ラストダンスは終わらない   作:紳士イ級

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047.『考察』【艦娘視点】

「……そんな事が、あったんですね……提督のおかげでイムヤちゃんが……」

 

 提督のいない執務室。間宮さんが指で涙を拭いながら小さく呟いた。

 満潮を探しに別行動をしていた龍田さんや霞ちゃん達、入渠を終えたイムヤ達潜水艦隊も戻ってきて、執務室の中には、入渠中の八駆を除いたほぼ全ての艦娘が勢揃いしている。

 

 佐藤元帥を見送った後に合流した駆逐艦達によれば、提督が何やら一人になりたい、と言ってどこかへ向かったとの事であった。

 あの奇跡の光景を見逃してしまった間宮さん、鳳翔さん達から、一体何があったのかを問われた事もあり、私達は今のうちに情報共有をしておこうと思い、一度ここに集合する事にしたのだ。

 出撃していた六駆と潜水艦隊にもわかるよう、佐藤元帥の出迎えに始まり、浴場で明らかとなった提督の秘密、そして青葉が受けた提督からのお説教を挟み、満を持して提督の英雄譚、『癒しの桜』の章の名誉ある語り部となった私であったが、語り口に少々熱が入りすぎてしまったのか、間宮さんを含む一部の艦は涙を流してしまっていた。

 あの場では皆、必死に涙を堪えて敬礼していたわけで、改めて思い出すだけで私も涙ぐんでしまいそうになる。

 

「ひ、ひっく、ひっく、い、電は、電は、感動したのです……! 司令官さんは素晴らしいのです……!」

「わ、わかるよぉ、電ちゃん、う、潮も、潮もっ、ふぇぇぇぇ」

「ふぇぇぇん、うぇぇぇん!」

 

 電と潮と羽黒さんがまるで円陣を組むかのように固まって泣いていた。羽黒さんが一番号泣しているような気がする……。

 見方によっては臆病に見えるほど心優しく穏健派の三人だが、だからこそ提督の御言葉が何よりも心に響いたのかもしれない。

 べそをかいている電の隣で、雷が何やら満足そうに腕組みをしながら、うんうんと頷いている。

 

「雷もただ強いだけじゃ駄目だと思ってたのよ! 司令官はよーくわかってるみたいね! うんうん!」

「実にハラショーだ。ほら、暁もそろそろ泣き止んで」

「べ、別に思い出じで泣いでなんかいないんだがらね! グスッ……」

 

 ぐしゃぐしゃに泣き腫らした顔で暁は強がっていたが、むしろ泣いていない者の方が少ないこの空間で意地を張る必要も無いと思った。

 私だってあの奇跡的な光景と提督の声を思い出すだけで、数日は涙ぐんでしまうであろう。

 

「うっ、うっ……し、司令官が、そんな……」

「うわぁぁーーんっ! 提督、死んじゃ嫌なのーーっ!」

 

 潜水艦隊もすすり泣いていたが、遂に我慢ならなくなったのか、イクが大声で喚いた。

 気持ちはわかるが、私はそれに対して冷静に声をかける。

 

「イク……それに他の皆さんも。提督の病に関しては、いえ、それだけではなく浴場を通して知り得た情報に関しては、今後一切、決して触れないようにして下さい」

「グスッ、な、なんで……? イク、心配なの……」

「先ほども説明しましたが、提督は私達の犯した愚行を、青葉一人だけしか聞いていないという事で手打ちにしてくれたんですよ。つまりそれを知らないはずの私達が提督のお身体を心配するという事は、その提督の配慮を踏みにじる事になりますし、青葉の信頼を損ねるという事にもなります」

「うぅっ……わ、わかったの……」

 

 しゅんと肩を落としてしまったイク達に、長門さんが優しく微笑みながら力強く声を発した。

 

「行動で示せば問題ないんだ。それを言葉にしなければ良い。そうだろう? 大淀」

「はい。提督のお身体を気遣う言葉を発するのは問題ですが、提督の負担を軽減すべく各々が働く事については問題ありません」

「皆、そういう事だ。言葉にできぬのは辛い事だが、せめて行動で提督を気遣おうじゃないか! 我々のその気持ちは、きっと提督も理解して下さるはずだ!」

 

 長門さんの檄に、潜水艦隊や駆逐艦達もこくこくと頷いた。

 こういうカリスマでは私も敵わない。流石は横須賀鎮守府のリーダーだ。

 皆が涙を拭ったところで、鳳翔さんが口を開いた。

 

「ところで、話を聞く限りでは、提督が何も指示を出さないにも関わらず、提督から飛び出してきた妖精さん達が自主的に働いていたとの事ですが……私にはまるで想像がつきませんね」

 

 鳳翔さんの言葉も当然の事だ。

 私達だって、この目で見ていなければ信じる事が出来ないような、本来ありえない光景だった。

 季節外れの桜吹雪や、天から響く荘厳な音色などの前に、まずはそれだ。

 妖精さんが、提督から飛び出してきた事。

 提督が一言も口にしていないのに、まるで提督の意志を汲み取ったかのように動いた事。

 そんな光景は、私達が艦娘として生を受けてからの数年でも、一度も見た事が無いものであった。

 

 疑っているわけではないのだろうが、考え込んでいるような鳳翔さんに、龍驤さんが声をかける。

 

「誰が言い出したのかは知らへんけど、妖精さん達は清き心身を持つ者の前に姿を現すっちゅー噂や。あの司令官なら、常識では計れんほど懐かれても……まぁ、納得がいくわなぁ」

「それに加えて、私達の想像が確かであるならば……血筋もあるかもしれないわね」

「えぇ、加賀さんの言う通り……もしもそうであるならば、妖精さん達が異常なほどに提督に懐いていたとしてもおかしくは無いと思います」

 

 加賀さんの言葉を、赤城さんも肯定して言葉を続けた。

 元々、佐藤元帥は提督の名前すらも口に出来ないほどに、提督の情報について伏せていた。

 それはつまり、声を大にして言えないような立場にあるという事だろう。

 にも関わらず、佐藤元帥が「彼はこの国そのものだ」などと、わざわざあのような意味深な言い回しで私達に伝えたという事は、暗に私達にそれを知っていて欲しかったという事であろうと思う。

