ラストダンスは終わらない   作:紳士イ級

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053.『神の恵み』【艦娘視点】

 ――生気が満ち溢れておられる。

 執務室の扉を開いて正面の執務机に向かっていた提督の姿を一目見て、私はそんな感想を抱いた。

 イムヤの轟沈騒ぎもあり、表面上は強がってはいたものの内心意気消沈していたであろう提督の目は、ギラギラと光を帯びているように見える。

 話を聞けば、間宮さん達が提督の事を思って、元気の出る料理を作ってくれたのだという。

 

 流石は間宮さんと伊良湖さん、そして鳳翔さんだ。

 特に給糧艦である二人の作る料理に疲労回復や戦意高揚のような不思議な効果があるという事は私達もよく知っているし、鳳翔さんにはそんな能力はなくとも、その手料理に込められた真心は、きっと提督の心に深く染み渡った事であろう。

 若干落ち着きが無いように見えるものの、三人の手料理を食べて元気が出た提督も心機一転して今後の指揮を執って下さるだろう……。

 

 現在、執務室の中にいるのは全員で六人。

 提督とその秘書艦である羽黒さんと鹿島、秘書艦統括たるこの私。

 そして妙高さんと香取さんである。

 それぞれ、妹が初めて秘書艦を務めることになるのだから粗相が無いように見学をしたい、と私に直訴してきたのである。

 私がいるからと言ってみたものの、提督の右腕たる大淀さんのお手を煩わせるわけにはいきませんなどと言うものだから、無下に断る事も出来なかった。

 いや、決しておだてられて良い気分になってしまったわけではない。フフフ。右腕。

 一応提督に訊ねてみたが、二つ返事で了承を得られた。

 提督としても、元々秘書艦に指名しようとしていた二人が、まだ未熟な秘書艦を見ていてくれるというのは助かるのであろう。

 

「提督さんっ。お茶をお淹れしますね。珈琲の方がいいですか? ミルクとお砂糖、たっぷり入れるのはどうでしょう? うふふっ」

「う、うむ。ありがとう。珈琲を頂こうか。ミルクと砂糖は多めで頼む」

「はいっ、了解しました! 頭を使うには糖分が必要ですもんね! えへへっ、提督さんは甘い方がお好きなのですね。なるほどぉ、覚えておかなきゃ」

 

 鹿島がニコニコと笑みを浮かべながら、提督に嬉しそうに声をかけている。

 その姿を見て、壁際に控えている香取さんが、隣の妙高さんにちらりと横目を向けて小さく笑った。

 

「……ふふっ」

「むっ……」

 

 妙高さんが眉間に皺を寄せた。

 

「し、司令官さん。あの……こちらが現在の備蓄状況で、こちらは大淀さんが計画した遠征計画です……本日分の開発、演習等はどうしましょうか……」

「そうだな……まずは倉庫の整理を優先してもらいたい。開発や演習に回す資源に余裕が無いからな」

「そ、そうですよね……ご、ごめんなさいっ」

 

 なけなしの勇気を振り絞ったかのように、羽黒さんも提督に声をかけていた。

 それを見て、今度は妙高さんが香取さんを横目に見て、無駄に綺麗な笑みを浮かべる。

 

「ふふふっ」

「むむっ……」

 

 二人の間に火花が散っていた。

 何を競っているのだろうか。もう出ていってもらおうかな……。

 私の呆れた視線に気付いたのか、二人はコホンと小さく咳払いをして背筋を伸ばした。

 

 羽黒さんと鹿島には、本日予定していた遠征計画の現状について提督に説明するようお願いをしている。

 本来は私の役目なのだろうが、秘書艦見習いの二人にはちょうどいい練習になると思ったのでそれを譲ったのだ。

 いきなり失敗に終わった事を他人に説明されるというのも情けないが……。

 

 羽黒さんと鹿島の説明を、提督は珈琲を飲みながら聞いている。

 緊張のあまり舌を噛んでしまい、上手く説明できずに涙ぐむ羽黒さんに全く苛立つ様子も見せず、「急がなくていい。もっとゆっくりでもいいぞ」と困ったように微笑みながら静かに励ましていた。

 着任初日の報告書に目を通す速さを思い返すに、提督の処理能力ならばそんなにゆっくり――ほ、微笑んでおられる⁉

 思わず二度見してしまった。

 くっ、羽黒さんを励ます為なのだろうが……う、うらやましい……!

 妙高さんが私を横目に見て「ふふっ」と小さく笑った。本当に出て行ってもらおうかな……。

 

 一通りの説明が終わったところで、提督は顎に手を当てながら、難しい顔で報告書を眺めている。

 何やら気になる点があるのだろうか……。

 それに気付いたのか、鹿島は香取さんから借りた教鞭をぴしぴししながら、嬉しそうに笑みを浮かべて提督の顔を覗き込んだ。

 

「提督さんっ。何かお悩みですか?」

「い、いや、そういう訳ではない」

「うふふっ、そうですかっ。何かありましたら、遠慮なくこの鹿島にお声をかけて下さいね? ふふふっ」

 

 くっ……動作がいちいちあざとい……。

 い、いや、鹿島は真面目に秘書艦の役目を果たそうとしているだけだ。

 しかし何で普通の会話なのにあんなに色気が出るのだろうか……。

 提督は鹿島の言葉に答えながらも悩ましげな表情で報告書を眺め続け、そして顔を上げて鹿島に問いかけた。

 

「ふむ……それでは、鹿島。練習巡洋艦のお前から見て、先遣隊の力量はこの任務に適切だったと思うか?」

 

 えっ……――だ、駄目だったのだろうか……⁉

 い、いや、落ち着け。提督は考えさせるために問いかけているだけだ。

 成長のために、あえて香取さん達が妹達に秘書艦を任せているという事は提督もよく理解して下さっているはず。

 提督の問いも、おそらく鹿島を成長させる為のものであろうが、だからといって聞き流せるものではない。

 私自身も、提督の領域にはまだまだ程遠いからだ。

 鹿島が考えている内に、私も思考を集中させて答えを考えてみる。

 

「そうですね……私は、十分すぎるほどだと思っています。六駆の暁ちゃんと響ちゃんはこの鎮守府の駆逐艦で唯一改二が実装されている事からもわかる通りの実力を有していますし、雷ちゃん、電ちゃんも練度は負けていません。時雨さん、夕立さん、江風さんは川内さん達が特別目をかけていますけど、戦闘センスが飛び抜けています。元々あの三人はその実力を買われて、他の姉妹艦と別れて横須賀鎮守府に異動になったくらいですし……。八駆の四人も、私個人としては六駆に負けない練度と資質を持っていると思っています」

「ふむ……香取はどう思う」

 

 否定されなかった事に、内心ほっと息をついてしまった。

 鹿島はちょっと天然なところがあるが、提督に評価されるほど、基本的にはとても真面目な勉強家なのだ。

 香取さんには及ばないものの、艦娘の性能を見極めて成長を促す練習巡洋艦としての能力はそれなりに高い。

 鹿島の答えが合格だったのか、小さく頷いていた香取さんであったが、自分に意見を求められると思っていなかったのか、提督の言葉に少し慌ててしまっていた。

 

