ラストダンスは終わらない   作:紳士イ級

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049.『視線』【提督視点】

 迫り来る六鬼夜行の迫力のあまり、俺は白目を剥き半笑いで肩を震わせる事しか出来なかった。

 夕張と明石も口を半開きにして、その光景をぽかんと眺めていた。

 俺の目の前に辿り着いた鬼畜艦隊はまるでカチコミに来たヤクザのごとき眼光で俺を睨みつける。

 凄まじい殺気って奴だ。ケツの穴にツララを突っ込まれた気分だった。

 

 一際冷たい凍てつく視線を向けているのは加賀だった。

 この女の目……養豚場の豚でも見るかのように冷たい目だ、残酷な目だ……。

「かわいそうだけど明日の朝にはお肉屋さんの店先に並ぶ運命なのね」って感じの……!

 どう見ても上官に向ける視線では無い。フナムシを見る目と言い換えてもいいだろう。

 

 この隙の無い編成に単艦で立ち向かえというのか……⁉

 駄目だ、実力の差がはっきりしすぎている……。

 これじゃあ甲子園優勝チームにバットも持った事が無い茶道部か何かが挑戦するようなもの……。

 みじめ……すぎる……。

 

 い、いや! 俺の後ろには心強い二人の同志がいるではないか。

 夕張さん、明石さん、やっておしまいなさい!

 駄目だ、見るからに戦闘よりも裏方タイプの青春巡洋艦と口搾艦コンビでは勝ち目が見えねェ……。可愛さでは圧勝しているのだが……。

 下手に助けを求めて地獄に付き合わせるわけにはいかん……。

 万策尽きた。もはや覚悟を決めるしか無い。

 重巡ナ級が今にも俺を噛み殺しそうな目つきと共に、蔑むような口調で言った。

 

「……貴様、満潮を励ましてくれたはいいが、まだ塞ぎこんでいるのか」

「う、うむ……」

 

 そうか、夕張と明石だけでなく、こいつらも龍田に聞いて……くそっ、なんて事だ。

 優しい天龍ちゃんは俺を励まそうとパイパイヘッドロックをお見舞いしてくれたが、厳しいコイツらはガチで活を入れに来たという事だろう。

 そりゃあそうだ。自分達の上官が仕事もせずに倉庫に引きこもって落ち込むなど、常識的に考えてあってはならない事ではないか。

 夕張が俺の命の危機を心配してくれたのも当然だ。

 

 まず那智はイカン。那智は非常にアカン。

 昨夜の呑み比べで俺に勝利した那智は、俺に対して何でも言う事を聞かせる権利を持っている。

 機嫌を損ねたが最後、もしも那智に鎮守府を去れと言われれば、俺はそれに従わなければならない。

 そしてこいつらの目を見れば、俺に対して明らかに敵意を持っている事は明らかだ。

 つまり俺はもう詰んでいた。オワタ。

 

 次に長門も、呼吸するたびに両耳や鼻の穴から蒸気がプッシュウウと音を立てて噴出している。

 このメカゴリラ、俺を殺したいという衝動がその身体から溢れ出ているようだ。

 神通は目が据わっていた。覚悟完了した面持ちであった。

 昨夜の歓迎会で見た大和撫子の姿はどこにもない。

 利根の言っていた通り、一人の修羅がそこに居た。

 赤城はいつもと変わらないように見えたが、よく見れば普段よりも真剣な表情を浮かべている。

 いつもは隙の無い柔らかい微笑みを浮かべているのに、今はそれが無い。

 只事では無いのは明らかであった。

 

 力無く返事をした俺に、磯風が不敵な笑みを浮かべて近づき、肩をぽんと叩きながら言った。

 

「フッ、司令……笑ってる内にやめような」

 

 言葉とは裏腹に、磯風だけは何故か嬉しそうなドヤ顔であった。

 そう言えばコイツは俺の片腕を自称するほど筋金入りのダメンズ好き……。

 嬉しそうなのは、俺が駄目なところを見せたからであろう。コイツの将来が本当に心配だ。

 磯風の言葉に続き、長門、那智、加賀が鬼の形相で辛辣な言葉を吐く。

 

「気持ちはわからないでもないが……イムヤ達も駆逐艦達も、皆すでに気持ちを切り替えたと言うのに、一体何をしているんだ! 提督ッ!」

「貴様、そんな情けない有り様で我らを指揮するつもりか! フン、実に情けない!」

「予想外の事があったとはいえ、本日の執務にもまだ手をつけていないでしょう。それでも私達の提督ですか」

 

 うっくぅ~……何も言えねェ……‼ 凹む。

 いや佐藤さんとの会話を盗み聞きした時点で覚悟はしていたが、ここまで辛辣な言葉を面と向かって叩き込まれるとは……!

 確かに俺が起きてからした事と言えば……。

 

・金剛に股間を痛打される。

・筑摩の暖簾の中身を目撃してしばらく行動不能になる。

・佐藤さんと風呂に入る。

・青葉を同志に引き入れるべく策を弄す。

・イムヤの轟沈騒ぎでは気が動転して固まってしまい、グレムリン共に助けられる。ダンケ。

・泣いてばかりで霞にはケツを蹴り上げられる。ダンケ。

・金剛に股間を痛打される(二回目)。

・艦娘達に隠れて策を考える為、倉庫に逃げ込む。

・倉庫で鉢合わせた満潮を励まそうとするも、おそらく俺の話とは関係なく立ち直る。

・天龍ちゃんにパイオツを押し付けられる。ダンケ。

・グレムリン共に半ば脅されて倉庫の片付けを約束する羽目になる。

・夕張にパイオツを押し付けられる。ダンケダンケ。

・明石にパイオツに押し付けられる。ダーンケっ。感謝ね!

 

 ……我ながらマジで執務してねェな!

 執務室に足を踏み入れてすらいない。

 大淀さんがいなければこの鎮守府は半日以上機能停止していたではないか。

 横須賀鎮守府の頭脳、そして黒幕大淀には頭が上がらない。本当にありがとうございます。

 

「う、うむ……返す言葉も無い……」

「フッ、よし。ここはこの磯風が、忠誠を込めた右足で活を入れてやろう。そこの壁に両手をつけ」

 

 白い太腿を撫でながら、磯風が嬉しそうにそう言った。

 え? 何? コイツまさか俺のケツにタイキックぶち込むつもり⁉

 ダメンズ好きの磯風が何故⁉

 混乱している俺に構わず、その言葉に鬼共がより一層迫力を増し、磯風に食ってかかった。

 

「おい! 勝手に抜け駆けをするな! 横須賀鎮守府を代表して、ここはこの長門に任せておけ」

「長門、そう言えば以前、戦場で貴様に蹴り上げられた駆逐イ級が蹴鞠のごとく上空に打ち上がった挙句に一撃で爆散していただろう。貴様に任せては奴が死ぬ可能性がある。ここはこの那智に……」

