『こちら筑摩、敵艦発見……戦艦棲姫一隻、泊地棲鬼とみられる鬼が四隻です』
先に警戒にあたっていた筑摩から無線が入る。
先制攻撃の際に索敵をしていた龍驤から聞いていた通りだった。
つまりそれは、提督の読んでいたとおりの編成だということだ。
泊地棲鬼とは私も何度か戦った事があるが、戦艦のくせに何故か主砲を装備しておらず、代わりに艦載機と雷装を有する、おかしな存在だ。
つまりそれであれば、赤城達の先制攻撃にも対応が出来ていたと思うのだが、そうできなかったという事は、今回、艦載機は除いていたという事だろう。
提督の読み通りであれば艦載機の代わりに主砲を積み、夜戦に特化していると考えても良い。
艦載機を主力とする泊地棲鬼との夜戦で、今までそれほど苦戦した経験は無いが――もしも提督の読みがなければ、私はそれを警戒せずに闘いに挑んでいたかもしれない。
夜の泊地棲鬼は恐れるに足らず、と、この緊急時にも関わらず慢心していたのかもしれない。
もしかすると、これも深海棲艦側の作戦の一つなのではないか。そう考えると背筋に悪寒がよぎる。
「皆、今までの泊地棲鬼とは別物だと思え。我々戦艦も、一撃でも食らったら大破、いや、当たり所が悪ければ撃沈されてもおかしくはないと考えるくらいが良いだろう」
「了解! 比叡、気合! 入れて! 行きます!」
「はい! 榛名、全力で参ります!」
「さて、どう出てくるかしら……?」
「な、なぜ青葉はここに編成されているのでしょうか……? 未だに理解が追い付きません……」
私が無線で全艦娘にそう告げると、私の率いる比叡、榛名、霧島、青葉がそう答えた。
横須賀鎮守府の誇る、火力と装甲に長けた戦艦四隻と数合わせの青葉を正面に並べ、その身を鎮守府への最後の砦とするのだ。
『了解。重巡、妙高。推して参ります』
『さぁ、那智の戦、見ててもらおうか!』
『戦場が、勝利が私を呼んでいるわ!』
『精一杯頑張りますね!』
『うむ、参ろうか……ば、バカな! カタパルトが不調だと⁉』
『あらあら、利根姉さん?』
妙高、那智、足柄、羽黒、利根、筑摩の六隻は最前線に待機している。
戦闘が始まり次第、敵艦隊の背後へ回り込み、私達との挟み撃ちにするのだ。
戦艦には劣るがその火力は驚異的だ。背後からそれを浴びせられれば、敵艦隊も無視して鎮守府に侵攻する事はできないだろう。
『夜は私たちの世界よ。仕留めるわ!』
『イクの魚雷が、うずうずしてるの!』
『わぁ~、怖いのいっぱい、見ーつけちゃったぁ』
潜水艦隊の伊168達からも好戦的な声が届く。
闇夜の海において無敵なのはこちらの潜水艦も同じだ。
奴らはまだ練度が低く、その魚雷では鬼、姫級の戦艦五隻には大きなダメージは与えられないだろうが、少しでも傷つける事ができれば御の字という奴だ。
『千代田、油断は禁物よ。私達は装甲が薄いんだから』
『もちろん。千歳お姉も気をつけてね……』
『千歳姐さん、千代田姐さん、うちがついとるけぇ、大丈夫じゃて!』
『浦風だけではない。この磯風もついている。共に進もう。心配はいらない』
『相手にとって、不足無しです!』
『こう見えて、この谷風はすばしっこいんだよ? 敵の砲撃なんざ、当たる気がしないね! かぁ~っ!』
先ほど帰投したばかりで疲労も残っているだろうに、千歳達には重要な役目を任せてしまった。
千歳は浦風と谷風、千代田は磯風と浜風を率いて左右より敵艦隊へ接近し、雷撃。敵の砲撃が鎮守府に向かないよう囮となる陽動部隊だ。
これにより敵艦隊は五方向から攻め立てられる事となる。
前方は私、長門の率いる戦艦部隊と青葉。
後方は妙高率いる重巡戦隊。
左右には千歳、千代田の率いる囮機動部隊。
さらに水中には、伊号潜水艦隊。
あちらは五隻、こちらは二十隻だ。
実に四倍の戦力差である。
