ラストダンスは終わらない   作:紳士イ級
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035.『視察』【提督視点】

 ――俺は走っていた。

 いつから走っているのか覚えていない。

 この道は知っている――あぁそうだ、これは小学生の時に毎日見ていた帰り道じゃないか。

 ふと気づけば、俺の身体はあの頃に戻っていた。

 あぁ、これは夢なのだと何となく理解しながらも、走るのを止めなかった。

 

 友達の作り方を忘れてしまったのはいつからだろう。

 元々人見知りではあったものの数人の友人くらいはいた俺が、完全に友人を無くしてしまったのは、確か小学五年生の時からだ。

 その時は、別に俺が何か問題をしでかしてしまったというわけではなかった。

 クラス替えにより友人達が別々のクラスになってしまった事と、母さんの病気が判明した事、そして俺が、残された母さんとの時間を何よりも優先したのがきっかけだったのだと思う。

 

 学校が終われば、俺はすぐさま走って自宅に帰った。

 母さんが入院するようになってからは、学校から直接病院へと走った。

 面会時間が決められているので、歩いている時間さえももったいなかった。

 早く病院に辿り着けば、それだけ長く母さんと居られる。

 休日はもっと長い間、母さんと一緒に居られる。

 

 数少ない友人からの誘いも断り続けた。

 やがて誘っても必ず断るからと、誰からも誘われなくなった。

 俺から誰かを誘う事もしなかった。

 俺はそれでいいと思っていた。何しろ、母さんと一緒に居られる時間はもう僅かしかないのだから。

 面会時間は夜八時まで。

 余命は残り僅か一年。

 俺にとって何よりも優先しなければならない時間だった。

 

 ――走り続けて、やがて俺は見慣れた扉の前に辿り着いた。

 この扉の先に待っているのは何か、知っている。

 慣れない期待に胸を膨らませて病室の扉を開けると、そこには――。

 

「甘味処間宮へようこそ! 甘いものはお好きですか?」

「はいはい、なんですかぁ? 提督といい、巻雲さんといい、スキンシップ大好きですね?」

「提督さんには、うちがついておるから大丈夫じゃて! うちに、任せとき?」

「司令官、私がいるじゃない! この雷にも、もーっと頼ってくれてもいいのよ?」

 

 うっひょーッ! マンマ祭り四人衆発見!

 精神退行艦オギャる丸、準備万端であります!

 朝の光眩しくて、それっ、抜錨!

 たとえ世界の全てがバブ海色(ミいろ)に溶けても――!

 

 マンマ祭り四人衆が手招きするベッドにルパンダイブしたところで、ぱちり、と目を開けると、昨日とはまた違った見慣れぬ天井が目の前に映る。

 目を開ける数瞬前まで眠っていたという事実を理解するまでにしばらく時間がかかった。

 寝起き特有の身体のだるさや頭の寝ぼけた感じも一切無い。

 股間の駆逐艦朝立の装甲もギンギンにMAXっぽい。股間にハンモックっていうかテントを張ってでも戦うよ!

 こんなにすっきりと目覚めたのは、かなり久しぶりの事だった。

 昨日ようやく一日のオナ禁に成功したからだろうか……。

 

 俺の身体は布団に包まれていたが、自分で布団を敷いて眠ろうとした記憶が無い。

 身動き一つ取らぬまま、天井を見上げて記憶を整理する。

 そう、酒とバブみのせいで正気を失いかけ、俺は自室に戻ろうとしたのだった。

 そして足がもつれて、転びそうになって――えっ、転んだ? 頭を打った?

 そこからの記憶が一切無い。

 気が付いたらこの状態だ。

 

 お、おい、待てよ……記憶が無いという事は、ま、まさか俺の中の俺(フルティンコ)が、陰に隠れたその姿を見せてしまった可能性が――⁉

 い、いや! それに加えて、那智との呑み比べは……⁉

 

 俺は思わず、がばっ、と上半身を起こした。

 辺りを見回すと、どうやら昨日の歓迎会場の小料理屋鳳翔、いや、この時間帯は甘味処間宮のようだ。

 座敷に布団を敷かれて、俺はそこに寝させられていたらしい。

 少し離れた場所にある席で姉妹達と紅茶を飲んでいたらしい金剛と目が合うと、ぱあっ、と太陽のような笑みを浮かべて、前転しながら文字通り飛んできた。

 

「あっ! お目覚めデース! グッモーニンッ、テートクゥーッ!」

 

 俺の布団の上でバッとムササビのように手足を広げた金剛は、その勢いのままに着陸し、布団の上から俺の身体の上に覆いかぶさってきた。

 必然的に金剛の身体に押しつぶされ、立ち上がっていた俺の股間があらぬ方向へ押し曲げられる。

 アーーーーッ‼⁉ 駆逐艦朝立、轟チン! 目覚めているのに俺の早漏物(ソロモン)を悪夢が襲う――⁉

 も、もう馬鹿ッ! これじゃ戦えないっぽい!

 思わず白目を剥いてしまったが、何とか表情を保ったまま堪えた。

 

「あれっ、何か硬いものが当たって……あっ、さてはハラキリ用の小太刀を隠し持っていたデスカー⁉」

 

 ウ、ウン、小太刀っつーかピンコ立ちがねってやかましいわ!

 誰が小太刀だ。大太刀かもしれないだろ。

 俺は股間の激痛に肩を震わせながら、何とか金剛に目の焦点を合わせた。

 

「お、おはよう金剛……こ、こういう事を気軽にするなと昨夜言った記憶があるのだが……」

「ぶぅー、何でデスカ」

 

 くそっ、コイツ本当に距離感近いな!

 建造された事がそんなに嬉しいのか元々の性格なのかはわからんが、これでは俺も勘違いしてしまうではないか。

 コイツ俺の事好きなんじゃね? という勘違いはもう二度とするまいと固く心に誓ったのだ。

 自分自身への戒めと、男を惑わす金剛を脅かすつもりで、布団の上から俺の身体にまたがる金剛の両肩をがしっと掴む。わぁい、すべすべで柔らかーい!

