今回は筆者の独自解釈やノリが酷いので、読む方にとってはとても疑問符が拭えないかもしれません。長いですし、くどい書き方をしたので疲れると思います。それでも良いと言う方は、頑張って下さると有り難いです。
03/08 修正
010
「ねえ、少しお話しできない?」
「ふぇ!?」
学校が終わって直ぐ。美遊と共に帰宅し、家の扉を開けようとしたイリヤの後ろから、イリヤスフィールが声をかけてきた。
一体何時からそこに居たのか。いきなり現れた彼女にイリヤはすっとんきょうな声を上げ、それに気付いた美遊が急いで駆け戻ってくる。
「貴女、何時から」
「今さっきよ。ねえ、そんなことより少し話さない? 今夜討伐に赴く前に、貴女たちのことを知っておきたいの」
イリヤの前に割って入ってきた美遊を気にせず、イリヤスフィールは髪を掻き上げて問う。イリヤたちはその答えに迷った。
彼女の言葉をただ鵜呑みにして素直に従うには、あまりに材料が不足している。協力関係になったとはいえ、まだイリヤスフィールたちの真意は謎が多いことに加えて、あのアーチャーと言う、何故かクラスカードにあるクラスを名乗る男。今は居ないが、昨夜を思えばただ姿を隠して控えているとも考えられる。それに対してこちらはイリヤと美遊の二人。ルビーとサファイアも居るが、それでも凛とルヴィアが居ないのは心許ない。
まだこの距離であれば、向かいに暮らしているルヴィアを呼びに行けるかもしれないが、それをイリヤスフィールは快く思わないようであった。
「リンとルヴィアはいいわ。あの二人なら、見なくても大体の予想はつくもの」
「……貴女の世界でも、あの人たちと貴女は知り合いだったの?」
「ええ、ルヴィアのことはあまり知らないけど、リンの実力ならある程度知っているわ」
一転して、何故か苦い顔色になったイリヤスフィールに、イリヤと美遊は顔を見合わせる。感情を付けるならば「悔しい」だろうか。眉間にしわを寄せ、むっと唇を尖らせる様は、自分と同じ容姿でありながら別人のようだ、とイリヤに思わせた。有り体に言えば、ちょっとかわいいと思ったイリヤだった。
「あのリンが隣に並ばせる魔術師なら、ルヴィアの実力も知れるわ。でもね、それと貴女たちは別よ。貴女たちは見ているだけじゃ、何処までできるのかわからないもの」
『えー、つまり、平行世界のイリヤさんは「ここに居るメンバーだけでお話ししましょう」と言いたいわけですね?』
「ええ、さっきからそう言っているわ」
鞄から飛び出したルビーの要約に、イリヤスフィールは頷く。
『しかし、ルヴィア様たちにも一応は話を通しておくべきでは?』
「えーーめんどくさーい。いーじゃん別に、一時間くらいだよ、話すの。ちょっと過保護すぎるんじゃない?」
『いやいやいや、魔術師相手に過保護に過ぎるってありませんから! まあ、たしかに? ルビーちゃん的には? 魔法少女にはハラハラ☆ドキドキハプニング的なものも大事なので? 大歓迎と言えば大歓迎なんですけどね?』
『こればかりは私たちの一存では決められませんから』
「そ、そうなのです!」
「普通の反応です」
「むむ……」
一般的感性からの正当な反論に、流石のイリヤスフィールも唸り声を溢す。
イリヤたちは小学生である。今時の小学生、怪しい人に付いて行ってはいけないことなど、誰でも知っている常識だ。
「なら、こうしましょう!」
ぱちん、とイリヤスフィールが指を鳴らした途端、ブレーキ音を立てて彼女たちの前に一台の車が停まる。
そのホワイトのボディには傷一つなく、窓にも曇った箇所は見られない。陽の光を反射し、輝くエンブレムはリングに嵌まるスリーポインテッド・スター。
世界に名を轟かす高級車の登場に目を白黒させるが、さらにその屋根が外れ、ドライバーが姿を見せたことにも驚かされる――何故か執事服を着ていたが。
そのドライバーは白髪をオールバックにし、褐色の肌にサングラスをかけていた。逞しい体躯は乱れのないスーツに包まれ、左腕がないためにややアンバランスに映るが、それでも十分に似合っている。その体を赤いシートへ凭れかからせるドライバーの男は、開放的になった車体からイリヤスフィールを見上げた。
「私を呼んだかね、マスター」
((なんか凄くかっこつけてるー!!))
現れたのはアーチャーであった。
サングラス越しでもわかるドヤ顔であった。
サングラスを外すのにも格好つける
『ひゅーひゅーーかっこいいーー! いやー様になってますねぇ! あ、ちょっと顎下げて……そうそうそれです! その角度のままちょっとサングラスのフレームを唇に……そーですそーですナイスショット!』
「む……ふむ、そうだろうか」
(のせられてるー!!)
『いやーこれは後の反応が楽しみですねぇ~』
「ん? 何か言ったか?」
終いにはルビーに煽てられ、車から降りて車体にポージングし始めるアーチャーに、ますますイリヤたちの目が点になる。
怖い男かと思っていたが、意外とノリがいいらしい。
「アーチャー、遊んでないで準備しなさい」
「ああ、任された」
呆れた様子でため息を吐いたマスターに、アーチャーは何でもない顔をして頷くと、サングラスをかけ直してから後部座席の扉を開き――そこへイリヤと美遊を勢い良く、しかし丁寧に投げ入れた。続いてイリヤスフィールが助手席へと乗り込むと、ドライバーは心得ているとばかりに屋根を再展開させて急発進する。
簡潔に表すなら、イリヤスフィールたちはイリヤと美遊を誘拐した。
「ひ、人拐いだーーーー!!」
「貴女たちが言うこと聞かないのが悪いのよ」
『いやー見事で滑らかなテクニックでしたね。これは初犯じゃありませんよ』
「手荒な真似をしたが、心配することはない。およそ数分のドライブだ。少し私のマスターの我が儘に付き合ってはくれないか?」
「わたしたちを、どうするつもりですか?」
高速で移り変わる景色に、車が新都へ向かっていることがわかったが、目的地は全く想像つかない。アーチャーの言う通り、ただのドライブであるなどとは信じられない美遊が、倒れ込んだ姿勢を正しつつ問い質す。それの何が面白いのか、イリヤスフィールもアーチャーも、口角を吊り上げて口を開く。
「甘いものは好きかね?」
「お茶をしましょう?」
新都にひっそりとあるレトロな喫茶店へ連れ込まれたイリヤと美遊は、窓際の席でアーチャーの出したアップルパイとオレンジジュースを前に固まっていた。
二人の前に座るイリヤスフィールにはレモンティーが出され、唖然とする二人とは反対に、優雅にその味を楽しんでいる。
「食べないの? お兄ちゃんが作るのはどれも絶品よ?」
「いや、その前にここどこなの?」
差し出されるものは確かに美味しそうではある。だが、だからと言って知らない店に連れ込まれて腰を落ち着けるのは難しい。
「ああ、ここは私たちの店よ」
「ああ、なるほど! アインツベルンさんたちのお店――ええええええーーっ!!??」
イリヤの驚きも仕方ない。
どうやって生活しているのかと思えば、まさかお店を開いて溶け込んでいると誰が思うだろうか。
「いきなり大声出さないでよ……って、私のことファミリーネームで呼んでるの?」
「え、だってわたしとあなたは同じ名前でちょっと違和感が……ってそんなことより何でお店!? 異世界の人ってそんな簡単に他所の世界でお店とか持てるの!?」
「現に持ってるじゃない。ちょっとやりたかったのよ」
「そんな気軽に習い事するみたいに始められるの!?」
「い、イリヤ落ち着いて」
平行世界での自分の突拍子のない行動に、イリヤは頭が混乱するようであった。
やっぱり違う。このイリヤスフィールとイリヤは、根本的価値観と言うか、取り巻く世界が何もかも違い過ぎて、どう頑張っても自分には思えない。イリヤは彼女のように異世界へ移った際、店を持とうと思うだろうか? いや思うまい。てかどうやってやるかも想像できない。
「はい、疑問は解消できたわね。じゃあ、どうぞ召し上がってちょうだい。せっかくお兄ちゃんが用意してくれたの。無駄にしてくれないでよね」
「え、あっはい……じゃあ、いただきまーす」
「い、いただきます……」
落ち着いてきたところで促されるまま、とりあえずフォークを手に取り、パイ生地へさくりと突き刺す。さっくり、しっとりとフォークの先に乗った一口大のパイは、キャラメル色でとても食欲をそそってくる。
二人は同時にそれを口へと運び込んだ。
「「お……」」
「『お』?」
「「おいしいっ!!」」
口の中で広がる香りに、トロリとしたカスタードクリームとじっくり漬け込まれた林檎の甘酸っぱさは、市販の物にはない味わい深さとなって二人に衝撃を走らせる。
こんなお菓子、今までに食べたことがない。何処の高級メーカーだ、なに!? あのアーチャーと言う男の手作り!? サーヴァントってそんなことまでできるの!?
「凛たちには今連絡を入れておいたぞ」
『凛さんのあの慌てようはなかなか面白かったですねー』
『なにか壊したような音がしましたが……まあ、ルヴィア様なら大丈夫でしょう』
カウンターキッチンから出て来たアーチャーが、ルビーとサファイアを連れて席まで近寄ってくる。その格好は既に燕尾服ではなく、グレーのシャツに黒のスラックスで身を包んでいた。そういった格好をしていると人外には全く見えない、鍛えている外国人のようだ。
「味は如何かね、と聞くまでもないのだろうな」
「とっても美味しいです」
「美味しいです」
「そうか。おかわりもあるから、申し訳ないが自分で取り分けてくれると有難い。では、ゆっくりとしていってくれ。マスター、私は奥で準備をしているから、用があれば呼んでくれ」
アーチャーは残ったアップルパイのホールをテーブルに置き、一礼してカウンターの奥へと引っ込んで行った。
『……サファイアちゃん、ルビーちゃんちょっと野暮用があるので、ここは任せちゃっていいでしょうか?』
『はい?』
『じゃ、後で録画くださいねーー!!』
ばびゅっとルビーがアーチャーを追って店の奥へと飛び差って行く。それを理由もわからぬまま見送ったサファイアは、暫く呆然とした様子でいたが、あの姉なら仕方ないと思考を放棄して美遊の元へと戻ってきた。
「ルビーどうしたんだろ?」
「サファイア、ルヴィアさんは何て?」
『はい、アーチャー様が美遊様とイリヤ様を誘拐した主旨を伝えたところ、どうやらティータイムの最中だったようで、カップを割って火傷したみたいでした。心配は無用でしょう』
「それ、心配すべきことなんじゃ……」
何だかんだでサファイアも元マスターへの当たりが強い。しれっとした態度で報告する様に、美遊は少し困った表情になった。
ルビーとアーチャーが居なくなったことで、店内にはイリヤと美遊とサファイア、それとイリヤスフィールのみとなる。
オルゴールの音が、静かに少女たちの間に流れていた。
「ねぇ
静かな音色を割って、イリヤスフィールが口を開く。
ソーサーへ戻されたカップが、陶器の甲高い音を立てた。
「貴女たちは、元々ただの一般人で、魔術師でもその見習いでもないんでしょう? クラスカードの討伐は、貴女たちが最初に思っていたより遥かに大変で、生半可な戦闘じゃなかったはず。それなのに、なんで続けようって思ったの?」
その問いは、イリヤと美遊にとって覚えのあるものであった。
初めて二人が出会い、再開した学校の放課後、美遊がイリヤに対して問いかけたもの。あの時は互いの認識違いにより、ギスギスとした関係に一時なってしまったが、少し時間を得た今ならばイリヤも考えて答えることができる。
「わたしは、最初はゲームやアニメの魔法少女みたいに、面白そうだなって思ったのがきっかけだった」
「そう」
「今思うと、ちょっと凛さんたちには申し訳ないなって思うんだ。ルビーに魔法少女にされて、何だかんだで流されるままにやって来たけど、みんなは真面目なのにわたしだけ中途半端だったから……」
あの時、何故美遊が怒ったのか。今ならイリヤも少しだけ理解することができる。
美遊や凛とルヴィアは、クラスカードに関わることが危険なことだとわかっていた。そして覚悟を決めて挑んでいた。それなのにイリヤ一人が不誠実であれば、彼女が不快に思うのも無理はない。
「けど、けどね、今は面白半分でできるようなことじゃない、凄く大変で凄く危ないことだってわかってきたんだ。それに、クラスカードがあるとこの街が大変なことになって、それを止めることができるのがわたしたちだけだってことも、ちゃんとわかってきた」
クラスカードの歪みが深刻になれば、それは何時かイリヤの友達に、また家族に悪影響を及ぼすかもしれない。
大好きな人たちが、傷付くかもしれない。
「だから、わたしは戦う。みんなを守ってみせる!」
脳裏に過る友達の、家族の、そして兄の笑顔。
イリヤは自分に言い聞かせるように、胸の前で拳を握り込んだ。その様子を眺めるイリヤスフィールは、そっくりな顔に変化を浮かべず、ただ「ふーん」と頷きを返す。
「……そう言うこともあるんだ」
「え?」
「なんでもないわ。じゃあ、次はミユね」
「……わたしは……」
『美遊様……』
イリヤスフィールの問いに、美遊は口ごもり、視線が膝へと逸れる。
美遊は、少しだけイリヤスフィールが苦手だった。
見た目はイリヤとそっくりで、彼女はイリヤの同一人物であるが、しかし美遊にとってもイリヤスフィールとイリヤは何もかもが違うように思えていた。
例えるなら、イリヤは向日葵のような暖かさ、月のようなを安らぎを感じさせ、美遊を優しく包み込んでくれている。対し、イリヤスフィールは雪のように冷たい。一見美しく映るが、その実、触れる者を心臓から凍りつかせる冷酷さが窺えるようだった。
まるで、彼女をただの道具のように扱った――
「どうしたの? 美遊」
様子のおかしいことに気付いたイリヤが声をかけると、美遊はゆっくりと顔を上げ、友達の瞳を覗き込んだ。
美遊にとって、イリヤは初めてできた友達だった。
あの人の願いに近付く大きな一歩をくれた人で、不器用な美遊に何度でも手を差し出してくれた、大事な人。
純粋に気にかけてくれるその瞳にそっと息を吐いた美遊は、先とは違って強い眼差しを持ち、イリヤスフィールへと向き直った。
「わたしは、責任を果たすために戦う。この街が平和であれるように、もう誰も傷付けないために、わたしは戦うと決めた」
膝に置かれた拳が、美遊のスカートにしわを作る。
イリヤは、そんな美遊に小さく首を傾げた。
(責任?)
