ソードアート・オンライン ―ファダーズ・ストーリー―   作:網緑 錆

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■第三話:匣の教団(前編)

 その日、随分と思い詰めた表情の少年が幽鬼のように歩いているのを見かけた。

 第十一層、主街区タフト。レンガと石で作られた華々しい街並みが赤く染め上げられる夕暮れ。美しい景観には、彼の陰鬱な姿はまったくもって似合わない。

 

「……自殺でも、する気じゃないだろうな……」

 

 目の前をよたよたと歩く暗い雰囲気の少年を見ながら、ぼくは思わず呟いた。

 たまにいるのだ。仲間の死やデスゲームに対する絶望で狂ってしまって、自死してしまうプレイヤーが。

 少年に対して暗いイメージを持ったのは、その力の無い歩き仕草からだけではない。全身を覆う黒い装備も、その一端だ。特徴的な真っ黒の装備は、何度か見たことがある。

 

「なんて名前だったかな……」

 

 ぼくは記憶を辿る。だが、すぐに思いとどまった。関わるのは要らぬ御節介かもしれない。と考えたからだ。何より……。

 

「自分のことで、精一杯だ」

 

 言い訳のようにつぶやく。もう四ヶ月ほど前になるだろうか。あるプレイヤーに裏切られてからぼくは、あまり街に寄り付かなくなった。

 アルゴという、信頼できそうなビーターの情報屋に他のプレイヤーからの依頼を斡旋してもらっては、ソロでそれをこなす毎日。今日も纏まったコルを手に入れるために、必死に虫のモンスター狩りをしてきたところだ。

 あの今にも死にそうな少年には悪いが、ソロで生きるのに必死なぼくに彼を気遣う余裕は無い。いつかのように、騙されたくもない。さっさとアルゴに品物を納品しに行こう。

 

 非情かもしれないが、大変なのは彼ばかりじゃない。デスゲームという過酷な環境に身を置いているんだ。皆多かれ少なかれ追い詰められていることに変わりはない。

 半ば自分に言い聞かせるようにそう開き直って、歩幅を大きくし、彼の横を通り過ぎる。

 

「……サチ……俺が……」

 

 追い抜きざま、ぼくの耳が彼の弱々しい声を捉えた。音というものは記憶に強く紐付いているらしく、ぼくの脳は一瞬で彼のことを思い出してしまった。

 

 キリト。彼のプレイヤーネームは確かそういう名前だった。

 一月ほど前になるだろうか。第二十八層の狼ヶ原でぼくは得意な狼型モンスターを狩ってレベルを上げていて、その時に彼のことを見かけた。確か彼もソロで戦っていたはずだ。同じ場所でレベルを上げている人が他に居なかったので強く印象に残っている。

 それに、記憶が正しければ彼は攻略組の一人だったはずだ。もっと低い階層の頃、攻略会議で何度か顔を見たことがある。そんな優秀なプレイヤーが、こんなところで一体どうしたのだろう。

 ぼくは疑問を抑えきれず、彼を追い抜いた後振り返って、口を開いた。

 

「あの……」

 

 ぼくに声を掛けられ、足を止めた彼が見上げてくる。改めて見ると背の低い少年だ。女の子のような幼い顔立ちをしている。

 だが、その表情に生気は無く、ぼくはその無機質さに恐怖してしまった。

 

「あ、いや」

 

 慌てて、目を逸らす。

 

「済みません。人違いでした……」

 

 尻すぼみにそれだけ残して踵を返し、ぼくはキリトの元を去った。

 後味は悪かったが、あまり関わり合いになりたくなかった。あの無機質さの恐怖は、何となく、死の匂いがした。

 

 ぼくはそれからタフトの路地裏に入っていき、落ちる陽と街並みが作り出す光と影の間をすり抜けて、とある建物と建物の隙間にある小路へと入っていく。

 袋小路になっているその突き当りに、腕を組んだフードの人影があった。

 

「やあ。少し遅かったナ。オネーサンを待たせるなんていい度胸ダ」

 

 人影はぼくに気がつくと腕組みを解く。ぼくは「済まない」とだけ謝罪し、早速アイテムストレージを開いた。

 

「相変わらず、無駄話はしない、カ」

 

 呆れたようなアルゴを見て見ぬふりし、依頼のアイテムを渡す。すぐにコルが送られてきた。しかし……。

 

「約束より、少ない」

 

