ラストダンスは終わらない   作:紳士イ級

57 / 73
056.『欲望』【艦娘視点】

 ――生気が満ち溢れておられる……!

 長門さん達の言葉によって、とっくに信頼を得られているという事を自覚したからであろうか。

 それに加えて私の励ましの言葉によるものだろう。フフフ。

 わざわざ帰ってきてまで大袈裟にバーニングラブとやらを宣言した金剛さんの存在も一因かもしれない。

 私達からの信頼が、提督に更なる力をみなぎらせてくれたようだ。

 

 しかし、今更ながら、肩に触れてしまったのは、私にしては少し大胆すぎただろうか……。

 つい、そうやって励ましてあげたいと思った故の行動であったが、はしたないと思われていないかが心配だ。

 い、いや、真の秘書艦、提督の右腕なのだから、これくらいは普通の事だ。

 ともかく一応、夕張や明石には内緒にしておこう。

 励ましついでに肩に触れてしまうだなんて、こんな大胆なスキンシップをしてしまった事を知られたら何と言ってからかわれてしまうか……。

 下手をしたら抜け駆けをしたとでも……い、いや。何の抜け駆けだ。結果的に私が一番距離が近いとは言え、私達は別に何も競ってなどいない。うん。

 

 提督は先ほどから真剣な表情で報告書と海図に目を通し続けている。

 羽黒さんと鹿島からの報告を経て、次の作戦について思考しているのであろう。

 着任当日や昨夜の歓迎会においてもそうだったが、提督がこのような顔になる時はかなり重要な事を考えておられるはず……。

 ならば私は提督がそれに集中できるよう、備蓄の管理を仕切らねばならない。

 

 提督はそう言わないが、はっきり言って今日の私は失敗続きだ。

 イムヤの件は防ぎようがないが、もう少し私に天龍並みの観察眼があれば、少なくとも疲労を隠していた満潮の出撃は止められていた。

 霞ちゃんの話によれば、満潮以外では襲われていた潜水艦隊の場所まですぐに辿り着けず、イクやゴーヤにまで被害が広がっていたかもしれず、結果的には満潮が出撃していて良かったとの事であったが……私が満潮の疲労を見抜けなかったという点については何のフォローにもならない。

 加えて、佐藤元帥の命令に背いての盗み聞きへの処遇。

 更には、備蓄の管理について一任されていたにも関わらず、提督に散らかりっぱなしであった倉庫の整理まで気にかけさせてしまった事。

 右腕、そして真の秘書艦として期待されていながらこの(てい)たらく……情けない。

 イムヤは轟沈から救われ、満潮は提督に励まされて過去に無いほどの早さで立ち直り、倉庫の整理も提督の方から妖精さん達に手伝ってもらって……なんだか私の方が提督に助けられてばかりだ。

 何とかして汚名返上しなければならない……。

 

 唇を噛みながら提督に目を向けると、無意識にであろうか、報告書から目を離さないままに、独り言を小さく呟いた。

 

「時間と場所は決まりか……あとは……ドと、タイミングだな……」

 

 ……何?

 よく聞き取れない部分もあったが、確かに時間と場所はすでに決まったと……。

 あとは……ド……練度? だろうか。 練度とタイミング……?

 間違いない。作戦開始の時刻と海域、艦隊の練度と出撃のタイミング……すでに次の出撃について考えておられる。

 しかし、着任初日の神がかりな作戦をほんの僅かな時間で立案したあの御方の頭脳をもってしても、随分と悩んでおられるようだ。単純な出撃ではないという事だろうか。

 神眼……提督の目には今、どのような未来が映っておられるのか。

 提督の思考の邪魔にならぬようにしなければ――そう考えた瞬間、提督は何かに気付いたようにぱっと顔を上げ、羽黒さんに目を向けた。

 

「は、羽黒。どうした……」

 

 提督の視線を追うと、秘書艦用の机に向かっていた羽黒さんがいつの間にかぽろぽろと涙を流していた。

 

「ご、ごめんなさいっ、私、また司令官さんの邪魔をっ……」

 

 先ほどから失敗続きだった事を気に病んでいたのだろう。

 しかもそれで落ち込んでいたところを気にかけられ、提督の思考を妨げてしまい、またしても邪魔をしてしまった。

 不甲斐なくて、もう涙を止めようにも止められないようであった。

 次の出撃について頭を悩ませていた様子の提督であったが、優しい御方だ。それどころではなくなってしまうだろう。

 事実、提督はすっかりおろおろと狼狽えてしまっている。

 私と初めて顔を合わせた時の事を思い出す。

 あの時もいきなり泣き出した明石と私に、同じような顔をしていた。

 意識して鉄仮面を被っている提督だが、女性の涙の前には容易く剥がされてしまうのが、ちょっと可愛い……。

 い、いや。とにかく、提督には次の作戦に集中していただかなければなるまい。

 こういう時こそ私の出番だ。

 

