ソードアート・オンライン ―ファダーズ・ストーリー― 作:網緑 錆
トーマとぼくはまだ見ぬレアモンスターに手を組んで挑戦することを決めてから、例の白い狼を相手に連携の確認をとっていた。
見た目は、固い装備で防御を固めた槍使いの印象のトーマ。果たして彼の実力はどんなものだろうと眺めていたが、流石にここまでの激戦を生き残ってきただけのことはある。申し分ない強さだ。
戦闘時には、その鎧と同じ青錬鉱を使用したと思しき青色の大型盾を使う事によって、その防御能力は並のモンスター相手にはダメージを通さない。更に、要塞のように固めたその装備と盾さばきの合間に放たれる槍の一撃の威力はかなりのもので、当たれば無事では済まなさそう。タンクでありながら、火力としても優秀なのだろう。
……ただ、現状、白い狼にはあまり攻撃が当たっていない。
今もまた、トーマが仕留め損ねた白い狼を、《投剣》スキルでぼくが仕留める。すると、彼は大きくため息をついてから地面にしゃがみこんだ。
「あったんねー! 狼やっぱり速すぎ!」
がらん、と槍も地面に転がし、トーマは荒れ地で大の字になった。無防備な姿勢ではあるが、白い狼の再出現まで五分はある。ぼくもその場であぐらをかいた。
「でも、タンクをやっていただいているおかげで、かなりやりやすいです」
気を使っているというわけではなく、本音だ。
ぼくとトーマの連携の基本は単純。トーマがタンクとして白い狼の攻撃を引きつけて、そこへぼくが横から《体術》と《片手剣》スキルで猛攻を仕掛けて怯ませる。
トドメはトーマの槍による一撃。取り漏らしたら、ぼくの《投剣》で仕留める。と言うものだ。
「それにしても《狼狩り》は随分変なスキル使ってるんすね」
「はは……そうですね……」
《狼狩り》という、からかいのような呼称に苦笑しながらも、否定はできない。メインのスキルとしてこの組み合わせを選ぶ人は少ないだろう。集団戦もやりにくいし。
「あ、今ので毛皮百枚たまったみたいです」
ぼくはアイテムストレージを確認しながらトーマに声をかける。彼は槍を拾ってからゆっくり立ち上がった。
「どうするっすか? もう挑んじゃうっすか?」
「ええ、それでいいと思います。基本の連携自体は固まってますし」
ぼくも立ち上がって肯定する。トーマは大きく伸びをすると、おもむろに伸脚を始めた。仮想世界で準備体操しても意味ないよなあ、と考えながら彼を見ていたら、それを察して応えてくれた。
「これはクセみたいなもんっす。緊張する時、大事な戦いに挑む時。準備体操すると集中できるんすよ」
「……なるほど」
何処かで聞いたことがある。一流のスポーツ選手だとかは、そういう精神統一の技術を持っていると。
ぼくは何となく、軽く拳を握って腕をあげた。
「じゃ、ぼくも……」
そのまま肩をゆっくりと回す。充分にほぐして、首を左右に伸ばす。頭を後ろに倒すと、二十四層へ続く偽物の天井が、雲一つない青空を映し出していた。
○
巨石遺構の前でストレージから結晶系のアイテムを具現化し、すぐに使えるように腰のポシェットにぶち込む。投擲用ナイフも同じく背中に補充。片手剣を鞘から抜き出して、構える。
「準備は万端っすか?」
トーマに問われ、頷く。
「いつでも行けます」
「りょ。じゃあ、その真ん中の石に触ってください、それでレアモンスターが出てくるっす」
ぼくはトーマの危なげな日本語を聞いて再度頷くと、ゆっくり巨石遺構の中心の大岩に近づく。
手を伸ばせば触れられる距離まで来て、一度トーマを振り返る。彼は大型盾を構えながら頷いた。ぼくはそれを見てから巨石に手を触れた。
瞬間、巨石が白い光に包まれる。
「うおっ」
