妖怪でありながら人間を守る。そんな変わり者の彼を、人は『送り狼の極黒狼』と呼んだ。
何度殺されかけても、何度泣かれようとも、いつかは分かり合える日が来る。
彼はそう信じ、今宵も迷い人を送るのだった――
懐かしい夢を見た。
遠い昔のこと、俺がまだ普通の狼だった頃のことだ。
雪の降る夜、腹を空かせていた俺は何か食べる物を探して山の中をふらついていた。その時、ふと木の下で独り泣いている人間の子どもを見付けた。
黒髪のよく似合う可愛らしい女の子だった。歳はだいたい6、7くらいだった。
少女は俺に気が付くとすぐに泣き止んだ。目の前に並の狼の5倍はあるだろう巨大な狼が音もなく現れたのだ、当然の反応だろう。顔は恐怖で青ざめていた。
――と、思ったのだが、違った。じっと見つめたかと思うと、少女は突然、俺に抱き着いたのだ。そして、堰を切ったようにわんわんと泣き始めたのだった。
俺は肉食ではあるが、あまり好んで肉を食わない。食うには食うのだが、別に死肉で充分だった。普段は山にある木の実や茸、川で捕れる魚などを食べていた。俺は狼にしては珍しい
だというのに、どういう訳か俺の体は並の狼よりも桁外れに大きかった。恐らくはいくら菜食主義だからといっても、その量は兎や鹿より遥かに多かったからだろう。
とにかく、俺は少女に手を出さず、思う存分泣かせてやったのだった。
しばらくして、ようやく落ち着いたのか少女はぴたりと泣き止んだ。あまりにも急に静かになったものだから、心配になってチラリと様子を伺うと、彼女は俺を枕にすやすやと寝息を立てていた。安心しきった寝顔は年相応の可愛らしいものだった。見ている俺まで思わず気持ちが和むほどだった。
そのままでは寒いだろうと、俺は尻尾を巧みに操って少女を優しく包んでやった。すると、彼女はその小さな手で俺の真っ黒な毛を掴んだ。可愛らしいことこの上なかった。
さんざん泣かれたので俺の自慢の毛皮はすっかり濡れてしまっていた。だが、不思議と悪い気はしなかった。俺のような怪物でも何かの役に立てたのは嬉しいことだったからだ。
今まで俺の姿を見たものは皆揃って俺から逃げた。兎や鹿は当然なのだが、同族の狼や狼より危険な熊でさえも俺を恐れていたのだった。
俺はずっと独りだった。狼のくせに群れに入れず、猛獣としても熊すら逃げ出す始末。もはや妖怪となんら変わりない怪物だったのだ。
悲しかったし、寂しかった。だから、自棄になったこともあった。山を駆けまわり、木々をなぎ倒し、川を塞き止め、時には人間の村に姿を現して村を荒らしまくった。ついたあだ名は“山喰いの
人間たちはもちろん俺のことを敵視した。それもそうだ。殺しはしないが畑や家を吹き飛ばし、山を荒らしまわる俺は人間たちにとって厄介極まりない存在だった。
人間たちは俺を殺そうと銃を担いで山にやってきた。だが、俺の自慢の毛皮はどんな名刀の刃も通さないと自信があるくらいだ。ただの鉛玉で俺を殺すことなどできなかった。
それでも人間たちは諦めず、しつこく俺を殺そうとした。そして、100年目にしてとうとう俺の片目を潰すことに成功したのだった。初めて体の一部を失った俺はパニックに陥り、出鱈目に走り出した。その先には人間の住む村があった。
俺は好んで殺しをする気はない。理由は特にないが。
しかし、その時は何も考える余裕がなかった。村にやってきた俺は、目についた一人の子どもに向かって跳びかかった。怖かったのだ。また何かを奪われると。だからこそ殺さねばと思ってしまった。
ハッと気が付いた時、俺は何かに退けられた。咄嗟に飛び退いたので傷は浅いが、左前脚を確かに切られたのだった。見れば、俺が襲い掛かった子どもを庇う様にして女が立っていた。その手に赤い刀身の太刀を握りしめて、俺を睨みつけていた。
その時、俺は我に返った。そして、自分が何をしようとしていたのかを理解し、尻尾を巻いて山へと逃げたのだった。
