姉弟の退屈しない夢語   作:天むす

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とりあえず無印編だけでも書き切れるといいね。そんな思いが詰まったアサシン直前までのF/HF(イリヤとエミヤ)×プリヤです。
結構捏造が酷い上、独自設定を盛っています。魔法の言葉「原作様とは一切関係のない二次創作です」
天むすの趣味!! 趣味作品(当たり前)です!!

前提設定
Fate/SN〔HF〕in プリズマ☆イリヤ


 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン
アーチャーを連れて大聖杯を閉じたイリヤ。その後ユスティーツアと混じり合う過程で「もっとシロウと一緒に外の世界に居たかったなー……」とか考えていたら、その願いを聖杯が叶え、アーチャーと一緒にプリヤ時空を遊ぶことになった。
新都の方で喫茶店を開きながら暮らしており、店の看板娘。大聖杯と繋がっており、聖杯パワーで奇跡のオンパレードだぜ。
プリヤ時空のイリヤたちのことはもちろん知っているが、彼らの世界を壊すような関わりを持たないようにしている。アーチャーに「姉さん」と呼ばせている。

 エミヤシロウ
HF√のイリヤに回収されたサーヴァント・アーチャー。座へ戻る前にイリヤと共にプリヤ時空へ放り出された。
新都で聖杯喫茶なる喫茶店を開いており、そこの店長。聖杯パワーにより全快しているが、士郎へ移植した左腕は生きているので隻腕のまま。マスターがイリヤなのでステータスも上がっている。
筋力C 耐久B 敏捷B 魔力A++
幸運E 宝具???
イリヤに「お兄ちゃん」と呼ばれている。

 プリヤ時空in前に、その過程で平行世界(冬木の聖杯が関わる世界全て)の記録が二人にはinされています。
 イリヤはアーチャー大好きですし、アーチャーもイリヤが一番大事な感じです。

12/29 修正
19/01/31 修正
19/03/07 修正




姉弟の退屈しない夢語 上

 000

 

 

 

 某県にある冬木市新都には、ビル郡に隠れるようにそっと、小さな喫茶店がある。その名は《聖杯喫茶》と言い、白髪に褐色の肌を持つ隻腕の男と、銀髪に紅い瞳を持つ美しい少女が切り盛りする、ちょっと不思議な義姉弟の、何処にでもある至って普通の喫茶店だ。

 午前七時半。まだ「準備中」の看板が立てられているその店の戸を、看板娘が疲れた様子で押し開いた。

「ただいま~お兄ちゃ~ん」

「お帰り、姉さん」

 姉と呼ばれた少女が男を兄と呼び、兄と呼ばれた男が少女を姉と呼ぶ。なんともあべこべなことだが、二人が気にしている様子はない。

 少女はそのままふらふらとカウンター席に凭れるように座ると、図ったように置かれていたオレンジジュースを手に取り、豪快に喉を鳴らして飲み干した。オレンジジュースを置いたのは当然目の前に男で、少女の飲みっ振りを眺めると、「それで」と口を開いた。

「やはりなかったのか?」

「……ぷはぁ。うん、なかったよ。綺麗さっぱり別物と入れ替わってた(・・・・・・・)

「原因に変わりは?」

「ないわ。やっぱり魔力の名残は感じたけど、もう混ざり過ぎて辿れない。何か変なのに遮られているみたいな感じがするんだよね」

「イリヤスフィールで無理なら、尚更私では探せんだろうな」

「こら、シロウ!」

 と、少女――イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、ムッとした表情を作って男を叱るように人差し指を突きつけた。

「私のことは『お姉ちゃん』か『イリヤ』って呼ぶ約束でしょ!」

「ああ、そうだったな。うっかりしていたよ、姉さん」

 男――エミヤシロウは、イリヤスフィールの指摘に照れ笑いを浮かべる。

 こういった生活をもう一年は続けているが、シロウにとっては中々慣れるのが難しい。

 かつて救えなかった(見殺しにした)姉が、自分のことを大切な家族(義弟)として受け入れ、こうやって何でもない日常を一緒に送れている。

 それはなんと言う幸福な夢だろうか。

 それはなんと言う残酷な夢だろうか。

 イリヤスフィールはシロウの姉ではないし、シロウもまたイリヤスフィールの求める弟ではないが、そんなことは互いに目を瞑れる些細なことでしかなく、今日も、彼らはこの不思議な舞台を続けている。

 ――というか、還れなくなった。

「はぁ……一年くらい遊んだらさすがに還るつもりだったんだけどなー」

「まさかその還り道を絶たれるとは……」

「聖杯は聖杯でも、そう言うところはやっぱり冬木の聖杯よね」

 はぁー、と義姉弟揃ってため息を()く。

 実は彼ら、この世界の住人ではない。所謂《異邦人》という者だ。それも異世界の。

 少々複雑な背景があるのだが、イリヤスフィールとシロウは、別世界にある《冬木の聖杯》に共に至った存在であり、その聖杯がイリヤスフィールの願いを気紛れに叶えたことが、彼らがここに居る経緯となっている。

 イリヤスフィールはただ、やっと出会えた弟ともっと遊びたいと思っただけだった。喩え共にあるシロウが衛宮士郎でなかったとしても、彼が自分の愛おしい弟であることに違いはなく、また救われぬ運命の中に溺れているのだと知れば、その運命へ還る時間を少しでも遅らせてやりたいと思った。それが、唯一残った家族と自分が得られる瞬きの夢であることは十分に承知している。彼と同じように、イリヤスフィールも、彼女が彼女であれる時間は少なかった。だから、少しでも互いの時間を埋め合いたいと、そう願ったのだ。

 元々駄目元ですらない、彼らにとっては過ぎた願いであったけれど、しかし何の因果か奇跡か、その願いを聖杯は聞き届けた。

 そう知った時には、イリヤスフィールとシロウは別世界の冬木に放り出されており、彼らは目を白黒させながらこの世界で一時の夢を見ることとなったのである。

「機能停止していたとは言え、大聖杯の解体が一年じゃそこらで終わるわけもないし」

「やはり、最近あったアレ(・・)のせいか」

「十中八九そうね」

 アレとは、近頃冬木市にて観測された霊脈の乱れを指している。

 それと同時に各所で歪みが生まれており、彼らが急いで原因だと思われる大聖杯の元へ向かえば、そこはもぬけの殻となっていたのだ。

「抜かったわ。大聖杯(あんな物)が突然なくなるだなんて思っても見なかった……どうやって還りましょう……いや、別に還る必要性は感じないけど、還らないのも還らないで色々不味そうなのよねー」

「聖杯の気紛れはよくわからないな」

「まあ、中身があれじゃあ、ねぇ?」

 頭が痛い、とイリヤスフィールは額を覆う。

 この何時まで続けられるわからないな夢も、還る手段であった大聖杯の消失も、ついでに聖杯の中身がアレで、そしてここが元居た世界の平行世界(・・・・・・・・・・)であることも、何もかもが彼らを悩ませる種となっている。

「……私たちが少々特殊であり、この世界の私たちとは別人であるため、まだ抑止力は抑えられている方だが……」

「気付かれてはいないからね。でも、それがずっと続くかはわからない」

 ここに居るイリヤスフィールは、大聖杯と一体となった物であり、エミヤシロウは既に死んでいるサーヴァント。これらをこの時代でただの人として生きる彼ら(自分)と同一人物である、と考えるのは少し難しい。

 ましてや、随分とルートが変化している世界であるために、彼らと自分らの違いは埋めようのない溝で隔たれているとも言える。

「教会の方にも寄って来たけど、何かカードがどうとか言っていたわ」

「カード?」

「ええ。もう既に魔術師が二枚回収して向こう(時計塔)に持って行ったみたいだけど……聞いた感じ、無関係とは言えないでしょうね」

 イリヤスフィールは席から立ち上がり、コップをシロウへ渡すと、代わりに赤いエプロンを受け取って身に付ける。

 ふわりと広がるエプロンには《Holy Grail》とプリントされており、慎ましいイリヤスフィールの胸元を覆い隠した。

「まあ、今後のことについてはまた改めて考えましょう」

「ああ、そうだな。さて、姉さん。さっそくだがボードの方に日替わりメニューを書いといてくれないか?」

「合点承知!」

 九時の開店に向け、義姉弟は手を動かし始める。

 その数日後の晩、二人の魔術師が仲間割れをした。

 

 

 

 義姉弟の退屈しない夢語

  001

 

 

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン――親しい者からは『イリヤ』と呼ばれる少女は、至って普通な小学五年生である。ちょっと貴族っぽい名前で、銀髪に赤目で、一戸建ての家にはメイドが二人居て、血の繋がらない義兄がいる、何処にでも居る普通の女の子である。

 ――というのは、昨夜までのこと。

「お、ちゃんと来たわね」

「そりゃあんな脅迫状出されたら……」

 今のイリヤは普通の女の子ではなかった。

 喋る星型ステッキを片手に、ふわふわミニスカートのピンクワンピースを身に付け、おまけに妖精のようなマントまで羽織っている魔法少女スタイル。どう見てもコスプレ。紛うことなきコスプレである。

 夜も深まったとは言え、些か問い質すべき案件であろうが、残念ながらこれには海より狭く谷より浅い訳がある。

 簡単に言えば、星型ステッキ――ルビー(愉悦製造機)による被害の結果であった。

 イリヤはひょんなことからルビーと魔法少女の契約をしてしまい、その経路からここ穂群原学園に彼女らを呼び出した魔術師・遠坂凛のサーヴァント(奴隷)となってしまっている。奴隷と言えど、内容は、本来は凛が探すはずだった《クラスカード》の回収をするというもの。要は、ルビーのせいでイリヤが凛の代行をしなくてはならなくなったのだ。

 そこの所にも、海より狭く谷より浅い訳があり、元々ペアであったこの任務だが、相方と仲間割れをしたために双方ステッキに見限られた、という仕様もない背景があるのだが、その詳細は省くとしよう。

「ってか、なんでもう転身してるのよ?」

『さっきまでいろいろ練習してたんですよー。付け焼き刃でもないよりはマシかと』

 元々イリヤは一般人である。それがいきなり魔法少女になって町を救え、などと言われても、基礎の「き」の字もわからなくては成りようもないため、待ち合わせの時間までルビーの指導の下、その力を試して来ていた。

『とりあえず基本的な魔力弾射出くらいなら問題なくいけます。あとの動作はまあ……タイミングとハートとかでどーにかするしか』

「なんとも頼もしい言葉ね……」

 ルビーの楽観的な発言に、凛は思わず呆れてしまう。

 駄目が元々での案件であるため期待してはいないが、これから実戦となる以上、それなりの形になっていなくてはどうしようもない。

 だが、不安がろうがルビーによってステッキのマスター権を拒絶されてしまっている。任務を遂行するために、凛はイリヤを頼るしか他にない。

「準備はいい?」

「う……うん!」

「カードの位置は既に特定してるわ。校庭のほぼ中央……歪みはそこを中心に観測されてる」

「中心って……なにもないんだけど?」

 イリヤの言う通り、彼女たちの目の前にカードらしき物は何もない。片付けられ、忘れたボールすらない綺麗に整備された校庭があるのみだ。

ここにはないわ(・・・・・・・)。カードがあるのはこっちの世界じゃない。ルビー」

『はいはーい。それじゃあいきますよー』

「わっ!?」

『半径二メートルで反射路形成! 境界回廊一部反転します!』

 途端、彼女たちの足元に魔法陣が広がった。

 ルビーの口振りから、これは彼女(?)によるワザなのだろう。

 驚くイリヤを他所に、凛は彼女のために今から飛ぶ世界(・・・・・・・)についての説明を続ける。

「無限に連なる合わせ鏡。この世界をその像の一つとした場合……それは境面そのものの(・・・・・・・)世界」

 突然、世界は反転した。

 先まで居た穂群原学園であるが、しかし圧倒的に世界が狭い(・・・・・)

 まるでこの学校しか世界がないように感じられ、また歪な色に染まった世界は、間違いなくイリヤの知らない別世界(・・・)であった。

 ここは世界と世界の境界――鏡面界である。

「この世界にカードはあるの。詳しく説明しているヒマはないわ! カードは校庭の中央! 構えて!」

「へ!?」

 その時、凛の言葉に答えるよう、校庭の真ん中にある(ひず)みから、ぬらりと人の手が現れた。

 まるでホラービデオの某貞なんとかさんのように現れたそれは、女である。

 紫の長髪を流し、顔の上半分を覆う女。

 一目で、それは人ならざる者であることを、イリヤに嫌と言う程理解させてくる。

「ヒーーッ!? な、なんか出てきたっキモッ!?」

「報告通りね……実体化した! 来るわよ!」

 イリヤが素人とは言え、相手は待ってはくれない。

 突撃して来た女は、大きく腕を振りかぶる。

 慌ててそれを避ければ、イリヤたちの居た場所に大きな窪みと、同時に校庭の一部が砕け散った。

Anfang(セット)――――! 爆炎弾三連!!」

 女の背中が無防備となっている。透かさず宝石を取り出した凛は、そこに込められた魔力を活性化させて魔術を繰り出す。

 ステッキに見捨てられようと、そこは時計塔主席候補。遠坂家は代々宝石魔術を極める魔術の家系であり、凛は希代の原石であった。そのため、彼女の攻撃は全て女に命中し、爆炎でその姿が見えなくなる。これでは女もひとたまりもないだろう。

「すごい!」

『いえ、まだです!』

 が、それは例外を除いての話。

 女は無傷でその爆炎を振り払うと、表情一つ変えることもなくそこに立っていた。

「やっぱり魔術は無効か……! 高い宝石だったのに!」

 女は人型であれど、人間で(あら)ず。

 多少でも傷付けられない無力さに、不適に笑みをたたえながらも歯を食い縛った凛は、右足を軸に一八〇度回転する。

「じゃ、後は任せた! わたしは建物の影に隠れてるから!」

「ええっ投げっぱなし!?」

『イリヤさん二撃目きますよ!』

 