ぼくは巨石から目を離さないようにしつつ、慌てて後ずさる。巨石は光り輝いたまま形を変えていき、終いには巨大な白い狼へと成った。
体高は五メートルほど。《The White Wolf Lord》という名前の下に、体力ゲージが伸びていく。一列では収まらず、二段、三段と積み上がっていき、最終的には五段積みとなった。
「消エタ同胞ノ命。ソノ償イヲ求ム」
男女が明確に分からないが、威厳のある声が響く。白狼王(ホワイトウルフ・ロード)はそのまま天に向かって一つ遠吠えをかます。
大音量の鳴き声に、ぼくは耳を塞ぎながら、トーマの近くまで退いて話しかけた。
「見た目はそこら辺の白い狼とほとんど同じですね。試しに、さっきの作戦通りに進めてみませんか?」
「うぃっす。……じゃ、始めますか」
トーマは槍で自らの盾を叩き、金属特有の大きな音を立てる。タンクが敵の注意を引きつけるためのスキルだ。
白狼王は一つ唸り声を上げると、トーマの盾に向かって突進を始める。ぼくはトーマから離れ、白狼王の背後へと回り込んでいく。
「よっしゃ! こいや!」
トーマが気合を入れて叫んだ直後に白狼王の一撃が襲う。彼がきっちりと盾で受けるのを横目に、ぼくも片手剣を構えた。
そして巨影に向かって突進しながら片手剣ソードスキル《レイジスパイク》を放つ。充分にスピードが乗った斬撃で、白狼王の右前足が浮く。そのままぼくは敵の懐に潜り込んで、左の拳を握った。
「今から左前足も崩します! そしたら槍で後詰お願いします!」
叫んで、ぼくは左前足に向かって体術スキル《連牙》を放つ。あたりはしたが、まだ崩しきれない。《連牙》の三連撃が終わりきらない内に今度は右手の片手剣で次のソードスキルの準備を始める。
片手剣による水平四連撃が発動されるスキル《ホリゾンタル・スクエア》。ぼくが覚えている片手剣のスキルの中でも、かなり上位のものだ。
一撃、二撃、三撃、四撃。白狼王も耐えかねたのか、左前足を崩す。ぼくは押しつぶされないように、ヘッドスライディングで白狼王の懐から飛び出し、即座に立って振り返った。
白狼王が無防備な頭部を、トーマの目の前に晒していた。
「任せろっす!」
槍が白い光を放ち、白狼王に対して高威力の一撃を放つ。今の応酬で五段積みの体力ゲージも、一本まるまる削りきれた。白狼王は怯みモーションを見せた後、すぐにトーマと距離を取る。
レアモンスターの割に、柔らかい。行ける……!
「勝てそうですね……!」
ぼくは勝利を感じて口元を緩めた。トーマの方を見ると、体力ゲージが少し削れている。恐らく盾で受けきれなかったダメージが入っているのだろう。
「……いや、結構やばいっすね。これ」
トーマは目線を白狼王の方から外さずに呟いた。表情はぼくと違って、固い。
「青錬鉱で固めてこのダメージだと、センの装備じゃ二撃で落ちるっすよ。ビルド次第じゃ一撃死するっす」
ぼくの緩んだ口元が引き締まった。
レアモンスターの割にダメージを与えられるのには理由があった。白狼王は防御力の低い攻撃力特化タイプのモンスターだったということだ。
「……どうするっすか。退きます?」
トーマがぼくに問う。
「安全マージン取れてないっすよ。ただまあ連携無しじゃまともに攻撃与えられないんで、センが逃げるならこっちも逃げるっす」
決断を迫られたぼくは片手剣を握りしめ、白狼王の方へ目を遣る。
この場合、定石は『逃げ』だ。それは間違いない。しかし、敵モンスターもこの一回の応酬で体力ゲージを一本損失させている。まだ見せていないモーションもあるだろうが、多少の変化なら対応できるはず……。
それに、このモンスターはレアモンスターと言えどもフロアボスというわけではない。特殊なモーションなどはそこまで用意されていないはずだ。
最悪、ぼくには『隠し玉』もある。
