ソードアート・オンライン ―ファダーズ・ストーリー―   作:網緑 錆

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■第四話:裏秘鍵(後編)

 他のオレンジプレイヤーに疑われないためにも、此処から先は慎重に行かなくてばならない。まずは、ぼくがエーコを軽く攻撃してオレンジ化すること。そうすれば『圏内で獲物を誘惑して圏外におびき出す担当のエーコと、圏外で獲物を仕留める実行犯のぼく』というオーソドックスなオレンジプレイヤーの組み合わせになって怪しまれにくくなるはずだ。

 

「……エーコ。打ち合わせ通りに」

 

「はーい。……よいしょ」

 

 返事の後にぼくに背中を向けると、なぜだかお尻を突き出してくるエーコ。そして、顔だけ振り返って甘えた声を出す。

 

「……おもいきり、ぶってください、ごしゅじんさま……」

 

「ほーい」

 

 ぼくは《狼の掌》を装備した右手でエーコのネジの抜けた頭を叩く。

 エーコは「いた!」と小さな悲鳴を上げた。同時にぼくの頭上のカーソルもオレンジへと変化する。

 

「へへ……容赦ないところも素敵だぜ、セン」

 

「なんか最近エーコとの付き合い方がわかってきた気がする」

 

 ぼくはエーコに回復用のアイテムを渡しながら言った。エーコは受け取ると即座に飲む。結晶アイテムじゃないので、効果が出るにはラグがある。とはいえ加減した分、そこまで大きいダメージにはなっていないようだ。

 ぼくたちは洞窟の中に入っていく。中はランタンが一定間隔でぶら下がってて結構明るい。酸欠にならないのは、ゲームでよかったってところか。

 暫く進むと、巨大な開けた空間に出た。

 

「……ここが……。すごいな……」

 

「ここの人たち全員悪人かと思うと、複雑だけどね……」

 

 空間は巨大なお椀状になっていた。ぼくらがいるのはお椀の淵の部分にあたる。お椀に沿って螺旋状に溝が掘られており、この溝を伝って更に地下へ行けるような仕組みになっている。

 溝とはいったものの、その幅は十メートルはあり、一部のオレンジプレイヤーはそこで露天を開いて戦利品を売っていた。所々、壁に洞窟の入口のようなものが見える。四十七層の色々な場所と繋がっているようで、今もまた、新たなオレンジプレイヤーが入ってきていた。

 

「よー、新入りかい」

 

 一人の男性プレイヤーが立ち尽くしていたぼくとエーコに話しかけてきた。全身を《緑錬鉱》の装備で固めている。ミドルレンジクラスのプレイヤーだろう。頭もガッチリ固めていて、口元しか見えない。彼はぼくたちの返答を待つことなくガサガサした声で続けた。

 

「初めて来たなら驚いただろう。ここは《オレンジマーケット》。圏外の人間にとっての安息の場所。戦利品の売買もできるし、暗殺の依頼もできるし、女を買うこともできる。そして――」

 

 饒舌に話しながら、彼は無数にある洞窟のうちの一つを親指で指し示した。洞窟の入り口にはOMHと書かれた看板がかかっていて、強そうなプレイヤーが一人、武器を構えて立っていた。

 

「――ゆっくり安心して寝ることもできる」

 

 宿屋の勧誘だ。《OMH》というのは、オレンジ・マーケット・ホテルの略かなんかだろう。ぼくは首を横に振った。

 

「……悪い。他所で寝てきたんだ」

 

「こりゃ残念。じゃあ名前だけでも覚えていって。プレイヤーネーム『発芽米』と申します」

 

「『発芽米』……」

 

「そ。後あそこで店番してる『おろおろざむらい』と『水が欲しい』ってやつもうちの人間なので、ぜひ覚えていってね」

 

 ぼくは「ええ……」と引き気味に頷いてから、少し考えて思いつく。《OMH》って、《おろおろざむらい・水が欲しい・発芽米》の略だ。

 発芽米はぼくとエーコを交互に見てからほくそ笑んで付け足す。

 