 驚いた様子の金剛の目をじっと見つめながら、俺はドキドキしているのを表情に出さないように、真剣な眼で言ったのだった。

 

「……時間と場所をわきまえれば触ってもいいと言ったな。金剛から触れてきたという事は、今、そういうつもりでいいという事なんだな……?」

「へぅあっ⁉」

 

 金剛はたちまち顔を赤くして、しどろもどろといった表情を浮かべた。

 ……エッ? 何その反応。可愛い。

 い、いや違う。ほら見た事か。いざ押されると困ってしまう。

 俺をからかっていたようなものではないか。

 おろおろと狼狽えていた金剛は、慌てた様子で人差し指を立てて俺にまくしたてる。

 

「えっ、あっ、その、あっ、じ、時間と場所もそうだケド、む、ムードとタイミングも忘れたらノーなんだからネっ⁉」

「そうかそうか。時間と場所とムードとタイミングをわきまえれば、金剛を好きにしていいんだな? そうかそうか覚えておこう」

「あ、あぅぅ……」

「冗談だ」

「モォーーっ! テートクゥーっ! そういうジョークは悪趣味デースっ!」

 

 金剛は耳の先まで真っ赤にしてぽかぽかと俺の胸を叩いてくる。可愛い。

 いや落ち着け。冷静になって考えろ。

 この反応……俺をからかっているわけでもなく、外国かぶれ故に距離感が近いというだけでは無い。

 何というか、ぐいぐい押してくるわりに、押されるのには弱いというか……つまり可愛い。

 こ、これはまさか、コイツ俺の事好きなんじゃね?

 時間と場所とムードとタイミングをわきまえれば、童貞捨てさせてくれんじゃね? ワンチャンあるんじゃね?

 よ、よし、早速作戦を考えねば――!

 最低か俺は。目覚めて三分も経たない内に何考えてんだ。

 寝起きでドキドキしすぎた事により俺の心臓に多大なる負荷がかかっていた。

 このままでは寿命が縮む。頭を冷やさねば。

 

「……えへっ、改めてグッドモーニング。よく眠れましたカ?」

 

 俺の上からどいた金剛は、そのまま横から俺の顔を見て、まだ少し火照ったままの笑顔を向けて来た。可愛い。

 その微笑みは昨日のそれと一切変わらない。

 それにしても、俺も自分で見たわけでは無いから詳しくはわからないが、妹達をガチ泣きさせるほどの色欲童帝(ラストエンペラー)を見ていたならば、こんな笑顔は俺に向けられないはず……。

 ……もしや、俺の中の俺(フルティンコ)が降臨するのは防げていたのだろうか。

 

「金剛、その……眠った辺りの記憶が曖昧なのだが、私は何か妙な事をしでかさなかっただろうか……」

「あはっ、ノープロブレム! 酔い潰れていきなり倒れてるのを見た時はビックリしたけれど、その後はずっとすやすや眠ってマシタ」

 

 いきなり倒れた……つまり、転んで頭を打って気絶でもしたのだろうか。

 もしそうであるならば、俺の中の色欲童帝(ラストエンペラー)や精神退行艦オギャる丸が暴走していない事にも納得がいく。

 よ、よっしゃラッキー! まさに転んでもただでは起きない男、神堂貞男!

 結局昨夜、間宮さんに会えなかった事だけは残念だったが、獣化した姿を見られるよりは断然マシだ。

 

 い、いや、待てよ。金剛は俺が酔い潰れたと言っていたな。

 つまり俺は……那智との呑み比べに、負け……たのか……。

 なんてこった……俺の言い出した取り決めのせいで、俺は那智の言う事を何でも一つ聞かなくてはならない。

 俺のようなクソ提督に、あの鷹の目を持つ那智が何を命令するだろうか。

 想像したくもない。絶対まともな事を言う。最悪の場合、俺が提督でいられる最後の日になるかもしれない。

 何だかもう泣いてしまいそうだった。

 

 くそっ、まだ諦めてたまるか!

 最悪の想定はひとまず置いておいて、今日からは真面目に有能提督となろうと心に決めたではないか。

 俺の頑張りを那智が認めてくれる可能性も無きにしも非ず。

 金剛が俺の童貞を捨てさせてくれるかどうかを考えている暇は無い。

 今日こそは、いや今日からは! 今この瞬間からは! もう二度とふざけた事は考えないようにしなくては。

 

 目覚ましに両頬を叩き、気合を入れ直す。

 ッシャア! 心の火……心火だ! ふざけた思考は心火を燃やしてブッ潰す!

 今の俺は、負ける気がしねェ!

 キリッと表情を引き締め直して布団から立ち上がった俺の眼の前に、厨房からひょこっ、と顔を出したのは――。

 

「おはようございます、提督。昨晩呑み過ぎていたようなのでしじみ汁を作ったのですが、いかがですか?」

 

 食べりゅううううううう‼

 トラットリア・マーミヤ、最高で~す! お酒もお料理も美味し~い!

 しじみ汁飲んでるぅ~? あ、ごっちそうさまがぁ聞っこえなぁ~い!

 駄目だ、俺の煩悩の前に心火はいとも容易く吹き消されてしまった。凹む。

 

 二日酔いとは無縁の俺だが、間宮さんの魅力に酔ってしまったようだ。

 何しろ朝起きたら間宮さんが朝食を作ってくれていたという夢にまで見たシチュエーションだ。俺に毎日しじみ汁を作って下さい。

 朝マックならぬ朝マミヤだ。スマイルひとつ下さい。注文する前にすでに貰えていた。結婚して下さい。

 こんなの逆らえるはずも無いではないか。俺が正気を失うのも致し方なし。求婚不可避。

 思わずスキップしながらカウンター席に向かってしまいそうであったが、何とか堪えた。

 

 いや、待て。今の自分を顧みろ。

 妹達にも言われたではないか。清潔感には一番気を配れと。

 眉はボサボサではないか、髭は伸びていないか、服は皺だらけではないか、体臭や口臭は臭わないか、寝ぐせはついていないか……数々のチェックリストを叩き込まれた。

 軍服のまま寝ていた事で、シャツはすっかり皺だらけだ。

 厚着で寝ていたせいで自分でもわかるほどに汗臭い気がするし、何よりも吐く息は酒臭い。

 歯も磨かずに寝てしまったし、最後に食べた秋刀魚のせいで口の中が焦げ臭い。

 後頭部に手をやれば、豪快にぴょんと撥ねた寝ぐせ。

 頬から顎に沿って撫でてみると、若干チクチクするような……。

 い、いかん! 間宮さんの、いや、艦娘達の前で清潔感を失った姿を見せてしまっては、好感度が更に大幅ダウンする可能性が!

