魔法少女は突然の規則改定により、地縛霊との闘いに赴くことになる。それがどういった意味を持つことなのかも、ロクに知らないまま。

※同作者の他小説を読んでくださっている方がいるのなら、「デイズ」というフレーズにピンと来た場合それで合っています。

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魔法少女と地縛霊

 一つの噂として、こんな話がある。

 ある高校の女子生徒がいじめを苦に自殺したらしい。死人に口は無く今となっては彼女の意図など誰も理解していないが、その女子生徒は学校の屋上から飛び降りて死んだらしい。以降、霊となった彼女は今でも毎日身を投げているらしく、重力のままに落ちていく彼女と目が合ったと証言する生徒も現れた。

 しかしこの噂についてはおかしな点がある。一つは、自殺した女子生徒の名前を誰も知らないこと。何で調べてもその学校で自殺した生徒の存在など浮かび上がらず、ただこの噂のみが確かに存在していること。

 二つ目は、どうやらその学校が自殺の名所となっているらしいこと。霊が呼び寄せるのか、年に何人もの人がその校舎の屋上から身を投げ死んでいくらしい。

 ……らしいらしいと言ってばかりだが、これがこの噂のおかしな点なのである。人が校舎の屋上から飛び降りる瞬間を見た人間はあとを絶たないのだが、肝心の死体が発見されないのだ。

 生徒も教師も近隣の住民も、あらゆる人が自殺する人物を見ているのに。中には人が地面に落ちた時の音を聴いたという人もいるのに、決して死体は発見されないのである。

 飛び降りたとされる人の人物像は年齢や性別、背丈や服装に人相まで千差万別。千差万別と言えるほど多くの証言があるのにも関わらず死体は見つからない。ただ確かなことは、警察がここ数日で行方不明となった者の写真数枚を見せると必ず、自殺を見たという証言者はその写真の中から一枚選び「この人です」と指をさすのだ。

 自殺した女子生徒は実在しているのか。していなければ、どうしてこんな噂が広まっているのか。そして行方不明となった者たちが、屋上から投身自殺を図ろうとした者として目撃されているのはなぜなのか。

 現地に住む人々は、誰もこの謎について深く追及しない。それはなぜだろうか。……人が死ぬ瞬間を頻繁に見かけることに耐えさえすれば、何も考えなくて良いからである。この噂を追及した者が、投身自殺の目撃証言をされる行方不明者の一員になったことも、また有名な話なのだ。

 

 深夜の校庭に、夜空に溶け込みそうな黒いローブを羽織った女性が現れた。闇に潜むような衣装と対極にあるかのような目立つピンク色のショートヘアの彼女が、突如校庭に現れたというのは正確に言えば、空から降ってきたのである。

 見た目上の印象を優先して簡潔に述べた場合が「降ってきた」という表現になるのだが、彼女は重力に従って空から落ちてきているわけではない。重力よりも大きな力に飛ばされてきている、というのが正解なのだが、それについて正しく理解する必要や義務を背負った者などそもそもこの世に存在しない。

 彼女について、誰も正しく理解する必要はない。それでもあえて、さらに説明を加えるとするなら、彼女にはまだ一つ大きな特徴がある。

 黒ローブの女性は、自身の背丈と同じかそれ以上に大きな鎌を背負っていた。

「ここかぁ」

 暗闇に包まれ静まり返った校庭で、女性はそう呟いた。彼女にとって独り言は珍しいことではない。

 と、唯一頼れる光源である月明りによって浮かび上がった一つの影を、彼女は校舎の屋上に見た。

「あっ」

 それは人影であったが、黒ローブの女性が何かを考える暇もなく、その人影は地面に向かって落ちていった。

 邪魔をするものが何もないからだろうか。大きな肉の塊が高所から叩き付けられた音は、しっかりと校庭にまで響いてくる。その音を聴きながら、自分の目が正しければあの人は頭から落ちたので死んだだろう、と黒ローブの女性は考えていた。

 一応人影が落ちたと思わしき場所にかけつけてみると、そこには、

「うわ……」

 そこには、無数の死体があった。老若男女入り乱れた、血に濡れた死体たち。頭部の砕けているものもあれば、腕や脚がおかしな方向にねじ曲がっているものもある。一見して投身自殺死体だと思われるそれが、十や二十などというものではなく大量に転がっていた。

 思わず顔をしかめた黒ローブの女性は、こういった光景に耐性があるわけではない。中でも特に、まだ顔つきも幼い子どもの死体を見れば、言葉にし難い感情を知ることとなる。

 本能的に彼女が一歩後ずさった時に、その声は頭上から降ってきた。

「心配して損したわ。用心する必要なんてなかったのね」

 屋上から女の声がした。見上げると、屋上には学校の制服らしき衣服をまとった女が腰かけていた。……屋上から地上にまでしっかりと声を届かせるとは、よほど大きな声を出しているのだなと黒ローブの女性は思ったが、それにしては何かがおかしいとも気付いていた。