「うちなら鍵ついてるから何しても大丈夫。別に寝るだけが使い方じゃないし。気が変わったらうちにおいで」

 

「は、はい……」

 

 呆然とするぼくに発芽米は満足げに頷いて、他のオレンジプレイヤーへ営業をかけに行ってしまった。

 横を見ると、エーコも呆れたような顔をしていた。

 

「変な名前……」

 

「感想そこかよ」

 

 確かに変な名前だが、他のオンラインゲームではよく見かけるレベルだ。VRになってからこういう名付けはめっきり減ったものの、それでもまだ一定数は見かける。SAOはファンタジーだから少ないのだろう。同じVRでももっと荒廃した……例えばFPSのような世界だったら『変な名前』の人も増えるかもしれないな。

 ぼくとエーコは気を取り直してオレンジマーケットを地下へ地下へと進む。転移結晶はオブジェクト化してポケットに忍ばせてあるし、何かあっても大丈夫だろう。ただ、こんな場所で《練気術》を使ってしまったら、力がすべての彼らに狙われて、後々ややこしいことになりそうだ。そこだけは気をつけよう。

 歩きながら露天を見てみるが、どうやら品物自体は変なものがあるわけではないらしい。強いて言えば、普通の主街区で見るよりかはNPCから無限に買えるような回復アイテムなどの消耗品が充実している。値段はNPCよりも高い。圏内に入れないオレンジにはそれでも需要があるのだろう。経済の仕組みを感じる。

 後、圏外ではあまり見かけなかったという意味で特筆すべきは、娼館のような施設だろうか。数は少なく予約制のようだ。娼館入場券の抽選をしている場所もある。

 確かにフルダイブとは言え、性欲が全くなくなるわけではない。自制するのに苦労する人にとってはこういう場所は、どうしても必要なのだろう。今までの歴史が示してきたように。

 

「ねー、セン。あれ」

 

 エーコがぼくの袖を引く。娼館の方ばっかり見ていたので何か言われるのかと思ったがそういうことでは無いらしい。彼女が指差す先、ある一つの洞窟の入り口に、見覚えのある緑色の布を巻いた男が居た。

 

「……わかりやすくて、助かるな」

 

 今までぼくに襲撃をかけてきた《匣の教団》の刺客は、出自がどうであれ、皆緑色の布を巻いていた。ぼくを精神的に追い詰めるための示威行為のひとつでもあるのだろう。

 その緑布を巻いた男が、いる。どう考えても教団関係の人間だ。

 

「……行ってみるか」

 

「センは隠れてたほうが良くない? 見つかったら危ないと思うよ」

 

「いや……」

 

 ぼくは周りを見渡す。

 オレンジと緑と様々なカーソルのプレイヤーが居るが、緑の布を巻いている人間はほぼ居ない。オレンジも一枚岩というわけではない。《匣の教団》もいれば《ラフィン・コフィン》もいるし、《OMH》の三人組もいる。目的はてんでバラバラだ。

 ……ならば、オレンジの中にも『浮遊城で一生を全うする』という尖った目的に反発するような人間がいるかもしれない。いや、確実にいるだろう。そんな可能性がある中で彼ら教団が騒ぎを起こすだろうか。

 

「大丈夫だ。二人でいこう」

 

 ぼくはエーコと連れ立って緑布の男に近づいていった。

 男はぼくたちに気が付くと、話しかけてきた。

 

「おい、君たち。この中に用があるのか?」

 

 ぼくが《練気術》の使い手だと気がついていない。いや、もしかしたらぼくのことを追っているのは刺客だけなのか……? ならば、誤魔化しようはある。

 咄嗟に洞窟の入り口に置かれた看板を盗み見た。『坑道二百十三』と書かれていて、その看板の近くに小さなごちゃごちゃとした看板が置いてある。小さな看板には商店の名前らしきものが並んでいた。

 

