満月の夜。入学式の時には人だらけで暑苦しかったというのに今はまるっきり逆で寒々しい。
人気のない場所で首を切られた遺体が数年に一度見つかる、そんな街から少し離れた大学で、それは起こっていた。
女性は冷たい音を響かせながら廊下を走り、青年が追いかける。
「……っ」
大学は改築を重ねた結果、複雑に入り込んでいて、一種の迷路のようになっている。そして、だからこそ迷路には付き物の行き止まりがあった。
廊下の行き止まり。逃げ道のない場所。つまり、逃走劇の終了である。
「やっと、追い詰めた」
息を切らしながら青年は小さく呟く。怒りに声を震わせ、更に言葉を続ける。
「どうして僕じゃないんだッ!!」
青年は叫ぶ。溜まりに溜まった言葉を漏らすように。
「何のこと、なの……?」
女性はずんずんと近付いてくる青年から逃れようとするが、壁と密着するだけだ。逃げられない。
「どうして、覚えてないんだ。僕は貴方の為に、この四年を捧げたのにッ!!」
青年は叫び、女性は逃げることを諦めたのか座り込んでしまう。覆い被さるような形になって、女性は一歩も動くことができない状態になる。
月に照らされる女性は、美しかった。例えるならば傾国の美女。国を揺るがすような、人を狂わせるような、そういう美しさだった。流れる汗すらもまるで芸術品のようだった。
青年に女性を逃すつもりは微塵もない。女性が自分のことを思い出すまでは絶対に――。
と、青年が意志を固めたところで、女性は妖艶に笑う。堪えきれなくなって、つい声を漏らしてしまったのだ。
青年と女性の出会いは、四年前に遡る。
「周囲はよく見ようね、ボク?」
大したドラマがあったという訳ではない。携帯をいじっていた少年と少女がぶつかっただけ。それだけのことだが、その少年にとっては大きなことだった。
何せ少年は、恋をしたのだから。
中学三年生だった少年は、そのまま少女に声を掛けてデートに誘った。
少女は当時高校生。それでもすれ違う人々はつい彼女の美しさに目を奪われ、どこかに体をぶつけてしまう程だった。
そして少年は心を奪われた。
デートと言っても少年の財力は微々たるもので、近くのカフェで話をする程度だった。綺麗なものが好き。家には大好きなものが多くて困る。そんな話を少女はしてくれた。
少年にとっては何かをしたい訳ではない。ただその女性といたかっただけ。それだけでよかったのだ。
「覚えて、いてくれたの?」
嬉しそうに表情を緩めた青年を見て、女性は愉しそうに笑った。
「ええ、もちろんよ、ボク。貴方のことを忘れたことなんて一度もないわ」
「じゃあ、どうして、あんなことを……ッ!」
青年の言うあんなこととは簡単なもので、彼氏連れのところを見せつけられただけ。ただそれだけのこと。
青年の淡い片思いが儚く散っただけのことだ。
「どうして? 私だって四年もあれば恋をするでしょう? それを貴方が止める理由なんてないでしょう?」
「あるだろうッ! 僕は約束をしたんだ! 貴方と、四年前に」
「約束? 何のことかしら?」
ふふっ、と女性は笑う。挑発するように、相手の感情を揺さぶるように。
勿論、彼女は覚えている。その約束を。彼女が青年に、高校を卒業し、少し遠くの大学へ行くと説明した時に交わした約束だ。
――四年後、私と同じ大学に来たならば、入学式の夜、貴方は私のものになる。
そういう約束をしたのだ。しかし、彼女は約束のその日その時に、まざまざと彼氏の存在を見せつけたのだ。
女性の隣に居るべきはずの青年はそこにおらず、別の人間がそこいた。それだけのことが、青年の純粋無垢な感情を破壊した。青年が戸惑いの声をあげると女性は走り出し、そうして今に至る。
この四年間、青年はただひたすらに彼女のことを考えていた。彼女の為に生きていた。彼女を愛していた。
ことある度に彼女のことを思い浮かべ、会えない故に美しい彼女を更に理想化し、恋しいが故に偶像として彼女を見た。だというのに、彼女はそれを裏切った。
儚い恋愛感情は裏返り、醜い憎悪になる。それが青年の今の姿。――このザマだ。
そして、その結果は女性が望んだものだ。いや、約束通りと言うべきか。
ふふっ、と女性は微笑む。
「何を笑って――ッ!?」
青年の後頭部に強い衝撃が起こった。ふらついた青年にもう一度強い衝撃が襲う。
そして、女性の手には一つの得物。よく研がれた、鋭いサバイバルナイフだ。
「周囲はよく見ようね、ボク? 私は誰と一緒にいたのかな」
消え行く意識の中で青年は、全てを悟った。
ああ、自分は女性に狂わされ、壊されたのだと。
女性は家に帰り、新たな、大好きなものを部屋に飾った。飾る場所は部屋の真ん中。このお気に入りは、ここに置くと決めていたのだ。四年前から。
女性は、綺麗なものが好きだ。正しく言えば綺麗なものが壊れたそのザマが、大好きなのだ。
翌日、また一つ、首だけが切り取られた遺体が見つかった。
――果たして、切られた首はどこに。
美女って怖いよね。