 さて、イリヤと凛が悪戦苦闘している最中、鏡面界の穂群原学園、その屋上にて、イリヤと瓜二つの少女――イリヤスフィールは、まるで残念な物を見るようにして校庭を眺めていた。

「何あれ? アレがこの世界の私なの?」

「の、ようだな」

 隣には概念武装を身に纏うシロウも居り、この世界の柱である女――ライダーを何とも言えない表情で追っている。

 無理もない。元の世界ではあれ程献身的であり、悲運のマスターのために戦っていた彼女が、今では見る影もない暴れ馬となっているのだ。何も思うな、と言うのも無理な話だろう。

「あれは英霊でもサーヴァントでもない、ただの力の塊ね。それが元となっている英霊を象っているだけ。サーヴァント程の強さはないわ」

「君が言うのならそうなのだろうな」

「でも、面白いわね。アレ」

 イリヤスフィールはライダーを指差し、思考する。

「力の出所は例のカードで間違いないとして、そのカードが英霊の座へ繋がっているからこそ、カードからその力が漏れて歪みができてしまっている感じかしら? 機動力は周囲の魔力(マナ)を吸収しているのね……だから歪みができてるって感じかな」

「…………む?」

「どうしたの? 検討外れだった?」

 イリヤスフィールの説に、シロウが首を傾げた。

「いや、君の言うことは、やはり正しいのだろう。ただ……それが身に覚えがあるような……ないような……?」

「もしかしたらシロウの座にも繋がってるんじゃない?」

「その可能性もあるだろう」

 まったく、シロウは忘れっぽいんだから、とイリヤスフィールは肩を竦めた。

 英霊エミヤは守護者として酷使され続け、その記憶と記録の多くが磨耗してしまっている。そのため、彼自身ですら自覚できないことが多く、たまに思い出すこともあるが、忘れ去ってしまったものの方が数え切れない程に膨大であった。

 故に、シロウが何か引っ掛かりを覚えたとしても、それが余程強烈に印象付いていない限り、それを思い出すことは殆どない。それをわかっているからこそ、イリヤスフィールは気にせず再び校庭へ視線を戻した。

「まあ、カレンの情報によれば、回収されたカードは『アーチャー』と『ランサー』の二枚で、アーチャーは赤い武装に褐色の肌と白髪、ランサーは青くて赤い槍、と来たら……まあ十中八九貴方とクー・フーリンでしょうね」

「君も人が悪い。しかし……何かこの辺まで出かかっているのだが……」

「追々でいいわよ……む~~それにしても何よあの魔力の無駄遣い! ああっ!? そんな広範囲にしたら威力落ちるじゃない!! 全力投球一点集中でぶっ殺すのよ!! てか煙で何も見えない!!」

「気持ちはわかるが落ち着きたまえ」

 未熟な己を客観的に見ると言うのは、なかなかの苦行である。

 その道の経験者として、レディにあるまじき野次を飛ばす姉をシロウは納める――と不意に、校庭から視線を逸らした。

「……一人、いや二人組か。侵入者だ」

「ステッキは二本あるって言ってたから。その片割れかもね。こっちも、ライダーが宝具を使うみたい」

 スッと落ち着きを取り戻し、二人は改めてイリヤたちを見下ろす。そこには宝具を展開しようとするライダーと、それに戸惑う凛たち。そして、その場に忍び込むもう一人の魔法少女の姿があった。

「騎英の――……」

「クラスカード『ランサー』限定展開(インクルード)

 魔法少女の手に、赤い槍が現れる。

 それは禍々しい魔力を纏っており、その真価を発する時を今か今かと待ち望んでいる。

 それを眼で捉えた途端、ぞくり、とシロウの背を何かが這い上がった。

 彼は確信したのだ――アレが、本物であることを。

刺し穿つ(ゲイ)――――死棘の槍(ボルク)!!!」

 危機を察して振り返ったライダーの心臓を、槍は違えることなく貫いた。

 因果逆転の呪いの宿るその魔槍は、当たった定で繰り出されるため、放てば必中する槍である。それから逃れる術は、天性の幸運に見舞われるかその射程から外れるしかなく、ほぼ真後ろから狙われたライダーに回避は不可能であった。

「『ランサー』接続解除(アンインクルード)。対象撃破。クラスカード『ライダー』回収完了」

 ライダーの体は魔力が四散し、そこにカードを一枚残して消え去った。

「え……だ……誰……?」

 イリヤの言葉に、イリヤスフィールとシロウも同意する。

 黒髪に琥珀の瞳を持つ魔法少女など、彼らが持つ記録の中には存在しない人物であった。

「オーーッホッホッホ!!」

 ただし、この高笑いにシロウは覚えがあった。

 

 

 

 002

 

 

 

「バーサーカー欲しくない?」

「…………」

「ねえねえ、バーサーカー欲しいと思わない?」

「…………」

「ねぇーお兄ちゃーん。バーサーカー欲しいよー」

「…………」

「バーーサーーカーーほーーしーーいーー!!!!」

「わかったわかったから!!」

 翌日、本日は喫茶店が定休日であるため、のんびり朝食――自家製のパンにベーコン、フルーツ、ジャムと様々なトッピングを用意し、ミニサラダとオレンジジュースが付いたシンプルなメニューである――を摂っていたシロウは、姉の欲しい欲しい攻撃に折れていた。

 昨夜この世界のイリヤたちの戦いを見て、カードがどのような物であるかを確認してからずっと、イリヤスフィールはこの調子であり、ついにシロウは姉の願いを承諾したのが今である。

 イリヤスフィールとバーサーカーの関係は、元の世界で深い絆で繋がれた主従であった。バーサーカーは死ぬまでイリヤスフィールを守り続け、イリヤスフィールはそんなバーサーカーに欠けた心を沢山埋めてもらった。その思い出は死して尚彼女の中に色褪せることなく刻まれており、シロウもその想いを十分以上に承知している。伊達に一度殺されたり、片腕でも対峙していない。

 しかし、承知しているが、彼には渋る訳があった。

「バーサーカーのカードを取りに行くのはいい。だが、君も昨日のライダーを見ただろう?」

 この世界に突如現れたクラスカードなる物は、人型である時は暴走状態であり、とてもではないが「仲間になって♡」「いいよ♡」などという交渉は成り立たない。

 ライダーであれだったのだ。バーサーカーともなれば、その狂暴性は想像を優に上回るだろう。さらに宝具の使用が可能状態であれば、勝率は底辺以下にまで行きかねない。

 では、そんなバーサーカーを誰が抑えるのかと問われれば、

「オレがやるんだろ?」

「わかんないよ? もしかしたらバーサーカーも私を待ってるかもしれないよ? 『お待ちしておりましたお嬢様』って」

「それはもはやバーサーカーではないのでは……」

 

 朝食後、何だかんだでさっそくカード探しに出かけた義姉弟。シロウの靡く左袖とは反対側、右手を繋いでいるイリヤスフィールは、平日の午前のために疎らなフロアをキョロキョロと見回す。

 彼らは先ず新都のデパートに赴き、身支度をすることにした。

「なんでさ」

「バーサーカーに会いに行くんだもん。おめかしは大事でしょ?」

 ローズピンクのワンピースにレモンイエローのカーディガンを羽織ったイリヤスフィールが、るんるんと鼻歌を鳴らしてシロウの手を引いて行く。対し、シロウは少し困ったような表情で姉に従いつつも口を開いた。

「しかしだな、まだバーサーカーがヘラクレスだと決まったわけではないのだぞ」

「バーサーカーはヘラクレスよ。貴方も昨日のライダーを見たでしょう?」

 シロウの疑問に、イリヤスフィールは確信を持って応えた。

 昨夜見たライダーのクラスカード――ゴルゴーン三姉妹が末、怪物メドゥーサ。元は美しい少女であったが、ポセイドンに愛されたことがアテナの怒りを買い、怪物にされてしまうことが悲劇の始まりとされ、ひっそりと島で姉妹三人隠れるように暮らしていた女神。だが、数々押し掛ける者たちの牙が何時しか彼女を心無い存在へ陥れ、ついにペルセウスに首を切り落とされた――哀れな女だ。

「メドゥーサの召喚って結構難しいのよ? 先ずメドゥーサ関連の触媒がほとんどペルセウス由来だし、元々彼女は女神である伝承とゴルゴーンである伝承が有名だから、なかなか英霊として喚び出せないの。サクラが喚び出せたのは、彼女たちが似た運命に囚われていたからっぽいし。となれば、『ライダー』という『クラス』に当て嵌められている以上、クラスカードは聖杯戦争と関わりのある何かであり、ライダーにメドゥーサを喚び出したとなれば、それは少なくとも私たちの知る冬木の聖杯戦争をなぞったもの。関わりがあるはずよ」

「……メドゥーサは第五次聖杯戦争で喚び出されたサーヴァント。アーチャーは私、ランサーは光の御子、とくれば、私たちの知るバーサーカーのクラスはヘラクレス。故に、今回のクラスカードはヘラクレスと繋がっている。そう言いたいのかね?」

「その通り!」

 えっへん、とイリヤスフィールは胸を張った。

 母親に似ず大人しい胸の上で、小さなリボンが揺れる。

「バーサーカーったら、ビックリするかしら? あの私が、こんな普通の生活をしているだなんて」

「……ああ、きっと驚くだろう」

 シロウは頷いた。

 きっとヘラクレスは彼女のことを覚えていないだろう。そう思いながらも、そうであれと願う気持ちは本当だった。

「せっかくだもの、服以外にも色々新調したいな。この間可愛いブーティを見付けてね、ピンクとパープルがあって迷ったんだ。選んでくれる、お兄ちゃん?」

「勿論。光栄だとも。精一杯選ばせてもらうよ」

「ふふっ、じゃあ全身コーディネートでもお願いしようかしら? 私を輝かせてね、シロウ」

「エスコートなら任せたまえ、イリヤ」

 義姉弟は指を絡ませ、微笑み合った。

 

 五分後、シロウはお巡りさんに職務質問された。

 

 

「……やはり、ここの乱れが一番大きいな」

 昼食を終えて二時頃、シロウとイリヤスフィールは冬木大橋に来ていた。その傍にある公園には、昨日の学校と同じ不自然なものがあり、世界の変化に敏感であるシロウは、漠然とそこらを眺める。

 イリヤスフィールは彼の言葉に目を閉じ、暫く考えてから周囲を確認した。人気はなく、彼ら二人以外に生き物の気配も遠ざかった。

「人避けの結界を張ったわ。これから跳ぶけど、準備はいい?」

「問題ない」

 瞬間、彼らの足元に魔法陣が広がった。

 昨夜ルビーが展開したものと全く同じの、鏡面界へ跳ぶための術式だ。

 その陣の外へ、シロウは姉の服が入っている紙袋を置いておくのを忘れない。

 因みにであるが、イリヤスフィールの格好は、白いレースのワンピースに淡い紫のリボン帯、アーガイル・チェックの黒タイツと足元には濃い紫のエナメルブーティで着飾っている。どれもシロウが彼女に似合うだろうと選んだ物であり、その際の会話からショップ定員たちが赤面していたとか居なかったとか。

「バーサーカーかな?」

「そうだといいな」

 ワンピースを摘まみ、イリヤスフィールはシロウへ問いかける。

 彼らは乱れの大きさがわかれど、それを起こしているものの正体までは知ることができない。昨夜と似た感じからクラスカードによるものだろうと当たりを付けているが、もしかしたら全く別のものによる異変かもしれない。

 だが可能性がある限り、試す価値はあるだろう。

「よいっしょ!」

 と、そんな一生懸命な、しかし軽い一言により、世界は反転する。

 歪な色に覆われる、橋から川辺だけの狭まった世界。

 ここは鏡面界――クラスカードの造り出す、歪んだ世界の狭間だ。

「どうやら、半分正解で半分外れらしい」

「きゃっ!?」

 跳んで直ぐ、シロウはイリヤスフィールを抱えて大きく跳び退いた。

 その判断に間違いはなく、一瞬後、彼らの居た場所には巨大な魔力弾が連射され、爆炎が立ち上げられた。

 そんな野蛮な攻撃を仕掛けてきたのは、この世界の柱であるクラスカード――キャスターの他に居ない。

 フードを深く被り、黒いマントを羽のように広げるその魔術師は、ギリシャ神話に登場する裏切りの魔女。正体はメディアであり、やはり彼女は義姉弟が対峙したサーヴァントの一人だった。

 キャスターは背後に展開させている幾つもの魔法陣を動かし、攻撃から逃れたシロウたちを追った。逃走の際に概念武装を纏ったシロウは、橋の下に姉を避難させると干将を投影し、その場を飛び出した。

 イリヤスフィールは弟の意図する通り、その場を動かずに彼らをただ見守ることしかできない。

 喩えあれがキャスター・メディアの出来損ないであろうと、その力を馬鹿にすることはできないのも事実。イリヤスフィールが立ち向かったところで、シロウの邪魔になるだけだろう。しかし、足手まといさえ居なければ、シロウは元のステータスがパッとせずともキャスターに負けはしない。

 それがわかっているからこそ、弟の繰り広げる激しい戦闘を眺めつつ、大人しく防壁結界を編んだイリヤスフィールだったが、ふとこの世界に違和感を覚えた。

 シロウのように世界そのものの詳細からの分析ではなく、単純な客観的視覚からの違和感――そう、例えば昨夜の学校と比べ、クラスカード一枚にしては広過ぎるのだ。

 ライダーのカードで学校の敷地面積であったが、それをキャスターのカードで比較すれば、大体冬木大橋一つ分程だろう。だが、この世界はその倍以上も広がっている。これはキャスター故の魔力の大きさが起因しているのか。しかし、それにしても、魔女一人に対しては大き過ぎる。