 

 目の前の衝動に流される事なく、大局を見極めてこそ智将である。

 俺はしじみ汁で満たされた鍋に頭から飛び込みたい衝動をぐっと堪えて、間宮さんに真剣な眼を向けたのだった。

 

「うむ、おはよう。是非、頂かせてもらおう。その前に、少し身だしなみを整えてくる」

「そうですか……あっ、さっきまで秘書艦の羽黒さんと鹿島さんがお側に付いていたのですが、何やら連絡が入ったようで、先ほど慌てて出ていってしまいましたよ」

「そうか。入れ違いになったら、すぐに戻ると伝えておいてくれないか」

「うふふ、了解しました。お待ちしていますね」

 

 俺の方がお待ちできない。

 羽黒と鹿島の事を考えている心の余裕は無かった。

 今すぐダッシュで自室に戻って身だしなみを整え、「ヘイお待ち!」と甘味処間宮に頭から滑り込みたいところだったが、それは流石に不審すぎる。

 金剛と一緒に紅茶を飲んでいた比叡、榛名、霧島とも無難に挨拶を交わした。

 慌てず、冷静に、衝動を押さえつけながら、一歩一歩、ゆっくりと自室へと向かう。

 

「えへへっ、私もテートクについていきマース!」

「あっ、駄目ですよ! お姉様は今から私達とリハビリです! 気合入れていきましょうっ! はいっ!」

「出撃が無い今の内に、基礎的な練度を取り戻さねばなりませんからね。榛名、全力で頑張ります!」

「フフフ、艦隊の頭脳、この霧島の計算により、お姉様にとって最も効率的なメニューを作成しました! まずは艤装を具現化した状態で腕立て百回お願いします」

「ノォォーッ!?」

 

 背後から金剛の叫び声が聞こえたが、聞こえないふりをして歩を進めた。

 あっさり~しっじみ~は~まぐ~りさ~ん。

 心の中で謎の歌を歌いながら、俺は艦娘寮へ向かう。

 俺の脳内は間宮さんのしじみ汁で満たされていた。

 

 ふと、遠くに羽黒と鹿島の姿を見つけ、俺は反射的に物陰に身を隠した。

 明らかに不審な動きであったが、清潔感の無い今の姿を艦娘達に見られたくないという気持ちがそうさせたのだろう。

 俺の脳裏に、清潔感の無い俺と顔を合わせた艦娘達の反応が浮かぶ。

 

『提督……お前ちょっと、臭い!』

『あのー……魚雷、撃ちますよ? 清潔感無さすぎなので提督に二十発、撃っていいですか?』

『うわっ、キモッ⁉ なんかヌメヌメするぅ⁉ もぉー、テンション下がるぅ!』

『貴様、酒臭いな。銃殺刑にしてやってもいいのだぞ』

『提督さんじゃん! 何やってんの⁉ 爆撃されたいの⁉』

『近づいたらマジで怒るから。有り得ないからっ! ホント、冗談じゃないわ!』

『うわっ、汚っ……私、なんでこんな部隊に配属されたのかしら』

『ったく、なんて恰好してんのよ……本っ当に迷惑だわ! だらしないったら! 惨めよね! 沈みなさい! 死ねばいいのに!』

『モウコナクテイイノニ……ナンデクルノォォ!?』

『ヤメテッテ、オネガイシテルノニィッ!』

『ヴェアアアアッ! ニクラシヤァァアッ!』

『カエレ!』

 

 凹む。

 俺に対して優しく接してくれる間宮さんや金剛だったから大目に見てくれたかもしれないが、すでに嫌悪感すら抱いていそうな羽黒は特にマズい。

 ただでさえ好感度が低いのに、清潔感の無い姿を見られた事で生理的に無理とか言われたら俺は余裕で死ねる。

 横須賀十傑衆の上位二席が俺に好意的なのは奇跡だとして、残りの香取姉や千歳お姉や翔鶴姉や妙高さんに嫌われてしまったらどうしようもない。

 いや、昨日の時点で翔鶴姉は目も合わせてくれなかったし、香取姉と妙高さんには露骨に距離を置かれてるけど……凹む。

 と、とにかく好感度を保つ為にも、今の姿は艦娘達には見せられん。

 何とか隙を見て俺の部屋まで辿り着かねば。

 

 物陰に隠れて様子を窺っていると、甘味処間宮から羽黒と鹿島が何やら慌てた様子で駆け出してきた。

 そのまま艦娘寮の方へと走っていき、中へ入っていく。

 俺を探しているのだろうか……そ、そりゃあそうか、一応秘書艦だもんな。何やってんだ俺は。

 しかし今の姿で鉢合わせたくは無い……少し様子を見てから部屋に戻るか……?

 いや、羽黒達が間宮さんから話を聞いていたとするなら、俺が身だしなみを整えていると思って部屋の前に待機しているのでは。

 くそっ、顔を合わせざるを得ないか……。

 

「む? 提督よ、お主こんな物陰で何をしておるんじゃ」

「提督、おはようございます」

「ウェ⁉」

 

 変な声が出た。

 急に背後から声をかけられ、慌てて振り向くと、そこに立っていたのは利根と筑摩の二人であった。

 おぉっ、利根はともかく、横須賀十傑衆第八席、姉より優れた妹、マーチクではないか。

 天龍に追い抜かれてワンランクダウンしたとはいえ、この鎮守府で十指に入る実力者だ。

 ん? 何だろう、パッと見、何か違和感があるのだが……。

 挨拶をしてきた筑摩に返事を返してから、適当に誤魔化した。

 

「い、いや。何でもないんだ。お前達こそ、何をしている」

「うむ! 大淀の立案した資材輸送作戦では吾輩達の出る幕が無くてのう。暇じゃったから周囲の索敵をしつつ散歩しておったのじゃ! なーっはっはっは!」

 

 腰に両手を当てて高らかに笑う利根と、それを微笑みながら眺めている筑摩を見ていて違和感の正体に気が付いた。

 あれっ、コイツら、今まで見てきた装束と違う?

 オータムクラウド先生の作品内での服装とも違う。

 しかし昨日の朝、帰投した時はこんな格好だったような……。

 今までは普通のミニスカートだったのに、今はチャイナドレスのような、大きなスリットというか……エッ、お前ら、パ、パンツは⁉

 どういう事だ。パンツの見えるべき場所にパンツが見えない。

 ラブリーマイエンジェル翔鶴姉であるならもうとっくに紐が見えている部分に何も無い。

 太腿よりも更に上の、腰の辺りさえも超えて深いスリットが入っており、これはもはやスカートと呼べるものでは無い。

 これではただの暖簾(のれん)ではないか。小料理屋鳳翔の入り口と間違えて俺がうっかりめくってしまっても責められんぞ。

 

 アホの利根ならばパンツを履き忘れていても別に不思議では無いが、筑摩お前、そんな大人しそうな顔して、パ、パンツは⁉

 まさかノーパン⁉ お、おい、俺は昨日経験したから知っているが、かなり心細いのでは⁉

 いやズボンでも心もとなかったというのに、こんな暖簾(のれん)装備では風が吹いただけでスッポンポンではないか。

 この薄い暖簾をめくった先には、まさか水上機母艦コマンちゃんが⁉ ボ、ボンジュール! メルシー!

