ソードアート・オンライン ―ファダーズ・ストーリー― 作:網緑 錆
ギルトシュタインの北側の郊外には廃塔が一本そびえ立っている。灯台のような作りになっているが、設定的には単なる見張り台だ。塔の一番上には最初レアアイテムがおいてあったらしいが、詳しいことはわからない。
エーコはギルトシュタインを少し見てから来るとのことだったので、かの街に踏み込みたくないぼくは、廃塔が見える山小屋で彼女と落ち合うことになっていた。
「……そろそろ、か」
山小屋の中にあった、木を切ってただ組み合わせただけのワイルドなテーブルにつき、ぼうっとしながらつぶやく。
一応、準備はしてきた。剣士相手に剣を振りやすいように、自分の筋力より少し低め要求ステータスの片手剣を入手してきたし、投剣の補充も十分。幾つかダンジョンを攻略して、結晶アイテムのたぐいも準備した。そして手には《狼の掌》も嵌めてある。
空いた時間で相手方の情報収集もしようと試みたが、あの《鼠のアルゴ》でも容疑者を絞り込むのが難しいということだった。オレンジギルドの数も増えてきているし、仕方ないのだろう。できれば凶悪な相手でなければいいのだが……。
腹の調子もいい。心因性の痛みは微塵も感じない。このまま、特に何もならないことを祈ろう。
頭のなかで確認をしていると、硬いが、ぬくもりのあるノックの音が木製のドアから響いた。一呼吸おいて扉が開く。エーコの登場だ。
今日は街中でいるのとは違って、しっかり装備を整えてきている。身の丈よりも大きな槍を背に負い、白と深緑の防具をつけている。あまりゴツくはないが、青錬鉱と緑錬鉱を混ぜてできるセラドナイト鋼が使用されている分、防御力は安心できるはず。
正直、ぼくの装備よりも強いので、以前装備を見せてもらったときにどうやって手に入れたのかを訊いたことがあるのだが、曰く「親切なおじさん」とご飯を食べたらもらえたとのこと。末恐ろしい女の子である。
その誑かしの天才女子は山小屋の中にぼくの姿を見つけると、安堵のため息を漏らす。
「よかったぁ。ちゃんと来たんだね」
開口一番、失礼なやつだ。でも、人を信用しすぎるよりは、このくらいのほうがいいのかもしれない。
「来なかったら、どうする気だったんですか」
「そんなの、今日はとりあえずすっぽかすしかないじゃん!」
まあ、そうだろうな。我ながらつまらないことを訊いてしまった。
ぼくはゆっくりと立ち上がると上着のポケットから両手を出して肩と首をぐるぐると回した。エーコが不思議そうに見てくるので、苦笑しながら説明する。
「大事な戦いの前とかにやっとくと、集中できるんですよ」
「ふーん。へんなの」
「自分でもそう思います。本当に」
一種の、トラウマになっているのかもしれない。
ストレッチを終えてエーコと一緒に山小屋を出る。山間の奥には灰色の塔がそびえる。塔の一階に当たる部分は巨大なホールのようになっているので、例のオレンジプレイヤーとはそこで落ち合うことになっている。
システムウィンドウを開いて時間を確認する。六月十九日。時間は十三時五十分。予定の時刻は十四時ちょうどなので、オンタイムだろう。
無言で歩いていたから暇になったのか、エーコが不満げに口を開いた。
「……結局さー、一回しか打ち合わせしなかったけど、大丈夫なのかなー。連携とかさー」
「基本的に戦うのはぼくなので、いいんですよ、それで」
ただ、エーコが不安に思うのも無理はないだろう。
初めましてのときに幻の痛みに襲われて逃げるように部屋を去ってから、一度、それも一時間程度話をしたきりだ。理由はひとつ、下手にまたパーティに誘われて、幻痛が来るかもしれないと思うと少し怖かったから。自分でも情けない理由ではあるが、痛いのが怖いのは人類皆同じのはずだ。
廃塔の麓までたどり着くと、ぼくはエーコを木の陰に隠して、塔周囲を一周探索する。何体かモンスターは襲ってきたが、プレイヤーは見つからない。となると、やはりすでに塔の中にいるのだろう。
一周してからエーコに合図を出して、塔の入り口まで呼び寄せた。
「周囲に怪しいところはなかったので、中にいますね」