「提督。何かお考えだったのではないですか?」

「う、うむ。しかし……」

「提督は、今はそちらに集中して下さい。こちらは、この大淀にお任せ下さい。羽黒さん。それと、皆さんも。少し、外に出ましょう」

 

 私の言葉に、提督は驚いたように目を丸くした。

 そして僅かな逡巡の後に、嬉しさを押し殺すかのような表情で私を見据えて言葉を続ける。

 

「そ、そうか! 大淀がそう言うのなら、それに甘えるとしよう。実は、また少し考えに集中したかったところでな。悪いが皆、席を外してくれないか」

「了解しました」

 

 右腕……!

 真の秘書艦に相応しい対応が出来た自分を褒めてあげたい。

 先ほど文月を改二に目覚めさせる前にもそうであったが、どうやら提督が本気で集中したい時には一人にしてあげた方が良さそうだ。

 私に促されて、妙高さんが羽黒さんに寄り添い、席を立たせる。

 香取さんと鹿島も心配そうに見つめる中、執務室から出て行こうとした私達は、提督から声をかけられた。

 

「は、羽黒! その……気持ちはわかる。だが、できればもう少し頑張ってみないか」

「ふぇぇっ……⁉ で、でも、私っ、鹿島さんみたいにうまくできずに、司令官さんに迷惑をかけてばかりで……も、もう私はいらないんじゃないかって、やっぱり辞めた方がいいんじゃないかって」

 

 べそをかきながらしゅんと肩を落とす羽黒さんに、提督は立ち上がり、歩み寄る。

 そして妙高さんに顔を向けて、言ったのだった。

 

「妙高。お前が羽黒を秘書艦に推薦したのは、成長を促すため……そうだな?」

「は、はい。私は羽黒も、いずれは改二に至る素質を秘めていると思っております。そのきっかけになるのではと……申し訳ありません」

「いや、いいんだ。責めているわけではないし、むしろ褒めたいくらいだ。確かに昨夜は妙高の名前を挙げたが、今は羽黒が改二に至ったとしても、秘書艦を続けてほしいと思っているくらいだしな」

「ほ、本当ですか⁉」

 

 責任を感じていた様子の妙高さんであったが、思いもせぬ提督からの言葉に、下げた頭をぱっと上げた。

 羽黒さんも訳が分からないと言った様子で提督を見つめている。

 

「勿論だ。だが、ひとつだけ気掛かりな事がある……羽黒自身の意思はどうなのか、という事だ」

「羽黒自身の意思、ですか……?」

「うむ。その……鹿島も、香取に推薦されたというのは同じだが、鹿島自身も秘書艦をやりたい、と思ってくれていただろう」

「はいっ」

 

 提督の言葉に、鹿島が元気よく答えた。

 

「だが、羽黒は妙高に推薦され、断れずに流され、無理をしているのではないかと……もしもそうなら、無理に頑張らせるのは悪いと思ってな」

「そっ、それはっ」

 

 羽黒さんは何かを言おうとしたが、べそをかいているせいか、上手く言葉に出来ないようだ。

 妙高さんも考えこんでいる。わかってはいるが、自分が口を出す事ではないと考えたからだろう。

 何故ならば、妙高さんがそれを口にすれば、またしても羽黒さんの意思なのか流されただけなのかがわからなくなるからだ。

 

 おそらくは、これに関しては提督の人の良さから来るものであろうが、考えすぎだ。

 羽黒さん自身も成長を望んではいるが、それに付き合わされて提督に迷惑をかけるという事を申し訳なく思っているだけであって、秘書艦となる事を望んでいないわけではない。

 たとえ結果的に秘書艦業務を辞退するような事になったとしても、それは提督に負担をかけたくないが故に、諦めるというだけの事だ。

 羽黒さんが秘書艦を務めたがっていないという事ではないと伝えたい……。

 だが、それは羽黒さん自身の口からの言葉でなければ意味が無いのだ。

 

 涙を流しながら言葉に詰まっている羽黒さんをしばらく見つめた後、提督は言葉を続けた。

 

「羽黒は鹿島の仕事ぶりと自分を比べてしまっていたが……そんな事よりも、むしろ別のところを見習ってほしいな」

「べ、別の……?」

「あぁ。鹿島の欲望に忠実なところをな」

「えぇっ⁉」

 