「……やりましょう。レアモンスターから手に入る装備は、惜しいです」
ソロでこれからも戦うためには、フロアボスのラストアタックボーナスクラスの装備が必要だ。それが手に入るチャンスはそうそうない。逃すわけにはいかないだろう。
トーマが笑みを浮かべる。
「イイっすね。《狼狩り》が、かっけー称号に見えてきたっすよ!」
トーマが再度盾を鳴らす。白狼王はさきほどと同じく突進を始めた。今度はトーマの目の前で急停止し、前足で殴り掛かる。だが、危なげなく盾で弾く。
「右足浮いた!」
ぼくはすぐさま走り出し、《レイジスパイク》で左の前足を穿つ。そのまま体をひねり右足で体術《水月》による水平蹴りを放つ。
「まだ……!」
腰に溜めた左腕が光る。《連牙》による三連撃を打ち込むと、白狼王の左前足が崩れ、頭部を無防備にする。そこへトーマの槍の一撃が入る。
白狼王は唸りを上げて怯む。体力ゲージも後三本。おそらく体制を立て直すために、また距離を取ろうとするはずだ。
「まだ……攻めます!」
ぼくは白狼王の左後ろ足の方へ走った。
このまま後三回、同じことを繰り返すよりかは、追撃してより大きなダメージを与えに行ったほうが、早く戦闘が終わる分、攻撃を食らう可能性も少なくて済む。
攻撃は最大の防御。攻め続けることが、生き残る手段だ。
ぼくは《レイジスパイク》を発動させて突進してからの突きを当てる。そのまま腹部に潜り込んで、一旦両手を空けるために、地面に片手剣を突き立てた。
「動くなよ……」
両手を腰の位置にとめると、両腕が光り出した。そのまま、長い溜め時間を経て、左右の拳を同時に思い切り突き出す。拳の軌跡が青白く光って空気に霧散していく。
ぼくが覚えている体術の中で、最上級の威力を持つ《双牙》というソードスキルだ。
白狼王が再度唸りを上げる。ぼくは地面の剣を抜きながら、敵に背を向けて走って距離をとった。
「凄いっすね! かなり削れたっすよ!」
トーマの声を聞いて、白狼王を振り返る。今の攻防で、敵の体力ゲージが残り二本のところまで削れていた。恐らく合間合間にトーマも攻撃をし続けていたのだろう。
白狼王は身を退き、本日三度目の咆哮モーションを見せる。
「次で、仕留めましょう!」
「りょ!」
喜色の混じった返事と共に、トーマが三度(みたび)盾を叩く。同じ流れで来る獣に、ぼくらは同じ流れで連携攻撃を放つ。
「……悪くないのかもしれないな、仲間ってのも」
ぼくは戦いの中、音に出るかどうかの大きさで独りごちた。
連携が取れることによる利益、効率的な意味合いもあるが、何より、『怖くない』。
このデスゲームにおいて、一番の強敵は遅いくるモンスターではなく、死の恐怖だ。死の恐怖に体がすくみ、隙が出来る。死の恐怖にかられて圏内に引きこもり、心が壊れていく。
死の恐怖を軽減してくれる『仲間』という存在は、このデスゲームを生き延びる上で重要な要素なのだろう。
スノウも、それを分かっていたから、あんなに誘ってくれていたんだろう。この戦いが終わったら、《血盟騎士団》への入団も、考えてみても良いかもしれない。
……あのキザな白と赤の装備を身につけるのは、少し嫌だけれど。
「これで、トドメっす!」
掛け声とともに、トーマが槍を白狼王に向けて構えた。槍が薄く光っている。恐らくは、ソードスキルを放つつもりなのだろう。残りの体力も無さそうだし、槍の軌跡はまっすぐに敵を捉えている。ラストアタックになるだろう。ぼくらの勝利だ。
そう、気楽に構えていたぼくだ。だからこそ白狼王の牙から視線を外したし、だからこそ、白狼王の尻尾なんていう本来どうでも良い部位に目が向いたのだろう。
「あれは……」
