ラストダンスは終わらない   作:紳士イ級
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042.『理解』【元帥視点】

 脱衣所の扉を開けて外に出る。

 近くに艦娘達の姿は見当たらなかったが、少し離れた場所に何やら人だかりを見つけた。

 それが目に入った瞬間、私は表情がこわばってしまうのを堪えられなかった。

 

 何しろ、先ほど私を応対していた七人だけでは無い。

 私が見る限り、大淀くんが遠征に向かわせた面子を除く全ての艦娘達が、そこに勢揃いしていたからだ。

 嗚呼――私は心の中で空を仰いだ。

 彼女達に一歩ずつ近づくたびに、状況の重みが嫌でも理解できた。

 まだ精神的に幼い駆逐艦の中には、まだべそをかいている子もいる。

 態度こそ平静を装っているものの、大人の艦娘達の目を見れば、駆逐艦達と同様に、目は赤く、涙の跡も見られた。

 

 私と彼が風呂に入っている内に何があれば、こんな事になるのか。

 ――青葉くんの犯したミスと合わせて考えれば、必然的に答えは導かれる。

 

 艦娘達の前に立ち、私は皆の目をゆっくりと見据えた。

 武人肌の那智くんの目にすらも涙の跡が残っている事に少々動揺しながらも、私は低い声を出したのだった。

 

「……青葉くんは咄嗟に身体の陰に隠していたようだが……土下座をしようとした神堂提督を止めようと泣き縋った時に、露になったよ。無線機と集音器らしき機械がね……聞いて、いたんだろう?」

「……はい……」

「やはりそうか……あの場では彼の顔に免じて話を合わせたが……そうなると、青葉くんはあの状況で更に嘘を重ねたという事になるな」

 

 そう、青葉くんは、あの場面で更に嘘をついていた。

 一人の愚行であると主張していた彼女は、あの状況にありながらも巧みに集音器と無線機を私達の死角に隠していたのだ。

 

 だが、彼女も予想できぬ神堂くんの行動に――青葉くんはその嘘を放り投げてしまった。

 無理もない。

 彼はあの場で、青葉くんは嘘をついていないと庇い、更には土下座までしてその罪を不問にしようとしたのだ。

 彼にそのつもりは無かったのだろうが、あの行動は彼女達にとってはあまりにも酷だ。

 今回のようにその個性が少々行き過ぎてしまう事もあるが、青葉くんは決して悪い子では無い。

 自分を信じてくれた提督が、まだ嘘を重ねている自分の為に土下座をする姿など、黙って見ていられるだろうか。

 

 青葉くんは隠していた無線機と集音器の事など忘れたように、彼に縋りついて泣いた。

 故に、彼女の犯した更なる罪が明らかとなってしまったわけだが――。

 

「あっ、あのっ! そ、それは私達を庇う為に……!」

「佐藤元帥! 今回の愚行はこの長門が……!」

「いや、この那智が……!」

「もういいんだ。君達を責めようというわけじゃない」

 

 青葉くんを庇う為に、大淀くん、長門くん、那智くんが声を出したが、私は手を前に出して、それを制止しながら言葉を被せた。

 それは嘘ではなかった。

 諦めが半分だろうか。自暴自棄になっていたのかもしれない。

 ただ、何故か悪い気持ちはしなかった。

 今まで彼女達をだましていたという罪悪感や緊張感から、ようやく解き放たれたからかもしれなかった。

 

「青葉くん一人だけに聞かれていたのであれば配置替えもやむなしと思っていたが、流石に全員に聞かれてしまったのではね……もはや罰など何の意味も成さない。どうしようも無い……そもそも、君達を罰する軍紀など存在もしないのだからね」

 

 先ほどまでは、青葉くん一人だけに聞かれていたと思っていたので、配置換えも考慮した。

 だが、鎮守府のほぼ全員に聞かれてしまったというのでは、もはやどうしようもない。

 艦隊司令部は形の上では彼女達を管理する立場にあるし、彼女達も(ふね)であるが故にか、それを望んでいる。

 しかし、だからといって、彼女達が艦隊司令部に逆らった時に、与える罰など何も無い。あるはずが無いのだ。

 

 何しろ、彼女達は深海棲艦という脅威に自主的に戦いを挑み、この国を護る存在だ。

 一隻として代わりなどいない。罰を与える意味も余裕も有り得ない。

 そしてここまで知られてしまった今、彼女達に頭を下げるべきはこの私だ――。

 

「むしろ、先に君達に偽るような事をしてしまったのはこちらの方だ……こんな真似までさせてしまって済まなかったね」

 

 私は彼女達にそう詫びてから、私の感じた率直な思いをそのまま続けたのだった。

 

「私は本来、元帥なんて呼ばれるような立場の人間では無い。それにも関わらずこんな大仰な役職に就いてしまったのは、君達が望んだからだ。艦隊司令部という組織や、元帥という上官の存在をね。だからこそ、正直、驚いているよ。君達自身が望み、何よりも君達自身が重視している元帥命令に、君達が自らの意思で従わなかったという事実に」

 

 艦隊司令部や大本営などと称しているものの、我が国には『軍』と呼ばれるものは存在しない。

 艦娘達は私達の事を軍人として扱うが、この時代において、厳密には違う。

 私の所属している組織は、突如現れた深海棲艦という超常災害への対策をする為に立ち上げられた機関。

 他国に対する武力などでは決して無い。

 数年前までは他国から色々と言われていたものの、今ではそれが世界の共通認識とされている。

 私も元帥などと呼ばれているものの、実際にはその組織内での『部長』といったところだろう。

 にも関わらず、何故このような仰々しい名称を付けられたのかと言えば、彼女達が力を発揮しやすい環境を作り上げる為だ。

 

 かつての大戦から時代を経て現代へと蘇った彼女達との相談の結果、彼女達が扱いやすい名称を用いる事になり、その結果が『艦隊司令部』という組織であり、『元帥』という私の役職だ。

 ゆえに、これらに関わる言葉は、『軍法会議』や『軍紀』『軍事機密』のように、表面上だけは『軍』という言葉を使う。

 国家ぐるみで軍という組織を演じているというようなものだ。

 ややこしい事ではあるが、それにより、様々な問題も起きており――それはともかく、彼女達は(ふね)である性質ゆえにか、基本的に提督、元帥命令や艦隊司令部からの指令に従って行動する事を求めていた。

 だが、それを何か勘違いしたのか、彼女達に対してやけに過激で高圧的な、攻撃的な言動が目立つようになった者も存在するのだが……。

 ともあれ、彼女達にとって艦隊司令部からの指令や、提督、元帥命令は絶対。それがここ数年間での私達にとっての常識であった。

 故に、この一年間での悲惨な扱いや、大和くんを失ったという取返しのつかない過ちがあったとはいえ、彼女達が直属の提督に歯向かい、艦隊司令部にすら敵意の目を向けたという事実に、艦隊司令部は大きく揺れたのだ。

 

 私自身も、今回私が命じた詮索無用の指示に即反し、脱衣所に侵入して盗み聞きまで行ったという事実に、正直動揺を隠せない。

 彼女達が頼れる組織であったはずの艦隊司令部や元帥という存在は、もはや彼女達にとって信頼できるものでは無くなったのだろう。

 だが、それだけでは無いような気がする……。

 彼女達をここまで突き動かしたものは何なのか……私が想像していたもの以上の何かが働いているような気がした。

 

 彼と彼女達から聞き取れた事から私が推測した事。

 まず、大淀くんなど一部の艦娘は、彼が素人である事に初日の時点ですでに気付いていた。

 彼がそれを伏せ、何も語らずとも、艦隊司令部の指示であると推測するのは容易だろう。

 つまり、艦隊司令部は自分達に何も語らず、提督の資格を持つだけの素人を送りこんだと考えただろう。

 私達艦隊司令部への反意が更に強まったとしてもおかしくはない。

 

 だが――彼女達は彼に目を向けた。

 神堂くんは提督の資格こそ持つものの、まごう事無き素人だ。

 そんな者が我々の上に立とうというのか、馬鹿にするなと、例えば那智くんであれば怒鳴り散らすだろう。

 しかしそうなる前に、神堂くんの置かれた状況に、目を向けたのではないだろうか。

 