山に帰ってきた俺は、暗い洞窟の中で独り涙を零した。俺はどうやら普通の狼と違って幾分か賢かったようだ。人間たちがどうして危険を冒して俺を殺しに山へ来たのか、どうしてあの赤い刃の女が俺を憤怒の目で睨んでいたのかを理解してしまった。
俺はそれが欲しくてほしくて堪らなかった。だが、どうやったって手に入らなかったから、自棄を起こしてそれを壊そうとした。――そんな自分がひどく浅ましく、幼稚だと気づき、悔しかった。そして、それを奪われた者たちがどれほど悲しくなるのかを想像して、後悔した。
以来、俺は山を荒らすことを止めた。極力人間の前に姿を現さないようにした。俺は独りで生きると決めたのだった。俺のような怪物は、俺のようなろくでなしは独りで生きるのがお似合いだと悟ったのだ。
誰かの幸せを奪うような悪者は、幸せになってはいけないのだと、俺はそう胸に固く誓ったのだった。
そんなろくでなしの俺が今、一人の少女の役に立てた。ちっぽけなことでしかなかったが、俺にとってはかけがえのないものだった。
いつもなら寒いと文句を言っているところだが、その日は違った。雪の上で体を丸めたのだが、ちっとも寒くなかった。人間というのは随分暖かいんだなぁと想い、瞼を下ろした。
たぶん、これが優しさというやつなのだ。長い間俺が求め続けたもの。ずっと独りで生きていたからわからなかったが、ようやく理解した。これがあるから、群れで生きている連中は群れでいられるのだろうと思った。
優しさというものは良いものだ。
朝がきて、麓の村の狩人たちに鉛玉で頭をぶち抜かれても、見せしめに首だけ落とされ、村のさらし者になっても、俺には何の苦もなかった。
――もし生まれ変われるのなら、人間になりたいなぁ。こんな俺に涙を流してくれているあの少女に一言、礼が言いたいなぁ……
そんなことを思いながら、俺は狼としての生を終えたのだった。
*
おもむろに瞼を上げる。橙色の光が眩しかった。
もう夕方か。西の山際には半分隠れた太陽があった。
「ふあぁぁ……んぅ、よく寝た」
里の人間ならそろそろ寝る時間だろう。あぁ、まったく、完全に夜型の生活リズムになってしまった。これじゃあ、昼に起きるのが辛くて人里に遊びに行けそうにないな。……鬼の形相浮かべるアイツが目に浮かぶ。
内心愚痴りつつ、起き上がる。ずっと木に寄りかかっていたので体が痛かった。特に痛む腰を押さえながら、隣に立て掛けておいた太刀を手に取る。
「はあ……歳かね。そろそろ引退も考えなきゃなあ……」
「何言ってるんですか。まだ200年ほどしか生きていないでしょうに」
「お前こそ何を言っているんだ。200は相当だろうが」
俺は象でも亀でもない、立派な狼だぞ?
やれやれだとため息を吐くと、いつからそこにいたのだろうか、木に背を凭れさせていた弟子が真面目な顔で、
「ほら、馬鹿やってないで仕事ですよ、仕事」
「……メンドくさい」
「天魔様に言いつけますよ?」
「よぉし、今日も一日頑張るぞい!!」
「よろしい」
むう……最近弟子が可愛くない。いや、可愛いんだけどさ、なんかこう敬われていないというか、素直じゃなくなったというか。
まぁ、俺と違って白くてふわふわな髪だし、ちょっと幼さが残るけど凛としてる顔立ちに釣り目でめっちゃくちゃ可愛いし、しなやかな体は良い感じに丸みを帯びてて、しかも、肩とか脇とかふとももとかを露出させた天狗服を着ているから目の保養になるし、あとツンデレだし……うん、可愛い。
「な、なんですか人のことジロジロ見て」
「いや、可愛い弟子を持ったなあと」
「……バカ師匠。早く行きますよ!」
やっぱりツンデレ。ふむ、照れてるトコロも可愛いな。
とりあえず、彼女の頭を撫でておいた。裏拳が俺の顔にめり込んだが、特に問題はない。いつものことだからな!