 それを知っていれば色々な事が納得できるし、何よりも、そんな御方が直に私達の指揮を執るという事の重大さが嫌でも理解できた。

 感極まるほど嬉しいと共に、身に余るほどの光栄であり、それに匹敵して責任重大な責務である。

 妖精さん達が今までの常識を覆すほどに、提督の為に自ら働いていたように、私達も今までの働き方ではいけない、と思う。

 

 提督の血筋については、駆逐艦達も含めて大体理解できているようであった。

 私が佐藤元帥の言葉をそのまま伝えた瞬間、駆逐艦達も目を丸くしてざわついていたからだ。

 磯風だけがうざったいほどのドヤ顔で腕組みをしていたが、何も口にしていないのに谷風に首を絞められていた。

 気持ちはよくわかる。

 

「それにしても、提督が特別だとしても……何やら妖精さん達の服装も普段見ないものでしたね」

「うむ。横須賀鎮守府の目、この利根の目に狂いは無いぞ。桜色のあれは、法被じゃな。その背にはさくらんぼの意匠が見えたのう」

「流石です、利根姉さん。あの桜の花びらと、何か関係があるのでしょうか」

 

 利根さんと筑摩さんの言葉に、室内の全員が少しばかり考え込んでしまった。

 あんな恰好をした妖精さんなど、今まで見た事が無い。

 だが、その挙動や能力を見るに、どうやら新種の妖精さんというわけではなく、工廠や補給担当の妖精さん達が、まるで制服のように桜色の法被を身に纏っていただけのようだった。

 あの法被が提督に深く関わっているという事は明白だろう。

 妖精さんはその見た目通り、可愛らしいセンスをしている。

 故に、桜の化身かと見紛うほどの提督と桜繋がりで、単にさくらんぼをチョイスしたというだけの可能性もあるが……そんな単純なものだろうか。

 そもそも、何故、法被……。

 

 足柄さんが小さく唸りながら、口を開いた。

 

「法被について単純に考えれば、お祭りの時に着用する伝統衣装よね」

「うむ……祭りというのは様々な意味を持つが、起源を辿れば『(まつ)る』という意味もある。神への祈りという意味だな。桜の法被……まるで提督から飛び出してきたように見えたあの妖精達は、提督を祀っていた……という事だろうか」

「那智の言う通り、そう考えるのが自然かしら。提督の血筋を考えれば、祀られる立場にあってもおかしくは無いわね。つまり提督は神……?」

「かの血筋であるならば、神の血を引いていると言っても過言では無いだろうな……」

 

 妙高さんと那智さんが声を潜めながらそう言った。

 提督の素性については、あまり大きな声で話せる事ではないからであろう。

 妖精さん達が何の意味も無く法被を着用するとも思えない。

 意味があるとするならば、法被を着用するという本来の意味を紐解いて、妙高さん達が話していたような事に必然的に結びつくだろう。

 その血筋を考えれば決して大袈裟な仮説ではなく、むしろ当然の事にすら感じられる。

 

 妙高さん達の話を聞いて、間宮さんが思い出したかのように声を上げた。

 

「そ、そう言えば、金剛さんの建造に成功したあの日、妖精さん達は提督を囲み、まるで提督を祀っているかのように踊っていました……! そうですよね、鳳翔さん⁉」

「確かに、あの時は単に微笑ましいとしか思っていなかったですが……今思えば、まるでお祭りのようにも見えましたね。何かの音頭さえ流れているのではと思うほどでした」

「や、やはり提督は妖精さん達に祀られるほどの存在……!?」

 

 間宮さんと鳳翔さん、そして伊良湖さんしか目撃していない光景らしいが、どうやら以前もそのような事があったらしい。

 私の脳内に、ある幻想的な光景が不意に浮かんだ。

 一本の桜の大樹――御神木の周りを、妖精さん達が踊っているのだ。

 舞い散る桜の花びら、その周りを飛び交う妖精さん……まるで先ほどの奇跡の光景、『癒しの桜』そのものだった。

 

「うーん……さくらんぼ食べるのは私も好きですけど……そんなの関係無いですよね。妖精さんから見て、さくらんぼが提督さんを象徴するシンボルという事でしょうか……」

 

 そう呟いた鹿島に、香取さんが閃いたかのように微笑んだ。

 

「なるほど。鹿島、その解釈は案外当たってるかもしれないわね」

「えっ、香取姉、どういう事?」

「あの光景、散りゆく花びらを見て、私はその儚さと提督をただ重ねてしまったけれど……提督は散りゆく花弁では無くて、果実のようなものであると妖精さん達は捉えているのではないかしら」

 

 香取さんの言葉に、納得がいったというような表情をしたのは数名だけであった。

 他の面子は、言っている意味がわからないという風に首を傾げたり、近くの者に相談したりしている。

 無論、私は香取さんの言いたい意味が理解できていた。

 香取さんは、まだ意味がわかっていない様子の鹿島に対して、言葉を続けた。

 

「鹿島もさくらんぼを食べるのは好きだと言っていたけれど……果実とはつまり、恵みを与えてくれるもの。その恵みを求めて、実をつけた樹には多くの鳥獣が集まるでしょう?」

「……なるほどぉ! つまり提督さんがさくらんぼだとするなら、私達がその恵みを受ける鳥さん達みたいなものという事ですね! 流石、香取姉!」

「フッ、確かに御召艦たるこの磯風の司令は少し甘すぎるところがあるからな。果実なだけに……ウゴゴ、お、おい浦風! やめろ! 裸絞めは危ない!」

「いつ磯風が御召艦になったんじゃ! まったく、甘いと言うんなら提督は磯風を甘やかしすぎなんじゃ……!」

「そ、それは司令の片腕ゆえにだな……そ、それより浦風、さっきから何か怒っていないか⁉」

「ふんっ、知らんわい!」

 

 ドヤ顔でうまい事を言おうとした磯風が浦風にシメられていたが、それは置いておく。

 香取さんの仮説に、鹿島含む他の艦娘達も納得したような表情を浮かべていたが、おそらく、それではまだ半分だ。

 私は香取さんに声をかける。

 