美遊の語った決意には、イリヤには検討の付かない単語があった。
まだ浅い付き合いだが、美遊がとても真面目なことは言動の節々から窺うことができる。しかし、クラスカードと美遊に、一体何の「責任」を求める事柄があると言うのだろうか。
考えても見えない疑問。推理することを諦めたイリヤは、それをアップルパイと共に飲み込んだ。
「そう」
美遊の言葉にも、イリヤスフィールは素っ気ない言葉を返すだけだった。
そちらから訊ねておいてその反応はどうかと思うが、彼女はそれほど戦いへ赴く理由に拘りがあったわけではないらしい。
カップの紅茶を飲み干し、アップルパイもさらえたイリヤスフィールは、もう一切れ皿へと移した。
「まあ、そんなものでいいのかもね」
「は、はあ……そうですか」
「…………うん、そうね、そういうものかも」
二つ目のアップルパイを咀嚼しながら、イリヤスフィールは一人納得して頷く。正直、イリヤたちは置いていかれている気分だ。
育った環境が違うと言うイリヤスフィールは、彼女の言う通りイリヤとの思考回路が違い過ぎる。そんなある種の未知を知るには、出会ってからの付き合いがイリヤと美遊の間以上に短いのだから難しい。
「ありがとう、二人共。ちょっとは夢を見られたわ」
「夢?」
「それは、どういう……?」
「貴女たちは知らないままでいいのよ」
相変わらず、魔術師とはよく分からない。
自己完結してしまったイリヤスフィールに、イリヤと美遊は目を見合わせ、それから揃って首を傾げた。
『では、こちらからも訪ねても構いませんか?』
何も訊けない少女たちに代わり、サファイアがひらひらと羽のようなリボンをはためかせてイリヤスフィールの前に舞い降りる。
「なにかしら?」
『貴女たちがクラスカードと戦う理由です。イリヤスフィール様とアーチャー様の力があれば、ルヴィア様と凛様から直接カードを奪うことも可能であったはずです。リスクで言えば、実力を把握している彼女たちの方が軽いはず。それなのに何故、貴女たちは直接クラスカードに挑む方を選んだのですか?』
これまでの言動で、イリヤスフィールがこちらの戦力をある程度正確に掴んでいたことは明白だ。イリヤたち魔法少女が戦い慣れしていないことも知っていただろう。彼女たちと英霊の現象たるクラスカードでは、前者を狙った方が遥かに楽なはずだ。にもかかわらず何故、イリヤスフィールとアーチャーは協力など持ちかけて来たのだろうか。
「そうね、クラスカードに比べれば、確かに貴女たちの方が楽な戦いかもね」
フォークを置き、イリヤスフィールは厨房の奥へと目を向ける。
それから目を閉じ、優しい音で言葉を紡いだ。
「でもね、夢の中でくらい――家族の悲しむ顔は見たくないわ」
011
「なーにが『じゃ、夜を楽しみにしているわ。実力の程、期待しないで見てあげる』よ!?」
「まさか言った本人が来れなくなるなんて、これぞ間抜けとしか言えませんわね!」
郊外へと向かう高級リムジンには、凛とルヴィアとイリヤと美遊、それからカレイドステッキ他アーチャーの五人と二本が乗っていた。
つまり、イリヤスフィールは欠席であった。
凛とルヴィアが文句を垂れるのは無理もない。遡ること数時間前、無事にイリヤと美遊をエーデルフェルト邸前まで届けたイリヤスフィールとアーチャーは、そこに待ち構えていた二人の保護者へ挑発を投げ掛けていたのだから。
『作戦とかメンドーだから、現場に行くまでに聞くってことで――じゃ、夜を楽しみにしているわ。実力の程、期待しないで見てあげる』
明らかに下に見たその態度に、カチンと来ないわけがない。加え、魔法少女二人の行方を探るべく、イリヤスフィールから渡されていた鳥型使い魔と戯れていたらしい二人は、それはもうボロボロの有り様で……ブチブチッと何かが切れる音がしたとかしなかったとか。
そんな背景があり、イリヤスフィール陣営に対する好感度がマイナスへ到達している凛とルヴィアは、のこのこ主の不在を告げに着たカジュアル姿のアーチャーにチクチクと当たっていた。
しかし、アーチャーはそんな嫌味などお構いなしに、ゆったりとした広い座席で使い魔を膝に乗せながら寛いでいる。
「マスターが不在な件については、想定外の事態があったとは言え、前言撤回の形になった以上は謝罪しよう」
「『想定外の事態』って、ただ寝込んだだけなんでしょ?」
『まあ、春先とは言え冷えますからねーイリヤさんたちも風邪には気を付けてくださいよー』
『特に夜は冷え込みが増しますから』
エーデルフェルト邸の前、そこに集合していた面々へ現れたアーチャーが言うに、イリヤスフィール不在の理由は何でも、ある意味うっかりでベッドの住人になってしまったためだとか。
本当ならマスターの傍で世話をしたい中、渋々訪れたのであろうその従者は、以前見たときよりもやや厳しい表情で彼女たちにそう告げた。
「あの、アインツベルンさんは大丈夫なんですか?」
「ああ、一晩も休めば回復するだろう。心配をかける」
イリヤが問えば、アーチャーは眉間のしわを緩めて頷く。その表情を見て、凛とルヴィアは同時に口を開いた。
「イリヤ、
「美遊、あまり近付いてはいけませんわ」
「「え?」」
「待て、誰がロリコンだ」
「話は聞いてるわ。昼間から
「あれはマスターの命令であって、私の意思ではないのだが」
「生娘の体に無遠慮に触れる殿方など、それはもう立派な
「いや、だからだな……」
「しかも小学生相手に
「白昼堂々小学生相手にナンパとは、流石はミスター・ロリコン――いえ、キング・ロリコンですわね。ああ、これは言い逃れのできないキング・オブ・キング・ロリコンですわ!」
『あ、証拠写真お見せしましょうか? すぐ準備できま「やめろたわけ!!」
今更になってちょっと頭を抱えるアーチャーだった。言及したいことは幾つかあれど、改めてはしゃいでいたことを指摘されるの少し恥ずかしい。
アーチャーは空気を変えようと一つ咳払いをし、じと目を向けてくる少女たちに向き直った。
「それはそれとして、今回のクラスカードについて、こちらが掴んでいる情報を提供しよう」
(話そらした)
(あからさまに話をそらしてる)
(逃げたわね)
(逃げましたわ)
(『意外とわかりやすい方ですね』)
(『なるほど、こういった角度からは弱いようですね』)
「ルヴィア嬢、車は郊外の森へ向かっていることに変わりはないかね?」
案外真面目な表情で問われ、佇まいを正したルヴィアはアーチャーに是と頷き返した。
「ええ、その予定です」
「ならば、これから君たちが挑むクラスカードは『アサシン』だ」
『何故、そう確信を?』
「消去法だな」
クラスカードがどのクラスの英霊を型作るのか、それは実際に相対するまでわからないのがこれまでだった。しかし、それはイリヤたちの陣営側の事情に限った話である。今回はイリヤスフィール陣営も動いていたことで、今から相対するターゲットは双方の戦績具合から想定して考えられる。
「君たちは今日までに『アーチャー』『ランサー』『ライダー』そして『キャスター』の回収を済ませているだろう? 私たちはその間に他のカードと接触している」
「なるほど、つまり貴方たちは既に残りのカードの位置、そしてそのクラスも把握してるってわけね」
「その通りだ」
「じゃ、じゃあ、何の英霊がアサシンかもわかるんですか?」
アサシンとは『暗殺者』の役職を指す言葉だ。ゲームやアニメでよく見られるそれに、一体どのような英雄が該当するのだろうか。
イリヤが問うも、それにアーチャーはわからないと首を振った。
「え、わからないんですか?」
「姿は確認していないからな。だが、カードの接続先である英霊の予想はできている」
「……と言うのは?」
「君たちは『アサシン』の語源が何であるか知っているかね?」
投げ掛けられた問いに、真っ先に首を傾げたのはイリヤだった。
ゲームなどの二次元ではよく耳にする『
「……『アサシン』の語源は、イスラム教の伝承に残る暗殺教団からだと本で読んだことがあります」
その疑問に答えたのは、意外なことに、凛やルヴィアではなく美遊であった。「意外」と言葉を使ったが、彼女は既に高校生以上の頭脳を身に付けているらしいため、わざわざ枕に付ける言葉ではなく、おかしなことでもないのかもしれない。しかし、あまりこういった単語とは無縁そうにも思えたため、イリヤはやはり「意外」と感じていた。
そんなイリヤの心状はさておき、美遊の答えにアーチャーは言葉を続けた。
「その通り。『アサシン』は暗殺教団から流れて変化したものだと一説がある。今回の場合この言葉自体が触媒となっているため、その教団の歴代教主《
「い、一気にそんなに沢山の英霊と戦うの!?」
「まさか。現れるのは精々その内の一人に過ぎんよ。しかし、油断もできん相手だがな」
アサシンは文字通り暗殺を得意とするクラスだ。如何にも戦闘慣れしているアーチャーだけならまだしも、未だ素人同然であるイリヤと美遊たちには、これまで通り油断して良い相手ではない。
「もう一人候補が居るが、こちらの確率はハサン・サッバーハに比べれば低いと言える」
「それは?」
「佐々木小次郎」
「……は?」
思わず凛の目が点になる。
佐々木小次郎と言えば、安土桃山時代から江戸時代初期の剣客であり、宮本武蔵の宿敵として「巌流島の決闘」が有名だろう。銅像にもなっている有名人であり、日本史に詳しければ大抵の者が知っている程の人物だ。
その佐々木小次郎が、何故アサシンの話で名が挙がるのか。
「………………これはとある情報筋からの情報で、私たちも確証はない」
「はあ? じゃあなんだった佐々木小次郎なんてのが候補に上がるのよ?」
「知らん。そんなものはあの浮かれ魔女に訊け」
そもそもあんな宝具が反則なのだどうのこうの、とアーチャーは使い魔の嘴で遊びながら呟く。その怨念のようなくぐもった呟きは少女たちの耳に入ることなく、四人は互いに顔を見合わせた。きっとこの場に某浮かれ魔女が居たならば「貴方だけには言われたくない」とでも言い返していたことだろう。そんな愚痴であった。
そうして、一頻り文句も言い終えたのだろう。アーチャーはおもむろに姿勢を正した。膝の上に居た使い魔はぴょんっと座席の上に移り、顔のない頭をイリヤたちへ向ける。
仕切り直されたような空気に、自然と少女たちの背も伸びた。これから重要なことが告げられる、そう感じ取れたのだ。
「いいか、アサシンが厄介なのは、そのクラス特有の《気配遮断》スキルだ。これは言葉通り、気配の一切を掻き消すことのできる」
「厄介ですわね……」
話を聞いて、ルヴィアは唇に指を添える。
気配を一切感じさせないとなれば、相手からのモーションがない限りこちらから仕掛けるのは難しくなる。その上主戦力のイリヤと美遊は、未だ戦闘に慣れていないため、後手に回れば回る程不利な状況にもなりかねない。現にキャスター戦では先手を打たれ、まともな対応もできなかったのだから、また繰り返す恐れがあった。
「…………て言うか、どうしてそう言うのを直前に言うのかしらねぇ? 協力関係になったのなら、事前に言えるタイミングはいくらでもあったんじゃないの?」
「……君たちがクラスはともかく、クラススキルを把握していないとは思わなかった――いや、寧ろ知っていて当然だと思い込んでいたからな」
「は?」
「ふむ、そうなるとこちらの落ち度か。すまなかったな」
「ちょ、待った待った! なに? 今の言い方だとあんたたちの世界だとクラスカードが当たり前の礼装なわけ!? てことはもしかしてこれってあんたたちのせいで起きてるんじゃ……」
「それはないと断言しよう」
凛の文句にアーチャーは遮るように答えた。
「私から答えられることは限られるが、少なくともクラスカードと言った礼装を私たちは知らない」
何の前触れもなく、突然冬木の街に現れた魔術礼装。クラス分けされたそれぞれのカードは、何らかの魔術式により英霊の座へと接続され、そこから力の一部を引っ張り出すことのできる前代未聞の代物だ。しかし誰が何の目的で作ったのか、その製造主から構築式まで時計塔の力をもってしても何もかもが未だ解明されていない。
アーチャーの視線が、イリヤと美遊の保持するホルスターへ流れる。その鉄のような冷たい瞳が、そっと細められた。
「気を付けたまえ。それは君たちが思う以上に未知の物だ」
013
五人と二本のステッキが到着したのは、郊外の森だ。空はすっかり暗くなっており、木々が擦れる音が幼い少女の心に小さくない刺激を与えてくる。
イリヤは一度ぶるりと身震いし、それから目の前に居るアーチャーを見た。彼は何事か使い魔に呟いている。己の主と通信しているのだろう。あの使い魔は元々そのためにイリヤたちへ与えられたものであった。
「作戦は『油断せずに行こう』よ!」
『ボールが独りでに寄ってきたり離れていったりしそうな名前ですね』
「気配を一切感じさせない。その利点をカードが使ってこないわけがありませんわ。接続後、まずガードを固めますわよ」
「単独行動禁止。持久戦になると思うけど、先ずは相手の出方を見るのが第一段階。第二段階はカードの姿を見て臨機応変に!」
「つまり行き当たりばったりということだな」
四人の元に加わったアーチャーは、話しながら外套を変化させる。そうすると、先まで外国人チックな褐色肌のお兄さんから、今度はどことなくチャイナチックなファンタジーお兄さんの登場だ。魔法少女とは違った不思議な変身シーンを見て、イリヤは思わず感嘆の声をこぼした。
アーチャーの右手には白い刀身の短剣が握られていた。「アーチャー」と呼ばれるには不似合いな装備であるが、片腕ながら違和感なく握る姿にこれが彼の主装備なのだと窺わせる。
まじまじと、イリヤたちは遠慮することなく正体不明であるこのアーチャーなる男を見た。全身に纏わり付いた逞しい筋肉、日に焼けたような褐色の肌、奥が透けるような白髪。使い魔だと言う人外には似合いのような、不思議な存在感を放つ何処の人種かわからない存在。今から自分たちは碌に知りもしないこの男に背中を預けなくてはならない。勢いのようなものでここまで来たが、本当に大丈夫であるのだろうか。
当然の疑問が今更過ったところでもう遅い。否、ここでアーチャーを置いて行く、という選択肢もあるが、それは最も頭の悪い選択と言える。何故ならば、アーチャーを置いて行くということは、戦闘後疲労困憊であろう自分たちを出迎えるのは彼になるからだ。自ら首を差し出すような真似をする程バカではない。
「心配せずとも、私が前に出よう」
「え、」
アーチャーを自分たちが持て余していることを察してか、本人からそんな申告が降ってきた。察するも何も、凛とルヴィアは普通に顔に出していたので、余程の鈍感でなくては気付くものであったが……アーチャーは驚く面々にやれやれと肩を竦めた。その様は随分と様になっており、彼が幾度もその反応を繰り返してきたことが窺える。眉を下げる様子が、その表情を推し量る大きなポイントだとでも言いたげだ。
「何を驚く? 共闘をするにも、まずこちらの手を晒さなくては協力も何もないだろう?」
上記にある通り、少女らはアーチャーがどのようなカードを切れるのかを知らない。彼女らが知っているのは、キャスターを翻弄する実力の持ち主であること、のみ。それは彼の戦闘能力の高さを示すようで、実際は全く中身の窺えない穴を覗くような話である――つまり、これではアーチャーがどんな戦い方をするのか欠片も伝わらないのだ。
故に、協力するには双方情報共有不足であることが否めないのである。勿論この非はアーチャー、もといイリヤスフィールにあるのだが、この場にいない白い悪魔に文句を言っても意味はない。
「君たちのことをこちらは把握しているが、そちらは何も知らないではあまりに不公平だ。ならばこの機に私の力を見てもらい、それをどう活かすかをゆっくり考えるといい」
メインはあくまで君たちなのだから。
言っていることは、自分を盾にしてその間にじっくりと戦況を見ろ、ということであるが、彼の声色はあまりに優しい温かみに満ちていたため、四人は揃ってぽかんとした表情を晒してしまった。例えるならば近所の優しいお兄さん。どこかの女学生に片恋されていそうな、それで本人は全く気付かず近所の子どもとの用事を優先していそうな、そんな優男がふと湧いてきた。こんな見た目のくせして。
(そ、そういえばお菓子とか作ってるんだっけ……)
この見た目で。
最近の弁当男子やら何やらの流行を無視し、イリヤはそんな感想を抱くことで胸を打った鼓動を誤魔化した。イリヤ以外にも凛などが同じような何とも言えない表情を浮かべ、僅かに頬を染めているのを、アーチャーだけが不思議そうに眺めている。お前のせいだとは誰も言えるはずがなかった。
「ん? なんだか様子がおかしいが……まさかこんな時に風邪でも引いたのかね?」
『まあまあアーチャーさん。ここは触れないでください。皆さん思春期なんですよ☆』
「彼女らの年齢的に見て、思春期なのは当たり前ではないか?」
『いやですねー。気持ちの問題ですよ! 気・持・ち・の』
「ますます何を言っているのかわからんのだが……」
「と、兎に角! 行くわよ!」
頻りに首を傾げるアーチャーと、それを面白がるルビーのやり取りを覆い隠すような、そんな勢いのこもった気合いの声を、凛は近所迷惑だとか考えずに張り上げる。郊外であるため苦情が来るようなことはないだろうが、夜の木々にその声はよく響き渡った。