さて、ふざけた後はまじめに仕事をするとしよう。
「椛、千里眼よろしく」
「……」
「どうした?」
「――! い、いえ、何でもないです」
たぶん俺の切り替えの早さに驚いているのだろう。天魔もそんな感じだったからな。俺はふざけることも多いが、しっかりメリハリをつけているつもりだ。
それに、俺はこの仕事について手を抜く気はこれっぽちもない。この仕事だけは絶対に妥協しない。そう、絶対に、だ。
と、ここで俺の愛弟子について紹介しておこう。
彼女は“犬走椛”。この山の白狼天狗の一人だ。
普段は天狗の下っ端として山の哨戒をやっているが、夜が近づくと、こうして俺の仕事を手伝いに来てくれている。というのも、彼女にはゆくゆくはこの仕事を継いでもらうつもりなのだ。つまりは修行。だから、互いに師匠弟子と呼び合っているという訳だ。
そして、彼女にはある能力がある。その名も“千里先まで見通す程度の能力”。その名の通り、千里眼が使える能力だ。
これによって、俺たちは夜の妖怪の山に迷い込んだ人間――迷い人を見つけるのだ。
「いました。一人、子どもです」
「どこだ?」
「山の中腹、大蝦蟇の池の近くです」
「不味いな。急ぐぞ」
「はい」
大蝦蟇は、それ自身が襲うことはない。供え物をすれば加護を貰える、いわゆる守り神のようなものだ。しかし、池を荒らす者には一切容赦がなく、妖精であれば数匹纏めてその巨大な口で丸呑みにしてしまうほどだ。
まぁ、このことは人里の者であれば誰でも知っていることだ。これだけなら大して急ぐ必要はない。つまり、問題は別にあるのだ。
では、何か? それは時間だ。
夕暮れ時から次の日の早朝まで、妖怪は活発になる。昼間は友好的だった者でも、夜になると人を襲うような奴もいる。加えて、今日は満月になるそうなので、より多くの妖怪が酔いしれることだろう。
そうなると、妖怪にとって一番のご馳走である女や子どもは山にいてはならない。どこまでも追いかけられ、終いには頭から食われてしまうのだ。
スペルカードが普及した今でも、不用意に夜中に出歩く者はたとえ幻想郷の人里の人間であっても妖怪に食べられてしまう。ルールを守らない奴はいつだってどこにだっているし、どれだけ時代が進もうとも、人間は妖怪の餌に違いないのだ。
さらに言うと、今夜は大蝦蟇の池には絶対に近寄るべきではない。酔っぱらった木端妖怪ども――妖精とか低級妖怪とか――は嬉々として大蝦蟇にちょっかいを出し始めるからだ。怒り狂った大蝦蟇はそんな不届き者を許すわけがなく、暴れはじめる。もちろん妖怪どもも黙ってやられるわけがない。その一帯が酷いことになる。
要するに、今大蝦蟇の池の近くに行くと、木端妖怪がうじゃうじゃいるかもしれないし、大蝦蟇と木端どもの乱闘に巻き込まれるかもしれないのだ。
今回の迷い人は子ども。足は遅く、力もない。
間に合ってくれと祈りつつ、俺は木々の間を駆け抜ける。後ろでは我が愛弟子である椛が俺に負けじと、グンバツな健脚で走っていた。
「師匠!」
「何匹だ!?」
「六匹! すべて木端です!」
椛の知らせに、俺はより力を籠めて地面を蹴り、より速く足を回した。
疾走しながら抜刀する。赤く輝く美しい刃が月光のもとに照らし出された。かつて俺の鋼にも劣らぬ体に傷をつけた数ある名刀中の逸品。銘は“紅蓮華”である。
この刀は妖怪の血を吸うことで妖力を纏い、切れ味を極限にまで高めることができる、いわゆる妖刀だ。ひょんなことから俺が使わせてもらっている。お陰で俺は相手がどんな大妖怪であろうとも互角に戦うことができるのだ。
ようやく、迷い人を見つけた。
すでに周りを木端妖怪どもに囲まれていた。奴らは息をひそめており、少年はまだ気付いていない様子だった。
「好都合だ。椛、お前は迷い人を守れ」
「了解。御武運を!」
気配を殺し、静かにかつ素早く木々の間を縫う。
まずは一匹。草むらに潜んでいたので、草木まとめて横に薙ぐ。木が音を立てて倒れ、木の葉と鮮血とともに木端の首が舞った。
ここで他の木端どもが俺に気付き、椛が少年のもとに辿りついた。
「げえ! 送り狼!?」
「まじかよ!? お、俺は逃げるぞ!」
「ここで会ったが百年目。ダチの敵討ちじゃああぁぁっ!!」
「ぶっころ! ぶっころ!」
「たかが狼。やってやんよ! フハハハ!」
二匹逃げ、三匹向かってくる。
まずは正面から飛び掛かってきた二匹をまとめて一閃し、首を刎ねる。次いで笑ったまま仁王立ちしていた一匹の頭に切っ先を突き刺し、脳髄を貫いた。