「いえ、利根さんが言っていた通り、那智さんも長門さんと同様に手加減が苦手だと思いますので、ここは私が……」

「その利根を危うく轟沈させかけたのは何処の誰だ! 神通、それなら貴様もこの男が絡むと周りが見えなくなる危険性があるだろう! 手加減が苦手などと貴様にだけは言われたくないものだな!」

「こ、今回は大丈夫です……!」

「私に任せなさい。鎧袖一触よ。心配いらないわ」

「フッ、鎧袖一触してどうする。火力しか脳が無い戦艦空母はこれだから駄目だ。やはりこの磯風しか」

「いや、この長門が」

「いえ、私が」

 

 聞くに堪えない。地獄の処刑人決定会議である。

 徐々にヒートアップし、鬼共はチンピラのごとく至近距離でガンをつけ合っている。

 誰が俺を刑に処すかでここまで揉めるのか……どんだけ俺を蹴り上げたいんだコイツらは。

 話聞く限りほぼ全員手加減が苦手じゃねェか。

 このまま同士討ちしてくれないだろうか……。

 

 ……しかしよくよく考えてみれば、ダメンズ好きの磯風だけは、実は俺を救おうとしているのかもしれない。

 何故ならば、俺へ活を入れる事を建前として合法的に俺に手を下そうとしている艦娘達の中で、艦種的にも練度的にも磯風が一番弱い。

 いや磯風も決して弱いわけではないが、他の面子に比べれば相対的に最弱となる。

『艦娘型録』に記載されていた練度だけを考えてみれば、実はコイツは見た目小学生型の暁や電、朝潮、大潮などよりも若干練度が低いのだ。

 ……なんでコイツこんなに自信満々なのだろう。

 それはともかく、つまり磯風に蹴り上げられる方が、俺の受ける被害は一番少ないのでは……。

 他の鬼共は手加減無しで俺を蹴り上げるかもしれんが、俺の片腕を自称するほどの磯風ならば手加減してくれるだろう。

 思い返せば、先ほども磯風は俺の為に金剛を派遣してくれたではないか。

 そうか、磯風……そこまで俺の事を考えて……。馬鹿だが本当にいい奴だ。

 俺の処刑人が決まるのをただおとなしく待つしか出来ないと思ったが、むしろ俺の方から磯風を指名するのが生還への道か――⁉

 

 そこで、俺の耳に不意に一人の救世主の声が届いた。

 

「ヘイヘイヘーイ! Wait a minute(ちょっと待った)! 待ぁてぇーい!」

 

 おぉっ、金剛! そしてその後ろにはその妹達!

 先ほども駆逐艦達に紛れて俺を励ましに来てくれた、横須賀十傑衆第二席にして数少ない俺の味方!

 そして俺の事を絶対好いていてくれていると、時間と場所とムードとタイミングさえ整えれば確実にヤレると、女性不信の俺ですら確信できる唯一の存在!

 Be the one(貴女と合体したい)

 

「食らいついたら放さないってっ、言ったデースッ!」

 

 金剛は先ほど駆逐艦達を木の葉のごとく吹き飛ばしたように、助走の勢いのままに地面を蹴り、高速で前転しながら飛んできた。

 よ、よし! そのまま鬼共を蹴散らして――!

 しかし長門(ゴリラ)の肩にサッカーボールのごとく容易く弾かれ、軌道を変えて勢いよく俺に向かってきた金剛の頭がそのまま俺の股間を痛打した。

 オゴォォーーッ⁉ Shit! 提督の大切な装備が‼

 これで本日三度目やぞ! 金剛お前何してるデース……‼

 俺はその場に悶絶しながら崩れ落ち、金剛は慌てた様子でがばっと顔を上げた。

 

「あぁっ、提督! おのれ長門、提督になんて事を~……! ヘイ長門! なんで私が衝突してびくともしないデース⁉」

「フッ、今の私にはその程度の衝撃など効かぬわ。そう、提督のお陰でな……長門型の装甲は伊達ではないよ」

「くっ、なんというフィジカルデース……! 昨夜よりも更に強化されてマース……!」

 

 世界に誇るビッグセブンとはいえ、戦艦に衝突されてびくともしないのか……。

 何なんだアイツは。その装甲は一体何で強化されているんだ。俺のお陰との事だが、言うまでもなく俺への怒りであろう。

 まさにジャングルの王者、ジュウオウゴリラ……いや、野生と筋肉を知ろしめす戦艦の王者、戦艦ゴオウ。

 よく見れば銀色の光を放っているようにすら見える長門のあの驚異的な装甲をゴリラアーマーと名付けよう。

 金剛に続き、比叡、榛名、霧島が俺を挟んで鬼共の前に立ち塞がり、各々が謎のポーズを決めた。

 

「シスターズ! 提督を護るデース!」

「はいっ! 司令っ、全力でお護りしますっ! お姉様の邪魔する人は、許さないっ!」

「長門さん達と言えども……勝手は! 榛名が! 許しません!」

「ベストタイミングの援軍です。お姉さま、流石ですね!」

 

 おぉっ、こ、金剛シスターズは俺の味方なのか!

 そうか、金剛が俺の事を好いていてくれるのだから、金剛大好きな妹達もまた然り。

 金剛に逆らう理由は無い! う、うまくいけば、そう、金剛さえ攻略できればまさかの金剛型ハーレムも――⁉

 包容力と年上属性的には乏しいものの、必須項目(巨乳)は全員満たしている……!

 全員に改二ならぬパイ二実装済み……!

 よっしゃァァアアッ‼ 夜は姉妹丼っしょォーーッ‼

 よ、よし! やはり最優先で金剛をハーレムに引き入れるべく、可及的速やかに時間と場所とムードとタイミングを整えねば――!

 いやいかん。今はそれどころでは無い。

 しかしゴリラに敵うかはわからんが、戦艦四隻が俺の味方とは……!

 いちいちポーズを決める辺りが四人揃って馬鹿っぽいが、非常に心強い。

 

「さぁ! マンツーマンで食い止めるネー!」

「はいっ! 比叡、気合、入れてっ! ディーフェンス! ディーフェンス!」

「くっ、貴様ら邪魔を……!」

 

 両手を広げて立ち塞がった金剛シスターズに、那智や加賀達も苦戦している。

 高速戦艦の機動力と装甲が相手なのだ。いくら狂犬や修羅と言えどもそう簡単には突破できない。

 よ、よし、頑張れ金剛シスターズ! がんばえー!