 端的に文句を告げる。すると目の前のフードの少女は真剣な眼差しを向けてきた。

 

「《練気術》という隠しスキルは知っているカ」

 

 ぼくは押し黙った。それはある意味肯定であり、きっと情報屋にとっての商品になるような手がかりを残してしまったのだろう。

 情報屋は続ける。

 

「……だんまりカ。これは噂だが、最近、良心的なプレイヤーに不意打ちをかけて追い詰めては《練気術》について尋ねてくるオレンジが出没しているらしいナ。心当たりハ?」

 

「……さあ、わからない」

 

 ぼくはとぼける。まあ、今更とぼけても意味は無いだろうが。

 

 恐らく、トーマか、同様の目的を持ったプレイヤー。《狼の掌》か《練気術》の入手法を探しているのだろう。ぼくがあまりにも人の前に姿を現さないから、強硬手段に出たというわけだ。

 

 追われているのならば、このまま隠れ続けるのも一つの手だ。だが、隠れるにも『誰から隠れなければならないのか』を知るために相手の情報は必要。少し、調べる必要がある。

 そこまで考えて、ぼくは報酬のコルが少なかった理由がわかった。

 ぼくが何かを言う前に、アルゴは不敵に笑う。

 

「……直近で例のオレンジに襲われたプレイヤーの居所は第二十四層、湖上都市パナレーゼ。赤色の風車の付いた白い壁の宿屋二階ダ」

 

「情報の押し売りか」

 

「どうせ買うだロ?」

 

「……このことは……」

 

「情報屋だからといって何でもかんでも売り買いしているわけじゃなイ。少なくともこの四ヶ月、怪しいプレイヤーには襲われてないだロ」

 

「……済まなかった。恩に着る」

 

 ぼくは彼女を疑ったことを少し恥じながら踵を返した。行き先は第二十四層の湖上都市。面倒なことになる前に、ぼくを探す敵の情報を掴まねばならない。

 

「言い忘れたことがあル」

 

 背後から呼び止める声が聞こえてきた。ぼくは頭だけ振り返る。

 

「……あまり無理すんナ。信頼できる誰かを見つけロ。オネーサンが、紹介してやっても良いからサ」

 

 いつでも飄々としている《鼠》らしくない言葉に思わず目を丸くしてしまう。かつてぼくを思い遣ってくれた人物……スノウがアルゴとダブって見えて、少しだけ口の中で笑ってしまった。

 

「……仲介料、高そうだな。もっとコルを貯めてからお願いするよ」

 

 ぼくはそう言い残して、路地裏を去った。

 

 

 第二十四層、湖上都市パナレーゼ。湖上都市の名に違わず、巨大な湖の中央に浮かぶ円形の島の上に街が広がっている。

 ぼくは上着のポケットに手を突っ込みながら街の中心につながる大通りを歩く。これはぼくが気にしすぎなだけだとは思うが、手をふらふら出して歩くのは《狼の掌》を見せびらかしているみたいで嫌なのだ。あまり褒められた態度ではないけど、最早クセのようなものになってしまっていて、手を遊ばせていると落ち着かない。新しい防具を手に入れたら、その度にわざわざスキルを持っている人に頼んでポケットを付けてもらっているほどだ。

 

「赤い風車か……」

 

 パナレーゼに到着して三十分。未だに該当する建物は見つけられずにいる。仮に例の宿屋を見つけられたとしても、本人は出かけているかもしれない。下手したら、長期戦になってしまいそうだ。

 自分が逗留する場所も探しながら散策する必要があるのかもな……。

 

「……あ」

 

 などと、考えながら遠くの街並みに目を向けたら赤い風車を見つけた。

 更に十分あくせく歩き、ぼくは赤い風車の建物の前までたどり着く。大通りから三つ、脇道に入ったところにあった。アルゴが言うとおり壁の白い建物で、アインクラッドの偽りの陽光に晒されて壁紙が強く照っている。

 入り口に当たる木製のドアを開けて、一直線に宿屋のカウンターへ向かう。中年の男性NPCの店主が定形的な案内を述べるのを聞き終えた後に、ぼくは質問する。

 

「二階の部屋は、空いているか」

 

「申し訳ありません。空いておりません。二階の部屋が空くまで、あと十五日かかります」

 

「……分かった」

 

 かなりの長期滞在だ。今日が六月十五日だから、六月いっぱいまで。恐らくひと月単位で宿をとっているのだろう。イメージとしては、家賃みたいなものか。……まあとりあえず、ここにいることにはいるみたいだ。