「あ、えぇと……はい、私も鹿島と同意見です。旗艦に軽巡を編成するなりすればなお安定はしたでしょうが、いささか過剰戦力になったかと。提督もお分かりでしょうが、今回の失敗の原因は、イムヤさんの大破進軍、そして満潮さんの疲労を隠しての出撃という想定外のイレギュラーによるものです。潜水艦はどれだけ練度を上げても装甲自体は大きく強化されませんから、被弾、大破すれば即撤退する事も織り込み済みで計画を立てています。満潮さんは、実力は十分ですが、やはり過去の経験上、精神面で難しいところはありますね……」

「うむ……大淀はどうだ」

 

 私は迷ってしまった。

 当たり前の事ではあるが、私も二人と同意見だ。

 そうでなければそんな作戦など立ててはいない。

 だが、二人の意見を聞いてなお私の意見を求めるという事は……ち、違うのではないだろうか。

 つまり、私の案には穴があり、先遣隊としては力量不足だったと……つまりここでは、「いいえ」と答えるのが正解……⁉

 い、いや! 何を深読みしているのだ。これはただの〇×問題などでは無い。

 たとえそれが正解だったのだとしても、その理由が私にはわからない。

 何よりも、私はすでに先遣隊を選び、それを送り出してしまっているのだ。

 だというのに、この場で正解する事を重視して、過去の自分の判断と矛盾する答えを言ってみろ。

 きっと提督に幻滅されてしまうだろうし、私の判断を評価してくれた香取さん達にも申し訳ない……。

 そうだ、過去の自分の判断を素直に答える事。それこそが、提督の問いに対する正解であるはずだ。

 

「……は、はい。制海権を奪還した現在の鎮守府近海には、下級の深海棲艦しか存在しないはずです。現在の備蓄状況を考慮して、なるべく資源を消費しない事と戦闘力を両立する先遣隊を考え、私はこの編成がベストであると判断しました」

「うむ……」

 

 私の答えを聞いて、提督は考え込んでしまった。

 や、やはり間違っていたのだろうか……⁉

 だとするならば、それは一体……⁉

 やがて提督は顔を上げ、鹿島、香取さん、そして私に顔を向けて口を開いた。

 

「いや、流石だ。鹿島と香取は練習巡洋艦なだけあって、皆の力量をよく理解できているな」

「えへへっ、そうですか? やったぁ……!」

「ふふ、勿体ない御言葉です」

「大淀の仕事も完璧(パーフェクト)だ。私が眠っている間、よくやってくれた。本当に助かった、ありがとう」

「い、いえ……そんな事は」

 

 提督のお褒めの言葉に、鹿島と香取さんは喜んで笑みを浮かべていたが……私は内心穏やかではなかった。

 先ほども提督は、私と川内さんの失態を責める事もなく労をねぎらって下さった。

 私達に何か至らぬ点があったとしても、ちょっとの事は大目に見て、褒めて下さるのだ、この御方は。

 仕方が無かった、とは言って下さるものの、実は提督が直接指揮を執っていれば、イムヤも大破進軍せず、満潮も疲労を隠したりなどしなかったのではないだろうか……そんな可能性も十分に考えられる。

 もっとも、それを口にしたところで、この御方は認める事などしないのであろうが。

 

 何か私は忘れていないだろうかと思考回路をフル回転させようとしたところで、執務室の扉がノックされた。

 扉を開いて入ってきたのは、未だにべそをかいている千代田さんであった。

 

「うぅっ、千歳お姉に嫌われたよぉ~……! もう生きていけないよぉ~……! 足りない……千歳お姉が足りないよぉ~……」

「千代田さん……ど、どうしたんですか」

「千歳お姉が、提督に報告に行ってきなさいって……! 私と一緒に居たくないのよ……! うぅぅ~……!」

 

 少し前に、千歳さんは倉庫へと戻ってきた。

 ご迷惑をかけてすみませんでしたと私達に頭を下げ、今は倉庫の片付けをしているはずだ。

 提督のところへ相談に向かっていたらしく、何やら御言葉を賜ったのだとか。

 決して問題が解決したわけでは無いし、未だに千代田さんと気まずそうな様子であったが、少なくとも私の目には確実に倉庫を出る前とは違う風に映っていた。

 提督に相談して、何か思うところがあったのだろう。

 

 今の状態の千代田さんでは満足に報告する事が出来ないと思ったので、私は助け舟を出す事にした。

 

「提督、申し訳ありません。御存知かとは思いますが、千代田さんが軽空母への改装にすでに目覚めていた事が判明しまして……」

「うぅぅ~……! ご、ごめんなざい……!」

「う、うむ。大体の事は千歳から聞いた。千代田も、もう気にするな。それと、瑞鶴からも聞いたが、大淀が皆をまとめてくれたらしいな。助かった」

「は、はい……」

 

 ほら、まただ。

 提督が私に任せた事は、あの場で考察させずに丸く収める事であったはずだ。

 しかし私の力不足により、千歳さんと千代田さんの仲に亀裂が入り、提督に千歳さんのフォローという本来必要の無かった仕事をさせてしまった。

 だというのに、こうやって褒めて下さるのだ、この御方は!

 空しい……提督にとって全然役に立てていないというのに、お褒めの言葉を頂ける事がこんなにも空しいとは……。

 そして、それにも関わらず、普通に嬉しいと思ってしまっている私が単純すぎて悔しい……。

 

 瑞鶴さんから聞いた、との事であったが、つまり翔鶴さんも提督のところへ駆けていったという事か。

 提督の様子を見るに、瑞鶴さんともうまく話せたようだ。寛大な御方だ……。

 そう言えば結局倉庫には戻ってきていないが、一体どこで油を売っているのだろうか……。

 

「あ、それに関してなんですが、その、性能を計る為とはいえ、隙を見て視線を送るのは今後やめてもらえないでしょうか」

「エッ」

「いえ、勿論提督のお心遣い故という事は理解できているのですが、今回瑞鶴さんに指摘されたように勘違いされる事もあるかもしれませんし、やはり盗み見るような真似はよろしく無いかと……それに、皆も提督の視線にはそれなりに気付いていたので、そんな真似をする意味も無いかと……」

「そ、そうか……」

「ですので、今後艦娘の性能を計りたい時には、本人に直接同意を得て、堂々と正面から計るようにお願いします。同意を得られない時はこの大淀にご相談頂ければ、誠心誠意、出来る限りは説得しますので……」

「ハイ」

 

 わかって下さったようだ……。

 前提督は部下からの意見にたとえ利があるとわかっていても、気に喰わないという理由で話も聞かずに却下するような人だった。

 神堂提督は部下からの意見具申を感情的に切り捨てる事無く、柔軟に対応して下さる懐の大きい御方で本当に助かる。

 提督にも下心があるわけではないし、服を脱げと言われているわけでも無い。

 結果として至近距離から身体を見られるというのは恥ずかしいが、性能を見る為ならば致し方ない事であろう。

 今の私達の会話を聞いていただけで顔を真っ赤にして目を回してしまっている羽黒さんを説得するのは少々骨が折れそうだが……。

 