「みたいだね……」
脳天気なエーコも流石に固唾を飲んでいる。ぼくは剣を抜いて、扉に手を当てた。エーコの方を見ると、彼女も槍を構えて頷く。
「準備、いいよ」
「じゃあ、行きますよ……!」
思い切り扉を開けて、ぼくは一呼吸で塔に入った。割れた壁面や天井の隙間から昼下がりの陽光が燦々と入ってきている。光と影のコントラストが地面に落ちて、幻想的だ。
「……あなたが、《練気術》の使い手……」
影になっていて見えない場所から男の声が響いてきた。数歩分の足音とともにその姿をあらわす。
「……教えてもらおうか、《練気術》のスキル入手条件を……」
濃い緑色の布に身を包んだ長身の男。布は頭まですっぽりと覆っているが、所々の隙間からは鎧が見えている。剣を抜いていて、わかってはいた事だが、穏やかな様相ではない。
ぼくは一歩、エーコの前に出て声を張った。
「……何故、《練気術》を追うんだ!」
「力が必要だからだよ。攻略組と渡り合うために」
緑布の男は更に近づいてくる。カーソルは、やはりオレンジ。窃盗か、傷害か、あるいは殺人か。どれだかわからないが前科を持っている。そして、時間があったにも関わらずオレンジを元に戻すクエストをやっていないあたり、日常的に犯罪行為に手を染めているプレイヤーだ。
「オレンジになってまで、攻略の最前線に立ちたいのか?」
「まさか。その逆だよ。クリアされたら困るんだ。こんな面白いゲーム、終わらせるわけには行かないだろう?」
「ゲームじゃない。いつ死んでもおかしくないんだぞ、この世界では」
「現実も同じだ。事故や病気でいつ死んでもおかしくはない。だったら、楽しい方がいいじゃないか」
「本気で言ってんのか……」
この男は自分がこのゲームを続けたいという理由だけで他プレイヤーに凶刃を向け続ける気なのだ。
「狂ってる……」
エーコが嫌悪感たっぷりにまともなことを言う。
緑布の男は歩みを止めた。小さく悲鳴をあげるエーコに合図をして後ろに下がらせる。
「どうやら、素直に《練気術》について教えてくれる様子では無いねぇ」
「そうかもな……」
そもそも、自分でもどうやってスキルを入手したかはわからないんだ。教えようがない。勿論、知ってても教えようと思えない。
すると緑布の男は、ふ、と小さく息を吐き、一目散に走ってきた。
「良い教師になれるよう、追い詰めてあげよう!」
「……勘弁してくれよ……」
緑布の男は剣を上段から打ち下ろしてくる。ぼくは剣を真横に構えて弾いた。間髪入れずに下段からの突きが来る。たまらず《狼の掌》を装備した左手で跳ね除ける。速い。ソードスキルを使っているかのような速さだ。
「ほう……その手袋、剣を受けられるのか」
緑布の男は言いながらも次々と剣撃を放つ。ぼくはどうにかすべての攻撃を受け、躱してから、たまらず距離を取った。
いくらなんでも速すぎる。一部の上位プレイヤーの細剣の速度と変わらない。それに、全くソードスキルを使ってこないのは、スキルを見破られるのを警戒してのことか。苛烈さと冷静さを織り交ぜたような連撃だ。
しかし、気になるのはその剣の腕だけではない。剣そのものも特徴的すぎる。
「……その剣」
見たことがある。だが、そんな馬鹿なことがあるか。
あの剣には要求ステータスがない。あれは《はじまりの街》で購入できる一番弱い剣だ。ある程度の筋力ステータスがあれば確かに凄まじいスピードで操れるが、今のレベル帯であれば攻撃力は殆ど無いに等しい。
「ふ」
緑布の男が再度攻めてくる。ぼくはあえて構えない。
攻撃力の無い剣であれば、攻撃を無視してこちらから大きめの一撃を与えてやればいい。と、そこまで画策してから、すぐに考えを改めた。
すんでのところで剣を受け止め、弾く。今度は緑布の男が距離を取ってきた。
「気付いたか」
「……その剣、強力な麻痺毒か何かを塗ってるな」
一対一であれば、麻痺さえさせてしまえば勝てる。相手の動きを鈍らせたら、あとは攻撃力の高い武器に持ち替えてしまうだけ。麻痺毒を当てるだけならば軽い剣を使ったほうが有利だということだ。
おそらく敵の体感として、あの剣の重みはペンを握っているのと大差ないだろう。