所詮は木端。何の苦労もなかった。刀を振るって血糊を払う。
「お見事」
「この程度の連中に負けるもんか」
「それはどうでしょうか?」
「なに――」
瞬間、椛が俺の脇を抜けて刀を振るった。
振り返ると、さっき逃げたはずの一匹が無防備だった俺の背に鋭利な爪を突き立てようとしてた。だが、それは俺の弟子の鋭い一撃によって妨げられた。
「油断は禁物ですよ。お忘れですか?」
「……ふん」
満足そうな顔で俺に振り替えった椛。
そんな彼女の横を掠めるように、俺は妖力刃を投げた。
「ぐぎゃ!?」
大鎌にも劣らぬ殺傷力をもつそれは、残っていた一匹の眉間を貫いた。
「油断大敵」
「ぐぬぬ……」
我が愛弟子は悔しがる様もまた可愛いものであった。
殺ることを終え、改めて迷い人である少年に声を掛ける。
「よう、大丈夫だったか?」
「う、うん……お、おじさんって、もしかして送り狼?」
「ん? そうだぜ。送り狼の“極黒狼ごくろう”ってのは俺のことだ」
そう答えると、少年は目を輝かせた。
なんとも年相応の子どもらしい反応だった。俺はそこまで老けている方ではないが、それでもこの若々しさを羨まずにはいられなかった。
それはさておき、いい加減俺についても紹介しよう。
――『送り狼の極黒狼』
夜、山で迷ってしまった人間を護衛し、安全に下山させる黒い狼の妖怪。それが俺こと極黒狼である。紅蓮華片手に木端妖怪を蹴散らす姿の豪快さと下山中の陽気な語り口調には定評がある、と鴉天狗の文屋は評価していた。
どうやら里ではかなり人気があるらしく、子どもたちにとって憧れの存在らしい。そのせいか、夕暮れ時や夜に里を抜け出してしまう子どもが増えたそうだ。この前送った時、慧音に怒られてしまったが、俺は悪くない。
「で、少年。お前、まさか俺に会いたいから山に来たんじゃないよな?」
そう意地悪に訊ねると、少年は途端に表情を曇らせた。
「図星らしいな」
「だって! 極黒狼は夜にしか会えないんだもん……」
「だからって、親御さんを心配させちゃいけないな」
「でも、でも……!」
少し言い過ぎたか。悪気があっての行動ではないからあまり怒る気はないのだが、自慢されたり、繰り返されたりするのは喜ばしくない。子どもに危険な目に遭ってほしいなんて誰が思うのか。いや、誰も思わない。
しかし、責めすぎても泣かせてしまうだけだ。もう反省しただろうし、後はこっちが適当に折れてやるのが一番いい。
「あー、明日の昼に遊びに行くからさ。だから、今日はもう帰ろうぜ?」
「……ホントに? 来てくれるの?」
「ああ。外の世界じゃ狼は嘘つきだと言われているらしいが、俺は吐かん。清く正しく誠実にがモットーだからな! だから、今は我慢してくれないか?」
少年は納得してくれたようだ。大きく頷いてくれた。すると、俺の手を握り、
「早く山を下りようよ! もう、寒くてさー」
「そんな格好で来るからだ。ほら、上着貸してやるよ」
やっぱり子どもだな。しかしながら、このくらい自分勝手な方が逆に清々しくて良い。
あちこちボロボロになっているが、それでも今も愛用している黒い衣を少年に掛けてやる。そういえば、これは最初に送ってやった奴からお礼として貰ったものだ。
「元気にしてるかねぇ……」
「え?」
「気にするな。師匠はたまにああやって昔を懐かしむのだ」
「そういえば、あんた誰? 極黒狼の彼女?」
「………………違う。私は弟子の椛だ。普段は山の哨戒をしているが、夜にはこうして師匠のお手伝いをしているのだ」
「ふーん、山の
「……
適当なことを駄弁りながら、俺たちは山を下りた。
少年を真ん中に右に俺、左に椛が並ぶ。一緒に手をつないで歩くその背は、彼のご両親に失礼だが、きっと家族のように見えたことだろう。
そう思うと、自然と頬が綻んでしまうのだった。
*
人里に着いた時、門で待っていた者たちに出迎えられた。
少年のことを心配していた彼の両親は、目に涙を浮かべながら、彼を優しく、力強く抱きしめたのだった。
「ばかもん。心配掛けやがって……!」
「あぁ、おかえりなさい。よかった、よかった……!」
「ごめんなさぁい……!」
良いものですねと、椛は呟いた。
たしかに良いものだ。言いようのない感動が込み上げてくる。ふとあの時の少女もこんな風に出迎えてもらえたのだろうかと気になった。
「そうだといいな……」
「え?」
「いや、なんでもない。それより、さっさと――」
「まぁ、待て。茶、飲んでかないか?」
「……」