「そして、果実は食べて終わりでは無い、という事ですよね?」

「えぇ。流石は大淀さんです。鹿島、さくらんぼを食べた後には、必ず残るものがあるわよね?」

 

 香取さんの問いに、鹿島は小首を可愛らしく傾げた。

 

「えぇと……茎と種? そうそう、私、さくらんぼの茎を口の中で結ぶの得意なんですよ! えへへっ」

「鹿島の特技は置いておいて……そう、種が残るわね。鳥や獣に食された果実は、ただ恵みを与えるだけではなく、別の地に運ばれた種はやがて芽を出し、成長し、長い時の果てにより多くの果実をつける大樹となる……つまり、妖精さん達は、提督の事をそのような存在であると捉えているのではないかしら」

 

 そう。私も同じ結論に辿り着いた。

 さくらんぼの果肉は、思わず頬が綻んでしまうほどに甘い。

 それはまるで、提督が私達に与えてくれた優しさのようだ。

 その恵みを享受するのが私達艦娘であるとするならば、その種を運び、いつかまた実をつける手助けをするのも私達だという事だろう。

 種というのは提督の持つ知識であったり、考え方であったり――それらを総称して提督の領域と名付けるのであれば、つまりそれを私達が伝え続けなければならないという事。

 熟した果実が数日で腐り落ちてしまうように、不治の病に侵されている提督の命は、長くないかもしれない。

 だが、それで提督の領域が死ぬわけではない。

 人は何かを遺して、それを誰かが伝え続けて、誰かの中で生きていく。

 私達がそれを伝え続ける限り、きっと提督は死なないのだ。

 たとえ提督がこの世界からいなくなっても、私達の中で、誰かの中で、提督は生きていく――。

 

 提督が与えてくれる甘い恵みに、ただ口を開けているだけでは駄目だ。

 それを運び、その身に携え、広め、育てる事――それこそが、私達に課せられた役目なのだろう。

 

 ぽんと手を叩いて、鹿島が納得のいった表情で明るく口を開いた。

 

「そういう事ですか! つまり私達艦娘は、提督さんの種を遺す為の役目を担っているという事ですね!」

「ちょ……! ちょ、ちょっと鹿島、何を」

「えっ? 鳥さん達が種を新天地に運ぶように、私達が提督さんの知識や思いを受け継がなくてはならない、って話じゃないの?」

「あ、あぁ、わかってるのね……いえ、さっきの言い方だと、その、ね?」

 

 香取さんがこそっ、と鹿島の耳元に口を当てた。

 鹿島の頬がみるみるうちに赤く染まる。

 

「……あ、えぁぁっ……⁉ ちち、違うんですよ⁉ 香取姉っ、そそ、そういう意味では決してっ! そんなつもりは無くてっ!」

「わ、わかったわ、わかったから落ち着いて」

 

 見ている方が恥ずかしくなるほどに取り乱していた鹿島であったが、やがて耐えられなくなったのか、両手で顔を覆い隠してしまった。

 本人は深く考えずに発言したようであったが、そのせいで室内に何とも言えない微妙な空気が漂ってしまう。

 多かれ少なかれ、誰もが()()を想像してしまったのだろう……私もまた然り、顔が赤くなっていない事を祈るばかりだ。

 駆逐艦達も大勢揃っているこの場だ。何というか、非常に気まずかった。

 彼女達も見た目ほど子供では無いわけで、それ故にそれなりの知識はあるようで、ほとんどが顔を赤く染めていたり、視線をきょろきょろさせていた。

 

「ねぇ響? 何で皆黙ってしまったのかしら」

「……暁のそういうところ私は実にハラショーだと思うけれど、ここは黙っていた方がいいと思うよ」

「あら~、暁ちゃん可愛い~♪ 天龍ちゃんもそう思わない~?」

「あぁ? ンな事より龍田、何でアイツら妙な顔して黙っちまったんだ?」

「……」

 

 生暖かい目で微笑んだまま黙ってしまった龍田さんが首を回して私の方を見たが、気付かないふりをした。

 流石に私と言えども、そこまで説明したくない。

 空気を変えるべく、私は大袈裟に咳払いをした。

 

「んんっ! と、ともかく、香取さんの仮説には筋が通っていますね。提督が私達に与えてくれた甘い恵みは、まさに果実のそれと言えるでしょう。ならば、その種……提督の領域を受け継ぎ、広く伝え、育て、やがて今の提督をも超える大樹を育てる事こそが、その恩恵を享受した私達の役目。まるで桜の化身とすら思えた提督のシンボルとして、桜の花弁ではなくさくらんぼを選んだ妖精さんの意図とも矛盾していないように思えます。そして妙高さん達の仰った通り、あえて法被を纏っていた事から、妖精さん達が提督の存在を祀っていたというのも、血筋を考えればごく自然なことのように思えますね」

「そ、そうね。ところで、その提督は? 満潮を慰めてくれていたとは聞いていたけれど……」

 

 上手く話題を変えようとした夕張の言葉に、天龍があっけらかんと答える。

 

「あぁ、まだ工廠裏の倉庫にいると思うぜ。なんかまだ落ち込んでるから一人になりてぇってよ」

「工廠裏の倉庫……えぇっ⁉ ちょ、ちょっとぉ! あんな全然片づけられてないところ見られて……⁉ あぁっ、ど、どうしよう……! 装備の整理整頓も出来ない兵装実験軽巡だって思われちゃうじゃない! お、大淀っ! 私、ちょっと行ってくるね!」

「えっ、あ、夕張っ……?」

 

 私が返事をする前に、夕張は勢いよく執務室から駆け出して行ってしまった。

 まるで片づけられていない自分の部屋を見られたかのようなリアクションであったが、装備担当を自称しているだけに思うところがあるのかもしれない。

 