「――――っ! 避けてシロウ!!」

 その正体を突き止めるのに、イリヤスフィールは一歩遅かった。

 

 シロウは干将を手に魔力弾を躱し、時計を足場にして大きく飛び上がった。跳躍によりキャスターとの距離は縮められ、短剣の間合いに相手を捉えると、干将で胴体を斬りにかかる。しかし、やはり飛行している相手はそう易々と捉えられてはくれず、上段から振り下ろした刃は頭部を外し、肩口を掠める程度に納められた。

 キャスターから溢れる鮮血は赤く、クラスカードの形作る殻でもまるで人のようだ、とシロウは思った。それでも彼の手が緩むことはなく、空中で姿勢も儘ならないままに呪文を唱え、周囲に剣郡を喚び出す。

 キャスターは唖然と口を開けていた。フードから見え隠れする瞳孔も散開しており、まるで信じられないものでも見ているかのような表情を浮かべている。クラスカードから漏れ出る現象にしては芸達者なものだ。

 変な感心を覚えながらも、シロウはキャスターへ剣郡を発射させた。三六十度からの攻撃に、成人女性の形を持つキャスターが逃れる隙間はない。もしイリヤスフィール以外の観客が居れば、肉塊へと変わるキャスターの姿を思い浮かべただろう――だが剣郡は目標を見失い、空中に針山のオブジェを作るのみとなった。

(瞬間転移……それくらいはできるのか)

 砂利の敷かれた川辺に着地し、シロウは身を捻る。彼が振り仰いだ先にキャスターが居た。

 劣化していようと、神代の魔女は伊達でないらしい。

「……さて、如何したものか」

 実は生前から死後にかけて、シロウは隻腕での戦闘経験が一度としてない。もしかしたらあったのかもしれないが、欠片も覚えていない。そのため、今回のキャスター戦が、この状態での初戦闘と言える。

 故に、シロウはバーサーカーのクラスカード探しを始めは渋っていた。正直に言えば、両腕があっても勝てる自信がないにも関わらず、隻腕ではまともに立ち合うことすら危ういと思えたのだ。無事にバーサーカーのカードを入手することは、間違いなく不可能であろう、と。

 しかし、イリヤスフィールが心底欲しいと告げたことで、シロウは覚悟を決めた。欲を制限され、閉鎖的環境で育った姉の願いを聞き入れないと言う選択肢は、壊れ果てている弟の目には映らなかったのだ。

(……だが、外れとは言え、キャスターと当たったのはよかったか)

 聖杯戦争の七クラスの内、最弱ともされる魔術師のクラス、それも弱体している相手は、初戦闘手段の実験に適した獲物であったかもしれない。その元がメディアであったり、場所が彼女の懐であったり、侵入者がシロウである点に目を瞑れば、であるが、本来のサーヴァントを相手するよりは条件が揃っている。流石に心の準備はしておきたい。

 幸い、先の攻防である程度のスタイルは把握することができた。隻腕では、通常の二刀流は使えない上、射撃も多大な集中力が要されるが、やりようはある。

 シロウは干将を四散させると、次に大弓を喚び出した。

 普通であれば隻腕の者に弓を扱うことは困難である。それは例え英雄であっても同じだろう。だが、彼はそれを可能とする者である。

 上体程もあるその大弓を、シロウは空間に座標指定し、固定し、そして()を喚び出した。

 先の剣郡と同じことだ。あれもシロウが喚び出す座標を指定し、発射ルートも指揮している。彼の扱う魔術の特性上の副産物であろうとされるそれは、死して英霊となった後でも、己のことながら理解し切れない力の一部だ。

 つがえた()を引き絞り、キャスターへ狙いを定める。その間に魔力弾が幾つも襲いかかるが、全て喚び出す剣を盾に弾き飛ばし、障害を除去する。

 鏃は反れない――剣は歪まない。

 彼の目に映るは、結果のみ。

「――――偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)

 指が、()から離れる。

 ()は眩い閃光と空間を削り、一寸の乱れなく標的へ襲いかかった。そして吸い込まれるように、主人の定めたままに――キャスターの胸に風穴を空けた。

 キャスターの口からヒュッとか細い息が漏れ、続いて反動で迫り上がった血が塊のように溢れる。心臓どころか肺ごと潰されたそこは、彼女の後ろに映る歪な空にぼたぼたと雨を降らせ、溢れ落ちては砂利に水溜まりを作り上げている。

 キャスターは虚ろな目でシロウを見下ろすと、それから壊れた人形のように落下し始めた。一瞬、鷹の目がキャスターの笑みを捉えた気がしたが、身構えるまでもなく、彼女は地面へ落ちる前にクラスカードへ戻り、水溜まりへと沈んだ。

 一歩、カードへ近付く――何も起こらない。

 本当に気のせいであったのか。シロウは訝しりながらも歩を進め、カードへ手を伸ばした。

 皮が厚く硬い褐色の指は、躊躇いなく血溜まりに触れ――同時にイリヤスフィールの声が届いた。

「――――避けてシロウ!!」

 しかし、既に手遅れである。

 何故ならば、彼女(・・)は既に背後に居たのだから。

「――――っ!?」

 鋼の瞳が、目尻にそれを捉える。

 黒く染まった聖剣を構え、表情を隠す面を付ける少女(・・)

 乱れぬ色褪せた金糸に禍々しい魔力を反射させ、漆黒のドレスを翻す少女(・・)

約束された(エクス)――」

 彼女は、冷たい音を淡々と口にした。

「――勝利の剣(カリバー)

 闇が、シロウを包み込んだ。

 

 

 

 003

 

 

 

 日の傾き出した公園に、突如二人の人間が現れた。

 イリヤスフィールがシロウを連れて鏡面界を脱したのだ。

「ハッハッ……ッ、迂闊だったわ! まさか同じ空間に二枚もあるなんて!」

「ぐうッ、……すま……ない、ぐっ……っカード、ぉ…………っ」

 平和な公園の地面に、ボタボタと赤い水溜まりが広がる。それは留まることを知らぬとばかりに無手の(・・・)シロウから流れ落ち、イリヤスフィールの白いワンピースを染め上げていた。

「無理しないでシロウ。今は傷を癒しなさい」

「し、しかし……っ」

「お願いだから、今はお姉ちゃんの言うこと聞いて」

 これ以上汚れることも厭わず、姉は弟の頭を抱いた。

 その体は雪のように冷え切っており、隠しようのない震えが見て取れる。

 シロウは一度目を閉じると、か細い声で謝罪を呟き、その体を空気に溶けさせた。彼はイリヤスフィールと違いサーヴァントであるため、傷の治癒を図るためには少しでも消費魔力を抑えるのが求められる。加え、治癒魔術での回復も、今は色々と都合が悪かった。

 シロウが居なくなったことにより、ワンピースも徐々に元の色を取り戻し始める。しかし、やはりこの格好も色々と不味い。徐々に変化するワンピースを着た少女。一般人にでも見られようものなら、一体どんな騒ぎになるだろうか。

 イリヤスフィールは置いて行った紙袋を拾うと、近付いて来る気配にため息を吐き――その場から一瞬にして姿を消した。

 

 遠坂凛とルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、冬木大橋の下にある公園に来ていた。

 彼女らはぐるりと周囲を見回し、それから互いに視線を合わせてぐっと眉間にしわを寄せる。

 昨夜のことだ。彼女らとイリヤ、そしてもう一人の魔法少女――美遊・エーデルフェルトは、この公園で鏡面界へ接界し、侵入早々キャスターの歓迎魔力弾放火に見舞われて退散した。それはそれは見事なまでの敗北であり、文字通り手も足も出ないもので、急遽戦力拡大のために飛行訓練のインターバルをとっているのが現状である。

 では、いたいけな小学生魔法少女たちの意地と苦悩と困惑の特訓の裏で、彼女たちは何をしているのかと問えば、

「……どうやら、あれから戻っては居ないようですわね」

「そうね。一体何者なのかしら……」

 凛もルヴィアも固い表情で周囲を隈無く解析していた。

 彼女らがこの公園にクラスカード『キャスター』の鏡面界があることを知る前、ここには人避けの結界が張られていた痕跡があったのだ。

 辿り着いた時には結界は解かれ、術者の姿も見えなかったが、タイミングを考えれば自分たち(時計塔)以外の何者かがクラスカードを嗅ぎ回っていることが窺い知れる。加え、対峙したキャスターから感じられた魔力は、ライダーに比べて希薄しているようであった。元々そういった英霊が元であるとも思えるが、鏡面界の状態を思えば、あれは戦闘して負傷した後、回復しきれていないものだと捉えられる――と言うのも、イリヤたちが跳んだそこは、既に幾つものクレーターが刻まれていたからだ。鏡面界は世界と世界を写し出す鏡の世界。その写しが、被写体であるこの世界とかけ離れているならば、それは間違いなく何者かに先を越された証であろう。

 昨夜のまま、まだここには歪みが残っているため、撤退後にその何者かが再度カードを回収しに来たようではないが、彼方と此方が鉢合うのも時間の問題だ。何せ、歪みの数は全てで七つ。内のアーチャー、ランサー、ライダーの三枚は回収済みであるため、残り四枚だ。本当にカードを求めてやって来る者であるなら、必ず接触して来るだろう。

「カレイドステッキの独断に加え、第三者の介入、か」

「まったく、頭が痛くなりますわ」

 ここで問題になるのは、第三者の存在ではなくその実力だ。

 まだカードの回収を先越されるのはいい。良くはないが、先に無力化してくれているのだ。それを奪い取ればいいと考えれば、カードを相手にするよりかは気が楽だろう。

 しかし、この奪い取る相手がカード以上の実力者であれば、その思惑は手痛い悪手へとなり得る。

 クラスカードの回収任務は、凛たちがカレイドステッキの礼装を用いた無限の魔力あって相対できるものだ。そのステッキは世界に三本と在り得ず、つまりイリヤと美遊の持つ物しか存在しない。だが、この第三者はステッキを用いずキャスターと対等に()り合ったのだとすれば、それは彼女たち以上の力を持っていることになる。そんな相手に勝てるかと問われれば、凛たちは押し黙ることしかできないだろう。

「せめて個人なのか複数なのか、それがわかれば手の打ちようもありますが」

「そう簡単には尻尾を掴ませてくれはしないでしょうね」

「――ふふ、それくらいなら教えてあげてもいいよ」

 揃ってため息を吐いた二人の間に、にょっと可愛らしい鈴の音が響いた。

 全く気配もなくそこに忽然と現れたそれに、凛とルヴィアは示し合わせずに跳び退いて距離をとる。

「なっ!?」

「えっ?!」

 しかし、そうしてそれの正体を見た二人だったが、その口から出たのは困惑の一言。

 何故ならば、そこに居たのは雪のように透き通る肌に銀髪、それからウサギと同じ赤目の少女――イリヤスフィール・フォン・アインツベルンであったからだ。

「ちょ……ちょっと驚かせないでよ、イリヤ。なに? またルビーのイタズラ? それよりなんであんたはここに居んのよ? 特訓は?」

「はしたないわよ、リン。淑女たるもの、そう一度に何度も問いかけるものじゃないわ。品が知れるわよ」

「は?」

「それに相変わらず野蛮。そんな珍獣にでも会ったかのように人を避けるだなんて。うっかり殺したくなっちゃうじゃん」

「ちょ、ちょっとお待ちなさい! 貴女……イリヤではなくって?」

 普段のイリヤからは考えられない言葉に、ルヴィアは思わず制止をかける。

 そうだ。この少女がイリヤであるならばおかしい。

 少女は確かにイリヤと瓜二つであったが、その纏っている雰囲気は氷のように冷たく、細められた瞳もまるで親しみの籠っていない品定めするもの。

 太陽のようで能天気で魔法少女に夢見るイリヤとは全くかけ離れた、寧ろ凛やルヴィア(魔術師)に近いものが感じられる。

「負け犬のエーデルフェルトにしては勘がいいんじゃない?」

「なんですって!?」

「あら、でもやっぱり室内犬は駄目ね。甘やかされてばかりで躾がなっていないから、キャンキャン吠えてうるさいわ。その辺はリンと一緒ね。お似合いよ、貴女たち」

「こいつイリヤじゃない! 絶対にイリヤじゃないわ!!」

「そんなこと言われなくともわかってますわよ!!」

「当たり前じゃん。あんな出来損ないと一緒にしないでよ」

 ぷんすこ、と少女が頬を膨らませる。そこは何となくイリヤと似ているが、やはりイリヤとは違った。

 イリヤとそっくりでありながら、その口から溢れる鈴の音は蕀のよう。だからこそ、それがイリヤと決定的な差違となっている。

 つまり、この少女はイリヤの姿を借りている紛い物――何者かによる変装だと考えられた。

「で、貴女は何者なのかしら?」

 漸く平静を取り戻した凛が、ポケットに手を入れて問いかける。自衛用に持ち歩いている宝石は少ない。この後のクラスカード戦を思えば、なるべく使いたくない物だ。

 凛はなるべく冷静になるよう努める。

 明らかに警戒を示している相手。しかし少女はにっこりと笑って見せた。

「はじめまして、此方のリン。それからルヴィアゼリッタ。わたしはイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