それはそれは怖い笑みを浮かべた彼女――“慧音”が、俺の肩をがしっと掴んだ。正直肩の骨が砕け散りそうなほど力強い。鷲とかそんなレベルじゃない。きっとゴリラぐらいはあるぞ、これ。
今日は満月。空には黄金に輝く丸が浮かんでいた。ワーハクタクという種族の彼女は、今夜は妖怪の姿になっているのだった。
白いはずの長髪は見事な新緑色になっており、頭からは天に向かって伸びる二本の角があった。見たことはないが、尻尾も生えているらしい。
普段から人間とは思えないほど強い彼女だが、今夜はさらにパワーアップしているのだ。この馬鹿力にも納得せざるを得ない。
「まったく、たまには遊びに来いと言ったはずだよなあ?」
「いや、だって、完全に夜型の生活になってんだもん! 昼起きるのしんど――」
「子どもたちはお前と遊びたがっているんだぞ? その純粋無垢な気持ちに答えてやれと言っているのだ! あぁっ、くそっ、羨ましいぃ!!」
「……さてはアンタ、人気取られて嫉妬してるんじゃないだろうな」
「……むんっ」
「うぎゃあぁっ!!? 痛い、痛いってば!? 悪かった、悪かった、悪かったって! 今度遊びに行くって約束したから! 頼むから離してくれぇっ!?」
「……ふん。ちゃんと遊んでやるのだぞ」
ふてくされながらも、慧音は手を離してくれた。
根は良いやつだからな、彼女。じゃなきゃ寺子屋を運営したり、教師として子どもたちに勉強を教えたりすることはできないだろう。
「だが、今日は少し残ってもらうぞ」
「あー? まさか、テストの丸付け手伝えとか?」
「………………違う。客が来ているんだよ」
「客が来てなかったらやらせてたのかよ……」
「いや、そういうのもありだなと」
「う……口は災いの門だな」
しかし、俺に客? 人間たちの間でならいざ知らず、妖怪たちにはまったく知名度が……ないわけでもないが、それでも木端か一部の妖怪しか知らないような俺に、か。
妙な気分になりながらも、送った少年の方を向く。
「さて、そろそろ御言葉を頂けるかな?」
「うん! ……えっと、“送り狼ごくろうさん”!」
ここでの御言葉は、仕事を終った後に貰う俺への感謝や労いの言葉……ではなく、仕事名付きの俺の名前のことだ。妖怪化して間もない頃、送り狼を始めた時からやっている。
なぜこんなことをしているのかと言えば、それは時代が進むにつれて、人間が他人に何かしてもらっても何も言わなくなったことが理由だった。
少し気になったので、せめて無意識に言えるようにと、自分の名前をこのように利用している。意味があるかは微妙だが、やらないよりはマシだろう。たぶん。
ともあれ、これで仕事は終わりだ。
子どもも無事に帰ってきたことだし、少年一家は今夜、安心して眠れることだろう。俺も明日に備えてさっさと寝てしまいたいが、御客人を待たせるわけにもいかない。
「よし、さっそくだが案内してくれ。……椛はどうする?」
「必要なら来てくれ。こちらだ」
何となく嫌な予感がするが、俺は椛とともに慧音の後を追った。
「初めまして、極黒狼様」
「いきなり労うとは何事か」
「あら、紛らわしい名前なのが悪いんですのよ?」
「言ってくれるな、ん?」
座敷に上がり、その少女の向き合って座る。
初っ端から空気は悪い。何せ、俺の冗談に嫌らしい笑みを浮かべて皮肉で返してきたのだ。ふつうならもっと軽い感じになるのだが、如何せん相手の威圧感が雰囲気を悪くしていた。
「そう睨みつけないでくださらない?」
「あ?」
「いえ、そちらの下っ端に言ったのです。なぜここに連れてきたのですか?」
「こいつは俺の弟子だ」
「……そうでしたか。ですが、この場に必要なのはあなただけ。私は天狗が嫌いですので」
「……」
仕方なく、椛を慧音とともに下らせた。
すると、ほんの少しだけ空気が和らいだ気がした。どんだけ天狗が嫌いなんだよと、内心呆れた。
「さて、じゃあお話ししましょうか」
「まずは自己紹介からだろう?」
「……そうでしたわね。私わたくしは“八雲紫”と申します」
「知らん」
嘘だ。ちゃんと知っている。と言うよりも、知らない奴の方ががおかしい。
妖怪の賢者八雲紫。ここ幻想郷の創設者であり、この世界と現代とを隔てている大結果の一つを管理する大妖怪。神出鬼没で何を考えているのかさっぱり読めない、胡散臭い奴。
偉い奴には違いない。だが、どれだけ偉かろうとも、俺は八雲を信じる気になれなかった。ずっと浮かべている笑みが胡散臭すぎて気色が悪いのだ。