 

「しかし相手は六人、こちらは四人……この霧島の計算によると、マンツーマンでは必然的に人手が足りませんね……」

 

 霧島がそう呟いた瞬間、俺のすぐ隣から赤城の声がした。

 

「提督。歯を食いしばって下さい」

 

 エッ。

 俺が顔を向けると、まるでさっきからそこにいたかのように、覚悟を決めたかのような表情の赤城が佇んでいる。

 な、何ー⁉ さっきから一言も話さないとは思っていたが、いつの間に!? 気配全く感じなかったぞ⁉

 そして歯を食いしばる前に、パァンと何かが破裂したかのような音が工廠内に響いた。

 赤城の右手が俺の頬を張ったのである。

 

 アーーッ⁉ いや意外と痛くない……!

 でも部下に張り倒されて心が痛い……!

「アァッ⁉ テートクゥーッ⁉」という金剛の叫びが耳に届く。

 明石と夕張が目を丸くして、口元を抑えているのが目に映った。

 こ、金剛シスターズ……何を律儀にマンツーマンしてんだ……!

 磯風はともかく、よりによって俺とタイマン希望の赤鬼がフリーになってんじゃねェか……‼

 勢い余ってその場に倒れてしまった俺を見下ろしながら、赤城は何かを耐えるかのように表情を変えて口を開いた。

 

「申し訳ありません……私も本当はこのような事はしたくありませんでした……! しかし、一刻も早く立ち直ってもらわねば、鳳……あ、いえ、とにかく、これは私の本意では無いのですが、心を鬼にして……」

 

 いやお前さっき俺の事張り倒してやりたいって言ってたよね?

 俺ちゃんと聞いてたからね? 心を鬼にするまでもなくお前すでに赤鬼だろうが!

 くそっ、コイツ本当に演技派だな……心から悔やんでいるような表情にしか見えない。

 普段から朗らかな感じで全く隙が無いからな……表情や雰囲気から全く本心が読めねぇ……!

 とりあえずもう堪忍してつかあさい……! ガチで凹む。

 

 いやポジティブだ。ポジティブに考えよう。

 赤城に張られた頬はじんじんと痛むものの、金剛に痛打された股間に比べれば断然痛くない。

 てっきり赤城の事だからビンタどころか鞭打、最悪の場合五分間ほど無呼吸連打でも叩き込まれるかと覚悟していたくらいなのだから、むしろ拍子抜けなくらいだ。

 提督の威厳は地に墜ちたものの、ポジティブに考えれば、この程度の痛みで活を入れられた事にできるのならば安いものではないか。

 もしも長門に蹴り上げられていたら、俺は哀れな駆逐イ級と同じく上空に打ち上げられて爆散し、汚い花火と化していただろう。

 第二撃が飛んでくる前に、俺は迅速に立ち上がって赤城、そして鬼共に目をやった。

 

「う、うむ。赤城が活を入れてくれたお陰で私も目が覚めたぞ。私だけがいつまでも気落ちしているわけにはいかんな。情けないところを見せてしまい、本当に済まない!」

 

 そう言って俺は深く頭を下げた。

 兵は神速を貴ぶというからな。色々な速さに定評がある俺である。

 イクのも速いし逃げ足も速い。謝罪の速さも一級品だ。

 ここは素直に平謝りするのがベスト……!

 これで納得しないのであれば、金剛達が何とか頑張ってくれる事を祈るしかない。

 

 いや、俺の天才的頭脳による推理によれば、活を入れに来たという建前上、そして誰が活を入れるかで揉めていたという事は、おそらく一発で済ませるつもりだったのだろう。

 これで何発も俺に蹴りを入れるつもりだったのなら、それはもはや私刑ではないか。

 それは流石に大淀が止めてくれているはず……!

 そう、俺にまだ利用価値があるならば……!

 大丈夫、大丈夫だ……! 顔を上げればコイツらもやれやれ、仕方の無い奴だ、とか言って許してくれると思いたい……!

 

 俺がゆっくりと顔を上げると――長門、那智、神通、加賀……鬼達はどこか、拍子抜けといったような、不満そうな表情を浮かべていた。

 エッ、何その表情……。

 長門が物足りなさそうに、腕組みをしながら口を開く。

 

「……それだけか?」

 

 エッ⁉ な、何⁉ まだ何か足りないのか⁉

 誠意⁉ 誠意が⁉

 鬼達のこの眼……以前働いていた職場で、受け持っていた業務の締め切りにどうしても間に合わせる事が出来ず、上司に報告に行った時の眼と同じ……!

 そう、あの時も頭を下げて謝罪した俺に、上司は今の長門と同じ言葉を投げかけたではないか。

 あの時は謝り続けて何とかなったが、この鬼共にそれが通用するとも思えない。

 謝罪の最上級……土下座……! 土下座が必要か……⁉

 熱した鉄板の上とかで……!

 くそっ、コイツら本物の鬼か! 鬼だった。凹む。

 

「……まぁ、私は貴女達と違って、初めから何も期待していなかったから別に構わないわ。赤城さん、流石です」

「うむ。早い者勝ちと言ったのは他ならぬこの磯風だからな。潔く今回は赤城に譲ろうじゃないか。お前達もこれ以上司令に多くを求めるのはやめないか、見苦しい」

 

 加賀は冷たい目で俺を一瞥した後に、赤城に向かって親指を立てる。

 磯風だけは特に不満そうな表情を浮かべる事も無く、何故か上から目線でそう言った。

 それを聞いて、那智が不愉快そうに口を開く。

 

「磯風、貴様……! わ、私も奴に何も期待などしていない……! フ、フン、下らん! 馬鹿らしい!」

「私は、その……期待していなかったと言えば嘘になりますが……い、いえ、何でもありません。これ以上を望むのは贅沢すぎましたね。私が間違っていました」

 

 何かを諦めたかのように、何故か薄く頬を染めた神通が悲し気に小さく首を振った。

 お、俺どんだけ期待されてないの……? 凹む。

 鬼共が俺に何を期待していたのかは定かでは無いが、知らない方がいいだろう。何とかこの場は生きて帰る事ができそうだ。

 よ、よし。赤城に張り倒される未来を変える事は出来なかったが、最悪の未来だけは回避できたと言えるだろう。

 そう考えれば上出来ではないか。

 

「提督、失礼します。よろしいでしょうか」

 

 と、そこで倉庫の入り口の方から声がした。

 見れば、数人の艦娘を率いた大淀がこちらの様子を窺っている。

 随分と落ち着いており、長門達の後を急いで追ってきたというわけではなさそうだ。

 下手すれば命の危機だったのだが……もしやこうして俺が生き残る事も大淀の掌の上なのか……?