それだけではない。提督の読みによる赤城達空母部隊の先制爆撃により、すでに敵はある程度の被害を受けている状態だ。
棲地からここまでの道のりで、資材も消費している事だろう。
勝てる要素は、十分にあるように思える。
『最後まで慢心しては駄目よ』
港で待機している空母部隊、加賀から無線が入った。
先ほどの出撃で失態を犯した事を、この出撃の前に赤城達は皆に話し、決して慢心しないようにと強く強調したのだった。
一歩間違えば、提督の読みが上手くいかなければ私達は今頃ここにはいない――。
歴戦の赤城と加賀、翔鶴と瑞鶴、龍驤と、本日が初めての実戦配備であった春日丸の表情を見れば、その深刻さは明らかだった。
それだけで、皆の心から油断、慢心は消えたであろう。
「あぁ。勿論だ……香取、後方支援部隊の準備はできているか」
『はい。このような役目は初めてですが、精一杯務めさせていただきます』
『香取姉、頑張りましょう! 皆さんも、後方支援頑張りましょうね! えいっ、えいっ、おぉーっ!』
鹿島の掛け声に、駆逐艦達の鬨の声が無線を通じて聞こえてきた。
勝鬨は勝ってからにしろ、などと無粋な事は言わない。実に可愛らしい、いや、頼もしい事だ。
練習巡洋艦である香取と鹿島には、戦闘の役割を与えた者以外の駆逐艦達をまとめ上げる後方支援を任せた。
戦闘海域が鎮守府正面であるという地の利を生かし、大破した艦の撤退の同行や、消耗した際の資材の輸送など、普段は行わない仕事を任せる事になるだろう。
駆逐艦の中でも戦闘力に長けた精鋭達は、未だに軽巡七人と共に提督の指示した遠征から帰ってきていない。
連絡も無い為、心配だ。まさか、敵に見つかり、交戦し……いや、悪い想像はしてはいけない。
してはいけないが、あの位置への遠征でここまで時間がかかる事は有り得ない。
この時刻になって、未だに三艦隊とも帰投しないという事は、有り得ない事だった。
『こちら工作艦、明石。やはり、資材の備蓄に不安があります。積極的な補給は難しいかもしれません』
「あぁ――改二実装艦全員に告ぐ。今回は普段と違い持久戦狙いだ。作戦通りに、資材を多く消費する改二はなるべく温存していこう」
同じく後方支援を任せた明石から無線が入る。
この一か月で資材に少しは余裕ができていたと思っていたが、訊けば提督が、真っ先に建造を行ったのだという。
おかげで予想していたよりも、資材の量に余裕が無い。
それを聞いて那智がまた激怒し、執務室に乗り込もうとするのを再び妙高に止められていたのだった。
『フン……あの男は一体何を考えているのだ。この状況を読めていながら建造など。おかげで全力が出せないではないか』
那智の呟きに、私も心の中では同意した。
口では提督を信じようと言い聞かせたが、やはり理解が出来ないのだ。
前提督の暴挙を思い出し、建造という行為そのものに反感を持つ艦娘も少なくは無い。
地の利、数の利が整い、深海棲艦の強大な個の力を考えても有利に思えるこの状況で、唯一不安材料になったのが、資材の量だった。
改二を発動するには多くの資材を消費する。
それはつまり、艦娘として海上で活動できる時間が短くなるという事だ。
性能は大幅に向上するが燃料の消費が増え、火力は上がるが弾薬の消費が増え、被弾した場合に艤装の修復に必要な鋼材の消費も増える。
改二を発動するというのは、短期決戦と相性がいいのだ。
しかし、今回の資材の備蓄状況では、改二実装艦が同時に一度改二を発動すれば、それで資材は枯渇してしまうだろう。
私達が敵棲地へ攻め込む時も、敵を仕留めきれずに逃がしてしまう事は多々ある。
ましてや、提督への信頼が薄い状態で改二を発動したところで、鬼や姫に対しての飛躍的な性能上昇効果は期待できないかもしれない。
もしも短期決戦を狙い、万が一、改二発動可能時間内に仕留める事ができなかった場合。