 視線に気付かれていた事が地味にショックだったのか、無表情を維持しつつも愕然としたように見える提督に向かって、私は言葉を続けた。

 

「では、早速ですが、軽空母化した千代田さんの性能を確認して頂ければと。千代田さん、お願いします」

「うぅっ、はいっ……千代田、『航』……!」

 

 千代田さんは涙ぐみながら軽空母化を発動し、その傍らにからくり箱型の格納庫兼飛行甲板が現れた。

 瞬間――それを見た提督の目がはっきりと見開かれた。

『千代田航』としての性能を計っているのだろう。食い入るようなその視線は、千代田さんの胸の辺りへとはっきりと注がれている。

 軽空母化した千代田さんを目にした僅かな一瞬で、一体どのような高度な次元の思考が成されていたのか――この私程度の頭脳では想像もつかない。

 

「千代田さんはこの状態では三スロットしかなく、そこまで軽空母としての性能は高くないようです」

「うむ」

「しかし、春日丸――大鷹が改を経て改二となるように、千代田さんもここから『千代田航改』を発動する事ができ、スロット数も四つへ増えます」

「うむ」

「『改』の状態ならば実戦においても非常に心強い戦力になるであろうと期待されますね」

「うむ。更に上は無いのか」

「えっ、か、改二という事ですか⁉」

 

 私の解説を聞きながらも千代田さんから目を離していなかった提督であったが、私の反応を見て何とも言えない表情を浮かべた。

 そしてそれを誤魔化すかのように、口早に言葉を続けたのだった。

 

「いや、単に気になっただけだ。『改』までで十分に戦力になるという事だな」

「は、はい」

「そうか……いや、素晴らしいな。これは何としても、千歳にも実装してもらいたい」

「えっ! お姉もできるの⁉」

 

 今にも肩を乗り出してきそうな千代田さんの言葉に、提督はそれを制するかのように両手の平を向けて言葉を続けた。

 

「い、いや、千代田に出来たのだから姉の千歳にも出来るはずだ、などとは言いかねる。あくまでも私の希望の話だ」

「そっか……」

「確かに千代田さんだけではなく、千歳さんにも同性能の軽空母化が実装されたと考えれば、戦略の幅が大きく広がりますね」

「う、うむ。そういう事だ。流石は鹿島、よくわかっているな」

「えへへっ、はいっ! ありがとうございますっ」

 

 くっ……私も同じ事を言おうとしていたのに……。

 鹿島に先を越されてしまい、お褒めの言葉を奪われてしまった。

 香取さんが私を横目に見て「ふふっ」と笑みを浮かべた。よし、今すぐこの部屋から出て行ってもらおう。い、いや私は何を。

 内なる自分と戦っている私の事など気にせずに、提督は千代田さんへと問いかけた。

 

「しかし、何故千代田だけ先に実装されたのだろうな……何か思い当たる節は無いのか」

「と、特には……ある日、起きたら突然、実装されている事に気付いたの。それで、お姉に隠れて確認してみて……」

「ふむ、そういうものなのか……少し、調べる必要があるな……」

 

 提督は小さくそう呟き、羽黒さんに顔を向けた。

 

「改二が実装されている者を、適当に数人見繕って連れてきてくれないか」

「えっ、あっ、は、はい! ごめんなさいっ、失礼します!」

 

 癖になっているのだろうが、何故か大袈裟に謝って、羽黒さんは執務室から駆け出して行った。

 それを見て、仕方が無いとでも言いたげな表情で一歩踏み出したのは妙高さんであった。

 妙高さんは千代田さんの隣に並び、執務机を挟んで提督と向かい合い、胸に片手を当てて口を開いた。

 

「羽黒は慌てすぎて忘れていたようですが……この妙高も改二実装済みです。どのようなご用件でしょうか」

「う、うむ。要するに、更なる強化の実装前後を比較してみたいのだ」

「なるほど、了解しました。まずは『改』をお見せすれば良いという事ですね」

 

 妙高さんはそう言うと、静かに艤装を展開した。

 両肩と前腕部、太ももにそれぞれ主砲、魚雷発射管などが装備され、私のそれと比べれば非常にコンパクトなシルエットの艤装である。

 しかし、妙高型のそれは改二になると大きく姿を変える。

 

「そしてこれが――『妙高改二』」

 

 その言葉と同時に妙高さんの身体から閃光が放たれ、妙高さんの改二が姿を現した。

 両肩と前腕部の艤装は腰で固定するタイプの大型のものに形状を変え、セレター迷彩と呼ばれる独特の迷彩が施されている。

 ついでに他の改二実装艦にも言える事だが、身に纏う装束のデザインも微妙に変わっている。

 提督の視線はまるで見惚れているかのように、口を半開きにして妙高さんに釘付けになっていた。くっ……。

 変な意味は無いと理解しつつも、妙高さんもその熱い視線は少し気恥ずかしいようで、小さく照れ笑いを浮かべながら言ったのだった。

 

「ど、どうでしょうか。何かわかりましたか?」

「い、いや、十分だ。凄いな……その、妙高は改二に目覚める際、何かきっかけとかは無かったのか」

「そうですね……私も特に何かを意識した覚えはありません。戦闘中に身体が光り出して……。大体は、私と同じパターンが多いみたいです」

「ほう……」

「ただ、提督なら御存知だとは思いますが、窮地に陥った際などに、強い思いに応じて目覚めたという例もあるようです。私達は改二などの強化には何らかの『気付き』が必要なのだと考えていますが、それが何なのかはわかりません。個人差があるというのも考えられます」

 

 妙高さんの説明に、提督は納得したかのように「なるほど」と小さく呟いた。

 どうやら提督は、千歳さんにも何とかして軽空母化を実装してあげたいと思っておられるようだ。

 いや、これは千歳さんだけではなく、他の艦にも言える事だろうか。

 前提督は建造によって基礎的な性能の高い艦を手にしようとばかり考えていたが、提督は今ある戦力を更に向上させる事を考えている。

 すでに提督への信頼によって練度が底上げされている私達に必要なのは、おそらく何らかの『気付き』だけ。

 何かのきっかけさえあれば、今ここにいる誰が改二に目覚めてもおかしくはない、と思うが……なるほど、そういう事か。

 提督の助けになるべく、私は提督へと言葉を発した。

 

「提督。改二の実装にはある程度高い練度が必要であると考えられています」

「うむ」

「そして提督もご承知の通り、私達艦娘は、提督への信頼によってその練度が底上げされます」

「……う、うむ」

「まぁ、それに関しては考える必要はありません。考えるべきは『気付き』のみ。何かそのヒントになるものはないか聞き取り調査を行おう、という事ですね」

 