 ちょ、ちょっと待て、何で急にこんな大胆な恰好に――⁉

 

 俺が凝視しているのに気付いたのか、利根はえへんと胸を張った。

 

「この装束が気になるのか? フフフ、お目が高いのう。何を隠そう、これこそ吾輩達の改二装束じゃ!」

「改二……お前達は今、改二を発動しているのか?」

「左様! 吾輩達は改二状態では重巡から航空巡洋艦となり、戦闘力のみならず索敵能力が大いに向上するからのう。他の者達とは違い、吾輩達は海に出る時は改二を発動するのが基本なのじゃ」

「でもこのお洋服、脚が少し涼しいんです。ふふっ」

 

 少し涼しいってレベルじゃねーぞ……丸見えじゃねーか。

 俺の脳内のしじみ汁が消えてしまった。利根と筑摩の暖簾(のれん)の中身が気になってしょうがない。

 航空巡洋艦が何なのかよくわからないが、ともかくコイツらが改二を発動すると格段にエロくなる事だけは理解できた。

 まさか筑摩がこんな隠し玉を持っていたとはな……俺の理想のパイオツを持つだけではなく、脚をここまで露出するとは……。

 大淀や明石のスケベスリットよりも更に攻めてきやがった……!

 露出が少ない故の着エロの妙味というものもあるからその辺りなかなかバランスが難しい話ではあるのだが……。

 いや、そんな事はどうでもいい。

 筑摩の纏う雰囲気に、俺の幼年性ママゾン細胞が反応している。

 

「筑摩~、お腹空いた~」

「はいはい、利根姉さん。もう少ししたらお昼ですからね」

 

 利根に対する態度を近くで見ていて気付いたが、これは姉ではなく完全に赤子に接するそれではないか。

 つまり妹属性であるにも関わらず、俺が筑摩をやけに高評価していた理由はこのバブみにあったという事か……!

 筑摩ンマ……そういうのもあるのか! は~ぎゅ~!

 俺の理想のバランスを持つパイオツ、パンツの存在すら消して大きく露出された美脚、そしておしとやかな雰囲気にこのバブみ……!

 清楚とエロスを絶妙に併せ持つ清純派AV女優のごとき存在感……。

 俺の提督アイによれば、おそらくコイツは何着てもエロくなる。筑摩そのものがエロいからだ。

 横須賀鎮守府第八席マーチク、恐るべし……!

 

 それはそれとして、うまく角度を調節すれば暖簾(のれん)の中身がチラリと見えたりしないだろうか……。

 俺は何とか話を引き伸ばしながら地味に立ち位置を変え、横目でチラチラと筑摩の太ももに目を向ける。

 

「大淀が資材輸送作戦を立案したと言っていたが……私が寝ている間に進めてくれたのか」

「うむ。まぁ必要経費だったとは言え、昨日の金剛の建造と迎撃作戦で、我が横須賀鎮守府の備蓄はほぼ枯渇しておるからのう。自然回復分では全然足りん。今大規模侵攻が起きたらと思うと背筋が凍るのう」

 

 そ、そうか。大淀の奴、俺が寝ている間にもこんなクソ提督に代わってしっかりフォローしてくれているんだな……アイツには頭が上がらん。ダンケ。

 意識していない事ではあったが、まさか資材がそんなにも足りない状況だとは思わなかった。

『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』のチュートリアルに沿って何も考えずに建造したが、今にして思えばかなり無駄だったのでは……い、いや、そのおかげで金剛に会えたしな。

 資材の重要性については流石の俺でも理解できている。資材が無ければ艦娘は戦う事すらできないらしいのだ。

 大淀も最優先で資材の回復に努めているという事だろう……それは大淀に任せるとして、今だけは何とか筑摩の暖簾の中身を……駄目だ、絶妙に見えねェ。

 

 これでは俺の痴的好奇心が満たされん……最悪、小料理屋鳳翔の暖簾と間違えたといった感じで直接めくってみるか……?

「鳳翔さん、とりあえず生!」とか言いながらどさくさに紛れて股間も入店して……いや、流石に無理すぎる。それに生は駄目だ、いや生じゃなかろうが駄目だ。馬鹿か俺は。

 筑摩相手だと犯罪だが、利根なら何とか、いや、それはそれで罪悪感があるな……つーかどっちにしろ犯罪だ。

 クソッ、スカートめくりが犯罪になるか否かの境界線はどこなんだ。

 セクハラと同じで、結局は相手がどう思うかが肝心なのだろう。つまり、昨日夢で見たようにやはり艦娘ハーレムに引き入れてベッドの上で直接めくるのが正攻法か……!

 

 というか、筑摩に気を取られてすっかり忘れていたが、コイツらにも清潔感の無いまま接していては駄目ではないか。

 利根にはどう思われようが知った事ではないが、大人しい筑摩に嫌われるのは地味にキツい。

 今のところ気が付いているようには見えないが、おそらく俺が風下に立っているからであろう。

 風向きが変わったが最後、俺の体臭と酒臭い息が届いてしまう可能性が……。

 くそっ、ここは智将の英断として、筑摩の暖簾の中身は諦めよう。

 いつか酒でも飲んだ時に、うまくチラリポロリが得られる可能性があるかもしれないではないか。

 ここは撤退するのが最善の判断であろう。

 

 俺は智将らしく冷静に判断し、利根と筑摩に真剣な眼を向けて言ったのだった。

 

「時間を取らせてしまって済まなかったな。索敵と散歩を再開してくれ」

「うむ! それでは筑摩よ、いざ征くぞ! なーっはっはっはっは!」

「はい、利根姉さん。それでは提督、失礼します」

 

 ぺこりと頭を下げて去って行く二人のケツを眺めていた――瞬間。不意に強風が吹いた。

 

 ――……⁉

 

「あっ、強い風が……もう、このスカートだと……」

 

 筑摩が慌てて前側の暖簾を押さえ、俺は反射的に前かがみになって股間を押さえ、二人は()しくも同じ構えとなった。

 何……だと……⁉ ち、筑摩、利根、お、お前ら……何てものを……⁉

 鼻腔に違和感が走り、ぼたり、と血が滴った。

 い、いかん! 暖簾の奥のあまりの衝撃に、鼻血が――⁉

 

「ぬわーーっ⁉ て、提督よ、どうしたっ⁉ 筑摩ぁーっ! ちくまぁーーッ⁉」

「と、利根姉さんっ? て、提督っ⁉ どうされたのですかっ⁉」

 

 俺が前かがみになって鼻血を垂らしている姿に気が付いたのか、利根と筑摩が慌てて戻って来た。

 鼻の頭を強く押さえながら、俺はおろおろと狼狽える二人を宥める。

 鼻で息が出来ず、喋ると息苦しい。

 

「だ、大丈夫だ……ゼェ、元々鼻血が出やすい体質なんだ……ハァ、それと利根、あまり大声を出すな……!」

「し、しかし……誰か他の者を呼ぼうか」

「呼ばなくていい……! その代わりに、血を洗う為の水を汲んできてくれ……ゼェ、ハァ……それと、この事は決して誰にも言うな……! これは提督命令だ……!」

「う、うむ……承知した」

 

 股間に血を集めながら鼻から血を垂れ流すという器用な真似をしている姿をこれ以上誰かに見られてたまるか。

 クソッ、脳に必要な血液が圧倒的に足りねェ!

