【改正前】海外移住したら人外に好かれる件について 作:宮野花
ちょっと説明回です。
しばらくしゃがみこんでいると、タブレットが鳴った。
私は遅い動きでそれを確認する。作業指示だ。
〝対象:ペスト医師(O-01-45-z) 作業内容:交信〟
「……ペストさん、か。」
ゆっくりと立ち上がる。身体が重い。
本当は投げ出してしまいたい。ここから逃げてしまいたい。
そんな子どもみたいなことを考えに自嘲する。力の入らない身体で、私はエレベーターへと向かった。中層のペストさんの収容室に行くために。
誰にも、会いたくない。
遅く歩いたせいでいつもよりも到着は遅くなってしまった。
きっと管理モニターでXさんにそれも見られているだろう。管理人室で彼はイライラしているかもしれない。
電子パネルを操作して、扉を開ける。何回かパスコードを間違えてしまったが、何とか開けられた。
落ち込んだ気分のまま私は中に入る。
収容室には当たり前だがペストさんがいた。
仮面に隠れているその顔は見えない。けれど仮面越しに見透かされているような気分になり、つい顔を背けてしまった。
作業内容は交信。なにか話さなければいけないと話題を探す。
適当に私の母国の話でもすればこの知識欲旺盛なお医者さんは応えてくれるのだけれど、今日はその適当でさえ思いつかない。
「えっと、ペストさんこんにちは。」
「……こんにちは、お嬢さん。」
とりあえず挨拶をしてみたが、会話は続かなかった。
これでは仕事にならない。焦って次の言葉を探すのに、こんな時にかぎって何も思いつかないのだ。
ペストさんの声も私の様子の違いを察しているのかいつもよりもトーンが低い。
「どうか、しましたか?」
「え……あ……、ご、ごめんなさい。なんでもないんです。」
ペストさんの声が責めているように聞こえる。実際この優しいアブノーマリティは、そんな攻めるなんてしないのだろう。わかっている。わかっているけれど。
「なんでもない?……嘘ですね。」
「嘘なんかじゃ……。」
自分が嘘をつくのが苦手なのはわかっている。けれどそう言うしかなかった。
だって、言うことなんてできない。もしかしたら私が、アブノーマリティみんなを誑かしていたのかもしれないなんて。
頬に柔らかいものが当たった。なんだろうと目線をやると、紫色の羽根。
これはペストさんの羽根だ。
羽根が小さく、頬を上下に移動する。撫でられているのかわからないが、擽ったくてムズムズした。
……なんだろう。
頬に羽根が擦れる度に、少しずつ思考がぼんやりとしてくる。最近の疲れだろうか。とても眠い。
眠気に比例して首元がじわじわ熱くなってくる。何故か私は、こんなことを言った気がする。「オーケストラさん、」って。
なんでそんなことを言ったのだろう。わからない。なんだか、とっても、眠くて。
「お嬢さん、何があったんですか。」
「……レティシアの、作業をして。会ったばかりなのに……好きって。私、もしかして何か力を……。」
「力?どんな力ですか?」
「それは……。」
もう起きていられなかった。首元の熱だけが私を現実世界へとつなぎ止めていたけれど、襲ってくる眠気に熱が追いつかない。
そうして意識を失ったのだと思う。何か声が聞こえる。ペストさんの声。でももう1つは、私のもののように思える。
少女が泣いてる。
彼女は床に座り込んで、ぎゅっと自身のスカートを握りしめた。
「どうして……。」
少女はまだ振り払われた手の痛みを感じていた。それは身体的な痛さではない。むしろその方がよかった。手が痛いだけなら、よかった。
痛いのは心だ。彼女は振り払われたショックを受け止めきれないでいた。
それは「友達になって」の返事だと少女は思う。
先程来てくれた女性の姿を、声を思い出して小さな胸はきゅっと締め付けられた。
部屋に入ってきた女性を見て、少女は驚いた。その姿が、雰囲気があまりに素敵なものだから。
そして女性が少女に声をかけた時、その穏やかさに驚き。
親しくなりたいと思った。それは純粋な好意で、愛情で。
それなのに、どうして。
急に態度を変えた女性を思い出して、少女はまた強くスカートを握る。涙がこぼれ落ちる。女性もそうだった。急にあんな、泣きそうな顔をして。
自身がなにかやらかしてしまったのかと振り返るも、少女はわからないでいる。そして余計、悲しみだけが募る。
