ラストダンスは終わらない   作:紳士イ級

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050.『視線』【艦娘視点】

 私と共に謝罪を済ませた川内さん達は、他の艦娘達と共に装備品の片付けに入った。

 私も手伝うべきか一瞬考えたが、提督はあえて私を、そう、この大淀を秘書艦から外し、他の艦よりも高度な補佐が出来るようにと考えている。

 自称しているだけの磯風とは違い、私は提督じきじきに信頼していると御言葉を賜った、自他共に認める右腕――言わば真の秘書艦、いや秘書艦統括……。

 これは決して自惚(うぬぼ)れでは無いと断言できる。

 先ほどのイムヤの轟沈騒ぎの際、提督は私の名を大声で呼んでから命令を発した。

 秘書艦の羽黒さんや鹿島ではなく、艦娘達のリーダーである長門さんでもなく、他ならぬこの私の名を呼んで下さったのだ。

 その瞬間――提督が私へ多大なる信頼を預けてくれている事が心で、魂で理解できた。

 それを考慮すれば、秘書艦の羽黒さん、鹿島と共に提督の側に控えるべきであろう。

 明石と夕張が工廠担当に任命されたのだから、それを私が、そう、秘書艦統括たるこの大淀が仕切る必要は無い。

 適材適所、役割分担――そういう事である。フフフ。右腕。

 

 しかし、私に備蓄回復作戦を一任し、提督自身が次に何を立案するかと考えていたが……まさか倉庫の整理などに目をつけるとは思わなかった。

 前回の勝利の勢いに乗って、このまま太平洋側の制海権を広げていく神策を湯水のごとく編み出していくものだと期待していた事からすれば、それはあまりにも拍子抜けで――そして私はまた自分を恥じる事となる。

 先の事ばかり、前の事ばかりに目が行っていて、足元が(おろそ)かになっている事を失念していたのだ。

 主に必要とする装備の類はある程度手の届くところに保管しているが、そうでないものは前提督のデイリー装備開発の結果生まれた装備の山に埋もれてしまっている。

 これではいざ必要とする時に、この山をかき分けて探す事から始めなければならない。

 そんな時間さえも無い、切迫した状況であったならば――倉庫の片付けをしていなかった、ただそれだけで救えたものが救えなくなるかもしれない。

 

 どんな神策よりも、基礎、基本――それはあまりにも当たり前の事。

 不要なものを処分する事。

 必要なものを必要な時に、すぐに取り出せるようにする事。

 整理整頓。清掃、清潔――そして習慣。

 

 常にそれが当たり前の状態を保つ事。

 そんな単純な事が、私達はこの一か月間出来ていなかった。

 その間、倉庫の山に埋もれた装備の何かが必要とならなかったのは、ただの幸運だったのだ。

 まずは足元を固める事、そうでなければ、いつ足を掬われるかわからない。

 時は一刻を争う――この倉庫の整理もまた、立派な戦いだ。

 ただ落ち込む為にこんなところに引きこもるとは思っていなかったが……おそらく満潮を励ます際に倉庫の現状が目についたのだろう。

 夕張ではないが、こんな基本的な事さえもできていないと思われていないか、この一か月間長門さんと共に横須賀鎮守府を指揮してきた立場として今更ながら恥ずかしくなってきた……。

 

 私がそんな事を思案している内に、提督は何やら長門さんや龍驤さんに声をかけられている。

 何やら小口径主砲を持ち上げようと試みていたらしい。

 そんな提督を見て、鹿島が嬉しそうに教鞭をぴしぴししながら歩み寄っていく。

 

「提督さんっ。これらの装備は艦娘には軽く感じられるみたいですけれど、人間にはとても持ち上げられない重さに感じられるそうですよっ、えへへっ」

「そ、そうなのか。」

「そうなのですっ。ただ、長門さんの担いでいる大口径主砲みたいに装備できないものは、私達でも持ち上げられませんけど。うふふっ、楽しい……っ♪」

「……な、何がだ?」

「えっ、あ、な、何でもないですっ。……えへへ」

 

 くっ……あざとい……。

 い、いや私は何を。こういう事は昨夜自己解決したかと思っていたが、全然吹っ切れられていない自分が情けない。

 鹿島は天然だ。計算であぁいう態度を取っているわけでは無い。

 提督の秘書艦を務められているという嬉しさが堪え切れず、笑いが漏れてしまうだけなのだ。

 だが鹿島の男性からの異様な人気……やはり明石の装備改修のような固有性能のように、鹿島にも男性を魅了する固有性能が……いや、だから私は一体何を馬鹿な事を考えているんだ。

 こんな有り様では提督の右腕など名乗れない……。提督の領域はまだまだ遠い。

 やはり提督も鹿島の魅力の前にはくらりときてしまうのではという私の心配など露知らず、提督は「そうか」とそっけなく答え、何事も無かったかのように鹿島から目を背けた。

 て、提督……流石です!

 

 鹿島から逸らされた提督の視線は、ある一点でぴたりと固定された。

 その先を辿ると、千歳さんと千代田さんが並んで主砲を運んでいる。

 千歳さんと千代田さん姉妹に、何か気になる点でもあるのだろうか……。

 

 提督の視線を更に正確に辿れば、千歳さんと千代田さんの胸元を見比べるかのように行ったり来たりしている。

 む……胸を……見比べて……ッ⁉

 い、いや落ち着け。これではまるで瑞鶴さんではないか。

 つい先ほども話したばかりだ。提督はその神眼で艦娘達の性能を計る癖があると推察されている。

 その為にはしばらく凝視する必要があるのだろう……そうだ、あの真剣な眼光はそういう事だ。

 だから千歳さんと千代田さんの胸を……ッ、胸を見比べているわけでは無い……!

 い、いや、そもそも性能を計るだけならば見比べる必要があるのか……⁉

 提督の視線はメトロノームのごとく一定のリズムで千歳さんと千代田さんの胸を往復している。

 あれではまるで、どちらが大きいか水上機母艦乳比べでもしているかのような……!

 そ、そんな、提督がネタに困って倒錯したかつての青葉と同じ領域にあるはずは無い!