 筑摩が近くに寄ってきた事で、暖簾の中身を思い出してしまう。

 俺はたまらず壁に手をつき、身体をくの字に曲げた。

 深呼吸……深呼吸だ……落ち着け、小学生の頃は何故か鼻血が出やすい体質だったのは嘘では無い。

 鼻血を出すたびに、クラスメートから「こいつエロい事考えてたんだぜ!」とからかわれていた嫌な思い出が蘇る。

 当時は勿論エロい事など考えてもいないのに鼻血が出ていたのだが、歳を取りエロい事ばかり考えるようになったら鼻血は出なくなったので、俺は鼻血とエロい事を考える事に因果関係は無いと考えていたのだが、ここにきて考えを改めねばならない可能性が……って何の話だ。

 

 ともかく筑摩の暖簾の中を見たが最後、鼻から血が噴き出し、股間は石になる事が明らかとなった。

 暖簾の中にはもう完全に魔物が封印されていると思った方がいい。ゴルゴンとかメデューサとかその辺りの魔物が。

 第八席にも関わらず直接的な殺傷力が一番ヤバいなマーチクは……。

 エロさに置いては鹿島と張るのではないか。

 ドスケベサキュバス鹿島ンマVS清楚系メデューサ筑摩ンマ……どちらが勝っても俺が死ぬ事だけは確かだ。

 オータムクラウド先生の作品だけでは伝わらなかった、俺の想像を遥かに超えるエロスを持つ筑摩とも、今後は鹿島と同じく距離を置いた方が良さそうだ……。

 俺の股間が色んな意味で持たない。

 

 利根が「高速修復材」と書かれたバケツに水を汲んできてくれたので、それで血に塗れた両手と顔を洗った。

 二人の見ている前で少し恥ずかしかったが、鼻をかんでから鼻腔を水で洗うと、鼻血はすでに止まっていた。

 圧迫止血すればすぐに止まる事は知っていたので、鼻血自体にはそれほど焦る事も無い。

 だが、いきなり上官が鼻血を出した事に、利根と筑摩は面食らってしまったのだろう。

 利根は涙目でおろおろと狼狽えており、筑摩はそんな利根を宥めつつ、ハンカチで俺の顔を拭いてくれた。優しい。清純派AV女優とか言ってすいませんでした。

 昨日挨拶が出来なかったが、利根はアホだがいい奴だし、筑摩はエロいがいい奴だという事が十分に理解できた。

 

「て、提督よ、本当に大丈夫なのか?」

「そう言っているだろう。体質なんだ。だから大袈裟に騒ぐんじゃあない」

「そ、それならよいのじゃが……」

「うむ。二人とも、心配をかけて済まないな。だが二人のお陰で助かった」

 

 筑摩に顔を拭かれながら、俺は前かがみのままに利根の頭にぽんと手を置いた。

 アホの利根は俺には子供にしか見えないので、特に性的な事を意識して接する必要が無い分、駆逐艦同様に気が楽だ。

 多分エロスの類は全て筑摩に持っていかれたのだろう……哀れね。

 

「こ、子供扱いするでない……吾輩は駆逐艦ではないのだぞ。筑摩のお姉さんなのじゃぞ!」

「うむうむ。わかったわかった。筑摩も、この事は皆には伏せておいてくれ。余計な心配をかけたくないのだ」

「わ、わかりました……あ、あの、提督。もしもお困りの際には、どうか利根姉さんと私をお呼び下さい。偶然とはいえ知ってしまいましたので、何か助けになれるかもしれません」

 

 筑摩が心配そうな顔でそう言ってくれた。優しい。

 実際のところ、鼻血が出たくらいならばそんなに大騒ぎする事では無いので、一人で対処できるだろう。

 筑摩が近くに寄ってくる事で鼻血が股間に降りて止血効果がみられるかもしれないが……そこまでする必要は無い。

 つーか鼻血が止まった今も股間はビンビンなのだ。これでは先ほどとは別の意味で表を歩けないではないか。

 鹿島に出会ったが最後、絶対にバレる。

 そして羽黒にはドン引きされて泣かれる。

 収まるまではこの物陰で大人しく隠れていよう……。

 

 俺は利根と筑摩に改めて礼を言い、二人を再び送り出した。

 途中で羽黒と鹿島が「司令官さんっ、どこですかっ?」「提督さーんっ」と俺を探し回る声が聞こえたが、そのまま身を潜めた。

 酒臭い息を吐きながら股間を膨らませている姿を羽黒に見られたが最後、ドン引きされ、秘書艦を辞退され、それは妙高さんの意図に反する事となり、那智の命令が発動され、俺が鎮守府を去る流れが容易に想像できる。

 絶対に今の状態を見られるわけにはいかん……!

 早く元の姿に戻ってくれ……信頼してるぞ、同志ヴェールヌイ……!

 俺の呼びかけも空しく、股間は一向にちっこくならず、昂ったままであった。

 そんな……同志……⁉

 

 その後も筑摩の暖簾の中身が頭から離れず、股間が再び元の姿に戻るまでに数十分の時間を要してしまった。

 うっかり暴発しないように気を引き締める事で、精神もすり減らしてしまった。

 寝起きなのに何でこんな目に会わなければならんのだ。しじみ汁が恋しい。

 

 ちらっ、と表を見てみれば、羽黒や他の艦娘達の姿も見えない。

 

 よし、今こそ自室に戻る絶好のチャンス!

 ダッシュしたい衝動を堪えて、不審に思われないよう、慌てず冷静に艦娘寮へと向かう。

 そして何とか入り口まで辿り着いた――その時。

 

 俺の眼に映ったのは、ここに居るはずの無い、俺の頼れる唯一の味方、佐藤さんの姿だった。

 ま、まさかこの俺を心配して――⁉

 

 フフ! キタンダァ! ヘーエ、キタンダァ!