ぼくは尾の動きに違和感を覚える。今までほとんど動きを見せていなかった尻尾が真上に跳ね上がっている。
本物の狼がどうなのかは知らないけど、ゲームにおいてプログラムされたモンスターが意味もなく今までと違う行動をすることは無い。
もし動きに有意な違いが出来たとすれば、それはゲーム制作者の意図を持ったもの。つまりは――。
「危ない!」
距離を取っていたぼくはトーマの方へ駆けた。
トーマはぼくの声に気が付きつつも、攻撃のモーションを止めるつもりは無い。
白狼王が、急激に後方へと倒れ込んだ。トーマはソードスキルの一撃を派手に外して、硬直時間に入る。白狼王が、邪悪に笑んだ気がした。
「な、何だよこの動き……!」
――つまりは、敵モンスターによる、逆転の一撃の予備モーションだ。
白狼王は尻もちをつく様に倒れた後、尻尾を地面に叩きつけ、その反動で急激に体を起こす。そしてその勢いで前方――硬直中のトーマがいる場所――へその牙を煌めかせながら突進した。
「間に合え……!」
敵との距離は二十メートル程。ぼくは走りながら右手の剣をその場に落とし、空いた右拳を握る。そして、大きく振りかぶって拳を前に突き出した。
拳によって、空気がせり出されていく。だが、ただの空振りではない。本来見えないはずのその現象にはエフェクトがかかり可視化される。そして、本来そよ風程度のその現象にはソードスキルによる加護により、鉛玉のような重さが与えられる。
今にもトーマを牙で砕こうとする白狼王の横っ面にその圧縮空気の弾丸がぶつかると、白狼王は全身を白い光に包まれ、そのまま割れたガラスのように光の破片へと還っていった。
直後、トーマの硬直が解け、彼は自由になった体でぼくに向き直る。
「……今のは、何だよ」
率直な問に、ぼくはバツの悪い気持ちで複雑な表情を浮かべるしか無かった。
「……エクストラスキル《練気術》の、ソードスキル《波動撃》」
今までぼくが使ってきたスキルの編成によるものだろうか、それとも、ソードスキルの底上げを行った実績によるものだろうか。ある日、システムウインドウのスキルに加わっていたのだ。
トーマは呆気に取られたような表情を見せた後、「ふっ」と小さな笑顔を浮かべてゆっくりと近づいてきた。
「……なるほどね、さっきの《波動撃》を見るに、遠距離で高火力の技を含むスキルか。魔法のないこの『世界』では、破格の性能を持っているみたいだな」
トーマの口調が変わっている。ついさっきまでの気さくな軽い話し方とはガラッと変わって、不敵さすら覚える。それに、死ぬ寸前だったと言うのに、落ち着き払っていた。
ぼくは彼の口調の変化に戸惑いつつも「隠してて、済みません」と謝った。対する彼は、当たり前だ、とでも言う様に全く気にせず、話しながら近づいてくる。
「そんなスキル、持っているとバレたら入手方法を知りたがる無法者に狙われ続けるのがオチだ。まだ自分でもわかっていないんだろう、入手方法は」
「え、ええ……。そうです。わかりません」
「だから俺はね、そこに興味は無いんだよ。興味があるのは……」
目の前で立ち止まるトーマ。ゆっくりと、その手の槍が動いて――
「さっきのラストアタックボーナス。いただくよ」
――気がつけば、ぼくの腹部に、深々と刺さっていた。
「……そ、んな!」
ヒットポイントゲージが急激に削れていく。ぼくは槍の穂先を掴んで引き抜き、慌てて距離を置いた。
残りの体力は全開時の十分の一にも満たない。あの槍の威力であれば、一撃かするだけでも、終わりだ。
「なんで……!」
「言っただろう、ラストアタックボーナスが欲しいんだよ」
「でも、デスゲームだぞ、これは……!」
「だからこそ、生き残るためには殺しでも何でもやるさ。こっちも命張ってんだ」
トーマが自分の頭の上を指差す。