 私の言葉に、提督は数瞬考え込んだ後に「うむ、その通りだ。流石は大淀」と答えてくれた。フフフ。右腕。

 鹿島が呑気な声で「なるほどぉ、提督さんっ、流石です! うふふっ」などと微笑みながら、提督に珈琲のお代わりを持ってきていた。くっ……。

 やがてドスドスと廊下の方から騒がしい足音と口論する声が響き、勢いよく扉が開かれた。

 

「提督、この長門をお呼びだろうか。ちなみに私は改二を発動すれば大発動艇を」

「フン、貴様はその馬力を活かして倉庫を片付けておけ。ここはこの那智が」

「いえ、改二という事であれば、この神通にお任せください」

「なんやなんや、改二実装艦をお呼びやと? 空母の改二っちゅーたら、うち以外ありえへんやろ!」

「哀れね。ここは譲れません」

「いや何でキミが来とんねん。まだ実装されて無いやろ」

「私は哀れね……」

「何で自分から傷つきにきたんや⁉」

 

 足音からして大体想像はついていたが、この人達は加賀さんと一緒に帰ってもらおうかな……。

 提督もあまりの騒がしさに呆れているのだろう。白目を剥いていた。

 さらに少し遅れて、更なる騒がしさがぞろぞろと執務室の中へと飛び込んできた。

 

「ヘーイ! テートクゥーッ! 提督へのバーニングッ、ラァーブッ! で、改二が実装されたっ、金剛デース!」

「お姉様への想いと気合で改二に目覚めたっ、比叡ですっ! はぁいっ!」

「榛名もお姉様への想いで目覚めました!」

「この霧島もお姉様への想いで改二に目覚めたと分析しています。金剛お姉様、流石です」

「姉妹の中で一番早く改二が実装されたっ、那っ珂ちゃんだよーっ! きゃはっ!」

「提督なになに⁉ 改二実装艦を集めるって、何が始まるの⁉ 夜戦⁉ やったぁーっ! 待ちに待った夜戦だぁーっ!」

「何ですって⁉ 提督、本当なの⁉ よぉし、戦場が、勝利が私を呼んでいるわ! みなぎってきたわ!」

「改二と言えば、航空巡洋艦へと艦種が変わる我ら利根型を忘れてはなるまい。特に代わり映えの無い那智は帰ってよいぞ。なーっはっはっはっは!」

「貴様ァーーッ! 妙高型を愚弄するかッ!」

「ぐおぉォーーッ⁉ 筑摩ぁーっ! ちくまァーーッ⁉」

「な、那智さん! 謝りますから利根姉さんを放してあげて下さい!」

 

 大人しく倉庫の片付けをしていて欲しかった……。

 羽黒さんが提督に向かって涙目でごめんなさいごめんなさいとひたすら頭を下げていた。

 倉庫の片付けに人手が必要だから、提督は数人見繕ってと仰っていたのに……改二実装艦の内、暁と響と春日丸以外の全員が馳せ参じているではないか。

 倉庫で何があったのかは大体想像はつくが、まぁこの濃過ぎる面子が羽黒さん一人に御せるはずもないか……。

 私なら何とかできただろうが、提督もおそらくこうなる事を想定して羽黒さんにあえて試練を与えたのであろう。

 羽黒さんには落ち込まずに今後も頑張ってもらいたい。

 

 妙高さんに慰められている羽黒さんの代わりに、鹿島がこの場に集まった全員に説明を行った。

 千代田さん、千歳さんの為にも、そしてこの鎮守府全体の戦力強化の為にも、更なる段階の改装に至るきっかけとなるヒントがあれば教えてほしいという提督の意思を端的に伝える。

 鹿島はあまり緊張しないタイプなのだろうか。練習巡洋艦という役割もあってか、説明も手馴れている感じがする。

 香取さんの妹なだけあって、秘書艦としての適性は十分か……。

 

 一通り聞き取りを行ったが、やはり大体は戦いの中で自然と目覚めたという場合が多いようだった。

 龍驤さんの話によると、春日丸だけは演習だけで改二にまで至っていたが、特に何かを意識したという自覚は無いという事だ。

 人によっては戦闘中では無く、帰投中や鎮守府での待機中、中には千代田さんのように、起床した時に気付いたら、という者もいるらしい。

 比叡さん、榛名さん、霧島さんは揃って「金剛お姉様への想い(と気合)」との事だが、信憑性は不明。

 金剛さんは「提督へのバーニング・ラブ」との事だが……建造初日にいきなり改二が実装されるというのは正直かなり異常だ。

 だが、提督への信頼によって練度が底上げされた結果、改二に至るに十分な練度となったと考えれば、実装されたとしてもおかしくはない。

 それ自体はおかしくはないが……初対面でそこまで深い信頼を抱ける金剛さんがおかしいのか、それともやはりそこまで信頼される提督がおかしいのか……。

 

「うぅむ、『気付き』……想い、気合、何らかのきっかけも関係ありそうだが、やはり個人差があるという事なのだろうか」

「そうみたいですね……必ずしもそれが必要というわけではなく、来るべき時が来たら自然と実装される、と考えるのが妥当でしょうか」

 

 私の言葉に、提督は少し考え込むように顎に手を当てた後、切り替えるように顔を上げながら言った。

 

「よし。あとは性能差を見ておきたい。まずは、そうだな……川内型。三人一緒に見せてくれ」

「了解! よぉし、神通、那珂、いくよっ」

 

 提督の言葉に、川内さん、神通さん、那珂さんが執務机を挟んで提督に向かい合い、同時に改二を発動した。

 

「川内! 『改二』っ!」

「……――『神通改二』……‼」

「那珂ちゃんっ! 『改二』っ! きゃはっ――ウゲェッ⁉」

 

 瞬間、三人の真ん中に立っていた神通さんから明らかに桁違いの爆風と閃光が発せられ、私達は文字通り圧倒された。

 物凄い音がしたので目を向ければ、提督が椅子に座ったまま後ろにひっくり返ってしまっていた。

 川内さんは何とか堪えていたようだったが、那珂さんはポーズを決めたまま壁に顔面から激突していた。

 何かアイドルにあるまじき声を吐いていたように聞こえたが、空耳だった事にしたい。

 

「あぁっ! て、提督っ! しっかりっ! 頭を打ってませんかっ⁉」

「し、司令官さんっ……!」

「提督さんっ、大丈夫ですか? 痛いところがあればさすりましょうか?」

「う、うむ、大丈夫だ。さすらなくていい……!」

 

 私と羽黒さん、鹿島は慌てて駆け寄り、座ったままの姿勢で倒れている提督ごと椅子を元の位置へと戻す。

 川内さんと那珂さんにジト目を向けられ、神通さんは提督にぺこぺこと頭を下げた。

 

「て、提督……申し訳ありません……!」

「神通、貴様! その有り様でよくも人に手加減が苦手などと言えたものだな!」

「アカン、あの軽巡、ついに味方どころか姉妹艦にまで手を出しよったで!」

「しゅ、修羅じゃ! 修羅が現れおった! 筑摩ーっ! 吾輩は沈むのは嫌じゃーっ!」

「だ、大丈夫です! 利根姉さんは私が護ります」

「くっ、神通の奴め、提督に戦闘力を見せつけて……! この長門も負けてはおれん……!」

 

