ソードアート・オンライン ―ファダーズ・ストーリー― 作:網緑 錆
一年以上昔、この仮想世界に初めて来た瞬間は、現実世界とのあまりの遜色の無さに驚いたものだけど、今では色々なことが違うと認識できる。いつまでたっても湧いてこない空腹の感情を始め、体中の汗や脂のまとわりつく独特の不快感、気だるくなる肉体的な疲労なんかもこの仮想世界には存在しない。それだけの事実だといい事ずくめのようだが、空腹に白いご飯を詰めたときの満足感も、汗をシャワーで流したときの爽快感も、疲れた身体を横たえたときの安息も、味わうことができないのだ。快と不快は表裏一体である。
ただ、勿論現実と変わらないものもある。その一つが……朝早く目覚めたときの倦怠感だ。
ぼくは白い掛け布団を渋々どかし、ベッドの上で上体を起こす。朝の六時半だ。この時間の起床は普段早起きな人にとってはなんでもないのかもしれないが、ぼくにとっては魂を引き剥がされるような気持ちである。
「……今日は……六十八層の攻略だ……ねむ……」
ぼくは何とかベッドから這いずりだすと、システムウインドウを操作して寝間着から冒険用の装備に変更する。全体を革製の軽い装備で固め、その上に紺色のジャケットのような防具。腰にも白色の鞘の片手剣を帯び、背中と太もものホルダーにはこれでもかと言うほど投げナイフを装備しておく。
最後に黒い革手袋のような《狼の掌》の裾を強く引っ張って嵌め直し、ぼくは部屋を出る。
ぼくの今の本拠地は三十五層の主街区ミーシェ。しばらく前に以前住んでいたタフトから引っ越してきた。あの街には色々思い入れがあったけれど、いい思い出だけでもない。ある意味ぼくは逃げるようにこのミーシェに来たのだ。
自分の部屋がある集合住宅のような建物を出る。ミーシェは白い壁で赤い屋根の建物が立ち並ぶきれいな街で、賑やかな場所ではないが農村のような穏やかさがある。
情報の仕入れやすさという点から五十層のアルゲードに越そうかとも最初は考えていたのだが、やっぱりあの雑多さは、本拠地ではゆっくりしていたいぼくには合わなかった。
穏やか、という意味であればリンダースという手もあったが、それも却下。リンダースにはリズベットという腕利き鍛冶系生産職の有名プレイヤーがいて、その腕を求めた色々な人にばったり会ってしまう可能性がある。……それはあまり、望ましくない。
ぼくは主街区の転移門から六十八層に飛び、そこからいそいそと迷宮区へと進んでいく。道中、『ソードスキルの後押し』の肩慣らしのために適当にモンスターは狩るものの、昔のように必要以上の警戒はしない。もう、今はそこまでする必要がなくなった。
「もうちょいか」
約一年前の夏あたりにぼくは《匣の教団》という組織に付け狙われ始めた。ずっと隠れたり逃げたり、たまにどうしようもない時は覚悟を決めて戦ったりして切り抜けていたが、今年の年明けに教団のトップの男と話がついてからは全く狙われなくなった。
あれからまた半年以上が経った。ぼくの対人的な意味での警戒心は、気をつけていても一時期よりどんどん下がっていく。人間は慣れるものだ。浮遊城という異世界にも、安心というぬるま湯にも。
加えて、今年始めに発足したオレンジギルド――本人たちはレッドギルドと言っていた――の一つである《ラフィン・コフィン》が今月壊滅した。攻略組のプレイヤーから有志で討伐隊を編成したらしい。かなりの死人を出したようだが、一月から八月の七ヶ月強の間猛威を奮った彼らが消えて、浮遊城の治安は飛躍的に向上した。
いよいよ、警戒心などシャボン玉のように弾けて消えてなくなってしまいそうだ。
「……見えてきた」
ぼくは自分に言い聞かせるようにつぶやき、自らを鼓舞する。
歩く先にはテントがいくつか張られているのが見えた。その先には迷宮区。ここが攻略最前線だ。《血盟騎士団》を始め、幾つもの有力ギルドが迷宮区に繰り出してはボス部屋までのマッピングを行っている。