 し、しかし、それならばあれは一体……⁉

 

 私が必死に答えを探していると、つかつかと提督に向かって歩いていく人がいる。

 ――瑞鶴さんであった。

 提督はかなり集中しているのか、瑞鶴さんが近くでじっと視線を向けても気付いていない。

 瑞鶴さんの視線が蔑むような色を帯び、そして静かな声色で口を開いた。

 

「――提督さん、さっきから何考えてんの?」

「うむ。千代田の方が千歳よりも上なのではと思ってな……本来の姿を抑え込んでいるのではないかと」

 

 千代田さんの方が千歳さんよりも上……⁉

 どういう事だ。性能的に二人は互角。いや、性能だけではなく経験や判断力なども含めて判断すれば、総合力では千歳さんに軍配が上がる。

 提督は一体何を見て――。

 私がそれを考察する間もなく、提督の言葉を聞いた瑞鶴さんは瞬時に頭に血が上ったかのように顔を赤くして、責めるような口調で声を上げた。

 

「へー⁉ 確かに千代田の胸キツそうだもんね⁉ 私達が働いてる時に水上機母艦乳比べしてたってわけ⁉ へぇぇー⁉ 提督さんそういうのが趣味なんだー⁉ 何考えてんの⁉ 信じらんない!」

「ままま、待て待て待て‼ それは違う! 誤解だ! それは誤解なんだ‼」

「いーや! 嘘だね! じっと千代田達の胸の辺りを凝視してたのも私は見てたっ! そしてしょうもない事考えてたっ! 私にはわかる! 提督さん、吐くなら今の内! 早い内に認めちゃった方が楽になるよ。……薄々気づいてたし、私は別に今更そんな事で軽蔑なんてしないからっ」

 

 鉄仮面の提督が珍しく、激しく動揺していた。

 それはそうだろう。瑞鶴さんの言葉通りではまるで救いようのないムッツリスケベの変態ではないか。

 たとえ常に冷静沈着であろうと心がけている提督であろうとも、冷静に対処できずともおかしくはない。

 しかし私の考えていた事がやはり瑞鶴さんと同レベルだった事が、地味に……悔しい。

 提督が否定していた通り、そんなわけが無いではないか。

 真の秘書艦にして右腕たるこの私が情けない……。まだまだ未熟だ。

 と、とにかく落ち込んでいる場合ではない。騒ぎになる前に瑞鶴さんを止めなければ。

 

「ちょ、ちょっと瑞鶴さん……!」

 

 私が瑞鶴さんを宥めようと足を踏み出した瞬間、千歳さんがこちらに声をかけてくる。

 

「ねぇ、何を騒いでいるの?」

「ち、千歳さん、これは、その」

 

 駄目だ、もう内々に対処できない。

 倉庫内であれだけ大きな声を出したのだ。しかも瑞鶴さんが、提督に向かって。

 気にならない艦娘など一人もいないであろう。

 他の艦娘達も作業の手を止めて、遠巻きにこちらの様子を眺めている。

 瑞鶴さんが喚いた言葉から、騒ぎの内容は大体理解できているようであった。

 それらのざわめきから状況を読み取った千代田さんが、その胸を隠すように腕組みをしながら提督にジト目を向ける。

 

「えっ、提督が私達の胸を……? ちょ、ちょっと……やだぁ」

「……て、提督、本当なのですか?」

 

 千歳さんも提督の神眼については理解できているはずなのだが、それでもやはり胸を凝視されていたというのは恥ずかしいのだろう。

 何とか平静を装いつつも、恥じらっているように見えた。

 

「まったく……哀れね。本当に救いようがないわ」

 

 加賀さんはまったくそのような邪推はしていないのだろう。

 初日に提督を疑って失態を犯してしまったという後悔から、加賀さんは提督を二度と疑うまいと固く誓っている。

 先ほど説明したにも関わらずまだ騒いでいる瑞鶴さんに呆れてしまったのだろう。冷めた目を向けて、小さく溜め息をついていた。

 提督が豊満な乳房を凝視していたとしても、決して提督を疑う事の無い、揺らぐことの無い強固な意志。

 私もあぁなりたいものだ。提督の右腕として見習わねば……。

 

 提督は瑞鶴さんの追及の視線に困惑しつつも、必死に何かを思惑しているようであった。

 まさか本当に下心から胸を凝視しており、言い逃れの為の言い訳を考えているというはずも無いだろう。

 だが、一度ははっきりと誤解だと否定したにも関わらず、何をそんなに考え込む必要があるのだろうか。

 本当に誤解というだけであれば、瑞鶴さんの言葉はきっぱりと否定し、性能を計っていたと素直に説明すればいい。

 だというのに、何を悩んでおられるのか……。

 

 やがて提督は詰め寄っていた瑞鶴さんをそっと押しのけて、千歳さんと千代田さんにいつもの真剣な表情で頭を下げた。

 

「瑞鶴の言う通り、千歳と千代田の胸の辺りを凝視していたのは本当だ。本当に済まない」

「えぇっ⁉」

 

 私を含め、ほとんどの艦娘達は思わず声を上げた。

 千歳さんも千代田さんと同じように、慌ててその豊満な胸を腕組みをして隠し、提督から身体の前面を逸らした。

 しかし千代田さんも千歳さんも全く隠せていないというか、腕で圧迫されてむしろはみ出して、いや私は何を考えているんだ。

 頭がおかしくなってしまっている私に構わず、提督は間を置かずに言葉を続けた。

 

「だが、そういう意図で見ていたのではないのだ。そこだけは、誤解されたくはない……。だが、瑞鶴が勘違いをしたのも無理は無いのだから、今後、瑞鶴を責めないでやってくれ」

 

 ……なるほど、確かに性能を計る為とはいえ、千歳さん達の胸を凝視していたのは私も確認している完全なる事実。

 そこさえも否定していれば、提督の言う言葉とはいえ完全に嘘となってしまう。

 そうだとはいえ、女性の胸を凝視していた事を素直に認めて謝罪するとは、正直な御方だ……。

 しかし、その意図は当然、下心などでは断じて無い。

 そこだけは誤解されたくないと主張するのも、提督の名誉に関わる問題なのだから当然であろう。

 下手をすれば艦隊運用にも支障が出かねない。

 

 つまり、瑞鶴さんは早とちりをして提督の名誉を傷つけるような発言をしてしまった。

 提督が伏せている出自を考えれば不敬にも程があるが――提督はそれを許した。

 火のない所に煙は立たぬ。李下に冠を正さず。

 瑞鶴さんに疑われてしまったのも、元はと言えば艦娘達に許可を得る事なく盗み見るような事を提督がしたからだ。

 疑われるような事をした自分が悪い、だから瑞鶴さんを責めないでやってくれと、今後艦娘達の中で瑞鶴さんの立場が悪くならないようにと配慮して下さっている。

 お優しい御方だ……。

 

 だが、当の瑞鶴さんはまだ納得がいかないようで、提督を更に激しく問い詰める。

 

「はぁぁ⁉ ちょっと提督さん! 何を人のせいに……往生際が悪いよ‼ それなら一体何を考えてたっていうのよ⁉」

「それは……言えない」

 

 そう言って、提督は口を固く閉じてしまった。

 それに私は、若干の違和感を感じてしまう。

 艦娘の性能を計っていた事を素直に言えばいいのに……何故言わないのだろうか。

 いや、それだけでは二人を見比べていた理由にはならないし、そこを瑞鶴さんも問い詰めてくるだろう。

 提督が隠したがっているのは、その部分……?