 神堂くんの愛国心、この国を護りたい、そして彼女達の力になりたいと願う気持ち。

 たとえ知識は無くとも、何一つ偽りの無いその想いは十分に伝わったのではないだろうか。

 そして艦隊司令部に言われるがままに、素人である事を隠しながら着任した哀れな若者の気持ちを汲み取り、彼女達は気付かないふりをしたまま彼に従う事にした。

 

 神堂くんはそう捉えてはいないようであったが、全てが彼の指示であるかのような報告書における虚偽の記載も、言うなれば艦隊司令部への小さな当てつけなのかもしれない。

 貴方達の送り込んでくれた提督は、御覧の通りこんなに優秀な方でしたよ、とでも言うような――。

 

 大淀くんは少し言葉に詰まりつつも、私に言葉を返す。

 

「……正直に、申し上げますと……私達も、わからないんです。提督のせいにするわけでは無いですが……神堂提督が着任してからというもの、私達は確かにどこかおかしくなってしまったのかもしれません」

「艦隊司令部や私達に見切りをつけたという事ではないのかい?」

「い、いえ、まさか! 勿論、元帥命令の重要性は理解できています。それにも関わらず、このような愚行を犯してしまったのは……信じて頂けるかわかりませんが、私達自身も、本当に訳が分からず……」

 

 大淀くんが嘘を言っているようには見えなかった。

 どういう事だろうか……私達艦隊司令部はまだ彼女達に見捨てられてはいないというのか。

 私が邪推している事ともまた少し違う……?

 それならば何故あのような虚偽の記載や説明を……。

 彼女達を突き動かす謎の力の正体は、頭脳明晰な大淀くんにもわからないという。

 自分自身ですらわからないのであれば、私にわかるわけもない。

 だが、元帥命令に逆らい、男湯に侵入し、盗聴までするからには、かなり大きな力だと思うのだが……。

 

 私が思考していると、顔を紅潮させた青葉くんがふらふらと頼りない足取りでこちらに近づいてきた。

 随分と遅かったが、彼はまだ出てこないようだ。

 何か話していたのだろうか。

 

 彼女のついた嘘が見破られていた事を聞いてだろうか、膝をついて顔を伏せてしまった青葉くんを、長門くんや那智くんが慰めている。

 彼女達の結束の強さを改めて感じさせる光景であったが、青葉くんの行為を長門くんや那智くんが容認していたという事を証明する光景でもあった。

 神堂くんが着任してから私達はどこかおかしくなったのかもしれない、と大淀くんは語ったが、確かにそうとしか表せないかもしれない。

 長門くんや那智くん、更には鳳翔くんなどが、誰一人としてこの行為を咎めないというのは、今までの私の中の常識でも有り得ないからだ。

 

 私は一旦考えを切り替えて、大淀くんに声をかけた。

 もはや秘密にすることでも無い。ならば、ここで彼女達の意見を聞くのも良いと思ったからだ。

 

「彼の……神堂提督の舞鶴鎮守府への異動案についても、聞いていたのかい?」

「……はい」

 

 大淀くんは小さく目を伏せながらそう言った。

 

「君達はどう思う」

「……先ほど皆とも話したのですが、致し方ない事かと思います……」

「そうか……理解が早くて助かるよ。彼に横須賀鎮守府の運営は荷が重い……」

 

 どうやら彼女達も理解はしているようだ。

 私が彼に命じた指示は、やはりどう考えても無理がある。

 ただでさえ激務である提督という立場だ。

 素人である事を隠しながら、艦隊指揮の勉強をしつつ、横須賀鎮守府を運営するというのは、相当な負担になるだろう。

 彼に着任のお願いに行った時にはまだ知らなかったとは言え、彼にはあまり心身に負担をかけたくない。

 それに、艦娘達としても、やはり素人が上に立つというのは不安が大きいだろう。

 

 大淀くんに続いて、龍驤くんや赤城くん、加賀くんなどが口を開く。

 

「せやな……あの司令官は救いようの無いアホや。自分の事は二の次で、無理して、頑張って……また心身を壊されるのはまっぴら御免やで」

「そうですね。提督の事を考えるのならば、佐藤元帥が仰った通り、ここよりも舞鶴鎮守府がちょうどいいでしょう」

「えぇ、赤城さんの言う通りね。これ以上提督に重荷を背負わせる訳にはいかないわ」

 

 ふと、小さな違和感を覚えた。

 彼女達は皆、神堂くんの事ばかりを心配しているように聞こえたのだ。

 彼の身の上についても聴いていたのだろう。また心身を壊されるのはまっぴら御免と言う龍驤くん。

 提督の事を考えるのならば、これ以上提督に重荷を背負わせる訳にはいかないと言う赤城くん、加賀くん。

 

 ――素人が上に立っていたという事については、何も不満は無いのか?

 

 大淀くんを筆頭に、彼女達の顔はまるで神堂くんの異動を惜しんでいるかのようだった。

 確かに彼は素晴らしい青年だが、艦隊指揮の知識がある提督と無い提督では、単純にある方がいいと思うのだが……。

 彼女達がそれよりも優先するような、惜しむような何かが、神堂くんにはあるというのだろうか。

 彼の愛国心、艦隊指揮能力の有無、そんな単純な話では無いのだろうか……。

 

「フン……奴自身はやる気のようだがな。艦隊司令部のみならず、この国自体が、ここで奴が指揮を執る事に不安を覚えているというのならば、致し方ない事だろう」

「この磯風が共にある。心配はいらない……と言いたいところだがな。フッ、どうやら司令は、この磯風の手にさえ負えないようだ」

 

 那智くんと磯風くんも口を開く。

 神堂くんが横須賀鎮守府に残りたいと懇願する声も聴いていたのだろう。

 だが、たとえ彼や彼女達が望んでも、素人が指揮を執っているという事が周囲に不安を与えるという事を、那智くんは理解しているようだった。

 いや、那智くんだけではなく、それが彼女達の出した苦渋の決断なのだろう。

 彼が僅か着任一日でここまで信頼を獲得するとは予想外であったが――。

 

 私は腕組みをして何故か満足そうな笑みを浮かべる磯風くんに問いかけた。

 

「い、磯風くん。ところで、君は昨夜、神堂提督に秋刀魚を焼いたと聞いたが……」

「む? あぁ、焼いたさ。忠誠を込めてな。それがどうしたというのだ」

「い、いや、失礼かもしれないが、その……意外だと思ってね。君が手料理を作ったのもだが、彼に忠誠を誓うなどと言ったという事が……」

「フッ、何を言っている。あの司令のような人物こそ、この磯風が忠義を尽くすに相応(ふさわ)しい……至極当然の事ではないか」

 

 わ、わからない……。

 彼女が何を言っているのか全く理解できなかった。

 いや、磯風くんが忠義を尽くすような人物について語った事が無いから当然なのだが、私はてっきり、それこそ艦隊指揮の知識に精通し、頼りがいのある人物こそ彼女が好みそうだと思っていたのだ。

 それが、彼のような人物となると……確かに立派な青年だと思うが、うぅむ、どうも彼女の雰囲気と重ならない。

 

 もしや、艦娘達は、私達が思っているほどに、提督の艦隊指揮能力は重視していないのだろうか。

 それとも、その欠点を補って余りあるほどの魅力が、神堂くんにはあるというのか。

 私が頭を悩ませていると、長門くんが私に声をかけてくる。

 

「佐藤元帥。磯風だけでは無い。提督が着任して僅か三日だが、横須賀鎮守府の全員が忠誠を誓ったと言っても過言では無い。ゆえに、舞鶴鎮守府への異動は、我々にとっては苦渋の決断なのだ……!」

 

 何かを堪えるように小さく肩を震わせる長門くんの背中に巨大な活火山が見えた。

 まるで今にも噴火しそうになっているのを、必死に理性で堪えているかのようだった。

 肩の震えさえも、大きな地震の前触れである余震にすら見えたほどだった。

 その眼光だけで殺されてしまいそうだった。

 何故だ……何故彼は僅か三日でここまで尋常では無く信頼されて……。

 いや、立派な青年だ。今時珍しいほどに感心な青年だ。だが、それでも、しかし、これは……駄目だ、理解が追い付かない。

 私は動揺を押し隠しながら、何とか答えを返した。

 

「そ、そうか……いや、しかし、受け入れてくれてありがとう。君達の気持ちもわかるが、彼の為、引いてはこの国の混乱を避ける為なのだ」

「あぁ、提督のような人物がこの国にいたと知れただけでも良かったと……心からそう思うよ」

 

 ――提督のような人物が……?