 外野の那智さん達からここぞとばかりに野次を受けて、神通さんはおろおろと戸惑いながら肩を縮こませていた。

 

「ち、違うんです……これは、その、提督の前ですので、……その、感情と、力を抑えきれず……」

「何が違う! 見ろ! 恐怖のあまり利根が泣いているではないか!」

「そ、それは先ほど那智さんが締め上げていたせいもあるのでは……」

 

 横須賀鎮守府軽巡最強とは言え、流石にここまで色々と酷くは無かった……。

 提督への信頼による強化がここまで凄まじいものだとは。

 何とか椅子に腰かけた提督は、室内に響く喧騒に構わず川内さん達三人をじっと見比べ始めた。

 川内さん、那珂さん――そしてやはり、神通さんを見て一際その目を大きく見開いた。

 決して川内さん達が劣っているわけではないが、やはり神通さんが頭一つ飛び抜けているという事であろう。

 

 その視線に気付いたのか、神通さんの顔がだんだんと紅潮していく。

 恥じらいながらも提督の命令だから断ることもできず、もじもじと落ち着きのない様子だった。

 

「あの、提督……そんなに見つめられると、私、混乱しちゃいます……」

「混乱のあまり修羅と化さなければいいんだけどね」

「せ、川内姉さん……! ど、どういう事でしょう……身体が、火照ってきてしまいました……」

「そろそろ修羅が目覚めつつあるのかもねー」

「な、那珂ちゃん……! なんで二人ともそんな意地悪を言うんですか……」

 

 川内さんと那珂さんにも呆れ顔を向けられていたが、提督だけは真剣な表情で、満足気に頷いていた。

 

「いや。神通、流石だ。非常に参考になった」

「は、はい……こんな私でも、提督のお役に立てて……本当に嬉しいです……」

「ちょっとちょっと、神通だけ? 私達はー?」

「う、うむ。勿論、川内も那珂も参考になった。ありがとう」

 

 神通さんは頬を染めながらぺこりと頭を下げて、静かに壁際へと移動する。

 そして提督は次々と、改二実装艦の性能を確かめていった。

 神通さんと同じく気合を入れ過ぎた横須賀鎮守府のリーダー等に何度か吹き飛ばされながらも、その目はまさに真剣そのもの。瑞鶴さんが言ったような下心など欠片も感じられない。

 改二を見せ終えた龍驤さんが私の隣に移動してくると、その隣に控えていた加賀さんが真剣な表情で囁きかけてきた。

 

「……わかっていた事だけれど、やはり提督は下心から千歳達の胸を見ていたわけではないようね」

「うん? なんやねん急に」

「貴女の胸も他の子と変わらず真剣に凝視していたもの」

「せやな……って表出ろや! ちゅーか何でキミまだここにおんねん!」

 

 いや本当に何で加賀さんここにいるんだろう……。

 翔鶴さんの分まで働いてもらいたいのだが。

 しかし、皆の性能を確認していた提督であったが、その様子が何やらおかしい。

 その表情は普段と変わらず平静を装っている為、他の者は気付いていないかもしれないが、何だかそわそわしているというか、落ち着きが無い。

 怒り……? いや、焦り……? 何だろうか、湧き上がる何かを必死で堪えようとしているような……。

 

 何を焦っているのだろうか。

 千歳さんに軽空母化を実装したいという気持ちから、改二に至る『気付き』の考察を始めたと思っていたが……そんなに急ぐ事だろうか。

 艦娘達に更なる強化を実装するべく焦っている……?

 提督の目には、一体何が見えている――?

 

 提督はまた、その鉄仮面の下で一人必死に何かと戦っている。

 貴方は今、何を考えているのだろうか。

 その領域に至らない故に、貴方の助けになれない自分が悔しい……。

 

 一通りの性能を確認したところで、提督はまるで瞑想でもするかのように静かに目を閉じて、深呼吸を始めた。

 いきなり何を……声をかけてもいいものだろうかと私が悩んでいると、私よりも先に鹿島が声をかける。

 

「提督さんっ? どうされたんですか?」

「済まない、少し黙っていてくれ。ちょっと、集中させてくれ……」

「は、はい」

「――悪いが、一旦全員、部屋から出て行ってくれないか。長門達は倉庫の片付けに戻っていい」

「……了解した」

 

 提督は鹿島を一瞥もせずに、目を閉じたままにそう言った。

 あの歓迎会の場においても、艦娘達の相手をしながら今後の備蓄について考えていた御方だ。

 そんな提督が、人払いをしてまで深く集中したいとは……一体どのような高度な思考が必要とされているのだろうか。

 周りの艦娘達も、提督の挙動に注目していたが、踵を返した長門さんに続いて、私達も提督の言葉に従い部屋から出ていく。

 扉を閉めると、提督の前では凛としていた長門さんが急に自信無さげに背中を丸め、私に目を向けて小声で訊ねてきた。

 別に提督の前で格好つける必要も無いと思うのだが……。

 

「お、おい、あれは一体どういう事だ。もしやまた体調が……」

「いえ、それは無さそうです。間宮さん達のおかげで、むしろ元気がみなぎっているくらいだと思います」

「ならば、何か気に障る事でもしてしまっただろうか。やはり張り切りすぎて吹き飛ばしてしまったのが……」

「それは怒られても仕方が無いと思いますが……違いますね。そもそも提督はあれでも怒ったりしません。あれは怒りというよりも、焦り……でしょうか。それを何とかして鎮めようとしているような」

「焦りだと……? 一体何を焦っておられるのだ」

「それは……私にも、まだ……」

 

 倉庫に戻っていいと言われたにも関わらず、他の皆もその場を動こうとはしなかった。

 提督の様子が気になるのであろう。

 気持ちはわかるが、倉庫の片付けは提督が早急に取り組んでほしいと考えている仕事だ。

 早く作業に戻ってもらわねば、と私が長門さんに話そうとした瞬間、執務室内から羽黒さんを呼ぶ提督の声がした。

 

「羽黒、羽黒はいるか」

「はっ、はいっ! 失礼します!」

 

 羽黒さんが執務室の扉を開けると、提督は変わらず執務机に向かったまま指を組んでいた。

 提督は焦る気持ちを押し殺すような声色で、真剣な表情と共に言葉を続ける。

 

「……大至急、文月を呼んできてくれないか」

「文月ちゃんですか? は、はいっ、すぐに!」

 

 只ならぬ気配を感じたのであろう。羽黒さんは慌てて廊下へと駆け出して行ってしまった。

 何故、文月……? 脈絡が無さすぎる。

 どういう事なのか、お訊ねしてもいいのだろうか……。この場にいる全員が知りたがっているはずだ。

 いや、提督には気軽に質問をするなと皆にお願いしたのは他ならぬこの私だ。

 質問する前に、『何故』を考える事。私達の思考力を鍛える為に、提督が行っている事だ。

 ならば、何故このタイミングで文月を呼び出したのか……考えなければなるまい。

 しかし、どれだけ考えてもわからない。

 ちらり、と香取さんと妙高さんに視線を送ってみたが、小さく首を振られるだけであった。

 執務室に足を踏み入れる事もできず、廊下で立ち尽くしたまま、この場の誰しもが答えに辿り着けず――そしてタイムアップを迎えた。

 