 提督の言葉に、鹿島が素っ頓狂な声を上げた。

 私達も訳がわからずに目を見開いてしまう。

 よ、欲望⁉ 鹿島は欲望に忠実なんですか⁉

 

「て、提督さんっ⁉ どういう意味ですかっ、どういう意味ですかっ⁉ わ、私が欲望に忠実って、そ、そんな、そんなまるで私が」

「あ、いや、早とちりするな!」

 

 勢いよく詰め寄った鹿島を制するように両手の平を向けて、提督は咳払いをしてから言葉を続ける。

 

「まったく……言葉の響きだけで判断するな。鹿島は今、なんで慌てたんだ」

「そ、それは……欲望に忠実だなんて言われちゃったら、誰だってそうなりますっ」

「それが早とちりだというんだ。欲望とは『(ほっ)』し、『(のぞ)』む事……確かにあまり良い意味では使われないが、それ自体に良いも悪いも無い。むしろ生きるためには必要不可欠なものなのだぞ」

 

 提督の言葉に、私は青葉から聞かされた提督の金言を思い出した。

 握れば拳、開けば掌。

 人を傷つけたい。人を守りたい。それはどちらも紛れも無い『欲望』だ。

 大切なのはそれを扱う人の心……おそらくは提督の根底には、常にこの考えがあるのであろう。

 ゆえに、『欲望』という言葉の響きだけに囚われずに、その本質に目を向ける。

 

 青葉の見解であったが、それはおそらく、かつて兵器として生まれた私達の在り方にも深く関わっているのではないだろうか。

 私達は一体何のために生まれてきたのか。

 ただの船ではなく、軍艦として作られた私達には――何が欲し、望まれていたのだろうか。

 そして私達は一体何を欲し、望んでいるのか……。

 

 いや、考えが逸れてしまった。

 目をやれば、どうやら他の皆も私と同じく提督の金言を思い出し、繋げる事ができたようだった。

 

「なるほど……確かに鹿島は自らが成長したい、そして提督のお役に立ちたいという『欲望』に、まっすぐに行動していますね。それがたとえ提督の負担になると知りつつも、それを受け入れ、むしろそれを糧に早く成長せねばと、ただそれだけを考えています。欲望に忠実だなんて言われたので、私もどうしようかと思いましたが……お褒めの言葉だったのですね」

 

 癖なのであろう、香取さんがぴしりと教鞭を掌に叩きつけながら言った。

 それを見て、提督も満足そうに頷く。

 

「う、うむ。流石は香取。私が言いたかったのはそういう事だ。鹿島はやりたい事をやっている……だからいつだって芯がぶれないし、揺るがない」

 

 相変わらず言葉足らずが過ぎると思うが、しかし蓋を開けてみればその言葉の裏には深い意味がある。

 考えてみれば、これも提督のスパルタな指揮と同じではないか。

 いきなり欲望に忠実などと言われて冷静ではいられなかった鹿島の、そして私達全員の想像力が足りなかった。

 提督は私達の思考力、想像力を鍛えようと、あえてそういう言い方をするというのはすでにわかっていた事であった。

 どういう意図なのか、と一拍置いて落ち着いて考える事が必要だったのだ。

 何気ない会話の中でも私達を鍛えようとしておられるとは……右腕を自負する私もまだまだだ。

 

 先ほどまでぷんぷんと頬を膨らませていた鹿島であったが、香取さんの言葉を聞いて、コロッと笑顔を浮かべ、可愛らしく敬礼しながら口を開いた。

 

「そういう事だったんですね! うふふっ、ありがとうございますっ、提督さんっ、まだまだ想像力が足りませんでしたっ。練習巡洋艦鹿島、欲望に忠実ですっ! うふふっ」

「う、うむ。つまり、羽黒。私はお前に秘書艦を務めてほしいと思っている。それは本心だ。だが、お前の『欲望』……本当にしたい事、やりたい事があるなら、それを優先してほしいという事なんだ。お前の『欲望』が『秘書艦を辞めたい』というのなら、それでいい」

「わ、私は……」

 

 提督の言葉に、羽黒さんが答えられずに言葉に詰まる。

 少し時間をあげた方がいいだろう。それに、これ以上提督に貴重な時間を使っていただくわけにもいかない。

 そう考えて、私は提督に声をかけた。

 

「提督。とにかく、今は落ち着いて考えてもらいましょう。提督に面と向かってそう言われてしまっては、羽黒さんも落ち着けませんよ」

「う、うむ。そうだな。羽黒、命令では無いんだ。確かに常にやりたい事だけを優先する事はできない。だが、今回ばかりは私や周りに気を遣わず、よく考えて、羽黒自身のやりたい事をすればいい……大淀、後は任せてもいいか」