物理的な理屈を無視する存在というのは、彼女にとっては珍しくもない。なにせ彼女自身がそういった存在なのだから。

 背負った鎌を握り構えて、彼女は声を張り上げる。

「クラタ・デザイア・シズカさん、あなたを成敗しに来たよ!」

 町中に響き渡らんとする大声が、深夜の冷えた空気を震わせる。

「はあ?」

 屋上に座っていた女は、確かに彼女のことを嘲笑した。

 眼下の怪しいなりをした「敵」を否定する冷えた笑みは、そのまま敵を排除するための合図、命令となる。

「不愉快。でもあんたも仲間にしてあげる」

 最も近くそうするに適した場所にあった死体が、黒ローブの女性の足首を掴んだ。生きている人間でも到底出せないような力で、彼女の足首を砕いてしまいそうなほどに強く。

 が、彼女は手にした大鎌を躊躇なく死体に一振りする。背中に刃を突き刺された死体は、泡になって空へ上り、たちまち弾け消え去った。

「お断りだよ」

 即座に二体目の動く死体と対峙する彼女の声は、屋上までは届いていなかっただろう。だが声は届かずとも、その大鎌による異様な光景は正しく伝わっていた。勝てる相手ではないと、きっと伝わるだろう。

 二体目の死体は起き上がり襲い掛かってきたが、鎌を扱っているとは思えないほど素早く獲物を振る黒ローブの女性が難なく切り裂き、その鎌に切られた死体はまたしても泡となって消えた。

 三体目から五体目までは一斉に襲い掛かってきたが、これも薙ぎ払い消滅させる。だがその隙に這いずり忍び寄っていて六体目が、ついに彼女の足に噛みついた。

「痛っ!? この……!」

 足元の死体に鎌を振りかざそうとして、一瞬彼女の動きが止まった。その死体はまだ幼さの抜けきらない少年のものだったのだ。

 が、動きが止まったのは本当に一瞬のみだった。思考を振り払うように、ふっと短く息を吐き彼女は少年を切り裂く。例外なくそれも泡と消えた。

 続いて彼女は、すかさず自分の足を鎌で切る。すると切った傷どころか、少年の死体に噛まれた傷までもが消えてなくなった。

 まだ襲い来る死体たちを次々と消滅させながら、彼女は吠えるように屋上へ叫ぶ。

「降りてこい!」

「なっ……くそ、なにが……!」

 あの死神のような女性は、憤怒に身を任せているわけではない。死体を切り裂く鎌に、そんなものは込められていない。それは死体を操っている主にも伝わっていた。しかしそれと同時に、彼女が怒りをまったく抱いていないのかといえば、それもまた違うと理解していた。

「正義の味方でもやっているつもり!?」

 ヒステリックに叫ぶ屋上の女からは、死体を操る異能を持つ者らしい余裕や怪しさの類が抜け落ちていた。

 それに伴い、動く死体の群れが一時的に停止する。黒ローブの女性は大鎌を右手に握ったまま、ここぞとばかりに飛んだ。浮遊し、屋上まで一気にたどり着いた。

「そのつもりだよ」

 鎌を振り上げた彼女の姿は、月を背にしたこともあって「死神」と形容するのにふさわしい物だった。

 思わず死体を操っていた女は後ずさる。彼女が有する能力は、直接目の前の死神に対して害をなせる物ではないのだ。死体の群れを突破されては抵抗する術がない。

「だから、何か言いたいことがあるなら聞くけど」

「は……?」

「このまま有無を言わさずあなたを切ったら、あたしは正義の味方じゃなくなっちゃうでしょ」

 死神が慈悲に満ちたことを言っている。それをそのまま信じられる人間はそう多くない。死神に情があるものかと、鎌の射程圏内にいる彼女もそう考えた。

「遺言を聞こうって?」

「違うよ。なんかあたしに言いたいこと、抗議したいことがありそうだったから、よければ聞いてあげるよってこと」

 必要ないって言うならいいけど、と言いつつも彼女はここへ来たばかりの時のように、鎌を背中に背負った形になおった。彼女は本気で正義に反する行為は行わないつもりらしく、それは相手にも正しく伝わった。

「……まあ、私には抵抗の自由もないか」

 それを聞いて黒ローブの女性はにこりと微笑んだ。

 

 深夜の校舎の屋上に、この高校の制服を着た少女と奇妙な格好をした少女が並んで座っている。彼女らが腰を下ろしている場所は落下防止用のネットの外側であり、その気になれば少しの動きで地面へ真っ逆さまとなれる状態にある。

「それじゃあ自己紹介からね。あたしの名前はデイズ、大きく括ればあなたと同じ死者の一員です」

「デイズ? それはペンネームか何か?」

「いやいや、今は本名だよ。詳しくはあなたが望むならこれから話すから、今度はそっちの名前を聞かせてほしいな」

 はぐらかしているわけではなく、黒いローブにピンクの髪に大きな鎌というアブノーマルを盛り込んだかのような姿の彼女は、名前でさえ奇妙さが抜けることはなく「デイズ」が本名となっている。名付け主は彼女の親でも神でもない。

「名前なんて知っているでしょ。さっき叫んでいたくせに」

「コミュニケーションだよ。おしえてほしいなー」

「……倉田静。鎌倉の倉に田んぼ、静は静寂の意味」

「クラタ・シズカさんだね、よろしく」

 デイズがお近づきの印に手を差し伸べる。

「……握手に応じないと首をはねられるのかしら」

「いやいや!」

 差し伸べた手をぶんぶんと振ってデイズは倉田の言葉を否定する。

「正義の味方はそんなことしないってば」

「それはありがたいことね」

 デイズの言葉になど興味がないと言いたげに月を見上げた倉田は性根の悪そうな笑みを浮かべる。

「で、何が目的なの? 私の言い分を聞いて、それでは満足したのでさようならって、その鎌を使うつもり?」

 嫌味と敵意に満ちた視線がデイズの背負う鎌に向けられる。

「それは決めてない」

「は?」

「あたしは倉田さんが何か言いたげだったから、聞くべきだなと思っただけだよ。それからのことはまだ考えてない」

 倉田はデイズの言葉を素直に受け取れるほど単純な人間ではなかった。けれども、彼女が見た限りでのデイズという存在に対するイメージは率直に言って、物事を深く考えない馬鹿っぽい女、という風に映っていたことも事実。