「しれぇかぁん。なんですかなんですかっ? えへへっ」

 

 重苦しい雰囲気に包まれた執務室の中に、場違いに明るい呑気な表情の文月が入って行った。

 呼ばれてもいないのに、同じ二二駆逐隊の皐月、水無月、長月もついてきており、執務室の中を覗き出す。

 まぁ、気になる気持ちはよく理解できるが……何で皆呼ばれてないのに来るんだろう……。

 またしても説得できずに余計なものがついてきた事を気にしてだろうか、羽黒さんがまた涙目で肩を落としていた。めげずに頑張ってほしい。

 

「うむ。よく来てくれたな。ちょっとこっちに来てくれないか」

「はぁ~い」

 

 提督に促されるがままに、文月は椅子に腰かける提督の傍らへと歩み寄った。

 無邪気な笑顔を浮かべる文月を見て、提督はどこか遠い目をして小さく微笑んだように見えた。

 そして、提督は目を閉じて、深く呼吸をすると共に、文月の頭にぽんと手を置いたのだった。

 それはまるで祈りのようだった。

 文月はよくわからない様子で、目を丸くして提督の顔を見つめている。

 

 すると――。

 

 まるで、カンテラに火が灯るかのように。

 ぽぅ、と文月の身体が淡い光に包まれた。

 文月はその両手の平を自分に向けて、自身に起きた変化を確かめ、それでも普段のマイペースのままに、小さく首を傾げた。

 私達はそれをただ見つめる事しかできなかった。

 

「あ……あれは……ッ……⁉」

 

 その光に見覚えがあるのだろう。長門さんが小さく驚愕の声を漏らした。

 この場にいるほとんどの者は見覚えがあったはずだ。そして私にも、それには聞き覚えがあった。

 光はだんだんと強くなり、やがて目を開けていられないほどの光量となり、そして――。

 

 光が治まり、うっすらと目を開けると、そこには――若干成長した文月がいた。

 背が伸びて、顔立ちも若干大人っぽくなっている。

 身に纏う制服もやや変わっており、白いリボンが黄色になっていたのがわかりやすかっただろうか。

 いや、そんな間違い探しをしている場合ではない。これは、これは――。

 

「ふぅー……」

 

 一際大きく息を吐いて、提督も静かに目を開けた。

 そして、目の前の文月の姿を見る。その表情は微動だにしないまま、固まったように沈黙していた。

 鹿島がぱたぱたと提督の側に駆け寄り、間近から文月を観察する。

 

「か、改二……ですよね……」

 

 室内を覗き見ていた私達に顔を向け、鹿島が小さく呟いた。

 艦娘達は全員、文字通り開いた口が塞がっていなかった。さぞかし滑稽な光景であっただろう。

 文月は目をぱちくりとさせて、両手の指をグー、パーと閉じたり開いたりしている。

 

「……すご~い……これならあたしも、活躍できそぉう」

 

 艦娘達が固まってしまった室内で、提督は表情ひとつ変えずに文月の頭をぽんぽんと撫でて、言ったのだった。

 

「……うむ。なるほどな。改二……改二か。全ては文月の、今までの努力の結果だな。よく頑張った。これからも期待しているぞ」

「えへへっ、いい感じ、いい感じぃ~。改装された文月の力ぁ、思い知れぇ~。えぇ~い」

 

 満面の笑みで提督の胸に抱き着き、幸せそうにぐりぐりと頭を押し当ててくる文月を、提督は全く動じていない様子で頭を撫でていた。

 まるで悟りを開いたかのような表情であった。

 まさか、このタイミングで文月を呼んだのは……改二に目覚めさせる為……⁉

 改二実装艦をじっくり観察した事で、この短時間で、改二実装に必要な何かを掴んだとでもいう事か……⁉

 い、いや、そんな馬鹿な、それにしてもあんな祈りのような何かで……し、しかし神のごとき提督ならば、あるいは……⁉

 頭に手を当てて、何らかの神聖な力を文月に与えたとか……い、いや、そんな、そんな事が……⁉

 

「あぁーっ! 文月ばっかりずるいや司令官! ボクも強くしてよ!」

「あっ、さ、さっちん!」

 

 扉の外から中の様子を覗き見ていた皐月が、水無月の制止に構わず室内へと飛び込んで行った。

 突然の声に、私の思考も中断される。

 どうやら提督のおかげで文月が改二へと目覚めたという事を理解したらしい。

 その気持ちはもっともだ。自分とほとんど練度が変わらない文月が改二に目覚めたのならば、自分もと考えてもおかしくはない。

 だが、提督ははぐらかすつもりなのか、その胸に頭を埋めている文月を撫でながら言葉を返した。

 

「さ、皐月。何でお前がいるんだ……」

「仲間外れは良くないよ! 何で文月ばっかり!」

「何かを勘違いしているようだが……私は何もしていないぞ。文月は今まで改二に至れるくらい頑張っていたから、その結果として目覚めただけだろう」

「ボクだって文月に負けないくらい頑張ってるよ! 練度だってあんまり変わらないんだから!」

「そ、そうか……ならば近い内に目覚めるかもしれんな」

「むっ、はぐらかすのはずるいよ! ほらっ、とにかく文月と同じようにしてみてよ! この手を、こう!」

 

 皐月は無理やり提督の手を取って、自分の頭の上に載せた。

 そしてしばらく押し付けるも、全く変化は無い。

 提督も困ったように、皐月に声をかける。

 

「ほ、ほらな。文月がこのタイミングで目覚めたのはたまたまだ。だが、来たるべき時が来ればお前も――」

「むぅ~……あっ、そうだ、これだぁ! えぇい!」

「うぉっ?」

 

 不満げに唸っていた皐月であったが、何を思いついたのやら、文月を押しのけていきなり提督に抱き着いてしまった。

 一体何を馬鹿な事を、と私が考えるよりも早く、皐月の身体が発光し出したので、私達は思わず吹き出してしまう。

 光が治まると共にそこに居たのは、先ほどの文月同様に、少しだけ成長した様子の皐月であった。

 身に纏う制服は、文月のそれと同じものだ。

 どう見ても……皐月にも改二が実装されていた。

 口を開けたまま茫然と固まる私達に構わず、文月だけが「おぉ~」などと言いながら呑気にぱちぱちと拍手している。

 自身に起きた変化を自覚し、提督から離れた皐月は自慢げに腰に手を当てて胸を張り、ドヤ顔で口を開いた。

 

「わぁ、やったぁ! へっへ~ん! ボクのこと、見直してくれた?」

「あ、あぁ……本当に頑張ってたんだな……」

「へへっ、強化してくれてありがとう! これで司令官……いや、皆を守ってみせるよ!」

「い、いや、だから私は何も……」

「またまたぁ。ピンと来たんだよね、入渠施設の前で、文月は司令官に抱き着いてたじゃない? あれで提督パワーを充填してたんじゃないかってね! ボク、名探偵になれるかもなぁ」

「そんなものは無い……」

 

 艦娘達は誰も声を出さなかったが、その視線は提督へと集中していた。

 提督に抱き着いたら……強化……⁉

 提督パワーを……充填……⁉

 馬鹿な、そんな馬鹿な話が……い、いや、しかし文月と皐月にこんなにもあっさりと改二が実装されたのは事実……!