というか、俺の愛弟子にあんな態度をとっておいて、よくのうのうとしていられるなと思う。正直、抜刀していないのが不思議なくらいだ。
「……敵対心を隠す気もないのですね」
「なら参考までに訊かせてくれよ、妖怪の賢者。自分の可愛がっている弟子を苛めるような奴をどうして信用できる?」
「それに関しては謝りますわ。ごめんなさい。でも、文句なら天魔に言ってくださらない? アイツのせいで、私は天狗が大嫌いなのだから」
「そうだったのか。いや、そんな事情があったとは気付かなかったんだ。こっちこそすまなかった」
天魔の所為なら仕方がない。うん。
……半分は嘘だが。少しは信用してやってもいいと思った。
理由は、八雲が俺の変わり様に少なからず驚いたからだ。常に口元を扇で隠しているが、一瞬目が見開かれたのが見えた。
その時の彼女の瞳は純粋な驚きを表していた。もしこれが演技だったのなら、俺はもう隠居するべきだな。
「だが、長い話は無用だ。明日、子どもたちと遊ぶ約束をしているんでな」
「まぁ、それなら御託は必要ありませんわね。では、さっそすですが本題を話しますわ。貴方、私のもとで働きませんこと?」
「……スカウトか?」
「そんなところですわ」
どういうことだ? 相手の意図が全く読めない。
俺はしがない獣の妖怪だ。分類でいえばよくて中級妖怪程度、能力もそこまで強力なものではない。刀の腕には多少自信はあるが、西行寺家の庭師には到底及びそうにない。
そんな俺を、どうして大妖怪の八雲が雇うのだ? そこに何のメリットがあるというのか、俺にはさっぱりだった。
「こちらとしては、人間に好意を抱いている妖怪であれば、地位や能力を問う必要はあまりないのです。貴方は、山で送り狼という仕事をしているそうですね」
「ああ。天魔に山を盗られたからな。仕方なく従っている」
「ですが、貴方の活躍のおかげで昼間なら人間でも妖怪の山に入ることができるようになったのです。あの天狗たちを納得させる実力を持っている上に、人間に友好的という妖怪は滅多にいないものですよ」
「買いかぶりすぎだ。それに、俺だって天魔には頭が上がらない。しょせんはただの獣さ」
「ご謙遜を。まぁ、貴方がそこまで言うなら、そういうことにしておきましょう。ですが、単刀直入に申しますと、私は貴方が欲しい。人間と妖怪の共存のための、新たな存在として」
人間と妖怪の共存、ねぇ……
聞いたことはあった。幻想郷は人間と妖怪、本来交わることのないこの二つの存在を共存させるための楽園として創られたのだと。
しかし、そんなものは夢物語だと言われていた。
そう考えると、俺は長いこと人間と交わってきた珍しい妖怪なのかもしれない。最初こそ怯えられ、時には攻撃されることもあったが、時間をかけて友好を深め、今のような関係に至った。
「……具体的には何をするんだ?」
「興味が湧きましたか?」
「多少、な。だが、何をやるか知ってから決めたい」
「そうですわね。やることはあまり変わりませんわ。いつも通り送り狼をやってくださればいいのです。ただ、有事の際、こちらの依頼を引き受けてほしいのです」
「というと?」
「近年、人間や妖怪の幻想入りする数が急増していますの。たしかにスペルカードルールによって、人妖は公平な決闘ができるようになりましたわ。ですが、新入りは違いますわ」
「……博麗の巫女が身を以て教えるにしても間に合わない、と言ったところか」
「その通りですわ」
なるほどなと、納得した。
要するに、巫女の代わりに新入りに幻想郷のルールを教える、ある程度強くてかつ人間や妖怪に対して平等に接することのできる者が欲しいのだ。
特に、ほとんどが人間よりも強い妖怪は人間を餌としか見なさない者が多い。そんな中、俺は特にそういった観念は持ち合わせていなかった。
力に関しては微妙なところだが、人間相手なら十分だ。まさに打ってつけという訳だった。
「どうです? 引き受けてもらえますか?」
「……どうだろうな。俺には荷が重すぎる話だ」
「……」
「だが、やってみよう。怖れではなく、優しさを以て、ともに生きる道を探してみたい」
「優しさ、ですか」
八雲に、俺は力強くうなずいた。
俺が何度殺されそうになっても、何度泣かれても、それでも人間を助けることができたのは、やはりあの日感じた優しを知っているからだ。
どんなに酷い奴でも、心の奥底には優しさがある。それは人間も妖怪も変わらないと思うのだ。なら、優しさこそが、共存の懸け橋となるのではないだろうか。少なくとも、俺と椛はそう考えている。