「嘘おっしゃい。貴女がイリヤですって? 吐くならもっとマシな嘘を吐きなさいな」

「もうその下手な変装を解いたらどう? いつまでも他人の殻を借りてるなんて、それこそ程度が知れるわよ」

「あ、貴女たちは私のことを『イリヤ』って呼ばないでね。馴れ合うつもりはないんだから」

「だから……」

 何故か自分をイリヤだと思い込んでいるらしい少女に、二人は頭が痛くなる。

 何を考えてイリヤの殻を選んだかは知らないが、本来のイリヤとキャラが大きくぶれている。観察の足りなさが浮き彫りであり、三流魔術師であることが丸わかりだ。

「なんか……可哀想に思えてきたわ……」

「ええ……これは早急に畳んでしまうのがせめてもの慈悲でしょう……」

「むぅ、親切にも教えてあげようとしたのに。本当に貴女たちって野蛮。こんな昼間っから魔術なんて使っちゃ駄目なんだから」

「お生憎様、人避けは張ってあるの。目撃者なんて居ないわ」

「ええ、ですので。安心して倒されてくれて構わなくってよ」

「ふーん……私とやろうって言うの」

 つり上がる少女の口角。

 赤い瞳には殺気が宿り、この場の温度が一つ下がったような気がした。

 純粋な殺気。

 凛もルヴィアも宝石を構え、直ぐに対応できるよう構える。

「なーんて、するわけないじゃん」

 が、その殺気はすぐに四散した。

「せっかくお兄ちゃんと私が苦労してステージを分けといたんだから。あんな張りぼてのキャスターくらい、楽に捻ってよね」

「やっぱり! 貴女が私たち以外の……!」

「あ、そうそう、第三者の存在だよね? 貴女たちの言うそれって私たちのことだから、私とお兄ちゃんの二人だけよ。メインアタッカーはお兄ちゃんだから、実質上こっちの戦力は一人みたいなものだけど」

 眼光を鋭くした二人に人差し指を立てて告げ、くるりと少女はスカートを翻した。

 ふわりと広がったレースの裾が波打ち、少女の白い太股が彼女たちの目に晒される。一瞬、その無防備さに二人の気が逸れた瞬間、少女の瞳がそっと細められた。

「……ああ、そうだ」

 背中まで伸ばされた銀糸が、さらさらと流れる。

「お兄ちゃんを狙ったら――殺すから」

 まるで温度の感じられない。氷のような音。それだけ言い残し、少女は公園から出て行った。

 凛もルヴィアも、彼女を止めることはできない。

 何故ならば、最後の言葉。あれには先までのが子供騙しとも思えぬようなものが込められていたのだから。

 まるで、いきなり冬の海に沈められたような、それ程に凍てついて重苦しい殺気であった。

「な、なんなのよ、あれ」

「わ、私が、知るわけが、ないでしょう」

 

 

 

 004

 

 

 

「なんでさなんでさ♪ ななななんでさ♪」

「……一応訊こう。なんだね、それは」

「お兄ちゃんのテーマだよ」

「なんでさ」

「ミリオンヒットでランキング一位だって」

「なんでさ」

「作詞作曲はタイガだよ」

「そこまでにしておけよ藤村」

「これで今日のイチオシも書いちゃうんだから」

「やめろ。うちの店をそんな面白喫茶にするな」

「なんでさなんでさ♪ ななななんでさ♪ めめめ目玉目玉目玉メニューはスペシャルトッピングフルーツ特盛チョコレート&ホイップ&カスタード&キャラメルソースましましデラックス五十人前パンケーキ♪ おたおたおたおたお楽しみに♪」

「流れるように新メニューまで作るな」

「お一人様限定挑戦メニューだぞ♪ お値段二万円で制限時間は四〇分だ!」

「それは漏れなくバッドエンド確定だろ」

「――何やってんだよ?」

 ここは新都の片隅にひっそりとある、何処にでもある喫茶店《聖杯喫茶》。そこでアルバイトをしている高校二年生の衛宮士郎は、扉を開けて早々、仲良く戯れる店長義姉弟に首を傾げると、店の看板娘であるイリヤスフィールが抱える黒板を覗き込んだ。

「スペシャルトッピングフルーツ特盛……何だこれ? こんなメニューって今まであったか?」

「今作ったんだよ」

「作るかたわけ」

 軽くイリヤスフィールの額を叩いた店長のシロウは、士郎に制服に着替えて来るように言うと、また仕込み作業へと戻って行く。相変わらず片腕だけで器用に器具を操る雇い主に、士郎は尊敬の眼差しを向けつつ更衣室へと向かった。

 この喫茶店の店長は、士郎と同じ音をファーストネームに持っている。フルネームをシロウ・E・アーチャーと聞いており、なんとも不思議な名前であるが、自分が弓道部なのもあって、士郎は勝手に親近感を抱いている。また、あの身長差でシロウの姉だと言う、士郎の義妹と見た目も名前もそっくりなイリヤスフィールは、イリヤスフィール・フォン・E・アインツベルンと士郎に告げた。イリヤたちと同じアインツベルンのファミリーネームであるのは、彼女が親戚であるかららしく、今は義姉弟の禁断の恋愛による駆け落ちだとか、望まぬ許嫁から逃げて来ただとか、本当か嘘かわからないことで、こっそりと来日しているのだとか。

 つまり、血の繋がりはなくとも士郎とも彼女らは親戚になる。ならば、こっそりなどとそんな寂しいことは言わないでほしい、と思うも……士郎自身は、イリヤの母・アイリスフィールの夫である衛宮切嗣の、書類上は養子である。そのため、家族と言えどアインツベル家系には疎く、気にせず家へ気軽に訪れろ、とは勝手に口にできない。彼女たちはこのまま、イリヤたちに自分たちのことを知らせず過ごしていくそうだ。

 さて、そんな不思議な姉弟の元でアルバイトをすることになったきっかけだが、実は士郎にもよくわからない。

 道端で友人と部活のない日だけでもバイトをしたい、と話をしていた所をイリヤスフィールに捕まり、そのままこの店に連れ込まれ、初めこそ反対していたシロウが捩じ伏せられるのを見ていたら、いつの間にか雇われていたのだ。今でもよくわからないのは仕方ないのかもしれない。

 因みに、彼女ら雇い主にタメ口なのは、イリヤスフィール命令であり、また『イリヤ』とも呼ぶように言われたが、そこは義妹と混同しないためにも丁寧にお断りした。

「そもそも何故五〇人前なんてトチ狂った量なんだ」

「第五次聖杯戦争とかけてみました」

「そのこころは?」

「どちらもデキレースよね。勝者なんて居やしないわ」

「クレームが来るから止めてくれ」

「でもこの聖杯(早食い)戦争ならセイバーの圧勝だよね。賭けてもいいよ」

「賭けにならんだろ」

 着替えてタイムカードを押し、厨房に入れば、シロウがさっそく件のパンケーキ作りに取りかかっており、イリヤスフィールがそれをにこにこと眺めていた。

「あ、結局作るんだ」

「ええ、今日から看板メニューよ」

「らしいぞ」

「店長さ、そうやって増えた新メニュー幾つ目だよ」

「…………」

 士郎が働き始めた時よりも厚くなったメニュー表。その半分以上が突発的にイリヤスフィールが提案したものである。

 シロウは士郎の指摘には答えず、黙ってパンケーキをひっくり返した。どうやら、姉に甘い自覚があるらしい。

 その反応にやれやれと肩を竦め、心の中で勝手に師にしている男のパンケーキへ視線を戻す。パンケーキの表面は斑な狐色をしており、完成前だと言うのに食欲を刺激してくる。

「……て、あれ?」

 そこでふと違和感を覚えた士郎は、首を傾げてイリヤスフィールの傍に寄る。そして本当に義妹と変わらない小さな耳に口元を添えると、小声で尋ねた。

「店長、もしかして調子悪いのか?」

「あら、どうして?」

「どうしてって……なんか、だるそう?」

 自分でもよくわからない。しかし、いつものシロウであれば、パンケーキの焼き面はもう少し整っているはずだ(と思う)。

 これもこれで十分美味しそうではあるが、こと料理にいたって妥協を許さぬこの男にしてはおかしい。

「だって。バレちゃったね、お兄ちゃん」

「ハッ、小僧程度に見破られるとは、私も焼きが回ったかね」

 何故か士郎に対して嫌みが強いシロウは、焼き上がったパンケーキを皿に移しつつ自嘲染みた笑みを浮かべる。

「む、そう言う言い方しなくったっていいだろ。で、何かあったのか? 風邪なら厨房に立たない方がいいぞ」

「たわけ。風邪なんぞひかん。少し怪我をしただけだ。営業に支障はないさ」

「怪我? 大丈夫なのか?」

「くどいぞ。そう言う心配は茶の一杯でも満足に淹れられるようになってから言え。この未熟者」

 鋼の瞳で鋭く睨み付けられるが、ホイップクリームやらカスタードクリーム、あとフルーツの乗ったパンケーキにチョコペンでウサギを描いていては、怖がるものも怖がれない。隻腕であったり厳つい見た目に反して、彼はなかなか指先が器用な男なのだ。

 そんな店主が完成させたパンケーキは、イリヤスフィールの前に置かれ、紅茶も添えられた。

「もう殆ど治っている。そんなことに気をやるならば、少しは技を盗む目でも磨いていろ。一昨日の物は相変わらず蒸らしが甘いから香りが飛んで――」

「はいはい、精進するよ!」

「あははっ、頑張ってね、シロウ」

 イリヤスフィールの声援を背に、士郎は黒板を掴んで逃げるように表へ出た。

 聖杯喫茶。なんともネーミングセンスが欠片も感じられない店で働く士郎だが、実は家族には内緒で行っている。その理由としては、自分が衛宮家の養子であり、これまでの生活で何不自由なく過ごして来れたことが挙げられる。

 士郎は正義感の強い少年だった。未だ原因不明の事故により両親を亡くした赤の他人を引き取ってくれたことにも感謝が尽きないにもかかわらず、義理の息子として家族の中へ本当の子どものように引き入れ、愛情を注いで貰って育って来た。故に、士郎は貰ったものを返したいと思うし、なるべく迷惑をかけたくないとも思っている。

 では、養父たちへの負担を軽減するために何が必要であるか。士郎が学生の身分であることから、今後も金銭がかかることだろう。今は高校二年生であるが、卒業後の進路をそろそろ固めなくてはならない。就職するにしろ進学するにしろ、やはり金はかかるものだ。そこで、その費用を少しでも軽減できないか、と考えるのは自然な成り行きであった。

 ついでに買いたい物もあり、そういった事情から、士郎はアルバイトを考えていた。それがたまたまイリヤスフィールの耳に入り、こうして働かせてもらっているのだから渡りに船と言ったものか。

「お待たせ致しました」

 上品な豆の香りが鼻を擽る。

 コーヒーとレアチーズケーキを窓際席で談笑する老夫婦へ配った士郎は、軽く礼をとってその場を離れた。

 この喫茶店は知る人ぞ知る物のようで、分厚いメニューに反して客足は多くない。今日も常連である老夫婦以外には、朝に後輩と友人の兄妹が来店したくらいで、とても静かに時間が流れている。

 よくこの集客で成り立っているものだと思うが、義姉弟はお金欲しさで経営している訳ではないらしく、あまり気にしている様子はない。

(元々が金持ちなのか?)

 自分の家はともかく、アインツベルン家とは、聞こえは何処かの貴族を思わせる響きだ。彼女たちが上流階級の出であっても不思議ではない。

 そう思うのも、店内にもそのようは色は見られるからだ。飴色のテーブルや、手触りの良い柔らかな布地の使われた椅子、紅茶のカップなどの食器も一つ一つ僅かに柄の異なる一点物で、店主の拘りがそこかしこから窺える。イリヤスフィール曰く、カーテンは間違いなくシルク製であるため、裕福であることに違いないだろう。

 働き始めてから幾度となく繰り返した、謎多き雇い主たちのことを考えていると、音楽に紛れて鈴が鳴った。

「いらっしゃいま――――ん?」

 すぐさま入り口へ顔を向けた士郎だったが、瞳に写るのは半開きになったレトロな扉のみで、人の姿はない。はて、この不可解な現象は何かと思えば、「おい」とやや不機嫌な声がかけられる。シロウのものだ。

「何を木偶のように立ち止まっている。早く席へ案内しろ」

「いや、あの……」

「視線を下げろ、たわけ」

「へ? ……………………え?」

 言われた通り下げれば、そこには不思議なお客様が居た。

 白のタートルネックにワインレッドのロングスカート。肩口で揃えられた髪は天使の輪がかかる金色で――その上にちょこんっと猫耳が乗っかっていた。

「え?」

 士郎は目を瞬く。

 見間違いではない。

 なんか、よくわからない人(これを『人類』の定義に含めていいものなのか?)が、片手で扉を支え、壁に凭れかかりながら士郎を待っていた。

「んーーまだまだ世を知らぬ少年だぜ。染まり切ってにゃい少年よ、カウンター席に座ってもいいかにゃ?」

「あ、はい」

 何故かはわからない大先輩オーラに、言われるがまま頷いた士郎は、豆を引くシロウの前まで客を案内した。

 客は士郎でも足が付かない丸椅子に飛び乗ると、憂い気な様子で頬杖をつく。

「そちらの店はいいのかね?」

「なーに、今は休憩中にゃ。まーあちしたちはあちしたちでのーんびりやってるから、どっかの金ぴかとかハーレム主人公とか来ん限り問題にゃいね」

「そうか、それは何よりだ。ところで、今朝方新メニューが出来たのだが、一ついかがかな?」

「まーたメニューが分厚くにゃっちまってますにゃ。んじゃーそれとーー、あとはミルクでも貰おうか」

「了解した。小僧、ホイップの用意をしろ」

「お、おう」

「お兄ちゃーん、ペーパーのストック少ないから買い物に――ってきゃーーーーっ!!!!」

 シロウと気安い雰囲気から、彼女(?)も喫茶店の常連らしい。二人のやり取りを眺めつつ、冷蔵庫から生クリームと砂糖、卵を取り出した士郎は、それらをボウルの中で混ぜ合わせる。すると、ちょうど裏から戻ったイリヤスフィールの口から、珍しくも絹を裂くような悲鳴が上がった。何事かと見れば、彼女は青い顔で猫っぽい客を指さしている。

「な、なななっ! なんで居るのよ!?」

「こらっイリヤ。人に指さしちゃダメだろ!」

「そーにゃそーにゃ!」

(……いや、アンタは人間じゃないだろ……)