「本気で言っているなら馬鹿だとしか思えないのだけれど、それを信じろって?」

「うん。実際あたし賢くないし。でも面と向かって堂々と馬鹿呼ばわりされるのはさすがにちょっと傷つくなぁ」

 そうは言いつつもどこか楽しそう笑うデイズは誰が見ても、己の信じる正義を貫く迷惑者にも見えなければ外面の良い偽善者にも見えない。ただ、半端に賢い人よりも楽しく生きていそうだ、という印象を与えるような笑顔だった。

「まあ、馬鹿で申し訳ない部分はあるけどさ。それでも話くらい聞けると思うし、会話くらいできると思うんだよあたしとしては」

「へぇーそうなの。……でも、私あんたに話すことなんて何もないけれど?」

「えっ」

 あくまで冷たい態度を貫く倉田に対してデイズはあからさまに残念そうな表情を浮かべる。人懐っこい少女が理由も分からず拒絶された時の反応を絵に描いたかのような表情だった。

「え、だってさ倉田さんはさ、あたしに「正義の味方のつもりか!」みたいなこと言ったじゃん? それはあたしの行いに何か物申すところがあったからじゃないの?」

「それはそうよ」

 デイズの頭上にはてなマークが浮かぶ。

「じゃあ、存分に物申しちゃってくださいよ。あたしはそれを真摯に受け止めたい」

「将来の夢はクレーム処理係りって感じのセリフ。嘘くさすぎるわ」

 倉田はおもむろに立ち上がり、冷たい目をしてデイズのことを見下ろす。一度チェックメイトをかけてきた相手が友好的な態度に出ているというのに、彼女はそれに対して何も思うところがないようだった。

「何か勘違いしているのかもしれないけど、私は別にあんたに命乞いをしたいわけでもないし、あんたから共感や同情を得たいわけでもないの。今すぐその鎌で私を泡に変え消滅させてくれてもいいくらい。私は消えてしまいたいわけではないけれど、消えたくないわけでもないのよ。未練なんてないんだから」

 重力の向きが変わったかのように、立ち上がっている倉田の体が前傾姿勢の形へ斜めっていく。やがて彼女の頭が真下を向く頃には、その体は空中へと放り出されていた。

 そのまま落下した彼女が、この日二度目となる人体が地面に叩き付けられる音を響かせた。

 デイズは興味深そうに落ちていった彼女のことを見下ろすように覗き込む。

「ほら、やっぱりあんた知っているのよ。私が何で、なぜ存在していて、何をしているのか」

 仰向けになって地面に寝そべっている倉田の声が、屋上までやけに鮮明に聞こえてくる。その表情までは屋上からでは距離がありすぎて見ることができないが、彼女の頭部から大量の血が溢れ出していることは明らかだった。

 次の瞬間、倉田の体は雲からワイヤーで吊られているかのように浮かび上がり、そのワイヤーが高速で巻き取られているかのような速度で素早く屋上の高さにまで上ってくる。

 何事もなかったかのように落下防止用の柵の外部分へと彼女は帰ってきた。

「あんた、私に自分語りをしろって言っているのよ。みっともないことをしろってね。お断りに決まっているじゃない、殺るならさっさとやりなさいな」

 倉田の言うことは正しい。デイズは彼女が何者なのかを事前に知っていて、その上で彼女の口から何かを聞こうとしているのだ。それを悪趣味だと言う者も当然いるだろう。

 しかし本人としては、それは悪趣味などではなく誠意として望んでいることなのだけれど。何事も伝わらなければ意味などない。

「えー、倉田さんさっきは「抵抗する選択肢なんてない」って言ってたから、なんやかんや言って話してくれると思ったのに。どういうことなの思いっきり抵抗してるじゃん、潔く成敗される方を選んでるじゃん」

 膝を抱えてぶーぶー文句を言うデイズにはそのシリアスに欠ける姿勢を見て分かる通り、おとなしく倉田を切って消滅させる気などない。彼女は正義の味方を目指しているから。

「あんたが何も知らずに、ただ私を抹殺するための存在として来ていたのなら、その時は話していたかもね。でも違うでしょう? あんたは知っているのだから」

 一度身を投げてから屋上に戻ってきた倉田はデイズの隣にこそいるものの、再び腰を下ろそうとすることはなくフェンスに背中を預けている。デイズを見下ろす視線は相変わらず冷たく敵意に満ちたものだ。

「……じゃあさ、まずあたしが自分語りをするっていうのはどう?」

「はあ?」

「そしたら、おあいこじゃない?」

 ため息を吐いたのは倉田だった。

「あんた、いつの間に私と友達になったの?」

「え、友達って言ってくれるの? うれしい!」

 舌打ちをしたのも倉田だった。

「これから仕留める相手に自分語りをする奇特な趣味をお持ちなら、私を縛るなりなんなりして存分に欲求を満たせばいいでしょう」

「あ、そう? じゃあそうさせてもらうね」

 唐突にデイズが鎌を握り立ち上がる。思わず倉田も身構えたが、現在は異能力を持っているとはいえ生前はただのか弱い少女であった倉田に、デイズの振る鎌をよけられる道理もない。

