「まだ紗季も智花に話してないのかな?」
紗季から智花を抱いて欲しいと言われて三日程経過したが、未だに智花になんら変わった様子が見られない。
むしろ朝練の時に俺の方が変に意識してしまい、そのせいで智花に余計な心配をかけてしまったくらいだ。
それなら、こっちが変に考えすぎて待ち構えるよりも、普段通りのままの方がお互いに自然体でいられるだろう。
「よし。智花が来る前にロードワーク行ってくるか」
庭先で入念にストレッチを行った後、走り慣れたルートを駆け出す。
戻って来る頃には、いつものように家の前に智花が待っていてくれるはずだ。
片結びの髪を揺らしながら、大きく手を振って、優しい笑顔で俺の名前を呼んでくれる。
いつの間にかそんな日常が当たり前になっていて、それが今の俺の心の支えになっている。
いつも俺の事を待ってくれている少女がいる。
俺もすぐにでも彼女に会いたいし、当然、会うだけじゃ終われない。
お互いの気持ちを、想いを確かめ合うように、汗まみれになるだけ激しく肌を重ね合う。
どんどん上達し合える確かな実感と共に、俺も智花も自分の全てを、あるいは相手の全てを自分の物とするべく、激しく求め合い、朝から充実した日々を送る。
そんな日常がたまらなく愛おしく思えた。
俺達には、いったい後どれくらいの時間が残されているだろうか?
確認してしまえば簡単に分かってしまうだろう。多少の猶予はあるかもしれないが、そんなのはせいぜいロスタイム程度の誤差でしかないこともわかっている。
ならせめて、その最後の一瞬を迎える時まで俺は絶対に彼女を離さずに、俺の全てをたっぷりと注ぎ込んでやるだけだ。
「そのためにも、一々いつ来るかもわからないことに怯んでなんかいられないよなっ!」
智花が俺に抱かれる事を心から望んでくれるのなら、俺は彼女の甘えたいという想いも温もりも全て受け止めてみせる。
まぁ、間違ってもトラウマを植え付けるようなことは絶対にしないように気をつけないとな……
回数で言っちゃえば、もう自分の手足の指の数では数えきれないくらい、たくさんみんなを抱いちゃったと思うから、大丈夫だとは思うけど。
――よし、気を取り直してラストスパートだ!
ここを曲がれば後は最後の直線。
この直線の先にはいつものように元気な智花が待ってくれているんだ。
「とも――!?」
視線の先には確かに目当ての少女が立ってくれていたが、遠目から見ても明らかにいつもと様子が違っているように見えた。
こちらに気づくと一瞬ビクりと体を強張らせる。
いつもよりは幾分か控えめながらも、かろうじて手だけは振ってくれている。
彼女の様子からしても、明らかに紗季と例の話をしてしまったのだろうと予想が付く。
そうだよな。平日にあんな話されたって、朝は俺との練習があるし、学校や部活もあるから、俺と一緒にいられる時間なんて、ほとんどないよな。
それなら、二人の時間が作りやすい休日に合わせて話を聞かされた方が、智花も俺みたいに悶々とする期間が短くて済むだろうし。
そう考えれば紗季は、ベストタイミングで智花に自分の計画を伝えてくれたとも考えられる。俺には油断しきった状態からの完全な不意打ちとなっていたが。
――さて、どうしたものか……
ついさっき決心したばかりだと言うのに、しおらしくなっている智花を見てしまった途端にだいぶ決意が鈍ってしまっていた。
刻々とゴールへ近づくまでの間に、俺は彼女に対して、どう声を掛けるべきか必死に考えるが、悪い方にばかり思考が向いてしまい、全然まとまらない。
すでにラストスパートへの加速を開始してしまっている以上、今更急に足を止めるわけにもいかない。
まだゴールしたくないのに、俺のゴールである智花との距離がどんどんと近づいてくる。
そして俺は智花にゴールした。
「おはよう。智花。休みなのに今朝も早いね」
「お、おはよう……ございます。昴さん……えっと……」
「その様子だと、紗季から色々言われちゃったみたいだね」
「はぅ!? うぅ……は、はい。……そ、その……ちょっと前まで昴さんのご様子が変だったのも、このせいだったんですね……すみません」
目の前で頬を紅潮させている少女に対して、どう声をかける。必死に考えるんだ。
俺達に残されてる時間はもうわずかしかないんだ、こんなところで無駄に足踏みをしていいはずがない。