 

 提督は瑞鶴さんから千歳さんへと顔を向け、そして再び頭を下げた。

 

「千歳、そして千代田。不快な思いをさせてしまって済まなかった……今の事は忘れてくれると助かる……」

「え、あ、あの……」

「忘れてくれ。そして今後、話題にも出さないでくれ。この話は終わりだ」

 

 半ば強引に押し付けるかのようにそう言って、提督は踵を返した。

 倉庫から出て行こうとするその背中に、千歳さんが声をかける。

 

「そ、それは、あの、はい……あっ、何処へ」

「間宮を待たせたままだったからな……昼食を食べてくる」

 

 そう言えば確かに提督は起床してから何も口にしていない……。

 だがこの場においては、明らかにこの話題を打ち切る為の理由としか思えなかった。

 提督にしては珍しく粗の目立つ強硬策であるが、つまりそれだけ、この話題を終わらせたい理由があるという事だろう。

 鹿島が提督に駆け寄って、秘書艦である自分達も付き添った方がいいかを問う。

 

「て、提督さんっ、私達は……」

「鹿島と羽黒は大淀の指示に従ってくれ。後で私も執務室に戻る」

 

 提督は鹿島にそう答えると、私に目を向けた。

 一切の濁りの無い水晶のような瞳が私を射抜き、耳に沁み込むような低い声で、提督は私に囁くように言ったのだった。

 

「大淀、後は頼んだ」

 

 ただ一言そう言い残して、私の返事も待たぬままに、提督は足早に倉庫を去ったのだった。

 返事を待たない――それは私の答えを聞くまでも無いから……私の事を信頼している故に他ならない。

 私の脳内には、提督が残してくれたその一言が、エコーがかかりながらリフレインしていた。

 

 ――大淀、後は頼んだ……――

 

 後は頼んだ……――

 

 頼んだ……――

 

 よ、よぉし、よぉし……! お任せ下さい! お任せ下さい‼

 貴方の真の秘書艦にして秘書艦統括、この大淀にお任せ下さい! フフフ。右腕。

 

「大淀、ドヤ顔」

「だからもう指摘しなくていいって」

 

 夕張と明石が呆れたような視線と共に何か言っていたが、そんな事はどうでもよかった。

 提督が私に求めている事は何だ。考えろ。

 話題を強制的に打ち切った形だ。瑞鶴さんだけでなく、当事者の千歳さんも千代田さんも、周りの艦娘達も不完全燃焼の状態。

 単にこの件について緘口令を敷いてしまえばそれまでだが、皆の中にもやもやが燻ったままというのは危うい。

 やはり、丸く収めなければ……その為には皆を納得させる事が必要不可欠。

 まぁ、瑞鶴さん以外の皆は、提督が下心なんて抱いていないという事は疑ってなどいない。

 皆のもやもやは、何故提督があんな妙な話題の終わらせ方をしたのか、という事だ。

 それについては、私もまだ答えが出ない。

 そうか、提督の領域に至った者であれば、提督の考えも容易く導ける。

 ここで悩んでいる時点で、私も含めた全員、提督の領域にはまだまだ遠いという事の証明なのだ。

 本当に底の見えない御方だ……。

 

 だがせめて、誰よりも早くこの私が追い付かねば……。

 私の名を呼んでくれた、私を指名してくれた提督の信頼に応える為にも……!

 

 私が必死に思案していると、翔鶴さんが慌てて瑞鶴さんに駆け寄った。

 

「ず、瑞鶴! 貴女、提督に何て失礼な事を……! 一体どうしちゃったの」

「うっ……それは、その……いや、本当はあんなに騒ぐつもりは無かったんだけど……提督さんが変な事言うものだから、つい、カッとなっちゃって……」

 

 瑞鶴さんも、感情に流されて言い過ぎたという事は反省しているようだった。

 すぐに口が、そして手が出る瑞鶴さんは少々気性が荒いと言えるが、逆に言えばあの出自を知っていながらそれだけ素を見せてしまう提督こそが凄いのかもしれない。

 提督も、私達が素の状態で接するのを望んでいるようだから、瑞鶴さんに対して不敬だとかは思っていないとは思うが……。

 加賀さんがいつもの表情を崩さないままに、しかし呆れ果てたような声色で瑞鶴さんに声をかける。

 

「提督の視線には理由があると私は言っていたつもりだけど、聞いていなかったのかしら。大声で騒ぐのもはしたないからやめなさいと言ったでしょう」

「さ、騒いだのは、我ながら悪いと思ってる……でも、あの視線は確かに」

「貴女が怒ったのは、千歳と千代田の豊満な胸に視線が釘付けになっていたのが面白くなかったからでしょう。自分の劣等感を提督に八つ当たりするなんて……」

「ぐっ……べ、別にそういう事じゃないしっ!」

「じゃあどういう事なのかしら」

「それは……だ、だからっ、カッとなっちゃったのよっ! あんなに女の子の胸見てたら怒るでしょ普通! 誤解だなんて言ってたけど、千歳と千代田のどっちが巨乳かなんて真剣に吟味してるもんだから……!」

 

「し、司令官さんはそんな事、仰ってませんっ!」

 

 絞り出すようにそう叫んだのは、今まで私達の近くで様子を窺っていた羽黒さんだった。

 引っ込み思案で、普段は周りに遠慮して意見もなかなか言えない性格だが、そんな羽黒さんでも流石に見過ごす事ができなかったのだろう。

 

「司令官さんはあの時こう仰っていました。千代田さんの方が千歳さんよりも上なのではと思った、本来の姿を抑え込んでいるのではないか、って……」

 

 羽黒さんの言葉を聞いて、加賀さんは瑞鶴さんに冷たい視線を向けた。

 

「何をどう聞いたら水上機母艦乳比べという発想になるのかしら。この風船頭の中身を一度見てみたいものね」

「風船頭って何よ⁉ 私の頭が軽くて空っぽだって言いたいの⁉ だって千代田が千歳より上回ってて、提督が凝視してたとなるともう胸のサイズしかないじゃない! 抑え込んでる本来の姿ってのも、パツパツになってる千代田の胸の事でしょ⁉」

「どう解釈したらそうなるのかしら。まったく……誤解されてもしょうがない事だから瑞鶴を責めるなと提督から言われているけれど……話にならないわね」

「いや、あの眼は完全に下心満載だったよ! あれは千歳達の胸をこの手で支えてあげたいとか思ってる眼だった! 大は小を兼ねるとか考えてる眼だったっ!」

「貴女は支えられるほど無いし兼ねる事もできないものね」

「関係無いでしょ‼」

「あるでしょう。哀れね」

「な、何ー⁉」

 

「あ、あのっ!」

 

 加賀さんと瑞鶴さんのいつものやり取りに、羽黒さんが割って入る。

 非常に珍しい事だ。妙高さん、那智さん、足柄さんも、驚いたように目を丸くしてその様子を窺っている。

 