 やはり、彼女達は能力では無く、彼の人柄こそに――。

 

 私がそう考えた瞬間、地に伏せていた青葉くんが声を上げた。

 

「あっ、青葉もッ! 青葉も提督に着いて行ってはいけないでしょうかッ⁉」

「なっ――あ、青葉っ、何を言っているの⁉」

 

 大淀くんの声にも構わず、青葉くんは私を見据えて必死に懇願を続けた。

 

「提督は拳骨一つで今回の愚行の罪を水に流して下さり、更に青葉にこう仰りました。お前は、私の艦隊に必要な存在なのだと……! 唯一無二の個性を活かしてほしいのだと……! そしてこう諭して下さりました。握れば拳、開けば掌……力の扱い方を誤らぬ、強い心を持てと! 青葉は、青葉は、提督の下でっ、力の扱い方を学んで行きたいのですっ!」

「……彼が、そう言ったのかい?」

「はっ!」

「そうか……うん、そうかぁ……彼が、そんな事を……」

 

 青葉くんが外に出てくるのが随分と遅いとは思っていたが……彼はあの後、彼女のフォローをしてくれていたのか。

 私も一言釘を刺しておいたとはいえ、それは彼女の愚行を止めるに留まっていた。

 だが彼は彼女の個性を活かすよう諭し、青葉くんはそれに感銘を受けたと……。

 その目を見ればわかる。彼女はもう二度と、今回のような過ちは繰り返さないだろう。

 

 男手ひとつで四人の妹達を育て上げてきた彼だ。

 叱り方、諭し方にも彼の人柄が垣間見える。

 ただ感情のままに怒鳴りつけるのではなく、彼女の事を本当に大切に考えて諭したのだろうという事がよく伝わってきた。

 

 身の上調査の合間に、彼の妹達はこう語った。

 私達は兄に甘えて、ついキツい言葉を浴びせてしまいます。

 両親のいないこの境遇に対する不平不満を、理不尽に兄にぶつけた事もあります。

 それでも私達は、私達よりも弱虫で泣き虫の兄が、この境遇に対して弱音を吐いたところを一度も見たことがありません。

 どんなに私達に理不尽に当たり散らされても、いつも困ったような顔をして、黙って話を聞いているんです。

 私達が悲しんだり、落ち込んだりしていると、怒鳴り散らされるとわかっていても、必ず自分から近づいてくるんです。

 

 兄がとても大切にしていた、お母さんの形見のマグカップを、私が癇癪を起こして割ってしまった事がありましたと――そう語ったのは、二番目の妹の明乃くんだった。

 その時も、兄は怪我は無いかと私の心配ばかりして、一言も私を責めたりしませんでした。

 割れた破片で怪我をしていたのは兄の方でした。

 その後、私が謝る為に買ってきたマグカップを、兄は今でも大切に使っていますと。

 

 本当は言いたい事も、やりたい事もあったはずなのに。

 自分の事は二の次で、我慢ばかりして、本気で私達の事ばかり考えている。

 不器用で、人付き合いが苦手で、かなり変わっているかもしれないですが、兄はそういう人なんですと。

 

 それは、私の尊敬する人物の言葉を体現しているように聞こえたのだった。

 

 苦しいこともあるだろう。

 ()()いこともあるだろう。

 不満なこともあるだろう。

 腹の立つこともあるだろう。

 泣き()いこともあるだろう。

 これらをじっとこらえていくのが男の修行である。

 

 妻を亡くしてから、私はこの言葉を座右の銘にして生きてきた。

 私も男手ひとつで子供を育ててきた経験があるので、彼がどれほどの苦労をしてきたのかはよく理解できる。

 いや、学生の内からそれを担う苦労など、私の想像にも及ばないのかもしれない。

 生涯の宝となる大切な仲間との友情や汗、涙、そして恋愛、その青春の全てを妹達の為に捧げる――それにどれだけの覚悟がいるというのか。

 それでも彼は、自分の事は二の次で、妹達を第一に考え、四人とも立派な、真面目な娘に育て上げた。

 だから私は彼の事が大好きなのだ。

 

 そんな彼の言葉だからこそ、青葉くんの心に強く響いたのだろう。

 彼が青葉くんの事を大切に思っており、青葉くんもそれに応えたいと思っているのであれば、一緒に異動させた方が良いだろうか。

 ちょうど青葉くんの姉妹艦の衣笠くんも舞鶴鎮守府に所属しているし、悪くはないだろう。

 

「……うん、そうだな。舞鶴には君の相方の衣笠くんもいる事だし……青葉くん一人くらいなら、再編成時に舞鶴に一緒に異動しても支障は無いかもしれない。そうなると、代わりに舞鶴から高雄くんと愛宕くん辺りを横須賀に――」

「えぇぇっ⁉ ちょ、ちょっと待って下さいっ! 佐藤元帥っ! い、いいんですか⁉」

 

 私の言葉に、大淀くんが目を丸くして声を上げた。

 

「うぅむ、しかし、彼も青葉くんもそう望んでいるのであれば……」

「佐藤元帥、一人だけ抜け駆けは良くないだろう。ならばこの磯風も連れて行ってもらおうか」

「おどりゃ磯風ェ! わりゃえぇ加減にせんとシゴウしゃげたるぞ!」

「どの口が抜け駆けは良くないなどと言うのですか!」

「かぁ~っ! べらんめぇ! 流石にこの谷風さんの堪忍袋の緒も切れちまったぜ! 浦風、浜風! とっちめちまえ!」

「こ、こら! やめろ谷風! 青葉が行くなら司令の片腕たるこの磯風も共に行かねば……!」

「だからいつ磯風が提督の片腕になったんじゃ!」

 

 磯風くんが十七駆の三人に関節を決められながら押さえつけられていた。

 こんな磯風くんの姿は初めて見る……彼女がここまで一人の提督に執着した事があっただろうか。

 まさか青葉くんに続いて磯風くんまでもが手を上げるとは……しかしこうなると収拾がつかなくなるのでは。

 私がそう考えたのと同時に、大淀くんが軽い咳払いと共に口を開いた。

 

「佐藤元帥。提督に着いて行きたいのは青葉だけでなく皆同じです。一人だけ許してしまうと、磯風を見ればわかるように次々に手が上がり、やがて内部崩壊に繋がりかねません。青葉もここに残るよう意見具申致します」

「う、うん。そうだね……青葉くん、済まないが……やはりやめておこう」

「がーん……そ、そんなぁ」

 

 上げて落とすようで青葉くんには申し訳ない事をしたが……全員が提督に着いて行きたいとまで言うとは……。

 一体どういう事なのだ。

 彼女達の目を見ればわかる。全員本気だ。

 やはり私の想像を超える何かが起きているようだ――。

 

「何を騒いでいる」

 

 気付けば、彼がすぐ近くに歩み寄ってきていた。

 彼の声が聞こえた瞬間、艦娘達は目にも止まらぬ速度で瞬時に隊列を作り、彼に向かって敬礼した。

 その光景に私は思わず一秒に四回くらいの速さで瞬きしてしまった。

 え? 今、いや……エッ?

 

 彼はその手に、青葉くんが落としていったと思われる無線機と集音器を持っている。

 おそらく、彼も話を聞いていたのが彼女だけでは無い事に気が付いているだろう。

 彼は青葉くんをジロリと見据えて、確認するかのように、穏やかに、かつ少しだけ強い口調で声を発した。

 

「青葉。何やら落とし物のようだが……これは没収だ。いいな」

「ハ、ハイ」

「それと……今回の件に関わっているのは青葉一人。そうだな?」

「エッ」

「……そうだな……⁉」

「ハッ、ハイ!」

 

 彼は艦娘達を一通り見まわした後、私に顔を向けて言ったのだった。

 

「……そういう事です」

「う、うむ……わかった。そういう事にしておこうか……」

 

 何故か少しだけ落ち込んでいるように見えたが、それはともかくとして、私は彼の意思を汲み取った。

 おそらく、彼は彼女が偽ったように、青葉くん一人だけの仕業である事にしたいのだ。

 それならば、先ほど青葉くんが語ったように、すでに水に流された事。

 彼女達全員に聞かれた時点で、もはや彼女達を叱る意味も無い。

 それは彼にもわかっているのだろう。

 しかし素人である事がバレたにも関わらず、まだ威厳ある態度を崩そうとしないのは……そうか、上官として威厳ある態度を保つようにと、私が言ったのだったな。

 彼は私のアドバイスを律儀に守っているのだろう。

 舞鶴に異動してからも、彼の提督としての毎日は続く。

 ここで演技を止める必要も無い。

 

 だが、彼はともかくとして、艦娘達のあの動きの速さは……。

 雑然と並んでいた状態から、彼の声がした瞬間に、まるで決まっていたかのように全員が隊列を組んだ。

 あれも彼の人柄の成し得る……い、いや、人柄や人望であぁなるのか……?