資材を補給できず不足してしまった私達艦娘はただの人間と変わらない。海上に立つ事すらできなくなる。
それだけは、避けなければいけない事態だった。
夜さえ明けてしまえば、空母部隊の艦載機による攻撃が可能になる。
改二にならずとも、数の利と地の利を利用すれば、なるべく闘いを引き延ばす事は可能だろう。
朝まで敵を押しとどめる事ができれば確実に私達の勝ちだ。
それが私達の考えた作戦だった。
不安材料の事は、胸の内に飲み込んだ。
ここまで来れば、後は全力をぶつけるのみ。
不安の無い戦場など今まで一度も無かったではないか。
『――来ました』
筑摩の声が届いた。
それよりも早く、暗黒に包まれた水平線の向こうから、圧倒的な重圧が肌を焦がす。
怒り、憎しみ――そしてそれ以上に、何としても、今夜、横須賀鎮守府を陥落させるという覚悟が痛いほどに伝わってきた。
重巡戦隊からの無線を通して、おぞましい叫び声が耳を貫く。
『ナンドデモ……ナンドデモ……! シズメェェエエ‼』
――それはこの国の命運を賭けた戦闘の開始を告げる、鐘の音だった。
◆◆◆
戦いが始まり、どれくらいの時間が経っただろうか。
少なくとも、日が変わった事だけは確実だ。
こちらの被害は思っているよりも少ない。
妙高達はうまく敵艦隊の背後に回る事に成功し、千歳率いる浦風、谷風、千代田率いる磯風、浜風の囮機動部隊はそれぞれ左右から敵を挟撃する。
敵艦隊の攻撃も四方向へそれぞれ分散し、やはり消耗しているせいか、普段より火力も若干弱いように感じられた。
ただ、直接の被弾はなくともその余波だけで駆逐艦を小破、中破に追い込む破壊力は流石としか言えない。
弱っていても鬼、姫だ。提督の指示による先制打撃がなければ、これ以上の火力で攻められていたのだろう。
「全艦っ! 状況は⁉」
『こちら妙高。今のところ被害はありません』
『千歳小破、浦風中破。谷風は全弾回避に成功しています』
『千代田です! 私は無事だけど、磯風、浜風が共に中破!』
『こちらイムヤよ。勿論無傷だけど、もう弾薬が足りないわ。一度補給に戻ります』
やはり普段に比べれば格段に被害は少ない。
だが、こちらも改二が発動できないおかげで決め手に欠ける。
改しか発動できない状態で、鬼や姫と戦った経験は今までに数える程しか無い。
改二の状態でも手こずるくらいだ。奴らの装甲がここまで硬いものだったとは、と改めて感じた。
あと何発、何十発、いや、何百発、砲撃を当てれば終わるのか。
前提督の方針は、戦艦と空母をずらりと並べ、圧倒的な瞬間火力で敵を殲滅するものだった。
故にここまでの持久戦の経験は無いと言ってもいいだろう。
そして経験せねばわからない事がある。
思いのほか、奴らは消耗していない。
我々はこの数時間、一度は駆逐艦達による補給を受けているというのに、奴らは一度も補給無しで持ちこたえている。
そこから推測される事は、まず一つ。戦艦棲姫達は、その巨大な体躯故に資材も多く溜め込めているのだろうという事。
そしてもう一つは、奴らはここまで辿り着くまでに、一度は資材の補給をしているだろうという事だ。
そうでなければ、ここまで持ちこたえる事はできないだろう。
しかし、奴らのエネルギーも無尽蔵では無い。
母港には入渠を終えた空母部隊が待機している。
たとえ夜の内に私達の砲撃で削り切れなくとも、このまま朝まで凌ぎ切れば、赤城達による一斉爆撃で確実に殲滅できるだろう。
あと数時間、敵の猛攻に耐える事さえできれば。
――猛攻だと。
私は違和感に襲われた。
こんなものは猛攻などと到底呼べるものではない。
砲撃の頻度もやけに少ない。
もしも私達が敵の立場だったら、どうするか。
敵の目的は鎮守府の陥落。そして四方を囲まれている。
ならば、そもそも妙高達や千歳、千代田の相手はしないのではないか?