 倉田は胴を斜めに切り裂かれた。……と、絵としてはそのように見えたのだが、彼女の体には傷一つ付いていない。

「ちょっと……きゃあっ!」

 鎌を受けてしまった倉田がよろめいたかと思うと、そのまま彼女はその場に倒れこんでしまう。危うくその勢いで屋上から落ちかけたが、彼女にとってそれは取るに足らないことである。

 そんなことよりも彼女は、自分の足がいうことを聞かなくなったことに困惑していた。

「なにこれ、足が動かない……」

「あたしの鎌は物を切るためのものじゃないんだ。切った物を消滅させるものでもない」

 倉田は死体の群れと戦うデイズを屋上から見下ろして、彼女の鎌には何かを消滅させる能力があるという理解をしていた。事実切られた死体は消えてしまい、デイズ自身の傷だって切ることで治していた。あれはあらゆる物を、もしくは概念を、消滅させる刃を持った鎌なのだと、そう認識していた。

 なので、もし倉田の脚そのものが泡となり消えていれば、彼女は何も驚かなかったであろう。悪態の一つくらい吐いていたはずだ。しかし、形は残っているのに動かせないとなると、これは意表を突かれたので焦ってしまう。

「この鎌は、刃を通したものから何かを断ち切る能力を持っているんだ。だから今は倉田さんの許可ももらったし、足を動かす力を断ち切らせてもらったよ」

「許可ってあんた……やっぱり正義の味方とは程遠いわ」

「残念ながらあたしには倉田さんを縛る手段がなかったから、びっくりさせちゃったならごめんね」

 倉田は足の自由を奪われたところでショックを受けるような精神を持ち合わせていない。屋上から身を投げることくらい、仮に足が切り落とされたとしても、そう困難になることではない。彼女にはそれさえ出来れば何も困ることはなく、彼女のすることといえば体の動きに限って言うのならばそれしかないのだから、足の自由を奪われた程度で思うことはない。

「何が「ごめんね」よ。……それで? どうぞ自分語りでもしてくださいな」

「うん」

 話を始める前にデイズは横たわったままの倉田を起き上がらせようとしたが、触らないでと言われて戸惑いつつも放置することにした。

 再び鎌を背負い腰を下ろして。月を見上げたまま、彼女は宣言通り自分語りを始める。それは彼女にとって恥ずべき行為には値せず、むしろこの状況であれば、自己紹介の一環だとさえ考えていた。

「あたしが普通に生きていた頃、通り魔に刺されてね。たくさん血が出て、救急車が来る前に死んじゃった。あたしが最後に見たのは野次馬の群れで、最後に感じたのは気が遠くなりそうで、でも一周回ってあるのか無いのかもわからなくなった痛みだった。あぁそれと、自分の血の嫌な温かさかな。……親の顔を見る前に意識を手放しちゃってね。あたしはお父さんもお母さんも好きだったし、たぶん向こうもなかなかあたしのこと好きだったと思うから、ただ悲しかった。たぶん死に顔は二人ともあとで見たんだろうけど、あたしはあたしが死んだあとのことなんて何も知らない」

 つらつらと語る彼女に自分語りを恥とする概念がないことは倉田もすぐに理解した。それどころか、どうやら彼女は過去を口にしたところで数多の黒い感情に襲われることもないようで、それは倉田にとって信じがたいことだった。

「意識を手放した時点であたしは死んだんだろうね。気付いたら真っ暗な場所にいて、目の前には神様を名乗る人が立っていた。その人に言われたんだ、もう一度生きてみる気はないかって。もちろんイエスと答えたよ」

 もちろん、という言葉に倉田が顔をしかめる。デイズは視界の端でそれを確認したが、これといって反応を示すことも話の内容を変えることもしない。

「生き返らせてくれるならお願いします神様! って言ったらさ、それは構わないが条件があるって言われてさ。もしかしてものすごく過酷な環境でしか生きられない呪いとか、そもそも人間としては生きられなくて動物になっちゃうとか、そういうことがあるのかと思ったよ。……で、結局その条件ってなんだったと思う?」

 ずっと月を見ていた彼女は話す中で初めて倉田の顔を見た。その結果返された物は「知るか」という意味で吐かれた息のみだったが、彼女はそれを許容するように微笑んだ。

 そしていたずらっぽい声で茶化して言う。

「魔法少女になってよ! ……って言われた」

「ふざけてんの?」

 好意的な物ではなかったとはいえ初めて声で返事をしてもらえて、心なしかデイズは嬉しそうだった。「不愉快」と表情で描く倉田とは対照的だ。

「いや本当なんだよ。普通の女子高生として生き返らせることはできないけど、魔法少女としてならいいよって。正直、この人やばい人だと思ったよあたしも」

 さも愉快な話をするかのようにデイズは笑う。しかし彼女の語っていることはすべて事実である。仮にもこれは、なんの罪もない少女であった彼女が理不尽に殺されてしまった話であり、笑い話とは言い難い。特に本人にとってはなおのこと、そうであるはずなのだが。

「話を聞くうちに魔法少女って具体的になんなのってことを理解はしたんだけど、それがなかなかハードでね。ちょっと多いから箇条書き形式で紹介するね」

 倉田が魔法少女とは何かという話題に興味を示していないことはその表情から明らかだったが、デイズは気にせず愉快そうに話を続ける。そうするために倉田の足を動かせなくしたのだから。

「いち、魔法少女の使命は欲望の化身「デザイア」を討伐すること。デザイアとは人間の欲望から生まれてくるもので、基本的に人間に害をなす存在となるものである。人間が存在している限りデザイアが消えることはないが当然野放しにするわけにもいかず、魔法少女はこれを可能な限り討伐しなくてはならない。