 駄目だ……現在の横須賀鎮守府の状況が大体理解できたつもりだったが、まだわからない……。

 ともかく、最低限の状況は把握できたのだ。

 この後は緊急会議も控えている。急いで艦隊司令部に戻らねばならない。

 

「そうだ、神堂提督。先ほど話した通り、私は急いで帰らねばならないのだった……済まないが、ここで失礼するよ」

「あっ、そうでしたね。それでは正門までお見送りを……」

 

 私が彼とそう話していると、彼の視線が不意に逸れた。

 その方向へ私も目を向けると、何やら長門くんと大淀くんが話している。

 何も無い空間に目を向けているあの仕草は、妖精が絡んでいる時だ。

 私は何気なく長門くんに問いかける。

 

「長門くん、何かあったのかい?」

「はっ、妖精の様子を見るに、遠征艦隊が帰投したようなのですが、何やら様子が……」

「あぁ、それでは君達はそちらに向かってくれ。神堂提督も。悪いが、私はこれで失礼するよ」

「は、はっ。しかし、お見送りは……」

「よろしければ、佐藤元帥には私達が付き添いましょうか」

 

 そう申し出てくれたのは鳳翔くんだった。

 その後ろには間宮くんと伊良湖くんも控えており、私は内心ほっとしてしまった。

 先ほどから長門くん達の謎の迫力に圧倒され、緊張の連続で心が疲れていたのかもしれない。

 鳳翔くんとは、艦隊司令部やこの横須賀鎮守府すらまだ存在しない時から共に戦ってきた、長い付き合いだ。

 故に彼女が今回の件に関わっている事に疑問が無いわけではないが、彼女にならば腹を割って話せるような気がする。

 

「おぉっ、鳳翔くん、間宮くん、伊良湖くん。それでは君達にお願いしようかな」

「はい。御一緒致しますね」

 

 私は神堂くんと艦娘達に別れを告げ、正門に向かって歩き出した。

 ある程度彼女達と距離を取ったところで、私は大きく息をつき、鳳翔くんに目を向けたのだった。

 

「まさか君まで盗み聞きをしているとは思わなかったよ」

「申し訳ありません……」

「いや、さっきも言っただろう、それはもういいんだ。責めているわけじゃない。しかし、どういう心境の変化だい?」

「うぅん……開き直るわけでは無いのですが……やはり、私にも大淀さんの言った以上の表現はできかねます……」

 

 やはり、神堂くんが関わっているという事か。

 しかし、その理由は彼女達にも理解できていない。

 果たしてこれは喜ばしい変化なのか、それとも喜ばしくない変化なのか――。

 

 この話を広げると彼女達が罪悪感からか申し訳なさそうな顔をしてしまうので、私は話題を変える事にした。

 

「君達から見て、彼はどうだい?」

「とてもお優しくて、素晴らしい御方だと思います!」

 

 私の問いに、間宮くんが肩を乗り出すほどの勢いでそう言った。

 彼女は顔の前で掌を合わせて、言葉を続ける。

 

「提督はこう仰りました。願わくば、一人たりとも、私の下から欠けてほしくはないと……私は感動してしまいました」

「そうか……彼ならば、そう願うだろうな……無論、私もそう願っているよ」

「はい! 戦闘はできない私ですが、何とか提督の御力になれればと思っているのですが……」

 

 そうか、彼はそんな事を言っていたのか。

 そうだとするならば、この一年間、大破進軍や疲弊状態での反復出撃を強制させられていた彼女達には、彼の優しさはさぞ魅力的に映った事だろう。

 なんだか彼を彼女達から引き離す事が今になって申し訳なくなってきたが、こればかりはどうしようもない事だ。

 せめて、その時が来るまではと思い、私は間宮くんに言ったのだった。

 

「彼は自分の事はおろそかにする悪い癖があってね。かつては時間が無いからと、昼食も昼休みも取らずに膨大な量の仕事を毎日こなしていたらしい」

「まぁ……! そう言えば、着任したその日も、出撃した皆に悪いからと何も口にしようとはしませんでした。なんとか説得しておにぎりを数個食べて頂きましたけれど……」

「やはりか……彼は今後もそういう事をするだろうな」

 

 これも彼の妹達に聞いていた事だった。

 彼が倒れて入院した後、彼の職場環境について後々判明した事があった。

 

 彼は上司にも同僚にも恵まれなかった。

 彼は頼まれると断れないタイプだと認識されていたらしく、本来担当している業務以外の仕事まで押し付けられていたらしい。

 しかし、彼はなるべく夜は家族の為に時間を使いたかったらしく、徹底して遅くまで残業はしようとしなかったらしい。

 さらに、働きながらも妹達の学校行事などにも極力参加するようにしており、彼は膨大な仕事の山と、大切な家庭を背負う事となった。

 仕事と家庭、どっちが大事かなどとはよくある話だが、不器用な彼は職場の誰かに助けを求める事もできなかったし、妹達に寂しい想いをさせたくもなかったのだろう。

 

 結果として彼が編み出した術は、まだ日も昇らぬ内に起床し、そのまま早朝に出勤。

 六時には職場に到着し、始業時間の八時半まで仕事。

 昼休みも食事は一切取らず、同僚たちが外にランチを食べに行っている間、十二時から十三時までの昼休み時間も継続して仕事。

 定時になり同僚たちが帰宅を始める十七時の終業後も一時間半ほど残業し、十八時半に退勤。

 そして十九時には帰宅し、妹達と共に過ごしていたという。

 

 彼は数年間、平日は毎日このような状態で仕事をこなしていた。

 つまり一日に約五時間の残業をし、実に一日の半分を占める十二時間半休み無しの労働を続けていたのだ。

 どうしても仕事が期限に間に合いそうにない時には一度帰宅し、妹達と夕食を食べてから再び出勤し、徹夜で仕事をこなし、そのまま次の日の仕事に入っていたという。

 休日も、妹達が出かけるなどで共に過ごす予定の無い時には、常に職場にいたらしい。

 そんな状態でなお、気まぐれな上司の誘いを断る事ができず、遅くまで呑みに付き合わされる事もあったとか。

 それでも彼は弱音を吐かず、誰にも相談せず、自分の時間を極力削り、自らの心身など二の次で仕事と家庭を両立した。

 

 毎月百時間を超える残業――それこそが彼の戦場だった。

 何度も何度も幾多の修羅場を潜り抜け、大切なものを護る為に戦い、生き延びてきた。

 だが、それでもその心と身体は無傷では済まない。

 糸が切れたように倒れてしまったのも無理もない事だった。

 

 彼の勤め先では残業申請は二時間以上から、更に早朝勤務は残業と認められていないという暗黙のルールがあった。

 つまり彼は書類上では一時間半の残業しかしておらず、その数年間はほとんど残業代も入っていなかったらしい。

 彼が倒れ、退職した後に、彼の務めていた部署は仕事が回らなくなり大問題になったという。

 入院していた彼の病室に、仕事について尋ねるために同僚が押し寄せた事で、千鶴くん達四人の妹が激昂し追い返したという話は、今でもその病院で語り草になっているらしい。

 

 神堂くんが多くの仕事を引き受けていた事から、周りの者はほとんど残業もせずに早く帰宅しており、彼自身もまた、書類上ではほとんど残業していない事になっていた。

 それが大事(おおごと)になり、彼の元勤務先が彼の異常な勤務状況を改めて調べ直し、謝罪と共にその残業代の一部を支払ったというのがせめてもの救いだろうか……。

 

 ともあれ、鳳翔くんの助けがあったとは言え、彼が初日から徹夜であれだけ膨大な書類を処理できたのは、前職の経験によるものだろう。

 彼は若いのに、自分に対する無茶に抵抗が無さすぎる。

 というよりも、無欲すぎるのだろうか。

 自分の事よりも、妹達が一人前になるまで、という事を第一優先に考えているような節があると千鶴くんも言っていた。

 そのため、千鶴くんが就職できたことで少しだけ気が緩み、一気に燃え尽きてしまったのではないかと。

 彼の気持ちもわかるが、もっと自分の事を大切にしてほしいものだが……。

 