「はい。了解しました」

 

 廊下に出た私達は、閉じられた執務室の扉をしばらく眺めていたが、やがて妙高さんが口を開いた。

 

「提督のお言葉で、昨夜、足柄が言っていた事を思い出しました。羽黒が改二に至る為に足りないのは、勝利への執念。勝ちへのハングリー精神であると……」

「足柄さんは誰にでもそう言いそうですけどね……」

「えぇ。ですが、提督の仰った、鹿島さんの『欲望』に忠実な部分を見習ってほしい、という事と共通する部分もあります」

 

 足柄さんは深く考えずに言ったのかもしれないが、もしかすると羽黒さんの事をちゃんと理解した上でそんな言葉が出たのかもしれない。

 羽黒さんは引っ込み思案で、遠慮がちで、それは紛れもなく美点であると思う。

 思えば、改装の際にも「他の子の改装を……優先して下さい……」と、入渠の際にも「私より、あの娘を先に……」と、自分より他の誰かを優先する節がある。

 提督は羽黒さんのそういう部分もすでに知っていらっしゃるのであろう。

 姉妹の足柄さんと同じ意見になるという事は、偶然とは思えない……ならば、やはりそれが羽黒さんの成長への鍵なのだろうか。

 しかし、本人の意思を優先するとは言ったものの、提督はこれからも羽黒さんに秘書艦を務めてもらいたいと……。

 この短い時間で失敗続きの羽黒さんの何に価値を見出したというのだろうか……。

 

 腕組みをして考え込む私達に、鹿島が恐る恐る小さく手を上げて言った。

 

「その……ひとつ、気になったところがあって。那智さんの改二を観察する時に、提督さんは羽黒さんに支えてくれるよう指示しましたよね。あの時、私も手伝おうとしたんですが、遠慮されました。確かに練習巡洋艦の私は腕力という点では頼りなかったかもしれませんが、それでも支えるという目的であるなら一人より二人の方がいいはずです。むしろ私達にこだわらずに戦艦の誰かに手伝ってもらうだとか色々とやりようはありましたが、それでも羽黒さん一人に支えさせる事を優先したように思えました」

 

 鹿島の言葉に、香取さんが小さく唸った。

 

「うぅん、確かに……。椅子を支えさせる以外にも、改二実装艦や文月さんを呼びに行かせる際など、提督はあえて羽黒さんを指名する場面が見られましたね」

「えぇ。結果はうまくいったとは言えませんでしたが、むしろそれでこそ成長の糧となるでしょう。羽黒の成長を考えて挑戦させたと考えていいと思います」

 

 妙高さんはそう言いながら羽黒さんに目を向けた。

 相変わらず止まらない涙を指で拭いながら、羽黒さんは嗚咽を漏らす。

 

「ひっく、ひっく。わ、私、何ひとつ上手くできなくて……」

「那智の風圧からはちゃんと一人で支えられたでしょう? 提督はあの時、手伝いを申し出た鹿島さんを断って、なんて言っていたかしら?」

「ぐすっ……大丈夫だ、お前ならできるよ、って……う、うぅぅ……っ、し、信頼してくれたのに、長門さん達から支え切れずに……」

「い、いやあれは流石に相手が悪すぎたから……」

 

 先日は戦艦棲姫と泊地棲鬼四隻でも敵わなかった五人である。

 あの戦艦五人を一人で相手できる者など、この鎮守府のどこを探してもいるはずがない。

 羽黒さんは提督を支え切れずに一緒に吹き飛ばされた事を気にしているようであったが、それについては悩むだけ無駄だと思う。

 おまけに不意打ちのようなものであり、提督も予測していなかった様子だった。

 金剛型はともかく、長門さんは一応この鎮守府の艦娘達の頼れるリーダーなのだが、提督が絡むと途端に頭が残念になってしまう……まったくどうしようもない。

 やはり私がしっかりしなければ……フフフ。右腕。

 

 私は中指で眼鏡の位置を整え、皆に目を向けて口を開いた。

 

「まとめると、やはり提督は秘書艦業務を通しての羽黒さんの成長を意識しています。しかし、今回秘書艦を続けさせるよりも、羽黒さんの意思の確認を優先しました。辞めたいならそれでも良いと……私は最初、それは提督の優しさ故に気を遣ったのだと思っていました」

「違うのですか?」

「はい。おそらくは……これもまた、羽黒さんの成長に繋がる、ある種の試練のようなものではないでしょうか」

 