 ここ一年、前提督の指揮下では装備品の開発はともかく、廃棄などの整理整頓についてはそこまで重要視されていなかった。

 何故ならば、それをどれだけ徹底したからといって、何の戦果にもならないからである。

 そんな事に時間を割いている暇があったら、出撃して戦果を挙げろというのが前提督の方針であった。

 勿論、強力な装備の開発にも勤しんではいたものの、お目当てのもの以外には目もくれず、かといってすぐに廃棄もしない。

前提督は「いつか使うかもしれない」と言って、使わないにも関わらず、何がどれだけあるのか把握できていない装備品をいつまでも取っておこうとする癖があった。

 許可が出ないものを勝手に廃棄するわけにもいかず、私達はいわゆる「ハズレ」の装備を工廠裏の倉庫に乱雑に押し込むしかないのだった。

 横須賀鎮守府全体の運営に関わる事なのだから、夕張だけが恥ずかしがる事では無いと思うのだが……。

 

「まったく。夕張ったら、提督は一人になりたいらしいのに……じゃあ私も行ってくるね。夕張と二人で工廠担当だし」

 

 小さく息をついてから、明石もそう言って執務室から出て行った。

 その様子を見て、青葉が何やら面白いネタでも嗅ぎつけたかのような表情を浮かべる。

 

「おやおやぁ? 何やら美味しそうなネタの臭いがしますねぇ~」

「……青葉。貴様、わかっているとは思うが」

「わ、わかってますよぉ那智さん。冗談ですって」

 

 お互いに本気では無いのだろうが、那智さんの牽制に青葉は大袈裟に返答した。

 あの場で自分一人で罪を被ろうとした青葉には頭が上がらないが、すっかり元気を取り戻した青葉はむしろ、提督のありがたい御言葉を頂けたのだから役得でしたなどと言ってくれる。

 それは確かに羨ましい事で、正直嫉妬してしまったが……提督にお説教される為には何かしでかさないといけないわけで、それはそれで難しい。

 ともあれ、青葉にはすでに、青葉一人しか聞く事のできなかった提督の金言について話してもらっている。

『握れば拳、開けば掌』……提督の考えを端的に表した諺だと言えよう。

 だからこそ、提督は青葉をこの諺を用いて諭したのだ。

 青葉が話したこの言葉に最も強く反応を示したのが、この場で一番号泣していた三人組である、電、潮、羽黒さんだった。

 おそらくその言葉の持つ意味が、三人の琴線に触れたのだろう。

 

 提督が語った言葉は、その諺の持つ本来の意味を更に拡大解釈していると言ってもいい。

 本来は、握れば人を傷つける拳に、開けば人を慈しむ掌に変わるように、気持ちひとつで物事が形を変える事を意味する。

 だが、提督はそれに加えて、その拳で人を護る事も出来る、その掌で人を傷つける事も出来るという事も付け加えた。

 大切なのは、扱う者の意志。拳も掌もその使い方次第――前提督がその掌で、その目つきが気に入らないという理由で荒潮の頬を張っていた事を思い出す。

 

 きっと、提督の掌はそんな事には使われない。

 もっと大切な事の為に、大切なものに触れる為に、大切なものを包み込む為に使われているのだろう――。

 

 青葉は胸を張って、那智さん達に主張した。

 

「青葉は心を入れ替えました。これからは艦隊新聞に低俗な記事を載せない事を提督に誓います」

「フン。以前、軽巡乳比べなる記事を載せた奴の言葉とは思えんな」

「な、那智さぁん! それは昔の話ですって!」

 

 那智さんの言った記事は、数年前にネタに困った青葉が載せた最低の記事の事だ。

 入渠施設の脱衣所で息を潜めて私達軽巡洋艦の着替えを盗撮し、目測で胸の大きさを計り、掲載するという、本当に最低の記事だった。

 そもそも普段一緒にお風呂に入ったりしているわけで、何故わざわざ盗撮するような真似をしたのか。

 その時の青葉の言い訳は「つい出来心で」との事だったが、ネタに困った記者とはあんなにも哀れな存在になるものなのだろうか。

 無論、記事にしたという事は私達もそれを目にするというわけで、当時の提督の目に入る前に回収され、呆れる私達の前で龍田さんと神通さんにみっちり絞られたわけだが――。

 

 その当時の事を思い出したのか、青葉は何かに気付いたように言ったのだった。

 

「あっ、軽巡乳比べと言えば……提督の直感、あれは只事では無いですよ」

「直感? どういう事だ」

 

 青葉の言葉に、長門さんが怪訝そうに言葉を返した。

 

「今回、青葉の潜入がいとも容易くバレた事ですよ! 軽巡乳比べの時は誰にも気付かれなかったでしょう。しかし、提督は怪しい気配を感じたといって、すぐに青葉の存在を看破したんです!」

「……ふむ。何か物音でも出してしまったのではないか?」

「いえ、まったく。青葉に隙はありませんでした。今回の気配の消し方も完璧であったと自負しています」

「確かに、あの時は私達も青葉が潜んでたなんて気付かなかったからね。今回の提督も条件は同じ……そうなると、え? 私達より索敵能力、上ってこと……?」

 

 川内さんが若干顔を引きつらせながらそう言った。

 提督の護衛を申し出たという川内さん達にとっては、見過ごせない情報であろう。

 何しろ、自分達が気付かない脅威に、提督が先に気付く可能性が出てきたからだ。

 勿論、重視されるのは索敵能力だけではなく戦闘力の方なのだから問題は無いのだが、だからといって護衛する側としては胸を張れる事では無いだろう。

 

 少し考え込んでから、神通さんが口を開いた。

 

「索敵能力というより、提督は感覚が鋭い御方なのかもしれませんね。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、そして第六感……それらの何かで、青葉さんの存在を感じたのかもしれません」

「味覚が鋭ければ磯風の秋刀魚は完食できんと思うんじゃが……」

「そこは提督の優しさでしょうか……」

「お、おい浦風! お前、なんでさっきからそう厳しいんだ! 神通もわかってないようだが、あれは優しさではなく、この磯風の忠誠が通じたからこそ……」

 

 磯風の言い分は置いておいて、提督の直感が鋭いというのは何となく理解できる。

 何というか、類稀なる頭脳による神算鬼謀だけではなく、天啓的、神がかり的な直感も、提督は持っているような気がするのだ。

 むしろそれがあるからこそ、僅かな情報や違和感から敵の侵攻を導き、そこからその頭脳で最善手を導いているような、そんな気がする。

 もしかしたら、その直感とやらも、実は神託のようなものなのかもしれない……。

 