 ハンドミキサーの電源を入れ、メレンゲの食感を持つホイップクリームを作りながら眺める。

 まだ1年足らずの付き合いであるが、士郎は初めて知った。イリヤスフィールは猫が苦手らしい。

「この間アンタは出入り禁止にしたじゃん! どういうことよ、シロウ!!」

「どうもなにも、彼女は客人だ。客である以上、もてなすのが私の心情さ」

「そうやってまたフェミニスト振る! てかあれ人間じゃないじゃん! どう見ても化け物でしょ! あれを女扱いとか正気!?」

「酷い言われようだにゃ! あちしはどこからどう見ても立派なキューティーレディキャット他ならんだろう! そんなこと言う奴には肉球タッチだにゃ!」

「やあーーーー! ちーかーよーるーなーー!!」

「こらっ! 店内で暴れるな!」

「おーい、ホイップできたぞー……って、聞こえちゃいないか……」

 カウンターを挟んで喧嘩する二人(?)を仲裁するシロウを見て、完成したホイップクリームを脇へ避難させた士郎は、こっそりとため息を吐く。

(……もしかして、とんでもない所で働いてるのか、俺は……)

 もしかしなくても、彼の予想は大正解だったりする。

「士郎くん。会計を頼めるかい?」

「あ、はい」

 しかし、士郎にとっては大変なことでも、常連客は慣れたものなのだろう。コーヒーを飲み終えた老夫婦は、カウンター隅へ避難する士郎へ声をかけて清算すると「また」と一言残して立ち去って行った。

 さて、これで店にある客の姿は猫っぽい客のみ。イリヤスフィールと彼女の喧嘩はますますヒートアップしていた。

「大っ体! 貴女が出て来ると決まって厄介事が起こるに決まってるじゃない! 今度また店中猫だらけにしたら、その首捻ってぶっ殺すから!!」

「動物虐待! 動物愛護団体が黙ってにゃいぞコラァ! やれるもんならやってみやがれってんだ、このジェノサイドシスター!」

「ええ、やってやるわよ! アインツベルンが最高傑作をなめないことね!!」

「やめろ二人共! 本気で怒る――」

 その時、店の扉が開かれた。カランカラン、と開閉を知らせる鈴が鳴り、思わず全員の目がそちらへ移る。

 そこに居たのは、女であった。

 赤みがかった髪を一つにまとめ、橙色のアタッシュケースを下げるスーツの女。人さし指と中指で挟む煙草からは煙が踊り、店主の額に谷を作らせる。

「久し振りに来たが、随分と騒がしいな」

「うちは禁煙だぞ、蒼崎橙子」

 眉間を揉むシロウの言葉に、女――橙子は瞬きを返し、その後すぐに手の煙草を握り潰した。

「思うに、どうも最近、愛煙家には世知辛い世になってきたんじゃないか?」

「言っておくが、歩き煙草も注意される世の中だからな。たばこ税も上がるぞ」

「何……だと……お前が言うと洒落にならんぞ」

 金あったっけー、と橙子は首を捻りながら歩き出し、シロウの前に腰かけた――つまり、猫っぽい客の隣に座った。彼女はその小さな体を跳ねさせ、そろり、と椅子から降りて行く。それは何かを恐れるようで、何かから隠れるようでもあった。

「ん? なんだ、帰るのか?」

「あー……あちし、ちょっと用事を思い出してぇ……」

「ん? 私に気を遣うことはないぞ」

「いやー遠慮しときますわー。なんつーか、こいつからみょーに鋭い匂いを感じるんでにゃぁ……具体的に言うなら銀幕のヒロイン(ヒーロー)的にゃ、バッサバッサ首切っちまう方のバーニィ的な……じゃ、そういうわけで、ばいにゃら!」

「もう二度と来んなーー!!」

「あ、ありがとうございましたー……」

 猫っぽい客は、何やらぼそぼそと言葉を濁しつつ、颯爽とCOOLに去って行った。その小さくも逞しい背中を送り出したイリヤスフィールは、開けっ放しにされた扉を気持ちよく勢いのまま閉じる――ガッチャン! チリンチリン! ――なんのために彼女は来たのだろうか。士郎の疑問は、誰にも答えられることなく、平坦な声に乗って消えていった。

 そんな従業員二人に肩を竦めたシロウは、さてと、と手元の料理を見下ろす。実はあの状況でもせっせと作っていたパンケーキだが、注文した客が居なくなって無意味なものとなってしまった。折角用意したのに勿体ない。ものの行く宛を探し、とりあえず橙子の前へ差し出した。

「良かったら如何かね? うちの新作だ」

「何これ? ホットケーキ?」

「デコレーションパンケーキだ」

「うわっこれ分厚いな」

 出されたパンケーキの厚みに感嘆を溢した。橙子のそれに気を良くしたシロウは、エスプレッソもおまけで添える。

「ちょうど挽いたところだ。そのパンケーキとよく合うだろう。ああ、お代は結構だ。以前の礼として受け取ってくれ」

「報酬は十分貰ったんだけど、まあ貰えるものは貰っておくよ」

 ざっくりと豪快にパンケーキをナイフで二等分し、更に切り分ける橙子に、士郎は首を傾げた。

 この女性客もどうやらあの猫っぽい客同様、シロウと交流があるようだが……はて、「以前の礼」とは何のことだろうか。秘密主義な所のあるこの義姉弟だ。士郎の知らないことなど、それこそ数えられない程あるのだろうが、彼女たちとの関係からは、何やら奇妙なもの(・・・・・)を感じさせる。

「シロウ」

「っぅわ!」

「もう、見すぎよ」

 エプロンをイリヤスフィールに引っ張られ、そこで漸く士郎は橙子を凝視していることに気が付いた。その失礼な態度に慌てて謝罪を述べて顔を逸らした店員を、店主はため息で咎める。

 見られていた橙子は、あまり気にした様子なく士郎を眺めていた。

「そうだ、シロウ。ちょっとお使いに行ってきてくれる? ペーパーがなくなっちゃったの」

「え、ああ。別に構わないぞ」

「そう。じゃあ……はい、これとかもついでにお願い」

 そう言えばそんなことを言っていた。

 渡されたお使いのメモと財布をズボンのポケットへ入れ、エプロンを外した士郎は、唯一の客へ礼をしてから店を出て行く。彼女の視線が、その背をずっと追いかけていることなど知るよしもなく。

「……なあ、あの少年って……」

「黙秘権を行使する」

「あまり私の弟を苛めないでちょうだい。で、何の用なのかしら? 貴女がただの様子見でここに来ることなんてないでしょう?」

「ああ、それはな――」

 

 その日の夜。

「あ、そうだ。言うの忘れてたけど」

「なんだ?」

「朝方、リン達と会ったから」

「そうか……は?」

「人避けの結界とキャスターとの戦闘跡を見て第三者の介入に気付いていたみたいなの。だから見当違いな方に模索されるよりはいいかなーって思って」

「そう言うことは先に相談してから行動してくれたまえ……」

「だってシロウったら、昨日の戦闘でダウンしてたでしょ? 私たちもカードを狙う以上は宣戦布告しとくに越したことはないし、いずれ鉢合わせるなら心の準備をさせておいてあげるべきだと思うの」

「私にもその配慮をしてくれないかね」

「だってお兄ちゃんの驚く顔が見たかったんだも~ん☆」

「姉さん……しかし、それならば尚更バーサーカーを早急に見付けなくてはならんな」

「そうね。鉢合わせても負ける気は全然しないけど、羽虫にチョロチョロされるのも鬱陶しいし」

「羽虫……」

「リンとルヴィアのことだよ。なに? もしかしてお兄ちゃんはリン贔屓なわけ?」

「いや……む、うむ……」

「やっぱり! 昔の女を引きずるなんて情けないわよ!」

「誤解を生む言い回しは止めたまえ!」

「私が居るのに他所の女に目移りするなんてサイテー! これだから日本人はみんなロリコンなのよ!」

「やめなさい! ロリコンじゃない日本人が可哀想だろう!」

「じゃあお兄ちゃんはロリコンじゃないって言うワケ!?」

「当たり前だろ!」

「サッッッイテー!!」

「なんでさっ!!??」

 

 

 

 005

 

 

 

 夜も染み渡った新都。そこにある一つのビルに舞い降りた義姉弟は、風が乱す髪を掻き上げて冬木大橋の方に視線をやる。

 ここからは、灯によって照らされて赤く浮かび上がっている橋しか見えないが、その下にある公園にて、イリヤたちはキャスターの討伐に再チャレンジしている最中だろう。そうなれば、今の彼らを邪魔する存在はいない。

「調子はどう? お兄ちゃん」

「問題ない」

 はためく赤い外套に身を包んだシロウは、静かにイリヤスフィールへ答えた。

 今のシロウのマスターはイリヤスフィールである。彼女は現在、聖杯と一体化することで(今は単独行動中であるが)聖杯から魔力を潤沢に提供されている状態にある。そのため、シロウの胴体を半分切り裂いた、あのセイバーによる傷は綺麗に塞がっていた。

投影(トレース)開始(オン)

 撃鉄を落としたシロウの手に、黒い洋弓と偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)が造り出される。

 ヘラクレスの脅威の一つとして挙げられる常時発動型宝具《十二の試練(ゴッド・ハンド)》は、Bランク以下の攻撃を全て無効にし、さらに命のストックをも授ける逸話の宝具だ。シロウが持つ多くの武器の中でもAランク以上に分類されるものは少なく、偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)はその貴重な威力に届きうる物の一つである。実際、これは過去に彼の宝具を突破して見せた神秘が込められている。

 それを構えた姿勢で、シロウは待機する。即戦闘に移せるよう、確実に有利性を掴むため、隙を見せないため、そしてイリヤスフィールを守るために。

「イリヤ、飛んでくれ」

「うん」

 魔術の余波により、イリヤスフィールの白いワンピースが膨れる。

 そして、彼らはそこから姿を消した。

 

 結果から述べるならば、彼らは当たりを引いた。

 今回訪れた鏡面界はバーサーカーのクラスカードの世界であり、それは間違いなくヘラクレスの英霊であった。

 それを、十分に理解した。

 理解させられた。

 理解せざるを得なかった。

「■■■■■■■■■■――――!!!!」

 バーサーカーは彼らの目の前に居た。

 鋼の肉体が視界を埋め、圧倒的で暴力的な魔力が全身に叩き込まれる。

 彼の咆哮は全身の血肉を震わせ、血管を破裂させるような沸騰を感じさせた。

 その咆哮は大地を震わせた。

 空間を震わせた。

 世界を震わせた。

「――――っ」

 故に、一瞬の硬直がシロウたちを襲った。

「」

 声など、一音たりとも零れ落ちることはない。

 遅い。

 遅過ぎる。

 何もかもが致命的なまでに遅過ぎる。

 シロウは屋上に殴り倒され、そのままコンクリートを破壊した。ビルが悲鳴を上げて揺れるが、クッションがあったとは言え、大英雄の一撃をよく耐えたものである。屋上の床は陥没のみで済んでおり、人一人分の水溜まりに沈む人形を作り上げる土台の役目をこなしていた。

 その人形と共に居たイリヤスフィールは、直撃を免れたもののその余りの暴力に巻き込まれ、屋上の端まで吹き飛ばされていた。

 彼女の軟らかい四肢は固い床を数度跳ね、縁にぶつかる形で漸く制止する。

 あまりに呆気ない。

 あまりに情けない。

 あまりに果敢ない。

 しかし、この程度――予想の範囲内だ。

「令呪に告げる! 全快しなさい!!」

 如何に可憐に映ろうと、イリヤスフィールは魔術師だった。聖杯戦争のために造られた最強のマスターである彼女に、この程度の痛みは慣れていた。

 彼女は知っている。

 全身を切り開かれる痛みを知っている。

 血が沸騰する痛みを知っている。

 捕食される痛みを知っている。

 心臓を抉られる痛みを知っている。

 聖杯戦争のために数々の痛みがこの幼い体を貫いてきた。

 泣こうが喚こうが、誰も救ってはくれない。止めてはくれない。

 故に、彼女は痛みに慣れていた。

 痛みを受け入れる覚悟に、慣れていた。

 聖杯戦争の勝利のために、あらゆる全てを受け入れた。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは勝ち残るために造られた最強にして最凶のマスターだ。

 ならば、血を流そう。

 ならば、立ち上がろう。

 ならば、叫ぼう。

 ならば、この全てを――

I am the bone of my sword.(我が骨子は捻じれ狂う)

 ――彼女(マスター)の勝利へ捧げよう。

偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)!!」

 ゼロ距離から放たれた英霊の剣は、寸分の狂いなくバーサーカーの心臓を射ち抜いた。

 巨大で頑丈な体を動かすエンジンに似合う大きな穴。そこから大量の鮮血が溢れ、真下に居るシロウの髪を赤く染め上げる。

 それを拭う間も惜しんで、シロウは血溜まりから素早く飛び出した。そしてイリヤスフィールとは反対に位置する場にてある宝具を構え、ヘラクレスを注視する。

(イリヤ)

(あ、はは……凄いでしょ、わ、たしの……バ……んっ、バーサーカーは、世界で一番強いんだから!)

(……知っているとも)

 弟の心配を不要と返した姉に、思わず奥歯を噛み締める。

 全身の魔術回路を起動させ、壊れた箇所を無理矢理動かし、血だらけで立ち上がったイリヤスフィール。膨大な魔力を持ってして既にその影はワンピースの染みにしか残されていないが、しかしシロウの脳裏にはその姿が焼き付いている。

 今の彼女はシロウの姉ではなく、彼のマスターである魔術師だ。

 その覚悟を、シロウは衛宮士郎でないが故に踏みにじれなかった。

(ほら、なにを呆けているの。次来るよ!)