 大淀の深謀遠慮に俺が戦慄を覚えていると、艦娘達の陰に隠れておずおずとこちらを覗き込んでいるイムヤに気が付いた。

 

「い、イムヤっ⁉」

 

 俺は鬼共の事も忘れて思わず駆け出し、イムヤの前に跪いて両肩を掴み、声をかけた。

 

「も、もう大丈夫なのか⁉ まだ一時間くらいしか経っていないが」

「う、うん。私、潜水艦の中でも特に回復が早いから……ほらっ、こんなに元気!」

 

 イムヤはそう言って、笑顔で腕をぎゅっとしてガッツポーズをして見せた。

 つい先ほどまでボロボロだったスク水も綺麗になっており、その上のセーラー服も新品同様に見える。

 イムヤ自身の状態と合わせて見ても、完全に回復したというのは本当なのだろう。

 俺はイムヤの肩から腕を撫でまわしながら、その肌に異常が無いかを確かめる。

 

「そ、そうか。よかった、本当によかった……それで、傷は残ってないか? 痕になっていないかっ⁉」

「し、司令官、恥ずかしいよ……大丈夫だってば、もう……。でも、ありがとう。心配かけてごめん……」

「いいんだ、いいんだ。だが、今後は二度と同じような事をしちゃ駄目だぞ。約束だ」

「うん……」

 

 俺はもうたまらず、イムヤをぎゅっと胸に抱きしめながら頭を撫で回した。

 いかん、思い出したらまた目が潤んで……! また完全に素が出てしまった。

 何とか耐えねば、第二回処刑人会議が開かれてしまう。

 俺は潤む瞳をぐしぐしと拭い、俺達の様子を眺めている艦娘達の中から大淀に顔を向けて言った。

 

「この後、潜水艦隊に出撃の予定はあるのか?」

「えっ、あっ、本来は損傷、疲労の状況と相談しつつ反復出撃の予定でしたが……今回は、その……」

「あんな事があったのだ。三人にはしばらく休んでもらっても構わないか」

「はっ。勿論です」

 

 備蓄回復作戦責任者、大淀さんの了解を得て、俺は抱きしめていたイムヤを身体から離す。

 目を潤ませて俺達の様子を見つめていたイクとゴーヤにも目を向けて、今はしっかり心と身体を休めるようにと伝えた。

 

「えぇー。お休みが欲しいってずっと思ってたけど……ゴーヤ、今は何だか無性に働きたい気分でち!」

「イクも! まだまだ行けるの! スナイパー魂が滾るのね! 名誉返上、汚名挽回したいのね!」

「無理して難しい言葉使わないでもいいでち」

 

 意外にも、イクとゴーヤは再出撃したいようであった。

 先ほどの失敗を取り返そうとしているのだろうか……。

 なんだかキラキラ輝いて見えるし、無理はしていないようだが……本人達はよくても、俺のメンタル的に再出撃は控えてもらいたい。

 イムヤを見ると、自分が信頼されていないとでも勘違いをしたのか、茫然と口を開き、(ハイライト)の消えた目を潤ませて、ガクガクと肩を震わせていた。

 

「し、司令官……私も、もう万全だよ? そ、それとも……や、やっぱりイムヤの事、嫌いに、キライニ」

「エッ⁉ ば、馬鹿っ。そんな訳があるか。そういう事では無い。私がこれから指揮を執るに当たって、いつでも出撃できるよう備えていてほしいという事だ。お前達の力がすぐに必要な時に、すでに出撃していたでは困るからな」

「そ、そうだよね、えへへ……そういう事なら……うんっ、了解。しっかり休ませてもらうね!」

「う、うむ。報告書は急がなくてもいいからな」

 

 ほっとしたような笑顔を浮かべたイムヤであったが、よく見たらこいつも瞳孔開いてんぞ……。

 轟沈騒ぎで改修資材(ネジ)が頭から二、三本抜け落ちてたりしてない? 大丈夫?

 ま、まぁ、あんな事があったばかりだからな。疲れているのだろう。うん。

 今はゆっくりと休んでもらおう。

 

「さ、磯風も戻りますよ。駆逐艦は一旦、自室にて待機と大淀から命令が出ています」

「いや、浜風。悪いがこの磯風は司令の……お、おい! 浜風、谷風! やめろ! 引きずるな! オゴゴ、う、浦風! 首を絞めるな!」

「おどりゃ覚悟せぇよ……部屋に戻ったら折檻じゃ! ふんっ!」

「かぁ~っ! ちっとばかし独断専行が過ぎるってんだ畜生め! この谷風さんもご立腹だよっ!」

「くっ、やむを得ん……司令、すまない……この磯風を置いて進んでくれ……頼む……」

 

 あっ。浜風に右腕、谷風に左腕、浦風に背後から首を固められ、磯風が力ずくで連行されていった。

 まぁ大淀も合流した今ならば、長門達に対する抑止力は足りているからな……。

 まるで出荷される子牛のごとく、三人がかりでずるずると引きずられ、諦めたような表情で俺に別れを告げた磯風の情けない姿が遠ざかっていくのを見送る。

 さらば磯風。結果的に何の役にも立たなかったが、お前の忠誠心だけはしかと受け取ったから。

 

 潜水艦隊と磯風達が戻ったところで、大淀が夕張、明石らと何やら話していた。

 どうやら先ほど話した倉庫の片付けについて説明しているらしい。

 大淀はクイと眼鏡の位置を正してから、俺に向き直って口を開く。

 

「確かにここのところ、装備の廃棄については滞っておりました。少しでも備蓄状況の足しにする事と、装備の現状把握も急務という事ですね」

「う、うむ。片付いていない状態というのは作業効率にも影響が出るからな。仕事には五つのSが大切だと言うだろう」

「五つのS……? 五省(ごせい)の事でしょうか」

 

 五省って何だ……?

 俺の考えているものとは違う事は確かだが、まさか知らないとは言えん。

 大淀さんの中で俺の評価がまた下がってしまう。今後の査定にも響くだろう。

 もっともらしい言葉を探して5Sの事を話してしまったが、五省とやらの事は上手く誤魔化さなければ……。

 

「いや、それとは別だ。整理、整頓、清掃、清潔、そして躾……最後のは私は習慣と考えているがな。この五つの頭文字を取って5Sと言う。聞いたことは無かったか」

「は、はっ。初耳です」

「そうか。『整理』は不要なものを処分する事。『整頓』は必要なものを必要な時にすぐに取り出せるようにしておく事。清掃、清潔は言葉通りだな。そして『習慣』……これが最も大切なのだ」

「習慣、ですか」

「うむ。本来の目的を忘れて整理整頓に集中しすぎず、無意識にその状況を保てる状態にするというのが理想だな」

 

 前の職場での研修で教えられた、仕事の基本の概念である。

 デスク周りやオフィス、パソコンの画面上にまで色んな事に応用できる良習慣であると俺は考えている。

 無論、これにこだわりすぎるのも本末転倒だ。

 習慣づけられ、無意識にその状態をキープできるようになれば、作業効率は各段に上がるであろう。

 ちなみに俺も自室は清潔に保っているし、オータムクラウド先生の作品含む薄い本は作者やジャンルごとに整理整頓、ティッシュの箱も常に定位置とする事で、デイリー任務(オ〇ニー)という悪習慣が非常に捗っていた。クズである。