まあ、それは兎も角として、今は人外お兄さんとの交流を図る時ではない。一部の関係者にしか知られていないが、今はこの町の未来を賭けた大切な任務の真っ最中なのだ。時間も限られているため、そろそろ身を引き締めなくてはならない。
「たしかに、少し御喋りが過ぎたな」
『ルビーちゃん的にはまだ物足りないですけど』
『姉さん、当初より文字数が二千程増えてきているので巻いて下さい』
『……仕方ありません。それじゃあさっさと本編に行きましょう! 半径二メートルで反射路形成! 境界回廊一部反転しますよ!』
『限定次元反射炉形成! 境界回廊一部反転します!』
『イリヤさん行きますよ!』
『美遊様行きます!』
「「
彼らの足元に浮かび上がった魔法陣が魔力を放出する。それに呼応するように森の木々は騒めき、闇に紛れる木の葉を増やす。
世界が反転する瞬間、アーチャーは一人遠い空を見上げた。今夜は少し雲がかかっているが、町明かりが遠いおかげか星空がよく眺めることができる。天体観測をするには十分な条件が整っていると言えるだろう――にも拘らず、胸騒ぎがした。
核が落ち着かない。そんな、彼が今まで感じたことのない、らしからぬ感覚であった。
014
「魔術障壁展開!」
「総員固まって下さい!」
接続後すぐ、イリヤと美遊は魔法障壁を張り、身を寄せ合った。これで無防備にも身を晒しているのはアーチャーのみとなり、格好の的の出来上がりだ。
アーチャーは人外であり、魔術師としての凛とルヴィアが彼を囮にすることに異を唱えなかった時点で、囮役として十分に役をこなせる人物なのであろう。しかしイリヤは彼の背中を見ると、どうしてか不安な気持ちを抱いてしまう。それは彼が隻腕だからだろうか、それとも一人で居るからだろうか。何故なのかはわからなかった。
「一つアドバイスをしよう」
イリヤの不安をよそに、アーチャーは口を開いた。声に焦りは見られず、立ち姿はどこか余裕を感じられるようにゆったりとして見える。こう話しかけてくるせいで、余計にそう感じられるのだろう。
「《気配遮断》スキルだが。このスキルはどんなにランクが高かろうが、完全に気配を消すことができない瞬間があるのを知っているかね?」
「気配が消せない、瞬間?」
「え、えっと……」
カァン――誰かが答える前に、金属音が響き渡った。
ハッと見れば、アーチャーが右腕を上げている。そして彼の足元の視線を移せば、黒いナイフのような物が地面に突き刺さっていた。
刃渡り三十センチ前後。黒いため夜闇に紛れやすく、薄いため風の抵抗も受けにくい。投擲に適した刃物だ。
それを認め、アーチャーはゆっくりと拾い上げる。
「正解は、暗殺する瞬間だ。どんなに動作の気配を消そうと人を殺すその瞬間には気配を消せはしない。如何に気付かれる前に始末するか。暗殺で求められるのは速さではないか、と私は思うのだが……どう思うかね?」
「え、は、はい! そうなんじゃないでしょうか?」
イリヤは飛び上がるような上擦った声で肯定した。
先まで抱いていた不安など何処かへ飛んで行ってしまった。
この様子のアーチャーの何処を心配しろというんか。見た目通り余裕綽々とダガーの検分をしているというのに。それも森に背を向けてこちらを向いてすらいた。
あと話してる内容が怖い。一般的小学生が暗殺の極意など知るはずがないので普通に怖い。
「ではついでにもう一問、クイズを出そう」
「あ、あんた……よくそんな暇があるわね……」
「余裕などないさ」
そう言いながらも、アーチャーは短剣を握りながら器用にダガーを指先で振った。
「ダガーは見た目通り小型の刃物だ。主に刺す投げるといった使い方をするが、実は暗殺向きではないことをご存知かね?」
「そ、そうなの?」
「それは……刺すには近付かないといけないから。投げるには急所に当たりづらいから、ですか?」
「その通りだ」
「へー……」
暗殺者と言えばダガーというイメージがある。だが確かに、実際見てみるとこんな小さな物で一瞬にして人が殺せるのかと問われれば、頷くのは難しいかもしれない。
もちろんプロフェッショナルならばできるのだろうが、凛とルヴィアが頷かないため難しい部類となるのだろうことが垣間見えた。
「だがこのアサシンはダガーを使用する。理由としては数あるだろうが、一つ明確であることもある。ある条件に持ち込んでしまえばどうとでもなるからだ」
「ある条件って……」
「動けなくさせればいい」
「――――っ」
その声は冷たかった。感情が全て削ぎ落とされたかのような、人は一瞬で変わることができるのだと、そう知らしめるかのような声だった。
彼は隠すことなく告げている。動けなければ、どれも容易く摘まれるものでしかないのだと。冷静に、平坦に告げている。
そうイリヤが感じたと同時に――カァン――再度金属音が響く。アサシンからの二投目を見本にしていたダガーで弾き飛ばした音だ。続けて右斜めから三投目がアーチャーへ襲い掛かるも、それも手にする短剣で払い、無傷でその場に立っている。
「そう言うわけだ。このダガーには毒が塗られているので気を付けたまえ」
「だろうと思った」
冷や汗を流しつつ、凛は口角をつり上げる。その好戦的な表情はアーチャーの好むもので、直接見ずとも容易に感じられる気配に、彼は肩を揺らして見せた。
「知っての通りクラスカードが形作る物体は魔力で作られている。毒とて例外ではない。簡単には解毒させてくれはしないだろう。薄皮一枚掠ったら終わりだと思っておくといい」
「そんな事教えられずとも知ってるわよ!」
「ならば結構。しかし、凛。今は喚くより作戦を練るといい――ほら、来たぞ」
言ったと同時に、アーチャーは大きく地を蹴った。三六十度から襲いかかったダガーの群れは魔法少女たちの張るシールドに弾かれ、目的を達成できずに地へと無惨に落ちていく。
そのガラクタを見ず、夜空に身を踊らせたアーチャーは、赤い外套を翻して暗い森の木々へ目を走らせる。街から離れた郊外であるここには自然の明かり程度しかないため、森全てを見通す術はないものの、彼の眼は闇を駆ける者共の一端を捉えていた。
しかし、だからこそアーチャーは困惑する。
(本体は何処だっ?)
先のダガーの群れ。それ以前の複数の攻撃。これらの情報がアーチャーを混乱させる。
クラスカードは一枚につき一つの英霊の座に繋がっている。つまりカードは一体の英霊の姿しかとれないはずなのだ。場合によっては座に複数人登録されており、それが個とされることもあるのだろう。しかしクラスカードは聖杯のように英霊のコピーを一体でもまともに造り出せるような、そんな便利なアイテムではない。今までのを見るに、力に殻を被せるのが精一杯と言ったところだ。
此度のこのアサシン、余程の高速移動を保持しているにしては動きが速すぎる。まるで分身でもしているかのような同時攻撃だ。そう考えなくては、神速持ちにしても、先の光景の説明がつかない。
ここまでの様子見にて、アーチャーは元の世界で見た真アサシン、そして大穴であった佐々木小次郎の可能性を潰す。彼らにはこの状況に該当する戦闘スタイルの覚えがないからだ。特に後者は論外とすら言えるだろう。
つまりは、新手のアサシン。そしてこのアサシンの宝具は分身と言ったところか。本体以外は全て偽物と考えるべきだろう。もしかすると全て本体、などという面倒なものの可能性もあるが、全滅させればどちらも変わらない。つまりは、地道な当たり探し。そうアーチャーは方針を定めるが、表面に一切見せず内心でどうしたものかと眉を寄せる。アーチャーは張りぼてを立て続けることはできても、そこに自信は欠片もなかった。自身の評価を正当にしているつもりであるが故の、焦り。底辺の存在であるアーチャーに、半端とはいえ正当な英霊に何処まで食い下がれるだろうか。キャスターとバーサーカー同様、負けるつもりはないが、無事で済むとも思えない。
しかし、背後にいる存在を――憧れの少女を思うと、不思議な気持ちとなる。彼女が後ろにいるのだと思うと、己の背中を見ているのだと思うと、力が湧いてくるようだった。無様な姿など晒せない。
「炙り出すしかないか……」
アーチャーは着地する寸前、再度襲い来るダガーの群れを同等以上のダガーにて迎え撃った。
「凄い……」
「……何が起こってるかわかんないよ……」
透明な障壁の向こう側、激戦地となった郊外の森では、アーチャーが鮮やかに暴れ回っていた。
跳んで、沈んで、回って。まるで演舞でも見ているかのように、一切の無駄がない動きにてダガーを防ぎ、森に潜む者を誘き寄せる様は、自分達にない経験が窺える。
それを唖然と見る事しかできない美遊とイリヤだが、その後ろで魔術師たちは冷や汗を抑えることができずにいた。
(なんてデタラメで恐ろしい奴っ!)
唇を噛まずには居られない。
何が恐ろしいかと言えば、複数ある。
先ずアーチャーが繰り出す無数のダガー。何もない場所に突如現れては四方八方へ射出されるそれらは、正確に森に潜む者共の退路を絶ち、表へと踊り出させている。本能で動くが故の動きにてアーチャーの前に現れることを選ぶアサシンは、彼が狙った通りの行動をさせられているのだろう。
そして次に、そのまな板の上のなんとやらになったアサシンを、無慈悲に短剣にて斬り伏せる手腕。殻の存在とは言え、英霊相手に一度のチャンスで確実に仕留め続けている様は、彼が相当の実力者であることを物語っている。先まで語られた暗殺の極意と言ったような会話は、空想で語られたものではなく、アーチャーの経験に裏付けされたものであるのだろう。でなければ、これ程までに躊躇いなく急所を一振りで捉えられまい。
こんな存在に先まで無防備に接していたことが恐ろしくなるが、怯えるだけで終える彼女らではない。
(こんなバケモノを寄越してくれるなんて……)
(なんて好都合!)
知らず知らずの内に口角が上がる。
凛もルヴィアも、恐怖とは裏腹に予想以上の戦力が手に入ったことに心労が降りたような気持ちを抱いていた。
自業自得により、無関係であった一般人を――それも小学生を危険な場に招き込んでしまったことは、魔術師としては人間味が深い彼女らに罪悪感を少なからず抱かせていた。油断すれば何時命を落とすかわからぬ場へ、ついこの間まで命のやり取りなど空想上の物のように捉えていたであろう子どもを押しやる非道には成り切れない。
そこへふと湧いて出たアーチャーというこの戦力は、願ってもない誤算と言えるだろう。
当然そこにある底知れぬ淵には気付いている。別世界から来たイリヤスフィールと言う存在は、徹底した魔術師だ。それを主とするのだから、この男も一筋縄では行かぬし、何時自分たちにその切っ先を向けると知れない。しかし、利用できる内に使えるものを使わぬ等と言う、彼女たちは無能ではない。
今はこうして味方であるのだから、その背中を押さずしてどうすると言うのだ。そのためには“結果”が必要だ。
「わかっているわね、イリヤ?」
「わ、わかってるとは?」
アーチャーの戦いに見入っていたイリヤは、突然凛からそう問われても何を指して「わかっている」なのかわからない。素直に首を傾げれば、頭が痛いとばかりに赤い悪魔は額に手をやった。
「あんた忘れたの? アーチャーがどうして今日この場に居るのか、その目的よ」
「え、えーと……たしか、アーチャーさんの実力をわたしたちが知るって……」
「それはついさっきアイツが言ったことでしょ。それじゃなくて、アーチャーとイリヤスフィールの本来の目的よ」
「ちゃんと思い出してみなさいな」
「アーチャーさんとアインツベルンさんの目的……」
ルヴィアにも促され、イリヤの記憶が次々と巻き戻されていく。境界に入る前、車の中、そして昼間――そこまで思い出せば、凛の言う事に心当たりがある。
本来ならばこの場にイリヤスフィールも居て、アーチャーが今回この場に赴いた本来の目的。それは凛とルヴィアの機嫌を著しく下げた原因であったはずだ。
「わたしたちの実力を見る」
「そう、それ。もう一回訊くけど、わかっているわね?」
「はい?」
「わたしたちの実力って、貴方のよ」
「美遊のことですわよ」
「はいいいいいッ!?」
『アイタタタタ』
イリヤはルビーを握り締めて絶叫した。その声は障壁を越えてアーチャーの耳まで余裕で届き、ちらりと目尻に確認される。だが何事もない――少女二人の奥でいがみ合う悪魔が二人いた気がするが……気のせいだろう――ことを見て取ったアーチャーは、再び戦闘へと戻って行った。
アーチャーに不審がられた事など知らないイリヤは、青い顔でわたわたとしていた。何がどうしてあのアーチャーへ自分の戦いを見せる流れとなっているのか。全く自覚してなかったのであろう様子に、ますます凛の額に皺が寄った。
「……いい、今の私たちの戦力の要はルビーとサファイアなの。それを使えるのは貴方たち二人なんだから、アーチャーが目的としてるのは貴方たちの実力よ」
「わたしたちが……」
イリヤはギギギッとアーチャーを見た。先頭は落ち着いたようで、今は短剣を構える手の甲に止まる鳥の使い魔となにやら話している。戦場の真っ只中に居るにも関わらず、その余裕。彼がこの状況に苦戦しているようには見えない。
「アーチャーさんに実力を……」
あのダガーの群れを掻い潜り、何処に潜むとも知れないアサシンを次々に仕止める強者相手に、ただの小学生である自分が並び立つ――ちょっと想像が出来なさ過ぎて泣きそうだ。
「………………」
『あちゃー……イリヤさんってば、完全完璧マナーモードですよこれー。心拍数上昇、一〇〇オーバー。顔色変えてトキメキますねー。これが恋ってやつですかーーたはーー☆』
『どう見ても真っ青ですが、姉さん』
「イリヤ、大丈夫?」
「だ、だだだだだだだいじょばばばばばば、ない!!!!」
大丈夫じゃなかった。
涙目になったイリヤを美遊が心配そうに覗き込むが、ちょっとした慰めで収まるような震えには見えない。当たり前だ。イリヤは
(……わたしが、守らないと)
せめて大切な
それが、
「少しいいかね」
決意を固める少女の背中へ、アーチャーの声が降りてきた。振り返ると困ったような、怒っているような、そんな固い表情を浮かべるアーチャーの姿がある。何か不測の事態でも起きたかのような顔だ。
その予想は当たっているのだろう。アーチャーは頭の上で我が物顔で居座る使い魔を一瞥した後、一層眉間のしわを増やして口を開いた。
「マスターからの命だ。ここより戦闘を交代する」
「「…………え?」」
イリヤと美遊の声が重なった。
アーチャーがもたらした言葉に、四人共が静止する。こうなることをわかっていたのだろう。少々ばつが悪そうにため息を吐くアーチャーは、渋々と言ったように言葉を続けた。
「マスターから苦言を呈されてしまったよ。『甘やかすな。それでは意味がない』とね」
「…………つまり、貴方はアサシンを全て倒してしまうつもりだった。そう言いたいのです?」
ルヴィアにアーチャーは肩を竦めて答える。つまりはそう言うことである。
イリヤたちの実力を見る。そう言っておきながら、アーチャーはその機会を与えるつもりはなかった、と言うのだ。当然そうとわかればいい気分はしない。言外に自分たちを不要なものとしたも同然なのからだ。
「どういうつもりよ……っ」
「勘違いしてもらいたくはないが、私とて君たちとの協力は吝かではない。マスターの意に背くつもりもない。あくまでも
「……あ……」
凛とルヴィアは、アーチャーが言わんとしていることを直ぐに察した。彼が指す「君たち」とは、目の前にいる凛とルヴィアのことであり、イリヤと美遊は含まれていないのだ。
二人の様子でイリヤたちも察したようで、困惑の表情を浮かべる。戦場にまで共に赴いていながら、アーチャーは今更何を言っているのだろう、と。
『そうよね。今更何を言っているのかしら……』
そこへ、鈴の音が落ちる。アーチャーの頭の上を我が物顔で陣取る使い魔から――イリヤスフィールの声だ。
イリヤスフィールは呆れた、といった雰囲気を声に乗せ、己のサーヴァントを咎める。
『流石は彼女のサーヴァントよね。皮肉屋であってもマスターを立てる従順さに、私生活から戦闘まで支えられる優秀さ。奴隷としての評価は最高と言えるけど、主人の目がない所で何をして、何を考えて居るかは不明だわ。そんな狡賢く育てた覚えは、お姉ちゃんにはないんだけど』
「生憎、そう言った教育を受けるようなキョウダイは居なかったものでね」
『……でしょうね。貴方には居なかったし、居なくなっちゃったんでしょうね。だからこうもひねちゃったんだものね』
「何のことやら」
『だからって甘やかしちゃ駄目だよ』
「…………」
鼻を鳴らすアーチャーへ、イリヤスフィールは冷たい声で告げた。イリヤたちにも覚えのある、あの魔術師としての声だ。
『貴方の心情なんて今は要らないの。そこに居る
「私は地下に居ただろう」
『ルビーさんは聞いていましたよ。つまりそこの意地っ張り色黒おにーさんも聞こえていたはずですね』
「そう言えば、ルビーはアーチャーさんに付いて行ったんだった」
イリヤとミユは嬉々としてアーチャーに付いて行ったルビーを思い出す。結局、この愉悦依存症ステッキは何をしに行って、何を行ってきたのやら。あの後に問うても答えなかった様子から、彼女(?)は話す気がないのだろう。
それはさておき、二人から誘拐事件の詳細は聞いていた凛とルヴィアは、改めてアーチャーを見た。
やはり渋々と言った顔で、納得いかないとばかりに眉間にしわを寄せ、右手は腰に当てている。どう見ても拗ねている。大の男が幼女の言葉に拗ねている。
『こうなるだろうって思ってたから、本当はお兄ちゃんだけで行かせたくなかったんだけど……今からでも行こうかしら?』