 人を見る目には定評がある加賀さんが、騒ぐ磯風に構わないように口を開く。

 

「第六感もだけれど、提督が特に優れているのは、あの眼……まるで私達とは異なるものを見ているような気さえするわ」

「加賀さん……どういう事ですか?」

「そうね。先の迎撃作戦においても、まるで水平線の向こう側が見えているかのような指揮……それに、私達でさえも気付いていなかった春日丸の夜間戦闘能力を見通していたかのような実戦配備。性能では決して計れない鼓舞能力を評価しての、天龍の旗艦抜擢……どれも、目に見えないものを見通したかのようだわ」

「なるほど。思い返してみれば、提督はたまに、私達艦娘をまるで見定めているかのような視線で見つめる事がありますよね」

「えぇ、おそらく私達の性能を計っているのでしょうね」

 

 加賀さんと赤城さんの会話に、他の面子も思い出したかのように頷いた。

 確かに、たまに提督から視線を感じる事があったり、他の艦娘達をじっと見つめているところを目撃したりという事が、この三日間で何度かあった。

 春日丸や天龍のように、本人でさえも気付いていない性能外の能力についても見通しているのかもしれない。

 言葉にするなら、まさに千里眼、心眼、いや、神眼……?

 

 ただ一人、瑞鶴さんだけが呆れたような表情で、加賀さんに顔を向けた。

 

「いやいや……提督さんが立派な人だってのは私も認めるけど、あれは違うと思うけどなぁ」

「だったら何だと言うのかしら」

「それは……まぁ、その、下心的な?」

「哀れね」

「な、何ー⁉」

 

 加賀さんから一蹴された瑞鶴さんの言葉だったが、瑞鶴さんは昨日からやけにそういう事を主張する。

 確かに提督も若い男性だ。そのような事を危惧する気持ちもわからないではないが、提督はそのような次元に無いという事がまだ理解できないようだ。

 その言葉のせいで、また執務室に微妙な空気が広がってしまったが、流石に本気で考えている者は他にはいないようだった。

 龍田さんも可愛いものを見るかのような視線を瑞鶴さんに向けている。

 

「加賀さん達、少し提督さんの事、神格化しすぎだと思うんだよね。提督さんも人間だよ? 私達にそういう目を向けたって、何もおかしくは無いでしょ」

「瑞鶴、貴女……提督の想いを理解して、よくもそんな事が言えるわね」

「べ、別に貶めたいとか、嫌ってるわけじゃないよ⁉ 提督さんの想いは、まぁ、理解できたし……優しい人だってのもよくわかったし、あの提督命令を聞いて、信頼してるし、尊敬だってしてる。提督さんが下心抱いてたって、別に嫌いにならないよ。ただ、それならそれで、隠し事されてるのが、何か、ちょっと、なんとなく、気に入らないってだけで……」

「貴女がそう思うのは自由だけど……次からは大声で主張するのは、はしたないから止めておきなさい。駆逐艦達に悪影響だわ」

「ふんっ、言われなくたって、好きにさせてもらうわよ。加賀さん達こそ、勝手に神格化しすぎて、あとで幻滅しないようにね」

 

 腕組みをして顔を背けた瑞鶴さんを、翔鶴さんが宥めている。

 まぁ、考え方は自由だ。瑞鶴さんは口ではあぁいう事を言うが、「提督さん」と呼んでいる事からもわかるように、すでに提督の事を信頼している。

 それに、あの奇跡の光景を目の当たりにして、なお提督に不信感を抱くなどできるはずもない。

 瑞鶴さんが提督の事を信頼しつつ、実は下心もあるのではないかと疑う事は、矛盾する事では無いだろう。

 それはむしろ、「もっと提督の事を知りたい、本当の提督を見てみたい」という感情の裏返しなのだから――本質的には、それはきっと、私達と何も変わらない。

 

 瑞鶴さんの言葉による微妙な空気を再び払拭すべく、私はふと気になった事を口にした。

 先ほど龍田さん達と帰ってきた霞ちゃんに目を向ける。

 

「そう言えば、霞ちゃん……あの後は大丈夫だった?」

「? あの後って何よ?」

「ほら、提督のお尻を蹴り上げて……何か言われなかった? 流石に注意されたりとか……」

 

 そう、私も少しばかり、それが気になっていたのだ。

 歓迎会の際にも提督に対して失礼な言葉を浴びせていた霞ちゃんであったが、それを提督は見事に受け止めてみせた。

 今回の霞ちゃんの行動も、当然提督を思っての事なのだが、如何せん過激すぎる。

 流石にお尻を蹴り上げるというのは失礼すぎるのではないだろうかと、流石の提督も怒るのではないかと、それだけが心配だった。

 

 霞ちゃんは少しばつの悪そうな表情を浮かべて、僅かに迷ったように見えた。

 そして、視線を逸らしながら唇をとがらせ、小さく呟く。

 

「……お礼言われた」

「えぇっ⁉ な、何て言われたの⁉ そこのところを詳しく!」

「お、大淀さん、なんか怖いんだけど……うわっ、ちょ、ちょっと皆……⁉」

 

 私だけではなく、他の艦娘達の視線も一斉に霞ちゃんに向けられた。

 横須賀鎮守府のリーダーが滑り込むような勢いで、霞ちゃんの前に駆け寄って正座していた。

 おそらく、提督に褒められたいと昨日から連呼している為、聞き逃せないと思ったのであろう。カリスマが台無しだった。

 霞ちゃんはその圧に文字通り圧倒されそうになりながら、何とか言葉を紡いだ。

 

「その……私が活を入れなかったら、まだ情けない姿を見せていただろう、助かったって……」

「……あ、足柄さん……!」

「えぇ、わかるわ……」

 

 ――私の心配など、杞憂であった。

 思わず足柄さんと視線を交わし、瞳を潤ませてこくりと小さく頷いた。尊い……!