「……ええ。戦利品の売却と、何か掘り出し物でも流れていないかなと。入ったらまずいですか?」

 

 もっともらしく嘘の説明をしてから質問を投げかけると、緑布の男はぼくたちのことを怪しむ様子もなく、大きく頷いた。

 

「そうだな。今はここに入らないほうが――」

 

「――困るよぉ。お兄さん」

 

 緑布の言葉を遮るように、気怠げな女の声。洞窟から一人の女性が出てきた。背が高く、全身を灰色のマントで覆い、頭もフードで隠している。口紅を塗った口元は見えるが、鼻から上はそのフードの下に装備している鎧で見えない。

 

「やけに人の数、少ないと思って様子を見に来てみたら……。商売できないよ、これじゃあ。《匣の教団》さんは出禁にしても良いんだよ?」

 

 注意された緑布の男は舌打ちした後「わかったよ」と返して、去って行った。それを見届けて、灰色のマントの女はぼくとエーコに向き直った。

 

「ごめんねぇ。何か必死でね。彼ら。……坑道二百十三、見てくと良いよ」

 

 女性はそう言い残し坑道に引き返していく。何か、よくわからないうちに解決してしまった。と同時に、手がかりの緑布の男がいつの間に消えてしまった。

 

「『必死』って言ってたね。あのおねーさん」

 

「教団が『必死』になっても守りたいものか何かがある、ってことだよな。ここに」

 

 ぼくはエーコと顔を見合わせてから、小さくうなずき、『坑道二百十三』に入っていった。

 坑道は幅五メートルほどで、十分に人がすれ違えるような広さがあった。無数の露天商が品を出していて、それを見定めている人もいる。露天商にはオレンジが居ない。オレンジプレイヤー相手に商売しているというだけで、盗みなどは行っていないのだろう。

 単純にカルマ値を下げるクエストをやっているだけなのかも知れないが。

 ずっと先を見ると、人混みに紛れてさっきの女の人がゆったりと歩いていた。彼女は《匣の教団》の名を出していたし、何か知ってるかもしれない。エーコに目配せをし、頷き合ってからついていく。

 人混みに紛れながら尾行していくと、また開けた場所にでた。道の幅が何倍にも広くなり、人通りも多い。雑踏が耳障りだ。その中でも人が一番固まっているのは坑道の脇。壁一面を掘るような形で作られた石窟のような巨大神殿が現れた。

 どうなっているんだフローリア。あんなにキラキラした花のフロアの地下にこんなものが広がってるなんて。

 

「ここはね、《思い出の丘》の地下に当たる場所なのさ。だから反魂のための装置として神殿が隠されている。このゲームの設定的にはね」

 

 背後から声。ぎょっとして振り返ると、つけていたはずの灰色マントの女性。さっきまで前に居たのに、いつの間に。

 

「来ると思ったよぉ。お兄さんたちも興味あるんだろ。うちにある《裏秘鍵》に」

 

「《裏秘鍵》……!」

 

 ぼくは思わず復唱する。あっさりと手がかりが見つかってしまった。焦らないようにはしたかったが、落ち着きを取り戻せずに質問を投げる。

 

「あ、あなたの店はどこですか?」

 

「そこだよぉ。神殿の中。面白い見世物もやってるから、見ていくと良いよぉ。じゃあねぇ」

 

 用事か何かあるのだろうか。それだけ言って去っていく。どうせなら店の名前くらいは聞いておけばよかった。

 まあ、神殿の中という手がかりはもらえたんだ。充分たどり着ける。

 

「いつの間に後ろに居たんだろー。……しかし、見世物ってなんだろね」

 

 隣のエーコが先程の女性の後ろ姿を見やりながらつぶやく。見世物と言うからには、展示されているのだろうか。……とにかく。

 

「行けば分かるだろう」

 

 人混みをかき分けて神殿の中に入っていく。茶色い硬そうな岩石が削り取られて出来た壁には壁画のようなものも描かれている。光源はすべて松明だ。何故か、荒々しい野次が響いている。