 確かに減るものでもないし、提督ならば信頼できるし、気恥ずかしさはあるものの、気軽に試せる割にリターンは大きいとなると……お、大淀改二……い、いや私は何を考えているんだ。

 

「アッ! そう言えば、私も建造されてすぐに提督にハグしていましたネー! テートクゥー! 私も提督パワーの充填デース!」

 

 そう言って駆け出していった金剛さんは執務机越しに提督に飛び掛かり、提督はまたもや椅子に座ったままひっくり返ってしまった。

「あぁーっ! 提督ばかりずるいずるい!」と羨ましがっている比叡さん率いる妹達に引き離されまいともみ合っている。

 金剛さんが建造されてすぐに提督とハグを……⁉ て、提督、聞いていないんですけど……聞いていないんですけど!

 

 いや落ち着け。冷静になれ。ここまでの流れを整理しよう。

 ハグはともかく、提督が文月を名指しで呼び出したのは、おそらくその目によって文月に改二実装に至るポテンシャルが秘められている事にすでに気付いていたからであろう。

 そうでもなければ、話題にも出ていなかった文月をいきなり呼び出す意図がわからない。

 つまり、提督は改二実装艦の性能をしっかりと観察した結果、『気付き』の正体の見当がついたのかは不明だが、改二を実装する何らかの方法を思いついた。

 それを仮に提督パワー……いや、神の恵みと呼ぼう。

 そしてそれを確かめる為に、文月を呼んでそれが正しいのかを実践したのだ。

 文月の頭に手を置いて、祈るように目を閉じ、深呼吸――思い返してみれば、文月に何かを与えているようにも見える。

 そしてそれは実証されたが、羽黒さんの力不足により皐月までついてきてしまい、乱入によって改二に目覚めてしまったのは、提督の想定外だったのだろう。

 皐月に対して話をはぐらかそうとしていたが、それは一体……。

 し、しかしやはり、この仮説は正しいのでは……⁉ お、大淀改二……いやだから私は一体何を考えているんだ。

 

「うわぁぁぁーーっ!」

 

 千代田さんが泣きながら叫んで提督へと駆け寄り、その両肩を掴んでがくがくと揺さぶる。

 

「駄目よ! 千歳お姉の強化の為とはいえ、ハグなんて絶対に許さないっ! いくら提督でも絶対に許さないんだからっ!」

「ま、待て待て待て! だから違うと言っているだろう‼」

「うぅぅーっ……! 本当よね……⁉ さっき千歳お姉が相談しに行った時も、指一本触れてないわよねっ⁉」

「えっ、あ、いや……」

「……えっ……い、いやぁぁぁーーっ‼ お姉ぇぇーーっ‼ 何をしたの! お姉に何をしたの‼」

 

 金剛さんに抱き着かれながら千代田さんに肩を揺さぶられ、提督は取り乱した様子で珍しく声を荒げた。

 

「こ、こらっ! 落ち着け! 引き留める為に肩を掴んでしまっただけだ!」

「うわぁぁぁーーんっ! 提督のお姉に関する記憶を塗り替えるわ! さぁ、その手を差し出すのよ! 忘れてっ、お姉の感触を忘れてよぉっ!」

 

 千代田さんは提督の両手を取り、無理やり自分の両肩を掴ませて泣きわめいている。

 ここまで暴走するのは久しぶりだ。とんだ地獄絵図だった。

 自分と千歳さんと気まずい状況にある中で、提督が千歳さんと触れ合ったという事は、千代田さんにとっては耐えがたい状況だというのは理解できるが……。

 

「あぁっ、もう、金剛も離れないか! 今日で何度目だと思ってる! こういう事は気軽にするなと何度言ったらわかるんだ! 比叡! 二人を早く引き剥がせっ!」

「了解っ! 比叡、行っきまぁすっ!」

「ぶぅー、提督はいけずデス」

 

 金剛さんはしぶしぶと提督から離れたが、千代田さんは比叡さんに羽交い締めにされながらもまだ泣きわめいてた。

 椅子を起こして再び腰かけ、提督は大袈裟に咳払いをしてから、僅かに語気を強めて言葉を続ける。

 

「んんっ! まったく、早とちりはするな! いいか、言っておくが私にそんな妙な力は無い! 文月と皐月に改二が実装されたのは、二人の頑張りが実った結果に過ぎん!」

「えぇー……、じゃあ、司令官は何で文月を呼び出したのさ」

「そ、それは私に考えがあっての事だ。お前達が知る必要は無い」

 

 皐月に当然の質問をぶつけられたが、提督は視線を逸らしてそれを誤魔化した。

 やはりこの御方は嘘が得意なのか下手なのかわからない……。

 だが、提督の考えている事が何となく理解できたような気がした。

 提督が何らかの力によって文月を改二に導いたのは明白だ。

 皐月はそのおこぼれを貰ったような形であり、提督が意図していたものではないのだろう。

 文月が改二に至ったのを見て、自分もと駆け出した皐月――それこそが、提督が防ぎたかったものだ。

 

 おそらく、提督はその力を当てにしてほしくないのだ。

 文月はあくまでも検証のために神の恵みを与えられ、改二を実装する事となったが、やはり本来は自分の力で目覚めて欲しいのだろう。

 信頼によって練度が底上げされている、それだけでも十分すぎるほどだというのに、更なる強化まで提督に頼ってしまうのは堕落へと繋がる。

 そう、この御方は私達を鍛えようと、あえて抽象的な指示を出したりしているのだ。

 そう考えるのが当然であろう。

 神の恵みによる艦娘の強化が私達の堕落を引き起こすという可能性を危惧した提督は、その能力を実証しつつも思いなおし、封印する事に決めた……。

 そういう事で間違いは無いだろう。

 

 文月は私が考察していた疑問などどうでもいいようで、普段と変わらぬほんわかとした笑顔を提督に向けながら口を開いた。

 

「えへへっ、しれぇかぁん。あたし、司令官の為に強くなりたいって思ってたところだったの~」

「何? わ、私の為にか……?」

「うんっ」

 

 文月の言葉に提督が反応したのを見て、僅かにむっとした皐月が割り込むように声を発した。

 

「あっ、ボクもだよ? さっき、泣き虫の可愛い司令官を見て、ボクが何とかしてあげなきゃダメだなぁって思ったからさぁ。ボク達がもっと強くならなきゃダメだもんね!」

 