 私は間宮くん達に言葉を続けた。

 

「間宮くん、伊良湖くん、鳳翔くん……彼はそういう、自分自身に無頓着なところがある。食事を通して彼を支えるというのも、君達にしか出来ない大切な事だと思うよ」

「はい! そうだわ、伊良湖ちゃん、鳳翔さん! 提督には栄養バランスを考えつつ、なるべく元気が出るような、ニンニクや山芋など精のつくものをお出しするのはいかがでしょう?」

「うふふ、素晴らしい考えだと思います。日替わりで、提督定食なんてご用意するのも面白いですね」

「うん、彼が舞鶴に異動するのはほぼ確定だとは思うけれど……それまでの間、よろしく頼むよ」

「……はいっ、勿論です!」

 

 間宮くんは少しだけ残念そうに、そう返事をしたのだった。

 その時、彼女の後ろから、こちらに駆けてくる少女達の姿が目に映ったのだった。

 見れば、漣くん、朧くん、そして潮くんの三人であった。

 三人は私達に追いつくと、息を切らせながら眩しい笑顔と共に口を開いた。

 

「さ、佐藤提督、じゃなかった、佐藤元帥……潮たちも、お見送りに来ました」

「水臭いですぞ、元祖ご主人様! 漣たちに一言も無しに帰っちゃうだなんて!」

「漣、今は佐藤元帥、でしょ。失礼だよ、多分……」

「はは、構わないよ。済まないね。皆とも話したかったのだが……あちらの方は良かったのかい?」

「全員ついてくるようにと特に指示も出されなかったので、大丈夫だと思います! 多分!」

 

 第七駆逐隊の三人も、鳳翔くんと同じく、私がかつて指揮をしていた時からの付き合いだ。

 深海棲艦との戦いが始まった初期の手探りの状況を知る、艦娘歴で言うなら古参の部類に入る子たちである。

 特に漣くんは、電くん、吹雪くん、叢雲くん、五月雨くんと合わせて、最初にその姿が確認された艦娘として、『最初の五人』と呼ばれる最古参の艦娘の一人だ。

 こんな私の為にわざわざ足を運んでくれたのが、とても嬉しかった。

 正門まで歩きながら、私は何気ない話を彼女達と交える。

 

「そうそう、神堂くん……いや神堂提督が、潮くんに嫌われているのではと心配しているようだったよ」

「ふぇぇっ⁉ そ、そんな事ないです」

「潮が恥ずかしがり屋なのは知ってるけど……あれは確かに提督も傷つくかも。多分……」

「ご主人様が声かけようとしたら『ひゃあああっ! も、もう構わないで下さい……もう下がってよろしいでしょうか……』っしょ~? あれは誰でも凹むね」

「そ、そんなつもりじゃ……て、提督、かっこいいから、ち、近くにいるのが、は、恥ずかしくて」

「潮にもついに春がキタコレ! いや~、お年頃ですなぁ! ウマー!」

「ちちち、違うよぉ!」

「あら、顔が真っ赤ですね。ふふっ、可愛らしい」

「あぁっ、み、皆見ないでください……恥ずかしいよぉ」

 

 彼女達のやり取りを、鳳翔くん達と微笑ましく眺める。

 一か月前に私が彼女達の姿を久しぶりに見た時、私は心底後悔したものだった。

 何故、私は忙しさにかまけて、彼女達をちゃんと見てあげられなかったのだろうかと。

 かつて私が見ていた目の光はすっかり消え失せて、完全に死んでいた。

 だが、今の彼女達にはその光が再び宿っている。

 

 私は神堂くんに、艦娘からの信頼を取り戻す手伝いをしてほしいとお願いした。

 そしてそれは、僅か三日で達成された。

 それはおそらく、彼だからこそ成し得た事なのだろうと、彼女達を見ていて思う。

 時間さえ合えば、タイミングさえ合えば、彼に鎮守府運営のいろはを教え、胸を張って着任させられたというのに……。

 彼女達も了承済みとは言え、彼を引き離す事が本当に申し訳無い。

 

 思い出話にも花が咲き、楽しい時間は瞬く間に過ぎて行った。

 正門前についても名残惜しむようにしばらく話していたが、もう流石に時間が無い。

 私は彼女達に別れを告げて、車の後部座席へと乗り込んだ。

 

「元祖ご主人様! また来てくださいね!」

「あぁ、勿論。いつになるかはわからないけれど……約束するよ」

 

 窓を閉め、ふぅ、と大きく溜息をつき、車が発進する。

 私が何気なくバックミラーに目をやると、何かが映っている。

 というよりも、何かが凄い勢いで迫ってきていた。

 

「佐藤元帥ーーッ‼ ウォォォオオオ‼」

 

 陸奥と長門は日本の誇り、世界のビッグセブン。

 巨大な艤装を展開した超弩級戦艦、長門くんがまるで海の上を滑るように、戦車のごとく地面を削りながら高速で迫ってきていた。

 まさか超弩級戦艦長門が水陸両用だったとは知らなかった、などと訳の分からない事を考えていた私だったが、運転手の悲痛な叫び声で正気に戻った。

 運転手も気が動転していたのか、アクセルを目一杯踏み込んだが――長門くんはそれよりもなお早く、私達の車の前方へと回り込んだ。

 

「うわぁぁぁっ⁉ ブレーキ! ブレーキッ‼」

 

 私がそう叫ぶも間に合わず、艤装を解除した長門くんは車に真っ向からぶつかった。

 パニック状態の運転手はアクセルを踏み続けていたが、長門くんは跳ねられたにも関わらずびくともせず、それどころか私達が怪我をしないようにだろうか、徐々に踏ん張りを効かせてスピードを落とした。

 悪い夢でも見ているのではないかと思った。

 最終的には車は完全に停止し、タイヤだけが悲鳴にも似た音を上げて地面を削り、空回っていた。

 長門くんはすぅぅ、と大きく息を吸い、そして叫んだ。

 

「フンハァーーーーッ‼」

 

 フロントガラス越しに長門くんの目が探照灯の如く光を放ったように見えた瞬間、運転手が白目を剥いて気絶し、車は後方へと押し戻された。

 アクセルを踏んだままの運転手の足もやがて離れ、車は瞬く間に鎮守府正門まで押し戻された。

 窓の外に目をぱちくりとさせている鳳翔くん達や、漣くん達の姿が映る。

「やぁ、また来たよ」とでも言えばいいのだろうか。そんなわけがない。

 私は混乱する頭のままに、何とか後部座席のドアを開けて外に出た。

 

 そこには長門くんだけではなく、那智くん、加賀くんを筆頭に、大淀くん以下、駆逐艦以外の艦娘がほぼ勢揃いしていた。

 

「な、長門くん……! それに、皆も……こ、これは一体、どういう事だね」

「手荒な真似をして申し訳無い……! しかし、ひとつだけ……どうしても前言撤回をさせて欲しい事ができた!」

「な、何だって……」

 

 悪い夢でも見ているのではないかと思った。

 明らかに――彼女達の纏う雰囲気が先ほどまでとは異なっていた。

 

 深海棲艦には、同じ(クラス)のものでも、さらにレベルが違うものが存在する。

 通常の個体に加えて、稀に赤いオーラを纏うものがおり、精鋭(elite)と呼ばれるそれは、姿形は同じでも性能が強化されている。

 更に、ごく稀に黄金色のオーラを纏うものもおり、旗艦級、もしくは最上級(flag ship)と呼ばれるそれは、eliteよりも性能が強化されているのだ。

 

 先ほどまで私達が話していた彼女達には、何も変わったところは無かった。

 目の錯覚だろうか。

 長門くん、那智くん、加賀くん、大淀くん、その他の皆――。

 神妙な顔をして私の前に立つ彼女達の体中からキラキラと光が放たれ、その周囲に黄金色のオーラが立ち上って見えるのは。

 多分加齢による目の錯覚だろう。そう信じたい。

 

 長門くんが艦娘達を率いるように、ゆっくりと私の前に立った。

 彼女が息を整えるように、ふぅぅ、と大きく息を吐くと、プッシュゥゥウと音を立てて、その体中から蒸気が噴出された。

 排熱しているらしい。生きた心地がしなかった。

 長門くんは静かに目を瞑り、小さく肩を震わせた。

 余震、初期微動――彼女達の背後に、再び巨大な活火山が見えた。

 