「絶対に駄目だ。布団から出るんじゃないぞ」
『あ、その言い方お兄ちゃんみたい』
「………………」
ますます拗ねた。
今度は苦虫でも噛み潰したかのような表情もプラスし、しわも三割増しといったところか――この時、アーチャーは拠点を出る前にした姉との一緒に行く、行かない攻防戦を思い出していた。実はエーデルフェルト邸へ訪れた際に渋顔であった理由は、この攻防による疲弊であったりする。
聞いている方からしたら『お兄ちゃん』と呼ばれるアーチャーと、アーチャーが忌避しているらしい『お兄ちゃん』の違いがわからない上、話が脱線している。だから仕方なく、ルヴィアが「それで?」と軌道修正を図った。
「貴方のマスターであるイリヤスフィールは私たちと協力関係を結ぶ意思があり、またそこには美遊たちも含まれている。でも貴方は美遊たちが戦うことに納得がいかない。そう解釈してよろしくて?」
『その通りね』
「……その通りだ」
「率直に訊きますが……それは何故?」
アーチャーはルヴィアたちへと向き直った。
不思議と、アサシンたちは空気を読んでか、ピタリと気配を見せなくなった。鏡面界が維持されていなくては、ここに自分たち以外の存在があるとは思えない程に、風一つ吹かない静けさで包まれている。
故に、アーチャーの声は少女たちの耳によく届いた。
「……そこに居るイリヤスフィール・フォン・アインツベルと美遊・エーデルフェルトは魔術師ではなく、また戦士でもない。そして本来ならばこんな場に居るべきではない一般人だ」
アーチャーは鋼の瞳を細める。
「ステッキがどうであれ、君たちは彼女たちを巻き込むべきではなかった。巻き込んでしまったのならば、記憶を消してでも遠ざけるべきであった。それが、魔術師としての君たちが取るべき正しい選択肢であったはずだ」
「それは……」
「主観的意見を抜きにしても、客観的に見て、彼女たちが戦場に立つ必要性を、私は感じない」
アーチャーの言うことは正しい。それは凛とルヴィアも思っていたことだ。
しかし、思っていても本来取るべき選択肢を選べなかったことには、ちゃんとした理由があった。
『
「それってどちらかと言うとゾンビだよね……」
こいつが原因である。
サファイアは比較的常識人格であるが、それはルビーと比べるからであり、このステッキ共はそんじょそこらの即席隠蔽で足止め出来るものではない。この人をマスターと決めたならば、必ず契約をやり遂げるだろう。それこそ破廉恥だと罵られる方法でも構わずに。
また、もう一つ取り上げねばならない原因もある。
「……わたしは、自分の意思でここに居ます。誰かに強制されたわけでも、頼まれたわけでもありません。わたしが、やりたくてやっています」
美遊は真っ直ぐにアーチャーを見て宣言した。
彼女は自らの意思で魔法少女となったのだと。初めから戦う覚悟を持って戦場に来たのだと、そう告げる。
「そうか……
「…………っ」
そんな美遊に送られた言葉は、何処までも冷たかった。
それは決して褒めるものではない。卑下するようであり、正しく貶しているのであろう。到底子どもにかけるべき言葉ではなかったが、アーチャーはこの場で彼女たちを子ども扱いする優しさは持ち合わせていなかった――否、子ども扱いしているが故の厳しさであろう。
現に、アーチャーは美遊の手を正しく理解していた。タコのない、柔らかで白百合のような白い手。きっとこの子どもは外で土遊びをすることや、ましてや殴り合いの喧嘩もしたことがないであろうと確信させる程に、綺麗でふっくらとした手だ。
それを認めて、アーチャーは美遊を見下す。
美遊は後退った。
「経験のない子どもなど戦場には不要だ」
「……わたしは……」
「一端の覚悟を語る程度で酔うとは浅ましいな」
「ちがう。そんなつもり……」
『……やめなさい』
「君はこの足元にある小石程の役にも立たないだろう」
「違う……わたしは、ちゃんと覚悟して」
「そうだな。聴いていたとも。だが、君は己が語った覚悟を理解できていない」
『やめなさい、アーチャー』
障壁との距離を詰め、アーチャーは続ける。イリヤスフィールの制止も聞かず、口を閉ざさず、障壁の手前で立ち止まる。
「故に、君の覚悟は無意味だ」
「――――」
『アーチャー!』
「うるさーーーーっい!!!!」
アーチャーへ答えたのは、美遊の前に立ったイリヤだった。
肩を揺らし、大きく呼吸を繰り返す彼女は、力一杯に叫んだ。静かな夜にはよく響き、障壁はビリビリと震え、そして凛とルヴィアが目を剥いて凝視する。それ程に大きな声であり、周りを黙らせる力が込められていた。
息も整わない内に、イリヤはキッとアーチャーを睨み付けた。そこには先まであった憧憬の色はなく、赤い瞳を怒りに染めている。今までに見たことのないイリヤの様子に、その場に居る者は益々驚愕を表さずには居られない――アーチャー以外は。
アーチャーは表情を変えず、静かな目でイリヤを見ていた。
「さっきから聞いてれば勝手ばっかり言って! 貴方なんかミユのこと何にも知らないくせに、知ったふうな口をきかないでください!!」
「……では訊くが、君は彼女を理解していると言うのかね? 美遊くんが言う『責任』を正しく理解し、それが死と隣り合わせにある戦場に立つに値する、立たなくてはならない理由であると、そう言うのか?」
「そんなの知りません!!」
「「…………はぁ!?」」
会話のキャッチボールを放棄し、その上焼却炉へシュートする回答に、堪らず凛とルヴィアはすっとんきょうな声を上げた。
これにな思わずイリヤの手の中にあるルビーもビックリ仰天の様子で、小声で『なん……だと……』と狼狽えているが、そんなことは持ち主には関係ない。
イリヤはずんずんと障壁へ近付き、アーチャーの手前で立ち止まった。そうなると二人の身長差約五十センチが如何に大きなものかを窺い知ることができる。正に大人と子どもと言い表す対格差であった。
「ミユのこと全部知ってないと友達でいちゃダメなんですか!? たしかにミユのこと全部知ることができて、それでミユと友達で居られることは素敵だと思います……でも、そんなのできっこないじゃん!」
「…………」
「どんなに仲がよくたって知らないことはわからないし、知ってほしくないことだってあるよ! ヒミツなんて誰にだってあって当たり前なんだよ!」
「……では、その大切な友人が死にに行くのを、君は黙って見送るのかね、イリヤスフィール?」
「一緒に行く!」
イリヤは胸に手を当て、目を逸らさずに答えた。
今度こそ、研ぎ澄まされた鉄が見開かれる。
「ミユと一緒に行って、一緒に戦います! わたしが危なかったらミユが、ミユが危なかったらわたしが、お互いに助け合って戦います! 今まで、そうやって戦ってきたから!」
「…………イリヤ……」
美遊は唇を震わせた。胸には今まで感じたことのない温もりが宿り、ふとすれば何かが溢れてしまうような熱が目元に灯る。
あたたかい――彼女の心を満たす想いは、一色に染まる。
イリヤの気持ちがあたたかい。無理矢理暴こうとせず、歩みを阻もうとせず、隣に在り、手を繋いで歩いてくれる。その優しさが嬉しくて、尊くて、眩しくて――同時に申し訳なさが顔をもたげる。
「わたしは、ミユの友達だから! だから戦います!」
「………………君たちは、」
『無意味よ、お兄ちゃん』
尚も何か言おうとしたアーチャーを漸く止めたのは、ひたすらに後頭部をつついていた使い魔の向こうに居るイリヤスフィールだ。
アーチャーは使い魔を右手で捕まえ、自分の正面へと持ってくる。そして未だ納得いかない、と言った顔で使い魔越しにマスターを見た。
「……イリヤ」
『そんな拗ねた声出さないの。この子たちがここまで言っているのだから、止めても無意味よ。それはわかるでしょう?』
「…………」
『それに、無関係だもの』
翼を広げてアーチャーの手から逃れた使い魔。くるりとイリヤたちの頭上を回る。表情のない、ワイヤーアートのようなそれは、時々羽ばたきつつ、滑るように飛んでいた。
その動きを目だけで追うアーチャーの眉間には、やはり深い谷がある。
『この世界の
「…………」
『私たちがこの子たちと関わったのは、
最後は優しい声で、イリヤスフィールはアーチャーを呼んだ。先までの諭すような、説教をするようなものとは違う、聞き分けのない子どもを叱るような音。仕方ないから怒る声色のように聞こえる。
そこまで言われて、アーチャーは両目を閉じだ。一度短く息を吸い、少しだけ長いため息を吐く。それには様々な感情が込められているようで、イリヤの目の前、瞳を再び覗かせた彼の眉間に、しわは見られなかった。
「…………侮辱を詫びよう。君たちの覚悟を疎かにした。すまない」
黙礼にて漸く、アーチャーは引き下がった。それを認めて、四人はホッと全身から力が抜ける。
アーチャーによる問答は数分のものであったけれど、彼からかけらされるプレッシャーは相当なものであった。数時間は向かい合っていたかのような気疲れに、ここが戦場のど真ん中であることも忘れて気を抜いてしまう。
何が悲しくて戦闘以外でこうも疲弊しなくてはならないのか。先までの高揚感とは一転し、恨みがましい目でアーチャーは見られる。しかしその程度で怯む様子はなく、アーチャーは伏せた瞼を持ち上げて彼女たちの正面を空けた。
「さて、では交代しよう。様子見をしているだけでアサシンはまだ残っている。さっさと本体を倒し―――」
その時、アーチャーは背後に気配を感じ取った。
確認するまでもない。この場にいる味方はイリヤたち四人とステッキ二本のみ。他に鏡面界へ侵入した気配はないため、今アーチャーの背後にいるこれはアサシンであろう。
故に、アーチャーは躊躇いなく莫耶を投影した。振り向き様に腕を振るうと、予想通り、アサシンは容易くその生白い刃に体を切り裂かれる。右頬から左胸へ、刃を半分近く埋めて、身を削がれる。
「しま――――っ」
アーチャーの背後を取ったアサシンは、まだ幼い姿をしている者であった。栄養が足りず、僅かな肉に覆われる細い手足に、肩まで伸びる髪。顔は仮面に覆われているが、先の一撃により一部欠けており、子ども特有の大きな眼が見え隠れする。イリヤと美遊とそれ程歳が変わらないような見た目をしている。
そのアサシンを斬り伏せて、アーチャーは大きく顔を歪めた。失敗した、と隠すことなく示した。
「――――え、」
パッと赤い花が咲く。障壁に、地面に、アーチャーの持つ短剣に、噴水のように飛び出した赤が塗られる。
その様を間近で見たイリヤは固まった。思考が止まり、スローモーションで倒れる
無抵抗に、簡単に、一瞬で刈り取られた命が尽きる様を、目の前をただ眺め、目を見張る。
もしかすると、美遊を重ねたのかもしれない。この子どものアサシンは何処か彼女と似通った部分がある。濃いセミロングの髪色、大きな眼、子どもの背格好。並べれば別人だとわかっても、
「……あ……ぁ……」
『いけませんイリヤさん!!』
イリヤの動揺に反応して、障壁が大きくぶれる。
目の前に子どもの死体など既にない。血溜まりもなければ、子どもが居た痕跡すら何処にもない。
あれは生きた子どもではない。善となるものではない。守らなくてはならないものではない。
あれは倒さなくてはならないものだった。アーチャーがやらなければ、自分たちが行うだけで、あのアサシンの結末は変わらない。
「落ち着きなさい、イリヤ! あれは敵ですわ! 情をかけるものではありません!」
「ちょ、これやば、」
「イリヤ!」
美遊たちがイリヤを案じて駆け寄る。
二人で展開している障壁の片割れが崩れれば、まともな機能を維持し続けるのは難しい。また美遊もイリヤの動揺に驚愕し、ステッキの補助はあれど、
クラスカードのアサシンは理性を失い、本能で動くが、暗殺者の代表として選ばれている。彼らにとってその隙は格好の的だ。
一瞬だけ障壁が乱れ、穴ができた――それと同時に、彼らの周囲を無数のダガーが囲っていた。
暗殺者の本能として、アサシンは今まで期を窺っていたのだろう。全方位隙のない攻撃に、再び障壁を張るのでは間に合わない。さらにイリヤへ注意が集まっていたこともあり、皆の動きはワンテンポ遅くなる。
咄嗟に、アーチャーは少女たちの前にその身を押し込んだ。
015
気が付くと、イリヤは倒れていた。衣服に土汚れがある程度で、傷はない。
体を起こそうとして、全身に重いものがのし掛かっていることに気付く。見るとそれは凛やルヴィア、美遊であり、どうりで重いわけだ、と納得する。そしてその向こうにアーチャーの姿があった。彼は覆い被さるように上を陣取っており、まるで自分たちを守る盾のようだった。
そこまで考えて、周囲の異変に気付く。見ると、自分たちの周りには見たことのない幅広の剣が幾つか突き刺さっていた。囲うように、檻のように、円形に突き刺さるそれらの隙間には、夜の森が映る。そう言えばクラスカードの回収に来ていたのだった。
いち、にい、さん……地面に刺さるダガーを数えて、イリヤは改めてアーチャーを見る。彼はゆっくりと体を起こすところだった。
「怪我はないかね?」
痛いところはない。あるのは驚きによって忙しなくなった心臓のドキドキと、それによって火照る体の熱くらいだ。
目が合ったので、イリヤは素直に頷く。するとアーチャーは見るからにホッとした顔を見せ、ゆっくりと自分たちの前で立ち上がった。
「いたたたっ、何が起きたのよ……」
「くぅ~~っ、頭を打ちましたわっ」
『お怪我はありませんか、美遊様?』
「ないよ、サファイア」
『下敷きのイリヤさんも無事ですか~?』
「…………うん……」
アーチャーが退いたことによりそれぞれも起き上がる。節々に当たり所が悪く、痛みを感じるが、怪我となるものはないようだ。
そうか。この周りにある剣の檻がダガーの群れから自分たちを守ってくれたのか。状況的にそう理解して、少しぼーっとするまま、イリヤは再度地面に刺さるダガーへ目を向ける。
剣の盾の外と、隙間から入り込んだもの、それから……それから―――
「ちょっ、あんたどうしたのよ!?」
慌てた凛の声に顔を向けると、彼女の目の前でアーチャーが伏せていた。イリヤは瞬きをする。違う。あれは伏せているんじゃない。倒れているんだ。
何故かなんて見ればわかる。アーチャーの背中にはダガーが幾つも刺さっており、この剣の盾で防げなかったものをその身で受けたのだ。アサシンのダガーには毒がある。掠りでもすると動けなくなるだろう、そう言ったのはアーチャー自身だった。
そう認めた途端に甦る。瞬きの前を思い出す。
イリヤの目の前、引き寄せられる美遊たちと、そしてその上に覆い被さったアーチャー。迫り来る何か。周囲に生まれた荒い檻。覚えている。
「……そうだ……」
啖呵を切ったのに、その直後に動揺してしまったことを思い出した。覚悟をしていたにもかかわらず、一つの命が終わる姿を見て揺らいでしまった。そしてそれが原因で足を引っ張り、みんなを危険な目に遭わせてしまった。
自分のせいで。
「……わたしのせいで……」
アーチャーが死んでしまう。
自分がちゃんとしていなかったから。
覚悟に行動が伴っていなかったから。
自分のせいで、みんな死んでしまうかもしれない。
「……やらないと……」
ならば、責任をとらなくてはならない。
『イリヤさん?』
汚名返上しなくてはならない。
失態を晒したままではいけない。
このままではいけない。
「……わたしが……」
ちゃんとするには力が必要だ。
アーチャーのように戦う覚悟がある、殺せる覚悟がある、嘘偽りない有言実行できる力が必要だ。
「ああ―――そういえば」
力なら、ここにあった。
鍵が、外れる音がした。
016
「
イリヤがそう呟き、一枚のクラスカードを地面に置いた瞬間、そこには見たことのない魔法陣が展開し、そして魔力が溢れ出した。
一体何が起こったのか。アーチャーへ気を取られていた面々は唖然とするしかない。そうしている間にもイリヤは魔力を
「嘘……どうして……?」
無意識に、美遊は疑問を口にする。
イリヤの姿は一変してしまっていたのだ。イリヤ自身に変化は見られないが、その出で立ちは魔法少女のものとは異なっていた。
『え、ええ? なに? Do you KO☆TO?』
イリヤの周りにて困惑するルビー。三百六十度の角度で持ち主の姿を記録するが、今までの杖生でこんな現象に遭遇したことは一度もない。
赤い外套は両肩から腕にかけてと腰にあり、胸元には黒い胸当てのインナー、ショートパンツから覗く足にはベルトが巻かれている。そして小さな手に携えられているのは、大きく武骨な大弓。弓以外はとても見覚えのあるカラーリングと衣装だ。故に、皆は次に倒れるアーチャーを見たが、彼も例に漏れず目を見張っていた。動けない体でなんとか上体を起こし、何故と問うようにイリヤを見つめている。何が起きているのか、どうしてこんなことになっているのか。アーチャーにも皆目検討がつかない。
だが、わかることが一つ――この
転移する際に感じた覚えのある軋み。エーテルでできた体の奥にあるサーヴァントとして核が揺さぶられ、共鳴している。何故かはわからない。この場にイリヤスフィールが居れば、もしかしたら何かしらの答えを出したのかもしれないが、先から静かにしている。もしかしたら静観しているのかもしれないし、疲労で眠っているのかもしれない。パスによる念話にすら反応がない。
「な、何なのですか、これは!?」
「ちょっと、説明しなさいよ、アーチャー!!」
「……私も見たことがな――」
本当に?