 に、魔法少女は神の力によって、デザイアを生み出す寸前の人間のもとへ飛ばされる。これを拒否することはできないため、魔法少女は同じ場所に長期滞在することができない。また、飛ばされてから三日間は休養期間として自由時間が与えられる。デザイア討伐の使命は四日目以降となるが、デザイアの発生は神にも完全に予測できるものではなく、休養期間が増減する場合がある。

 さん、魔法少女には標準装備の異能力として自由に空を飛ぶ力が与えられる。

 よん、魔法少女には」

「ちょっと」

 台本でも用意しているのかと思わせるほど、語るために作られた機械の如く言葉を並べるデイズをついに倉田がさえぎった。

「うん? なに?」

「それいつまで続けるつもり? 自分語りがしたければ私を身動きできなくして勝手にやれとは言ったけど、あんたが今やっていることは自分語りでさえないわ。それともそういう拷問?」

「いやいや、滅相もないです」

 デイズには話をすることで相手に苦痛を与えようという意思は一切ない。同情してもらおうという魂胆さえ一切ない。苦行を与える者に常に悪意があるとは限らないのである。

 もっとも彼女がこんな話をすることも、過去に嬉々として「魔法少女とは何か」を聞きたがった人間がいたからなのだが、それは倉田にはこれっぽっちも関係ないことである。

「拷問に思えるくらい、つらかったならごめん。でもあと一つで終わりなんだけど……」

 媚びるような視線を向けられた倉田はため息を吐くだけで、それ以上の反応は見せない。デイズはそんな彼女に一言礼を言うと話を続けた。

「よん、魔法少女には各々が指定した能力を持つ特殊な武器が与えられる。神はどんな武器でも創り出せるが、明らかにデザイア討伐に適さない武器の案は却下される。……はい、これで魔法少女の説明については以上です」

 ようやく説明を終えると、デイズは背負った鎌を撫でる。

「お察しの通りこれはその時作ってもらった鎌で、あたしみたいな小娘にも振れるような超軽量な代物なんだよ」

「ああ、そうですか。……それで話は終わり? 満足した?」

 もううんざり。そんな表情を隠そうともしない倉田だったが、デイズはまだまだ自分のスタンスを崩さない。

「えーちょっとちょっと倉田さん。今の話を聞いて何かおかしなところがあるなーとは思わなかったの?」

「何がよ……」

 得意げな顔をしてデイズは立ち上がる。足が動かせなくなったことで上手く起き上がることができず転がったままになっている倉田を見下ろして、にやりと笑うと彼女を指さした。

「倉田さん、あなたは人間の欲望から生まれた存在なの?」

 その時初めて、倉田がデイズに興味を示した。ハッとしたような顔で彼女の方を見たのだ。

「あたしは魔法少女、デザイアを狩る存在。それしかできない存在なの。倉田さんと遊ぶために来たわけじゃないし、デザイアじゃないものを「成敗」なんてしないよ」

「つまりはどういうことよ。あんたの言う通り、私はそんな得体の知れない存在じゃない。私はここの地縛霊よ。どちらかといえばあんたに近い存在でしょう? だったら今あんたも言っていた通り、私がその鎌で狩られる理由はないじゃない。どういうつもりなの」

 抗議する倉田に満足げな微笑みを見せて、デイズはこの日のこれまでで一番嬉しそうな声を出し言った。

「倉田さんは地縛霊なんだね」

 倉田は思わず目をそらした。自分のことを知っている相手に対してわざわざ自分が何者

であるかを説明するのは、彼女の価値観では恥に当たることだったから。そしてそれゆえに、自分が何者であるのか絶対に言うつもりはなかったから。

「だったらなに? 知っていたんでしょう?」

「まあね。あたしも戦わないとならない相手の情報くらい収集するさ」

「神様直々の使いだものね?」

 倉田静は地縛霊だ。この世への未練があるばかりに、成仏できずに同じ場所にとどまり続ける存在。当然、神から直接許可を得てそんなことをしているわけではない。もっとも、人間だって神から直接許可を得て生きているわけではないが。

 そういった意味では生きた人間と変わらない彼女は、当然神の姿など見たことがない。しかしデイズは彼女とは違うらしい。デイズの余裕は実力からくるところももちろんあるのだろうが、それだけではないだろうと彼女は確信していた。

 神の威を借るいけ好かない女に、嫌味を言ってやったつもりだったのだ。

「え? あ、あぁ、そうだね。神様の使いみたいなもんだよね。そうそう、だから頑張っちゃったわけですよ。あはは」

 もとより馬鹿相手に嫌味が伝わるとも思っていなかったが、それにしてもデイズの反応は不自然だった。何かを誤魔化すような、または何かを隠しているような。

 倉田も当然デイズの反応を不自然に感じはしたが、それ以上この話を掘り下げようともしなかった。情報の収集を神に頼り切っていたデイズとしては、見栄を張ったことがバレずに済んだので幸運だったと言えよう。

 ただし幸運と言っても、倉田が話を掘り下げなかったことにはそれ相応の理由がある。彼女とて気分気まぐれでデイズの話を聞いているわけではないのだ。

 自分を狩りに来たデイズという存在が神の使いであれ悪魔の使いであれ、そんなことは倉田にはどうでもいいことなのである。彼女はデイズが何者かなどという点について、本質的にはこれっぽっちの興味も抱いていないのだ。

「……で、どうして地縛霊の私があんたに狩られなきゃならないの」

 身動きがとれず寝そべったまま、倉田はデイズを睨みつける。

 デザイアなどという見たこともない存在と一緒くたにされてこの世から消されてしまうというのであれば、それに納得する者などいないだろう。ましてやそのあたりの理由理屈をうやむやにされていて、他人の自己紹介に興味を示す者など。

