1.5部などのストーリー、真名、再臨・絆台詞バレを含みます。また、一部自カルデアの召喚状況に合わせたストーリー改変をにおわせる文があります。
夏の蒸し暑い日―――のはずだった。ここがヒマラヤの山中でなく日本の首都だったなら。人理は救われ、世界は最早焼かれていないけれど、その立役者の一人、歴史の穴に立ち入り続けた少年は2017年が半分以上過ぎてもまだ母の顔を見れないでいた。
フィニス・カルデアは雪山の山頂に座し、原子の光を動力とする、一人の魔術師の手による機関であった。今は亡きマリスビリー・アニムスフィア。その娘、オルガマリー。オルガマリーが死し、世界が焼き払われた後カルデアを率いたロマ二・アーキマン。そして彼が神殿の空へ消えたあと、その立場を引き継いだレオナルド・ダ・ヴィンチ。
その誰もが、英雄を知っていた。その誰もが英霊というものの危険性を知っていた。
どんな魔術師も48人の前任のうち残ったのが二人きりとあってはマスター候補を新たに送り込むことはなく、そうでなくともレイシフトにおける意味消失を避けるのは天性の才が要る。かの王の意思持つ遺産が消し去った人理の光は今なお揺らいでいるが、マスター候補48番は光輪の無い空が広がってもまだ唯一のマスターであった。
昨日も今日も明日も彼は揺らいだ世界の狭間で叡知の火を集めるのだろう。いずれ確認されるだろう亜種特異点のために体を魔術を鍛えながら、千差万別の英霊の仲を取り持ちながら、故郷を遠く離れて、神話と伝承と教科書で見たような死者に火を捧げるのだ。そんなある日のこと。
「ごめんね、サンソン。愚痴に付き合わせたりして」
ぬるくなったコーヒーを前にしながら、人類最後のマスター―――だった少年はそう言った。
「いえ。……刃を持つ手に迷いが生じるのであれば、それは罪人を無用に苦しめることになる。僕が話を聞くことでそれが避けられるのなら、喜ばしいことです」
少年に与えられた部屋で、彼と向かい合って座っているのは銀髪の青年。死せるムッシュー・ド・パリ。死刑以上の刑罰と平等を謳うギヨタン博士の機械、その双方を扱ったサンソン家の四代目であった人物。
少年は言う。
「諦めなければ夢は叶うってコロンブスは言うけど。新大陸にだって辿り着けるって。でもさ、僕は辿り着きたくないんだよ。
それは擦り切れた英雄を、人理の奴隷のような在り様を、他者の都合でゆがめられた霊基を見てきたが故の言葉であった。千を数える夜半の語りで英霊に祭り上げられた女は、死してなお死するのはごめんだと言った。殺されるためだけに呼ばれ続けるくらいなら、そんな枠組みごと死んだ方がいいと。
人類を存続させるために、本来自我すら奪われる英霊を呼んだ。
“正義”を成すために、在り方の歪められた英霊を呼んだ。混沌・悪の
「僕は
―――かつての理想も思想も溶けていっている。
―――俺にはもう何もない。
―――俺を
「エミヤが信頼に応えようと言ってくれたとき、君が死出の旅を請け負うと言ったとき、オルタは、オルタは……」
しばらくの間、生者も死者も何も言わなかった。やがて少年はゆっくりとテーブルの上のマドレーヌに手を伸ばし、一口二口と囓った。
魔道へと失墜した投影魔術使いに残ったのはその魔術だけであったが、それすらも既に変質していた。
けれどそこまで歪んで、なおも世界は足りないと言いたげだった。マリアナ海溝の底の底、平行世界の月を参照した電脳空間、
沈み往く海洋油田で霊基をねじ曲げられたのは、けれど彼だけではなかった。BBの手による量産型の弓兵/槍兵が座に複数登録されている“ロビンフッド”のうちの一人をベースにしていたのはきっと偶然ではない。黄金律、皐月の王。一部を切り出して霊基を分割するその様はまるで、座の英霊をサーヴァントに落とし込むときのようだった。
捏ね回された霊基。それは壁に閉ざされた新宿でも、地底の
三つの幻霊によって成る復讐者は人語を伝える機能を徹底的に排除され、故郷の記憶も失われ、復讐心を持たぬ三人目は声どころか姿すらない。
誇り高き女王は、女帝は、見も知らぬ都市を与えられ当然のものとしてそれを治め。狂える神話の英雄は暴虐性だけを増幅され。海賊船の女頭はただひたすら強奪者であることだけを強制された。
あんな風にねじ曲げられるくらいなら、英雄になんてならない方が余程いいのではないかと。少年はそう思わずにはいられなかった。
少なからぬサーヴァントが、きっと生前とは似ても似つかぬ姿で呼ばれたのだろう。きっとカルデアの数十騎の内には、生きていた頃とはまるで違った性格のものがいるのだろう。自分は自分でいたいというその願いは、獣の残骸を打ち倒した者には過ぎたものなのだろうか。世界を救った組織の、たった二人の実働部隊だったという事実は永劫死に続ける可能性を厭うことすら許さないのだろうか。
そんな思いを、けれどどうして隣で戦い続けてくれた少女に言えるだろうか。寝る間も惜しんで自分の存在を保ってくれたスタッフに言えるだろうか。こうして既に英霊となった人物に言うのも褒められたことではないだろうが、それでも誰にも言わずに抱え込めるほど、少年の心は強くなかった。
「死にたくない。生きていたい。……英雄になんてなりたくない。でも、それでも、好きな子にはかっこいいとこだけを見ててもらいたいじゃないか!」
その叫びをどうして、シャルル=アンリ・サンソンが否定できるだろうか。誰も死にたくはない。だからこそ断頭台が罰たり得るのだ。仕事はしなければならない。だから彼はあのときも、あのときも、“市民”の首を落としたのだ。けれどなによりも、恋をしたなら、“彼女”たちの前で無様など見せられない。見せられるものか。
だからそうして。今日も、明日も。世界の揺らぎが消え去るまで、代わりのマスターがやってくるまで。少年は特異点に残る神秘を駆逐するのだろう。サーヴァントに叡知の火を捧げるのだろう。必ず来年がやってくると確信できるまで。