 

「なるほど……デイリー任務には廃棄任務もありますし、装備改修に必要となる装備もあります。不要な装備とそうでないものを整理整頓し、今後の資材管理計画や改修計画にも活かす事ができますね。今までは何の装備がいくらあるのかも満足に把握できておらず、必要時にはこれらの山をひっくり返して引っ張り出すような状態でしたから、それらの不要な時間を削減する為にも、整理整頓を習慣づける事は必要、と」

 

 大淀が納得したようにそう呟いた。

 デイリー任務とか言い出すから心読まれたかと思ってビビった。

 

「う、うむ。そういう事だ。それで、夕張と明石だけでは人手が足りないと思っていたところでな」

「了解しました。それならば、夕張と明石には中心となって仕切ってもらう事として、現在手が空いている戦艦、空母、重巡などの皆さんにも手伝ってもらってはいかがでしょうか。……元気が有り余っている人達もいるようですし」

 

 どこかトゲのある言葉と共に、ジロリ、と大淀が鬼達を横目に見ると、赤城と加賀は気まずそうに前髪をいじりながらその眼を逸らした。

 那智は何かを誤魔化すかのように咳払いをし、神通は「申し訳ありません……」などと小声で言いながら肩を縮こまらせている。

 長門に至っては「お、大淀……」などと情けない声を漏らして、おろおろと狼狽えているではないか。

 横須賀鎮守府の黒幕、大淀さん半端ねェ……!

 やはり表のリーダーは長門であるが、裏で実権を握っているのは大淀さんという事か……。

 大淀の声かけにより、この場に集まった艦娘達は倉庫の片付けを手伝ってくれるようだ。

 

 しかしそれでもこの大量の装備品の山を片付けるには一苦労であろう。

 そもそもはグレムリン共の要求によるものだ。

 艦娘達だけに働いてもらうのも悪いし、アイツらにも動いてもらおう。

 俺は倉庫の中に向かって、ぱんぱんと手を叩いた。

 

「よし、今から倉庫の片付けを行う。お前達も手伝いなさい」

 

『提督さんが呼んでるよー』

『皆ー、集まれー』

『第二次童貞祭りだー』

『おー』

『わぁぁー』

『わぁい』

『はぁーよいしょ』

『それそれそれー』

 

 装備品の山からわらわらと湧いてきた大量のグレムリン達は、いつの間にかまたしても桜色の法被を纏っており、俺の周りで童貞音頭を踊り出した。

 いやお祭りじゃねェよ! 散れ! そして働け‼

 不意に視線を感じたので振り向くと、艦娘達があんぐりと口を開けて俺の情けない姿を見つめていた。

 鹿島に至っては「か、可愛い……!」などと呟きながら肩を震わせ、口元を隠して必死に笑いを堪えている。

 俺の提督アイには、明らかに俺の童貞と股間のサイズを嘲笑する淫魔の笑みが映っていた。凹む。

 駄目、見ないで、見ないでぇーっ‼

 

「んんっ! 整列ッ!」

 

 咳払いをしてからそう叫ぶと、グレムリン達は俺の目の前の足元に見事な隊列を作った。

 初めからそうしてくれ。艦娘達の前で何してくれてんだ。提督の威厳が下がっていく一方ではないか。凹む。

 

「今から皆が倉庫の片付けをしてくれる。お前達も手が空いている者は手伝ってくれ」

『ウホッ』

 

 いやゴリラ語で返事すんな。俺はリスニングできねェって言ってんだろ。

 敬礼と返事が一糸乱れていなかったのは凄いと思うけど。馬鹿にしてんのか。

 

「フフ……声は聞こえずともこの長門にはわかるぞ。いい返事だ、胸が熱いな……」

 

 ゴリラ語に反応すんのやめてくんない?

 ドヤ顔で満足気に頷いている長門には構わず、俺は大淀に目を向けた。

 俺の情けなさに呆れ果てたのか、まだ口を半開きにして呆けている。

 

「この妖精さん達にも手伝ってもらう事に……どうした?」

「い、いえ……この程度ではもう驚きませんけどね、えぇ……了解です。妖精さん達と協力しながら進めて行きましょう」

「うむ。夕張、明石。悪いがよろしく頼む」

「は、はっ! 了解! よーし、それじゃあ、まずは一度、全部外に持ち出しましょう。そこで装備の種類ごとに大きく分けて……」

 

 夕張と明石の指示が飛び、艦娘達はわらわらと動き出す。

 それを眺めていた俺の近くには、大淀と川内、神通、那珂ちゃん、そして秘書艦の羽黒と鹿島だけが残っていた。

 意を決したように、川内が神通と那珂ちゃんを引き連れて俺に向かって頭を下げる。

 

「提督、ごめん! 昨日、一緒に夜戦演習してたのに、満潮が疲れてるのを見抜けなくて……最初は、大淀は霞を編成してたんだけど、満潮を推薦したのは私なんだ」

「そこまで疲労していたとは思わず……申し訳ありません」

「那珂ちゃんも、ごめんなさーい……」

「提督、満潮の疲労に気付けなかったのは私も同様です……申し訳ありませんでした」

 

 神通に那珂ちゃん、大淀まで、俺に向かって深く頭を下げてきたではないか。

 な、何を考えているんだコイツらは……これも大淀の策略の一つなのか。

 俺にしてみれば、グースカ爆睡しているクソ提督に代わって指揮を執ってくれたのだから感謝こそすれど失敗を責める資格などあろうはずもない。

 大淀が今までと変わらない態度なのは、おそらくまだ俺には有能提督を演じてもらい、その陰で黒幕として立ち回る為で間違いない。

 修羅は置いておいて、川内と那珂ちゃんは俺に反抗的には見えないが……女の子の気持ちはよくわからん。

 わからん、わからんが……ともかくこれ以上俺の株を下げないようにしつつ、うまくフォローせねば。

 

「い、いや。今回の件は仕方が無い。本人からも話は聞いたが、疲労を隠していた満潮にも非はあるからな」

「でも、天龍は満潮が疲れ切ってる事に気が付いてたんだ……私達がもっと気を付けていれば防げた事だった」

「天龍が……そうか。天龍ならば当然だろうな。うむ、流石だ」

 

 天龍は昨夜、誰も気付けなかった俺の腹痛に唯一気付いた存在だからな。

 天龍がいなければあの歓迎会場は大惨事となり、俺は今頃ここにはいない。

 満潮が隠していた疲労について見抜いたとしてもおかしくはないであろう。

 俺が一人で納得して小さく頷くと、川内と大淀がぐぬ、と小さく唸った。

 いかん。何か気に障っただろうか。

 