 ぼくは男性NPCと別れると、カウンターの右奥に見えた階段を登り始めた。体重にあわせて木の軋みが心地よく響く。階段を登った先には短い廊下があり、右手に扉があった。ここだ。ゆっくりと二度、扉をノックする。

 

「すみません。少しお時間をいただけませんか」

 

 ……返事はない。更にもう一度ノックをしてみたが結果は変わらなかった。留守みたいだ。レベル上げかコル稼ぎか、あるいはどっちも。ギルドに入っている可能性もあるな。アルゴから本人の情報を詳しく買っておくべきだった。

 

「ただ待ってるのも時間がもったいない、よな」

 

 わざわざひと月単位で宿賃を払っているんだ。もったいないことをするタイプの人間でなければ夜には戻ってくるだろう。

 ぼくは部屋をあとにして階段を降りる。これから夜まで何をしようか、などと考えながら動いていたせいか、踊り場で折り返したときに不注意で誰かとぶつかってしまった。

 

「いて!」

 

 軽い衝撃とともに甲高い声が聞こえる。「ごめんなさい」と咄嗟に謝ってから、相手の方を見る。

 まず、緑色の髪が目を引いた。真緑というよりは緑青に近い。そして次にその顔。丸い目を白黒させる女の子。彼女はぼくを見据えて問う。

 

「だ、誰だ!」

 

 冷静に考えなくても、二階に一部屋しかない以上、この階段を利用するのは一人だけ。

 この女の子が、アルゴが言っていた人物。ぼくを探す謎のオレンジプレイヤーの情報を持っているキーマン。

 話を聞きに来たんだ。気を悪くさせてしまったらまずい。ぼくは再度頭を下げた。

 

「すみません。センといいます。あなたにお話を伺いたくて……えーと」

 

 緑の少女のステータスをみる。名前は……エーコか。

 

「エーコさん。少しお時間を頂けませんか」

 

「……怪しい」

 

 これ以上ないくらいの訝しげな表情。なんとか誤解を解かないと、折角の情報を逃してしまう。

 

「《圏内》ですし、手出しなんて出来ないですよ。怪しくないです」

 

「怪しくないやつは『怪しくないです』とは言わない……。誰からこの場所を聞いたんだい?」

 

「《鼠のアルゴ》からあなたがおそわ……」

 

 彼女の名前を口に出した途端、エーコは訝しげな表情から一転して笑顔を浮かべた。そして、ぼくの言葉が終わらないうちに、歓声をあげる。

 

「やったー! ボディーガードだー! やっときたー!」

 

「ボディー、ガード?」

 

 今度はぼくが訝しげな表情になる。何を言っているんだこの娘は。そんな依頼を頼まれた覚えはない。……いや、アルゴの名前を出した瞬間に誤解が解けたということは。

 

「……そういうことか」

 

「おお! お兄さん、飲み込み早いね! まあ立ち話もあれだし、部屋、上がっていきなよ」

 

 エーコに先導されて入っていった部屋は、大きな窓から湖が見えるきれいな部屋だった。木製家具類の茶色と壁の白の二色でまとまっている。あまり、部屋の主の性格が見えてこない部屋だ。

 宿屋だから、そんなもんか。

 

「どうしたの、座りなよ」

 

「あ、ああ。どうも」

 

 エーコに勧められるがままに部屋の中央のテーブルの席に着く。向かいにはエーコが座った。

 いざ目の前にすると、小さい。見た目は中学生くらいだろうか。気の強そうな眉も合わさって、少し笑顔を見せるだけでドヤ顔っぽい。装備は街中で過ごす用だろう。オーバーサイズの白いTシャツ。裾から青色のキュロットスカートが覗いている。

 

「まずは自己紹介だね! エーコです! 十五歳! メインの武器は槍かな! それで、あたしに見惚れてるロリコンのお兄さんは?」

 

 いたずらっぽい笑みを浮かべながら、エーコが自己紹介をする。ぼくは苦笑しながら「ロリコンじゃないですよ」と否定した。妙な誤解をされてる場合じゃない。自己紹介を済ませて話を聞かないと。

 

「センです。十九歳。メインの武器は体術と片手剣。君を襲った人物についての情報が欲しくて訪ねてきました」

 

「……だよね」

 

 ゆっくり頷くエーコ。

 