ラフィン・コフィンの討伐戦へは攻略組の中でも精鋭のプレイヤーが赴いたらしく、逆に攻略自体が少し手薄になっていた。いつも指揮官として目立つ《閃光のアスナ》や、《ブラッキー》と呼ばれ、全身黒の装備で戦うソロプレイヤー、キリトの姿も見かけていない。
討伐したということは、恐らくは『殺した』ということなわけで、少なくとも自分より幼く見える彼らの心の為にも休養は必要だと思う。だから、出てこないのは仕方がない。ぼくだって同じ状況になったら、心の整理に時間を使うだろう。
「あ。あれって、センじゃないか?」
迷宮区前で装備の最終チェックをしていると、遠くからぼくの名前を呼ぶ男の声が聴こえる。声の方を向くと、血盟騎士団と思しきプレイヤーが何人か集まっていた。その中の二、三人のプレイヤーがこちらを指差している。
血盟騎士団のあつまりの……その中には、スノウもいる。スノウは遅れてぼくを一目見ると、すぐに視線を外し、他の団員に何か指示を飛ばしていた。やはり、もう、話してはくれないか。
ぼくは気を取り直して迷宮区の入り口に向き直る。片手剣を鞘から抜いた。
最近になってほんの少しだけ、ぼくの名前を知る人が現れるようになった。
教団による攻撃が止んだこともあり、ぼくはレベル上げをしながら少しずつ最前線に戻ってきていた。とは言っても未だに幻痛に苛まれてパーティ一つ組めないぼくにできることといえば、基本的に迷宮区のマッピングだけ。後はなるべくモンスターの情報を集めたり、クエストを受けてフロアボスの情報を集めたりして、適当な情報屋に売るくらい。
レイドも組めず、連携の練度も低いぼく――何しろ、最後にスイッチをしたのすらもう一年半前だ――ではボス攻略には挑めないので、攻略会議にも出席していない状態。マッピングばかりしているやつとして、一部のプレイヤーから認識されていた。
ただ、何度か色んな人にパーティやギルドへ参加しないかと声をかけてもらったものの、快く誘いに応えられないので、愛想をつかされている。
そう。名を知られているだけで、他プレイヤーとの関係性は良くない。……孤独というやつだ。
それでもぼくだって、この浮遊城から早く抜け出したい。だから辛くても、出来ることを粛々と行うのみ。
「なあ、ちょっと待ってくれないか」
いざ迷宮区へ進もうとした時、白と赤の騎士風装備を身にまとった、柔らかいパーマの茶髪の男に呼び止められた。正義感の強そうな凛々しい眉と、活発な印象を受ける大きな目が特徴的な青年。さっきぼくの名前を呼んでいた声と同じだ。ぼくは足を止めて向き直る。
「……何でしょう」
「いや、これ、渡しとこうと思って」
そう言うと男はシステムウインドウを操作する。ぼくも同じくシステムウインドウを操作して受け取る。……マップデータだ。
「それ、血盟騎士団(うち)が持ってる最新のデータ。今回も結構危険なトラップ多いから気をつけて」
「マッピングするなら、まだ行ってないところに行ってくれ、ってことか」
ぶっきらぼうに返すと、血盟騎士団の男は頬を釣り上げた。
「そうなるのかな。ごめんね、今ちょっと人手が足りないからさ。……ホントはパーティ入って手伝ってくれるとありがたいんだけど……。セン君もそっちのほうが、安全だと思うよ」
パーティ。ぼくにとっては痛いところだ。思わず顔が渋くなる。すると男はばしばしと二度、ぼくの肩を叩いてきた。
「所属のこととかだったら、気にしないで。今は精鋭を欠く緊急事態だからマッピングも色々と協力しあってるんだ。《聖竜連合》やらソロのやつやら気にせずにパーティ組んだりね。君もその気ならこっち来れるよ」
「……いえ、ぼくは……大丈夫です」
断ると男は腕を組んでため息を付いた。
「噂は聞いていたが、強情だな。……まあ、無理強いはしない。気が変わったら声かけてよ。俺はダテジュン。見てわかると思うけど血盟騎士団所属だ。今後ともよろしく」
それだけ言って、ダテジュンと名乗った男はスノウたちの元に戻っていった。彼も何度か見たことある顔だ。最近よく、最前線で見かける。タイミングの問題か、ギルド内の組織的なものなのか、スノウと同じパーティを組んでいることが多いようだ。