(わかっているさ)

 イリヤスフィール(マスター)の言葉に、シロウは記録より喚び出したある宝具の効果をトレースする。

「■■■■■■■■■■」

 突撃してくる豪腕。まるで突風のようであり、その一振りが空気を切り、真空を作る。

 シロウはそれを防ぐことはせず、回避で対応した。いくらイリヤスフィールがマスターであるとは言え、シロウの素のステータスはあまり高くない。強いて挙げるならば、魔力が向上したくらいだろう。幸運はピクリとも動いていないが。

 そんな低スペック英霊の耐久値ではたかが知れており、喩え現象の英霊であろうとバーサーカーの攻撃を無防備に食らえば、またただの人形に成り果てる恐れがある。 

「ふっ!」

 故に回避し、バーサーカーが地面を叩き割った瞬間、その無防備に晒された脇腹から肩甲骨までをシロウは鎌剣で切り裂いた。

 バーサーカーの胴体が僅かにずれ、ピンク色の断面を覗かせる。しかしそれは一瞬であり、次の瞬間には一気にそこから鮮血が溢れ、レッドカーペットを作り上げた。

 彼の鋼を貫いた物は、メドゥーサの首を刈り取った《不死殺しの鎌(ハルパー)》――その原典であり、それを投影した物である。

 シロウの保有する宝具の大半は、主にウルクの王が集めた原典にあたる物だ。生前にそれを見る機会があった故に記録された物たちであり、最古の英雄の所有物なだけあって、そのどれもが劣化していようと高ランクに位置付けられる。加え、不死殺しの鎌(ハルパー)の元なだけあり、その不死殺し性はバーサーカーに対して治癒を遅延させる抜群の効果をもたらしていた。

「…………イリヤ」

 今度はイリヤスフィールの隣まで後退し、シロウは鎌剣を四散させて新たな投影品を検索しながら口を開く。

「あのバーサーカーは、予想以上に劣化している可能性がある」

「劣化?」

「まずライダーやキャスターと同じように理性がない。そのため戦術に無駄が目立ち、隙も多い」

「ただでさえない理性が、更に削れているってこと?」

「ああ。そして次に今とさっきの攻撃。偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)の感覚で思ったが、今ので確認がとれた。奴の十二の試練(ゴッド・ハンド)はAランク以上のみではなく、Bランクも通すようだ」

 イリヤスフィールがマスターになって魔力に余裕ができたため、真作に迫る投影が行えるようになったシロウだが、あくまでも投影品であるためランクが一つ下がる。先の鎌剣はわざとランクを落として創った物であるが、不死殺しがあったにしては、バーサーカーの体にすんなりと刃が通った。

 それが示す答えは一つ。このバーサーカー・ヘラクレスは第五次聖杯戦争のサーヴァントと比べ、明らかに弱体化している。

「じゃあ、もしかしたら命のストックも……」

「十一回の蘇生力はないだろう」

 再度洋弓を創り上げ、黒い剣をつがえる。

 未だバーサーカーは完全に蘇生されていない。脊髄が切断されてしまっているため、いくら英霊と言えど、背中が治るまでは立ち上がることもできないのだろう。そのため、時間ならば十分にある。

 弓を座標固定し、シロウは構えをとった。

 射法八節。射の基本動作であり、指導の際に用いられる。それを狂いなく行い、ぶれることなく引き分けにて静止する。

「…………イリヤ、構わんかね?」

 十秒。

「……うん。いいよ。バーサーカーはバーサーカーだけど……私のバーサーカーじゃないもの」

 二十秒。

「でも、勘違いしちゃダメだからね。バーサーカーはこんな簡単にやられたりなんかしないんだから」

「勿論だとも。身に染みているさ」

 三十秒。

「■■■■■■■■――!!!!」

 四十秒。

 穏やかに過ぎ去った僅かな時間は、狂戦士の叫びにより消し去られる。

 ぐるりと反転し、跳び上がった巨体。

 盛り上がり、振り上げられた右腕は、義姉弟が潰れて抉れ壊れる感触を今か今かと待ちわびている。

 例えるならば、正に隕石。抗いようのない脅威そのものである。

「喰らいつけ、赤原猟犬(フルンディング)!」

 しかし、やはり隙だらけだった。

 惜しみなく空けられた胴体。

 遮蔽物のない空中。

 回避行動など、不可能。

 こんなもの、ただ当ててくれと言っているようなものではないか。

「――――■■■■■!!」

「なにっ!?」

 当然、赤原猟犬(フルンディング)はバーサーカーの胸に直撃し、その上半身を吹き飛ばした。だが恐るべきことに、それでもバーサーカーは止まらなかった。

 これも当然である。バーサーカーは既に攻撃を繰り出している最中である。それも空中だ。体勢を崩されようと関係ない。真空をも作り上げる速度で放たれたその豪腕は、命尽きようと振り抜かれるしかない。

 脱力の気配を見せない恐怖に、シロウはイリヤスフィールを抱えてその場を跳び退いた。

 標的を失った鉄槌は、ビルの縁諸共に先まで彼らが居た場を破壊し、そのまま地上へと落ちていった。

「……落ちちゃった」

「……そのようだな」

 しかし、唖然と感想をのべられるのも数秒のみ。その後すぐ、世界を地鳴りが襲った。

 義姉弟は急いで崩れた縁から下を覗き込むが、地面に陥没が確認できるのみで、バーサーカーの姿は見えない。

「落下中に蘇生したか」

「どうやって上がって来るのかな? 階段だと大変そう」

「それはないと思うが……」

「じゃあエレベーター?」

 ウィーーン……チンッ!

 オープン・ザ・ドア!

 バーサーカー・ヘラクレスだよ!

「それはなかなかシュールだ――なっ!?」

「きゃっ!」

 何度目の揺れか。ビルが大きく震え、悲鳴が上がった。

 咄嗟にイリヤスフィールを抱き寄せ、シロウは周囲を見回す。

 揺れは続いているが、バーサーカーが接近してくる気配はない。揺れと共に聞こえてくる音も同じだ。

「なに、これ? まるで何かを壊してるような……」

「出所は足下、となればバーサーカーが……――まずい!」

 その時、ビルが今までで一番大きく揺れた。

 否、崩れ始めたのだ。

「奴め、柱を叩き壊したな!」

 意図してか、それともただの暴力か。

 バーサーカーはビルの一階フロアを全て破壊し尽くしていた。壁も床も柱も、ビルを支える全てをその持ちうる力で余すことなく粉砕していた。

 バーサーカーもシロウも、英霊でありサーヴァント、また力の現象だ。神秘を含まないビルの倒壊では、その体に傷を付けることはできないが、しかしイリヤスフィールは違う。

 聖杯と一体化していようと、受肉してこの世に送り出された彼女は、その在り方は人間の肉体と然程変わらない。そのため、巻き込まれれば押し潰され、身を磨り潰され、か弱く死ぬしかない。

熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!」

 イリヤスフィールを放さぬよう抱き込んだシロウは、落下方向に花弁の盾を展開する。

 崩壊の音に混じり、今度こそ迫り来る轟音。それは間違いなくヘラクレスの接近を知らしめていた。

I am the bone of my sword.(――――――体は剣で出来ている)

 この倒壊の中、イリヤスフィールを庇いながらの戦闘は圧倒的に不利。ならば勝てるものを、最強の一手を、持てる全てのカードを切ろう。

Steel is my body,(血潮は鉄で) and fire is my blood.(心は硝子)

 土煙を掻き切り、眼前に現れる。

 瓦礫を押し退け、眼前に現れる。

 ヘラクレスが眼前に現れる。

I have created over a thousand blades.(幾たびの戦場を越えて不敗)

 繰り出される剛力の連撃。

 絶対の守りである花弁一枚にヒビが入る。

Unknown to Death.(ただの一度も敗走はなく、)Nor known to Life.(ただの一度も理解されない)

 しかし、ならば持つ。

 ならば間に合う。

Have withstood pain to create many weapons.(彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う)

 花弁が七枚展開された、完成形の熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)。その守りはトロイア戦争にてアイアスが使用した絶対の守り。大神宣言(グングニル)であろうと防ぐそれが、たかが英霊の現象程度に突破されることはない。まして、このバーサーカーはただの腕力のみしか持たぬ、理性なき獣だ。

Yet, those hands will never hold anything.(故に、生涯に意味はなく)

 最早、イリヤスフィールに問うことはない。

 傍にある温もりを抱き締め、シロウは最後の一節を音にした。

So as I pray, unlimited blade works.(その体は、きっと剣で出来ていた)

 世界を、炎が包み込んだ。

 

 

 

 006

 

 

 

 そこはさびれた荒野である。

 果てなどない、無限に続く地平があるばかりの赤錆の丘。

 あるものと言えば、墓標のように突き刺さる剣ばかり。

 ただの男が辿り着いた場所(果て)

 見返りを求めず、敗北を許さず、ただ理想のためだけに生きた男の終着駅。

 茜色の空には、空転する幾つもの歯車が浮かんでいる。

 主は一人。他に人などいないさびれた世界。

 そこに、二人の客人が招かれた。

 一人は雪の妖精を思わせる可憐な少女。

 一人は岩を思わせる狂戦士の大英雄。

 さびれた世界の主は、静かに腕を振り下ろした。

 

 

 

 007

 

 

 

 既にバーサーカーを六度殺した。

 一度目は偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)を用いて心臓に風穴を空けた。

 二度目は不死殺しの鎌(ハルパー)の原典にて胴体を半分以上切り裂いた。

 三度目は赤原猟犬(フルンディング)を限界まで溜めた上で放ち、上半身を吹き飛ばして見せた。

 そして四、五、六度目は無限の剣製(アンリミテッド・ブレイド・ワークス)の発動と同時に、数の暴力を持ってして削ぎ落とした。

 続く七度目は――

「っ!!」

 バーサーカーはシロウの振り下ろした剣を躱した。追い切れなかった髪が数束程切り離されるが、バーサーカーには傷一つ付いていない。

 その動きを追うように、返す刃で追い討ちをかけるも、それもバックステップにて距離を取られ、捉えることはできなかった。どころか素早いカウンターが繰り出され、シロウも大きく後退させられることになる。

「……っバケモノめ!」

 シロウが呻くのも無理はない。

 なんせ先のようなやり取りは、既に数度は繰り返している。同時に三つのストックを切らせた後から、明らかにバーサーカーの動きが良くなってきていた。

 それはおかしい。このバーサーカーはあくまでもクラスカードから漏れ出る現象に過ぎず、英霊の力と言う形でしかない。それに備わっているのは《本能》のみであり、《理性》など備わっているわけがないのだ。

 しかし、それが今はどうだ。

 バーサーカーは明らかにシロウの動きを読み、その上で回避を選択している。危機察知からではない。シロウの動きを見て、予測して(・・・・)動いているのだ。

「うそ……」

 それはシロウのみならず、端から見ているイリヤスフィールにもわかることである。

 にわかに信じがたい。しかし、目の前で起きている現象。

「……まさか……読み込んでいる(・・・・・・・)の?」

 そんな、まさか――有り得ない。

 バーサーカーを目の前にすることで、嫌でも思い出される聖杯戦争の記憶。

 イリヤスフィールのバーサーカーは、衛宮士郎(エミヤシロウ)に殺されている。

 ある世界では囮となったアーチャーに。

 ある世界では正義を捨てた少年に。

 どちらも同じ、ある男(エミヤ)の手によって。

「■■■■■――――!!!!」

「悪い冗談、だ!」

 いつの間にか、バーサーカーの右手に大剣が握られていた。

 成人男性程の幅広い、岩の斧剣。

 本来なら現象程度には過ぎた装備であるが、彼らの知る補われた(・・・・)バーサーカーにはあって当然の武器である。

「ちっ、まさか宝具(固有結界)が裏目に出るとはな」

 シロウは気付いた。

 このバーサーカーに何が起きているのか。何によってもたらされているのか。

 故に歯噛みし、眉間にしわを寄せる。

「これ以上は不利……しかし、」

 固有結界は心象世界を現実に展開し、世界を塗り替える大魔術。つまり無限の剣製はシロウの心そのものである。加え、この場にはシロウのマスター(・・・・・・・・)であるイリヤスフィールもいる。これらの条件により、バーサーカーは第五次聖杯戦争のサーヴァントに置換されつつあった。

 理由はいたってシンプルだ。

 イリヤスフィールがバーサーカーを求めるのは、嘗てのバーサーカーに会いたいからだ。喩え記憶がなくても構わないと言えど、あるに越したことはない。そのため、イリヤスフィール(聖杯)は記憶を持ったヘラクレスを望んでいる。

 次にシロウが展開した固有結界。心象世界で現実世界を塗り替えるとは、即ちその場をシロウの心の世界に変えると言うこと。これにより直接、バーサーカーはシロウの心に触れている状況が出来上がる。

 さて、クラスカードはそもそも何故回収しなくてはならないのだろうか? 歪みを生み、それを広げてしまうから? ならば何故、歪みが生まれる? それは、周囲の魔力を吸い上げている(・・・・・・・・・・・・・)からだ。

 もう、答えは見えただろう。

 バーサーカーは固有結界の発動により、またイリヤスフィールの望みにより、心象世界から直接第五次聖杯戦争のバーサーカーの情報を読み込んでいたのだ。

 磨耗による記憶喪失がお家芸とは言え、このシロウ(エミヤ)は座に戻っていない。そのため現在、前の世界のことや、追加されたデータを記憶し、記録して保持している。それが固有結界を通し、バーサーカーへ流れているのだ。

「はぁっ!」

「■■■■■」

 ならば固有結界を解けば良いのかも知れないが、鏡面界と比べて場所の良し悪しではこちらの方が勝っている。

 瓦礫の中でバーサーカーとやり合うには、イリヤスフィールの安全に些か懸念が残るのだ。

 今のシロウにとって、何者よりも優先すべきはイリヤスフィールの存在である。彼女の願いはなるべく叶えたいと思い、彼はここに立っている。彼女の悲しむ顔が見たくなくて、彼は共にいる。

 衛宮士郎の代わりだとか、サーヴァントだとか、そんな理由などない。

 喩え己がイリヤスフィールのエミヤシロウでなくとも、シロウは彼女の家族でありたいから、そして彼女もまた同じように望むから、彼らは一緒に過ごしてきた。

 夢で構わない。

 嘘でも構わない。

 それが、互いに家族を失った彼らの望みである。

 故に、シロウは固有結界を展開し続けた。家族を守るために、意地を通すことにした。

 周囲から記録を読み込んで強化されていく?