「この《オレンジカーソル》なんて二日三日あればクエストやって元に戻せる。二日三日我慢するだけで手っ取り早く伝説級の装備が手に入るのなら、やらない手はない。リスクとリターンを天秤にかけたら、殺しが一番ラクなんだよ」
そして、がん、がん、と彼は自らの装備を叩いてみせた。
「この《青錬鉱》の装備も、そうやって手に入れた」
「人殺し……!」
「なんとでも言え。さあ、死にたくなければアイテムと装備を全てここに置いて消えろ」
ぼくは、ゆっくりと腰のポーチに手を持っていき、蓋を開く。中には結晶が入っている。最悪回復さえできれば、逃げるのは容易い。転移結晶で逃げても良い。
「バレバレだ」
トーマがピシャリと言った。そしてすぐに槍を構え、突進してくる。
「殺して奪うことにする」
「ふざけんな……!」
兎にも角にも、この突進を回避しない限り、ぼくに命はない。だけど、残念なことにぼくは今、丸腰だ。剣はさっき地面に捨ててしまったし、投剣の類は白狼王との戦いで使い切ってしまった。《体術》で切り抜けるしか無いか……。
「《体術》か……? 技は全て見させてもらっているがな」
「くそ……」
そうだ。知られてしまっている以上、ソードスキルを使ったら見切られて、後は硬直の隙を突かれて終わりだ。
窮地。どうする。どうする。
脳裏に、白狼王の動きが蘇った。
ぼくは、全身の力を抜き、後ろへと倒れ込む。
「諦めたか! もう遅い!」
……諦めるものか。ぼくは生きてこのデスゲームから抜け出す。絶対に。
倒れ込んだ勢いで、そのまま両足を体に引きつけて、後ろへ一回転。先程まで自分が居た場所を槍が抉る。
「ちっ、後転か」
ぼくはすぐに立ち上がって、後ろ向きに走って距離をとる。状況を仕切り直すために回復をしようとしたが、ポーチの蓋を開けっ放しで後転したせいで、中身のアイテム類がぶちまけられてしまっていた。
「やべ……」
「残念だったな!」
再度向けられる槍。ぼくは右拳を振りかぶって、《波動撃》を放つ。空気の塊はまっすぐにトーマのその巨大な盾を捉えた。威力に数メートル後ずさるが、彼は無傷だった。
「威力は凄いが、盾で充分受けられるレベルだ」
「……そう、みたいだな」
読まれている。《波動撃》はまっすぐにしか飛ばないから、受けやすいんだ。それに、奥の手の《練気術》も、これ以外のスキルは覚えていない。他の人にバレないように、極力普段使っていないからだ。
結晶も地面にぶちまけてしまった。呑気に拾っていたら、刺される。
万策尽きている。
ぼくは震える手で、システムウインドウを開いた。
何か、ないか、この状況を打開できる、何か。
「俺の勝ちだ。いただくぞ、『ラストアタックボーナス』」
「……!」
トーマが《波動撃》を警戒して盾を構えながら駆け出す。ぼくは、あるアイテムを具現化させた。
ぼくの両手に、一対の手甲が現れる。《狼の掌》と名付けられていた。落とし主の白狼王には似つかわず、光沢のない薄汚れた黒色。
「死ね……!」
トーマより突き出される一撃。ぼくはその穂先を、右掌で受け止めた。
金属と金属がぶつかる音がして、軽い衝撃が走る。だが、ぼく自身にダメージは通っていない。トーマの表情が変わっていく。
「ノーダメージ、かよ……」
耐久値も、防御力も、紛うことなき伝説級。そしてもう一つ、《狼の掌》には防具に似つかわしくない数値が設定されていた。
ぼくは受け止めた右手で素早く槍の穂先をつかむと、残った左手の掌底で柄を打ち付ける。槍は穂先の部分から真っ二つに折れて、遅れて光の破片へと成った。
「攻撃力のある防具、か。はは、さすがは隠しモンスターのラストアタックボーナス……」
トーマは盾を構えたまま、後ずさる。ぼくは、死を免れた安心感と、一抹の悲しみを覚えながら、彼に向き直った。