ぼくは横目でスノウの方を見た。他のメンバーと一緒にマップを見ながら話をしている。今日の攻略手順の相談だろうか。会話は聞こえてこないが、ダテジュンが何かを言ったあと、スノウは少しだけ頬を緩めている。
……こうやって見ているのは、なんだか、ストーカーみたいだな。
ぼくはため息をついてから軽く頭を左右に振り、再度迷宮区に踏み込み始める。今度は誰も止めてこない。
「パーティ、か……」
幻痛がなかったとしても、見ず知らずの人とは無理だ。それも迷宮区なんて何が起こるかわからない。すぐ判断してすぐに動けて、何より裏切られる心配もない独りの方が、攻略難度は低いと思うけどな。
この階層の迷宮区は曲がりくねった道の多い洞窟のような場所だった。直線構造じゃないのでマッピングするのが少しむずかしい。どこで道を曲がれば良いのか、油断して歩いていると混乱してしまう。そういう意味では先程ダテジュンから分けてもらったマップデータは役立っている。
地味に面倒な迷宮だが、モンスターの方も同じく地味に面倒だった。両腕が刃物になっている石の兵士が主なモンスター。バリエーションがあって、右腕が槍のように長く、左腕が盾になっているものや、大剣のような形の腕を持つもの、鉤爪タイプや細剣タイプも存在している。アームゴレムというらしい。
一対一なら片手剣と《練気術》でなんとかなるが、隊列を組まれて連携されるとソロでは厄介だ。パーティを組んでいても難しいだろう。今日ダテジュンがぼくをパーティに誘ってきたのは、この厄介なモンスターに対峙するために一人でも多くの戦力を欲していたからだと思われる。
「……早速、一体目だ」
マッピングをすすめるために開けた扉の目の前にアームゴレムが現れた。あらかじめ使っていた索敵スキルで敵が扉の前にひそんでいることはわかっていたので、落ち着いて敵を観察する。
タイプはソード。両腕が剣になっている最も一般的なものだ。黒色の艶やかなボディは一目見ると昔見たロボットアニメの機体のような機械的なフォルムをしていて、所々が青白く光っている。顔面に当たる箇所には青白い光を放つ珠が一つ嵌め込まれていて、これが彼らの弱点になっている。
ぼくは片手剣を迷宮内の明かりにきらめかせながら構えた。《ブルースフィア》の青い円文様が刀身に五つ並んで浮かび上がる。使い込み、ナマクラにして研ぐ度に能力の上がるこの剣は、いくらかの戦いを経て最前線でも充分に通用する強力な武器となった。
アームゴレム・ソードタイプは両腕の剣を交差させ、重たい音を立てながら走り寄ってくる。ぼくは両手に力を込めてまっすぐ縦に剣を構え、ぶつかってきた石剣兵の衝撃を受け止めた。そして剣から右手を放し、握った拳を石兵の剣に打ち下ろす。剣にヒビが入ったのを確認した瞬間、石剣兵は滑るように後退してぼくから距離を置く。
「好都合……!」
ぼくはそのまま握ったまんまの右の拳を振りかぶった。拳が白い光をまとい始めて、身体が勝手に動き始める感覚が現れる。
《練気術》のソードスキルはすべて、足の力を使って地面の反発を生み出し、その力を拳に届けていく緻密な動作を《自動操縦》で行っている。求められる動作が全身を使った精度の高い動きなだけに、『ソードスキルの後押し』の難易度が一番高いのが《練気術》だと思う。
ずっと練習を繰り返して最近、《練気術》における力の流れというものがわかってきて、スキルの威力をより強くすることができるようになった。
「ふー」
息を吐き、心を落ち着け、集中して身体を動かす。自動操縦の邪魔をしないように、大地の力を練り上げて、拳へ。ただの下位スキルでしか無い《波動撃》が、上位スキルと間違えてしまうような速さと威力で放たれて、アームゴレム・ソードの頭部の光の珠に直撃。石の兵は光の破片となり、空気へと溶けていった。
「何とかなったな……」
ぼくは一息ついて、剣を右手に持ち直した。