「し、しかし、満潮を推薦した事は間違っていないと思うぞ。私であったとしても、今回は霞ではなく満潮を編成しただろう」

「えっ」

 

 そう、後で知った事であったが、そもそも昨日から満潮が塞ぎ込み、今日の失態に繋がったのは、元はと言えば俺が満潮だけを第八駆逐隊から外してしまったからだ。

 満潮のデリケートなメンタルを知った今ならば、そんな愚かな編成はしないと断言できる。

 そもそも霞と満潮の練度の差も、僅かなものだ。ならば満潮の気質を優先した方がいい結果に繋がったであろう。

 つまり、俺の編成を川内と大淀が訂正し、満潮を推薦したのは何ら間違った事では無いのだ。

 本日起きてしまった失敗は、元を辿れば全部俺のせいなのだから。凹む。

 

「初日はまぁ、私にも考えがあって霞を編成したが、そうでないならば満潮を編成するのは自然な事だ。だから大淀も川内も、これ以上気に病まないように」

「そう言って……下さいますか……」

 

 深い考えが無かったから霞を編成したわけだが、流石にそんな事を口にできるはずもない。

 建前上のものだとは思うが、大淀はぺこりと小さく頭を下げた。

 川内はしばらく深く項垂れ、やがてすっぱり切り替えたかのように顔を上げると、笑みを浮かべた。

 

「……わかった。この失態は次の夜戦で取り返すから! だから早く夜戦! やっ、せっ、んー!」

「ね、姉さん……! ほら、那珂ちゃんもこちらを手伝って」

「えぇー、倉庫の片付けとか裏方の仕事でしょー? アイドルっぽくないしー」

「……」

「じょ、冗談でぇーすっ! アイドルは下積みも大事っ! きゃはっ!」

 

 修羅に連れられて、那珂ちゃんと川内も片付けに取り掛かった。

 艦娘達は倉庫の中に山積みになっている主砲、魚雷発射管、電探、機銃、などなどを、まるで段ボール箱でも運ぶかのように両手で持ち、ひとつひとつ、次々と外に運んでいく。

 観察してみれば、龍驤ですら両腕いっぱいに艦載機を抱えて、しかし楽々と歩いている。

 傍から見ればラジコン抱えた小学生……いや、これは言わないでおこう。

 ともかくそれらの装備品はどう見ても鉄の塊にしか見えないが、駆逐艦ですら足の先やら手の先に装備してぶん回してるからな……多分そんなに重くないのだろう。

 

『運べー』

『おー』

『わぁぁー』

『わぁい』

 

 手乗りサイズのグレムリン共でさえも数人がかりで一つの装備を運んでいる。

 少し興味が湧いて、俺はその辺に転がっていた小口径主砲を両手で持ち上げようとした――お、重ッ⁉

 なんだこれは。全然持ち上がらん。

 小学生型の駆逐艦達でさえこんなものを振り回して戦っているというのか……⁉

 チワワのごとくプルプル震えながら、男のプライドと共にせめて数センチだけでも持ち上げようとしていると、ぽん、と肩に手が置かれた。

 振り返れば、まるで米俵か何かのごとく大口径主砲を片方の肩に軽々と担いだ長門(ゴリラ)が、俺を鼻で笑いながら言ったのだった。

 

「フッ……提督の力では無理だ。提督はその辺で見ていればいい」

 

 ストレートな戦力外通告キタコレ! 凹む。

 男のプライドがズタズタである。

 初日の俺への人望皆無宣言といい、このゴリラ手加減とか手心というのを知らないのか。

 いや知っていれば哀れな駆逐イ級が打ち上げ花火と化す事は無かったであろう。

 

「し、しかしあの龍驤ですら軽々と持ち上げているというのに……」

「なんやなんや。うちの名前が聞こえたでぇ? うちが非力やっちゅーんか?」

 

 まるで因縁でもつけるかのように、しかしどこか嬉しそうに、龍驤がとことこと足早に寄って来た。

 おそらく本気で怒っているわけではなくからかわれているだけだとは思ったが、コイツはコイツで俺の事をもうアカンわとか言ってたからな……凹む。

 

「い、いや。そういうわけでは無いのだが、その小さな体で頑張ってくれていると」

「誰が小さな体やねん! あっ、それとも……ほっほぉ~ん? うちの事、大切に思ってくれてるん? それはちょっち嬉しいなぁ~♪」

「哀れね」

「何やねんお前! しばくぞ!」

 

 遠くから冷ややかな視線を向けていた加賀が吐き捨てた言葉に、龍驤はずかずかと詰め寄って行った。

 う、うむ……てっきり見放されたと思っていたが、思っていたほど龍驤も敵対的ではないような……まぁいいや。

 すると俺達の様子を近くで見ていたのであろう童貞殺し(チェリースレイヤー)さんが、右手に持った教鞭でぴしぴしと左の掌を叩きながら歩み寄ってきた。

 童貞は全て搾り殺すとでも言いたげな、わくわくしているような微笑みだった。

 何だかやけに嬉しそうだが、な、なんだその教鞭は。まさか俺に新たなプレイを叩きこもうと……。

 

「提督さんっ。これらの装備は艦娘には軽く感じられるみたいですけれど、人間にはとても持ち上げられない重さに感じられるそうですよっ、えへへっ」

「そ、そうなのか」

 

 鹿島は人差し指をぴっと立たせて、眉毛だけを吊り上げてドヤ顔で微笑む。

 

「そうなのですっ。ただ、長門さんの担いでいる大口径主砲みたいに装備できないものは、私達でも持ち上げられませんけど。うふふっ、楽しい……っ♪」

「……な、何がだ?」

「えっ、あ、な、何でもないですっ。……えへへ」

 

 くそっ、マジでいちいち可愛いなコイツ……。

 何でそんなに嬉しそうなんだ。あと何でさっきから教鞭ぴしぴししているんだ。

 香取姉の真似なのだろうか……この童貞殺し(サダオボルグ)、どう見ても本日はSMプレイですとか言い出すようにしか見えんのだが……。

 鹿島はおそらく『魅了(チャーム)』系の常時発動(パッシブ)スキルを保持している。

 あまり近くで長時間視界に入れていると、俺の理性は崩壊するであろう。気をつけねば。

 油断していると、また俺の提督七つ兵器が誤作動を起こしかねん。

「そうか」と短く答えて、俺は鹿島から目を逸らすように、働く艦娘達に目を向ける。

 鹿島の魅力に負けず、今日からは真面目にやらねば……。

 

 むむっ。あれは横須賀十傑衆第四席・千歳お姉と千代田!

 通称ちとちよ姉妹。俺の提督アイはその名に隠れた真実を見逃さない。

 

 ちとちよ姉妹→chitochiyo姉妹→toyochichi姉妹→豊乳(とよちち)姉妹!