「智花。今の状態だと気が乗らないかもしれないけどさ、いつもみたいに一緒にバスケしてから話してみない? 色々悩んでる時は、とりあえずいっぱい体を動かして気持ちを発散させた方が、きっといいと思うしさ」
「は、はい。そうですよねっ。昴さん。後でいっぱいご迷惑おかけしてしまうかと思いますが、今日もよろしくお願いしますっ」
よし、まだ具体的なことはしてないけど、俺も智花も普段通りに戻れた。と思う。
あの話のせいでお互い変に意識し過ぎちゃってるだけで、この程度で俺と智花の信頼関係が揺らぐはずがないんだ。
俺も智花もバスケを通じてこんなにも深く繋がり合えている。
この後だったら、きっと智花だってもっと俺に心を開いてくれるに違いない。
「……ふぅ。今日もすごい良かった。どんどん動きが良くなってきてるよ、智花」
「ふぁふぅぅぅ~~~私もすごく気持ちよかったです。昴さんにいっぱい色んな攻め方を実践で教えて頂いちゃったし……昴さんとするの本当に大好きですっ」
「俺も智花をもっと満足させられるようテクニック磨くから、これからもいっぱい付き合ってくれるか?」
「はいっ。私だって昴さんに少しでも早く追いつけるよう頑張りますから、これからもよろしくお願いしますねっ」
バスケ後の、この清々しい解放感は本当にいつだっていいよなぁ。
俺の隣で腰を下ろしている少女がにこやかに微笑んで俺を見つめてくれている。この笑顔を見ていると、ついさっきまでの刺激的な光景が鮮明に浮かび上がってくる。
いつまでもこうしていたいけど、このまま体を冷やすわけにもいかないし、そろそろ動かないとな。
「よしっそれじゃ、しっかりストレッチ始めようか」
「はいっ。今日もありがとうございましたっ。昴さん」
「智花、背中押すよ?」
「あ……はいっ。ありがとうございますっ」
力を入れ過ぎないように、かと言って弱すぎないように、ゆっくりと小さな背中を押して彼女の前屈を手伝う。
うん。智花は自然体のまま俺に体を許してくれている。
「あのさ、智花」
「なんですか? 昴さんっ」
「今みたいにさ。後ろから俺に触られて嫌だって思ったり、怖いって感じる?」
「ふぇ? いえ? 昴さんのお手を煩わせてしまってるのは申し訳なく感じますが、すごく大きいし温かくので安心できちゃいます。……それで、つい甘えたくなってしまいます」
後ろにいるから彼女の顔を確認することができないのが残念だけど、きっと今、智花はすごく可愛い顔をしてくれてるんだろうなぁ~
周囲に気を遣ってる時の、どこか自分の本心を抑えたような儚さを感じるものとは違って、心から幸せを感じて浮かべることができている、あの笑顔を。
まぁ、本当に幸せかどうかは智花にしかわからないし、俺が勝手にそう思ってるだけに過ぎないのかもしれないけど、そう思わせてもらっておこう。
「まだまだ甘えられ足りないから、もっといっぱい甘えてもいいよ。って言ったらどうする?」
「ふぇぇ!?」
智花が体を起こした時に彼女の両肩に手を置いて、耳元で悪戯っぽく囁いてみたら、背筋をピンと伸ばして固まってしまった。
いかんな。これだと紗季みたいにからかっていると思われてしまいそうだ。
俺もこういう言い方は慣れてないから変にドキドキしてきてしまったし。
よし、慣れない言い方でアピールするよりはいつも通り直球で行こう。
「からかってるように聞こえちゃったかもしれないけど、俺は本気だよ。智花が俺にいっぱい甘えてくれるなら、これ以上に嬉しいことはないし、智花の全てを受け止めてあげたい。って思ってる」
「ふえぇぇぇ!? す、すす昴さんっ!?」
ダメだ。なんか直球は直球で言ってる俺もすごく恥ずかしい事言ってる気がしてきた。智花もすごい動揺しちゃってるし。
「も、もちろん智花が嫌がることは絶対にしないし、俺じゃなくて、女の子同士のが良いなら葵に頼むのも――」
「!? 昴さんがいいですっ!!」
紗季にはダメだと言われたけど、智花を安心させるのが目的なんだし、使える手はなんだって使う。そんなつもりで提案をしようとしたのだが……
彼女の予言通り、葵より俺の方がいいと、力強く宣言されてしまった。
葵の名前が出た瞬間、一瞬智花の体が震えあがった気がしたけど……気のせい……だよな?