己の不利を悟ったのならば、鬼と姫の火力を目標一つに向け、一直線に攻めた方がまだ一矢報いる可能性は高い。
鬼、姫レベルの知恵があるならば、それくらいの判断はつくはずだ。
だのに、何を律儀に四方を向き、一点の火力を落としてまで持久戦に付き合っているのだ。
こんなに長時間も気づかないはずがない。
敵のこの異様なまでの持久力は、こちらの被害の少なさは、あえて火力を落として、燃費を優先している?
馬鹿な。何のメリットがある。
時間が経てば経つほどに不利になると予想がつくだろう。
他の鎮守府からの応援が駆けつけてくる可能性もある。
朝になれば空母が活躍できるようになる。
たった五隻の戦艦では、不利になる要素しか無いではないか。
奴らは何故、持久戦に付き合っている?
奴らは時間を稼いでいる?
奴らは何かを待っている?
奴らは――
『……なっ、長門ォーーッ!』
無線を通して、利根の叫ぶ声が聞こえた。
私が返事をするよりも早く、利根の言葉が続く。
『わっ、吾輩達の背後より敵艦隊が接近しておる! 一隻二隻では無い! ちっ、筑摩ーっ!』
『はいっ、利根姉さん! 敵艦隊、編成は……輸送ワ級flagshipが四隻! 重巡リ級flagshipが二隻! それが三艦隊同時に向かってきています!』
疑問が解けると同時に、その耳を疑った。
信じたくは無い情報だった。
そうか――洋上補給。
戦艦棲姫達は、もともとその予定だったのだ。
敵の補給艦である輸送ワ級は、こちらの補給艦がそうであるように洋上補給の能力を持つ。
これは深海棲艦側の二の矢。
一の矢である主力部隊六隻だけでも、提督不在で弱体化した横須賀鎮守府を陥落させるには十分すぎる戦力だった。
しかし念には念を入れて、補給部隊を遅れて到着させる算段だったのだろう。
ここで洋上補給が出来れば、万に一つも深海棲艦側には負ける要素が無い。
個の性能差もありながら、資材も再び万全な状態になる。
しかも、洋上補給を終えた輸送ワ級は、それで役目を終えるわけでは無い。
flagship級の輸送ワ級の性能は、補給艦でありながら重巡洋艦に匹敵し、その護衛であろうflagship級の重巡リ級の性能は戦艦に匹敵する。
つまり、敵艦隊には大量の資材と共に、重巡洋艦級の戦力が十二隻、戦艦級の戦力が六隻、援軍に来たようなものだ。
現在、潜水艦隊が補給の為母港に戻っている私達の戦力は、戦艦四人、重巡洋艦七人、水上機母艦二人、駆逐艦四人の計十七人。
敵は姫級の戦艦一隻、鬼級の戦艦四隻、戦艦級の重巡洋艦六隻、重巡洋艦級の補給艦十二隻、計二十三隻。
――数の利が覆された上に、個々の性能面でも釣り合わない。
奴らはこれを待っていたのか!
いや、洋上補給さえ食い止められれば、まだ――!