「もう察しがついているとは思うけど、あたしはアルゴさんにボディーガードをお願いしてて、センが来た。センはアルゴさんに情報のある場所を教えてもらって、ここに来た」

 

「アルゴにしてやられたってところですね。でも、報酬はしっかりいただきますよ」

 

 釘を刺すと、エーコがそのシャツの裾を摘んでへそのところまで持ち上げる。

 

「カラダで……?」

 

「そういうことしてると黒歴史になるから、やめておきなさい」

 

「ぶーぶー。つれないなぁ」

 

「で、ボディーガードを頼むということは、襲われる可能性があるっていうことなんですよね……例の、オレンジプレイヤーに」

 

 話を引き戻すとエーコはパッとシャツの裾から手を離してから、バツの悪そうな様子でその緑色の髪をくしゃくしゃとする。

 

「いやぁ。三日前に襲われたとき、怖くって、『《練気術》の使い手が知り合いにいる』ってウソついちゃったんだよねぇ……。そしたら一週間後に連れてこいって……。だから、ボディーガードを雇って返り討ちにしてやろうって思って」

 

 どうやら、彼女はぼくがその《練気術》の使い手であることには気がついていないようだ。あくまでもアルゴによって手配されたボディーガードだと思っている。

 都合がいい。下手にバレでもしたら、そのまま突き出されておしまいだ。ボディーガードとしてそのオレンジプレイヤーを倒してしまえれば問題は片付くし、倒せなくても目的さえわかればどうにでもなる。危険だけど……虎穴に入らずんば虎児を得ず、だ。

 

「ということは、あと四日ですね。準備する時間は十分あります。相手が使っていた武器などは覚えてますか。それに、四日後の場所も」

 

「はへー。オレンジ相手に冷静だねセンは。……相手は片手剣を使ってたよ」

 

 片手剣を使っていたなら、槍使いのトーマという線は消える。片手剣相手なら、ぼくも片手剣で戦って、その横からエーコに槍で援護してもらおう。それでなんとかなりそうだ。

 

「んで場所はー、二十五層ギルトシュタイン近くにある廃塔」

 

「ギルトシュタイン……」

 

「そう! ヒースクリフ率いる《血盟騎士団》の本拠地があるとこ!」

 

 苦い気持ちになった。血盟騎士団にはスノウも在籍している。彼女とはもうずっと連絡を取っていない。無視してしまっている。それは、トーマの事があって、他のプレイヤーが怖くなってしまったのもあるし、『あること』が原因になっている。

 恐怖自体は時間が解決してくれたが、『あること』についてはどうしようもない。

 

「……血盟騎士団と、なんかあったの?」

 

 エーコが聞いてきた。渋い気持ちになっていたから、いつの間にか顔が険しくなっていた。

 

「それは、まあ、置いといて。四日後までは特に何もないのかなと思うので、今日は帰りますね」

 

「えーっ。せっかくだしパーティ組んでどっか攻略しに行こうよーっ」

 

 言いながら、彼女はシステムウィンドウを操作してパーティの招待を送ってくる。ぼくは目の前にポップアップしたその表示を見て、つばを飲み込む。

 

「それは……」

 

 イエスの方に指を持っていった瞬間、あの時トーマに刺された腹部がじわりと痛んできた。誰かとパーティを組もうとすると、いつもこうだ。ぼくはおとなしくノーの方を選択する。

 

「それは、出来ないです。すみません。色々と、準備をする必要があるので、一旦、これで失礼します」

 

「え、ちょ」

 

 本格的に痛くなってきた。エーコに悟られる前にここを去ろう。

 ぼくは素早く部屋の扉まで移動すると、一礼してから返事も待たずにそそくさと部屋を出る。そのまま宿屋も出て、路地裏に身を潜めてうずくまる。

 

「いってえ……」

 

 まるで、抉られているかのような痛み。肉を持たないこの世界で感じる痛みの中でも最も強いのが心因的な痛みだ。身体やゲームからの痛みはナーヴギアによって調節されているが、心因的な痛みは脳の内部的な問題なのでどうしようもない。

 これが、パーティを組まない理由。誰かと仲間になるのを避ける理由になった『あること』だ。

 これでもだいぶマシになったのだ。最初にこの症状が出たときには本当に立っていられないほどだった。……スノウの目の前だったから、必死の思いで我慢したが。

 

 アインクラッドにカウンセラーは居ない。この痛みは、自分で抱え続けるしかない。

 ぼくは……ひとりで戦い続けるしかないんだ。

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