 俺は清潔感の事など忘れて、思わず笑顔になって佐藤さんへと駆け寄っていった。

 

「佐藤さん! どうしてここに⁉」

「おぉっ、神堂くん! 会いたかったよ!」

 

 佐藤さんも俺を笑顔で迎えてくれたが、瞬間、何かに気が付いたような表情を浮かべて、真剣な表情で小さく咳払いをしてこう言った。

 

「オホン。いや、神堂提督。ここでは佐藤元帥と呼ぶように」

 

 そこで俺も気が付いた。

 佐藤さんの隣には大淀。そしてその背後には謎の熱気を放つ六人の艦娘達がまるで背後霊のようにぴったりとくっついている。怖ェよ。

 しかし何だこのメンバーは。

 肝心な時に姿が見えなかったのが気になるが俺の護衛を務めてくれている神通や、昨夜忠誠を誓ってくれた炭素魚雷艇・磯風、いい奴の龍驤、横須賀鎮守府の黒幕大淀さんはともかく、問題は残りの三人だ。

 豆腐メンタルモデルこと俺のガラスのハートを正確に射抜く必殺の矢、一航戦・加賀。

 呑み比べに勝利した事で俺の運命をその手に握る現在最も危険な存在・那智。

 横須賀鎮守府のシルバーバック、黒き鋼のデストロイヤー・ゴリラタンク長門。

 俺を見る目が厳しい三人がよりによって勢揃いしているではないか! ヤベーイ!

 

 じょ、状況が呑み込めんが、俺の提督七つ兵器『提督シックスセンス(第六感)』が危険を知らせている……!

 し、しまったッ! 俺はついうっかり佐藤さんと呼んでしまったが、役職名で呼ぶべきだったか⁉

 いや、佐藤さんの肩書き知らなかったというのもあるが……元帥? 元帥って、エッ、詳しくは知らないが、結構偉そうな響きだ。

 会社で言うなら課長、いや、部長クラス……⁉ い、いかん、そのクラスの人は肩書きで呼ぶのが常識……!

 いわば平社員の俺が佐藤さんなどと気安く呼べる相手では無かったという事か……⁉

 

 妹達に笑顔を見せるなと言われていたのも忘れて、佐藤さんを見つけた嬉しさからついうっかり笑顔を浮かべてしまったのも反省だ。

 俺は瞬時に笑顔を消し去り、いつもの仮面を被り直した。

 

「は、はっ! 申し訳ありません!そ、それで、佐藤元帥は何故ここに……」

「大淀くんの報告書に目を通して、飛んできたんだ」

 

 大淀の報告書……昨夜、俺が目を通したものか。

 い、いや待て! よくよく考えたら俺は全然目を通していない!

 最初の方だけ目を通したが、中身には何が書いてあったのか確認していないではないか!

 報告書を読んで、佐藤さんは俺を助ける為に飛んできてくれたのか……いや、もしも報告書に俺が着任してからの有り様が正確に、詳細に書かれていたとするならば――⁉

 

「あっ……はっ、な、なるほど、そういう事ですか……!」

 

 マズい。もしかして、佐藤さんは俺を助けに来たのではなく、艦娘の訴えで逆に俺を戒めに来たのではないか。

 始めて会った時から朗らかで気さくな雰囲気の佐藤さんが、今は見た事も無いような真剣な表情になってしまっているのも不穏だ。

 い、いや! 落ち着け。着任してから俺が一体何をしたというのだ。

 

 さぁ、俺の罪を数えろ!

 一つ、艦娘ハーレムなる邪な目的の為に着任した事。

 一つ、着任早々、提督の権力を活かして夕張の手を握るというセクハラをした事。

 一つ、資材に余裕が無いのに、チュートリアルの為に何も考えずに建造を行った事。

 一つ、具体的な目的も指示せずに、ふわっとした抽象的な指示で遠征に向かわせた事。

 一つ、空母六隻編成で出撃させてしまい、潜水艦により赤城とラブリーマイエンジェル翔鶴姉を損傷させてしまった事。

 一つ、結果として長門のカリスマに負けてしまい、歓迎会出席者ゼロ名という偉業を成し遂げ、艦娘全員に出撃されてしまうという事態を引き起こしてしまった事。

 一つ、大破して立ち上がる事も出来ない天乳ちゃんを相手にセクハラを強行した事。

 一つ、ボロボロになった艦娘達を見て我慢できずトイレに駆け込み……って今更数えきれるか!

 

 佐藤さんが横須賀鎮守府に飛んで来たのは、大淀の報告書を読んだ事が原因で……書かれていた事が艦娘からの訴えであった可能性があるから……つまり着任初日に色々やらかしてしまったせい……はっ! 全部私のせいだ! ハハハハハッ! 大淀くん、全部私のせいだ! ハハッ! 凹む。

 

 そ、そうか。大淀は俺の味方でもあるが、奴が一番優先しているのは横須賀鎮守府を正常に運営する事。

 つまり俺も鎮守府運営のための傀儡であり駒に過ぎないという事を忘れていた。

 大淀が俺に協力してくれているのも、ひいては横須賀鎮守府の正常な運営の為……。

 俺の至らない点に関しては、容赦なく艦隊司令部に報告したとしてもおかしくはない。

 クソッ、やはり時間がかかってもしっかり目を通しておくべきだった!

 い、いかん、あまりにも俺が使えなさすぎて、佐藤さんが俺をクビにするという可能性も――⁉

 なんて事だ、せめて佐藤さんが来る事がわかっていれば対策を考える余裕があったかもしれんというのに……。

 俺の秘書艦は何をしてるんだ。報連相はしっかりしてもらわねば。けしからん!