 神殿の入口は大きなホールになっている。中央突き当りには謎の一対の巨大な立像が向かい合うように立ち、左右の脇には上階へ続く長い階段が見て取れる。一応、探索できるダンジョンのような作りになっているが、階段を登って探索しようという人間は見当たらない。全員が全員、一対の立像を囲うようにして集まっている。

 

「おらぁ! 絶対勝てよ!」

 

 またひとつ野次が聞こえてきた。群衆の注目する先、神殿中央の立像のあるところに目を凝らしてみると、闘技場らしき柵が見えた。中にはプレイヤーが何人かとモンスターが何体か、人々の隙間から見える。……戦っている。面白い見せ物というのは、これか。

 だが、入場料を取られたりというのはなかった。これでは収益につながるまい。ならば……賭け試合。店が元締めとなって上前をハネれば儲かる。だとしたら、試合に挑戦する者のモチベーションは――。

 

「――そうか。《裏秘鍵》が賞品だ」

 

 手がかりがパズルのピースとして合致する。《裏秘鍵》が普通に店で売られているのであれば、コルにものを言わせて購入するプレイヤーが出てきても全くおかしくは無い。それなのにエギルは「あと数日間は出ている」と言っていた。それはこの見世物の開催期間で、これが決着するまでは《裏秘鍵》がここから動くことはないということ。

 であれば、この闘技場の参加者に《匣の教団》がいる。それもこんな重要任務をこなすような信用のある手練。幹部クラスだ。

 

「エーコ、もう少し前に出るぞ」

 

 もっとよく見ようと一歩前に出た瞬間、ぼくの首筋に刃物が突きつけられる。心臓が踊る。動揺を押さえつけて隣のエーコを盗み見ると、別の男に、同じように首筋に刃物を突きつけられていた。《はじまりの街》で購入できる安い剣……麻痺剣だ。

 

「両手をポケットから出して、静かについて来い」

 

 ぼくが何かを言う前に刃物の主はそれだけ言う。『詰み』だ。麻痺させられてないだけ、マシというものか。

 

「……わかった」

 

 ポケットから手を出しながらぼくは後悔した。エギルに散々、気をつけろと言われていたのに……。

 刃物の男はぼくの首筋に当てていた剣を滑るように背中に移動させていく。そして、耳元で「歩け」と指示を出してくる。未だ野次が飛び交う集団を回り込むようにして、神殿の脇の方へ。エーコもぼくと同様に歩かされていた。

 神殿の脇の階段を登っていく。ひと気がない。少し経つと、もう野次も聞こえなくなってきた。ぼくとエーコ、そしてぼくらそれぞれに刃物を突きつける謎のふたりの人物の足音だけが響く。

 

「《匣の教団》か」

 

「喋るな」

 

 質問も許されないらしい。しばらく登ると、階段の脇に一つの扉が見えてくる。扉の前で「止まれ」と言われ、ぼくは立ち止まった。刃物の男がぼくの後ろから重い声をあげる。

 

「《練気術》のセンを連れて参りました」

 

「ありがとう。通してくれ」

 

 中から落ち着きのある青年の声が聞こえてくる。刃物の男は「かしこまりました」と返した後に続ける。

 

「一緒に、仲間と思しきプレイヤーも拘束しております。『リスト』には無い名前です。いかが致しましょう」

 

「ほう……予想外だ。では、別室に。まだ、手は出すな」

 

「かしこまりました。……行け」

 

 部屋の中にいるのは刃物の男たちの上司に当たる人間らしい。片方の刃物の男は上司の指示をきいて、エーコを、更に階段を登らせて連れて行く。すれ違いざまにエーコが泣きそうな顔でこちらを見てきた。ぼくは己の不用心さを悔いながら見送る。

 

「貴様も、行け」

 

 耳元で声。ぼくは階段を登っていくエーコから無理やり目を引剥し、ゆっくりと扉を開ける。神殿と同じ石造りの大部屋をランタンと燭台の火が照らす。部屋の奥には大きなデスクが置いてあり、一人の男が腰掛けていた。