単体なら油断しなければ大丈夫だ。隊列を組まれても三体くらいまでなら処理できる。問題はそれ以上の数が居た時。数はシンプルな力だ。次々に攻撃をされてしまうと、防御と回避に必死でそもそも攻撃すらできなくなる。それは《練気術》も《狼の掌》も《ブルースフィア》も通用しないということだ。
すでに入り口から一時間ほど進んでいるが、道中にはアームゴレムが大量にいる地帯なんかもあり、ぼくにはどうしようもないので無視して別の道を進んでいる。そういうわけでシステムウインドウから自分のマップデータを閲覧すると結構穴もあって、相変わらずの自分の無力さに歯痒い気持ちになる。
「落ち込んでいても仕方ない。進むか」
気を取り直して、モンスターを退けながら更にダンジョンを進んでいくと、床や壁がアームゴレムのボディのような艶やかな黒色と、青白く光るラインのデザインへとなってきた。この迷宮区の最深部。ボスの居る部屋も近くにあるのだろう。
勿論ボス部屋に単騎で突入するほど愚かでは無い。ぼくがするのはあくまでもマッピングのみ。ソロのぼくには、それが限界なのだ。攻略組の中にはソロで活躍している猛者もいるが、そんなのは本当に少数で、正直例外だ。
ぼくはT字路になっている通路を見つけると、分かれ道の手前で索敵する。普段も定期的にスキルを使用しているが、ダンジョンではトラップのようにモンスターが潜んでいることもある。曲がり角などでは警戒して進まなければならない。
「あれ……」
ぼくの索敵スキルに反応がある。アームゴレムでは無い。プレイヤーだ。左に曲がった通路の方から、複数人の反応がある。遅れて、声も聞こえてきた。つい最近聞いた声だと思っていたら、ダテジュンの声だった。
「ん、この先に誰かいるね」
ぼくは彼の声を聞いて身構える。彼も索敵スキルか何かでぼくの存在に気がついたようだ。《血盟騎士団》のダテジュンがいるということは、同じくスノウもいる可能性が高い。単純に気まずいので合流は避けたいが、向こうもこちらの存在に気がついている。今更逃げるのもおかしな話だろう。
ぼくは自分を落ち着けるように小さくため息をついてから、ゆっくりと左の道に出る。案の定、ダテジュンやスノウを含む、七、八人の集団が歩いて来ていた。
「……お、セン君か。ってことは、向こうの道とこっちの道、ここで繋がってるんだね」
「そう……みたいですね」
ぼくも歩み寄っていく。スノウと一瞬目が合う。苦い気持ちになったぼくはすぐにそらして、システムウインドウを操作し、ダテジュンにマップデータを送った。
「一応、渡しておきます」
「ありがとう。……結構抜けてる、か……」
受け取ったダテジュンがつぶやく。ぼくは素直に謝った。
「一人で進む上で、限界もあって」
「ソロじゃ、仕方ないよ。……だからパーティで進んで欲しかったんだけど……。まあ良っか。それじゃあ、埋まってない場所は全員で調査しよう」
ダテジュンの提案に、皆が声を出さずに頷く。おとなしいパーティだ。ざっと見た感じ、青い鎧の《聖竜連合》のメンバーや、どのギルドにも属してなさそうなプレイヤーもいる。《血盟騎士団》のダテジュンの提案であれば、血気盛んな《聖竜連合》の人間が反抗したりしそうなものだが。
すると、集団の中から一人の男が、片手をひらひらと上げながら出てきた。
「騎士の旦那。流石にちょいと、疲れたぜ。俺っち」
渋い声の男だ。黒くうねった後ろ髪を一つに束ねた無精髭の青年。青を基調とした和装に加え、腰に刀を帯びている。どことなく『不良侍』や『野良武士』というワードが似合いそうなアバターをしている。
ダテジュンは苦い笑みを浮かべた。
「ゴエモンさん、もう少しだから、ちょっと頑張ってみないかな」
「いやあ。俺っちこの中じゃ一番おっさんだからねえ。集中力が続かんのよ。ここ数日トッププレイヤーが居ない分も頑張ってるわけだし。ちょいとペース、落として欲しいねえ」