「くっ……妙高、千歳、千代田達はそれぞれ補給艦を迎え撃て!」
『了解!』
――そう、私が命じた瞬間だった。
「――長門さんッ! 危ないッ!」
敵の砲撃が四方、それぞれの艦隊方面へ放たれ、大きな水柱が上がった。
皆の注意が逸れた瞬間を狙ったのだ。
目の前で轟音と共に巨大な爆発が起きた。
私の目の前に出てきた三人が衝撃で吹き飛び、私はそれを受け止める形で数メートル後方へ吹き飛ばされた。
「比叡さんっ! 榛名さんっ! 霧島さんっ! あ、あわわ……」
「くっ、私を庇って……!」
反応が間に合わなかったのか、青葉は幸運にも無傷のようだ。
だが、この局面で戦艦三人が中破してしまうとは――。
いや、攻撃されたのは私達だけでは無い。
「――皆! 応答しろ! 被害状況を!」
『こ、こちら妙高……! 油断しました……! 妙高小破、那智以下、中破……!』
『千歳です……千歳、谷風、中破』
『ち、千歳お姉……っ』
『浜風です! 千代田、中破!』
先ほどよりも狙いも正確で、確実に火力も上がっている。
明らかに、先ほどまでは手を抜いていた。
そう考えた瞬間だった。
戦艦棲姫が、さも愉快そうに、声高らかに嬌声を上げたのだった。
『アハハハッ! アハハハッ! ソノカオヨォ……! ソノカオガ、ミタカッタノォ! アハハハッ!』
全てを理解した。
何故、奴らは最初から合流して侵攻しなかったのか。
何故、奴らはたったの六隻で横須賀鎮守府に攻め込んできたのか。
何故、この数時間もの間、私達の攻撃を甘んじて受け入れていたのか。
深海棲艦二十四隻による奇襲を目の当たりにしては、私達は初めから絶望し、諦めてしまっただろう。
死を覚悟して立ち向かうしか無かっただろう。
だが、六隻であればどうか。
数だけを見れば、今まで敵棲地で何度か撃破する事が出来ている。
私達は、勝てるかもしれないという希望と共に立ち向かうだろう。
『ネェ! カテルカモッテ、オモッタァ⁉ センセイコウゲキニセイコウシテェ……潜水棲姫ヲグウゼンタオセテェ……!』
『カテルカモッテ、オモッテタノォ⁉ アハハハハッ! ソノカオヨォォ! ソレガミタカッタノヨォォ! アハハハハッ!』
奴らにとっては、確実に勝てると確信できている作戦。
奴らは、私達が必死で抗戦する姿を見て、遊んでいたのだ。
いずれ来るであろう援軍を見た時の絶望の顔を拝みたかった。
僅かな希望が摘み取られた瞬間を見たかった。
ただその為だけに手加減をして、ただその為だけに闘いを引き延ばしていたのだ。
姫の知性は――より残酷に、より絶望的な状況で、私達を蹂躙する事を選んだのだ。
『ワタシノォ……テノヒラノウエデェ……! オドリクルウスガタヲォ……! アハハハハッ!』
成すすべも無く、立ち尽くす。
私達の姿は、滑稽だっただろうか。
戦艦棲姫は、私達の必死の姿を見て、笑いを堪えるのに必死だったのだろう。
どうせ何をしても、援軍が到着すれば全ては無に帰すというのに。
数時間も、無駄に、みじめにあがいていた私達の姿は、さぞ、滑稽だったのだろう。
私達なりに作戦を立案し、全力を尽くしたつもりだったが――全ては深海棲艦の掌の上。
こうしている間にも、敵の援軍は無慈悲に近づいてくる。
勝てるはずが無いとわかっているのに、私の頭は滑稽に踊り狂うのをやめてはくれない。
まだ、みじめにあがくのか。
無様にもがいてみせるのか。
今から全員、改二を発動すれば――
いや、頭数が足りなすぎる。
善戦はできるだろうが、数の差を覆せはしない。
数隻は私達の守りを潜り抜け、鎮守府が先に攻撃されてしまう。
比叡、榛名、霧島を援軍にぶつからせるか。
そうすると、鬼と姫は私と青葉で食い止めねばならない。
後方支援の香取達は――戦力としては期待できない。
現実的では無い。
現実は――。
目の前の空は、目の前の海は、私達の未来を暗示するかのごとく、黒く塗りつぶされている。
私達はその数と性能の差の前に一人一人蹂躙され、一人一人、確実に――。
「勝て……ないの……? 嫌……嫌だ……!」