「デザイアの定義が広がったから」

 この時初めて、デイズは少し悲しそうな表情を見せた。

「人の欲から生まれるデザイアっていうのは要するに、自分勝手な欲求で他人に迷惑をかける存在なんだよ。それがデザイアとは何かっていう定義でもあったんだけど、最近それが変わったみたいでね。あたしの仕事も増えた」

「簡潔に」

「自分の意思でこの世にとどまり続け、なおかつ他人に迷惑をかける地縛霊。そんな存在も、デザイアの一部と定義された。……つい最近のことだよ」

 神の世界でも規則は時々、大まかな形はそのままに中身を変化させることがある。この世におよそ完璧と呼べる存在が見当たらないことは、それを生み出した神でさえ完璧からはほど遠い地点にいる存在であるためなのだ。

 規則は必ずしも完璧とは限らず、必ずしも完成された物とも限らない。より正しい方向を目指そうとするあまり規則に変化が生じた時、それによって割を食う存在が生まれることは神も人間も同じことなのだ。

「私が自分勝手で人様に迷惑をかけているって? まさかあんた、その身なりで突然空から降ってきておいて、私から危害を加えられたなんて言うつもりじゃあ」

「そんなことは言わないよ。むしろ倉田さんはあたしから危害を加えられている側だし」

「そう、その通りよ。なら私はそのデザイアとやらの定義から外れた存在でしょう?」

「ううん、申し訳ないけど、それは違う」

 デイズが身を乗り出し、屋上からずっと下にある地面を見る。彼女が鎌を振るい戦っていた時、全ての死体を消滅させたわけではなかった。が、しかし地面に死体は一つも見当たらない。

「今まで何人殺したの」

 物騒な言葉とは裏腹にその声音は、素直に謝ることのできない子どもと話をする母親のような慈愛に満ちたものだった。

「失礼ね。私は誰も殺してなんかない」

 倉田からはデイズを睨み付ける力が失われたようであった。

しばらくの間、デイズは倉田を見つめ続けた。狩る側としてここへ来たはずの彼女の瞳からは、怒りも敵意も感じられない。そればかりか、同情さえもこもっていないように見えた。そこから感じられるものは、彼女から倉田へ対する信用だけ。倉田には、なぜ彼女がそんな目で自分のことを見つめられるのかがわからない。

 どれだけの時が流れたか。ある時ふと言葉がこぼれ落ちる。

「あいつらが、死にたいやつが勝手に死んだだけよ」

 言葉のわりに、倉田の声には罪悪感がにじんでいた。

 

 返事は返らずとも、デイズが真剣に話を聞いていることは確かなことだった。彼女の話をそれだけ真剣に聞いた人間が、はたして他にいたのだろうか。

「生前」と呼べる期間を語れる者同士だから分かり合える、などという簡単なものではない。けれど、ならばどうして、ただの人間同士であったはずの倉田と真剣に向き合った者は見当たらず、屈折した存在である彼女に向き合ってくれる存在が現れるのか。

「長い上にどうでもいい話を聞かされる苦痛を教えてあげる」

 脈絡なくそう言った彼女に、デイズは「ありがとう」と返した。

「地縛霊、倉田静の持つ異能力。複雑だから箇条書き風に挙げ連ねます。

 ひとつ、投身自殺の死体の隠蔽。私は投身自殺を図った者の死体に限り、任意でその存在をこの世から消すことができます。消すというのは「見えず、触れられず、存在を感じられない」状態にすることです。誰も認識できないものなんて、消えたことと同じでしょう?

 ふたつ、自殺希望者を募ること。私の憑りついたこの校舎から直線距離で最も近い場所にいる「死にたがっている人間」をこの場所へ呼び寄せ、投身自殺させる。これは私が存在する限り自動的に適用されていることで、私の意思でオンオフ切り替えられることではない。それと、一人呼び寄せたあとはいくらかのインターバルが発生するけれど、これは「およそ一か月」と大まかにしか決まっていない。

 みっつ、投身自殺者の死体の使役。この場所で投身自殺した者の死体は、私の出す簡単な命令なら実行してくれる。これは死体に魂が残っているためではなく、人形を糸で操っていることに近い

 よっつ、私という存在の隠蔽」

「ちょっと待って」

 奇しくも話し手と聞き手が逆だった時と同じ、四つ目の要綱を挙げた段階で話は遮られた。これまで敵意に満ちていたはずの倉田が、この時初めて少しだけ笑った。

「なにかしら」

「どうして死体に魂は無いってわかるの?」

「成仏するところを見ているからよ」

 説明不足だった、と詫びると倉田は付け足して答える。

「ここで身を投げて死ぬ者は、必ず成仏しなければならないの。それが嫌で、例えば私みたいな霊になってやりたいことがあるだとか、そういうことを考えている人間はそもそも私の「死にたがっている人を募る能力」に影響されないってこと」

「成仏したかどうかは目視出来るの?」

「出来る」

 断言する倉田がつらそうな表情で、ここではないどこかを見る遠い目をしていたから。デイズはそれ以上言葉を疑わなかった。

「遮っちゃってごめんね。四つ目は?」

「よっつ、私という存在の隠蔽。もうこの世界では何をどうやっていくら調べても、私がここから飛び降りて死んだという事実にたどり着けない。……これで以上よ」

 デイズは神から受け取った情報を頭の中で整理する。相手が地縛霊であり、特殊な能力を持っていることは事前に神から教わっており、その時聞いた情報と倉田の語ったことは全て一致していた。