その時、スカートのポケットから何かが落ちた。
軽い音をたてて転がったそれを少女は慌てて拾う。それは彼女にとって大切なものであった。
ハート型の、綺麗な箱。
チョコレートブラウンの箱は少女のお気に入りであった。傷になっていないかと確認をする。どうやら杞憂だったようで、ほっと息をついた。
「ねぇ、どうしたら仲良くなれると思う……?」
少女の声が部屋に響く。返事はない。当たり前だ。部屋には少女しかいない。
管理モニターには、少女しか映ってない。
………熱い。
熱い。
熱い。
「熱っ……!?」
ユリがそう叫んだのは、あまりに強い熱さのせいだった。
首元がとても熱い。火傷したみたいだ。
咄嗟に首を抑えるも、熱さは一瞬感じただけで直ぐに引いていく。
火傷独特のヒリヒリした痛みもなく、何が起こったのかわからない私は戸惑ってしまう。
不思議に思いながらも首元の手を下ろした。そこで私ははっと思い出す。確か今は、仕事中だったはずだ。
目の前にはペストさんがいる。血の気が引いた。
というのも一瞬意識を失っていた気がする。
急に襲ってきた眠気は覚えているが、その後の記憶が全くない。
「えっと、ペストさん。私……。」
寝ていましたか、と言葉を出す勇気がなかった。もしそうならば私は仕事中に居眠りをするという失態を起こしてしまったことになる。しかも、アブノーマリティの作業中に。
「つまり、お嬢さんは私達を誘惑する力を持っているのではないか、と危惧しているということですか?」
「え?」
「ご家族が特別な力を持っているから、その影響ではないかと。」
「ぺ、ペストさん?」
「私達を、騙していのかもしれないと?」
「あの、どうしてそれを……。」
「お嬢さんが今、私に話してくれたんですよ。」
「私が、ペストさんに話を?」
ペストさんの言葉に私は混乱する。
たった今まで私は意識を失っていたはずだ。それなのに話していたとペストさんは言う。
寝言と片付けるには会話の内容が濃密すぎる。私の手が少しずつ揺れて、震える。
ペストさんが話す、覚えのない会話。
首元の熱。
意識を失っていた時間。
「私に、何をしたの。」
「……何も?」
嘘だ。
私が意識を失ったのも、その間何か話したのも、ペストさんのせいだろう。
恐くなって、私は思わず後退りした。
逃げたい。逃げなければ。
幸いなことに私の足はまだ動く。震えてはいるけれど、逃げるだけの力は残っている。
ゆっくりと、扉との距離を縮める。確実に、ここから立ち去るために。
「……すいません。恐がらせるつもりはなかったんです。」
「え……。」
あと数歩のところで私の足が止まった。
ペストさんの言葉に驚いて、出口に集中していた意識がペストさんに戻る。
ペストマスクのせいで相変わらず表情はわからない。
けれど聞き間違いでなければ、ペストさんは謝ったのだ。
「話を聞かせて頂くために、貴女に少し力を使いました。」
「力?」
「貴女が、私に話をしてくれる力を。」
その声はあからさまに落ち込んだものであった。
素直なその曝露に逃げようとしていた足は少し迷いはじめる。
ペストさんは悪いことをするアブノーマリティではない。
むしろこちらのことを気遣ってもくれる、優しいアブノーマリティだ。
今回私に力を使ったのだって、私を心配してのことなのかもしれない。
「……もう、今後はしないでくださいね?」
ならば、ちゃんと言えば伝わるだろうか。
希望にも似た願いだった。どんなにペストさんが優しいアブノーマリティだったとしても、私は人間だ。その大きな力にはどうしても屈してしまう。
だからこうして本人に頼むしかないのだ。
「わかりました。もう二度としないと約束します。」
言葉と共にペストさんは首を上下に動かした。
その約束に私は安堵の息を吐いて、迷っていた足を完全に止める。
ペストさんはしばらく黙ったままだったけれど、少ししてばつが悪そうに、もごもごと話し始めた。
「ただ、ひとつだけ言いたいことがあります。」
「なんですか?」
「お嬢さんの力についてです。」
私の力。
心臓が、ドクンと反応した。
身体から嫌な汗が吹き出す。私がしていたかもしれない、事実に。
「私から見た限り、お嬢さんには特殊な力というのが全く感じられません。」
「え……そ、そうなんですか?」
「はい。まぁ……お嬢さんのでは無い力は、汲み取れますが。」
私のではない力?
