は覚悟しておけ」
相手は、自らを“悪”と名乗る者達だ。小物に過ぎないが、それは変わらない。
そして、衛宮士郎は自身を“正義”であらねばならないと断じている。
「お前達はヴィランで、俺はヒーロー……の、卵だ。なら、これからどうするかは決まっているだろう」
言うが早いか、士郎は敵陣に飛び込んだ。
穴の空いた陣形を切り開く程度なら、士郎の技量でも十分に可能であった。
異形型や増強型に真正面から挑むのは愚策。近接戦に秀でた者は避け、それ以外を一人、二人と斬り捨てる。
「ま、待て、待ってくれ……!」
「降伏するつもりなら、何もせず蹲ってるんだな」
極端に数を減らしたヴィランの中には、降伏を申し出る者も少なくなかった。
刃物という……人間を簡単に殺傷できる凶器を投影する士郎の“個性”は、向けられる者に恐怖を感じさせる。それを防げない“個性”のヴィランからしてみれば、酷く恐ろしいものであった。
しかし、ヴィランの中には身体強度に自信を持つ者もいる。そういう連中は臆することなく士郎へ襲いかかるが、彼も考え無しではない。
「
士郎自身、持ち上げられないほどの超重量を誇る大々剣。斬れないなら斬れないでやりようはある。
純粋な重さで叩き潰したなら、半端な頑丈さなど意味もなさない。
——ここにいるヴィラン達の中には、士郎を破れる者はいなかった。
程なくして、火災ゾーンに待ち構えていたヴィランの全てを制圧できた。
誰も彼も、強力なヴィランとは言えない。近接戦で士郎に圧倒されるような技量では話にもならない。こんな相手ばかりなら、他の生徒も無事だろう。
そう考えた士郎の次の行動は……。
「広場に戻らないとならないな」
たった二人では、チンピラ達はともかく……後ろに控えていた三人を相手にするのは難しいだろう。
力が足りなくとも……せめて、援軍が到着するまでの間でもサポートしなければならない。
——それは、相澤が危惧した通りの行動だった。
*****
士郎の居た火災ゾーンは、彼が元々居たセントラル広場から最も離れたエリアの一つだ。
士郎と同じように広場へ戻ろうと考えた者達がいたが、みんな彼よりも近い位置に居たために到着は早かった。
故に彼らは、オールマイトのピンチにも駆けつけられた。
間に合わなかった士郎だが。弓術を磨く上で鍛えた視力は、遠くからでもその様子を鮮明に捉えていた。
脇腹を抉られ、それを庇いながらヴィランと対峙するオールマイトの姿。そして、力なく項垂れ、血を滴らせながら運ばれる相澤の有り様。
それを見た、士郎は……。
「——何してんだてめぇらぁぁぁぁ!!!!」
激憤。その怒号に誰もが目を奪われた。
自ら注目を集める行為は、狙撃を始めとした遠距離戦を得意とする者にとって愚行もいいところ。その程度のことは士郎にも理解できているが、今はただ……怒りが優っていた。
「
自身にコントロール出来ない程の過剰な投影に、士郎の身体は悲鳴をあげていた。
しかし、彼はこの痛みの一切を無視できる。
張り裂けて溢れ出そうになる身体を無理矢理抑え込み、投影を続行。自身の何処かが壊れたが、決定的なものではない。
代償は払うことになったが……今の自身なら、普段は引き出せない力の行使が可能となる。
黒い巨大な和弓はいつものものだ……が、つがえられる
それは、ただ強大な力を注ぎ込んだだけの名もない魔剣であり、イメージの固まらない出来損ないの幻想だ。上限を超過した所業ではあるが、今の衛宮士郎にはこの程度が限界。そして、それも程なくして崩れ去るだろう。
しかしそんな出来損ないでも、使い道はある。
「爆ぜろ!!!」
——着弾。それと同時に、矢は炸裂弾の如き爆炎をあげた。
*****
——改人・脳無。
対オールマイトと称されたそれは、その名に恥じない強大な力を持っていた。ショック吸収に加えて、超再生、オールマイトに匹敵する膂力……あり得ない、複数の“個性”を使いこなす怪物だ。
ワープの“個性”を持つ黒霧というヴィランとともに、あのオールマイトを追い込むほどの力を見せつけた。
生徒達のサポートでオールマイトは何とか窮地を脱したが……依然として、危機は続いていた。
「黒霧、脳無。オールマイトをやれ。俺は——」
「——何してんだてめぇらぁぁぁぁ!!!!」
「……あぁ?」
怒号の主は、数百メートルは離れた場所に確認できた。
赤銅色の髪をした少年……遠目に見て分かるのはその程度だが……それでもなお、驚くほどの激情が感じられる。
「衛宮くん!? 一体何を……!!」
——禍々しい弾丸が、脳無に直撃したのはその時だ。
正確に言えば、敵陣中央へ着弾する寸前に、脳無がそれを受け止めたのだが……結果は変わらない。矢は脳無の野太い腕に深々と突き刺さり、そして……爆ぜた。
威力だけ見れば、爆豪のそれにも匹敵する。
「た、倒したか……?」
「いや、あいつには再生能力がある。このくらいじゃダメだ……」
……その通り。煙が晴れた先には、既に再生を始めた脳無の姿があった。爆風に吹き飛ばされたらしい死柄木と黒霧にも、大したダメージは負わせられていない。
「ちっ、串野郎が。仕留めるなら仕留めろってんだ!!」
「——
「っ!? てめぇいつの間に!」
気づけば士郎は、ヴィラン達の側に駆け寄っており。
「
口端から、血が溢れる。限界を超えた投影は、士郎の身体を破壊しながらも……彼に実力以上を引き出すことを許した。
かつて無い量のソードバレルは、3桁に及んでいた。
三下のヴィラン達に放ったものとは比べ物にならない……剣で出来た天井がそのまま降ってくるかのようなそれが、ヴィラン達に襲いかかった。
「これは……!」
「斬撃ならショック吸収も関係ないってわけか……。しかし生きてんのか?」
ボソリと呟いた轟の言葉は——しかし、余計な心配であった。
「……やってくれるじゃないか。——お礼をしてやれ、脳無」
土煙の中から飛び出してきた脳無は、全身を剣に貫かれたままで……それを苦にもせず士郎へと躍り掛かった。とっさに回避動作を取る士郎だが、それは間に合わず。
脳無の拳が士郎の目前へと迫ったその時。
——SMASH!!!