 

 そう、あの二人こそ、横須賀鎮守府の誇る爆乳三本柱(俺調べ)の偉大なる二柱ではないか。

 ちなみにあと一人は間宮さんである。横須賀十傑衆、マンマ祭り四人衆に加えてまさかの三冠である。結婚したい。

 間宮さんのそれを大玉ビッグバン(スイカ)と形容するならば、さながら千代田はメロン、千歳お姉はメロンエナジー……!

 ミックス! 二人揃って豊乳姉妹(ジンバーメロン)! ハハーッ!

 その神々しさに思わず頭を下げてしまいそうになったが、何とか堪えた。

 

 千代田は千歳お姉にべったりくっつくかのように、並んで歩いている。

 その腕には主砲が抱えられており、意図しての事では無いのだろうが、主砲の上にはたわわな果実が二つ乗せられているではないか。

 俺の目視によれば一つ一キロは軽く超えているのではないか……?

 つまり千歳お姉と千代田は龍驤などに比べて数キロ分余計な重さを運んでいるという事に。

 何という事だ。作業効率向上の為、今すぐにでも後ろに回ってその果実の重量だけでも支えてあげパイ。

 そう、やむを得ない事だ。装備を運べない俺が力になるにはこれしか――!

 

 いや落ち着け。やけに脳内がピンク色になってしまう。きっと鹿島のせいだな。

 うーむ、しかしデカい。惚れ惚れしてしまうな。

 大は小を兼ねる。至言だなこれは。

 駄目だ、目が離せん。ちとちよ姉妹のたわわなメロン畑に俺の頭もメロメロン。

 千代田もデカいが、やはり千歳お姉の方が姉なだけあって大き……ん?

 いや、よく見れば、千代田の方は千歳お姉よりも全体的にムチムチしているというか、胸元もパッツンパッツンだ。

 一方で千歳お姉の方は腕も脚もすらりとしていて、胸元もぴったりフィットしているような感じがする。

 俺の提督アイは真実を見通す。

 おそらく千代田は無理してサイズの小さい服を着ているような状態なのだ。

 胸も押さえつけられており、結果的に千歳お姉と同じくらいに見えるが、実は若干千代田の方が上であろう。

 全体的なムチムチ感……焼き芋とかの食いすぎで余計なバルジができたのだろうか。

 艦娘の状態を把握するのも提督の仕事。よし、青葉辺りを上手く誘導して水上機母艦乳比べとか記事にしてもらえば……いや水上機母艦はあの二人しかいないからついでに戦艦乳比べを――。

 

「――提督さん、さっきから何考えてんの?」

「うむ。千代田の方が千歳よりも上なのではと思ってな……本来の姿を抑え込んでいるのではないかと」

 

 ……ん?

 反射的に答えた俺が首を回すと、いつの間にか側にいた瑞鶴が、俺の事を軽蔑したかのような視線をじーっと向けていたのだった。

 オォォォアアアアア‼!?

 い、いかん! 要注意人物の瑞鶴ではないか!

 コイツ俺の視線に気付いて――⁉

 俺の予感は当たっていた。

 瑞鶴は俺の言葉を聞いて、顔を真っ赤にし、叫ぶように詰め寄ってきたのだった。

 

「へー⁉ 確かに千代田の胸キツそうだもんね⁉ 私達が働いてる時に水上機母艦乳比べしてたってわけ⁉ へぇぇー⁉ 提督さんそういうのが趣味なんだー⁉ 何考えてんの⁉ 信じらんない!」

「ままま、待て待て待て‼ それは違う! 誤解だ! それは誤解なんだ‼」

 

 やメロォォォン‼

 大声で叫ぶな! 本人達(メロン畑)に聞こえてしまう!

 くそっ、エスパーかコイツは⁉

 何で水上機母艦乳比べを画策していた事まで読み取って――⁉

 ち、違うのだ。俺がおかしくなったのは多分鹿島のせいなのだ。

 もちろん何も違わないし、誤解でも無い。

 俺の下手な弁明が通用するはずもなく、俺はじりじりと後退し、ついには壁際まで追いつめられてしまう。

 俺よりも背の低い瑞鶴に壁ドンされてしまう始末であった。

 ア、アカン! 現行犯逮捕の危機――⁉

 

「いーや! 嘘だね! じっと千代田達の胸の辺りを凝視してたのを私は見てたっ! そしてしょうもない事考えてたっ! 私にはわかる! 提督さん、吐くなら今の内! 早い内に認めちゃった方が楽になるよ。……薄々気付いてたし、私は別に今更そんな事で軽蔑なんてしないからっ」

 

 俺の心読んでんのかコイツ……⁉

 くっ、やはり俺の妹、千鶴ちゃんによく似ている時点で相性が悪いと思っていたが、まさかここまでとは……!

 思い返せば、俺がエロ本や薄い本を購入して帰ってきた時、千鶴ちゃんは一目見ただけで俺の不審を感じ取り、必ずその場で荷物を改められてバレてしまうのだ。

 鞄の奥にしまおうが、ズボンに挟んでシャツの下に隠そうが、百パーセント看破される。

 そして機嫌が悪くなる。巨乳モノだった時は今の瑞鶴レベルに悪くなる。

 くそっ、瑞鶴も千鶴ちゃんと同様に、俺の不埒な雰囲気を感じ取る才能があるという事か……⁉

 

「ちょ、ちょっと瑞鶴さん……!」

「ねぇ、何を騒いでいるの?」

「ち、千歳さん、これは、その」

 

 大淀が瑞鶴を宥めようとしてくれたが、時すでに遅し。

 これだけ大声を出して艦娘達が気付かないわけがない。

 千歳お姉や千代田だけでなく、他の艦娘達までわらわらと寄ってきてしまった。

 逃げ場無し! 八方塞がり!

 

 いや、天才的頭脳をフル回転させて考えろ……!

 この逆境から生還する術を……!

 先ほど集音器で盗聴した事を思い出せ。

 そもそも俺がエロい事を考えているという思惑は、すでに一部の艦娘達にはバレている線が強い。

 加賀には救いようが無いとまで言われるほどである。

 ならば、何故瑞鶴はわざわざこんな騒ぎを起こしてまで、俺の口からそれを認めさせようとしているのだろうか。

 今更軽蔑しないだなんて、そんなわけがない。

 もしもできる者がいたならば、それはもはや聖女ではないか。

 俺の最低な内面を知ってなお受け入れてくれる聖女がいれば俺だって今すぐ結婚したいくらいだ。

 そう考えれば、あれ? 夕張とか明石とか……い、いや! 勘違いするな!

 二人もきっと表面に出していないだけだ。いかんいかん。

 甘い言葉に釣られて、危うく自供してしまいそうに――。

 

 ――繋がった。脳細胞がトップギアだぜ!