騎士と侍が表面上は笑みを浮かべつつ、睨み合う。それを見ていたぼくはふと思い出す。あのゴエモンと呼ばれていた不良侍のプレイヤー、《聖竜連合》のパーティで見かけたことがある。
……疲労のせいで表立って喧嘩をしていないだけで、元々は違う文化の寄せ集めパーティなのだ。意見の対立があってもおかしなことではない。《聖竜連合》と《血盟騎士団》なら、なおさら。
だとしたら、第三者が裁定するしかこの膠着を抜け出す方法はない。ソロな上に、今の今合流したぼくが一番第三者に近い立場だろう。勇気はいるが、ぼくが一言言おう。
そう考えていたら、それより先にスノウが一歩前に出た。
「休みましょう。消耗したところにトラップが当たったらひとたまりもないわ」
「……そうだね。スノウさんが言うなら、そうしようか。警戒は俺の方でやる」
ダテジュンは渋々引き下がる。ゴエモンは「かたじけない。助かるよ」と言って、通路の壁に寄り掛かるように腰掛けた。その他のプレイヤーたちもそれぞれ力を抜いて、地面に座る。食べ物を食べだす人も居た。
しかし、ダテジュンは立ったままだ。彼は同じくまだくつろがないスノウに向き直ると、腰の戦斧を手にした。
「スノウさんも休んでて。少し見て回る」
「ありがとう。念のため、私も動ける準備はしておく」
「……わかった。じゃあ、ここは頼む」
ダテジュンはそのまま周囲の警戒へ行ってしまった。スノウも武器を抜いて、いつでも戦える準備はしている。
ぼくはどうしようかと迷っていると、スノウが話しかけてきた。
「君も、休んだら良いんじゃないかな。ソロで戦ってきたんでしょう」
「あ、ああ。まあ……」
微妙に距離感を感じる気遣いに、ぼくはうろたえながら頷いて剣を鞘に収めた。
正直休憩するほど消耗していない。体力はこまめに回復薬を飲んでいるので満タンだし、精神的にも疲労はない。過去、低階層とは言え迷宮区で寝泊まりしたり、オレンジプレイヤーに怯えながら暮らしていたことを思うと、通常のマッピング程度に対して、ストレスは感じ無い。攻略も無理はしないことを前提としているし。
ただ、疲れてはいなくとも、スノウと一緒にふたりで立っているというのは気まずいので、ぼくもどこかに座ろうと周囲を見渡す。みんなそれぞれ均等にスペースを取っていて入りづらい。少しだけ空いている例の不良侍ゴエモンの隣に腰掛けた。するとゴエモンがぼくに気付いて話しかけてきた。
「お。マッピング大好き青年じゃないか。今日もお一人さんかい」
いきなりの一撃にぼくはうろたえながら頷く。そのうち伊能忠敬のような扱いを受けてしまいそうだ。
「ええ、まあ。……皆さん、消耗されてるみたいですね」
小さい声に絞って言う。さっきのダテジュンに対する反応もそうだが、パーティを見渡している感じ、あまり覇気がない。
「そりゃ、そうでしょうよ。いっつも上位プレイヤーが処理してくれてた危険な場所も、今いる人間で何とかしなきゃあいけないってんだからよ。俺っちもう限界」
ゴエモンが濁音混じりのため息を付く。
いつもの迷宮区攻略であれば、攻略組の中でもぼくのような下位のプレイヤーがマッピングして危険だと判断した場所は、上位プレイヤーが赴いて処理をする。具体的に言えば、ぼくがマッピングを断念したアームゴレム密集地帯などは、それこそ《閃光のアスナ》やら《ブラッキー》のキリトやらに処理してもらうべき場所だ。
それを、ギルドを超えて協力し、数を頼りに無理やり突破してきたのだろう。
ただ、不思議といえば不思議だ。公式にギルド同士が協力すると言った声明などは出ていない。幾らダテジュンが言うように緊急事態とはいえ、最前線というのは浮遊城攻略におけるリソース確保のために不可欠な場所でもある。そう簡単に、対立しているギルド同士が仲良くするだろうか。
「……ゴエモンさんは、《聖竜連合》ですよね。なぜ《血盟騎士団》と協力しているんですか」
「あー、それね。このパーティはね、あの騎士さん」
言いながらゴエモンは両の人差し指で眉をキリッとさせた。ダテジュンのことを言っているのだろう。