アーチャーは自問した。
「…………これって……」
『美遊様?』
『って、あ、ちょ、イリヤさーーん!!』
そうしている間に、イリヤは大きく飛躍した。魔力によるブーストもなく、ステッキも使わず、自身の能力にて軽々と跳び上がり、剣の檻を越えて森に紛れるアサシンたちへその姿を晒す。
なんて無防備な真似を。そう思えど、直ぐ様杞憂となる。
闇に紛れて襲いかかった三本のダガーは、イリヤが手の中に生み出した三本の矢によって射ち落とされたからだ。
正確無比なその射撃性は敏腕と言えるだろう。アーチャーを想起させる腕前に感心している間を与えず、イリヤは次の矢を生み出す。少女の手にあったのは、捻れる剣であった。
「
アーチャーも愛用するケルト神話の英雄フェルグス・マック・ロイの魔剣。その投影品をイリヤが手にしていると一目でわかったアーチャーは、益々混乱に陥った。
どうしてイリヤがそれを投影できるのか。彼女が本来持つ能力を思えば不可能ではないが、この世界では一般人である少女にそんな機会――カラドボルグを解析する機会――が訪れることは有り得ない。ましてや魔術と関わりもないはずだ。つまり、イリヤが偽・螺旋剣を投影することも、ましてや魔術を扱うことも有り得ないはずなのだ。
今まで行っていたものは、全てルビーという魔術道具があったからこそ実現されてきたもので、本来の魔術の「ま」の字を知らないイリヤには到底出来っこない芸当である。ならば、どうしてあのような状態であるのか。
「―――
真名解放されたそれは、イリヤの手を離れ、森へと一射される。
空を切るのは一瞬だ。捻れる剣は空間を削り、魔力を乗せて目の前の森へと瞬く間に届き――森に大穴を空けた。
「…………うっそ!?」
「なんという威力!!」
イリヤの目の前、そこにあったはずの森には、隕石でも落ちたのかと言いたくなる程に大きく抉れた道が出来ていた。あの魔剣により造られたのだ、と嫌でもわかる。その威力、鏡面界の壁に亀裂を生む程だ。
そんな恐ろしい力を扱いながらも、イリヤは終始、静かな面持ちで居た。抉りとった場にアサシンが居ないのを認めて、大弓を四散させる。
何をするのか。今度は両手を手前へ持ち上げた彼女は、その小さな唇で呪文を唱えた。
「
魔力によって少女の手に
「あれ、は……隕鉄の鞴『
「あえすとぅす……?」
「ラテン語で『情熱』を意味する言葉ですわ、美遊」
「で? 貴方はあれが何なのかわかるのね、アーチャー?」
イリヤの状態を少しでも理解しているらしいアーチャーへ問えば、彼は動かない体に歯噛みし、重々しく頷いた。
「彼女が、今……投影した物は……五代目ローマ皇帝、ネロ・クラウディ、ウス・カエサル・ドルー……ススの作品……だ。彼が自ら生み出した、とされ……ステータス上昇、の他、感情の高ぶりにより……炎を生み出す……こと……が、できるっ、悪、趣味な剣だった……はずだ」
何故か片隅の方から「悪趣味とは何だ! 余の芸術がわからぬとはうんぬんかんぬん」と可愛らしい、とても男のものとは思えない声での文句が聞こえてきた気がしたが、毒による幻聴だろう、とアーチャーは無視した。
改めてイリヤを見る。アーチャーの言う通り、イリヤが持つ原初の火には炎が纏われ出した。そしてそれを持って、イリヤは森へと駆け出す。
「あれが……投影ですって!?」
『それがわかると言うことは……アーチャー様はイリヤ様が何故あの姿となったのかわかる、と言うことですね?』
「それよ! 何でイリヤがあんな格好してるわけ? あれってどう見ても貴方よね?」
「やれやれ……一辺、に……訊かないで、くれ……毒が、回る……」
ぜえぜえ、とアーチャーは呼吸を繰り返す。そこまで強力な毒ではないだろうが、額には冷や汗が浮かんでいる。
目の前でそれを見ている凛は心配そうな顔色を浮かべるが、しかし態度には出さず、アーチャーへ問う姿勢を変えない。魔術師らしい彼女の様を見て、アーチャーは口角を持ち上げた。
「言っておく、が……私とて……あれがどういう、も、のか……は、わからん」
「わからんって……」
「だが、あの姿は……」
アーチャーが何か言おうとした――その瞬間。
「―――任務完了」
イリヤが舞い戻って来た――同時に、周囲の森から火柱が上がる。
「対象撃破――クラスカード『アサシン』回収完了」
017
女が泣いている。
男が泣いている。
赤子が寝ている。
錆び付いたトラックが走るのは荒野であり、東の空は白み出している。
朝になる。三日三晩、人の目を隠れて走り続けた道の先に、大きな街が見える。
今日この日まで味わった地獄の終わり。希望の日々が目の前にある。
今日のために生きてきた。今日のために守ってきた。
女と男は赤子を愛しいとばかりに見つめる。涙に濡れた目で見つめる。
思い描くは幸福な未来。
当たり前に学び、当たり前に食べ、当たり前に笑う。そんな幸福。
街まで残り五メートル――それを、
手に持つのは黒い大弓。
弦を引き絞る。つがえるのは三本の剣。
人が寝ている。
人が寝ている。
人が寝ている。
数え切れない程の人が寝ている。
場所は薄暗い建物の中。傍にある机には地図とコンパス、それから
宴でもあったのか、部屋の至る所に酒のボトルが転がっている。つまみのチーズに、カリカリのパン。スパイスの効き過ぎたソースに散る不純物は、山盛りの煙草から溢れた吸い殻の灰。
細やかな宴があったのだろう。
一人一人音を立てず、立っている者は一人もいない。
皆が皆、同じ赤の上で寝ている。
人が死んでいる。
人が死んでいる。
人が死んでいる。
数え切れない程の人が、
女が泣いている。
女が叫んでいる。
女が眠っている。
山程の人が寝ている。山程の人が泣いている。山程の人が嘆いている。
誰もの目の前で、山程の救いが両手を伸ばしている。その一つ一つを救い上げ、手に取り、頬擦りすることはできない。誰にもできない。誰も選ぶことはできない。
感謝を口にして、涙を浮かべて、抱き上げる。当たり前の救済は目の前にあるのに、
眠っている女を置いて、叫んでいる女を置いて、泣いている女の前まで歩いた。
止まれなかった――止まりたいとは思わなかった。
守りたかった――守っていると思っていた。
大切だった――心から笑い合うことはなかった。
女は
「■■■■」
墓の前にいる。
同じような石が並ぶ墓の一つ。そこの前に、
おかしい。
ちゃんと地に立ち、風を感じ、息をしている。ちゃんと人としての機能を維持している。
なのに、墓には
ああ、そうだ――そうだった。
今日は、あの日から見て未来なのだろう。
全て、わかっている。
■■■は――わたしは――私は――
遡る宝箱――記憶――思い出。
美しいものを見た。
例え地獄に堕ちても色褪せないような、色褪せることがないよう願うような――ずっと、ずっと記憶に刻み付けたいと思う美しいものを見た。
暗い土蔵の中、月明かりに照らされるその人。
数秒の時もない。瞬きをする間も、きっとなかった。
それでも、人生で見たものの全てで、彼女は一番美しかった。
そんな夢を――
018
イリヤは目を覚ました。夢を見ていたらしいが、ぼーっとする頭ではよく思い出せない。写真があったことは覚えていても、そこに何が写っていたのかわからない。そんな感覚に眉を寄せるが、思い出せないものはいつまでもわからないままだった。
今朝、熱を出したイリヤは一日中自室に閉じ込められている。特に風邪を引いた等といったウィルス関連のものではなく、ただの知恵熱らしいのだが、過保護な
ゲームもアニメ鑑賞も、テレビはセラが居る一階にしかない。そうなれば使用は不可と言える。ならばマンガを読むかとも思ったが、今は読みたい気分ではない。
「勉強とか仕事とかに縛られることで、ようやく人は人らしく生きられるんだわ……」
『その歳で老成した人生観をもつのもいかがなものかと思いますがー』
とどのつまり、イリヤはひたすらに暇であった。それはもう、小学生らしからぬ意見を言う程に暇であった。
熱は一眠りすると引いており、寧ろ休んでいることに罪悪感すら感じる程に元気になっている。ここのところ小学生の日常に魔術師の非日常を真面目に勤しんでいた反動だろうか。アーチャーに覚悟を叫んだこともあり、イリヤはその直後にこうして休んでいることに後ろめたさを抱いていた。
「……あれ? わたしってどうやって帰って来たのかな?」
美遊と凛、ルヴィア、それからアーチャーと共にアサシンのクラスカードの討伐に赴いたことは覚えている。その際にアーチャーと今後の方針で揉めてしまい、何だかんだで協力は継続する、そう言うオチには辿り着いたはずだ。そこまでは覚えている。
しかしその後、肝心のクラスカードの討伐結果については丸々記憶にないので、イリヤは首を傾げざるを得ない。何か大変なことになった気もするが、案外すんなり終えたような気もする。不思議な感覚だが、現状発熱以外に無傷であることを思うなら、無事に任務を終えたと言うことだろう。
「〇対三……か」
『? なにがですか?』
「戦績っていうか……わたしとミユのカードゲット枚数」
机の上にあるアーチャーのクラスカードが目に入る。これは元々凛が持っていたものであり、イリヤが討伐しただけの結果を数えると一つもない。ライダーもキャスターも、全て止めを美遊が差し、回収している。きっとアサシンもそうだったのだろ。
そう思っていた。
『いえ、アサシンはイリヤさんがゲットしましたよ?』
「え?」
『ほら』
そう言って、ルビーはアーチャーのカードをずらす。たしかに、その下にアサシンのクラスカードはあった。だが、それはおかしい。
繰り返すが、イリヤにアサシンを倒した記憶はないのだ。あの状況で、自分が一体どのようにして勝利を納めたのか、全くわからないのである。にもかかわらず、自分がアサシンを倒し、クラスカードを回収したのだと言われても、そうなのか、とは納得できない。
「え、えええ? なんで!?」
『何でと言われましても……んー、これ元マスターに止められてるんですよねー。どーしましょ?』
「なになになに!? 何を止められてるの!? 昨夜一体何があったわけ!?」
『ルビーちゃんとしてはー秘められた力が解放される主人公補正バリバリの覚醒イベント大好きなのですよ。なので別にネタバレしちゃってもいいんですけど、でも世の中には展開をなんとなく予想できる感想ネタバレにすら過剰反応する方もいますし? いやー悩んじゃいますよねー☆』
「こわい! ルビーが言うことのほとんどがわからないけど、なんかこわい! ぜんっぜん悩んでる感じのトーンじゃないのが尚更こわいよ! 性質悪いよこのステッキ! 知ってた!」
『あ、これ映像見せた方が早いですね。さっそく行っちゃいます?』
「何処に!?」
「なら、私も混ぜてくれる?」
カラカラ、と窓が開かれる。ベランダには何時から居たのか、イリヤスフィールが立っていた。いつも突然現れる人物であるが、そうと知っていても忽然と現れられてはこちらの心臓が持たない。悲鳴も上げられず、ただドキドキと胸を動悸させることしかできないイリヤへ、しかしイリヤスフィールは普段と変わらない態度で口を開く。
「記録機能もあるのよね? いいわ。改めてそれを確認して、それで場を整えるわ」
「場を?」
『整える?』
「ええ」
イリヤスフィールは背後を見た。そこにあるのはお向かいさんのエーデルフェルト邸である。
「アポイントメントはしてあるの。後は貴方だけよ、
「あ、あの~~……さっきから何を言っているのかちんぷんかんぷんなんですけど……」
「わからなくていいわ。私がやるから」
イリヤスフィールはイリヤの手をとった。土足で部屋に入って来たことを注意しようと思ったが、同じ赤い瞳に見つめられると言葉が出なくなる。
されるがまま、まるで人形になったように、イリヤは素直にイリヤスフィールに手を引かれる。後ろでルビーが困惑しているが、その音は遠い。
(……あ、パジャマのままだ……)
そう思ったのが最後。イリヤたちはその場から姿を消していた。
「そもそも、よくよく考えてみると、他人の魔術を工房内に入れるのって有り得ないわよね……」
「今更ですわ」
所変わってエーデルフェルト邸の応接間。一目で職人によるとわかる手の込んだ内装に、控えめながらも主張する趣味のよい家具。この部屋のみで家主の富豪さを知ることができるだろう。
そんな部屋にあるふかふかのソファーに座るのは、件の家主であるルヴィアと、招かれた凛であった。二人の傍には、何故かメイド服を身に纏う美遊の姿があり、彼女は無言でもてなしの用意をしている。
さて、彼女たちが何故この場に集っているのかと問えば、それはイリヤスフィールからの要請があったためである。今より三時間程前、彼女が寄越してきた使い魔を通し、一ヶ所に集まるようにと伝達されたのだ。
主にルヴィアが管理するその使い魔は――ルヴィアと凛のどちらがイリヤスフィールの使い魔を持ち帰るのかで揉めた際、凛が辛うじて競り勝ったためである。要は押し付けられたのだ――現在魔術師二人の前で行儀よく座している。アーチャーと戯れていた時のように、無駄に飛び回ることはせず、また今はお喋りすることもないオブジェとしているこの鳥。他人の魔術にて形を成しているものを、こうして魔術師の家に置いているのは、ある種の奇跡である。
「本当にこそ泥の類いではなくって? サファイア」
『はい。この使い魔に搭載されている能力は、オンオフが明確にされた通信機能、そして身の危険を察知した際の迎撃機能のみです』
「……迎撃……」
今の自分達が持つ最高峰の魔術礼装であるカレイドステッキによる解析。サファイアがこう言うのであれば、そうなのだろう。
『迎撃』の言葉に苦い顔をしたルヴィアは放って置き、凛は美遊の淹れた紅茶をソーサーに戻して腕を組む。あと一分もせずに約束の時間となるが、呼び出した本人が一向に現れる気配を見せない。外国では約束への遅刻など日常茶飯事であるが、日本は律儀を守る国柄だ。郷に入れば郷に従えと言うのだから、日本に滞在している以上、イリヤスフィールは約束を守るべきだろう。それも一方的に押し付けられた約束だ。遅刻するようであれば只ではおかない。
「あと十秒よ!?」
「余裕がないわよ、リン」
部屋の置時計の針が動く――その時だ。使い魔の真上に、突如魔力が集まったかと思えば、そこにイリヤスフィールが現れた。一緒に居るのはイリヤとルビーであり、仲良く手を繋いでの登場である。
予想していなかった――いつも通り突然現れるにしても、背後から何食わぬ顔で声をかけてくるのだろうと予想していたのだ――訪問に、三人はポカンと目と口を開いた。一体何処の誰が転移で訪問してくると思うだろうか。それも魔術師の工房内に。