「し、司令官さんが千歳さん達に謝った時も、む、むね……胸の()()を凝視していたと仰っていました。胸を見ていたとは仰ってません……。ただ、それにあまり違いはなくて、千歳さんと千代田さんに不快な思いをさせてしまったと思ったから、素直に謝ったのではないでしょうか」

「それは……凝視してたのは近くで私も見てたし、逃れようがなかったからだと思うけど」

「わ、私は、その……大淀さんや加賀さんが仰っていたように、司令官さんが私達の性能を見定めていたと仮定すると、司令官さんの仰っていた事は、その……む、むね……胸ではなくて、千代田さんが、千歳さんよりも性能が上で……本来の性能を抑え込んでいるのではないか、という事になる、と思うんです」

「そ、そんなわけないじゃない! 私が千歳お姉を超えているなんて」

 

 頬を紅潮させながらの羽黒さんの言葉を、千代田さんが即座に否定した。

 その姿に私はどこか違和感を覚え――それは常に一緒にいる姉の千歳さんからすれば、猶更であったのだろう。

 何故ならば少し前までの千代田さんは、練度が上がったり近代化改修を済ませるたびに、「これで勝てる……! 千歳お姉に勝てるかも!」などと言って、常に千歳さんに張り合っていたからだ。

 いつからだろうか、そう言えば――千代田さんがそんな事を口にしなくなったのは。

 千歳さんは少し考えた後で、千代田さんに眼を向ける。

 

「ねぇ千代田。貴女、私に何か隠してない?」

「えっ……お、お姉?」

「イエスかノーで答えて。別に、人には誰しも秘密があるものだから、プライベートな事なら秘密にしても全く問題無いと思うわ。だけど、もしも提督の言っていた事が正しければ、艦隊運用に関わる事であったならば……それはとんでもない事よ。千代田、正直に答えて」

「な、無いわよ! 私が千歳お姉に隠し事なんてするはずが無いじゃない!」

 

 大好きな千歳さんに疑われて、千代田さんも狼狽していた。

 だがそこには身の潔白を主張するも疑われている事に対する悲壮感は感じられず――むしろ、罪悪感、後ろめたさ、焦り……そんな色ばかりが態度や声色から滲み出ていた。

 何かが、おかしい。

 周囲の艦娘達からの疑惑の視線が千代田さんに突き刺さり、千歳さんは千代田さんの肩をしっかりと掴み、真正面からその眼を見据えながら言葉を続ける。

 

「……わかったわ、信じてもいいのね。つまり提督の眼は節穴だった……私達の性能を正確に計る事も出来ず、私達はただ胸を眺められていただけだったに過ぎない……いえ、瑞鶴さんが言っていたように、下心から私達の胸を見ていた……私はそう考えてもいいのね?」

「そっ、それは……い、いや、そこまでは、その」

「私達を地獄から救い出してくれた提督は、あの心優しい提督はっ、そんな人だったと! 千代田を信じて、私はそう判断してもいいのねっ⁉」

「……っ!」

 

 千代田さんはもう耐えられないと言ったように千歳さんから顔を逸らし、そのまま押し黙ってしまった。

 その沈黙は何よりも雄弁だった。

 つまり、そういう事だったのだろう。

 四方八方から視線を受けながら、しばらく沈黙を続けていた千代田さんは、やがて耐えかねたように千歳さんから一歩下がり、顔を伏せながら艤装を具現化した。

 

 背中の艤装から伸びる二本の射出機(カタパルト)に、両腕に一丁ずつ握られているトリガー式の射出機(カタパルト)

 そして両足首に装備された甲標的。

 千歳さんと千代田さんは、少し特別な改装形態を持っている。

 二人の通常の艤装は背中と両腕、四本の射出機(カタパルト)のみであり、そこから更に両足の甲標的を追加で具現化する事ができるのだ。

 間違い無く『改』よりも次の段階でありながら『改二』とは異なる改装であり、この形態はそれぞれ『千歳甲』『千代田甲』と命名されている。

 

 そこまでならば、やはり千歳さんと精々互角、とても上回っているようには見えなかったが――千代田さんは、更に言葉を続けたのだった。

 

「……千代田……『コウ』……っ!」

 

 瞬間――私達は言葉を発する事が出来なかった。

 千代田さんが纏っていた射出機も甲標的も姿を失い、その代わりに、千代田さんの傍らに巨大な箱のようなものが具現化されたからだ。

 一言で言えば妙な形の木製の箱。

 だが、その表面に描かれているデザインと、『ちよ』の文字。

 あれはまるで――飛行甲板。

 千代田、『コウ』……甲……いや――『航』……⁉

 

 周囲の視線を一身に集めるその箱にいち早く駆け寄ったのは龍驤さんだった。

 横須賀鎮守府の空母達のまとめ役として、そして歴戦の軽空母として、いち早くそれを察知したのだろう。

 

「これは……妙な形やけど……千代田、キミ……これは……っ、甲板やないか! 水上機母艦から空母、いや、軽空母になっとったんか……⁉」

 

 がこん、と音が鳴り、その箱が棚のように開かれる。

 その中には大量の艦載機が格納されていた。

 からくり箱、だろうか――こんな形の艤装は今まで見た事が無い……。

 私達はすっかり言葉を失ってしまった。

 

 艦種が変わる改装――確かにそれは今までにも確認されてはいる事だが、その前例はごく僅かだ。

 横須賀鎮守府で言えば利根さん、筑摩さん。

 通常は重巡洋艦でありながら、改二の実装と共に航空巡洋艦へと変わる。

 他の鎮守府で言えば、戦艦でありながら改装により航空戦艦となる扶桑型、伊勢型姉妹。

 そして改装により軽空母となり、龍鳳と名が変わる潜水母艦、大鯨など……。

 扶桑型姉妹の航空戦艦化のように、中には史実では有り得なかった改装が実装されたものもあり、そういったものは艦隊司令部から『IF(イフ)改装』と呼ばれている。

 

 赤城さんが千代田さんのからくり箱、飛行甲板を見て、どこか悲し気な表情で口を開いた。

 

「……おかしな話ではありません。千歳さん、千代田さんは、あの戦いの後で……航空戦力の……私達の穴を埋めるべく、軽空母へ改装されたと聞いています」

「赤城さん……」

 

 加賀さんが赤城さんに寄り添い、心配そうな目を向ける。

 赤城さんの言うあの戦いとは、言うまでもなく――ミッドウェー海戦の事だ。

 赤城、加賀、そして蒼龍、飛龍……栄光の空母機動部隊、その主力空母四隻が失われた――語る事も、思い出す事さえ(はばか)られる、圧倒的な、決定的な、あまりにも凄惨な敗北。

 今の千代田さんの姿は、赤城さんの知らない姿……自らの穴埋めの為に改装された姿なのだ。

 思うところがあるのかもしれない。

 