「彼がかき集めたんだよ。『所属も何も関係ない。今は協力して攻略しよう』って。ここんとこ上位プレイヤーが居なくて攻略止まってたからねえ。ま、俺っちもその試みに乗ってるわけだけど」
要はこのパーティでの協力は、一刻も早くアインクラッドを脱出するための現場レベルでの苦肉の策であり、公式にギルド同士が協力しているのとは違うということか。
確かにここ数日、突破が難しい場所は後回しになっていたのは知っていた。そこに業を煮やして、数を頼りに進んでいる、ということだろう。
ぼくは横目でスノウを見る。
だとすれば、彼女がこの場にいるのも頷ける。彼女はこの浮遊城から生きて帰るための手段としてギルドに所属することを選んだ。生きて帰るために、他のギルドと手を組むのを嫌がりはしないだろう。
「試みに乗っていると言う割には、先程、対立されてましたけど」
そう言うと、ゴエモンは苦い笑みを浮かべて小声で返してきた。
「あの騎士さん、人を集めるのは良いが、人を見きれてねえ。斜め前の女の子、見てみんさい」
言われるがままにその方向を見る。黒い艶やかな髪をショートカットにした清楚な印象の女プレイヤーが体育座りのまま、うつらうつらとしている。精神的な疲労から来る睡魔だろう。今のような大きなパーティにいるのであればまだ良いが、本来迷宮区に居ていい状態ではない。……寝泊まりしていたぼくが言うことではないが。
「……ま、そういうこと」
ゴエモンがそう締めくくる。
先程休憩を提案したのは、あの女プレイヤーの疲労を見てのことなのだろう。ぼくは彼の洞察力に素直に感心し、「へえ」と息を吐いた。
「仲間思いなんですね」
「ちげえよ。男なら別嬪さんに見惚れてナンボでしょうよ」
ゴエモンが下品に笑む。別嬪というワードを受け、改めてさっきの清楚な女性プレイヤーの方を見る。寝顔なので何とも言えないが、きれいな顔立ちをしていた。それに、胸元までの赤いショートマントの裾から見えるラインを見る限り……イイ体つきもしている。……悲しいかな、ぼくも充分下品だ。
「ローザちゃんは《ホワイトキャット》って中級ギルドの所属だったかな。彼氏は居ないらしいぞ」
「……何の情報ですか」
「気になるでしょうよ、男なら」
「……否定は、しませんが……」
渋々頷く。ゴエモンは満足気にぼくを見た後、大きくあくびをかいてから、その無精髭を撫でる。
「ま、スノウちゃんも良いけどな」
急にスノウの名前が出てぼくは一瞬止まる。それからなるべく平静を保ったまま「そうですか」と興味なさげに返す。ゴエモンは何食わぬ顔で続ける。
「お前さん、知り合いだろう。見ていれば分かる。……元恋人か?」
訊かれたぼくは小さく吹き出してしまった。言うに事欠いて『元恋人』か。……そんなラブコメみたいな勘違いをされる資格すら、もう無いんだけどな。
ぼくは細剣を手に凛と立つスノウを見ながら話し始める。
「違いますよ。何もないです。低階層の頃、一緒にパーティを組んでた知り合いです。彼女はどっちかというと――」
警戒を緩めないスノウが何かに気付く。彼女の視線の先を見ると、周囲の安全確認を終えたダテジュンが戻ってくるところだった。
スノウは彼と何事か話すと、頷いて二人でその場にゆっくりと座る。周囲に異変がなかったから、彼らも休憩を摂るつもりだろう。
「――あの騎士さんと、仲がいいんじゃないですかね」
自分で言って、胸のあたりに淡い痛みを感じる。変だな。仮想現実の身体に、パラメータ以外の痛みなど生じることは無いのに。
「少なくともお前さんを見てる限り、『何もない』ってことは無さそうだけどな」
「そんなことは……」
「……そうかい」
再度やんわりと否定すると、ゴエモンはようやく察してくれたのか、それ以上の追求をせずに押し黙ってくれた。
嫌だな。誰かに心を掻き乱されて、覗かれるのは。
ヴァンという男と話した時のことをふと思い出しながら、ぼくもせめて心くらいは休めておこうと、スノウたちが視界に入らないように目を閉じて寛いだ。