「……仲間になれると、思ったのに。……すごく……そう、残念だ」
「ふっ」
トーマは顔を歪めた。少しずつ距離を取っていく。
「俺も、その防具欲しかったのに。残念だ」
充分な距離を取ったと認識したのだろう。トーマが鎧の腰の巾着袋から、転移結晶を取り出して、立ち止まった。
「それじゃあ、寂しそうな狼狩りに一つだけアドバイスだ」
そして、余裕を感じる笑みをその顔に浮かべる。
「――死ぬぞ。『それ』じゃあ」
「……ああ、わかってるよ」
充分すぎるほどに、理解しているよ。
ぼくは追いかけて攻撃をする気力もなく、ただ呆然と立ち尽くし、拳を握る。《狼の掌》が、ぎちり、と小さく音を立てた。
「それは、預けておく。返してもらうからな。――転移、二十層、ひだまりの森」
転移結晶を使用したトーマが消えていく。ぼくはそれを見届けてから、落とした剣とアイテムを拾って、その場を後にした。
何ということは無い。元々ソロでやっていて、これからもソロでやっていくというだけの話だ。
そう、それだけの話――。
「……今日は、一度戻ろう」
○
第十一層。主街区、タフト。
レンガと石で作られた綺麗な街は、夜になっても一部の冒険者によって賑わいを見せている。その街の公園で一人、茶色い髪の少女がベンチに座って人を待っていた。
彼女はシステムウインドウを開いて暫くアイテム類の整理をしていたが、約束の時間になっても待ち人が一向に来る様子のないのに不安げな目を中空に泳がせる。
「……遅いな。報告したいこともあるのに」
準備や他のギルドとの調整に苦戦したが、何とか二十五層の階層ボス攻略の日程が決まったこと。そしてそこに待ち人を呼びたいと考えていること――。
「はあ……」
伝えたいことに思いを巡らせては、彼女は公園の入口を見る。人通りは少なく、誰かが入ってくる様子も見られない。
「……明日も早いし……、今日は帰るね……」
少女はつぶやくと立ち上がり、公園を去る。街灯に反射したレンガ街の暖かな光と冒険者たちの喧騒に包まれていく。
不安と明日に控えた決戦に対する緊張で彼女の目線が下がっていく。通り過ぎる人の足元を見ながら、器用にそれを躱していく。その足元の中に、見覚えのある装備が一つ。彼女は顔を跳ね上げて、声を上げる。
「……! セン――」
「――ん?」
顔をあげ、視線の先に居たのは、探し求めていた待ち人――セン――とは似ても似つかない、金髪で色黒の青年だった。
少女は慌てて頭を下げる。
「済みません。人違いです」
青年は、人懐っこそうな笑みを浮かべ、小さくかぶりを振った。
「良いっす、良いっす。気にしてないっす。むしろこんなべっぴんさんに声をかけてもらえて、ラッキーっすよ。えーっと?」
「あ、スノウ、です」
少女、スノウは恐縮しつつ名乗り、それから彼の装備をさっと眺める。剣を持っているが、身軽な格好をしているあたり、タンクとはまた違う役割でパーティに参加しているのだろうと思わせる装備だ。
「どうも、スノウさん。ちなみに自分はトーマっす」
「ごめんなさい、トーマさん。知り合いの昔の装備に、似ていたから……」
似ているということは、彼もまたソロプレイヤーなのだろうか。
我に返ったスノウは再度頭を下げると「それでは、急ぐので……」と言い残して去っていく。トーマと名乗った青年も軽く会釈を返し、そして、彼女が見えなくなってから、にたり、と笑んだ。
「俺の『呪い』はしっかり効いちゃっているみたいじゃないの、セン。……すぐ行くから待ってろよォ……」
誰にきかせるわけでもない青年の言葉は、やはりタフトの雑踏の中に包まれて、消えていく。彼もまた歩み始め、彼の言葉と同じく雑踏へ吸い込まれていった。