 

 如何にしてこの状況を切り抜けるかに頭脳をフル回転させている俺に、佐藤さんは声をかける。

 

「おや、私が来る事は聞いていなかったのかい?」

「鹿島と羽黒さんに、提督を起こして伝えるようお願いしていたのですが……」

 

 横から大淀がそう言った。

 な、なるほど、羽黒と鹿島が俺を探し回っていたのはそういう事か……。

 マジゴメン。俺が悪かったです。こんなクソ提督でスイマセン。

 まさか清潔感の無い状態かつ股間を膨らませた状態を見られたくないが為に、自ら身を潜めていたとは言えん……。

 偶然入れ違ったという事にしておこう。うん。

「そういえば、二人は席を外していると聞いておりました」と白々しく答えてから、俺はとりあえず佐藤さんに深々と頭を下げた。

 考えてみればこの状況……飲み過ぎてこの時間まで目覚めないクソ提督に代わり、大淀が資材回復作戦を指揮しているとの事。

 そこに佐藤さんの視察……ここに集まった七人の面子は、佐藤さんに何を訴えたのだろうか。想像するのも恐ろしい。

 

 昨日までは友好的だった龍驤や神通、忠誠を誓ってくれた磯風も、俺がだらしなく眠りこけている姿を見て幻滅した可能性も十分にあるではないか。

 俺が目覚めない内に、佐藤さんに直訴したとしてもおかしくはない。

 酒を呑み過ぎて昼まで眠りこける、自制の出来ない自堕落なクソ提督に好感を持つ艦娘など果たしているだろうか。否。

 間宮さんや金剛等が特別なだけで、むしろ幻滅されるのが当たり前だ。

 昨日の友は今日の敵! 信頼度も大幅ダウン! 全部私のせいだ!(泣)

 

 せめて……せめて酒臭いこの状況を改善しようと努力しようとしていた事だけは主張せねば……!

 

「も、申し訳ありません……このような見苦しい姿をお見せしてしまい……ちょうど今から、風呂を浴びるところだったのです」

「いや、事情はすでに大淀くんから聞いているよ。気にしなくてもいい――」

 

 意外にも、佐藤さんは怒らなかった。

 ん……? 大淀が上手く説明してくれたのか⁉ んんーッ、ダンケッ!

 流石は大淀……言葉にせずとも俺の事をよく理解できている……。

 いや、これも横須賀鎮守府運営の為の策略か何かなのだろうか……俺の頭では大淀の領域は到底わからん。

 

 しかし俺の喜びも束の間、佐藤さんは俺の肩をがしりと掴み、目をぎらつかせながら言葉を続けたのだった。

 

「――いや、流石に酒臭いのは不味いな。寝ぐせもついているし、上官として示しがつかないじゃないか」

「は、はッ! 仰る通りです! 申し訳ありませんッ!」

 

 い、いかんッ! やはり佐藤さんは俺のこの状態を好ましく思っていないッ!

 そりゃあそうだ。常識的に考えて社会人として有り得ないではないか。

 朝早く起きた部下に艦隊指揮を任せ、上官は日が昇るまでグースカと惰眠を貪るなど、とんでもない事だ。

 説教されたとしても、何の反論の余地も無い。凹む。

 

 佐藤さんは大淀に目を向け、問いかけた。

 

「大淀くん、男性用の大浴場は使える状態なのかな」

「は、はい。しばらく使用しておりませんが、常に妖精さんが綺麗に掃除してくれております」

「良し。神堂提督、ここの大浴場は使った事があるかい? 入渠施設にあるんだが」

 

 俺は質問の意味がわからず、とりあえず無難に答えを返す。

 

「……はっ? 大浴場、ですか? い、いえ……」

「ちょうど私も汗を流したいと思っていたんだ。男同士、裸の付き合いといこうじゃないか。……積もる話もある事だしね」

「……は、はーッ! 御一緒させて頂きます!」

 

 佐藤さんの只ならぬ眼光に、俺は状況を察した。

 個別面談……説教タイムである。

 何故風呂に入るのかはよく理解できなかったが、艦娘達の目から遠ざける為の佐藤さんなりの配慮なのかもしれない。

 自分が怒られているところを部下に見られるなど、提督の威厳どころでは無い。

 素人だと悟られるな、威厳を保てと言ったのは佐藤さんだ。その辺りは配慮してくれたのだろう。ありがたい。

 そして俺の清潔感の無い状態も解消できて、一石二鳥……佐藤さんも俺に劣らずなかなかの策士のようだ。

 

 佐藤さんは艦娘達に向き直り、「そういう訳だ。しばらく彼を借りるよ。君達は外で待機していてくれたまえ」と命じた。

 俺は佐藤さんに付き従って、入渠施設へと向かう。

 ちらりと後ろを振り返ると、艦娘達は何やら輪になって話し合っているように見えた。

 やはりあいつら……俺のいないところでコソコソと何か企んでやがる……!

 佐藤さんもきょろきょろと周りを見渡して、近くに艦娘がいない事を確認してから声をかけてきた。

 

「神堂くん、鎮守府内には君の他に人間がいないのに、大浴場があるというのは不思議ではないかい」

「そ、そう言えばそうですね。自室にも風呂は備え付けてありましたし、大浴場の必要があるのでしょうか」

「鎮守府はこれだけ大きな施設だからね。それなりに人手がいると考えられていたんだ。だが、後々わかった事なのだが、妖精達はどうやら人間の多い場所を好まないらしくてね」

「妖精さんが、ですか」

「うん。人見知りというか恥ずかしがり屋というか……まぁ私のような普通の人間には妖精の姿は見えないのだから、実感が湧かないのだけれどね」

 

 あのグレムリン共が人見知りで恥ずかしがり屋だと……⁉

 それは何の冗談だ。俺の部屋どころか人の夢の中にまで不法侵入してくる奴らだぞ。

 

「あまり人間が多いと、工廠や装備を担当する妖精さえも恥ずかしがって出てこなくなってしまうらしいんだ。そうなると鎮守府運営に支障をきたすからね。最終的に、常在する人間は提督一人とする事になったんだ。その分、提督が様々な執務に追われる事になってしまうのだけれどね」

「な、なるほど……。しかしそれでは施設の維持管理などが大変そうですが」

「先ほど大淀くんが、大浴場の掃除も妖精がやってくれていると言ってくれただろう? 私達には想像もつかないが、どうやらそういう事らしい」

 

 俺達が寝ている間に掃除とか施設の維持管理までしてくれているのだろうか……。

 まぁよくわからんが、あまり考えないようにしておこう。

 妖精さんの事よりも、今は俺のこの窮地を如何にして乗り越えるから大事なのだ。

 

 佐藤さんに連れられて、入渠施設に辿り着いた。

 中に入ると、どうやら銭湯のような作りになっており、男湯と女湯で入り口が分かれていた。

 男湯の扉を開けて脱衣所に入ると、まさに俺のイメージする銭湯の脱衣所といった様子だ。

 奥には昔ながらの体重計やマッサージチェアまであるではないか。

 佐藤さんは注意深く、再度扉の外を確認した。

 

「いやぁ、気を遣うね。艦娘達にはこれから話す事は聞かれたくないからね」

「は、はい。気を遣って頂いて申し訳ありません」

「ところでさっきから気になっていたのだが、胸元のそれは……何だい? 怪獣?」

「勲章らしいです」

 

 佐藤さんは、俺が胸元につけていた折り紙を指差した。

 正直俺にも勲章には見えなかったが、他ならぬ間宮さんが関わっている国宝なのである。

 俺は少し自慢げに言葉を続けた。

 