 

 俺の記憶の片隅にあった『シュレディンガーの猫』という言葉。

 何か難しくよくわからないが、端的に言えば例え話である。

 間違っているかもしれないが、物事は観測された時点で決定する、的な。まぁそんな意味だったはずだ。

 箱の中に入れた猫が一時間後に半々の確率で死んでいるとする。

 そして一時間後、箱の蓋を開けて中身を確認するまでは、猫の生死は確定していない。

 つまり、死んだ猫と生きている猫という状態が同時に存在しているという事になる。

 実際にはどちらかなのだろうが、その状態を観測されて生死が初めて決まるという事だ。多分。

 

 つまり、俺の口から本性を言い出していない現状、艦娘達から見て俺の中にはドスケベクソ提督とそうでない提督の二人が存在している事になる。

 実際のところ証拠はほとんど揃っており、俺がドスケベクソ提督である事は明らかなのだが、それでもまだ確定はしていないのだ。

 

 警察の取り調べが時に度が過ぎてしまい、無実であるにも関わらず自供を強要され、冤罪で罰せられるという痛ましい事件も存在する。

 何故そんな事になるかと言えば、俺にも詳しくはわからないが、自供させるのが一番楽だからだと思う。

 一度言質を取ってしまえば、それが間違っていても真実になるのだから恐ろしい。

 

 ――つまり、瑞鶴は俺の口から、はっきりと認めさせたいのだ。

 その瞬間、俺がドスケベクソ提督であるという事実が観測され、もはや誤魔化しようのない事実となる。

 しかし認めない限りは、それは確定しないのだ。

 何しろ物的証拠は何もない。俺の頭の中にしかないし、視線を掴まれたのは痛いが、誤魔化しようはいくらでもある。

 

 シュレディンガーの猫ならぬ、シュレディンガーの色欲童帝(シココ)……!

 なるほど、瑞鶴の狙いは読めた……。目的は俺の口から自供させる事……!

 だが俺も見苦しいほどの悪あがきには定評のある男。絶対認めねェ!

 俺が千代田達の胸を凝視していたという事実は覆せない。

 だがその意図は誤魔化せる……よし! これでいくしかねェ!

 

「えっ、提督が私達の胸を……? ちょ、ちょっと……やだぁ」

「……て、提督、本当なのですか?」

「まったく……哀れね。本当に救いようがないわ」

 

 千代田は胸を隠すように腕組みをして、俺にジト目を向ける。

 千歳お姉は困惑しながらもなんとか平静を装おうとしているように見えた。優しい。

 加賀が冷めたような、呆れたような眼で俺達に目を向けて溜め息をついている。凹む。

 

 覚悟を決めて、俺は至近距離で俺を睨みつける瑞鶴の肩に手を置いて、そっと押しのけた。

 そして千歳お姉と千代田に目をやって、真剣な表情で深く頭を下げたのだった。

 

「瑞鶴の言う通り、千歳と千代田の胸の辺りを凝視していたのは本当だ。本当に済まない」

「えぇっ⁉」

 

 艦娘達が大きくざわめいた。

 まさか俺が自ら認めるとは思っていなかったのであろう。

 千歳お姉も慌ててその胸を隠すように腕を組む。凹む。その腕で柔らかな胸が変形する。ダンケ。

 だが勿論これで終わりでは無い。これで終わったらただの視姦宣言ではないか。

 俺は間を置かずに言葉を続ける。

 

「だが、そういう意図で見ていたのではないのだ。そこだけは、誤解されたくはない……。だが、瑞鶴が勘違いをしたのも無理は無いのだから、今後、瑞鶴を責めないでやってくれ」

「はぁぁ⁉ ちょっと提督さん! 何を人のせいに……往生際が悪いよ‼ それなら一体何を考えてたっていうのよ⁉」

「それは……言えない」

 

 必殺・黙秘権の発動であった。

 俺はなるべく深刻そうな表情を作り、納得など当然出来ていない様子の瑞鶴から目を逸らし、千歳お姉に目をやった。

 狙うべきは瑞鶴と千代田ではない。千歳お姉に集中するのだ。

 千代田はともかく、横須賀十傑衆第四席・千歳お姉は優しいからきっと許してくれる。

 千歳お姉が許してくれれば、シスコンの千代田もきっと許してくれる。

 本人達が許したのなら、部外者の瑞鶴が騒ぐ意味もなくなるであろう。示談成立!

 被害者である千歳お姉の優しさに頼るという、我ながら最悪の解決策であった。

 

「千歳、そして千代田。不快な思いをさせてしまって済まなかった……今の事は忘れてくれると助かる……」

「え、あ、あの……」

「忘れてくれ。そして今後、話題にも出さないでくれ。この話は終わりだ」

「そ、それは、あの、はい……あっ、何処へ」

「間宮を待たせたままだったからな……昼食を食べてくる」

「て、提督さんっ、私達は……」

「鹿島と羽黒は大淀の指示に従ってくれ。後で私も執務室に戻る。大淀、後は頼んだ」

 

 事態の収束を大淀に丸投げし、俺は逃げるように足早に倉庫を去ったのであった。

 千歳お姉と千代田の胸を凝視していた事さえも否定すれば、瑞鶴にそこを突かれるであろう。

 ひとつ嘘をついていた事が明らかになれば、圧倒的に不利になる。

 周囲の艦娘達の心証も最悪になるであろう事は明白だ。

 故に、そこは認め、素直に謝る。

 だが、瑞鶴でもはっきりと確定できていない、「俺が胸を凝視していた意図」については一切黙秘!

 これにより、瑞鶴による俺への追及はそこで止まってしまい、迷宮入り。後は時効が成立するのを待つのだ。

 我ながら見苦しいが、あの場を切り抜けるにはこれしか思いつかなかった。

 

 これからは、瑞鶴の見ている前では一層挙動に気をつけねば……。

 そして大淀さん……! できればあの状況さえもその手腕で何とかしてくれ……‼

 俺にまだ……利用価値があるなら!

 こんなドスケベクソ提督でマジすいません……‼

 

 鬼達が再び追ってこない事を祈りつつ、俺は甘味処間宮(天国)へと現実逃避したのであった。




大変お待たせ致しました。
思ったよりも長くなってしまった為二つに分割しようかとも思いましたが、あえてまとめて投稿する事にしました。

七駆の秋刀魚グラが可愛くて色々捗ります。
曙が普通に提督って呼んだ事と、朧が「曙ちゃん、磯風ちゃん」とちゃん付けで呼んでいた事が色々衝撃でした。
朧は呼び捨て系だと思っていました。

リアルの都合上更新が不定期ですが、気長にお待ち頂けますと幸いです。
余談ですが、今月の「おねがい! 鎮守府目安箱」は私のケッコン艦予定の春風回です。

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