 ――確かに、千歳さん、千代田さんは史実においても軽空母へと改装されている……『IF改装』では無い。

 赤城さんの言うようにおかしな話では無いが……すでに千代田さんがそれに目覚めていたとは考えもしなかった。

 それに、あの独特な形状の飛行甲板……。

 

 空母型の艦娘の発艦形式は様々なものがある。

 鳳翔さん、赤城さん、加賀さん、翔鶴さん、瑞鶴さんは和弓形式。

 艦載機は矢という形で矢筒に格納されており、弓型の艤装により空へと放たれる。

 龍驤さんは召喚形式と呼ばれており、舞鶴鎮守府の飛鷹さん、隼鷹さんなどが同様の形式を持つ。

 その装束もそうだが、まるで陰陽師のような風貌で、彼女達の飛行甲板は巨大な巻物型、そして艦載機は切り紙人形の形で格納されている。

 その切り紙人形を媒介として、飛行甲板に描かれた紋様を通して、艦載機を式神として召喚する。

 春日丸は更に変わっていて、鷹匠形式と呼ばれている。

 艦載機をまるで鷹のように扱い、懐いてくれたら腕に乗ってきてくれるらしいが、そうでなければどこかに飛んで行ってしまうらしい。

 故に格納形態は不明であるが、そもそも艦載機自体が意志を持つような言い方をするのは、春日丸固有のものなのであろうと推測される。

 おそらく、『春日丸に装備された艦載機』がそういう事になるのであろう。

 

 千代田さんが具現化した飛行甲板は、それらのどれにも当てはまらない。

 名付けるならば、『傀儡(くぐつ)形式』といったところだろうか。

 外見上の前例は無いが、それは間違いなく空母の艤装であった。

 勿論、千代田さんにそんな能力があった事など、今の今まで誰も――千歳さんでさえも、知らなかった事。

 

『千代田の方が千歳よりも上なのではと思ってな……』

『本来の姿を抑え込んでいるのではないかと――』

 

 提督の言葉が脳内で反芻された。

 やはり、やはりあの御方は、これを見抜いていたのだ。

 抑え込まれていた本来の姿――軽空母としての姿を。

 千代田さんが、大好きな姉の千歳さんにまで秘密にしていたそれを僅か数秒、千歳さんと見比べただけで看破してしまったのだ――。

 提督が二人に注目していた理由。

 史実を考えれば、そして『艦娘型録』に記載されていた練度を考えれば、軽空母への改装という更なる強化がすでに可能なのではないかという意図が、提督にはあったのかもしれない。

 そしてそれは、千代田さんにはすでに実装されていながら、それを隠しているという事実として確認された。

 

 だが、何故提督はその事実を伏せたのだろうか。

 千代田さんにジト目を向けられてしまったように、瑞鶴さんの追及により、危うく下心から胸を凝視していたと勘違いされるところであった。

 それはとても不名誉な事だ。流石に提督もそれ自体は否定したものの、胸の辺りを凝視していた意図については、不自然なほどに強引に伏せた。

 瑞鶴さんに不意に声をかけられて、うっかり口を滑らせてしまった故に明らかになってしまったが、本来はこの場で明らかにするつもりなどなかったのだろう。

 

「……千代田、貴女、一度は嘘をついたわね。千代田が私を超えている事なんてない、隠し事なんてするはずがない、って……」

「ご、ごめんなさいっ! 千歳お姉っ! 私、私っ」

「謝る相手は私じゃないでしょうっ! 私が怒っているのは、私に隠し事をしていた事じゃ無い! 私を超えていた事でも無い! まさか貴女、提督に不名誉な罪をなすりつけて、この場を切り抜けようとしていたの⁉ あんなにも優しい人に……あんなにも立派な人にっ! なんて事を……!」

「ちっ、違うっ! わ、私っ、そこまで頭が回らなくて……!」

「それだけじゃないわ。軽空母への改装……そんな能力を隠していた事がどういう事か、本当にわかっているのっ⁉」

 

 いつも優しく穏やかな千歳さんには珍しく、感情的な言葉を千代田さんに叩きつける。

 千代田さんはもうすっかり萎縮してしまい、ただ千歳さんに涙ながらに縋りつく事しか出来ていなかった。

 龍驤さんがからくり箱に手を添えながら、千代田さんに目を向けて口を開く。

 

「キミら水上機母艦は未だ数が少なくて貴重な存在やけどな、激戦地においては制空権の確保っちゅー意味で、空母は必要不可欠な存在や。空母の数がそのまま制空権の確保に繋がり、戦況を左右する事もある……もしも空母があと一隻運用できていれば、結果が変わっていた戦闘もあったかもしれへんな。キミがこの力に目覚めたのは、いつやねん」

「……ひっ、ひっく、ひっく、は、半年前くらい……」

「まだ前司令官の指揮下にあった時か……うーん、まぁあの時はキミら水上機母艦も、うちら軽空母組も全然出番無かったからなぁ……報告したところで出番は無かったかもしれへんけど……」

 

 腕組みをしながら唸っている龍驤さんに、千歳さんが声をかけた。

 

「龍驤さん、無理してフォローしてあげなくても結構です。前提督の更迭後、一か月間……提督が着任しないまま、私達は必死に戦ってきました。そのつもりでした……」

 

 千歳さんは千代田さんから顔を背け、踵を返し――後ろで見ていた私と長門さんの方へと向き直る。

 そして震える声を必死で堪えながら、言葉を続ける。

 

「しかし、千代田は軽空母として戦える能力を隠していた……軽めの燃費でアウトレンジから攻撃できる軽空母が一人増えれば、この一か月間の戦いも少しは楽になっていたはず……そうでしょう?」

 

 千歳さんが私に何を言わせようとしているのかは理解できたが、ぼろぼろと涙を流している千代田さんを見て、少し躊躇ってしまった。

 しかし、長門さんは物怖じする事もなく、凛とした表情のまま、はっきりと口を開いたのだった。

 

「……あぁ、その通りだ。提督の指揮下に無かった私達は、最低練度の状態での戦いを強制されていた。この長門ですら、当たり所が悪ければ敵の軽巡に大破させられた事があるくらいの……思い出したくもない、地獄だった。そんな中で、敵の射程外から制空権を握り、ほぼ確実に強力な先制攻撃が可能な空母という存在は、とても貴重だった」

 

 長門さんの堂々とした態度に勇気づけられ、私もそれに続く。

 

「そんな状況で、未だ実戦経験の無い春日丸や前線を退いた鳳翔さんを運用する事は出来ませんでしたから、必然的に残る五人、赤城さん、加賀さん、翔鶴さん、瑞鶴さん、そして龍驤さんへの負担はとても大きなものでした……あと一人だけでも、運用できる空母があればと考えた事がないかと問われれば……否定はできません」

「……本当にごめんなさい……っ!」

「ちっ、千歳お姉っ! 違う、違うの! お姉が頭を下げる必要なんてないっ! 私がっ、私が悪いからっ! みっ、皆っ、ごめんっ、ごめんなさいっ‼」

 