「ここから飛び降りて死んだ者たちは全員自分の意志で死にたいと考えて、全員自分の足で飛んだのよ。私は誰一人殺していない、そうでしょう?」

 命乞いをしているわけでもなく、説得を試みているわけでもない。本人が言っていた通り、倉田は特別存在し続けたい願望があるわけではない。自らすすんで消え去りたいとは考えないが、絶対に消滅なんかしてたまるものかとも思わない。

 そんな彼女が己の潔白を証明しようとしているのなら、それは抗議以外の何物でもないのである。デイズがそうであるように、彼女にだって正義があるのだ。

「神様はそうは考えてくれないみたい。……ごめんね」

「でしょうね、それでこそ神ってところよ。私を悪とするようなやつが作ったかた、この世界はこんな物になっている」

 倉田は笑った。高く高く、月まで届きそうな大きな声で。叫び、喚きちらすかのように。

「……あんた、私がなんで死んだかも知っているの?」

「まあ、うん。大まかには」

「そう、じゃあ詳しく教えてあげる」

 久方ぶりに再会した親友に昔話をするかのように、さぞ楽しそうに倉田は語り始める。彼女はもうほとんど自暴自棄であった。

 消滅させられることはどうでもいい。ただ、彼女の正義は成就しないらしいのだから、ヤケにでもなってしまわなければ、今にも見えざる敵に向かって悪態を吐かなければならなくなってしまう。それは彼女の価値観では、恥に当たることであった。

 当然、自分語りだってそうであったはずなのに。もう彼女はそんなこと忘れてしまったようである。

「いじめられて自殺、シンプルなもんでしょ。シンプルでないところがあるとすれば、いじめられっ子っていうのはもっと気が弱くておどおどしている人が一般的ってところかしら。まあ、結局はその部分が、私のいじめられていた理由だったんだろうけど」

 気が弱く目立った抵抗をしないような、そんなちょうど良い的となる者を虐げるというのは、人間にとってよくある話である。しかし逆に、気が強く目立つ態度ばかりとるものが、目の敵にされるということもまた、人間にとってはよくあることなのである。

 倉田静は特別に特殊なケースではない。彼女のような、周囲の人間に恵まれないまま死んでいく人間は数えきれないほど存在する。……そうであるなら、彼女のような霊も、デイズが狩るべき「敵」も、数えきれないほど存在するはずである。

 権力者が行った行為の結果として傷つき割を食う者は、どうして良心に満ちた者となることが多いのか。これだから倉田の正義は神を否定するのである。

「いじめがつらくて死んだわけじゃないのよ。それはもちろん、つらい部分は大いにあったけれど、それで死のうとは思わなかった。ただあいつらに復讐してやろうと常に考えていて、でもそのためには多大なエネルギーが必要で、今のつらさを抱えたままでは私に復讐するためのエネルギーは宿らないと考えたの。だからつらさを消さなければ……そう考えて、気付いたら地面に叩きつけられてぐちゃぐちゃ。なんで飛び降りたのか今でもわからない」

 足が動かなくなり上手く身動きが取れなかった彼女も、寝返りを打つくらいのことはできた。そうしてデイズの顔が一番よく見える位置に転がり落ち着くと、したり顔で彼女は笑った。

「ほら、そういう顔をする。あんたのくだらない自分語りを聞かされていた時の私の気持ちがわかった?」

 デイズの表情からは希望が消えていた。この世にはなんの救いもないと信じ切っているような表情だった。彼女だって、この世に未練を残して死んだ霊と話すのは初めてなのだ。未練だけを頼りに、ずっと一人で存在してきた者と対峙するのは、初めてのことなのだ。

「ううん、話してくれてありがとう」

「物好きね」

「そうかな」

 照れたようにデイズが笑うと、倉田はそれを嘲るかのようにして笑い返した。けれどそこには、出会った当初にはあった敵意がなくなっているように見える。

「それじゃあ話すことも話したところで、そろそろお別れかしら。見逃してもらえる望みはないのでしょう?」

「……あたしが見逃しても、次の誰かが来るよ。神様の使いはたくさんいるんだから」

「ちなみに、みすみす見逃すような無能な使いへの罰則はどんなものが?」

「さあね、知らない」

 知らない、と言っては正確ではない。デザイア討伐の義務を放棄するということは神との契約を破棄すること、すなわちデイズの正式な死を意味することになる。彼女が知らないのは、そうなった時は具体的に自分がどう死ぬのかということだけ。

「私も、問答無用で切り捨て御免な奴よりは、あんたみたいなのに引導渡された方がマシよ」

「優しいね」

「社交辞令を真に受けるなんて如何にも馬鹿らしい」

 喉の奥にこもるような笑い声を発して、倉田は指のジェスチャーで「起こせ」と命令する。形こそ命令と言うにふさわしいものであったが、実質的なところはそのような高圧的なものではない。言うなれば、後生だからといった最後の願いだ。

「寝そべって死ぬのは飽きたのよ」

 デイズは彼女の体を起こしてフェンスに立てかけた。足の自由を奪ったことに罪悪感がないと言えば嘘になるけれど、その程度で罪悪感が良心がとは言っていられない。これから神の使いであるデイズは、目の前の地縛霊をこの世から断ち切らなければならないのだから。