「はい、到着」
「ひえ、え、ええええーーー!!?」
驚いているのは何も三人だけではない。一緒に現れたイリヤも同じであり、何故か空中でイリヤスフィールと共に立っている彼女は、もう何がなんだかといった声を上げる。
『転移に魔力固定……ひゃーこの魔女っ子イリヤさんってば、めちゃくちゃチートじゃないですか』
「そういう風に作られているもの」
美遊の上空戦闘手段である魔力を固定化させ、足場とする技術。それはカレイドステッキあってこそ行える魔術運用であって、通常の魔術師では容易に行うことのできない高度な技術である。何故ならば、人一人分を支える足場の強度を魔力で作ることが困難であり、そしてそのための術式が複雑なものとなるからだ。
美遊の場合、必要な術式は全てカレイドステッキのサファイアに組み込まれており、そして同じく必要な魔力も彼女(?)により提供されている。美遊はそれを発動させるかさせないかを決めるスイッチの役割に過ぎないのであるが、イリヤスフィールはこれを自身一人で行っている。それを行える理由は彼女が小聖杯であり、また大聖杯へと至った存在であるためだが、そんな裏事情を知る故もないイリヤたちにしたらチートにしか見えなかった。
「……いちいち自身を誇示しなくては気が済まないのです?」
「めんどーだっただけよ。いいじゃない、これくらいのお遊び。昨日はろくに動けなかったんだもの、私」
とん、とん、とん。イリヤスフィールは不可視の床を足場に、軟らかな絨毯へ足を下ろした。連れられて足を付けたイリヤは、予想以上の肌触りに裸足の自分に少し得した気分を得る。
感心するイリヤの手を放したイリヤスフィールは、視線をルヴィアに向けた。ルヴィアは目を細めた後、小さなため息を吐いて目の前のソファーを指さした。
「どうぞ、お座りになってください。訪問の仕方は兎も角、一応きちんと礼儀を持ってアポイントメントをとられた以上、貴方をお客様としておもてなししますわ」
「そう。なら失礼するわ」
「あ、わたしはどうすれば……」
「イリヤ、こっち」
どうしてこの場が設けられたのか。それすらわからないイリヤがオロオロとすると、助け船を出したのは美遊であった。
スリッパを持ってイリヤを手招きした美遊に、やっと安心できる、と顔を向けたイリヤは――胸を撃ち抜かれた。
「メッ……メイド服ーッ!?」
『あらあらまあまあ……! なんとも良いご趣味をおもちのようで』
「あっ、こっ……これは違う……っ!!」
イリヤに指摘されて赤面する様子に、彼女に見られることを想定していなかったのだろう。イリヤスフィールの突飛な登場に本来備わっていた羞恥心を思い出した美遊は、涙目になった顔を手で覆い隠した。
「そのっ……わたしの趣味とかじゃなくて……っ、ルヴィアさんに無理矢理着せられてっ……!」
美少女の赤面涙目+震え声。
その時、かちりと――イリヤの中で何か変なスイッチが入る音がした。
「ふおおおおおーー!!」
「あうッ!?」
イリヤは美遊へ一直線に抱き付いた。それはそれはまさに野獣の如く俊敏な動きであり、また餓えるギラギラとした目をしていた。
イリヤの変貌に驚いたのは美遊たちである。彼女らはイリヤが奇声を上げ、病み上がりとは思えない動きをしたことに目をぱちくりとさせた。
「すっごーい! 本当にメイド服だーっ! 生メイド服だーっ! メイドさんだー!!」
「あ……あああの」
「やっぱり日本人足るもの王道のモノクロフリルメイドだよね! カラフルなのもいいし、セラとリズの真っ白な純白さから窺える正統派メイド服もいいけど、やっぱり日本人は心に突き刺さる萌えと尊さを大事にしないとね! まったく、メイド服は最高だぜ!!」
『イリヤさんって日本人じゃないですよね?』
「シャラップ! 日本生まれ日本育ちで日本語しか喋れないわたしは立派な日本人だよ! 日本に生まれて良かった! オタクの聖地ってサイコーだよね!?」
「……この
「ちょっとイリヤ、少しは落ち着いて……」
「なんか良い生地使ってるし、縫製もしっかりしてるし……本物? 本物の小学生メイド? ちょっと『ご主人様』って言ってみて!」
「え、普通は『お嬢様』じゃ……」
「いいから!」
「ごっご主人様ーッ!?」
あまりのイリヤの気迫に圧され、美遊は涙目のままに叫んだ。その声は屋敷中に響き渡り、庭の手入れをするメイドや屋敷の点検をする執事のオーギュストの耳にも聞こえていたのだが、そんなことはどうでも良い。因みに、イリヤの生まれは日本ではないのだが、これまでの人生の九割を日本で暮らしてきた本人は知らない事実であったりするので、そこは誰も突っ込めないことであった。
さて、図らずともオタク魂を燃え上がらせたイリヤは、サファイアのチョップで落ち着きを取り戻した。他所の家で趣味丸出しにしてしまった件について自責の念もあり、素直に美遊とルヴィアへ謝罪した彼女は、スリッパを履いてちょこん、とソファーへ腰を落ち着かせた。マナーを大切にしよう。そう心に刻み付けて。
(えへへ……ミユかわいい……)
しかし後悔はしていない様子であった。
「…………こほんっ、では改めて、要件を伺いますわ」
「うん……話して良いかしら?」
「ええ、話してちょうだい」
もう脱力してしまっている魔術師三人。
事前に大切な話だと銘打って訪れたイリヤスフィールは、一枚のカードをポケットから取り出した。それはイリヤたちにも見覚えのある礼装――クラスカードであった。
凛とルヴィアの目が鋭くなる。イリヤスフィールたちもクラスカードを目的にして動いている以上、一枚でも持っていることに不思議さはない――だからこそ、ルヴィアたちは彼女のアポイントメントに応えたのである――だが、こうして実際に所持している様を見ると油断ならない相手であることがより知ることができる。
彼女が所持しているのはバーサーカーのクラスカードであり、自分達が所持する物と同じような絵が描かれていた。偽物の可能性もあるが、街の歪みの数が減っていることを見るに、十中八九本物であろう。
「未知数のものってわかっていたけれど、貴方たちも、そして私たちも、
思い出されるのは昨夜の戦い。そこで見せたイリヤの変貌は、誰の記憶にも色濃く焼き付いている。
あれこそが本来のクラスカードの扱い方であったのだろう。今まで宝具を一部座から取り出すのみであったが、自身へ英霊の力を纏わせ、
「……一体何処のどいつよ……こんな物造り出した奴はっ……!」
「英霊の座へアクセスしていることも前代未聞ですし、そこから力を引き出して術者を英霊に置き換えるですって……ますます目的が見えませんわ!」
ルヴィアの言う通り、クラスカードの本来の使い方は当たりと見るべきだろう。しかし、未だ製作者が何故これを生み出したのか、その真意は見えない。
英霊の力を解析することは世界の意思を知ることに繋がり、そしてそれは根源へと至る一つの道となるだろう。しかし、魔術師が扱うにしてはあまりにもリスクが高過ぎる。
根源へと至る魔術師自身が使うには、人間とは別階層にある英霊をその身に落とすのだ。暴走の可能性を考えると自殺ものの研究であり、また身代わりの実験体を用意するにしても、それが自身に逆らうような事態になればそれこそ手が付けられないものとなる。
英霊とはそれだけ未知の存在であり、強力なものであるのだ。何らかの制約を設けなくては、自在に操るなど不可能と言える。そしてそんな力量の魔術師が居るならば、先ず無名であるはずがないのだ。
「私も、このクラスカードは非効率だと思うわ。てっきり英霊を召喚するための触媒だとばかり思っていたんだけど」
「英霊を召喚って、できるの?」
「ええ、不可能ではないわ」
イリヤへ、イリヤスフィールは目を向ける。
「このクラスカードは既に特定の英霊の座へアクセスされている。それって既にこのカードが英霊の座とこの世界を繋ぐ門の役割を成しているってことでしょ? なら、後はそこから英霊を引っ張り出せる術式と魔力、あとサーヴァントとなった英霊を維持できるだけの魔力があればできるわ」
「理論上の話でしょ? 実質不可能じゃない、それ」
「ふふ……」
術式は兎も角、そんな魔力など人間が持つわけがない。眉間にしわを寄せてため息を吐いた凛に、イリヤスフィールは意味深な微笑みを向けるのみだ。
まるで実在するのだと言いたげだ。アーチャーの話を思い出せばその可能性は十分にあるが、現象でない召喚された実物を見ていない、加えて口にされない以上、空想に過ぎない話である。
「まさか、クラスカードの話をするためだけに集めたのです?」
「それこそまさかよ。この程度の解析は貴方たちが求めることであって、私たちの目的外なの。見て欲しいのはバーサーカーのカードと、さっき私がした話。それから昨夜のこと」
暗に英霊にも根源にも興味ないと告げるイリヤスフィールにますます驚くばかりだが、今は置いておこう。彼女の言う通りに話を振り返ってみる。
イリヤスフィールは言った。バーサーカーのクラスカードを見て欲しいと。そして思い出せと言った。クラスカードは英霊召喚の触媒と思っていたこと、イリヤがクラスカードを使ってその身に英霊を下ろしたと。
嫌な予感がする。一人完全に蚊帳の外の気分であるイリヤ以外が、背筋に冷たいものを走らせた。
「言ったわよね? 私は実力を見るって」
「…………そんなことも言っていましたわね」
「あんたが来れなくなって有耶無耶になったやつでしょ」
「私が行けなくて有耶無耶になったんじゃないわ。お兄ちゃんが
アーチャーの目を通して、貴方たちを見ていたわ。
イリヤスフィールは口角を引く。赤い瞳が細められた。
「《
『「……は?」』
また突拍子のないことを言い出した。そもそも話の繋がりがわからない。
これには四人と二本も言葉の機能を放棄せざるを得ない。
「何を……言っているの?」
「馬鹿なことを……それがどれだけ命知らずなことかお分かりになって!?」
『危険です。イリヤ様の実例があれど、未知にて不明瞭な力を使うのは薦めることができません』
「でも
「あれは偶然の産物に過ぎないわ! 二度目なんかあるわけないでしょ!?」
「貴方、一般人を犠牲にするつもりですの!?」
「え、え? なんの話? どういうこと、ミユ?」
「…………」
「……ミユ?」
『美遊様?』
全く付いて行けない。混乱するばかりのイリヤはついに美遊へ助けを求めるが、彼女は青い顔で俯いていた。尋常ではないそれに、イリヤとサファイアはそっと再度名を呼ぶが、そちらに気付く様子はない。
アイコンタクト(?)っぽいものでサファイアから「任せろ」と言う意思を受け取ったイリヤは、次に頭の上で浮かんでいるルビーへ目を向けた。
「ルビーはわかる?」
『えーと、
「えっと、私の部屋でしてた話だよね?」
『ええ、それです。魔女っ子イリヤさんがその話もすると仰ってましたから、そのネタバレはまた後でするとしてですね……その力は故意に発動させるには危険な力というわけなんですが、それをしろと言っているのが魔女っ子イリヤさんです』
「つまり……」
『DEAD OR ALIVE. 次なる試練が君を待ってるZE☆』
「…………」
絶句。
そんか命に関わる力を自分が使ったことも、再びその機会が訪れようとしていることも、この状況も、イリヤにとって絶句するしかない。
話が壮大過ぎて付いて行けないです。
「……ふふ、やっぱり……」
しかし、この状況の何が楽しいのか。絶句するイリヤの隣で、微笑みを絶やさないイリヤスフィールは、何処か浮いて見える。
この時、イリヤスフィールは凛とルヴィアの言葉に内心で花丸を付けていた。魔術師として論外であるが、二人は一般人であるイリヤと美遊を巻き込んでクラスカードの回収に当たっていること、また昨夜イリヤが一般人にあるまじき力の一端を見せたことを時計塔へ報告するつもりがないのだ。そのことを先の会話で掴んだイリヤスフィールは、微笑みを浮かべる他ない。
何故ならば、この世界の
イリヤスフィールたちにとって儚く脆いその平和を、彼女たちは守ると言ったのだ。これに微笑まずして何に微笑むと言うのか。
気に食わないが、しかし彼女たちの真っ直ぐな想いは一応知っている。二人ならば必ず隠し通して見せるだろう。
故に、イリヤスフィールは微笑みを浮かべたまま
「もう一度言ってあげる。
「…………は?」
もう何を言われても驚かないつもりでいたが、意味不明過ぎて本日何度目かの思考停止が訪れる。
バーサーカーを倒せと言われても、そのクラスカードは既にイリヤスフィールが回収しているではないか。それなのに何を倒せと言うのか。
「思い出しなさい。私は、既に言ったわ」
イリヤスフィールは繰り返した。話を振り返ろと繰り返した。
彼女は既に話したという。つまり、この場でした話は―――
『マジで成功させちゃったんです?』
「ルビー、何か知ってるの?」
冷や汗らしきものを流すルビーへ、わからなさ過ぎて平静でいるイリヤが問う。ルビーは羽で頭部と思われる部分を撫でた。
『イリヤさんと美遊さんが誘拐された時、ルビーちゃんだけアーチャーさんに付いて行ったの覚えてます?』
「うん」
『あの後、アーチャーさんは地下に向かわれたんですけど、そこが大きな霊脈ドンピシャに位置していたんですよ。それでですね、その部屋にはとある陣が用意されていまして』
『姉さん……それは黙っていることではありません』
『てへっ☆』
「まさか……嘘でしょ?」
そこまで言われればわかる。
血の気が引く思いで言葉を絞り出した凛は、手の震えを押さえることが出来なかった。それはルヴィアも同じであり、ソファーに座していなければ、その場から数歩は後退りしていたことだろう。
イリヤスフィールの背後で、何かが揺らめいた。魔力の塊がある。そうわかったと同時に、それは
一言で表すならば『屈強』。この言葉がここまでピタリと当て嵌まるものは早々お目にかかることはできないだろう。
鋼のように屈強で、折れることを知らぬような鋭い眼。岩を思わせる巨大な体躯は、この部屋が小さく思える程。イリヤスフィールが小人のように見えてしまう。
「――――ぁ……」
イリヤと美遊は声を喉に張り付かせた。上手く発音出来ず、もがくような音が溢れる。
圧倒的存在感と魔力の密度に溺れそうだ。一気に深海に落とされたような圧迫感に襲われ、呼吸を忘れそうになる。
そんな二人の前に立ち塞がったのは、凛とルヴィアであった。
彼女たちとて肌に鳥肌を立たせている。恐怖を感じていないわけではない。しかしイリヤと美遊は巻き込まれた協力者であり、本来ならば守らなければならない一般人で、脅威の前へ無防備に立たせるべき存在でないのだ。それも、クラスカードとの戦いではないこんな平和な昼間になど、論外である。