一度首を傾げるも、直ぐにあっと気が付いた。
自身の首に触れる。私のではない力となると、オーケストラさんのものだろうか。
「お嬢さんが危惧しているのは、自身が相手を〝洗脳〟しているのではないか、ということですよね?まず洗脳とはどんなものか、お嬢さんは理解していますか?」
「洗脳が、どんなものか?」
ペストさんが言うには、こうだ。
洗脳とは〝強制的に思想を改造する〟こと。脳に抵抗疲労が起こっている時、または強制的に抵抗疲労を起こさせ、その状態を利用し、思想を植え付ける。
私が言う〝アブノーマリティを洗脳する力〟を仮に本当に持っているのだとしたら、〝強制的に思想を改造しやすいように抵抗疲労を起こさせる〟というものらしい。
それにプラスして、私が〝相手に好意を持つように行動を起こす〟必要があるのだ。
そんなことをしている覚えは全くない。
無意識になにかしてしまったのだろうかと考えたが、ペストさんが見る限りも、そんなことをしていた様子はないとのこと。
「つまり、お嬢さんが使ってる力というのは〝洗脳〟ではなく〝マインドコントロール〟に近いのでしょう。」
「〝マインドコントロール〟?洗脳とは違うんですか?」
「ええ。マインドコントロールは〝非強制的に相手の思想を誘導すること〟です。」
「……えっと?どういうことですか?」
「簡単な例えだと噂話ですね。傘を売りたいのなら〝この後雨が降る〟と言えばいい。そういうことです。」
「……なるほど。」
「お嬢さんの力にもっと近いものとして、〝メンタリズム〟がありますね。心理学を用いて、催眠療法などを利用し相手の心をコントロールする。」
「でも!私そんなの意識してやってません!」
ペストさんの言葉を慌てて否定する。
さすがお医者さんだけあって、とてもわかりやすく納得のいく説明だ。
しかし私は別に相手をコントロールしようなんて思ったことはない。思い通りにしようなんて考えたことも無いのだ。
声をはりあげた私を宥めるように、ペストさんは羽根の手で私の頬を撫でた。
「知ってます。だからただ、私達が貴女を好きなだけなんですよ。」
「え……。」
「貴女の話し方が、仕草が、声が、一つ一つが私達の心を動かすのでしょう。無意識のうちに貴女が成している事が私達に好きの感情を与えているのなら、それは特別な力ではなく、貴女自身の魅力ではないのですか?」
「で、でも……。それなら、それが無くなってしまったらみんなは私を好きでなくなるんじゃ……。」
「では問いましょう。一つの生物を、本人と定める基準はなんですか?何があれば本人で、何がなければ本人ではないのでしょうか?」
「何があれば……?えっと……思い出、とか?」
「では記憶を失った人は、もうその人ではないと?」
「それは……。」
ペストさんの問いに、私は口を噤んでしまう。
何があればその人なのか、なんて難しい問題の答えが私の中になかったからだ。
「哲学は専門外ですが、私はこう思います。〝その人が本人であると認識すればそれは本人なのだ〟と。」
「えっ!?でも、偽物って可能性もありますよね!?」
「そうですね。けれどその人が〝本人である〟と認識している間は、少なくともその人の中では本人なのでしょう。」
だから、とペストさんは言う。
「私がお嬢さんを、お嬢さんであると認識している内は、お嬢さんはお嬢さんです。私の好きな、お嬢さんのままなんですよ。」
その言葉に、目を見開いた。
胸が、熱を生み出す。その熱は身体中に巡り、やがて私の顔にまで到達して。
視界が滲む。泣きそうだ。泣かないように瞬きを我慢するのに、溜まったそれは限界だと流れ落ちてしまった。
これは嬉し涙だ。
最近泣いてばかりだと思う。それはあまり褒められたことではない。
けれど、止まらないのだ。こうやって私はいつも誰かに救われる。
ペストさんの言葉が、嬉しくて。
生まれた恐怖は、もう残っていない。全てペストさんに塗り替えられた。
ありがとうございます、と声にしたがそれはあまり上手く形にならなかった。それでもペストさんはどういたしまして、と返してくれる。
「私はお嬢さんが好きですよ。例えハンバーガーの約束を忘れてたとしてもね。」
「……あああ!!」
ハンバーガーという単語に、ペストさんとした約束を思い出す。
そうだ、私ペストさんにハンバーガーを食べさせてあげるって約束してたんだ。
すっかり忘れてた約束に焦る私を、ペストさんはクスクスと笑った。
「今度必ず持ってくるので!!」
「はい。楽しみにしてます。」
彼女は気が付いたのだろうか。
ペスト医師の羽の枚数が、増えていたことに。
ペスト医師の、成長に。
Plague Doct□□
ということでペストさんです。最近出してなかったから忘れていた方もいらっしゃるでしょう。ちなみに作者は憎しみの女王の時点では完全に忘れてました\(^o^)/
オーケストラさんは芸術家なので感情論で諭すでしょうが
ペストさんはお医者さんなのできっと理論的に慰めてくれるだろうなぁと思いながら書きました。
十人十色、アブノーマリティも十色。
全く……人外は沼が深いぜ!!