【改正前】海外移住したら人外に好かれる件について 作:宮野花
ユリが目を覚ました時、映ったのは見慣れない天井であった。
とりあえず上半身を起こすと、やはり知らない場所。ベットで寝ていたようだがここはどこだろう。
見慣れない服を着ている。よくテレビで見る、病院で患者さんが着ている病衣に似ている。
サイドテーブルには水と時計が置かれていた。デジタル時計になっていて日付も確認出来る。どうやら日付が変わって、今は次の日の朝のようだった。
昨日、仕事をしていた途中からの記憶が無い。
今の状況を理解するために、一番最後の記憶を思い出す。
「……っ! 」
そして次の瞬間、思い出した事に後悔した。
まだ鮮明に覚えている赤。倒れてきた女性の体。嫌な音。鳴き声。
妖精。そう、妖精が、人を食べていた。
こみ上げてくる吐き気を、どうにか喉奥で止める。歯を食いしばって、口を手で塞いで。けれどそんなの気休めにしかならなくて。
人が、人が死んだ。食べられていた。
アブノーマリティに。
妖精の純粋な瞳を思い出す。それが当たり前であるかのような表情。あの子達にとって人は餌であった。私が食べさせたフレークと同じ。味と形が違うだけの食物。
肉が噛み切られる音を思い出して、ついに私は吐いてしまう。
ぼたぼたとベッドの布団に嘔吐物が落ちる。すっぱい、酷い匂いが広がっていく。
止めなきゃいけないとわかっているのに、吐き気は止まらない。気持ちが悪い。そして、怖かった。
人の死を目の前にして、覚悟していたはずの頭は一気に揺さぶられた。
怖かった。ただ、怖かった。
目の前の〝異常〟が、怖かった。
「ユリさんっ!」
聞きなれた声がして、誰かが私に駆け寄ってくるのを感じた。
顔をあげれずにただ吐き続ける私の背中がさすられる。優しく、ゆっくりと。
その感覚にできるだけ意識を向けて、心を落ち着かせる。少しずつ少しずつ。まともに呼吸ができるようになった所で、ようやく私はその人を見ることが出来た。
「ユリさん、大丈夫……?」
「アネッサさん……ありがとうございます。」
背中をさすってくれたのは、アネッサさんだった。
不安げに歪んだ顔、気遣ってくれる声に本当に心配してくれているが伝わってくる。
思わず、泣き出しそうになった。
「アネッサさん、私、怖い……。」
「ユリさん……。」
「私、私怖くて……。ごめんなさい。こんな、わかってたはずなのに……。」
「……謝らなくていいの、自分を責めないで。怖いのなんて、普通の感情だわ。」
「言われたんです。アブノーマリティに好かれる力があって、だから私は安全で、ずるいって。そんなことないって思ってました。私だって、命をかける覚悟でここにいて、仕事をしてるつもりでした。でも、目の前で……あんな……っ、」
妖精に食べられたあの人のことを思い出して、また吐き気が戻ってくる。
アネッサさんは慌てて私に水と薬を差し出した。けれど私は吐き気で受け取ることが出来ない。
見かねたアネッサさんに半ば無理矢理薬を口に押し込まれて、水を注ぎ込まれる。
すっと、身体が楽になる感覚。
「ユリさん、大丈夫?少しは楽になった?」
「あ……はい。これ、なんの薬ですか?」
「これは……。……一種の、精神安定剤よ。」
「え……。」
「安心して。副作用とかはないわ。ちゃんと考えて飲めば依存することもないし、安全よ。」
精神安定剤。その言葉にあからさまに反応してしまった私にアネッサさんはフォローしてくる。
吐き気は精神的な部分から起こっていたから、薬のおかげで楽になったのだろう。それはいい。
水はベッドのサイドテーブルに置いてあった。けれど薬はアネッサさんのスーツのポケットか出てきた。
「アネッサさんも、精神安定剤飲んでるんですか……?」
私がそう聞くと、アネッサさんは目を見開いた。
そしてすぐに困ったような、悲しそうな表情で、口を開いた。
「……ええ、飲んでるわ。常に持ち歩いてるの。」
「常に……。」
「……ねぇ、ユリさん。妖精に食べられた人の、死体の処理は誰がすると思う?」
「え……。」
「答えはね、誰か、よ。誰かがしなければならないの。ついさっきまで一緒に働いていた、確かに生きていたその人の身体を、誰かが運んで、血を拭いて、綺麗にしなければいけない。」
「あ……。」
「目の前で人が死ぬのが、この仕事では日常茶飯事だわ。でもね、目の前で人が死ぬなんて、普通じゃないのよ。死体の処理をするのだって、普通じゃない。そんなの……そんなの、普通の人間なら耐えられないの……。」
アネッサさんはポケットから、薬の瓶を取り出す。
開封されているそれは、もう半分は飲みきっているようだった。
「精神安定剤位飲んでなきゃ、やってらない。ここはそういう仕事場なのよ。」
そう言ったアネッサさんの目は、濁っていて疲れているようだった。
薬の瓶を見つめるアネッサさんの顔は、普段私が見ている明るい彼女とは別人のようで。
その姿が、きっとアネッサさんの覚悟の結果なのだと思った。