わかっている。この目の前にいる存在に自分たちは敵うことはない。その大きな指先一つで、埃のように飛ぶ命に過ぎないことはわかっている。
しかし、二人は恐怖を押して立ち上がった。プライドにかけて、ここで退くなど有り得なかった。
そんな彼女らを見て、イリヤスフィールは「上出来」と嬉しそうに呟く。
「ヒントをあげる。狂化によって各ステータスを向上されたサーヴァント。それがクラス『バーサーカー』の特性。真名はギリシャ神話のヘラクレスよ」
「え、英霊を召喚したって言うわけ!?」
「そしてそれを美遊たちに倒せと? 殺すつもりですの!?」
「じゃないと勝てないわ」
ここで、イリヤスフィールの微笑みが落ちた。魔術師のもの――否、それともまた違う、戦いに赴く覚悟をした者の顔をしている。
「種明かしもしてあげる。最後のクラスカード――セイバーのクラスカードは、英霊の現象ではないわ」
「それってどういう意味よ!?」
「バーサーカーと同じ……ううん、もっと
アーチャーですら露払いされた。その言葉で最後のクラスカードが一筋縄で行かないことは十分にわかってしまう。
そして、それを直接見たイリヤスフィールは、彼女が喚び出したサーヴァント・バーサーカーを倒さねば勝てない相手だと告げる。
「嘘でしょ……」
「本当よ。残念ながら」
ふっとバーサーカーが空気に溶けるようにして消えた。アーチャーの時と同様の現象に、まさか……と凛は目を見張った。
「アーチャーも英霊……!?」
「そうですわ……何故気付かなかったのです!? クラスカードが英霊の座へアクセスされているものなら、あの時の
「つまり……貴方は英霊を二体、サーヴァントとして使役している」
乾いた声で、美遊は呟く。掠れて小さな音であったが、イリヤスフィールはきちんと拾い上げて頷いた。
「正直言って……今の戦力でも、あのセイバーに勝てる確率は五分五分なの。だから保険として貴方たちに協力を求めたんだけど……やっぱりカレイドステッキのみの出力じゃあ、貴方たちの身が持たないわ。現状、クラスカードを使いこなして漸く戦力にカウントできるの」
「……あのー……そんなにインストールって言うのは凄かったの?」
ルビーの説明で場の流れは何とか掴めたが、記憶がなく自覚のないイリヤには、いまいち
「そう言えばまだ見てなかったわね。ルビーだったかしら? 昨夜の記録、映せる?」
『もちろん! バッチリしっかり撮っていますよ!』
「ちょ、あれをこの子に見せる気!?」
先ず待ったかけたのは凛だった。元々イリヤを巻き込んだことや、未知の力を使わせてしまったことに負い目を感じていた彼女は、イリヤが異常を体現する記録を本人に見せることに反対であった。クラスカードの回収が終われば、本来の日常へ帰してあげる予定なのだ。意味のわからない未知の領域へ足を進めさせるべきではない。
「わたしも、反た―――っ」
美遊も同意しようとして、イリヤスフィールの冷たい目に黙殺された。あの目が、やはり苦手だ。自分に権利などないと思わせるような目。そしてイリヤスフィールはそれをわかっていて、その目を美遊へ向けてきていた。
「戦うならば、使い手が見た方が早いわ。
「
「知らなくて良いのよ。そして知るべきじゃないの。ルビー、映しなさい」
『はぁん♡ マスターじゃないですけど……小悪魔イリヤさんによる貴重な命令、聞かずにはいられない! ぽちっとなー』
ルビーからホログラム画面が映し出される。
アーチャーが倒れた時点から開始されたその映像は、イリヤの声を拾って彼女の方へとカメラが動かされた。
ルビーの視点で撮られているのだろう。すぐ傍に焦点の定まっていないような、表情のないイリヤが座り込んでいた。
ああ、何となくだが覚えがある。初見のように思えなかったイリヤは、これは確かに昨夜あったことなのだろう、と不思議な面持ちで受け入れる。探していた額縁の中の写真を見付けた感覚に近いだろうか。そこにあって当然であったものを思い出すような、欠けていたものが補われるような感覚を抱く。
だからか、イリヤは映し出される記録から目を逸らすことが出来なかった。
『……わたしのせいで……』
「――――ぅ、」
映像の中で、イリヤが呟く。
その声を聞いて、イリヤは頭痛を覚えた。
『ああ―――』
交差する血と、倒れる女の子。
見ず知らずの子どもが美遊と重なり、人形のように転がる様に血の気が下がる。
『そういえば』
力なら、ここにある。
「ぁ―――ぃ―――」
このままではダメだ――このままではみんな殺されてしまう。
脳裏に過るのは赤色。
無遠慮に、慈悲なく、作業のように、当たり前に下ろされる脅威と悲劇。
赤色の水溜まりができる程の血。
目の前で摘み取られる儚さ。
子どもが死んでいくのを見ていた。
同じ力が必要だ。
その力と同じものを、自分は手にした。
『
昨夜のイリヤが呪文を唱える。
記憶の中で同じ呪文が木霊する。
脳が揺れている。ぐわんぐわんと掻き回され、昨夜の記憶――夢――が目の前一杯に広がっていく。
「――――ゃ――――ぁ」
女を殺した。
男を殺した。
赤子を殺した。
仲間を殺した。
子どもを殺した。
大切な人を殺した。
■■■を殺した。
「――――――――」
わたしが、殺した。
「―――違う!!!!」
019
「…………だから駄目だって言ったのよ」
静まり返った応接間にて、凛が頭を抱えた。この場には凛とルヴィア、美遊、サファイア、そしてイリヤスフィールが居るのみだ。厳密には見えないサーヴァントのバーサーカーも居るが、着眼点はそこではない。
イリヤの姿は、何処にもなかった。
昨夜の記録を投影していた際、彼女はルビーを掴むと、その場からチリも残さず姿を消したのである。イリヤを気にかけていた凛たちは、その異常現象に何の対応も出来ず見送るしかなかった。何かしらの反応はあるだろうと思っていたが、せいぜい部屋を飛び出す程度だろうと高を括っていたのである。まさか
「うん、転移ができるなら
「そういう問題じゃない!」
楽観的で的の外れたイリヤスフィールへ、声を張ったのは美遊であった。珍しく興奮している様子で、先まであった恐怖を忘れ、鋭い眼光でイリヤスフィールを睨み付ける。
「……そう言う問題じゃない。イリヤは、元々普通の女の子だから……突然身に覚えのない脅威が――自分から街を壊す脅威が溢れる様を見たら、動揺するのは当たり前だと思う。こうなることは、予想できたはず」
『つまり、イリヤスフィール様はわざとイリヤ様に映像を見せた、と?』
「わざとよ?」
落ち着きを取り戻した美遊が飛び出したイリヤを想い、イリヤスフィールを責めるが、本人は気にした素振りもなくサイドの髪を掬い上げる。その態度にますます怒りを募らせようとした美遊であるが、ぐっと拳を握ることで我慢した。
イリヤは美遊にとって唯一無二の大切な友達だ。彼女を傷付けるものを、何があろうと許すつもりはない。しかし、今は私情を優先する時でない。それを見失う程、美遊は現実を受け入れて悟っていた。
残りのクラスカードはセイバーの一枚のみ。それを回収することは美遊の義務であり、責任である。彼女の周囲に集い、この無垢で無知な手を取ってくれた優しい世界を壊さないために、美遊は怒りを堪えて見せた。
イリヤスフィールは、セイバーのクラスカードが最大の難敵であると言った。セイバーを回収するには
(わたしは……いや、わたし
平行世界で魔術師のイリヤスフィールと違い、同じだけの才能があるのかもしれないが、一般人であるイリヤ。彼女は正に巻き込まれただけの守られるべき女の子なのだ。
初めはルビーに無理矢理魔法少女にされ、アニメやゲームの登場人物に憧れるような、夢見る幼子のママゴトのような、そんな不誠実で自覚のない危うさで戦っていた。美遊が怒るのも仕方ない程の、綱渡りを命綱もなく無自覚に笑顔で渡る様な危なっかしさ。しかし、キャスターとの戦いで美遊と協力して戦うことで、強大な敵と戦う痛みを知ったことで、彼女も危険な世界に立っていることを自覚した。そしてその危険がこの街を脅かし、自分の
――だから、わたしは戦う。みんなを守ってみせる!
あの言葉に嘘はない。あの時のイリヤは本気でそう思っていて、昨夜もその覚悟に揺るぎはなかった。
しかし、その覚悟を示した危険が、自分自身であったらどう思う?
大切なものを守ると誓った。そしてそれを傷付ける危険――その危険が、もしも自分ならば?
イリヤにとって、それは多大な恐怖であっただろう。身をもって知っている、命を落とす程に強いクラスカードの現象の力が自分にある。その危険が、大切なものの傍にある恐怖。守ると誓ったものを、自分が傷付けてしまうかもしれない恐怖。まだ幼い彼女には、堪えられないものだろう。パニックになって逃げ出しても仕方ない。あのあたたかな心に深い傷を負わせた可能性すらある。
だから、これで良かったのかもしれない。
共に戦ってくれると言ってくれたのが嬉しかった。
笑顔を隣で見せてくれることが嬉しかった。
友達になってくれたことが嬉しかった。
手を取ってくれたことが嬉しかった。
だから―――
「わたしがやります」
美遊はサファイアを握り締めた。
「イリヤはもう戦わなくていい……」
イリヤがもう傷付かないように、
イリヤがもう怖がらないように、
イリヤの世界を守れるように、
「後は全部、わたしが終わらせる」
『美遊様……』
サファイアは無茶だ、と止めることが出来なかった。それは凛もルヴィアも同じことだ。
美遊が何かを背負い込んでいることは、短いながらも共に居てわかってきた。だからこそ、サファイアは同時に彼女の覚悟が本気であることも理解していた。
美遊は本気でこの街から脅威を取り除き、イリヤを守ろうとしている。理由などわからないが、そこに嘘は欠片もない。幼いが故の真っ直ぐで純粋な願いだ。
そんな戦うことを決めた主人にサファイアができることは、その足が折れないように支えることだけ。柔らかな肌を守り、幼い心を守り、ささやかな祈りを守る。それが、今のサファイアが必要だと思える、美遊へしてあげられることであった。
「時は明日の夜〇時丁度。場所は郊外の森」
美遊の言葉を受け止めたイリヤスフィールは地図を広げ、ここ、ととある土地を指さす。そこは人の寄り付かない私有地であった。
「これ以上待てる時間はないわ。明日の夜までに
イリヤはパニックになっていた。
突き付けれた現実を受け止め切れず、わけも分からないままに飛び出して来ていた。
『ほへあっ自宅前……!? 魔術師の工房内から転移を!? 本当に潜在的才能の開花ですか、イリヤさん!?』
「…………」
気が付けば、目の前に自宅の玄関がある。鷲掴みにされているルビーの声は、どくどくと木霊する音に阻まれてイリヤに届いて居らず、目の前の事実にしか思考は追い付かない。
いつの間にここまで走って来たのかはわからないが、どうにか日常に戻れたらしい。ホッと胸を撫で下ろし、玄関へと手を伸ばそうとしたその時、向こう側から扉は開かれた。
「じゃあ、俺たちイリヤのこと探してきまーす」
「いえ、あまり帰りが遅いとご家族が心配します。イリヤさんは私たちが探しますので、皆さんはご帰宅を。わざわざお見舞いに来てくださったのに申し訳ありません」
「え、いえ、あの……居なくなったと言うことは元気になったってことだと思うので……たぶんそこまで遠くに出かけては……あ」
「ん? ……あ」
「あ、ああーーーー!」
開かれた先に、イリヤが戻りたいと求めた日常があった。
世話焼きな家政婦と優しくて楽しい友達――イリヤが守りたいと願った大切なものが司会一杯に飛び込んで来る。どうやらイリヤがエーデルフェルト邸へ誘拐されている間に友人たちが見舞いに来ていたらしい。入れ違いしてしまっていたことで、彼女らへ心配をかけていたことを察したイリヤは頬を指先で掻いた。
「何処行ってたんだよイリヤ!! それもパジャマで!!」
「イリヤさん!! 一体何処へ行かれていたのです!? 貴方は病人なんですよ!!」
「あーー……えっと、ちょと散歩がしたくて……」
一階に居たはずのセラとリズの目を掻い潜って出掛けたにしては無理がある。不出来な言い訳に目を逸らすと、握り締めたままのルビーが視界に入った。
一般人の目があるためだろう。玩具の振りをして微動だにしない様は、普段のお喋りさんとは思えない程に無機物のようだ。
「――――」
ルビーを見て、イリヤは何故エーデルフェルト邸を飛び出したのかを思い出した。どっと血の気が引き、木霊していた音が押し戻ってくる。
ゆっくりと視線を戻す。目の前にいるあるのは
そんなことさせられない。そんな目に遭わせるわけにはいかない。大切なものを守ると誓ったのに、それを傷付けてしまっては、今度こそ
「え?」
イリヤは、伸ばされた手を叩き落としていた。予想していなかった行動に、した方もされた方も唖然とした顔になる。
「い、イリヤちゃん?」
「お、おい……どうしたんだ?」
「…………イリヤさん?」
ここに居ては駄目だ。
激しい脈動は何時しか耳鳴りとなり、思考の幅を狭めていく。
逃げなくてはいけない。ここから離れなくてはいけない。早く走って、逃げて、遠ざけて――大切なものを守らないと。
イリヤは走り出した。引き留めようとする声を振り切って、霞む視界にわけも分からないままに足を動かす。自分が大切なものを傷付けるのだ。ならば、ここに居てはいけない。ここに居ては、大切なものを守ることが出来なくなってしまう。
元から足の速いイリヤに追い付ける者は居なかった。後を追って来た友人たちを振り切り、セラの声にも耳を塞ぎ、滅茶苦茶に角を曲がる。
すると、その先で人とぶつかってしまった。前を見ていなかったイリヤとその相手は互いによろめき、尻餅を着く。
「あいたたた……すみません、大丈夫ですか……って、イリヤじゃないか」
覚えのある声に顔を上げれば、そこには義理の兄の士郎の姿があった。周囲には彼の荷物が落ちており、帰宅途中の彼とぶつかったようだ。
士郎は立ち上がると、汚れた制服も気にせずにイリヤへと手を差し出した。理由も訊かず、当たり前のよう差し出されるそれへ、反射的に手を伸ばそうとしたイリヤは、触れる寸前に動きを止める。
「イリヤ?」
「……ごめんなさい……」
士郎の手を取らず、イリヤは背を向けて走り出した。アスファルトに擦れる素足に痛みが走るが、唇を噛んで堪える。
「イリヤ!」
士郎が遠ざかる小さな背へ手を伸ばした。しかしその背はどんどん小さくなる。追いかけなくてはいけない。