 千歳さんは私達に深く頭を下げた。

 それを見た千代田さんが号泣しながらそれを止めようとするも、千歳さんは頑なに頭を上げようとはせず、やがて千代田さんも並んで頭を下げた。

 どうするべきか判断に迷ったが、とりあえず頭を上げてもらえるよう、二人に声をかける。

 そして、私は千代田さんに問うたのだった。

 

「その……終わってしまった事を責めても仕方ありません。それよりもお訊ねしたいのは、何故、それを黙っていたのか、という事です」

「ひっく、ひっく、さ、最初は、す、水上機母艦と軽空母だと、運用が変わるから……っ、万が一、ち、千歳お姉と離れ離れになっちゃうんじゃないかって、怖くなって……っ」

「千代田、貴女……そんな理由で……っ⁉ なんて事……」

 

 千歳さんに信じられないようなものを見るかのような眼で睨みつけられ、千代田さんは涙を流しながら言葉を続ける。

 

「で、でも千歳お姉なら、すぐに目覚めるって思って……その時に一緒に報告しようって思ってて……っ、で、でも、その内に言い出せなくなって……」

 

 その言葉を聞いて、千歳さんは愕然とした表情を浮かべ、言葉を失ってしまった。

 それを見て、千代田さんはそれが失言であった事に気付いたようだったが、もはや遅かった。

 千歳さんは声を震わせながら、必死に言葉を紡ぎ出す。

 

「……そう、私が不甲斐ないから、千代田に嘘をつかせてしまったのね」

「ちっ、違うっ! そんなつもりじゃ、私、私は、千歳お姉を信じて……」

「信じてくれた千代田に私は応える事が出来なかった! だからこんな事になった! そういう事でしょう⁉」

「ひっ……」

「あんな地獄の中で、皆、必死で戦っていたのに! 本気を隠していただなんて……許される事じゃ無い! 千代田にそんな馬鹿な真似をさせてしまったのは……私のせい……! 私がもっと精進していれば、千代田と同じように軽空母への改装に目覚めていたかもしれない……! それなら、千代田もこんな事はしなかった……! 皆の負担を少しでも軽くできていた……! ……皆さん、本当に、本当に、ごめんなさい……! 千代田の過ちは……私の、全て私のせいで……!」

「やめてぇっ! お姉っ、違うっ、違うのぉっ! お姉は悪くない! 私がっ、全部私が悪いのぉっ! やめてぇぇっ‼」

 

 千歳さんはぼろぼろと大粒の涙を流しながら、必死に嗚咽を堪えながら、深く深く、頭を下げた。

 その怒りと悲しみの矛先は千代田さんではなく、自分自身だという事は、この場の誰しもが理解できていた。

 千代田さんには悪気があったわけではなく、ただ、千歳さんが目覚めるのを信じて待っていた。

 だが、半年経っても、千歳さんは新たな改装に目覚めなかった。

 怠慢なのか、才能なのか、改二と同様に何かの気付きが必要なのか……それは定かではないが、千歳さんにも思い当たる節があったのかもしれない。

 千代田さんの過ちは全て自分のせいだと言う千歳さんの言葉は、何の嫌味でも皮肉でもなく、本心だという事は嫌でも伝わってくる。

 

 悪いのは全て自分だと理解していながら、そんな自分の為に大好きな姉が頭を下げる姿は、耐えられるものではなかっただろう。

 泣きじゃくる千代田さんに縋りつかれ、それでも千歳さんは頭を上げようとはせず、倉庫内は重苦しい空気に包まれた。

 これでは装備の片付けどころでは無い……。

 

 千代田さんの行いは間違い無く、艦としてはあってはならない事だ。

 姉妹艦と離れ離れになってしまう事を恐れて本来の性能を隠すなど、それこそ有り得ない。

 前提督や艦娘兵器派が知れば、それこそ欠陥品、不良品の烙印を押されていただろう。

 だが、それ故に艦娘なのか――私達は何故、このような姿で再び海を駆ける事になったのか。

 何故、心を手に入れ、時に迷い、時に間違う――そんな兵器としては欠陥だらけの存在として、生まれ変わったのか。

 果たしてこれは劣化なのか、それとも――。

 

 ちょんちょん、と肩をつつかれたので振り向いてみると、何故かばつの悪そうな表情の龍田さんが、申し訳なさそうに小さく囁いた。

 いつもの不敵な笑みは浮かべておらず、非常に珍しい姿だ。

 

「大淀ちゃん、そろそろ何とかしてあげられないかしら……千代田ちゃんの気持ちは痛いほどわかるし、なんだか私の方がいたたまれなくなってきたわ……」

「えぇ、私も見ているだけで辛いです……」

「きっと、提督もこんな事は望んでないと思うの……大淀ちゃん、提督にこの場を任せられていたじゃない? 何とかならないかしら……」

 

 提督も、こんな事は望んで……あっ。

 龍田さんの何気ない一言で、全てが繋がった。

 そうか、だから提督は、あんな強引な事を……。

 ようやく提督の領域へと辿り着いた私は、一歩足を踏み出しながら、口を開いた。

 

「皆さん、話を聞いて下さい。そして千歳さん、千代田さん、顔を上げて下さい。提督は、こんな状況は望んでいないんです」

 

 私の言葉に、艦娘達は一斉に視線を向けた。

 千歳さん達も涙を流しながらも顔を上げ、私は言葉を続ける。

 

「去る間際に提督はこう仰いました。今の事は忘れてくれると助かる、忘れてくれ。そして今後、話題にも出さないでくれ。この話は終わりだ……と。故に私達は、この場でこの件について考察するべきではなかった。提督は、この場でそれを口にしてしまったら……こうなる事がわかっていたんです」

「あっ――」

 

 誰かがそう声を漏らした。

 そう、あまりにも強引な提督の行動は、見る人が見れば、瑞鶴さんの追及から逃げ出す為の苦肉の策とも見えた事だろう。

 しかし、そんな邪推をする前に、私達は提督の言葉に素直に従うべきであったのだ。

 そうしていれば、少なくともこのような事にはなっていない。

 丸く収めようとした時点で、私は間違ってしまっていたのだ。

 

「今回の件が示す通り、やはり提督はその眼で艦娘達の性能か何かを計る能力があると思われます。おそらく提督が見ていたのは胸ではなく、その奥にある心――のような何かでしょうか。私にはわかりかねますが、胸の辺りに、大切な何かがあるのでしょう。提督は何度も、千歳さんと千代田さんの胸の辺りを見比べるように視線をやっていましたが、それは違和感を感じた為……そう、千代田さんが千歳さんに比べて一歩先に進んでいる事……軽空母への改装に目覚めている事と、それを隠している事を勘づいたのでしょう。先日、目を通して頂いた『艦娘型録』には、千歳さんと千代田さんの性能に大きな違いは無いように記載されていたはずですから」