 二人の言葉を聞いて提督は感銘を受けたのか、思わず表情を綻ばせながら二人を引き寄せ、その頭をくしゃくしゃと撫でまわした。

 

「そ、そうか……お前達、良い子だなぁ」

「えへへっ。あぁ~、いい感じぃ~。ありがとぉ~」

「ふわっ、わっ、わぁっ⁉ く、くすぐったいよぉっ」

 

 くっ、羨ましい……! い、いや私は何を。

 駆逐艦に対して嫉妬なんて情けない……。

 内心恥じていた私の隣で、長門さんが真剣な表情で固く拳を握りしめながら呟いた。

 

「くっ、羨ましい……!」

「それは文月達に対してですか、それとも提督に対してですか」

「どっちもだ……!」

「早く装備片付けてほしいので、そろそろ倉庫に戻ってくれません?」

「お、大淀……! 何でそんなに辛辣なんだ……!」

 

 同レベルだったのが嫌だったからだとは言えない。

 提督は二人の頑張りを十分に労うと、肩をぽんと叩いて言った。

 

「文月、皐月。今日は遠征に向かう予定だったな。だが、ひとまずは大淀の指示通り、部屋で待機しておいてくれ」

「はぁいっ。えへへっ、本領発揮するよぉ~」

(まっか)せてよ、司令官! うんっ、いつものボクとは違うよ~!」

 

 皐月は鼻歌を歌いながら、文月を連れて執務室を後にした。

 水無月と長月も戸惑いを隠せないような様子であったが、皐月の後を追う。

 

「二人も隙を見て司令官に抱き着いてみれば? 減るもんじゃないし」

「さっ、皐月! ふざけるのやめろぉ! あんなはしたない真似が出来るか、まったく! 私は自分の力だけで目覚めてみせる!」

「み、水無月はまだ心の準備が……も、もうちょっと鍛えてからかな! アハハ……」

 

 二二駆の声がだんだん遠ざかっていく。

 もう私達も執務室内に戻っても良いのだろうか……。

 恐る恐る足を踏み入れると、提督も疲れたのか大きく息をついていた。

 比叡さんに羽交い締めにされている千代田さんは、涙目でまだ息を切らせながら提督を睨みつけていたが、私の指示で金剛さんと共に扉の外へ引きずり出された。

 千歳さんが絡むとやや暴走してしまう事をご存知なのか、提督は困り顔ではあったが特に怒った様子もなく、何かを考え込んでいる。

 そして顔を上げると、私に向けてこう言ったのだった。

 

「大淀。提督を信頼する事で練度が底上げされるという事だったが……文月と皐月はその例が当てはまるのかもしれん」

「え、えぇ、そうですね。あの二人の練度は決して低くはありませんが、飛び抜けて高いわけではありませんでしたし……」

「そうか、やはりな……うむ。そういう事か……」

 

 提督は納得がいったように小さく頷いている。

 まぁ、文月と皐月だけに限った話では無いのだが。

 この鎮守府において、おそらく提督への信頼によって練度が底上げされていない艦娘など存在しない。

 そこに、改二に至るに必要な何らかの要素があり、提督は文月についてはそれを見出しており、皐月については想定外だったという事であろう。

 提督は真剣な表情で私を見やりながら、言葉を続けた。

 

「ならば、もしも長門らが私に対して信頼を深めたとしたら、更に強くなれるという事だろうか」

「えっ。さ、更に……という事ですか?」

「うむ。それは実に良い事だ。そうは思わないか、大淀」

 

 どうだろうか……私達の練度には限界があり、いくら信頼で底上げしたところでそれは超えられないと思っているが……。

 長門さん達、主戦力はほとんど改二実装済だし……そもそも、すでにこれ以上無いほど信頼をしているというのに、更に信頼を深めるという事ができるのだろうか。

 そう言えば艦隊司令部でその限界を超える案が考えられているという噂を耳にした事もあるけれど……。

 ともかく現状は、すでにこの上なく信頼している為、これ以上は難しいと答えるのが正解であろう。

 私がそう答えようとする前に、扉の向こうで盗み聞きしていたのであろう、まだ倉庫に戻っていなかった長門さん達がしたり顔で勢いよく扉を開け放ち、提督に向かってこう言ったのだった。

 

「フッ……それは無理な相談というものだ。私だけではなく、我々にはこれ以上、上がる余地など存在しないからな。そうだろう、皆!」

 

 長門さんの声に、他の艦娘達も頷きながら同感の意思を示していた。

 

「あぁ。一体何を言い出すかと思ったが……話にならんな」

「せやな。まさかわかっとらんかったとは……司令官、そりゃちょっちアカンで」

 

 那智さんの言葉に、龍驤さんがからかうように提督に笑みを向けた。

 

「提督。私達にも限界というものがありますから」

「えぇ……これ以上はとても……考えられません」

 

 表情ひとつ変えないまま、加賀さんがさらりと口にした。

 神通さんも俯きながら、恥ずかしそうに提督に伝える。

 提督は皆の様子を静かに見ていたが、そのまま首だけを回して私に目を向けた。

 

 そうか、この御方は……前提督によって刻まれた私達の傷がとっくに癒されてしまったとは思っていないのだ。

 提督は、謙虚な御方だから……教えてあげねばならぬのだ。

 私もまた、ただ無言でアイコンタクトを交わし、微笑みながらゆっくりと頷くだけに留めた。

 そう、提督と私の間に言葉は必要無い――提督の右腕たるこの私との間には。

 

 提督の様子を見届けた長門さんは、満足そうに「それでは倉庫の片付けに戻るとしよう」と、皆を引き連れて去って行った。

 提督はしばらく耐えていたようであったが、感動を堪え切れなくなったのであろう、「そ、そうか……」と呟き、小さく肩を震わせている。

 私はそっと提督の側に寄り添い、その肩にぽんと手を置きながら言った。

 

「まったく……それくらい、自覚して下さい。考える必要は無いと言ったでしょう。以後、ちゃんと心に留めておいて下さいね」

「ハイ」

 

 提督はいつもの無表情を保っていたが、涙を堪えているのか、若干ガクガクと上下に震えていた。

 皐月にも言われてしまったが、本当に涙もろい御方だ。

 感涙ならばともかく、悲しみの涙をもう二度と流させないように――私が守護(まも)らねば。

 必死に涙を堪えている様子の提督を見下ろしながら、私は自分に固く誓ったのだった。フフフ。右腕。




大変お待たせ致しました。
年度末から新年度にかけて仕事が増える為、更新ペースが遅くなってしまい申し訳ありません。

現在、節分任務が実装されておりますが、我が弱小鎮守府も銀河目指してコツコツ豆を集めております。
5-5にはまだ一度も出撃した事の無い我が鎮守府ですが、それでも手が届きそうなので良かったです。

今月には夕雲型と陸奥の改二が実装されるらしいですね。
長門と武蔵は超イケメンになっていましたが、陸奥がどれだけ美しくなってしまうのか楽しみです。

次回の更新まで気長にお待ち頂けますと幸いです。

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