散らばったままの荷物も持たずに、士郎も駆け出した。
『大丈夫ですかーイリヤさーん?』
人気のない公園に辿り着いたイリヤは、滑り台の下で膝を抱えていた。パジャマのまま、それも裸足の小学生が一人で居る様は補導されてもおかしくないが、誰も寄り付かない公園ではそんな気配欠片も感じられない。
今は一人きりの世界の中に居る。そう思うと耳鳴りも治まり、鼓動も落ち着きを取り戻していく。落ち着いて考える時間を得たことからか、イリヤは自分の足を見た。漸く認識した裸足のそこは、爪に泥が入り、じくじくとした痛みを生んでいる。
「痛い……」
目頭に熱が集まる。
こんなはずではなかった。こんなことに成るなんて知らなかったのだ。
自分は普通の女の子であるはずだ。この冬木市で育った、少し夢見る何処にでも居るただの女の子である。
このルビーと名乗る愉快な魔法のステッキに弄ばれて契約し、魔法少女になった。街を脅かすクラスカードを回収する、というまるでアニメの登場人物に成ったかのような展開にちょっとワクワクして、ドキドキしただけの、魔術のことなんて右も左も分からない女の子。
確かにこの任務の重要性は理解してきている。キャスターとの戦いで、クラスカードは人の手に余る物なのだと知ったから、クラスカードに人を傷付ける力をあることを知ったから、だから頑張って戦おうと覚悟するようになった。
けれど、自分がバケモノに成るだなんて思わなかったのだ。
「……いたい……よぉ……」
足が痛い。
心が痛い。
こんなにも自分は人間らしいのに、昨夜の自分は
「もう……やめたいよ……」
『じゃあ、やめちゃいましょう』
「え?」
てっきりあの手この手で励まし、再び魔法少女に仕立て上げられるのだとばかり思っていたイリヤは、あっけらかんと宣ったルビーに涙に濡れた目を向けた。
顔色などないルビーは、何を考えているかわからない様でイリヤの前でくるくると躍る。そして羽根を指のようにビシッと指した。
『いいんじゃないですか、別にー。そもそもカード回収は凛さんとルヴィアさんに課せられた任務ですから』
「……止めないの?」
『わたし的にはカードとか別にどうでもいいことですしー。だいたいあんな血生臭い泥仕事は魔法少女のやることじゃありません!』
「血生臭い……」
そうだ。クラスカードの回収は命のやり取りと変わらない。今まで生きているのはルビーの力を使って魔法少女であったからだ。魔法少女でなければ、凛やルヴィアのように生身で立ち向かうことなど出来ず、一瞬で文字通り血生臭い物体へと成り果てていただろう。
だが――思考が堂々巡りする――昨夜は、違った。イリヤの手にルビーはなかった。ルビーの力ではなく、
(…………わたしは、わたしが怖いよ)
自分がわからなくなる。
何故戦えたのだろうか。何故クラスカードを扱えたのだろうか。何故躊躇わなかったのだろうか。わからないことばかりで、自分を見失っていく。
だから、怖い。今までの自分が居なくなるようで、変わってしまうようで、バケモノに成ってしまうようで、立てなくなってしまった。
『だから、イリヤさんがやりたくないなら、やらなくていいんです』
「……そっか」
「―――そうだ」
降って湧いた声。ハッとして後ろを向けば、背後にアーチャーが立っていた。
上下黒の服を身に纏う彼は、中身のない左袖を揺らし、静かにイリヤを見下ろしている。目は、優しい。昨夜の冷め切ったものではなく、見守るようなものを感じさせる目をしていた。
「ア、アーチャーさん……」
いつの間に居たのだろう。全く気付かなかった存在に、驚きで声が震えた。
否、それだけではない。イリヤが感じたのは驚き以外にも、確かに恐怖も込み上げている。当たり前だ。自分を変えようとするきっかけの一つは、目の前にこの英霊なのだから。
『おやおや、アーチャーさんではないですか。涙する少女を覗き見とは愉快な趣味をお持ちですね』
「人聞きの悪いことを言うな。出掛けのついでに見かけただけだ」
『そう言えば先程は姿が見えませんでしたね。マスター不在の間はお店の仕入れですか? 異世界生活もなかなか庶民染みていますねー』
「人の話を聞く気がないのだな、貴様は」
会話と見せかけて一方通行のドッチボールに、アーチャーはため息を吐いた。このステッキを造ったのは宝石翁と伝わるが、はてさて、彼の偉大なる第二魔法の体現者がこんな愉快痛快な人格を生み出すのだろうか。事実ならば、それこそ趣味が悪い。
アーチャーは肩を竦め、それから右肩にかけるトートバッグをルビーへ差し出した。
「マスターより留守を預かっていたが、来訪者が忘れ物を仕出かしたのでな。私はそれを届ける途中だ」
『どれどれ……おや? ケーキです?』
「オートミールと野菜のキッシュだ。作り過ぎたから持たせたのだが……あの未熟者、慌てて帰るものだから案の定忘れて行った」
『えーー! こんなケーキ用のボックスに入れてたらケーキだって勘違いしちゃいますよー。ちびっ子しょんぼり案件ですよ。特に野菜ってところがガッカリです! おやつだヒャッホーイからの絶望を送るつもりですか!? こー言うのはちゃんと外から見ても野菜が入ってるってわかるようにしないと!』
「む、一理ある……」
(一理あるんだ……)
ルビーに流され始めたアーチャーに、イリヤは内心でツッコミを入れる。玩具のようなステッキに真剣な眼差しで頷く成人男性の様は、なかなかに不審であった。
『それにしても見た目もう平気そうですね。昨夜は赤い帯に森の中へ引き摺られて退場してましたから、もう会うことがないのかと思ってましたよ』
「やめろ。思い出させるな。頼むから止めてくれ」
本気で青い顔になるアーチャーに、イリヤは首を傾げる。
昨夜の記憶は何となく思い出したが、イリヤにクラスカード回収後の記憶はない。それも当然だ。彼女はあの後気を失い、凛によって自宅へと送り届けられたのだから。故に、あの戦いの後、《呪い》ではなく《毒》のためにアサシンが消えても動けないで居たアーチャーが、鏡面界から脱した後に謎の赤帯に捕まり、森の中へとガタガタ震えながら去って行ったことを知らない。
「……あの!」
楽しく(?)ルビーと談笑(?)するアーチャーへ、イリヤは絞り出すように声をかけた。アーチャーはトートバッグごとルビーの杖部分へキッシュをかけ、幼い少女へ再び目を向ける。
「昨日は……すみませんでした」
「……それは、何に対しての謝罪だろうか?」
「わたし、偉そうなこと言って……結局ちゃんと覚悟ができてなかったのはわたしだったんだって……アーチャーさんにはすっごく迷惑かけたと思うし……」
戦うと言っておきながら、現に今こうして逃げている。これは明らかな矛盾であり、昨日までの自分を裏切る行為他ならない。昨夜のアーチャーは何一つ間違っては居なかったのだ。こんな足手まといが戦場に居れば、彼が不快に思うのも仕方ない
だから、イリヤはパジャマの丈を握り、後ろめたさから目を合わせられず、砂利を数えて謝罪を告げる。アーチャーがどんな目で自分を見て居るかなど知らず、自分を責めながら。
「……何も、戦うことだけが守ることではない」
イリヤが数えた石が二十を越えた時、アーチャーはゆっくりと口を開いた。そこに責める色はなく、呆れたものもない。
イリヤがそっと顔を持ち上げる。アーチャーは滑り台へ背を預けているため、彼の表情を見ることはできなかった。しかし、やはり声に棘はない。優しい声だ、と聞く側にわかる程に、丁寧にアーチャーは言葉を選んでいく。
「戦いに赴くことで、確かに守ることはできる。脅威を払い退け、大切なものの安全を作り出せるだろう。しかし、時に剣を手放すことも大切だ」
「剣を手放す……」
つまりは、武力の放棄。
イリヤにすれば、ルビーを手放し、魔法少女でなくなることに値するだろうか。
「忘れてはいけない。君が大切だと思う人たちにとっても、イリヤ……君が大切なのだということを」
イリヤが守りたい人たちに傷付いて欲しくないと願うように、彼らもイリヤに対して同じ想いを抱いている。
家族が、友人たちが、イリヤが命懸けの戦いをして居ることを知って、どう思うだろうか? きっと、やめて欲しいと思うだろう。戦いから遠退いて欲しいと思うだろう。イリヤが守ろうとしたように、彼らもイリヤを守ろうとするだろう。
だから、
「前線から退くことは、敗走ではない。
ついに、ボロボロと大粒の涙が零れた。次々と溢れた、袖を濡らし、地面に染みをつくる程の涙に、イリヤの喉は引き攣る。
イリヤは、心底安心していた。逃げ出したことは間違いではないのだと教えられ、肩の荷が下りる思いだった。
このまま戦い続けることが怖かった。自分が自分でなくなることが怖かった。自分が誰かを傷付けることが怖かった。だから、イリヤは逃げ出した。覚悟も約束も責任も投げ出し、現実から逃れようとした。それは、決して褒められる行いではなかっただろう。人に後ろ指さされ、臆病者だと罵られても仕方のない行いであっただろう。
しかし、アーチャーは正しいことなのだと肯定してくれた。ルビーが作ってくれた逃げ道への一歩を、押してくれた。
ありのままの自分で居ることを、許してくれた。
「うああ、あああーーあぁーーーー」
高学年になって情けないが、イリヤは大きな声を上げて泣いた。キャスターとの戦いで血を流した時ですら泣かなかった彼女は、両手から溢れる程の涙を流した。
そして、それを優しくて見守っていたアーチャーは、
「見付けましたよ――――フィッシュ」
「ぐおっ!?」
「『!?』」
公園の入り口より伸ばされた赤い帯に拘束された。
何がどうなっているのやら。雰囲気もぶち壊しにする謎の物体の登場に困惑する彼らだが、そんなもの知らぬとばかりにあの女は公園へと足を踏み入れた。
「本当に、どうしようもないアリだこと。女の子の甘い香りに群がるだなんて、働きアリなら働きアリらしく役割だけを全うしていただけますか? 余分な仕事が増えるので」
「
涙も引っ込む衝撃。白衣に淡い紫のフリルブラウス、下はブルーのミニスカートとタイツ、とイリヤにとって学校の保健室で見慣れた人物――折手死亜可憐が公園の地を踏み締める。
何故ここに居るのか。そんな疑問は口に出る前に飲み込まれる。何故ならば、イリヤのすぐ傍、アーチャーの方からギチギチとえげつなく絞まる音が聞こえてきたからだ。率直に痛そうな音がしている。
「こ、これは……!」
「はい、ご存知の通り正真正銘のマグダラの聖骸布です。貴方のご主人様より、昨夜に続いて別料金プラスプランの追加がありました。理由は現状から見てわかりますね? 脱獄がバレています」
「ま、待てっ。別料金だと!? 昨夜は二週間と言って居たではないか!!」
「一ヶ月……いえ、二ヶ月に延長します」
「よ、四倍だと!?」
「私とて忙しい身の上なのです。それなのにこうしてわざわざリードを持って来て差し上げたのですから……膝をつき三つ指揃えて敬いなさい、主を」
「宗教が混同しているぞ!」
「主を思う姿勢に枠はありません。受け入れられない、と言うならば……そうですね、巣に水をかけましょうか? 面倒ですが毎日寄付金催促に家に行きますよ」
「本当に君はいい性格をしているな!?」
「そんな……何も出ませんよ、お礼にダニの好物を譲与しましょう」
「褒めてない! と言うよりそれはただの嫌がら……あいたたた!!」
『お達者で~~』
「…………」
台無しだ。全てが台無しだ。
もう無言で華憐に引き摺られていくアーチャーを見送るしかできないイリヤは、頬を撫でた。さっきの大泣きが嘘のようだが、目元がヒリヒリするので泣いたのは現実らしい。悪い意味で夢みたいだ。
「……これからどうしよう……」
アーチャーは去った。自分の立ち位置も落ち着いてきたが、だが飛び出して来たら手前、のこのこと家に帰る気にはなれない。
再び膝を抱え、腕の中に顔を埋める。心配をかけてしまった人たちに吐く言い訳が思い付かない。
「やっと見付けた」
ぽん、とイリヤの頭に誰かの手が乗る。
「あ……」
誰か、ではない。知っている。覚えている。
この手は、イリヤが守りたいと願った――大切な人のあたたかな手だ。
「探したぞ、イリヤ」
「お兄ちゃん……」
顔を上げると、目の前には優しい顔でしゃがむ士郎の姿があった。
前髪が額に張り付いているのを見るに、ずっと走り回って自分を探していてくれたらしい。頭から離れ、頬に当たる指は熱いくらいだ。
「怪我してるじゃないか。裸足で走ったら駄目だろ」
「お兄ちゃん……わたし……」
「痛かっただろ?」
理由は訊かない。ただただあたたかく身を案じてくれる存在に、イリヤの瞳は潤んだ。
今日で何度泣いただろう。痛むくらいに泣いたのに、まだまだ足りないとばかりに溢れて感情を露見させていく。
「泣く程痛いのか? よく我慢したな」
「ちが……わ、わた……わたし……っ」
「寒かっただろ。そんな薄着で居て。帰ったら温かいスープ作ってやるからな」
「うっ……うぅ……」
「よしよし……」
イリヤを優しくて撫でる。兄として、家族として、彼女を大切に思う者として、士郎はイリヤをあたたかく受け入れる。
そして、彼女が求めている言葉を告げた。
「帰ろう、イリヤ」
差し出される、大好きな人のあたたかな手。
大切で、傷付けたくないと願った手。
遠ざけて、振り払った手。
「―――うん」
それを、今度こそイリヤは握り返した
マジかよ……これからバーサーカー戦とセイバー戦を書くのかよ……(震え声)後編って何時上げられるんだ……。待たせてしまう方には申し訳ありません。もう暫くお待ち下さい。
あと、こちらの作品。無印編を書き終えたらどれだけフラグが残っていようと終了する予定でいます。と言うのも、本気で筆者は無印編しか内容を考えていないままに書いているので、続編を作るに作れないからです。なので、読んで下さっている方々には完結後も疑問を残し、モヤモヤさせる結末もあるあるかもしれません。そうなった場合、番外編として設定回ならぬ質問回答回というか赤裸々回を設けたいと思っています。完結後に活動報告かTwitterか何かで募集しようかな? 思っているんですが、付属する設定回の投稿はできてもQ&A回を投稿できるのかはちょっと調べたんですけどわからなかったので、こちらはあくまで予定です。後程確認して再度周知したいと思いますが、この予定は蛇足なので皆様に疑問などがなければ実施はしません。疑問なく綺麗さっぱりに読んでいただけることが幸いですが、なにぶん筆者の力量不足で申し訳ない……。
ではでは、ここまで長々とお付き合い有り難うございます。天むすの次回作にご期待下さい。