 ならば、完全に上書きされる前に打倒せばいい。

 その命が尽きるまで、無限の剣を磨ぎ続けよう。

 それが、最も姉の身を守る最適解なのだから。

「ぐっ!」

「■■■■■――!!」

 回避されようが、シロウは構わず踏み込み続ける。

 斧剣とぶつかり合う度に、シロウの腕は痺れた。

 元々このバーサーカーは、パワーだけなら当然相当なものであった。隙だらけであったとは言え、シロウは初撃で頭からダブル・スレッジ・ハンマーを食らい、霊基の大部分を駄目にされた。己でも間抜けと罵りたい失態であり、イリヤスフィールがマスターでなければあのままリタイアまっしぐらであっただろう。そんなパワーを遠心力を加えてぶつけられているのだ。サーヴァントでなければ吹き飛ばされている。

 加え、今のシロウは隻腕であるため、以前程の力を込めることはできない。力比べともなれば、バーサーカーが相手だ。彼は押し負けるだろう。

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)!」

 そのため気合いと根性、そして腕への強化で瞬発的に斧剣を弾いたシロウは、周囲の剣をバーサーカーめがけて発射させた。数はおよそ五十。四方八方から押し寄せる名剣名刀は、主人の操るままに寸分狂いなくバーサーカーへ襲いかかる。

 瞬間に巻き起こる圧倒的な爆発。

 《壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)》は宝具に秘められた魔力を炸裂させ、その内包する神秘そのもので敵を破壊する。他の英霊には真似のできない、しようとも思えない、投影を得意とするシロウならではの技である。それが宝具であれば、先ず並みの者では霊核ごと焼き尽くされかねない程の威力だろう。故にシロウの切り札の一つであるが、それでも彼は油断しなかった。

 砂を巻き上げるその爆風に紛れ、シロウは姿勢を落とし、煙に影を写すバーサーカーへと接近した。そしてその腹にオーバーエッジした干将を走らせ、一文字に切り裂いた。

「……っ、そろそろ尽きる頃だと思ったのだがね」

「■■■■■■■■――!!」

 だが、まだバーサーカーは蘇生される。

 用なしとなった干将も四散させ、その勢いに乗る形で距離をとったシロウは、次の獲物を検索する。脳裏を駆け巡るのは数多の武具。この中にあと幾つ、バーサーカーの命を削るものがあるだろうか。

 時間もあまり残されていない。完全に上書きされる前に仕留めたいが、状況処理とそれによる反応速度が、相対した時と比べて既に段違いの域に達している。動きを完全に止めなくては、また一進一退の攻防に持ち込まれ、一殺入れるのは困難であろう。

「…………」

 そんな焦りの中、不意にある物が検索にヒットした。

 それは剣でなければ、また殺傷力もない、宝具には至らぬ物だ。しかしその能力は絶大であり、あの聖杯の泥すら退けた英雄王にすら効果を発揮した一級品の代物である。心なしか、自分も苦い思い出が過った気がしたが、気のせいにしておきたい。

 何にしても、そろそろ蹴りを着けたい。時刻は既に深夜を回っており、シロウは兎も角イリヤスフィールの体に障る。

 向かって来るバーサーカーから距離を取りつつ、シロウはそれ投影した。

「――ノリ・メ・タンゲレ」

 それは真赤な帯状の布であった。かつて出会った極悪シスターが使用していた聖骸布――《マグダラの聖骸布》だ。

 「ノリ・メ・タンゲレ(私に触れるな)」の呪文によりその効果を発揮する物であり、魂の色が男性であるものを拘束する力が宿っている。それにより、冬木市では英雄王やら光の御子やらの大物が弄ばれている姿があったとかなかったとか。

 要は、ほぼ絶対的男性特攻拘束聖骸布であるそれは、投影による劣化品であろうと十分にその効力を発揮した。

「■■■■■――!?」

 腕を絡め取られた途端、バーサーカーは停止した。

 ただそこに薄っぺらな布が巻かれた程度にも関わらず、それを外そうとすることもできずにいる。鉄錆の地を踏み、巌の肌を焼き焦がす大英雄が、名を後世に轟かせるあの大英雄が、だ。

 なんと恐ろしいものであろうか。己の所業ながらゾッとしたシロウだが、勿論外すつもりは欠片もない。

「さて……これで終わりにしよう」

 八つ目の命。

 一度目を閉じ、それから覚悟を決めたシロウは、さびれた丘より一振りの剣を呼び寄せる。

 手に取るのは黄金の剣だった。

 

 

 

 008

 

 

 

 鈴の音も寝静まった夜の公園。そこに魔法少女二人と魔術師二人が鏡面界より帰還して現れた。

「はぁ……なんとかキャスターのカードも回収できたね」

 キャスターの反撃には驚いたが、それもイリヤの気転と美遊との連携により打破することができた。

 危険な真似を、とルヴィアには怒られたものの、大した怪我もなく終えることができたのだ。初戦を思えば万々歳の出来だろう。

「さて、じゃあさっさと解散して帰りましょうか」

「ですわね。任務とは言え、この子たち(小学生)にこれ以上夜更かしさせるわけにはいきませんし。次については追って連絡を致します。美遊帰りますわよ」

「わかりました」

「あ、ミユさん!」

 ルヴィアに促され、転身を解いた美遊にイリヤは声をかけた。

「……なに?」

「あ、えっとね……」

 相変わらず冷たい態度ではあるが、ちゃんと体を返ってくれているため、昨日に比べれば心を許してくれているのだろう。

 イリヤも転身を解き、彼女の傍に寄ってから口を開いた。

「ごめんね。あとね、ありがとう!」

「え?」

「いきなり魔力弾なんて撃たれて驚いたと思うけど、それでもわたしの考えに気付いてくれてすっごく嬉しかった。なんか、やっとコンビで戦ってるんだなって思えて」

「……コンビ」

 そうだ。元々、このクラスカード回収の任務は凛とルヴィアの二人がコンビで行うもので、単独での撃破は(一応)想定されていない。にも拘らず、現状は二人の対立からイリヤと美遊のカードの奪い合いのようになってしまっている。

 美遊にもある責任感(・・・・・)から単独での回収を行いたい気持ちはある。そしてイリヤが一般人であるため、彼女を無闇に巻き込みたくない気持ちもあった。

 故に、昨日の「カードの回収は、全部わたしがやる」の発言になるのだが、今回の戦いを振り返ると、自分一人で本当に回収できたかなんて断言できない。少なくとも、無傷での回収は不可能であっただろう。

「だから、ミユさん。ごめんね、それからありがとうございました!」

「……ううん。それを言うなら、むしろわたしの方」

 美遊一人であったら、別にどれだけ傷付いても構わない。あの人(・・・)との約束で死ぬなんてことはできないが、怪我くらいならなんてことはない。

 しかし、今日の戦闘ではルヴィアたちがどうなっていたかと考えるとゾッとする。

 最後の力を振り絞って、空間ごと焼き尽くそうとしたキャスターの攻撃は、間違いなく彼女たちに届くだろう。ステッキを持っていない彼女たちではあの攻撃を防ぎきることはできず、間違いなくその命を焼き切きられていたことは想像に難くない。

「わたしだけじゃ、みんなを守れなかった。イリヤスフィールが居なかったら、カードは回収できても無事じゃ済まなかったと思う」

「ミユさん……」

「だから、ありがとうイリヤスフィール」

「うん! どういたしまして!」

 イリヤは破顔した。

 まだ美遊が何を考えているのかはわからない。だが、一歩彼女に近付けたのは確かだろう。

 今後どうなるかと思っていたが、これならなんとかやっていけそうだ。

「そうだ! 美遊さん!」

「え?」

 突然、イリヤはぐわしっと美遊の両肩わ鷲掴んだ。そのあまりにも予想外の行動に、思わず美遊の目が点になる。それも仕方ない。目の前に迫ってきたイリヤの表情は、目がキラキラと輝いており、頬も何故か上気して明らかに興奮を表しているのだ。こんな奇態を目の前に、戸惑うなと言う方が難しい。

「そうだよ、美遊さん!」

「な、なにが? イリヤスフィール?」

「ううん、イリヤスフィールなんて他人行儀じゃなくて『イリヤ』って呼んで! 友達はみんなそうしてるから!」

「友達……」

「そう友達なら……って、あれ? もしかしてそう思ってたのわたしだけ? わたしの片想い!?」

 鸚鵡返しの反応に、イリヤの熱が急速に冷めていく。

 そう言えば美遊と共にクラスカードの回収を頑張っているが、友達というには友達らしいことをした覚えは全くない。まともに会話できたのも、今日くらいではなかろうか。

「あ、あのですね……無理にと言うわけではなくてですね……」

「あ、いや、そうじゃなくて……」

 今度はしどろもどろとなるイリヤへ、美遊は肩にかかるものに手を添えて、やや地面に視線をやりながら口を開く。

「それならその……わたしも……呼び捨てでいい……」

「……美遊さん……ううん、ミユ」

「イリヤ……」

「これから、あらためてよろしくね」

「うん、こちらこそ」

 深夜の公園に淡い桃色結界が作られる。互いを見つめ合う少女二人を、ばっちりしっかり捉える影が一つ二つとあるが、彼女らの目にそんなものは欠片も映っていなかった。

『いや~初々しくて眩しいですね~~。()マスターたちにも見習って頂きたいものですね~~』

「ちょっと、それはどういう意味かしら、ル・ビ・ィ?」

『はい。イリヤ様と美遊様()良きコンビとなるでしょう』

「サファイアも何を強調していらっしゃるのかしら?」

 ふわふわ空間を眺めるステッキと、その後ろで怪しげなオーラを撒き散らす凛とルヴィア。

「へぇーあの子ってミユって言うんだね」

 その更に後ろに、にょっきりと割り込む鈴の音があった。

『おや?』

「うん?」

「あんたは!!」

 公園に唯一ある時計の下。その柱に凭れるように、銀糸の髪を流す赤目の――イリヤそっくりの少女がそこにいた。

「こんばんは、リン、ルヴィア。そっちの(イリヤ)とミユは初めまして」

 少女は柱から身を起こし、ワンピースを摘まみ上げて礼をとる。その動きはやはり洗練されたもので、見た目はそっくりでもイリヤとの違いを見せつけた。

 魔術師二人が少女から距離をとるのに倣い、イリヤと美遊もその場から飛び退く。

 先まで居なかった少女がいきなり現れたのだ。これを警戒するなと言う方が難しい。

「出たわね、イリヤの偽者!」

「わ、わたしの偽者なの!?」

 確かに、本物のイリヤスフィールはここにいるイリヤである以上、目の前にいる者は偽者ということになる。

 しかし、何故かイリヤには目の前の少女が偽者とは思えなかった。おかしな考えであるが、寧ろ自分でない自分(・・・・・・・)だと思えてならない。

「知っているんですか?」

「ええ、昨日からこの公園には人避け結界が張られた痕跡がありまして、それを調べていた今朝方に……」

 ルヴィアは少女からぶつけられた純粋な殺気を思い出していた。

 今にも心臓を撃ち抜かれそうな、首を捻り切られそうな、そんな殺気。

 思わず宝石に手をかける後見人を見て、美遊はサファイアを握り締めた。

『あ、のーー、ちょーっといいですか?』

 そんな緊張に包まれる空気のなかでも、ルビーの声はよく響いた。

「なによ、ルビー。見てわかる通り、今取り込み中なんだけど」

『ええ、まあはい。それはわかりますが、なんだか皆さん勘違いしているみたいなので、ちょっと訂正しておこうかと』

「訂正?」

 なんとも緊迫感の欠片もない調子のルビーに、凛はイライラを抑えつつ応える。

『サファイアちゃんはもう気付いてますよねー?』

『はい、姉さん。彼女の発する魔力の解析率から見て、まず間違いないかと』

「ど、どういうこと?」

 まるで付いていけない会話に、イリヤは白旗を上げる。

「へー、その魔術礼装ってそんなことまでできるんだね」

「……っ」

 そんな彼女たちの様子を、少女は目を細めて眺める。

 まるでモルモットでも観察するようなそれに、美遊の肌が粟立った。

「勿体ぶってないでさっさと言いなさいよ」

『えー、ではぶっちゃけますね』

 全員の視線を集めたルビーは、器用に羽根で少女を指差すと、ある衝撃的な事実を告げた。

『あの美少女――平行世界のイリヤさんです』

 

 

 

 009

 

 

 

「クラスカード『バーサーカー』回収完了……と言ってみたが、様になっているか?」

「うん。かっこよかったよ。お疲れ様、シロウ」

 ヘラクレスを打倒し、カードを手に入れた義姉弟。今は疲労を癒すため、共に湯船に浸かっていた。

 その浴槽は武家屋敷と違い、一般的な住宅に付いている広いとは言えない大きさとなっている。そのため成人程の二人が入るには適していないが、イリヤスフィールが年齢に比べて小柄であるため、シロウに身を預けるような形で仲良く収まれていた。