私は自分が情けなくなる。覚悟していたつもりだった。嘘偽りなく、この仕事に、恐怖に立ち向かうと決めた筈だった。
けれどこうして、アネッサさんと肩を並べれば私なんて。なんて、中途半端な。
「……ユリさんを、羨ましいって私も思ったわ。」
「え……。」
「ユリさんの体質は、研究所内では有名なの。アブノーマリティに好かれる体質って。アブノーマリティに敵意をもたれたら危険でしかないから、その心配が少ないユリさんは、羨ましい。」
「それ、は……。」
「でもずるいなんて思わない。その体質を持っていたとしても、ここが危険でなくなる訳では無いわ。それにユリさんのおかげで私達は救われている面もあるんだから。」
「救ってる?私が……?」
「ええ。ユリさんのおかげで静かなオーケストラの管理は楽になったし、無名の胎児の泣き声をもう何日も聞いてない。ユリさんのおかげよ。」
「そんな……私、大したことしてないです。」
「してるわよ。ユリさんのおかげで、静かなオーケストラと無名の胎児で死ぬエージェントが減るんだから。ユリさんに私達は感謝してるの。
だから、ずるいって言った人の言葉なんて聞かなくていい。私達の仕事は競争するものじゃない。助け合って成り立つものなんだから。」
「アネッサさん……。」
どうして、そんなに優しいのだろう。そんなことを言ってくれるのだろう。
私は、何も出来ないのに。
アネッサさんの優しさが眩しくて、私は目をそらした。私はアネッサさんのような立派な人間ではない。
すると、逸らした先のドアが開くのが見えた。開いたドアの先には人が立っている。その人は。
「目が覚めたようですね。ユリさん、アネッサさん、おはようございます。」
「あら、ダニーさんもユリさんのお見舞いですか?」
「まぁ……そんなところですかね。……ユリさん、大丈夫ですか?」
ダニーさんが部屋の中に入ってくる。いつも通りの変わらない態度だが、私に話す声はいつもよりも優しくて。
きっと、ダニーさんも心配してくれたのだ。
「……はい。大丈夫です。」
「……大丈夫ではなさそうですね。」
「そんなこと……。」
「無理しなくていい。……それが普通ですよ。目の前で人が死んで、大丈夫な人なんていません。」
「そうよ。……ユリさんは少し休んだ方がいいわ。」
「そうですね……と言いたいところですが、そうも言っていられないんです。」
ダニーさんは重くため息をついて、私を見つめてきた。
その瞳が気の毒そうな、同情するようなものだから。嫌な予感がした。
「本日の業務が、あと2時間ほどではじまります。始業前ですが、ユリさんに事前指示です。アブノーマリティの管理。内容は交信。 」
「えっ……。」
「ちょ、ちょっと!こんな状態なんだし、今日くらい休んだって……!」
「私もそれは思いますよ。初めてアブノーマリティの殺人現場を見た次の日にあんまりだと思います。結構、抗議したんですけど。」
申し訳無さそうに眉間にしわを寄せるダニーさんに、私は何も言えなくなる。
正直、嫌だ。休みたい。
薬のおかげでだいぶ落ち着いたとはいえ、今でも脳裏に焼き付く昨日の光景が、私を苦しめる。
甘いのはわかってる。慣れなければいけないということも。けれど今日は、どうしても頑張れそうにない。
少し考え事をやめれば、無意識に蘇ってくる妖精の顔が、とてつもなく怖い。
「けど、Xにも考えがあって今回の指示は出しているみたいです。」
「考え……?」
「作業対象は〝たった一つの罪と何百もの善〟。」
「え、その長いの名前なんですか?」
「あぁ!罪善さんね!」
もはや名前と言っていいのかわからない名前である。
私が困惑していると、横でアネッサさんがぱっと表情を明るくした。そして私に笑顔を向ける。
「罪善さんなら大丈夫よ!とっても優しいアブノーマリティだから!納得だわ!」
納得って何が。とは思ったけれど、言わないでおく。
けどアネッサさんがこんな笑顔で言うということは安全なアブノーマリティなのかもしれない。
「どんなアブノーマリティなんですか?えっと……、」
「〝たった一つの罪と何百もの善〟長いので罪善と呼ぶ人が多いですね。エンサイクロペディアを読んでいただければわかりますよ。このアブノーマリティは珍しく人を殺したことの無いアブノーマリティです。」
エンサイクロペディア?
「エンサイクロペディアってなんですか?」
「え。」
「え。」
え?
長くなったのでとりあえず投下。
危険なアブノーマリティの名前を沢山コメントで出していただいたのにまさかの安置で申し訳ないです。
このアブノーマリティの作品書く方多いですよね。個人的に超書きずらいアブノーマリティの1つなのですが、皆さんの作品見てると
て ん さ い か
ってなるほどクオリティ高くて驚き。私も頑張ります。
そしてコメントありがとうございます。
ありがたいし毎回感動しながら読んでます。
そのくせにあんな返信で申し訳ないです。反省はしてるけどおそらく直らない。