「……良いですわね」
「まあ、俺だけじゃ無理かもしれないがな。その時は椛にも手伝わせるさ。安心してくれ、アイツはただの天狗じゃない。俺よりも立派な、誇り高き狼だよ」
「ふふっ。なら、あの子だけ特別ということにしておきましょうか」
「それでいい」
「では……極黒狼、貴方を私の式とします。よろしいですね?」
八雲の顔から胡散臭さが消えた。その真っ直ぐな瞳には、幻想郷の未来を思う一人の賢者の意思が感ぜられた。
「ああ、誓おう。俺はこの郷のために、人間と妖怪たちの未来のために、貴女の式となる」
「よろしい。では――」
八雲は一枚の御札を取り出す。術式を展開し、光が部屋中に溢れる。そして、御札がひとりでに動き、俺の首筋に張り付いた。激痛が走り、歯を食いしばる。すぐに痛みは治まった。しかし、首筋に違和感を覚えた。
「これが、貴方が私の式である証ですわ」
どこからか鏡を取り出した紫は、俺を映した。
見てみると、さっき御札が張り付いた所に、三日月に刀が添えられたような絵柄の痣ができていた。
「……なんか、カッコいいな」
「そう言っていただけて何よりですわ。二日徹夜して作りましたのよ、私の式が」
「……なら、礼を言っておいてくれ、その式にな」
*
翌日の昼、俺は人里を訪れていた。
活気に満ち溢れた大通りを見るのは久しぶりで、どことなく懐かしさを覚えた。
よく通っていた甘味処は、店自体は特に変わった様子はなかった。
しかし、その顔触れはまったく違った。かつての大人たちはしわを増やし、彼らの子どもたちは大人へと成長していた。また、今は成長した彼らの子どもたちの子どもの姿も見られた。
こういう時、ちょっとだけ寂しさを覚える。
人と妖怪は生きる世界も時間もまったく違う。たいてい、人の方が先に死ぬ。
長い時間を掛け、せっかく仲良くなっても、いつかは別れる時がくる。離れたくないと思うものの、どうすることもできず、結局うな垂れることしかできない。
しかし、喜びもある。
去っていった者たちが残した新しい命。彼らの意思を継いだ次の世代の子どもたちと一緒に生きることができるのだ。
その子たちは初めから俺のことを信じてくれている。彼らの親と紡いだ絆を、彼らは継いでくれているのだ。
これを知ったとき、俺は自分のやってきたことが報われたと思える。人間と妖怪は共に生きることができるのだと確信することができる。
「……よし、少し寄っていくか」
人の生はあまりにも短い。だから、よく忘れてしまう。
なら、長生きする俺たち妖怪がたまに思いださせてやるべきだ。俺たちは仲良くやっていけると、俺たちはまだここにいると。
約束の時間に間に合わなくなるだろうけれど、俺は懐かしの甘味処へと足を運ぶ。
大切な絆を継ぐために。
甘味処で過ごしていると、いつの間にか太陽が真上を通った。
南無三! 急いだのだが、案の定約束の時間からずいぶん経っており、俺は寺子屋に着くなり慧音に叱られた。
どうやら来るのが遅かったために子どもたちのうちの数人が泣きだしたり、中には通りの方へ探しに行ってしまった子もいるようだ。
「まったく……行ってしまった子どもたちは私と妹紅に任せて、先にここの子どもたちと遊んでやれ」
「良いのか? たぶん、後から来た子どもたちは文句を言うぞ?」
「誰のせいだと思っているんだ? それに、そういうのは待てなかった方が悪い」
「意地悪な先生だな。だから人気がないんだぞ」
「うっさいわ!」
そうは言うものの、寺子屋に集まっていた子どもたちはたくさんいた。慧音がもし嫌われているのなら、いくら俺が来ると言っても、ここには来なかっただろう。
そう思うと、少なからず慕われているに違いない。微笑ましい。
「それにしても教師か……俺もやってみようかな」
子どもたちと遊びながら、ふと呟いた。
昼間に教師、夜に送り狼というのも案外悪くないかもしれない。寝不足が懸念されるが、それならば授業にお昼寝を追加すればいいだけの話だ。
「極黒狼も先生になるの?」
「もしもの話だけどな。そうなったらどう思う?」
「うーん、遊ぶ時間、増える?」
「増えるんじゃないかな」
「なら嬉しい! ねー、先生なってよー」
「なってー」
「そうだな、今度慧音先生に相談しとくよ」
無理だと思うけどな。終いには泣かれそう。
一瞬わんわん泣く慧音の姿を思い浮かべたが、その後妹紅に慰められ、なぜか迷いの竹林で同居するところまで想像してしまった。なぜだ?