 また、耳元で声がする。

 

「連れてまいりました」

 

「ありがとう。下がっていてくれ」

 

「……ですが」

 

「大丈夫。彼も下手な真似はしないさ。『仲間想い』ならば」

 

 腰掛ける青年の命令で、背中に当たっていた刃物の圧が消え、しばらくしてから扉が閉まる音がする。振り返ると、さっきの刃物の男は居なくなっていた。

 視線を前に戻すと部屋の奥にいる青年は立ち上がった。白い髪、理知を象徴するようなフレームの細い眼鏡、切れ長の瞳、長身。白地の服の上に、胸部を革や鉄系統を主体とした板鎧で覆っている。そしてその上に足元まで来るような深い緑色のコート。見たことがないタイプの防具。多分何らかのユニークアイテムだ。

 彼は先程「『仲間思い』ならば」という言葉を口にした。つまり、エーコは人質にされていると考えていい。下手に暴れるわけには行かない。

 

「……誰だ」

 

 ぼくは、焦りと悔しさを押さえ込み、青年の名を問う。青年はぼくの方に歩いてきて、三歩の距離をおいて立ち止まる。

 

「はじめまして、このゲームにおける《練気術》の唯一の使い手、セン。私の名はヴァン。《匣の教団》を率いる者だ」

 

 ヴァンと名乗った、こいつが《匣の教団》のギルドマスター。

 こいつのせいで、散々苦しめられたんだ。仮想世界だからそんなことは無いのだろうけれど、怒りで顔が熱くなるような感覚が襲う。

 

「お前が……お前、目的は、何なんだ!」

 

 凄んでもヴァンは一ミリも動かない。淡々とその顔に微笑みを浮かべながら、口を開いた。

 

「我々の目的か……。すでにその答えには達しているのだろう? 君には優秀な情報屋の知人がいる」

 

 アルゴのことか。じゃあ、彼らの行動指針が『浮遊城で一生を全うする』という馬鹿げたものだという情報に誤りは無いということだ。

 

「その目的のために、《練気術》を欲する意味は何だ。力なら、他にもいくらでもあるだろう」

 

「違うな。力を求めているわけではない。求めているのは『鍵』だ」

 

「『鍵』……? 《裏秘鍵》のことか」

 

「それも『鍵』の形の一つ……。最後の一つの『匣』にたどり着くために、多くの『扉』を開かねばならない。そしてその『扉』の全てに『鍵』が必要なんだ、セン。分かるか?」

 

 友人のように語りかけてくるヴァン。言っていることが比喩に偏りすぎていて、いまいち具体性がない。……逆を言えば、具体的には教えるつもりが無いということか。

 ぼくが何も言わずにいると、ヴァンは続ける。

 

「『鍵』がなければ『扉』は開かない。《練気術》は『鍵』の一つだった。我々に必要だった」

 

 そしてヴァンは、ぼくに手を差し伸べてとんでもないことを言い放つ。

 

「君は『鍵』だ。共に来ないか。共に目指そう、『扉』の向こう側を」

 

「はァ……?」

 

 ぼくは、素っ頓狂な声をあげる。この男は何なんだ。

 

「ぼくが、お前らに力を貸す理由は、無い。『浮遊城で一生を全うする』ってのも、興味がない」

 

 突然の勧誘に対し拒絶を返すと、ヴァンは差し出してきていた手をおろして、小さなため息を付いた。

 

「……誰もがこの浮遊城から帰りたいわけではない。現実というのは残酷だ。悲しいことも、苦しいことも、この浮遊城の比ではない。君もこの世界に来たとき、そう思ったのでは?」

 

 ――しかし、こんなにクリアに感覚が再現されるとなると、人類皆現実世界に見切りを着けて、仮想世界に生活を移したくなってしまいそうだ。そんな映画もあったっけ。

 