 

「霞やるなー……あたいでも流石にあの司令にケツバットは躊躇すんぜ……」

「さっすが霞ちゃんね! 霞ちゃんを称えよー!」

 

 清霜の拍手に続いて、執務室の全員がスタンディングオベーションを送った。

 霞ちゃんは顔をきょろきょろさせて「なんなの⁉ なんなのよ⁉」などと叫び、混乱している様子であった。尊い……。

 

「そ、それで、他に何か言ってなかったですか?」

「……その、これからも、司令官が情けない姿を見せたら、遠慮なくお尻を蹴り上げていいって……ニコッと笑いながら……」

「えぇっ⁉ に、ニコッと、提督がニコッと笑ったんですか⁉」

「お、大淀さん、なんでそんなに食いついて……」

 

 霞ちゃんが若干引いているようだったが、食いついていたのは私だけではないようだった。

 私は思わず霞ちゃんの肩を掴んでしまっていたが、主に駆逐艦よりも大型の艦娘達が霞ちゃんに詰め寄っていた。

 しかし、あの鉄仮面の提督がニコッと笑ったなどと聞かされては、それを想像してしまっては……み、見たい!

 いや、それだけではなく、提督が私達に求めている重要な資質――やはりそういう事なのだろうという確信に繋がる。

 それに気付いたのは私だけではなく――香取さんと、妙高さんも同様のようであった。

 

「フフフ、なるほどな。つまり提督を励ますにはケツを蹴り上げるのが一番という事か」

「天龍ちゃんはやめといた方がいいと思うわよ~?」

 

 天龍は理解できていないようであったが、勿論そういう事ではない。

 このままでは提督に褒められたいがあまり、霞ちゃんの行動の表面だけを読み取って提督のお尻を蹴り上げる艦娘が続出しかねない。

 提督のお尻の危機を防ぐべく、私はコホンと咳払いをしてから口を開いた。

 

「提督は霞ちゃんの気持ちをしっかり理解できていたというのは当然ですが……元々、提督はそういう資質を重視してはいたんですよね」

「ど、どういう事よ?」

「提督が秘書艦として最初に想定していたのが、香取さんと妙高さんだったという事がそれを示しているんですよ。お二人とも、提督に対して厳しく諭す、諫める強さを持っていますよね。提督は、ご自身の弱点、弱さを理解しています……あの優しさ、甘さは、美点にして弱点。先ほどのように情けない姿を見せる事もある……そういう時に背中を押す事が出来る、それこそが、提督が艦娘達に求めている資質のひとつという事です。特に今は、提督の血筋を知ってなお、厳しく諫める事が出来る……ただそれだけで、提督にとってとても貴重な存在に成り得ると思います」

 

 私の言葉に、他の皆も納得したように大きく頷いた。

 上司を諫める部下というのは、人によっては疎まれる存在であろう。

 いかに忠臣であろうとも、それを疎まれた故に切り捨てられ、結果としてその組織が崩壊するという事例は後を絶たない。

 長い歴史がそれを証明しているし、前提督の指揮下においてもそれは実感できていた。

 

 だが、提督はあえて、自分を諫める事のできる存在を求めている。

 提督が霞ちゃんを怒らないのは、その根底に提督を思う気持ちがあるからだ。

 そしてあの場で、呆けてしまっていた私や香取さん、妙高さんよりも誰よりも先に駆け出す事が出来たのは霞ちゃんただ一人。

 表面の厳しさだけに囚われず、その内面を評価されて当然であろう。尊い……。

 

 提督の弱点がその底無しの優しさにある事が、あの奇跡の光景から理解できた。

 あの時提督はイムヤを抱きしめ、咽び泣いていたが、最善手を言うならば、そんな事をしている暇は無かった。

 霞ちゃんが活を入れたように、少しでも早くイムヤを入渠させるべきであったのだ。

 そうすれば、その分だけ早くイムヤは回復できた。

 つまり、その優しさのあまり、提督は判断が遅れてしまう可能性がある。

 今後もそういった事は起こりうるであろうし――それを考えれば、時には厳しく、しっかりと諫める事が出来る存在こそが、提督の片腕として相応しいとも思う。

 

「提督の評価は光栄ですが……今の私に提督を厳しく諭す資格なんてありませんよ……」

「妙高姉さん……」

 

 妙高さんが自嘲気味にそう言った。

 こんな妙高さんを見るのは初めてかもしれない。足柄さんも心配そうな目を向ける。

 昨夜の歓迎会で、提督が足柄さんのカレーを食べなかった事を想定内なのだと疑ってしまった事を気にしているのだろう。

 妙高さんの気持ちもわからないでもないが、せっかく提督に認められている数少ない艦娘なのだ。

 辞退するにはあまりにも勿体ない。気持ちを切り替えて欲しいものだが……。

 

「ふむ。妙高姉さんがそう言うならば……わかった。その役目、しばらくは妙高姉さんに変わってこの那智が請け負おう」

「え? 那智が……?」

 

 妙高さんが何とも言えない目を那智さんに向けた。

 

「何だその目は……まぁ確かに、この那智はこの手の事は苦手なのだが……心を鬼にしよう」

「いやいや得意分野じゃろ。強いて言うなら手加減が苦手の間違いじゃろうが」

「利根っ! 貴様ァーーッ!」

「ぐぉぉーーッ⁉ 筑摩ーーっ! ちくまぁーーッ⁉」

 

 呆れたように皮肉を言った利根さんが締め上げられていた。

 慌てた筑摩さんに宥められている那智さんだったが、利根さんの言った事は案外間違ってないような気がする……。

 私が言うのもなんだが、那智さんで大丈夫だろうか……。

 おそらくは、妙高さんの代わりというのはただの口実に過ぎず、実際のところは「提督の片腕」の座に近づきたいという意図があるように思える。

 

「微力ながら、私も力になりましょう」

「じ、神通さん?」

「はい。提督がそれをお望みであるならば、得意ではありませんが、私も努力しようと思います。心を鬼にして……」

 

 不意に、覚悟を決めたような表情の神通さんがそう口にした。

 瞬間、室内の駆逐艦達の顔が何かに怯えるような表情で固まったのは気のせいだろうか。

 数人の駆逐艦は提督に同情しているような顔をしていた。

 秋雲は声を発していなかったが、明らかに「ウゲェェェーーッ!?」と脳内で叫んでいたのが表情だけでわかった。

 気持ちはわかるが神通さんを何だと思っているのだろうか……。

 