「ねえ、倉田さんは未練を晴らせたの?」

「いいえ? 私をいじめていたやつらなら今頃真人間っぽく働いてそれなりな人生を歩んでいるんじゃない? 私が死んだの、何年前のことだと思っているのよ」

「……遺言があれば聞くよ」

「ない。神にもこの世界にも、遺言を残す価値はないわ」

 鎌が高く持ち上がる。月明りを照らし返すその刃を、彼女のどこへなりとも振りかざせばそれで仕事は済む。

「痛くないから安心してね」

「あ、言い忘れていたわ。私、この世にとどまり続けるために、一日一度はここから身を投げなければならないの。だからもう痛みなんかあってないような物だけど、お気遣いどうも」

「きっといつか、あなたをいじめていたような人たちに、あたしみたいな人が罰を与える日が」

「どうでもいい、興味ない」

「……きっといつか、世界はもっと正しく」

「いい加減にして!」

 デイズの腕は振るえていた。彼女のような少女でも容易く扱えるはずの、神から与えられた特殊な大鎌が、今の彼女にはひどく重く感じる。人の命と同じかそれ以上に、手に負えないほど重く。

「仕事でしょ魔法少女、さっさとしなさいよ」

「でも」

「いいじゃない、どこを切ってもその鎌の効力は変わらないのでしょう? 私も泡になって消えるなんてロマンのある最期が迎えられるなら」

「でも倉田さん……!」

 息が次第に荒くなる。今までに彼女がこの世から断ち切ってきたデザイアたち、人の欲望から生まれたものたちは、消えたからといって元となった人間に一切の影響がなかった。彼女は人を切ったことがない。

「ひと思いにこなせない方が残酷だってわかっているの? 正義の味方になりたいんでしょう、偽善者さん」

「……そうだね、ごめん。ごめんね」

 痛みに慣れたのなら、刃を突き立てられることが恐ろしくなくなるのだろうか。本当に、そうなのだろうか。この地から離れられぬ地縛霊は、自らを死に追いやった連中がどこで何をしているのか知らないという。それで本当に未練はないのだろうか。本当に?

 未練がないなら、どうして毎日身を投げ死ぬような痛みを受けてまで、この世にとどまりつづけたのだろう。惰性でそんな所業が成せるものか。……けれど彼女から、いじめに加担した者らを根絶やしにしなければ死ぬに死ねない、という執念を感じないことも確かなこと。

 ならば、自らの能力で招集され、同じ場所で死んでいった様々な人間のことを、彼女はどう思っていたのだろうか。彼女の未練は、とうの昔に自己に収まりきっていなかったのではないか。

「ごめんなさい」

 刃が倉田の体を通過した。気のせいか、数瞬の間をおいてから、彼女の体が泡と化し始める。

「上出来なんじゃない?」

 消えていく彼女の声が確かに聞こえた。褒めていると言うには皮肉の色が濃く、皮肉を言ったにしては優しい声だった。

 つい数秒前まで会話していた、同じくらいの歳に見える少女は、彼女の前から跡形もなく消え去った。

「……ごめんなさい。知らなかったんだよ」

 デイズは事前に倉田静という霊の情報を把握していた。いじめに遭って自殺した者であることと、名前など生前の簡単なプロフィール。そして、死後に得た異能力で多くの人を殺していること。……逆に言うなら、それだけしか知らなかった。

 倉田静のいじめに対する未練はとうの昔に風化していたこと。異能力は、正者を道連れにして楽しむためのものではなかったこと。倉田は神を、世界を恨んでいたこと。すべてデイズは知らなかった。知らずにここへ来て、彼女を狩ろうとし、正義の味方らしく悪役の言い分も聞くだけ聞いて、最後は正論でも述べて勧善懲悪で終わらせようとしていた。

 倉田静という地縛霊は、悪霊と呼べるものだったのだろうか。デイズは彼女にどれだけ残酷なことをしたのだろうか。またそれと同時に、どこまで自分自身を追い込んでしまったのだろうか。

 いじめを苦に死んだ者が、死にたいと願い自分のもとに訪れた者に対して「努力が足りない」だとか「生きていればきっといいことがある」という考えを持っていたはずがない。死体の山が作られていく最中、長い年月の間で数多の人間が自ら死を選ぶ姿を見て、彼女は何を思ったのだろう。

 自分よりも幼い子どもが、彼女の巣くう屋上に現れた時。彼女は何を感じたのだろう。そんなことを考えると、彼女が神を恨んでいたことにも合点がいく。きっとこの世界はずっと前から間違っていて、そしてそれは現在改善されるどころか、むしろ悪化の一途をたどっている。

 彼女はデイズを神の使いと表現した。それでいてデイズにおとなしく消されたというのだ。いよいよ罪悪感に押しつぶされそうになるのも当然のことである。

「デザイアとは、自分勝手な欲求で他人に迷惑をかける存在の総称である。……たしか、そんな感じだったよね」

 自分が狩るものは、なぜ自分に狩られているのだろう。取って食うわけではないのだ、誰を狩るかは、他人である神が決めている。そこにデイズの意思は介入しない。

 狩られる対象となる「デザイア」というものの定義がなんであるかなど、今まで考えたこともなかった。デザイアを消滅させることで助かる人が大勢いるのだから、正義の味方をしているつもりだった。

「誰かを消して、あたしは生き残って。それって、勝手な欲求で他人に迷惑をかけながら生きることと、何が違うんだろう。……デザイアって何なんだろう」

 本当に消滅するべき存在は、いったい誰なのだろう。簡単に答えを導き出すことができないまま、デイズはなんとなく地面を見下ろした。

 倉田静の消えた今、彼女の能力が失われた今、校舎のまわりには未だ数えきれないほどの死体が無造作に転がっている。

 


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