 確かにぼくが初めてSAOにログインした時に、そういう感想を抱いたことは覚えている。無意識のうちに、現実世界より仮想世界を上位に考えていたのだろうか。

 

「君も、辛い現実を生きてきた。そうでは無いのか?」

 

「……何が分かる。知らないくせに」

 

 ぼくは必死で言い返す。ヴァンの言葉に負けてしまわないように。

 

「分かるさ。セン。君のプレイスタイルを見ていれば……」

 

 彼は、ゆっくりと近づいてきて、その右手をぼくの肩に置く。

 

「人の裏切りに対して異常なまでに心の傷を負ってしまうのは、現実で何かがあったからだろう?」

 

 何で、こいつ、ぼくの幻痛のことを……。

 そしてヴァンは肩に置いていた手を、ぼくの頭に持っていき、なでてくる。不意にエギルの店でのことを思い出した。

 

「その一方で、人のぬくもりを求める。ぬくもりが欲しいのに、裏切りが怖くて人に近づけない。その成れの果てがソロプレイヤーというプレイスタイル……。君は、いびつだ」

 

 ぼくはヴァンの手を跳ね除けて、二歩退いた。見透かされるような彼の視線に戦慄する。ぼくを追い詰める彼の言葉は続く。

 

「逃げるな。セン。……そんな君でも、この世界に来てからは違っただろう? 痛みもあっただろうが、今の君はそれも乗り越えて、仲間と呼べる人間もいる。『人質』という、鎖を引きちぎれないほどに」

 

 上手く言い返す言葉が出てこない。事実だからだ。ある意味、真実でもある。この世界だから、スノウとパーティを組んだ。この世界だから、トーマを信用してしまった。この世界だから、アルゴに、エーコに、リズベットに、エギルに、会うことが出来た。

 ヴァンは、ぼくが作った拒絶の距離を縮めるために歩み寄ってくる。

 

「茅場晶彦は、重罪人だ。だが、私達のような人間にとっては、この救いの世界を創造した、神に等しい存在なのではないのかな」

 

 そして、再度、手を差し出してくる。

 

「どうだ、セン。私達と来ないか。……共に、永遠の『匣』を求めよう」

 

 ぼくの手が、少しずつ上っていく。そうだ、彼は間違ったことを一つも言っていない。いつも間違ったことばかりなのは、現実だ。だったら、間違ったことがあったらぼくの力でも正すことができる、この、『もう一つの現実』ならば。そのための力を手に入れられれば。

 

 ――ええ、勿論。……絶対に、生きて帰りましょう。

 

 手が止まる。脳裏に彼女の顔がよぎる。約束した。約束したんだ。ぼくは、彼女は、生きて帰ると。……約束したんだ。

 

「……どうした、セン」

 

 ぼくは、中途半端に上げた手でヴァンの差し出す手を押しのけた。

 

「……悪い、先約があって。生きて現実に帰らなくちゃいけないんだ」

 

 言ってから、ヴァンの顔を見る。

 

「エーコを人質に取るなら、ぼくは言うとおりにしよう。でも、共に行くことは出来ない。お前らの目的に、ぼくは相容れない!」

 

 ヴァンは、ぼくの顔を見た後、押しのけられた彼自信の右手を悲しそうな表情で見つめ、ぼくに背を向けた。

 

「そうか。仕方あるまい。ならば、今はまだ、君に干渉するのはやめにしよう」

 

 そして、元いたデスクに向かって歩き始める。彼の装備しているブーツの音が部屋に響く。

 

「君と、君の仲間も解放しよう。君の《練気術》が必要になるのは、まだまだ先だ」

 

 その白髪を揺らし、顔だけ振り返った。

 

「強く在れ、セン。『その時』まで、死ぬなよ」

 

 何処かで見たような寂しい表情だった。

 

 

 無事、エーコ含めて《匣の教団》に開放されてから、ぼくはエーコに事の顛末を話した。教団の目的、教団を率いるヴァンという男、そして、しばらくは狙われる危険性が減ったことについて。