 

 胸の奥にあるのは、人間で言えば心臓。

 勿論私達にも存在する。それはまさに機関部のようなものだ。

 命にして(かなめ)。性能を計る為の大切な何かがそこにあったとしてもおかしくはない。

 つまり、提督が視線を送る目的はそれであり、ならばその上を覆う乳房を見る事になってしまうのも必然かつ致し方ない事なのだろう。

 提督が凝視していたのは千歳さん達の豊満な乳房ではなく、その奥にある何か。

 瑞鶴さんと同様に、一瞬だけでも疑ってしまった自分を内心恥じる。

 

「胸だけじゃなくて、艦娘によっては太ももとかも見られてたと思うけど……私が見る限り、昨日だけでも夕張とか、大淀とか……」

 

 若干引いたような瑞鶴さんの言葉に、腕組みをした加賀さんがさらりと答える。

 

「そんな事もわからないのね。簡単な事……その子達は太腿にあるのよ。提督が注視するような大切な何かが」

「太ももに⁉ い、いや、でも、金剛型とかは胸もだけど、同じくらいお尻も見られてたよ⁉」

「その子達は臀部にもあるのよ。提督が注視するような大切な何かが」

「お尻に⁉ じゃ、じゃあ私は全く視線感じないんだけど、どういう事よ⁉」

「哀れね」

「な、何ー⁉」

 

 瑞鶴さんに睨みつけられるも、それを全く意に介さないまま、加賀さんは瑞鶴さんを見下ろすような視線と共に言葉を続ける。

 

「それにしても貴女、随分と提督の事をよく見ているのね。もしかして、あら、あらあら」

「ちょっ⁉ か、加賀さん、変な事考えないでよね⁉」

「えぇ、わかってるわ。貴女なら鎧袖一触よ。心配いらないわ」

「違うーッ! ちーがーうーッ‼」

 

 顔を赤くした瑞鶴さんにがくがくと揺さぶられるも、加賀さんは視線を逸らしてそれを無視する。

 

「と、とりあえずそれは置いておきましょう」

 

 加賀さんと瑞鶴さんの漫才のせいで、話が大幅に逸れてしまった。

 勿論女性の身体を凝視するというのはよろしくない事であり、おそらく提督もそれは本意では無いのだろうが……だからこそ、本人に気付かれないようなタイミングで視線を送っているのだ。

 しかし提督には珍しく、それは悪手であるとしか言いようが無い。

 提督は気付いているのかわからないが……瑞鶴さんの言う通り、そういう視線は見られている側や周りからすれば結構バレバレなのだ。

 いや、太腿を見られていたらしい事は私自身、全然気付いていなかったが……い、いつの間に……。正直かなり気恥ずかしい。

 

 ともかく、それは今回のようなトラブルに繋がりかねない。

 そう言えば提督は初対面の時にも、女性の扱いに慣れていないと口にしていた。

 気付かれないように視線を送るのは提督が精いっぱい考えた結果なのだろうが、流石に忠告した方がいいだろうか。

 いや、今回のようなトラブルに繋がるのであれば、むしろ本人の了解を得てから堂々と見るように口添えした方が良さそうだ。

 堂々と見る方が本来は有り得ないのだろうが……そういう事情なのであれば、艦娘達も割り切ってくれるだろう……多分。

 

 思考が逸れてしまった。咳払いをして、話を続ける。

 

「提督なりに考えた結果なのでしょうが、瑞鶴さんの指摘通り、女性の身体を盗み見るような真似はよろしくありません。今後は艦娘の同意を得るよう、この私から提督に意見具申しようと思います。気恥ずかしいですが、もしも提督が性能を計りたいと仰った時には、その、身体検査のようなものだと思って……強制はしませんが、いかがでしょう」

「この半年間、誰も気付けなかった千代田の能力を看破するほどだ……艦隊強化に必要であるならば、致し方あるまい」

 

 長門さんは堂々とそう言ったが、他の艦娘達は答えを言いよどんでいるようだった。

 羽黒さんなどは耳の先まで真っ赤にして、目を回してしまっている。

 自らの同意の下で提督に胸や太ももやお尻を見られるなどと考えては、それが普通だ。私だってそうだ。

 艦隊強化、そして自らの強化に繋がる可能性もあるとはいえ、長門さんの判断は男らしすぎる……。

 ともかく、話が逸れすぎたのでこれは置いておこう。

 

「話を戻します。提督は千代田さんが隠していた能力を看破しました。しかし、千代田さんが何故隠しているのかを考え、そして提督はそれに配慮する事にしたのでしょう。あの提督ならば、千代田さんが隠していた理由を察してもおかしくは無いですし、そこに一切の悪気が無い事も理解して下さっていたはずです。何より、千歳さんと仲違いしてしまう事など、決して望んではいない事でしょう。故に、あんな強引に話題を打ち切り、この場を去った」

「……提督は、私達の事を考えて……? そんな、下手をすれば不名誉な冤罪を被る事になっていたかもしれないのに……」

「提督は、そういう御人です。ご自分の事よりも、第一にこの国の平和、次に艦娘……言葉通り、ご自分の事は二の次です。今回は提督にしては珍しく、少々強引な力技でしたが……千歳さんと千代田さんが仲違いをしないように、そして今回の誤解によって瑞鶴さんが責められる事が無いように……私達に亀裂が入らないようにと、それだけを考えていて下さった事は確かです」

 

 千歳さんの言葉に、私はそう答えた。

 提督は嘘が得意なのか苦手なのか、わからない。

 自らの病や出自に関して巧妙に伏せていたかと思いきや、今回のように大雑把な、明らかにおかしな強硬策を取る事もある。

 利根さん、筑摩さんに病の事を勘づかれてしまった時のように、焦りからか言葉を間違えてしまう事もある。

 そういう一面を見ると、やはり提督も完璧なのではなく、一人の人間なのだと実感させられる。

 底抜けの優しさという美点にして致命的な弱点も存在する。

 やはり私が支えねば……。いや、私達が支えねば……。

 

「勿論、提督も千代田さんをこのまま運用するつもりは無かったと思われます。おそらく、このような騒ぎにならないように手を打ってから、上手く千代田さんの軽空母改装を(おおやけ)にしていた事でしょう……」

「……」

 

 長門さんが項垂れる千代田さんへと歩み寄る。

 千歳さん達二人の前に堂々と仁王立ちし、そして真剣な表情で二人を見やりながら口を開いた。

 