 神通さんもまた、那智さんと同様に提督の力として一歩先に行きたいという魂胆があるのだろう。

 提督が弱いところを見せた時に諫める、(たしな)める、諭す力……神通さんならば那智さんより適正はありそうだが……。

 普段は大人しく、気弱な印象の神通さんにここまで言わせる提督の魅力は計り知れない。

 

 ザッ、と同時に足を踏み出すような音がした。

 

「――どうやら私の出番ね」

「おいおい、まさか私を置いて行く気じゃないだろうな?」

「フッ、お前達だけにいい恰好はさせんぞ……ウゴゴゴ! お、おい、やめろ浦風! なんだその技は! これは御召艦にして提督の片腕たるこの磯風の役目で……!」

 

 加賀さん、長門さん、浦風にコブラツイストをかけられている磯風であった。

 大人しく英気を養っていて欲しかった。ついさっきもこの光景を見たような気が……。

 提督が片腕として重視している資質をここで口にしてしまったのは失言だっただろうか……。

 気が付けばその座を狙う艦娘達が、異なる組織に属するチンピラのごとく至近距離で睨み合って醜い争いを繰り広げていた。

 

「貴女達の出る幕は無いわ。ここは譲れません。提督の背を押すのも鎧袖一触よ。そう、心を鬼にして……」

「フッ……この長門を侮るなよ。今度情けない姿を見せた時、提督との殴り合いなら任せておけ。そう、心を鬼にして……」

「奴を殺す気か貴様は……! この那智が請け負うと言っているだろう。そう、心を鬼にして……」

「いえ、ここはこの第二水雷戦隊旗艦、神通が行きます。心を鬼にして……」

「この磯風、たとえ司令が相手でも容赦なぞしない。そう、心を鬼にしてな」

 

 誰かに止めて欲しかったので私は他の皆を見渡したが、皆見て見ぬふりをしているようであった。

 

「那智はともかく、足柄はいいの?」

「私はそういうのは性に合わないから……那智姉さんに任せるわ。いえ、むしろここは秘書艦の出番じゃないかしら⁉ さぁ羽黒! 霞ちゃんを見習って提督に活を入れるのよ! みなぎってきたわ!」

「む、無理ですぅ‼ 絶対に無理ですぅっ‼」

 

「利根姉さん、私達は……」

「性分に合わん事を無理にする事もあるまい。得手不得手もあるじゃろう。吾輩達は普段通りで構わんと思うぞ」

「利根姉さん……流石です!」

 

「千歳お姉はどうするの?」

「私もそういうのはちょっと苦手だから、那智さん達に任せるわ。むしろ私的には落ち込んでる時には慰める方が……ふふっ」

「あっ、千歳お姉! 駄目よ! そういう時には私にも声をかけてよね!」

 

「むむむ、厳しく、活を入れる……そうだ、香取姉! 教鞭貸して! まずは形から入ります!」

「鹿島は明らかにそういうの苦手だと思うけれど……はい、これ」

「ありがとうございます! よぉしっ、提督さんをびしびし指導しちゃいますよっ、私っ! えへへっ、鹿島、頑張りますっ!」

 

「那珂ちゃんはパスでぇーすっ! きゃはっ!」

「まぁ、神通に任せてれば間違いはないか。私もそういう事は得意じゃないし」

 

「榛名はそういう事はできそうにありません……」

「ノンノン、心配する事はありまセン……普段通りが一番デース! でも勿論、長門達には負けまセーン!」

「この霧島の計算によれば、私達金剛型は明らかに向いていないわね。金剛お姉さまを見習っていきましょう」

「よぉしっ! いつも通り気合入れていきましょうっ! はいっ!」

 

「まぁ司令官がそうせぇっちゅーんなら、うちもそうするけど……赤城はどうすんねん」

「加賀さんだけに負担をかけるわけにはいきません。僭越ながら、私も加賀さんに協力しようと思います。そう、心を鬼にして……」

 

「――それなら、私も提督の為に一肌脱ぐ事にしましょうか」

「えっ⁉」

 

 鳳翔さんの穏やかな言葉に何故か勢いよく反応したのは、加賀さんと赤城さんだった。

 どことなく顔が青くなっているような気がする。

 加賀さんは慌てた様子で鳳翔さんの元へと駆けつける。

 

「ほ、鳳翔さん、一肌脱ぐとは」

「必要な時には提督を叱りつける役目を私も請け負おうかと……」

「い、いえ! 鳳翔さんが出るまでもありません。そうよね、赤城さん」

「そ、その通りです。加賀さんの言う通りです。一航戦の誇りに賭けて、まずは私達が提督の背を押してみせます。そう、心を鬼にして……」

「しかし、時には私も心を鬼に……」

「いえ、鳳翔さんが心を鬼にする必要はありません。二度とありません。私達はもう一人前です。私達だけで何とかできます。私達は優秀な子たちですから」

「自分で何言ってんの加賀さん……」

 

 瑞鶴さんが呆れたようにそう言ったが、赤城さんと加賀さんがこんなに焦るとは一体何事だろうか。

 春日丸も首を傾げていたが、龍驤さんは何やら事情がわかっているようで、「あぁ……」などと呟いていた。

 ちょんちょん、と加賀さんを肘でつついて、瑞鶴さんが問いかける。

 

「ちょっと加賀さん、顔色が悪いよ。鳳翔さんと何かあったの?」

「な、何を言っているの瑞鶴。まったく、みょ、妙な詮索は止めておくんなまし」

「鳳翔さんに何をされたの⁉」

 

 混乱しているかのように口調が定まっておらず、何かに怯えるように肩を震わせる加賀さんは、それ以上何も言わなかった。

「二人がそこまで言うなら……」と鳳翔さんが引いたところで、赤城さんと揃ってほっと胸を撫で下ろしている。

 そして思いつめたような表情で、赤城さんと声を潜めた。

 