比叡が目を見開き、崩れ落ちるように膝を海面についた。
その目には涙が浮かんでおり、一筋、頬を伝った。
榛名と霧島も、無言ではあるが、その顔は絶望に染まっている。
――詰み、だった。
もう自嘲するしかなかった。
私程度の頭では、これが限界だ。
すまない、提督。貴方が信頼してくれた私は、私達はこの程度の――
――瞬間。不意に、暗黒の空が光に包まれた。
目が眩んでしまい、思わず反射的に目を瞑ってしまう。
朝が来たわけではない。
それはまるで流星だった。
ゆっくりと降下するその眩い光は、遠目に見える敵補給船団、そして戦艦棲姫達の姿を闇夜に映し出していた。
理解が追い付かなかったが、私はそれに見覚えがあった。
「照明弾……?」
私達の未来を暗示していたかのような、暗黒の空が、漆黒の海が。
確かに光に包まれていた。
無線にノイズが走り、そして――
『目標確認! 全艦、斉射! 始めッ!』
「全砲門っ! ファイアーーッ‼」
――無線を通じて、聞き覚えのある声がした。
――直接この耳に、聞き覚えの無い声がした。
何重もの砲撃音と共に、敵援軍艦隊から爆炎が上がり。
私達の背後から轟音と共に閃光が通り抜け、戦艦棲姫達に叩き込まれる。
『――キャアアァーーッ!? イ、イッタイナニガ……ッ⁉』
戦艦棲姫も動揺を隠しきれていない。
それは、私達も同様だったが――振り向いている暇は無かった。
息をつく暇も無かった。
無線から、次々に三つの声が響く。
『第二艦隊! 敵補給艦一隻撃沈!』
『第三艦隊っ! 同じく補給艦一隻撃沈っ!』
『第四艦隊ッ! こっちも敵補給艦、一隻撃沈だぜぇっ!』
自分の耳を疑った。
私だけではなかっただろう。
この戦場に立つ全ての艦娘が、皆こう思った事だろう。
目の前の光景は幻では無いだろうか。
耳に届いた声は幻聴では無いだろうか。
瞬間。
私達を通り抜け、目の前に現れたその背中は、比叡達によく似た装束を纏っていた。
照明弾に照らされた夜空。
爆煙を上げて悶える戦艦棲姫を前に仁王立ちをしているそれは、ゆっくりとこちらを振り向いた。
見ない顔だった。
この鎮守府では、見た事の無い顔だった。
艦娘として再び海上に立ってから、一度も見た事の無い顔だった。
だが、私はそれを、そいつを!
この絶望的な状況をものともしないように、歯を見せて太陽のように笑ったそいつを!
私は確かに知っていたのだ!
「ヘイヘイヘーイ! マイシスターズ! なんて顔してるデース!」
「うわぁぁあーーっ! 金剛お姉様ぁーーーーッ‼」
比叡達が同時に叫んだ。
理解が追い付かない。
何故、金剛がここにいる⁉
奴は今まで、艦娘としての姿を持たない、海底に沈んだままの艦だったはずだ。
つい先ほどまでこの鎮守府に、いや、この世界の海上に存在すらしなかった艦が、何故ここにいる⁉
比叡達の眼に涙が浮かび、火が灯る。
それは先ほどまでの絶望からのものではなく、嬉し涙だ。
比叡の一度折れてしまった膝が、心が、再び立ち上がり、しっかりと海面を踏みしめた。
金剛は三人の妹達に泣きながら縋りつかれ、それをしっかりと抱きしめている。
「何で⁉ 何で⁉ どうしてここにお姉様が⁉」
「お姉様……! 金剛お姉様!」
「これは……夢では無いでしょうか……⁉」
「話せば長くなるので結論から言いマース! 提督が私を呼んでくれマシタ! 提督はこの私の存在を望んでくれて! そして! 暗く深い海の底に沈んでいたこの手を引いてくれたのデース!」
――提督は。
「あの司令が……金剛お姉様を望んで……⁉」
――提督は、何故。
「提督が……も、もしかして、そんな!」
――提督は、何故こんな時に建造を――。
「なるほど、そういう事……流石司令、データ以上の方ですね……!」
まさか、まさかこれは――!
「――さぁ、私達の出番ネ! 皆さぁん、ついて来て下さいネー! フォロミー!」
金剛の檄が私達の心を焚き付け、そして――大淀が無線を通じて、私達の待ちわびていた言葉を叫んだのだった。
『横須賀鎮守府全艦隊の皆さんに告げますっ! この戦場の全ては! 提督の掌の上ですっ!』