「佐藤元帥」

「提督は……神堂提督は、弱い御方だ」

「我らが出撃すれば一人隠れて涙を流し、今もまた傷ついた部下を見て涙を流した」

 

 ――彼は、遠征から帰投した艦娘が傷ついているのを見て、また涙を流したのか。

 

「その心身はまるで舞い散る桜の花弁のごとく、脆く、儚く、頼りない。誰一人として沈むななどと、軍人としてあるまじき夢物語を口にするその優しさは、絶望的なまでに軍人に向いていない……」

 

 ――そう、彼の優しさは、軍人になど向いていない。

 いや、正確には軍人ではないが、ともかく、艦娘の轟沈などに直面するのは、彼にとってあってはならない事だろう。

 そういう意味では、彼は提督には向いていないのかもしれない。

 

「その出自や艦隊指揮能力、そしてかつて艦隊司令部に逆らった我々の存在……提督は、あらゆる面でこの横須賀鎮守府にいない方が良い御方だ……」

 

 ――その出自は、そう、言うまでもなく彼が素人のまま着任させられたという事。

 ゆえの艦隊指揮能力の乏しさ、そして彼女達が艦隊司令部に逆らったとして一部の者達から警戒されているという事実、様々な負担……。

 長門くんの言う通り、彼はあらゆる面で、この横須賀鎮守府にいない方がいい。

 

 だから、そう、だからこそ、舞鶴鎮守府に異動するのではないか。

 彼の負担も軽くなる。

 重要拠点にちゃんとした艦隊指揮能力を持つ提督を配属できる。

 君達も満足できる。

 そうすれば全て上手く収まると、君達もわかっていたではないか。

 理解してくれていたではないか。

 

 だのに、君達は、何を言おうとしている――⁉

 

 瞬間。巨大な本震が私を襲い、活火山が爆発した。

 

「しかし、しかし佐藤元帥……! たとえ今後、あの方よりも優れた提督が現れようとも! 再び艦隊司令部に逆らう事になろうとも! あの方の命を縮めてしまう事になろうとも、その先にどのような試練が待ち受けていようとも! 我々は神堂提督と共に戦うッ!」

「なッ……⁉」

 

 声を失った私に、長門くんは言葉を続ける。

 

「たった今、我らは理解した! 軍略、戦術、神算鬼謀……もうそんなものはどうだっていい……! そんなものは二の次だ……! 自らの事を厭わず、この国を、我らを想う、あの底抜けの優しさが! あの弱さが! 覚悟が! 生き様が! あれこそが我ら横須賀鎮守府の艦娘総員が、真に護らねばならなかった者の姿だッ! あの方こそがッ、我が国の未来だッ‼」

 

 彼女達が声に載せた想いが、私の胸に大穴を開けた。

 その衝撃で、私はようやく、私の犯した罪の大きさに気付いたのだった。

 

 たった今、理解できた。

 彼女達を突き動かす、正体不明の謎の力の正体。

 

 彼は――まだ若い彼は。

 ろくに艦隊指揮の知識も無いままに、国の都合で着任させられた彼は。

 その愛国心ゆえに、その身を粉にして戦う彼は。

 

 ――かつての大戦の末期、帰らぬ空に散った若者達、その姿そのものではないか。

 

 彼の姿に、艦娘達はそれを重ねたのではないか。

 そして、こう判断したのではないか。

 あぁ、この戦いはかつてのように、もはや末期なのだと。

 またしても、国を愛する若者を無謀な戦いに放り込むのかと。

 

 私は彼に何をした?

 素人である事を隠して、提督として激務をこなせなどと、どう考えても無理のある指示だ。

 彼の愛国心に付け込んで、甘い言葉でたぶらかし、そそのかしたのではないか。

 正体がバレたら鎮守府は崩壊し、最悪の場合この国が滅びるかもしれないなどと、彼を(おど)かすような事まで言った。

 彼が自ら志願したのをいいことに、とんとん拍子で着任させた。

 提督の資質を持つ者が着任さえすれば、艦娘達は最低限の性能だけは発揮できるからと、焦り、()いてそればかりを考えていたのではないか。

 

 私は何故、彼女達を信じられなかったのだろうか。

 何故、素直に彼が素人である事を話し、協力を申し出る事が出来なかったのだ。

 信頼を失うのが怖かったからだ。

 だから、彼女達を騙すような真似をした。

 彼に無理を言ってしまった。

 

 彼を見て、彼女達は誓ったのではないだろうか。

 

 かつての過ちを繰り返さない――。

 彼を二度と、無謀な戦いに送り出さない。

 この国を愛する、弱く、優しい、一人の民……この国の未来を必ず守ってみせると。

 

 たとえ、艦隊司令部に逆らう事になったとしてもと、長門くんは言った。

 それはきっと本気だろう。

 大淀くんは、艦隊司令部に見切りをつけたわけでは無いと言ってはいたが……私が素人のままに若い彼を送り込んだ時点で、やはり私達は見切りをつけられていたのだ。

 彼女達には今、自由に動く身体がある。

 彼女達が艦隊司令部や世間の声に構わずに本気で拒否したのならば、私達には彼の異動を強行できる術など何もない。

 この国の守護神が、彼でなくては駄目だと宣言したのだ。

 いわば彼は、神に選ばれた御子。

 世間が何を叫ぼうが、この国を護れるのは彼女たちだけ。

 

 長門くん達がそう宣言した以上――横須賀鎮守府の提督は神堂くんしか有り得ない。

 

 同じ状況であれば、着任したのが誰でもこのような事になっただろうか。

 いや、やはり、送り込まれた哀れな若者が神堂くんだったという事。

 あの愛国心と底抜けの優しさは、彼女達の心の隅々まで、どこまでも甘く染み渡った事だろう。

 

 かつて帰らぬ空に散った若者と、神堂くんに沁みついている自己犠牲精神。

 今時珍しいほどの愛国心と、どこまでも底抜けの優しさ。

 威厳を保つようにと私は彼にアドバイスしたが、彼から滲み出る人の良さは、どんなに演技をしようとも隠しきれるものではない。

 だから私がそうなったように、彼女達も、彼の事が大好きになってしまったのだろう。

 

 彼は僅か一日で艦娘達を従えたのではない。

 彼は僅か一日で、艦娘達に慕われたのだ。

 

 着任したのが彼だったから――彼女達は自分達でも訳が分からなくなるほどに、おかしくなってしまったのだ。

 気が狂いそうなほどに、彼を護りたくなったのだ。

 

 嗚呼。私ははっきりと確信した。

 

 ――彼女達には、もはや、もはや――彼の声しか届かない。

 

「……彼は、とんでもない事をしでかしてくれたな……」

 

 私は思わずそう声を漏らしてしまった。

 私も彼の事は一人の男として尊敬している。立派な、感心な青年だと思っている。

 だが、まさかここまでとは。

 様々な要因が重なったとはいえ、彼女達をここまで突き動かしてしまうとは――。

 

 彼に責任転嫁をするかのような思考に至った事を一人で恥じて、私はすぐにそれを訂正した。

 

「……いや、そうか……取り返しのつかない事をしてしまったのは、私の方か……私は……何て事を……」

 

 焦っていたのだ。

 ()いていたのだ。

 このままでは大和くんだけではなく、またしても誰かが沈んでしまう。

 

 ――()()()彼女がその身と引き換えに守った仲間達が、()()沈んでしまう。

 

 だから私は、一刻も早く、提督の資質を持つ者を鎮守府に配属したかった。

 資質を持つ提督の指揮下にあるかないかでどれだけ彼女達が楽になるかは、この私が身をもってよく理解できているからだ。

 妖精を知覚できる者が――提督の資質を持つ者が私に代わって指揮を執った瞬間、彼女達の性能は各段に上がり、目に見えて勝率は上昇した。

 あの時に感じた無力感は、不甲斐なさは、流した涙は、後悔は、忘れられるものではない。

 そう、だから、だから私は、焦りから、彼にこんな無茶を……。

 

「佐藤元帥。貴方には感謝している。神堂提督を横須賀鎮守府に着任させてくれた事を……我らとあの方を引き合わせてくれた事を」

 