「さあ、どうかな」
緑布の男は不敵に構え直す。
はぐらかされたが十中八九、ぼくの推理は正しいはずだ。であれば、後ろに控えているエーコに合図を出して二対一に持っていったら混戦になって危険度が増す。
それにしても、対人のみにおいてよく練られた戦術だ。……本気で、人を殺しているんだ。
「次」
緑布の男が一撃を入れようと踏み込んでくる。ぼくは必死に弾き続けるが、相手の方が剣速が圧倒的に速い。左手も使って何とかカバーをするものの、無茶苦茶な速さだ。やはり集中力が切れてきて、ぼくは姿勢を崩しながら無理矢理に距離を取った。
敵も無理をする必要はないと考えているのか、距離をとることをすんなりと許してくれる。
……こうやって、徐々にいたぶるつもりだろう。
「セン……」
背後からエーコの声が聴こえる。ぼくは「もう一歩下がれ」とだけ返した。
緑布の男は麻痺剣を構え直す。
「いつでも、投降は受け付けているぞ」
彼の態度はあくまでも余裕。ぼくは後悔した。もっと対人戦について考えるべきだった、もっとエーコと連携について話しておくべきだった、と。
「……ああ、もう」
ぼくはそうつぶやいた直後、不意打ち気味に背中のナイフを相手に投げる。が、難なく弾き落とされて終わる。
「まだまだ、投降するつもりにはならないようだな」
「当たり前だろ」
こっちにはまだ『奥の手』だってある。エーコに見られているのは少し痛いが、《練気術》を使うしか無い。
ぼくは剣を逆手に持って振りかぶり、槍投げの要領で投げた。同時に前へ走り出す。
「む……」
緑布の男は剣を弾き落とすのではなく、避けた。そうだろう。最弱の剣の強度では受けきれまい。その避けた先に向かって、ぼくは走りながら《波動撃》を放つ。男は無理な姿勢でそれも避けた。男の体勢が崩れる。
ぼくはひとっ飛びに急接近し、右拳を左肩の方まで引きつける。右拳が淡く光り始め、そこから逆袈裟に拳を打ち下ろす。ソードスキル《打鋼発勁》。《練気術》の近距離スキルだ。
「く……!」
反射的に動いたのだろう。緑布の男はその麻痺剣で受け止めた。《狼の掌》で固めた一撃を受けきれるわけもなく、麻痺剣は木っ端微塵に崩れ落ち、光の破片となった。
すぐに、左手で敵の襟元の緑布をつかみ、右拳を顔の目の前に突き出してやる。この距離になって初めて男の顔が見えた。無精髭を生やした赤髪の中年男性。怯えた表情をしている。反抗の兆しもみえない。
「これは、お前一人の犯行か」
「ち、違う……。俺自身はソロで好き勝手やっていたプレイヤーだ。あんたを探すよう依頼を受けただけなんだよ」
「……好き勝手、ね」
追い剥ぎも殺人もそうだし、麻痺毒にかけてしまえばハラスメント警告も関係ない。死にたくなければ、と迫ってしまえば。
想像するだけでも色々できそうだし、実際していたのであろう。ある意味、無理やり喋らせている今のぼくも同じだ。……胸糞が悪い。
「依頼主は誰だ」
「わからない」
左手に力を込めて、少しだけ締め上げる。
「本当だ! 依頼主はわからない! ただ……」
「……ただ?」
「《匣の教団》と名乗っていた。本当に、それしかわからないんだ。俺も調べようと思ったけど依頼自体がブローカーを何重にも通してて、追えなかったんだよ……」
「匣の教団……分かった。もう十分だ。あとは黒鉄宮の牢獄で寝ててくれ」
許しを請う緑布の男の声をよそに、ぼくは疑問を浮かべる。《匣の教団》というからには宗教団体だろうか。それとも、何か別の目的を持った集団か。とにかく、オレンジプレイヤーを差し向けてくるあたり穏やかではなさそうだ。
どうにかしないと、いけないな……。
○
「それで、オネーサンのところまで聞きに来たってわけカ」
アルゴはぼくの目の前で大きく伸びをしながら、小さくため息を付いた。
十一層、タフトの路地裏でぼくはアルゴを捕まえて、《練気術》についてを伏せたまま、今回の顛末を話した。聞きたいのは勿論《匣の教団》について。あと……。
「……ボディーガードの報酬も」
「……欲が深いナ」
「その言葉、そのまま返すよ」
