【改正前】海外移住したら人外に好かれる件について 作:宮野花
どうしてここに、貴方がいるのだろう。
目の前に立つオーケストラさんの姿に、私は瞬きをする。
もしかしてこれは幻覚か何かだろうか。
最後に会いたいと思った私が見ている夢なのだろうか。
──夢じゃあありませんよ。
「え……。」
──とても心が不安定になっています。
──話さなくとも、声がわかるくらいに。
オーケストラさんの手が私の頬を撫でた。
オーケストラさんが良くしてくれるやつだ。
いつも通り心地いいのに、それがもう最後だと思うと胸が痛くて仕方ない。
また涙が出てくる。あぁ、痛い。
──最後なんかじゃあありません。
「でも私、もうここにいられない。」
──どうして。
「私が、悪いの。取り返しのつかないことをした。私は罪を犯した。それを、償わなきゃいけない。罪を背負って生きなきゃいけない。」
でもそれはとても怖いから。
「怖い……怖いよ……。逃げたいの。もう、自分の全てから逃げてしまいたいの。おかしてしまった罪からも、無力な自分自身からも逃げてしまいたいの。」
そう逃げてしまいたいの。
「だから、もう、死ぬの。そうすれば私は全て捨てられる。私はもう私に苦しめられることはない。私は私を捨てるの。もう、嫌だ。私はこれ以上、自分に絶望したくない。だから死ぬの。」
でも、死にたくないの。
「……どうして、私ばっかり。」
死ぬのは怖い。
でもこれからの方がよっぽど怖かった。
またあの夢を見る。きっと今度は現実でも責められる。
そんな毎日になるとわかってるのに、私は生きる意味があるの?
ねぇどうして、どうして私ばっかり。
こんな弱く生まれたんだろう。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
弱くて、ごめんなさい。
もう、責めないで。
ちゃんといなくなるから、許して。
そうこれでよかった。
最初からそうするべきだった。
国を追い出された時点で、気がつくべきだったんだ。
いなくなったほうがいい。
『陰陽師の家系のくせに』
『本当に血が繋がってるのか?』
『……もしかして、』
『お父さんとは血が繋がってないのでは?』
『不徳』
『不徳の子』
『じゃあ仕方ないか。』
そうしたら、お母さんがあんなこと言われずにも済んだ。
それなのに母は私のために泣いてくれた。怒ってくれた。
ごめんね、ごめんね。
力がなくてごめんね。弱くてごめんね。
私は、お母さんに何も言えない。
ただ隅で大人しく、目立たないようにしてるしか出来ない。
ごめんね。
私なんて、いなくなればよかった。
──いなくならないで。
「……え。」
──ユリさん。ここにいて、いいんですよ。
「でも私、弱い。」
──それでも、ここにいていいんです。
「それに、取り返しのつかないことを。」
──それでもいい。
「……なんで?」
──いいんですよ。
「……追い出さないの?」
『そんなのおかしい!!』
『死ぬべきだよ!ここにいちゃいけない!!』
『わかってるでしょ!?』
『貴女は弱いの!!だからいつも家に置いていかれるの!!』
『誰からも必要とされないの!!』
『迷惑だから、家から追い出されたの!!』
『ならもうここにだっていていいはずがないの!!』
『……ねぇ。』
『それでも、生きるの?ユリ。』
声が、私を揺さぶる。
耳を塞いでもそれは聞こえてきた。溢れてくる。
頭は文字で埋め尽くされてやがて黒になり。ヘドロだ。重くて熱くて痛い物が身体を支配する。
息をすると、胸につっかかる。
責められている。世界の全てから。
──苦しまないで。
オーケストラさんの両手は私の耳に触れて、優しく包まれた。
するとどうだろう。先程まであんなにうるさかった音は一切聞こえなくなる。
不思議でオーケストラさんを見ると、笑っている。ように見える。彼は人形だから、おかしな話だ。
──嫌な音は全部遮ってあげます。
「そん、なの。だめだよ。」
──どうして?