 自らの過ちを悔いている私に、長門くんは凛とした表情のままにそう言った。

 もはやその意思は固く、砕けない。

 彼という人間と触れ合った事で、彼女達はおそらく自らを縛り付けていた何かから解き放たれたのだ。

 それは彼女達にとっても未知の領域。

 だがそれゆえに、かつての悲劇から逃れられる可能性を持つのかもしれない。

 

「フン……あの男、鉄仮面の下に随分と情けない本性を隠していたものだ……正直、見るに堪えん。ならば、我らが何とかするしかあるまい。奴の下からな……」

「そう……提督がどんな想いでここに着任したのか……危うく、それを無下にするところだったわ。私達は本当に……救いようが無いわね」

「那智くん、加賀くん……」

 

 もう、驚きを隠すのも止めた。

 あの那智くんが……そう、情けない姿を見せれば一喝しかねない那智くんが、彼の優しさ故の弱さを認めている。

 見るに堪えないと言いつつも、その下に付き、情けない提督を支えようと、そう言っている。

 そして加賀くんに続いて、龍驤くんが、赤城くんが、鹿島くんが、利根くんが……彼を横須賀鎮守府に残そうと次々に声を上げた。

 

 私を出迎えた時の殺伐とした雰囲気はもはや無かった。

 彼女達には笑顔も見られる。

 利根くんなどは神通くんをからかって、冗談まで言っていた。

 そう、彼女達はもう、色々と吹っ切れたのだろう。

 そしてそれ故に、彼女達はきっと強くなった。

 決して揺らがぬ強固な理念はただひとつ――ただひとりの心優しい若者を護る事。

 それはまさに前代未聞。素人の彼と艦娘達が作り上げた、あまりにも(いびつ)なそれは、それこそが――今の横須賀鎮守府の、彼と彼女達の艦隊教義(ドクトリン)

 

 ……敵うものか。

 私達がどれだけ机上の空論を並べ立てたところで、艦隊運用の道理を説いたところで。

 たったひとつのシンプルな、彼女達の理念に敵うわけがあるものか。

 

 彼女達が報告書に虚偽の記載をした理由がなんとなく理解できた気がした。

 おそらくあれは彼女達にとって虚偽ではない。

 たとえ指揮をしたのが艦娘達だったとしても、彼女達にとってその戦いは、彼と共に作り上げたものなのだ。

 艦隊司令部への当てつけだけでなく、彼女達は本気でそう思っているのかもしれない。

 艦である彼女達にしかわからない領域ではあるが、おそらくそういう事なのだろうと思った。

 

 何故だろうか。

 私の胸までも熱くなっているのは。

 この震えは何だ。

 驚きと、予感と、覚悟。

 おそらく心で考える前に、身体が叫んでいるのだ。

 これは武者震いだ。

 そう、逃げ出すな、戦えと、私が私を鼓舞している。

 何故だろうか。

 彼の為に戦いたいと、私もそう思ってしまったのは。

 

 あぁ、これが、今の彼女達の気持ちなのだ。

 彼を護る為に戦いたいと、心からそう思える。

 

 私は覚悟を決めて、彼女達に目を向けて、ゆっくりと口を開いた。

 

「この一件は、私の一存で決められる事では無い。だから、悪いが約束する事はできない」

「……はい」

「艦隊司令部に逆らってでも、という物騒な言葉は聞かなかった事にさせてもらおう。だが、君達の意思は、確かに艦隊司令部に持ち帰るよ。君達の熱意は……そのままにね」

「――は、はッ! どうか、よろしくお願いしますッ!」

 

 私の言葉に、彼女達は一斉に頭を下げた。

 

「ただし、もう一度だけ、私から……ひとつ、元帥命令を発したい」

 

 私がそう言葉を続けると、彼女達は背筋を伸ばして顔を上げた。

 皆、いい顔をしていた。

 その目は誰一人として死んでいない。

 爛々と輝いて、あまりにも(まばゆ)くて、目を背けたくなるくらいだ。

 

「君達はもう気付いている事だとは思うが……彼は、この国そのものだ。決して失われてはならない存在だ……絶対に、護り抜いてくれ。今度は、誓ってくれるかい?」

 

 そう――彼という、一人の心優しい、若く、未来ある、弱き民。

 民無くして国は無し。

 長門くんが叫んだように、彼こそが、彼のような一人の民こそが、この国そのものであり、この国の未来。

 この国に生きる全ての国民の中からたった一人選ばれただけの哀れな彼には、何を犠牲にしてでも護らなければならないものがある。

 彼に残された、自分よりも大切な、たった四人の肉親。

 千鶴くん、明乃くん、美智子くん、澄香くん。

 皆、とてもいい子だった。

 神堂くんが命よりも大切に思っている彼女達がただ願うのは、彼が無事に帰る事。

 彼女達の祈りを、裏切ってはならない。

 決して、失われてはならない。

 絶対に、護り抜かねばならない。

 

「――了解ッ‼」

 

 彼女達の一糸乱れぬ敬礼を見て、私は根拠も無しに、大丈夫だと思った。

 車に再び乗りこむと、運転手も目覚めていたようで、逃げるように慌てて車を発進させた。

 鎮守府正門から離れてしばらくすると、私の携帯電話から着信音が鳴り響く。

 確認すると、横須賀鎮守府正門前の監視施設の職員からのようであった。

 鎮守府内には、妖精のために提督以外の人員を配置できない為、防犯のための施設も外に設置しているのだ。

 私が応答すると、職員の慌てたような声が届いた。

 

「もしもし」

『あっ、佐藤元帥! 御無事でしたか⁉ 先ほどの戦艦長門の暴走は……』

「あぁ……あれは暴走などでは無いよ。少し言い忘れていた事があったらしくてね」

『そ、そうでしたか。モニター越しに見ていた私も一瞬気絶しそうになりましたが……それとは別に、一応報告です。佐藤元帥が到着する前に、出迎えの艦娘達が並んでいたのですが……そこで、いきなり軽巡大淀以外の六人が凄い形相で艤装を展開したんです』

「エッ」

『軽巡大淀が諫めたみたいですぐに引っ込めていたので何かの間違いだと思ったのですが、もしかしたら力づくで佐藤元帥を追い返すつもりだったのではないかと疑ってしまって』

「い、いや、大丈夫だ。それはきっと、何かの間違いだよ」

『それなら良いのですが……過激派に見られていたら大騒ぎされかねなかったですね。安心しました。失礼します』

 

 通話を切り、私は片手で顔を覆って大きく息をついた。

 ……うん、今ならわかる。きっと、これも神堂くんのせいなのだ。

 そう、元はと言えば、彼を送り込んだ私のせいだ。

 根拠は無いが、なんとなくわかる。

 きっとそうなのだ。

 

 ……緊急会議までの僅かな時間で、何とかうまい言い回しを考えなければならない。

 神堂くんを横須賀鎮守府に残し、彼女達の評判も落とさないような、上手い言葉を。

 穏便に事を済ませられなかった場合、おそらく彼女達は言葉通り、私達に逆らってでも彼を引き渡そうとはしないだろう。

 彼女達の思いはきっと、神堂くんでも止める事はできない。

 そうなれば、彼女達の立場はますます悪くなり、私達への信頼も悪化し、最悪の展開になるだろう。

 何とかして、それだけは避けなければ。

 胃がムカムカしてきたが、この程度、何てことは無い。

 

 私は運転手に声をかけた。

 

「ごめん、帰りにちょっと、薬局に寄ってくれないかな」

「薬局ですか?」

「うん、胃薬を買っておこうと思って……」

 

 窓の外に流れる景色を眺めながら、私は思う。

 私には彼女達に、あえて黙っている事がある。

 この数年間で、提督が不審死や行方不明になっている事。

 彼女達はそれが深海棲艦の仕業なのではないかと疑っているが――この国の平和は、他ならぬ彼女達のお陰で、まだ深海棲艦の脅威から守られている。

 私達もはっきりと尻尾を掴んだわけでは無いのだが、犯人の大体の目星はついている。

 

 ――人間なのだ。

 

 この国には基本的人権のひとつとして、言論の自由がある。

 故に、この国に生きる者の意思もまた、一枚岩では無い。

 