 彼女はすっきりしないような表情をしていたが、無理やり一応納得すると、ぼくのオレンジカーソルを緑に戻すための七面倒臭いクエストを文句も垂れずに付き合ってくれた。その間聞いた噂では、三個目の《裏秘鍵》は、《匣の教団》が手に入れたとのことだった。

 ヴァンは理想の世界へ、また一歩進んだということになるのだろう。

 

 そして一月十一日。通常プレイヤーに戻れたぼくは、四十八層リンダースのリズベット武具店に来ていた。

 

「少し、遅れた。これ、《ワイバーンの鱗皮》」

 

 ストレージを操作し、大量の素材をリズベットに送る。カウンターの向こう側でリズベットはそれを確認すると笑顔でお礼を言ってくれた。

 

「ありがとー! もしかして、ソロだと大変だった……?」

 

 彼女が思っていたより日数がかかったことに対しての心配だろう。迷宮区で《匣の教団》から隠れ続けたり、《オレンジマーケット》に行っていたりで予定より遥かに時間がかかってしまった。

 ぼくは軽く頭を下げる。

 

「いや、ごめん。ちょっと色々あって、届けに来るのが遅れちゃった」

 

「ああ、危ない目にあったんじゃなかったらいいの! じゃあ、これ、依頼の品ね」

 

 リズベットがカウンターの奥の棚から白い鞘の片手剣を持ってくる。受け取って、半分だけ刀身を抜く。深い青の刀身が、つややかに輝いている。

 

「普通に研磨してたんだけど、大成功しちゃった」

 

 腰に手を当て、誇るように笑うリズベット。確かにアイテムの詳細ステータスを見ると、預ける前より強度も威力も、……名前も変わっている。《グランリッパー》ではなく、《ブルースフィア》。

 

「名前が、変わってるみたいだけど」

 

「調べたんだけど、それ、一回ナマクラになってから研磨すると、進化するみたい。刀身、光に照らして見てみて」

 

 リズベットに言われたとおり、剣を鞘から抜いてから窓からの明かりに照らす。刀身の中央あたりに薄っすらと青い円が見える。なるほど、ブルースフィア(青い球体)か。

 

「今日は天気が曇ってるから暗くてハッキリ見えないと思うけど、晴れてる時はもっと綺麗に見えるよ。……この剣はナマクラにして研磨する度にその文様が増えていって、威力が増すの。面白いよね」

 

「……うん。前の持ち主は、知らずに手放したんだろうな」

 

 ぼくは少し得をした気持ちになってから、剣を鞘に収めなおして、腰に帯びた。リズベットが更に棚から何かを持ってくる。

 

「あとコレは、報酬ね」」

 

 紺色の革製の防具だった。いつかのキリトやヴァンが装備していたようなロングコートではなく、ジャケットに近い。早速装備しようとストレージを操作して、いま装備している革鎧を外そうとしたら、リズベットが止めてきた。

 

「違う違う、それはそのまま上に装備するやつ」

 

 言われてから苦笑して、羽織るように装備する。すると、一気に身体が軽くなった。

 

「敏捷性を上げる付加効果がついてるみたい。防御力も、結構しっかりしてるよ」

 

 リズベットが解説する。今回の依頼は大当たりだ。こんなこと、なかなか無い。

 

「ありがとう。でもこれ、良いのか?」

 

「ソロ向きの防具だからかな、あんまり人気なくて」

 

 バツ悪そうに頬を掻くリズベット。ぼくは改めて装備のパラメータを見るが、敏捷性を除くといろいろな能力が万遍なく上がっていて、確かに役割がはっきりしているパーティプレイ向きではなかった。

 何にせよ、ぼくにとってはありがたい装備であることに変わりはない。

 

「助かったよ。ありがとう。リズベット」

 

「その代わり、今後共ご贔屓にね!」

 

 ぼくはリズベットに頭を下げて、早速新品の上着のポケットに手を突っ込む。そのまま武具店を出ようとすると、後ろからまたリズベットの声が聞こえてくる。

 