「昨夜、暁に貰ったんです」

「えぇっ⁉ ど、どうしてだい」

「さぁ……私にもよくわかりませんが、響や雷、電なども用意してくれていました」

「そ、そうか……いや、凄いな。僅か一日で一体何が……他の駆逐艦達はどうだい?」

「霞や満潮、潮など一部を除いて友好的なように思えましたが……」

「霞くん達は気難しいからわかるが……潮くんは少し臆病で人見知りなんだ。気を許すまで時間がかかると思うが、勘違いしないであげてくれ……ちなみに、磯風くんは」

「最初は反抗的でしたが、昨夜は忠誠を誓うと言ってくれて、秋刀魚を焼いてくれました」

「えぇっ⁉ あ、あの磯風くんが⁉」

「は、はぁ……」

 

 佐藤さんは何やら考え込んでしまった。

 駆逐艦から折り紙の勲章を貰ったり秋刀魚を焼いてもらう事がそんなに凄い事なのだろうか……。

 いや、俺もあの四人とは昨夜まで特に話したりしていなかったのだから、単に暁達が人懐っこいだけの話だと思うのだが。

 磯風に関しては何の心境の変化があったのか俺もよくわかってはいないが……。

 

 そうか。佐藤さんが俺に期待していたのは、艦隊指揮では無い。俺が素人であるという事は理解しているし、執務室で腰かけているだけでもいいとすら言っていた。

 佐藤さんが俺に求めていたのは、素人だとバレない事、そして信頼を取り戻す手伝いをしてほしい、という事だった。

 駆逐艦達に懐かれているかどうかも大切なのだろう。多分。

 いや、すでにご存じの通り、酒に溺れて惰眠を貪ったせいで結構な数の艦娘達からの信頼を失ってしまっておりますが……凹む。

 駆逐艦だけに好かれても何の意味も無い。艦娘ハーレム的にも何の意味も無い……。

 

「いや、続きは中で話そうか。実際、神堂くん、かなり酒臭いよ。清潔感には気を配らないとね」

「はっ、も、申し訳ありません」

「いやぁ、私の職場にも若い子がいるものでね。私も加齢臭で迷惑かけてないかと気が気でないんだ」

 

 そんな事を話しながら、佐藤さんと隣り合って服を脱ぐ。

 帽子を外して棚に置くと、中から『わぁぁー』などと言いながら四匹のグレムリンが這い出てきた。

 お前らいつから俺の頭の上に居たんだ。

 魔女っ子みたいなのと、頭にひよこ乗せてる奴と、兎のぬいぐるみ持ってる奴と、林檎の髪飾りつけてる奴。

 この四匹いつも俺の周りをちょろちょろしてるな……一体何なんだ。

 グレムリン達は棚の上に横並びになり、無言で俺の股間をじっと見つめてきた。

 お、おい、やめろよ。そういうのマジでやめろよ……つーか何か言えよ。

 

「神堂くん、どうしたんだい?」

 

 急に固まってしまった俺を見て、佐藤さんは怪訝そうにそう言った。

 

「いや、ここに妖精さんが四人……」

「へぇぇ、そうなのか。やはり私には全然見えないなぁ」

 

 どうやら本当に見えていないようだ。

 くそっ、このグレムリン共め。馬鹿にしやがって。

 見られていると思うから意識してしまうのだ。

 例えば脱衣所に犬や猫がいたからといって、脱ぐのを躊躇う奴がいるだろうか。

 ましてやキノコが生えていたからといって恥ずかしがる奴がいるだろうか。

 妖精さん達もそれらと似たようなものだと思えばいい。

 俺は意を決してズボンとパンツを下ろし、瞬時にタオルを腰に巻いた。

 ちらっ、と妖精さん達に目をやると、四人は俺の股間に向けて頭を下げた。

 

『あっ、初めまして』

『よろしくー』

 

 誰が妖精さんだ! ちっこくてもお前らの仲間じゃねーよ!

 俺は四匹を掴み、脱衣所の隅へと次々に放り投げた。

 

『わぁぁー』

『女の子に手を上げるなんてひどいです』

『むぎゅー……DV反対……』

『童貞バイオレンス反対です』

『最低な駄目男です』

『略してサダオです』

 

 クソッ、好き勝手言いやがって! 何が童貞バイオレンスだ! つーか何で俺の本名知ってんだ!

 女の子アピールするならそもそも男湯に入って来んな! カエレ!

 人見知りなんだったら佐藤さんいるんだから引っ込んでろ!

 

「し、神堂くん、一体何を……」

「いえ、何でもないんです」

 

 佐藤さんから見れば、俺は何も持っていないのに投球フォームを取ったように見えているのだろうか。

 完全に不審者ではないか。

「そ、そうか……」などと言いながら、佐藤さんはズボンを下ろした。

 なるほど、水色と白のストライプ柄のトランクス……オッサンがよく履いているオーソドックスなイメージのやつですね、って何パンツチェックしてんだ俺は。

 

 そう言えば俺は修学旅行などを除いて、誰かと一緒に風呂に入るという経験が皆無だ。

 部活にも所属していなかったし、同性の友達もいなかったから、一緒に旅行に行く事とかも無かったし……凹む。

 アダルトな動画や薄い本などで得た知識によれば、俺の主砲は色んな意味で劣っているとは把握しているが、佐藤さんはどうだろうか。

 せっかくの機会なので、少し参考にさせてもらおう。

 

 案外、俺と同程度のサイズで、むしろそれが日本人の平均サイズであり、俺が勝手にコンプレックスを抱いていた可能性もある。

 何しろアダルトな動画の男優たちはそれが仕事で、それなりに鍛えている。

 薄い本はフィクションなのだから、そもそも誇張されているだろう。

 比較対象としては適切では無い。

 

 そんな淡い期待と共に、俺は佐藤さんがトランクスを下ろすのを横目に見て――そして言葉を失った。

 

 ――佐藤さん、それは……何だい? 怪獣?




自宅で発見された神堂貞男が引き起こした横須賀鎮守府の勘違いから三日。
鎮守府は提督視点、艦娘視点、元帥視点の三つに分かれ、混沌を極めていた……。

ようやく三視点分の一場面書き終えました。
長くなってしまい申し訳ありません。
視点が一つ増えた事で描写が冗長にならないよう苦慮しております。

来週からいよいよ冬イベが始まりますね。
一期最後のイベントという事で色々気合が入ったものになりそうです。
イベント期間中の投稿は難しそうですので、次回の更新は気長にお待ち頂きますと幸いです。







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