 艦娘達にしか対抗できない深海棲艦という驚異に晒されていながら、彼女達に守られていながら、彼女達の存在を否定する集団もいる。

 代案の一つさえも提示せずに、ただそれが気に喰わないからと、感情ひとつで騒ぎ立てる者達もいる。

 今の彼女達は兵器ではない、武力ではない。戦争をする為の力ではない。

 自然災害から、例えば河川の氾濫から街を護る堤防のようなものだ。

 大地震による津波からこの国を護る防波堤のようなものだ。

 堤防が決壊すればどうなるだろうか。防波堤が無ければどうなるだろうか。

 そのようにいくら説明をしても聞く耳を持たず、狂ったように戦争反対、この国に武力はいらないと叫び続ける者達がいる。

 愛を掲げ平和を胸に、正義の名の下に人を容易く傷つけられる者達がいる。

 

 提督達が不審死や行方不明となった犯人は未だ突き止められていないが――。

 着任し、指揮を執っている途中で、その役目から降りたがる者が増えた事。

 数は多くないが、たとえ提督の素質を持っていても、提督となる事を拒否する者。

 それらの原因は、確実にそれらのごく一部の人間なのだ。

 

 艦娘達について国民に周知する際、当然ながら提督の資質についても説明が成された。

 この資質が見つかった者には、協力をお願いしたいという事。

 それと共に、提督の資質を持つ者の指揮下に無ければ、艦娘達が本来の性能を発揮できないという事も説明が成されている。

 

 ゆえに、過激な思想を持つごく一部の者はこう思ったのだ。

 提督の資質を持つ者を何とかすれば良いのだと。

 

 ネット上に多くの情報が溢れるこの時代。

 まだ提督が国民の前に顔を出していたその時、提督の個人情報はいとも容易く突き止められた。

 その結果何が起きたか――過激派と呼ばれるごく一部の者達による、陰湿で執拗な、提督への嫌がらせだ。

 自宅に生卵を投げつけたり、玄関先に生ごみをバラまいたり、窓ガラスを割ったり、壁や扉に落書きをしたり、脅迫状が送り付けられたり――愛と平和と正義の名の下に、それらの心無い凶行は平然と行われた。

 提督のほとんどは、たまたま、偶然、提督の資質を持っているだけの一般人だ。

 そんな彼らが、時には家族さえも危機に晒され――そのような状態で、この国を護る為に戦えるだろうか。

 こんな者達を護る為に、艦娘達は、私達は命を張るのかと、嫌になってしまっても責める事はできない。

 

 現在、徴兵するかのごとく、提督となる事を強制する事は出来ない。

 あくまでも本人の同意が必要だ。

 だが、過激派の存在やその凶行はニュースや新聞でも報道されており、今では資質があっても提督となる事を拒否する者も多い。

 ただでさえ稀少な提督の資質の持ち主が、護るべき人間の手によって更に減らされているのだ。

 

 現在では、提督の個人情報は機密という事で厳密に扱われている。

 自衛の為に、鎮守府からの外出も極力禁じられており、執務により外出する必要がある際には公共機関の使用は禁じられ、艦隊司令部と艦娘の護衛と共に、司令部が保有している車や飛行機で移動する事となっている。

 提督となる者の身内についても、艦隊司令部が秘密裏に護衛しており、過激派の動きにも常に気を配っている。

 そんな中で提督になるのは、よっぽど愛国心が強い者か――艦娘を『兵器』と見なしているからこそ、自分の手でその力を振るいたいという欲望を持つ者か。

 

『艦娘兵器派』と呼ばれる派閥は後者に該当する。

 愛と平和を掲げて戦争反対、武力反対を叫ぶ過激派とは表面上は対立しており、艦隊司令部内にもその派閥に属する者は一定数存在する。

 彼らは艦娘達をかつてと同様、兵器として、道具として、人間が責任を持って正しく管理せねばならないのだと主張するのだ。

 その裏には、かつての大戦で活躍し、現代まで名が残る英雄たちと、自分達を重ねているのだろう。

 この国を護る艦娘達、それを従えた彼らの名を、後世にまで残したいと思っているのかもしれない。

 

 彼女達が護るこの国には自由があるし、権利がある。

 故に、その思想は様々だ。

 戦争反対、武力反対を叫び、艦娘を好ましく思わない者もいる。

 兵器だからこそ、人間が管理しなければならないと主張する者もいる。

 深海棲艦とも話せば分かり合えるのだと、根拠も無しに自ら船で近づいてあえなく攻撃されてしまった団体もいた。

 

 そして今、横須賀鎮守府の艦娘達は、ただの素人である神堂くんの指揮下で戦うと宣言した。

 それが何を意味するか。

 この国の保有する対深海棲艦戦力のおよそ四分の一が、実質的に艦隊司令部から離れ、彼一人の手に握られたという事だ。

 いや、国の中枢に近く、精鋭が集中して配属されている横須賀鎮守府だ。四分の一以上かもしれない。

 あの黄金色のオーラ、尋常では無い信頼……今の彼女達は間違い無く、この国最強の艦隊だ。

 

 そんなものが、ただ一人の素人の手に握られており、自分達では手出しが出来ない。

 しかも艦娘達は自分達の意思で作戦を練り、戦い、この国を護ろうとしている。

 艦娘の力を管理し、上から指示する事で戦果に干渉したがっている艦娘兵器派からすれば見過ごせる事ではないし、過激派に知られたら間違いなく彼に、彼の家族に、危害が加わるだろう。

 下手をすれば、艦娘兵器派すらも、彼を何とか失脚させようと権謀術数を画策するかもしれない。

 彼女達の力は、彼のような素人には勿体ない、と。

 

 私には到底理解し難い事だが……たとえそれでも、私達の理想とは相反するそれさえも、この国の一部だ。

 それらもひっくるめて、私達はこの国を護らなければならない。

 

 私は今、私の天命を理解した。

 きっと私はこの時の為に、元帥なんて地位に就いたのだ。

 

 心優しい一人の青年を、心無い世界に巻き込んではならない。

 この国を護る為に再び蘇った彼女達を、これ以上傷つけてはならない。

 提督になりたいと願った彼の思いを色褪せさせない。

 兄の望みを叶えたいと思った、彼の妹達の望みを叶えたい。

 

 神堂くんを護らなければならない。

 艦娘達を護らなければならない。

 彼が、彼女達が、安心してこの国を護り続けられるように。

 

 彼らが護るその背後から浴びせられる正義の矢の雨から、欲望の嵐から、私はこの身を盾にして、彼らを護ろう。

 たとえ胃に穴が開こうとも、体中が穴だらけになろうとも――。

 

 私に背中は任せてほしい。

 君達は前だけ見ていてほしい。

 

 欲望渦巻く汚い世界は、全て私が食い止めよう。

 彼と彼女達の目に映るこの国が、美しいままでいられるように。

 

 これが提督の資質を持たない、元帥である私にしかできない、私の戦い――これが私の戦場なのだ。

 焦りから彼を着任させてしまった私の、彼への、彼女達への贖罪なのだ。

 

 私は窓の外に広がる青い海に目を向けて、そして小さく呟いたのだった。

 

 ――誓うよ。

 

 まだ何もわからない内から、私と共に戦ってくれた君に。

 艦娘達の本来の性能を引き出せない、頼りない私をクソ提督と呼んだ君に。

 それでも必死に、この国を護ろうと毎日ボロボロになって戦ってくれた君に。

 作戦が上手くいかず、敗戦が重なっていたあの日、自らへの不甲斐なさと苛立ちから、たった一度だけ、大人げなく言い返してしまった私を残して出撃していった君に。

 仲直りをしようと買ってきた、近所で評判だった甘い苺のケーキを受け取る事なく、二度と帰って来なかった君に。

 謝る事さえ許してくれずに、この海に消えてしまった君に――。

 

 君の大切な仲間達を。

 青く静かなこの海を。

 この国の未来を。

 

 君がその身と引き換えに守ったものを。

 君が守りたかった全てを、今度こそ必ず守ってみせる事を。

 

「――見ててくれよ……曙くん」

 

 車窓越しに見える道端に咲いていた、ミヤコワスレの花が一輪、頷くように小さく揺れた。

 




大変お待たせいたしました。
これにて第三章の元帥視点は終了となります。
残るは第三章のラストを飾る提督視点になります。

実はつい先日までリアルの忙しさによりほとんど執筆できていなかったのですが、藤川さんの五周年記念イラストがまさかの間宮さんというサプライズにより戦意が高揚し、超特急で書き上げました。
あんなものに埋もれてしまっては神堂提督が一部の記憶を失い気絶するのも無理もないと思いました。

梅干しと海苔とお茶を集めながらこつこつ執筆していきますので、次回の提督視点も気長にお待ち頂けますと幸いです。お米はもういいです。







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