人が飛ぶほどの風圧とともに、“正義の味方”はヴィランを殴り飛ばした。
「衛宮くん、君も早く逃げるんだ!!!」
それは……傷ついた“平和の象徴”の咆哮。
生徒である士郎を守らなければならない。庇護されるべき彼を、危険に晒してはならない。
……そんな決意を。士郎は。
——受け入れることが、出来なかった。
「そんな真似、出来るわけないだろ……逃げられるわけないだろ!!」
心のうちから……否。魂の奥底から湧き上がってくる、言い知れぬ強い義務感。それが士郎を苛んでいた。
それに抗えるほど、彼は成熟しているわけでもなく……また、冷徹でもいられなかった。
この身は人を救わなければならない。人のためにならなければいけない。人を幸せにしなければならない。人より幸せになってはいけない。人に幸せを捧げなければならない。そうでなくては生きてはいけない。
そんな感情が……とめどなく、内側から溢れてくるのだ。
「生徒に危険を押し付けるほど落ちぶれてはいないよ。なに、すぐに片付ける……心配は無用さ。何故なら——私は、平和の象徴なのだから!!」
極一部の、限られた人間だけが持つ……カリスマという名の圧力。敵も味方も巻き込んだ絶大な影響力は、それでも士郎を止められなかった。
傷ついた人がいたなら、それ以外の一切を無視しなければ……衛宮士郎は生きてはいけない。
自身のことをそう定義してしまっていた士郎には、非常時に自身を守ろうという考えが、決定的に欠如していたのだ。
「ま、ただで退かせるわけねえけどなぁ?」
「咄嗟のことで私も反応が遅れた。おかげでアジトが大打撃を受けてしまいましたよ」
「はは……落とし前くらい、つけさせてもらうぜぇ?」
死柄木と黒霧はワープにより剣を何処かへ飛ばし、事なきを得たようだ。
口ぶりからして、被害は言うほど大きくないのだろうが……それでも、邪魔に入った士郎を生かしておく理由はない。
「やれるもんならやって——」
「衛宮くん、君が命を張るべきはここではないだろう!!」
「……っ!?」
「君はこんなところで危険を犯すな! 君が救うべきはもっと先の時代を生きる、弱き人々だろう!! 今この場で、意地を通すべきは——この、私だ!!!!」
ただ一人に向けられたその言葉は……彼の根底を揺るがした。
“大を救うために、小を切り捨てる”。オールマイト自身の意図したものとは違ったが、士郎の耳にはそう聞こえていた。その、酷く現実的な正義が……何故だか、酷く彼の心を抉った。
「おいおい、シカトしてんじゃねえよ!!」
動きを止めた士郎の命を奪うべく駆け出した死柄木だったが……それは、阻まれる。
「——やらせると、思っているのか!」
死柄木にとっては幸いにも、脳無のフォローが間に合った。彼に放たれた拳は、脳無の拳によって迎撃されてしまう。
それでも衝突の際に生まれた余波で死柄木は体勢を崩し、立て直すべく後退した。
「ショック吸収だって自分で言ってただろうが……脳筋め」
「ああ、そうだな! しかしだからどうしたと言うのだ!?」
ただ一つ、オールマイトには迷いがあった。——果たして、“この姿を衛宮士郎に見せて良いものか”。
緑谷出久ならば、きっと正しい方へと向かってくれる。轟や爆豪、他の雄英生達も、自身の姿に希望を感じてくれるだろう。衛宮士郎も、恐らくは……。
しかし、彼が見る希望は——“本当に、彼にとって正しいものなのか”。
「無効ではなく吸収ならば限度がある!! 私の100%を耐えるというなら、さらに上からねじ伏せよう!!!」
迷いを持ったまま勝てる相手では無かった。
全力以上を出し切らねば……“平和”も、次世代を担う子供たちも、全てが潰えてしまう。
「ヒーローとは常にピンチをぶち壊していくものだ!! ヴィランよ、こんな言葉を知っているか?!!」
捨て身の姿……それを以ってして大事を成してしまう自身の姿は、衛宮士郎の目にどう映るのか。
オールマイトは、それを一時忘れた。
「
無茶をやらかしたことを悟られぬよう。いつも通り……困難を嘲笑うかの如く、不敵に笑う。
血が滴り、赤く染まったその
「あれが、“正義の、味方”……」
目指すべき頂を……彼はいま、真に定めたのだ。
馬鹿な無茶を平気でやらかすのが彼だろう?