「今日、リンダースは雨が降るはずだから、早めに移動した方がいいよ!」

 

「そっか、ありがとう」

 

 確かに、さっき窓みたら、曇ってたな。

 ぼくは思い出し、うつむきながらドアをくぐる。

 雨は嫌だ。今日は別のところでレベル上げをしよう。装備も整えたし、また前線近くに出るのも悪くない。何より《匣の教団》の脅威が今は収まっている。どこへだって行ける。

 後ろ手にドアをしめて歩きはじめ、ふと前を見た。

 

 少女が一人、ぼくの前に立っていた。

 

「あ、スノウ……」

 

 そういえば、彼女もリズベット武具店の常連だと他ならぬリズベットに聞いた。今日はたまたま、タイミングが合ってしまったのだろうか。気まずいな。この前ノルフレト近くの森で《匣の教団》の刺客に襲われてから、話もメッセージもしていない。

 

「……セン」

 

 彼女の表情は、やはり読めない。エーコだったら何を考えているか、簡単にわかりそうなものなのに。

 とりあえず何か、会話をしないと……。

 

 そう思っていたら、先に彼女の方から話を切り出してきた。

 

「……カルマ値を下げたのね」

 

「え」

 

 出てきた言葉は、ぼくの予想していたどの言葉とも全く違うものだった。

 

「前線から降りてから、オレンジプレイヤーになってたなんて、知らなかった」

 

 この前再会してから今日まで、オレンジで居たのはオレンジマーケットのときだけ。その前なら、何度か《匣の教団》と戦う中でなったことはあるけど。

 見られていたとしたら、オレンジマーケットだ。

 

「……オレンジマーケットに、居たのか」

 

 ぼくが訊くと、スノウはこくり、と頷く。やはり、そうだったか。

 

「私は、あの緑の男の襲撃の後、センを狙うあの男について調べた。それで、たどり着いたオレンジマーケットで、あなたを見た」

 

 ぼくは、すべてを話してしまいたい衝動に駆られた。

 だが、駄目だ。スノウは聞いたらきっと、ぼくのために戦ってくれるだろう。彼女は、優しいから。

 今は《匣の教団》の攻勢が収まっているとはいえ、完全に安全というわけではない。いつか《練気術》が必要になる『その時』が来たら、ヴァンはまたぼくを捕らえに来るだろう。戦いは必至だ。

 そんな危険を、冒させるわけにはいかない。スノウは、血盟騎士団で頑張って、真っ当に前線を攻略してきたんだ。今更ぼくが足を引っ張るわけにはいかない。

 

 ぼくは、話してしまいたい言葉たちを、必死で、必死で飲み込んだ。

 

「……言えないけど、色々あって」

 

「私にも、言えないことなの?」

 

「……うん」

 

 ポツリとひとつ、雨粒が降ってきた。徐々に粒の数が増えていく。そういえば雨降るって、リズベット、言ってたっけ。

 

「……そう。わかった。……残念ね」

 

 相変わらず感情の読めない、落ち着いた声色。それでもぼくには分かる。このまま進んでしまったら、ぼくは失うだろう。

 

「ごめん……」

 

「謝らないで。力になれなくて、謝りたいのは、私」

 

 スノウが、不意に、微笑む。

 

「どうしてこうなっちゃんたんだろうね」

 

 彼女の目尻に雨粒が落ちて、涙のように、その白い肌を流れ、落ちていく。

 

「私。もう行くね。今までありがとう。セン」

 

 そう言うと、彼女はぼくに背を向けて、歩いていってしまった。雨の中、走りもせず、ゆっくり、歩いて。

 どのくらいそうしていたのだろう。ぼくは気がつくと、土砂降りの雨の中で全身水浸しになって立ち尽くしていた。

 

「……さよなら」

 

 もう、彼女の姿は見えないけど。

 

「さよなら、スノウ」

 

 その時になってようやく、ぼくは別離の言葉を返した。

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