「…………ふぅ……」

「…………はぁ……」

 イリヤスフィールもシロウも、天井で揺れる湯気を眺めながらほっと一息吐く。

 流石に傷は回復し、既に次の戦闘に支障がないまでに回復しているが、流石に気疲れが重い。心なしか肩が石のようだ。

 それも仕方ないことだろう。劣化していたとは言え、ヘラクレスと対峙したのだ。加え、初撃で手痛い失態も犯している。体が緊張していないわけがない。

 手に取るクラスカードに視線をやり、イリヤスフィールはガックリと項垂れた。

 本来の聖杯戦争にて宝具の次に切り札となり得る令呪。全三画あり、その一つ一つが魔力の塊で、それを解放することにより奇跡に近い真似すらできる、サーヴァントへの絶対命令権。

 シロウがイリヤスフィールのサーヴァントとして現界していること、また冬木の聖杯を通して転移して来ていることが関係し、彼らは聖杯戦争のマスターとサーヴァントと変わりない関係にある。それ故に、イリヤスフィールは令呪を三画宿しており、それを今夜のようにシロウへ行使することができた。

「視野に入れていたとは言え、なるべく使いたくはなかったなー……」

「キャスターの前例があったにも関わらず、対策していなかったオレたちの落ち度、いや、油断だろうな。仕方ないさ」

「でも、この後はあのセイバーを相手するんだよ?」

 件のセイバーとは、キャスターと同空間に居たクラスカードのこと。

 だった数瞬の対峙で撤退したが、それだけでもあのセイバーの異常性(・・・・・・・・)を知ることができていた。

「……それはそうと、相変わらず意地悪だな。イリヤは」

「何のこと?」

「さっきのことだよ。この世界の君と出会った時のことだ」

「あー……」

 シロウが困った顔で問えば、イリヤスフィールは濡れた髪先を指に絡めて記憶を遡る。

 時間は二時間程前――イリヤスフィールたちがバーサーカーを回収し、イリヤたちがキャスターを回収した時のことだ。

 つまり、イリヤスフィールの正体が暴露された時である。

「「へ、平行世界のイリヤーー!!??」」

「わ、わたしーー!!??」

 予想外の事実に、一同騒然となる。

 美遊だけはその身を固めたが、誰も気付く()は居なかった。

「では、改めて自己紹介するね。私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。この世界とは別の……魔術師として育てられたイリヤ、と言った方がわかるかしら?」

 なるほど、とルヴィアは内心で納得がいった。このイリヤスフィールの神出鬼没さに、明らかにイリヤとは違った雰囲気は、育った環境の違いに寄るものだったのだと。一般人としてのイリヤが魔術と関わることにより何がどうしてああなるのかは全くわからないが、魔術とはそれだけ一般とは一線を画するものであるということは、そこに身を置く者としてよく知っているつもりだ。

「まずはキャスターの討伐おめでとう。メディアを倒すなんて、ちょっとは見直したわ」

『ほぇーーあの神代の魔女っ子、まさかあのコルキスの魔女さんだったとは! そりゃあの強さも頷けますよ!』

「メディアって誰?」

『ギリシャ時代の王女・メーディアのことです、イリヤ様。イアソン率いるアルゴー船の一員にして、その妻でしたが……陰謀と裏切りを重ねた魔女として有名です』

「あ、どっかで聞いたことがあるかも」

「……随分と、詳しいんですね」

 感心するイリヤを背に、美遊は問いかける。

 何故クラスカードの元となった英霊の力を知っているのかと。

 彼女が平行世界のイリヤであるならば、年代からしてもメディアと面識があるはずもなく、であれば彼女と対峙しても正体を看破することは難しい。まして、時代を無視しなければ(・・・・・・・・・・)不可能だ。

「まあ、ちょっとした知り合いよ。気にしないで」

「いや、気になりすぎるんですけど」

 まあまあと流すイリヤスフィールに、凛は脱力する。

 この少女はイリヤとは違い、強烈なカウンターを隠し持っていそうだ。下手につついたら蛇どころか虎が飛び出て来かねない。

「それで? 要件を訊きましょうか。待ち伏せしていたと言うことは、見ていたのでしょう?」

「うん。話が早くていいね。もう遅いし、眠たいからパパっと済ませよっか」

 イリヤスフィールは軽い足取りでイリヤたちに近付いてくる。そして約五歩手前で立ち止まると「まずは」と誰かを紹介するように右手を持ち上げた。

「前に言った『お兄ちゃん』を御披露目するわ」

 『お兄ちゃん』と言われてイリヤに思い当たるのは、自身の義兄である衛宮士郎だ。

 あの赤毛で優しい琥珀色の瞳を持つ人が、平行世界でも自分の兄であるのだろうか……。

「遠距離攻撃適正である弓兵にしか該当できないくせに、近距離戦闘が大好きな私のお兄ちゃん(サーヴァント)だよ。『アーチャー』って呼んでね」

「トゲがあるように思えるのは私の気のせいかね?」

(全っ然知らない人だったーー!!)

 と思っていたイリヤの期待を裏切り、現れたのは褐色の肌を持つ長身の男。真っ白の髪は掻き上げられ、晒されている額に谷が作られている。また瞳は鉄色をしており、さらに左腕がない。兄の面影など欠片も感じられない男だった。

 と言うより、突然なにもないところから蜃気楼のように現れたこの男――アーチャーは、間違いなく兄とは別人である。て言うかアーチャーは明らかに人外だ。ついでにちょっとファンタジーな格好してるし。

「人型の使い魔(サーヴァント)ですって!?」

「しかもこの高密度な魔力っ! 有り得ませんわ!」

「そっちの常識で図らないでよね」

 片目を閉じ、髪を掻き上げたイリヤスフィールは、その視線を魔法少女二人に送る。

「要件は共闘の提案よ。今後のクラスカード集めの、ね」

「冗談。だれが共闘なんてするもんですか」

「え? なんでダメなの?」

 きょとんと首を傾げるイリヤに、ルビーがそそっと囁いた。

『あちらのイリヤさんが魔術師なので、信用ならないんですよー。魔術師ってのは利己的で冷酷非道な連中ですから、手を組むと言っておいて後ろからドカン! 漁夫の利ゲットー! になりかねないのです』

「なにそれこわっ」

 そう易々と倒される気はないが、だからと言って自分たちを攻撃してくる不穏分子には背中を任せられない。

 身を抱き後ずさったイリヤだが、その一歩前に、庇うようにして美遊が立った。

「貴方は、どうしてクラスカードを求めるの?」

 声が、硬い。

 まるで初めてまともにイリヤと美遊が会話した時のような、そんな突き放すような感情のない声が彼女の口から発せられる。

「別に、私たちはカードになんて興味ないわ」

 そんな美遊へ、イリヤスフィールはバッサリと切り返した。

 その答えに、美遊のみならず他の面々も目を見開く。

 クラスカード回収を共闘しないかと持ちかけながら、興味がないとはどういうことであるのか。

「私たちはある原因の手がかりとしてカードを求めているだけ。集まったカードに何か変化が起こるのか、そもそもカードは何のために作られたのか、何故そのカードが現れたと同じくしてアレ(・・)がなくなったのか。これらを知りたいから、私たちはカードを調べているに過ぎないわ」

「『アレ』?」

 イリヤスフィールたちは自分たちも知り得ないなにかを掴んでいるようだ。不可解に伏せられた単語に美遊が眉を寄せるが、彼女はそれに微笑むのみで応えない。

「別に悪い提案ではないと思うんだけど。こっちは貴女たちが苦労して倒したキャスターを翻弄させて見せたお兄ちゃんを戦力として提供する。貴女たちは回収したカードを私たちにも調べさせる機会を与える。ね? 素敵なギブアンドテイクだよ?」

「素敵なギブアンドテイク? 笑わせますわね。それで、どうして貴方方がカードを持ち逃げする可能性を潰せますのよ」

「じゃあ、これにサインでもしましょうか?」

 未だ頷かない相手に、イリヤスフィールはアーチャーへ合図を送る。アーチャーは彼女の意を理解し、ある一枚の羊皮紙を取り出した。

「それは!?」

自己強制証明(セルフギアス・スクロール)!?」

「……って、」

「……なんですか?」

 魔術師二人が驚愕する隣で、魔法少女二人が疑問符を浮かべる。

『美遊様、イリヤ様。自己強制証明(セルフギアス・スクロール)とは所謂契約書のことです』

『まあ、お二人が知らなくっても仕方ないくらい、えげつな~くてマイナーな代物ですけどね~』

「サファイア、それってどういった物なの?」

『契約の内容に、それにサインした者は魂ごと縛られる物です。現在するあらゆる魔術での解除が不可な上、魔術刻印に作用しますから、それを受け継ぐ代々まで縛ることも可能になります』

『陰謀の策略が渦巻く意地汚い魔術師による、行き過ぎた安全装置みたいなものですね。お前が信用ならないから破ったら末代まで死ねよ、みたいな』

「こわっ」

 魔術師に対して夢の壊れる話に、イリヤは口をひきつらせる。

 凛たちにここ数日で多少理不尽な目に合わされてきたが、あんなもの序の口だったらしい。

「ここには私たちが貴女たちに協力し、カードを明け渡すこと。それから貴女たちが私たちに、調査を目的としたカードの貸し出しを契約する内容が書かれているわ。ああ、ついでに貴女たちを裏切らないことも加えよっか。これなら、私たちを信用してくれるよね?」

 何の問題もないとばかりに、イリヤスフィールはシロウから契約書を受け取り、何処かから取り出したペンで内容を書き加える。そしてそれをイリヤたちへ見えるように晒し、妖艶に微笑んだ。

「どう? これなら安心でしょう?」

「貴方たち正気!? それが何かわかって言ってるの!?」

「わかっているわ。その上で提示しているの。これが私たちの覚悟の形。わかりやすいでしょ?」

 にっこりと笑う。

 まるで人形のようだ。イリヤは鏡のような平行世界の自分に目眩がした。

 何か決定的なものが、自分と彼女では違っている。それが何かはわからないが、その違いがイリヤとイリヤスフィールを別々の存在として作り上げているのだろう。

「……ルヴィア……」

「……言われずとも……」

 凛とルヴィアは互いに目配せし、それからイリヤスフィールへ視線を戻す。

 その瞳には決意が宿っていた。

自己強制証明(セルフギアス・スクロール)は要りません。貴方方の提案を受け入れましょう」

「いい? 妙なことしたら袋叩きにするから、変に企んだりするんじゃないわよ」

「そう。快い返事が受けられて何よりよ。ね、お兄ちゃん」

「ああ、そうだな」

 不要になった契約書を破り捨てて燃やしてしまうイリヤスフィールに、アーチャーはちょっと遠い目になる。教会のシスター(つて)にそれ一枚用意するのも大変だったんだけどなー……。

 なんて弟が考えているなんてことなど露知らず、姉は髪を一本引き抜き、それを使って鳩程の鳥型使い魔を形作ると、その使い魔をイリヤたちへ送った。

「連絡はその子を通してできるから、クラスカードの回収に行くなら知らせてね」

「では、失礼する。君たちも体を冷やす前に帰りたまえ」

「あ、ちょっと!」

 凛たちが呼び止めようとするのも聞かず、アーチャーはイリヤスフィールを抱え上げ、文字通りその場から跳び去った。

 ステッキでの飛行とは違った、脚力のみでの超跳躍。冬木大橋の骨組みに飛び乗った彼らは、そのまま徒歩で新都へと向かって行く。

 そんな彼らを見送ったイリヤは、思い出したようにポツリと呟いた。

「あ、でもなんか……目元が似てたかも」

 

「君は彼女たちが自己強制証明(セルフギアス・スクロール)を不要とするのをわかっていたのだろう?」

「リンなら要らないって言うんだろうなって思ってたよ。ルヴィアの方がわからなかったけど、なんかあの二人似てたし行けるかなーって。それに契約書にサインしても、私たちは痛くも痒くもないものだったし」

「そこも、君は意地が悪い。誰に似たんだか」

「さあ? 誰でもいいんじゃない?」

 ぶくぶくっと、イリヤスフィールは湯船に口を付けて遊ぶ。

 あの自己強制証明(セルフギアス・スクロール)は、姉弟たちにとって何の制約のない物であったのは本当である。勿論自己強制証明(セルフギアス・スクロール)自体は本物で、要は形ばかりを整えたスカスカの契約書。

 あの契約書が効力を発揮すれば、イリヤスフィールはバーサーカーのカードをイリヤたちに渡さなくてはならなくなるが、それは相手が知っていて要求してきた場合にのみ限られる。契約内容には最終的に渡さなくてはならないが、回収して直ぐに渡すとは何処にも書かれていなかった。屁理屈ではあるが、これが契約上成り立つものであれば自己強制証明(セルフギアス・スクロール)にて保証される行為となる。

 今となっては関係ないことであるが、もし凛たちがサインに同意していようものならしろいあくまに弄ばれていたことだろう。

「あっちがちゃんとカードの回収ができていたってことは、残るクラスは『アサシン』と『セイバー』のみ」

「狙うならアサシンが先だな。力を付けているとは言え、今の彼女たちにセイバーの相手をさせるのは不可能だ」

「そうね。その辺は……まあ、その内

にどうにかするとして。ところで、アサシンはどっちで現れのかな?」

「オレたちが知っているのは二人だが」

 一人は日本人の亡霊である佐々木小次郎。

 もう一人は、本来のアサシンである呪腕のハサン。

 第五次聖杯戦争を模しているならば、このどちらかが次の相手となるだろう。

「どちらも侮れん英霊だが」

「様子見にはいいかもね」

 うっそりと微笑むイリヤスフィールに、シロウはやれやれと肩を竦めた。

 





勉強の合間に書いていた一発ネタの予定が、ちょっと思った以上に長くなったので投稿してみました。
無印編だけの予定で書いてたので、書ききりたいなぁとは思ってます。プリヤクロスネタは一杯あるけど、このネタはなかった気がするので……ないよね? 見落としでネタ被りがあったら下げます。
どっちの映画も最高でしたね。DVD欲しいです。

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