そんな風にバカなことを考えながら、子どもたちと遊ぶ。鬼ごっこや隠れん坊、メンコ、独楽など色んな遊びを一緒に楽しんだ。
途中で慧音と妹紅、出て行ってしまった子どもたちも合流し、みんなで日が暮れるまで遊びつくした。
「ん、そろそろ帰る時間だな」
「そうだな。では、みんな、今日はここまでだ。ちゃんと極黒狼にお礼を言って、挨拶してから帰るのだぞ!」
子どもたちは少しだけ不満そうだったが、俺がまた来ると言ったら、納得してくれた。
迎えに来た親や友達と一緒に帰る子どもたち。
しばらく手を振って見送っていたのだが、ふと一人だけ俺の黒衣の裾を掴んで残っている子がいるのに気付いた。
「どうした?」
訊ねたが、彼女はじっと俺を見つめるだけだった。
どうしたものかと頭を掻いていると、ふと妹紅が、
「あぁ、こいしか」
「こいし? この子の名前か」
「うん。なんだ、来ていたのか」
こいしは若葉色の長髪と瞳が特徴的な妖怪の少女だった。
妹紅が言うには、たまに寺子屋にやってきては子どもたちに混じって遊んでいるらしい。しかし、どこから来たのか、名前は何なのか――“こいし”というのは子どもたちから聞いたそうだ――がまったくわからず、慧音も気に掛けているとのこと。
「君は帰らないのか? それとも、親を待っているのか?」
そう訊ねてみるが、こいしはふるふると首を横に振った。しきりに裾を引っ張るばかりで、何も話そうとしなかった。
どういうことだ? 頭を捻るものの、答えは出ない。
だが、ふと親子が手を繋いで歩いているところを見た時、ある答えに辿りついた。
「もしかして、俺と一緒に帰りたいのか?」
こいしはぱあっと表情を明るくし、大きく頷いた。
どうやら当たりらしい。
ちょうど今日、送り狼の仕事はすべて椛に任せてあった。というのも、たまにはゆっくり過ごせと、彼女に言われたのだった。
相変わらず無愛想ながらも思いやりのある愛弟子に頬が緩むばかりだ。
「よし! じゃあ、送ってやるよ」
出張版送り狼である。
いつ紫の依頼が来るかもわからないし、何かにつけて幻想郷を回っておくに越したことはない。
こいしと手を繋ぎ、歩き出す。
西の山に沈む太陽はどこか怪しく輝いているように見えた。
ということで、リメイクしました。
これ以上書くかどうかはわかりません。でも、たぶん書きません。下手に続けて変な作品に仕上がってしまうよりはここで切り上げておいた方が綺麗に纏まることでしょうし。
さて、ツイッターではすでに申し上げましたが、改めて……
前作『送り狼ごくろうさん』、並びに『片翼の大烏』、『秘めたる刃』を閲覧、お気に入り登録してくださった皆々様、大変申し訳ございませんでした。
わたくしの身勝手な行為により、皆様の善意を蔑ろにしてしまったこと、深くお詫び申し上げます。これからは充分に気を付けて活動を続けたいと思います。
重ね重ね本当に申し訳ございませんでした。
こんなクソよりもクソなわたくしですが、これからも精進して参りますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
今後の予定ですが、しばらくは各所で短編を書いていこうと思います。ハーメルンでは二次創作を、なろうやカクヨムではオリジナルを書いていくつもりです。
面白いかどうかは定かではありませんが、精一杯頑張りたいと思います。投稿次第、ツイッターにて報告しますので、たまに覗いてみてください。
以上ですかね。
それでは、またどこかでお会いしましょう。
ご閲覧ありがとうございました!