本番に備え、準備は焦らずゆっくりと
「昴さん……」
今この場にはいない人の名前をポツリと寂しげに呟きながら、ゆっくり上着を脱ぎ、そっと床に置いた。
そして自分の髪のワンポイントを彩っているお気に入りの髪留めにそっと手を当てる。
それだけで心がポカポカと温かな気持ちに包まれてくる。
―――昴さんが笑顔で優しく髪を撫でてくれているような感じがする。
この髪留めを頂いてからは、いつも昴さんへの尊敬と感謝の気持ちを想いながら始めることにしていた。
こんなこと昴さんにはもちろん友達にだって絶対言えない。
万が一にでも誰かに知られてしまったら恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだ。
そんなことを考えていたら、少しドキドキしてきてしまったが、そのままゆっくりと行為を始めていく。
「んっ……」
すでに何度となく行い、慣れ親しんでいる動作のはずなのに、始めるときはいつも緊張しているせいか指先も思う様に動いてくれない。
少しずつ緊張を解してくように意識しながら、指先を目的の場所へとゆっくりと伸ばしていく。
「あ、あれ?」
始める前に変に意識しすぎてしまったせいか、どうやらいつも以上に体が緊張してしまっているようだった。
「あ、あはは……はぅっ!!」
どうしてこんなに緊張してるんだろ?と自分を笑って誤魔化しながら、少しだけ強引に体を動かしてみたら、今度は思った以上に強い刺激が来てしまった。
「うぅ……」
予想以上の刺激に驚いてしまったが、少しずつだけど体の準備は整ってきている。それならこのまま続けても問題ないはずだ。
意を決してより強い刺激を求めるように手を動かそうとすると同時に――
「にひひー もっか~ん! いつも一人寂しくじゃなくて、たまにはあたしと一緒にしようぜーー!」
「ふえぇ!? ま、真帆! ちょ、ちょっとくすぐったいよぉ」
自分の行為に意識を向けすぎてしまっていたせいか、近づいてきていたことに全く気づかなかった真帆にいきなり抱き着かれてしまった。
真帆の細い指先が幽かに火照り始めた私の身体の上を這う様に撫でまわす。
「いつもは一人でさっさと終わらせちゃうくせに、めずらしくていねーにしてたからさ。ちょっと手伝うだけだってー! ほらほら~もっと力をぬいて~身も心もあたしにまかせちゃってさ~」
「ひ、一人でできるから大丈夫だよぉ……はぅ!」
決して真帆にしてもらうのが嫌ってわけではないし、むしろ嬉しい誘いだ。
だけど、今は昴さんのことを考えていたせいもあって、変に体が緊張してしまっていた。
真帆自身は気づいていない様子だけど、彼女の身体も私同様に火照り始めている。
背中全体に感じる彼女の体温の温かさや、今も少し強めの刺激を送り続けてくる細い指先が、心地良さ以上の変な高揚感を私に与えてしまっている。
「え~いっつもすばるんにしてもらってんじゃねーの?」
「ふえぇ!? す、昴さんはそんなことしないよっ……んっ………い、今の真帆みたいに体中を触ったりなんか……はぁう!? ……してないよぉ!」
真帆の指からむず痒いような刺激が送り込まれ、そのたびに自分が出してるとは思えないような変な声が出てしまっている。
全身を揉まれながらも、変な声が出ない様に必死に抑える。
これ以上は本当にはしたない醜態を晒してしまうかもしれないと危機感を覚え、必死に止めてくれるようお願いする。
「んっ……ま、真帆ぉ……ぉ、お願いだから……もう止めて……はぅぅ!!」
「今はずっとあたしのターンだ! ほらほら~ショージキに言っちゃえよっ」
「こら真帆。そろそろ離してやれよ。トモだって長谷川さん以外に体を撫で回されるのは嫌だろうしな」
「ちぇー。もうちょっとで終わりそうかなと思ったんだけどなー。ま、もっかんを満足させるのはすばるんの役目かー」