「努力に(うら)()かりしか。不精に(わた)る勿かりしか……お前達にも思うところがあるだろうが、それは置いておこう」

「……」

「確かに千代田が軽空母として運用されていれば、幾分楽になっていた状況はあるだろう……だが、それは千代田自身もまた同じ。二人とも、この一か月間、何度も中大破を繰り返しながらも出撃してくれた……過酷な状況だったのは、この長門が一番理解できている。自身の軽空母化を明らかにする事は、自分の身だけではなく、大切な千歳の身を守る事にも繋がっていた事だろう。自分や千歳を苦境に立たせる事になるとわかっていながら、それでも言い出す勇気が持てなかった……そういう事だな」

「……はい……っ」

「矛盾しているようだが……案外、心とは……艦娘とは、そういうものなのかもな……」

 

 長門さんは周囲の艦娘達を見渡し、一際大きく声を発した。

 

「大淀の言う通り、この話は終わりだ! この件については提督の判断に任せよう。我々が一刻も早く取り組まねばならない事は、装備の整理整頓、状況把握! 千代田が真の姿を隠していた、その程度の事で戸惑い、作業の手を止めている猶予は無い。大淀、そうだろう?」

「は、はい。その通りです」

 

 流石は百戦錬磨、歴戦の横須賀鎮守府の艦娘達をまとめるリーダーだ。

 カリスマ溢れるその一声には、皆の心を揺さぶる何かがある。

 長門さんの言葉に、今回の騒動でざわついていた艦娘達も背筋を伸ばして頷いた。

 

「……すみません。少し、席を外してもいいでしょうか。頭を、冷やしたくて……」

 

 千歳さんの言葉に、長門さんは「あぁ」と短く返した。

 

「あっ、お姉……」

「千代田はついてこないで」

「……! お、お姉ぇ……っ!」

 

 去りゆく千歳さんに冷たく突き放され、千代田さんはその場にぺたんと尻もちをついた。

 茫然自失といった表情の千代田さんに、那智さんが歩み寄る。

 

「千歳の奴も、たまには一人になりたい時くらいある……そっとしておいてやれ」

「ひっ、ひっく、な、那智さん……」

「私もよく千歳と呑むが……酔いが進むと奴はお前の自慢ばかりだ。出来た妹だ、負けてられない……そして、今はまだ姉の面目は保てているが、いつ追い抜かれるかわからない、うかうかしてられない、とな。それが、すでに先に行かれていたと知ってしまったのだ。きっと、お前を責める気は無いが、自らを省みて自己嫌悪に押しつぶされそうなのだろう……奴はそういう女だ」

「お、お姉、お姉ぇっ……私、私っ……!」

「千歳の事を本当に想うのなら……そして本来の性能を隠していた事について反省する気があるなら行動で示せ。ほらっ、立て! そして千歳の分まで働いてもらうぞ!」

「は、はい……っ!」

 

 袖で涙を拭い、千代田さんはふらふらと立ち上がった。

 言葉は厳しいが、千歳さんをそっとしてあげようと、そして千代田さんに反省の機会を与えようという、那智さんなりの優しさなのだろう。

 作業が再開された中で、瑞鶴さんが気まずそうな表情で私に歩み寄ってきた。

 

「あ、あのさ……私も、ちょっと席外してもいいかな。……提督さんに、謝ってくる……」

「え、えぇ、それは構いませんが……」

 

 下心があると決めつけて騒いで、提督が考えていたであろう千代田さん達への処遇についても台無しにするきっかけとなり、おまけに自身が責められる事が無いように庇われた。

 あんなに騒ぎ立ててこの結果だ。立つ瀬が無いのだろう……。

 私が瑞鶴さんの立場だったら、それこそ提督に合わせる顔が無い。

 いつの間にか近くに来ていた加賀さんが溜め息をつき、瑞鶴さんにジト目を向ける。

 

「これでわかったでしょう。これからは、はしたない真似はやめる事ね。耳にする私達も聞くに堪えないから」

「うっ……わ、わかってるよ。私の早とちりで、提督さんの目論見を台無しにしちゃったのは認める……それは私が悪かった……で、でも、提督さんが色々考えてたのはわかるけど、あのいやらしい視線についてだけは、まだ納得できてないんだから……!」

「まったく、懲りないのね。そう言えば、馬鹿と言う方が何とやら、というけれど、それに当てはめて考えれば、提督にいやらしいという瑞鶴の方が……あら、あらあら」

「な、何よ⁉ 言いたい事があるならちゃんと言いなさいよ!」

「いやらしいのね」

「違うーッ! ちーがーうーッ‼」

 

 顔を赤くした瑞鶴さんにがくがくと揺さぶられるも、加賀さんは視線を逸らしてそれを無視する。

 それを見かねた翔鶴さんが、困ったような笑みと共に、加賀さんに声をかけた。

 

「か、加賀さん。そう瑞鶴を虐めないであげて下さい」

「一方でその姉は提督の眼前で下着を見せつけるような真似をするし……五航戦はとんだいやら姉妹(しまい)ね」

「わぁぁーっ!」

 

 翔鶴さんは顔を両手で覆い、泣き声を上げながら全速力で倉庫から駆け出してしまった。

 

「あぁっ、翔鶴姉、何処へ⁉ ちょっと加賀さん! いやら姉妹って何よ⁉ 翔鶴姉は関係無いでしょ!」

「いやらしいのね」

「うるさいよ! しょっ、翔鶴姉っ、待ってーっ! 私が悪かったからーっ!」

 

 翔鶴さんを追って、瑞鶴さんも倉庫から出て行ってしまった。

 ちゃんと提督に謝罪してくれるだろうか……また失礼な事を言わなければいいのだが。心配だ……。

 瑞鶴さんの背中を無表情で眺めていた加賀さんに、私はコホンと咳払いをしてから釘を刺す。

 

「仲が良いのは結構ですが……こんな時に可愛がりはやめて下さい。謝罪に行くつもりだった瑞鶴さんはともかく、翔鶴さんの分は働いてもらいますからね」

「……まったく、世話の焼ける後輩達ね。仕方が無いわ」

 

 加賀さんは表情を変えぬままに小さく肩をすくめて、珍しく素直に私の言葉に従ってくれたのだった。

 




大変お待たせ致しました。
切りの良いところまで書き進めた結果、文量が多くなってしまって申し訳ありません。
第四章は少し文量が多めになりそうです。

余談ですが、最近艦これアーケードに利根改二と筑摩改二が実装されました。
私はプレイしていませんが、艦娘達の戦闘時の動きなどの資料として活用しています。
ちとちよ姉妹改二の発艦モーションなどはかっこよすぎて何度も見てしまいますね。

執筆の参考にする為に目を皿のようにして画面にかじりついた結果、筑摩のトナカイグラ中破の検証結果と併せて、とねちく改二はやはりノーパンではなく、劇場版の設定と同様に超ハイレグなレオタード的な白いインナーを着用している事が判明しました。
このお話においてもそのつもりで描写していたので良かったです。
暖簾の中身が気になって眠れない日々を過ごしていましたが、これでようやくぐっすりと眠れそうです。

次回の更新も気長にお待ち頂けますと幸いです。

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