アルゴから送られてきたコルを受け取りながら、ぼくは話を続ける。
「少し調べたんだけど、例のオレンジプレイヤーが言っていたとおり、裏の依頼のブローカーを何重にも通してて、依頼主まではたどり着けなかった」
「そこまで調べているなら、分かるだロ」
アルゴが腕を組んで、路地裏の壁に寄りかかる。フードの裾から金色の髪がゆらりと覗いた。
「ギルド《匣の教団》のギルドメンバー――彼らは《信者》と呼んでるけど――の数がじわじわと増えてきてル。目的は――」
「――『浮遊城で一生を全うすること』」
ぼくはアルゴの言葉を引き継いで答えた。
あの緑布の男が声高にのたまった主張は、驚くことに彼だけのものではなかったらしい。《匣の教団》全体の理念でもあったというのだ。
アルゴは険しい表情をする。彼女もその理念自体を快く思っては居ないのだろう。
「……オイラも少し、調べてみるヨ。ただ、他の仕事もあって手一杯だから少し時間はかかル」
「悪いな」
「問題なイ。例のオレンジプレイヤーの麻痺剣の手口と情報で十分お釣りが来ル」
そういえば、アルゴは情報において義賊のような人物だった。あの危険な手口が、対策と一緒に周知されるならぼくにとっても悪い気持ちはしない。
「次の攻略本、楽しみにしてるよ」
「任せロ。……で」
急にアルゴがからかうように声のトーンを明るくした。
「エーコはどうだっタ? 悪いやつじゃ、なかっただロ?」
「それは、まあ……。でも、パーティ組んだりとかは、考えられない」
「あんなにかわいいのニ……」
「それは関係ない……。全く。調子が狂うから、今日はもう失礼する」
「おう。またよろしくナ」
ぼくはアルゴの元を去って、別の路地裏を征く。
エーコには頼み込んで、《練気術》のことも《狼の掌》のことも秘密にしてもらうように伝えた。十五歳と言っていたし、大なり小なりショックは受けている様子だったけど、その数日後に訪ねたときにはもうあっけらかんとしていた。「あのおっさんに犯されなくってよかったー!」とまで言っていた。
多分、もう大丈夫だろう。
ただ……すべてが丸く収まったわけではない。
ぼくは足を止めて振り返る。このところ数日、誰かにつけられている。おそらくは《匣の教団》の関係者だろう。
ずっと気にしないふりをしていたが……。アルゴも調べてくれると言っていた。他人が手伝うと言ってくれているのに、当の本人が手がかりになるかもしれないものごとをみすみす逃す訳にはいかないだろう。
一呼吸おいてからぼくは勇気を出して、誰の姿もない通りに向かって呼びかける。
「……誰だ。出てこい」
一秒、二秒、三秒。それから一人の男が出てきた。
金髪に、色黒の肌。いやらしい笑みを浮かべ、高らかに笑う。
「お前……!」
「やーっと声をかけてくれたなァ、セン。本当はずっと気がついてたんだろ? 怖くて逃げ回ってたわけだ」
彼の名は、トーマ。ぼくがパーティを組めなくなった直接の原因だ。
トーマはにたにたとした笑みを浮かべながら一歩、一歩と近づいてくる。反応するように、ぼくの腹部がじわじわと痛くなってきた。
「こっちに、来るな……!」
「何をびびってる……《圏内》でヘマやらかす気はねーよ。せっかく今はオレンジじゃないんだ。ちょっと話をしに来ただけさ……」
トーマのカーソルは緑色になっている。犯罪をなかったことにするクエストを攻略してきたのか。だけどそんなことより、痛みがどんどん強くなっていく。これがバレたら、どんな目に合うかわかったものではない。我慢、しないと。
「話すこと、無いけどな……ぼくは……」
「そうかい。まあ聞け」
トーマは立ち止まり、転移結晶をその手に取り出しながら言う。
「《匣の教団》は探してる……死にかけの犬みてぇに震えてないで、ちったぁ周りを見ることをおすすめするぜ……」
そして「転移、二十五層、ギルトシュタイン」と唱えると、彼は自身の脇腹を叩き、ぼくを指差し嘲笑して姿を消した。
この『痛み』に気付いてやがったんだ……。
ぼくは悔しい気持ちと、まだまだ強くなる痛みに膝をついて、倒れる。仰向けになって空を仰ぐと、ぼくの不安と恐怖を表すかのように、曇天が広がっていた。