さすがに自分を不憫に思ってくれたのか紗季が真帆を窘めると、真帆も諦めたように私の身体を揉む手を止めてくれる。
なんか2人からさらっと、すごいこと言われたような気がするけど、まだ頭がぼーっとしているためか上手く聞き取れなかった。
変な高揚感もおさまったところで、最後に身体を大きく伸ばす――そして、真帆の乱入もあったが無事に部活前のストレッチを完了する。
「どうせ長谷川さんのこと考えて油断してる時だったから驚いたんだろうけどさ。残念だったなトモ。長谷川さんに来てもらえなくて」
「ふえぇぇ!? そ、それは……ち、ちが……………………わなぃ……けど……ぅぅ」
紗季の言うように昴さんは今高校のテスト期間であり、自分の勉学に励むため期間中は少しの間だけコーチを休ませて欲しいと申し訳なさそうに仰っていた。
それでも私の朝練だけはいつも通りお付き合いして頂いている。
昴さんは「智花と思う存分に激しくやりまくって溜まったストレスを発散しないと調子が狂いそうだから。遠慮せず今まで通り自分に付き合って欲しい。」と言ってくれている。
みんなも気にしなくてもいいとは言ってくれているけど、昴さんを自分だけが独り占めしてしまっている気がしてしまい、やっぱり少し心苦しさを感じてしまう。
ちょっと寂しいけど、私だけ部の代表として朝にお付き合いさせて頂いてるのに、放課後も昴さんと一緒にしたいなんてわがまま言えないもんね。
「ごめんなーもっかん。すばるんのこと考えてた時にジャマしちゃって」
「智花ちゃん長谷川さんのこと大好きだもんね」
「おーともか。お顔まっかー」
「うぅ……愛莉もひなたもからかわないでよぉ」
紗季が遅れて出してくれていた助け船は、乗せてくれないどころか、真帆側の援軍を運ぶ船だったようだ。
「えっと………みんなどうして私が昴さんのこと考えてたってわかったの?」
「だってトモ、その髪留め触ってる時ってだいたい長谷川さんのこと考えてるでしょ」
私の質問にあっさりと答える紗季。確かにこれから何かを始めようと思うときに、つい昴さんに甘えたくなって手が伸びてしまうことはあるけど――
「ふぇぇ!? そ、そうだけど。私、そんなに触ってた?」
「あ~本当に重症だな。長谷川さんのテスト期間が終わったらすぐにでも会わせてあげないと一大事だ」
「もっかんーもっかんがすばるんにラブラブなのは、みんなわかってんだぜー?」
「おーともか、いつもさわってるよー さわってるときのともか、たまにへんなお顔してるー」
「ひ、ひなちゃん! えっと、全然変じゃないよっ。好きな人のことを想ってる、とても幸せそうなお顔してると思うよ」
みんな好き勝手言っている中で、愛莉だけが必死にフォローしてくれたけど、言ってることはやっぱりみんなと同じだった。
「はぅぅ……これからはもう少し触る回数減らすように気を付けないと………」
「―――って、トモ言ってる側からまた触ってるから」
「こ、これは違うよっ! バスケ始めるときは危ないから外そうとしてただけだよぉ!」
「でも、今日のリボンもすばるんからのなんだろ。しってる」
「はぅぅぅぅ!? お願いだからもう許してよぉぉぉーーー!!
髪留めを外すと丁寧に脱いでいたジャージのポケットに大切にしまう。
「そ、それじゃみんな今日も始めていくよっ」
「ふふ。そうね。そろそろ真面目に部活も始めないとね」
「よっしゃーいっぱい笑って満足したし、今日もがんばるぞー!!」
「えへへ。ごめんね。智花ちゃん、今日もよろしくお願いします」
「おー! きょーもみんなでがんばろるぞー!」
このままだとみんなにからかわれたまま終わってしまうと思い、恥ずかしい気持ちを必死に押さえ、誤魔化しながら強引に部活動の開始を宣言すると、ようやくみんなも表情を引き締めてくれた。
「最初はダッシュから始めていくよー!」
『おー!!』
昴さんがいなくても、今日もみんなで頑張ろうね。そんな想いを込めながら一斉に走り出した。