「はぅ!? す、すみませんっ。で、でも……本当にご迷惑でないのなら……す、昴さんに……して頂きたいです……」
「わかった。それじゃ、ちょっとずつしていくから、嫌だったり、これ以上は無理だと思ったらすぐに言うんだよ」
しつこく確認しても、逆に智花が心変わりして遠慮されてしまうかもしれない。それならいっそ、もうこのままやってしまった方がいいだろう。
肩に置いていた手を解くと、そっと抱きしめるように前に回していく。
「あ……昴さん、すみません、その……だ、抱きしめて頂くの、少しだけ待って頂いてもいいでしょうか?」
「ん? あぁ、ごめん。やっぱり怖かった?」
「いえ、そうではなくて……さ、先にシャワーをお借りしても……汗をかいたままだと、恥ずかしいので……」
「そ、そう言えばそうだったね。まだ俺達、朝練終わったばっかりだったね」
智花が気づいてくれて本当に良かった。俺も無意識に完全に外で智花を抱くつもりになってたし、危なかったな。
家の敷地内だから目撃されることはないだろうけど、庭先でお互い汗まみれの体で小学生を抱きしめてるところを誰かに見られでもしたらと思うとゾッとする……
別れ際に智花の頭を優しく撫でてから送り出すと、家の中でニヤニヤと楽しそうに眺めている母さんの視線を感じたが無視を強行する。
智花の方は、恥ずかしそうにしながらも丁寧に挨拶をしていた。本当に律儀な子だよな。
「すみません、シャワーお借りしますね。いつも申し訳ありません。なるべく早く出るようにしますので……」
「あらあら、気にしないでゆっくり使ってね。女の子なんだからいつも綺麗にしておかなきゃダメよ」
「はぅ!? は、はい……そ、そうですね。それではお借りしますっ」
多分母さんにそんな気はないんだろうけど、まるでこれから俺に抱かれることが分かっているかのような言い方に聞こえてしまった。きっと智花もそう捉えてしまったのかもしれない。
逃げるように駆け出している智花の背中を微笑ましそうに見送ってから、ゆっくりとこちらに振り返る。
「智花ちゃんは本当に良い子なんだから、大切にしてあげないとダメよ」
「わかってるって。――ってか、母さんもあまり智花をからかうなよな。かわいそうだろ」
「そんなつもりはなかったんだけどねぇ。なんだかいつもより智花ちゃん嬉しそうだったから、気になっちゃって」
「普段と変わらないように見えるが」
珍しく母さんが鋭いのか、俺が鈍いのか……いや、きっと母さんの勘違いだろう。
俺の方が智花と長く一緒にいるんだし。俺の方が智花のことに詳しいはずだ――って、なんで母さんと張り合ってんだ俺は。
「もう少しだけ追加で自主練してるから、朝飯頼むな」
「はいはい。いっぱい頑張ってね~」
俺の考えを見透かしているかのようなニヤニヤ笑いと視線に耐え切れず、母さんの視界から逃げるように身を翻し、再びバスケットボールと向き合う。
先にシャワーを終えた智花を俺の部屋へ待たせ、続いて俺もすぐにシャワーで汗をしっかりと流す。
汗臭い体で智花を抱くわけにもいかないし、普段よりも良く洗わないとな。
智花にはこれから、思う存分俺の腕の中で甘えてもらうだし、そのためにも一切の妥協は許されない。
よし、いつもよりたっぷり時間も掛けて丁寧に洗ったし、これなら抱いてる途中でも智花に嫌な顔をされることもないはずだ。
あんまり待たせちゃうのもいけないし――ってか、俺もいつもより長湯でのぼせそうだし、そろそろ上がるとするか。
まずはお湯で濡れた身体をバスタオルで軽く拭き取り、浴後の火照った体から徐々に滲み出る汗もしっかりと拭わないとな。
正直、ここまでするのもどうかとは思ったが、せっかく綺麗な体の智花を俺の汗でベタつかせて不快な思いをさせたくないし、念には念を入れておくに越したことはない。
準備をしっかりと整えたところで、俺は自室のドアをノックし、部屋の中で待たせている少女に声を掛ける。
「智花。入るよー」
「は、はいっ! お待ちしてましたっ!!」
ドアを開けると同時に三つ指をついて丁寧にお辞儀をする智花が出迎えてくれた。
……本当にすごく真面目な子なんだけど、真面目過ぎて相変わらずどこかずれてしまってるな。
その様子がとても微笑ましくはあるんだけど。
ゆっくりと部屋に足を踏み入れ、しっかりとドアが閉まるのを確認したところで一息つく。
――智花、いっぱい可愛がってやるからな。
そんな想いを込めながら、目の前の少女と向き合った。
元々はすぐに智花を抱いて終わるつもりだったのに、書きたいと思った目的のシーンに近づいた瞬間に変な方向に妄想が膨んでしまう。