「だって、許されない。私は、許されちゃいけない。」
──……よく、見てください。
──さっきからずっと、お一人で話してる。
「えっ……?」
オーケストラさんの手が、耳から離れる。
目の前には幼い私と姉の姿。
二人とも硬い真顔で。パクパクと口を動かした。
何も、言っていない。腹話術の人形みたいだ。
「そんな、だってさっきまで。」
──全部、貴方の口から出ていたんですよ。
「え……?そ、そんなの。」
そんなの、有り得ない。
でも確かに思い返せば。
……全部、自分の喉から出ていた……?
──ユリさん。ちゃんと思い出して。
──貴女を責めているのは、貴女だけなんですよ。
──隣のベットから聞こえる声も、
──幼い貴女の声も、
──ご家族の声も。
──全部、自分の口から出た言葉です。
そうだ、私。
ずっと、ずっと。
ここで独り言を言っていたのか。
見ると姉はもういなかった。
いや、最初からいなかったのだ。
残るのは幼い私。私は強く睨んでくるけど、でもさっきのような恐ろしさはない。
ただ泣きそうで、不安定で、弱々しくて。
それがとても私の胸を締め付けるものだから私はその姿を凝視する。
「……貴女は、なんなの?」
聞いても幼い私は口をパクパクするだけだった。
答えを、持っていないのだろう。私がわからないのだから当たり前だ。
──それは貴方の一部。
「私の一部?」
──そうですよ、ユリさん。
──悲しいと思う気持ち、苦しいと思う気持ち。
──劣等感、罪悪感。
──欲望。
──自己嫌悪と自己否定。
──貴女を苦しめるもの達。
──でも、貴女が生み出した。
「私、が。」
──貴女にとって、罪だとしても。
──私にとっては愛しい貴女の一部だ。
オーケストラさんの手が、幼い私に伸びる。
そのまま頭を撫でる。いつもしてくれるような優しい手つきで。
幼い私はゆっくりと目を閉じて、光の粒になって。空気に溶け込んでいく。
だめ、と手を伸ばした。
でもオーケストラさんに遮られる。
──寝かせてあげてください。
「でも。」
──彼女も貴女も十分苦しんだ。
そんなのは許されないことを私はわかっている。
立ち向かわなければいけない。怖いから嫌だからと後にしてはいけないのだ。
今、立ち向かわなければ。
そう思うのに、オーケストラさんはやはり私の手をはらいのけた。
それに苛立ってオーケストラさんを見る。私は、目を見開く。
オーケストラさんが、悲しそうにしている。
なんで、私のことなのに。
貴方がそんな顔をするの?
なんで?
お人形の彼に、表情を動かす筋肉はない。
それでもオーケストラさんは悲しんでいる。伝わってくる。
彼は、私のために悲しんでいる。
──悲しみを歌う音楽は沢山ある。とても悲しく美しい音。
──でもそれで貴女を失うのなら。
──私はそんな音楽は要らない。
「あっ……。」
ついに幼い私は消える。
オーケストラさんの手が、私を引き寄せた。
硬い人形の胸が頬にあたる。ドクドクと心臓の音が聞こえる。
私の、鼓動。生きている証。
シーツを汚していた赤は、いつの間にか鮮やかな赤い花になっている。
しかしそれも、微かな風に揺れては飛んで、細かな砂となり消えてしまう。
残るのはシーツの白と。肌色の私の手。
それらを見ていると、何だかとても眠たくなってきた。
寝てはいけないとわかっているのに、オーケストラさんに背中を撫でられると瞼は重さを増す。
──何も無かった。いいですね?
「で……も……。」
──何も無かった。
ついに私は目を閉じてしまう。
握っていた手のひらが緩んで、飲もうとしていた薬がバラバラと床に落ちた。
あぁ後で片付けなきゃな、とどこか頭の片隅で思いながら、私の意識は遠のいて、夢の中に。
──どこにもいかないで、私のセレナーデ。
そんなオーケストラさんの声は、子守唄のようだった。