「……赤城さん。鳳翔さんを二度と怒らせるわけにはいかないわ。提督の背を押さねばならない時は、私達が何とかしましょう。そう、心を鬼にして……」

「そ、そうですね。提督の為にも、私達が頑張りましょう。心を鬼にして……」

 

 鳳翔さんと一航戦の二人の間に、一体何が……。

 ふと、何かに気が付いたように、鳳翔さんが顔を上げた。

 

「そう言えば、先ほど天龍さんが仰っていましたけれど……提督はまだ倉庫で落ち込んでいるとの事でしたね」

「あっ」

「……一人になりたいとの事でしたが、まだ本日の執務には何も手をつけていませんし、いい加減に立ち直ってもらわないと……そろそろ様子を見てきましょうか」

 

 そう言って鳳翔さんが一歩踏み出す前に、赤城さんと加賀さんがその前に立ち塞がった。

 

「い、いえ、鳳翔さんが向かうまでもありません。私達が見てきましょう。そうよね、赤城さん」

「え、えぇ。必要な時には私達から活を入れておきましょう。心を鬼にして」

「そうですか? それなら、私はそろそろ夜の仕込みに入りましょうか。提督の事は二人にお任せしますね」

「了解!」

 

 鳳翔さんに敬礼する赤城さんと加賀さんの肩を、長門さんが叩いた。

 その周りには、提督の片腕の座を狙う他の艦娘達も揃っている。

 

「鳳翔よ。一航戦だけではなく、この長門の事も忘れてもらっては困るな」

「フン……確かに、いい加減そろそろ立ち直ってもらわねば執務が滞る。ここはこの那智が……」

「いえ、この神通に……」

「フッ、つまり早い者勝ちという事だな。この磯風に続け!」

 

 そう言うやいなや、磯風が執務室を駆け出していった。

 浦風が「おどりゃあーーッ‼」と叫んだが、それから逃げ出したようにも思えた。

 それを追いかけて、心が鬼級艦隊の面子が執務室から駆け出していく。

「アッ! 抜け駆けは許さないんだからネー!? 待てぇーーい!」と叫んだ金剛さんもそれを追いかけ、その姉妹達も慌てて駆け出す。

 おとなしく英気を養ってほしいところであったが、このままでは無理だろう。

 ここはひとつ、あの暴走した人達は提督に収めてもらう必要があるだろうか……。

 

「はぁぁ……あの人達は、まったく」

 

 開け放たれた執務室の扉を眺めて頭を抱えていた私に、川内さんが声をかけてくる。

 

「大淀、私達はどうする?」

「活を入れるのはともかく、私の立案した計画について、提督と現状の情報共有をする必要はありますね」

「うん……気が重いなぁ。ごめん、満潮が無理してるの気付けないで、推薦しちゃったせいで、こんな事になって……」

「い、いえ。私もまったく気付けませんでしたから」

 

 川内さんが私に頭を下げてきたが、それを言うならば私も同罪だ。

 確かに無理をしていないかは懸念していたが、最終的にいけると判断したのは私だからだ。

 それに、疲労を隠していた満潮はともかく、イムヤが大破進軍を決行した事については完全にどうしようも無い。

 そんな私達に、腰に手を当てた天龍が呆れたように声をかけてきた。

 

「ったく、川内型(お前ら)の悪い癖だぜ。体力バカのお前らと駆逐共を一緒にしちゃ駄目だろ」

「うぐっ……た、体力バカって……天龍に馬鹿って言われた……」

「うぅっ、那珂ちゃん反省~……」

 

「そもそも見てわかんなかったのか? 今朝、オレも夜間哨戒から帰投した時に見たけどよ……まぁオレも大破して龍田に背負われながらだったけど、満潮がめちゃくちゃ疲れてんのは一目瞭然だったぜ? なぁ龍田」

「あら~、一目瞭然なんて難しい言葉知ってたのね~? 天龍ちゃん凄~い」

「フフフ、まぁな……ってコラ」

 

 天龍の言葉に、珍しく川内さんがしょぼくれていた。

 終わった後でなら何とでも言える――なんて事は思わない。

 天龍はそんな意味の無い事はしない。天龍が満潮の疲労に気付いていたというのは事実だろう。

 川内さんもそれを理解できているのだ。

 

 駆逐艦達に対するその観察力、性能では評価されない項目――先の出撃で天龍が旗艦に抜擢された理由のひとつとして、それがあるのかもしれない。

 天龍の率いる水雷戦隊が本人以外強いのは、案外、天龍が常に僚艦のコンディションが万全の状態であるかを見定めているからなのかもしれないからだ。

 そう考えれば、提督が天龍を評価しているのも納得だ。

 いや、むしろ私達がまだ気付いていないポテンシャルが、天龍には秘められている――?

 

 私は何となく、龍田さんに目を向けた。

 私の視線に気付いた龍田さんが、真意の読めないいつもの微笑みと共に、小首を傾げる。

 この人も、明らかに実力を隠している節があるのだが、その底が知れない。

 未だ誰にも知られていない龍田さんの本気も、提督の神眼ならば容易く見透かしてしまうのだろうか……。

 

 いや、今はそんな事を考えている場合ではない。

 まずはあの提督の片腕の座に固執する鬼艦隊の暴走を何とかして、それから出鼻をくじかれた備蓄回復計画について提督と話し合う必要がある。

 私は気持ちを切り替えて、目の前の問題に冷静に対処すべく、執務室に残る艦娘達に向かって指示を出したのだった。

 

「とりあえず、駆逐艦の皆さんは自室で待機。それ以外の皆さんは私と共に提督のもとへ参りましょう」

 




大変お待たせ致しました。

秋刀魚も何とか集め終え、大潮の秋刀魚グラが示唆される中、ついに谷風に新たな改装が実装されますね。
地味に十七駆好きなのでとても嬉しいです。
二期になってレベリングしにくくなったように思いますが、磯風と共になるべく早く育ててあげようと思います。

いよいよ年末も近づき、仕事も忙しい時期になってきました。
皆様からのご感想への返信も滞っておりますが、ご容赦頂けますと幸いです。
いつも楽しみにさせて頂いております。

次回の更新まで気長にお待ち頂けますと幸いです。

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