 私の言葉に鹿島は首を傾げたが、妙高さんと香取さんは納得がいったように小さく声を漏らした。

 俯き気味の羽黒さんに目を向け、言葉を続ける。

 

「羽黒さんは、本当に自分がやりたい事……羽黒さん自身の本当の『欲望』について、よく考え、そしてその答えを出す事が必要なのだと思います」

「本当の、よ、欲望……」

「秘書艦を続ける事……提督に迷惑をかけない事……それとも他の何か……羽黒さんが最も欲し、望んでいる事について悩み、答えを出す事。それこそが羽黒さんの成長に繋がると思ったからこそ、提督はあんな事を言ったのだと思います」

 

 こればかりは私や妙高さんが口を出す事も、手助けをする事もできない。

 羽黒さん自身で乗り越えなければならない試練なのだ。

 そしてそれが、どれだけ羽黒さんにとって難しい事なのかは、妙高さんにもよく理解できているようであった。

 

「まったく、提督も人が悪いというか、意地が悪いというか……」

 

 おそらく羽黒さんは、本心では秘書艦を続けたいと思っている。

 だが、提督に迷惑をかけたくないため、()()()()()辞めようとしている。

 しかし提督は、あえて羽黒さんに秘書艦を続けてほしいと伝えた上で、よく考えるようにと試練を与えた。

 命令ではないと言ったものの、提督にそう言われてしまっては、羽黒さんの性格上、本当に辞めたいと思っていても()()()()()秘書艦を続ける事を選ぶだろう。

 つまり羽黒さんが提督に気を遣おうと思う限り、どちらにせよ悩む事になってしまうのだ。

 

 提督は最後に、気を遣わずに羽黒さん自身がやりたい事をすればいい、と言った。

 今回ばかりは、羽黒さんの優しさと性格故の気遣いを忘れなければ、永遠に答えは出ないだろう。

 いや、最終的に気を遣いたいというのが羽黒さんのやりたい事であったとしても、それでいいのかもしれない……。

 

「あぁん? お前らこんなところで何してんだよ。秘書艦の仕事はどうした?」

 

 執務室前の廊下で頭を悩ませていた私達に、龍田さんと共に歩み寄ってきた天龍が声をかけてきた。

 更に、六駆の四人もその後についてきていた。横須賀鎮守府の水雷戦隊の中でも、特に仲の良い六人組だ。

 私は執務室の扉に目を向け、天龍にジト目を向けて言ったのだった。

 

「……サボっているわけではありませんよ。提督は今、高度な思考の為に一人で集中しておられます。貴女達こそどうしたのですか? 倉庫の片付けは」

「オレらは夜間哨戒の報告にな。ったく、提督が起きてからなんやかんやで報告する暇が無かったからよぉ。駆逐共はさっきの出撃の報告だとよ」

「と言っても、私達は戦闘もしていないから、特に報告する事も無いのだけれどね」

 

 響が帽子に手を当てながら、表情ひとつ変えずにそう言った。

 報告書の処理であれば、一旦私達が引き受けても問題は無いだろう。

 火急の要件があれば提督に報告すればいい。

 

「報告は一旦、秘書艦の方で受けましょうか」

「あっ、そうですねっ。はいっ、報告書は私が受け取りますねっ。はいっ! 羽黒さんも」

「ふぇぇっ……? は、はい……」

 

 鹿島は龍田さんと響から報告書を受け取ると、一つは羽黒さんに手渡した。

 羽黒さんは秘書艦を続けるものだと信じているのだろう。

 ぱらぱらと報告書に目を通す鹿島の後ろから、私も報告書の中身を覗き見る。

 

「ふんふん……被害は天龍さんが大破しただけですか……いつも通りという事ですねっ」

「フフフ、まぁな……ってコラ鹿島」

「私達が見た感じ、下級の深海棲艦以外は見当たらなかったわね~。鎮守府近海の制海権は取り戻したと言っていいと思うわ~。天龍ちゃんが大破しなければ、もう少し奥まで見回りたかったところだけど……」

「うぐっ……で、でもよ、大破と引き換えに収穫はあったぜ?」

 

 天龍は気まずそうに龍田さんから目を逸らしたが、見栄を張るように腕組みをしながら言葉を続けた。

 

「俺をやりやがったのは軽巡ホ級だ。まぁ雑魚だな」

「その雑魚に大破させられたのでは……」

「ま、まぁ最後まで聞けよ。そいつを見つけて、何となく妙な感じがしたからよ、あえて突っ込んで接近戦を挑んでみたんだ。で、結果だが……ありゃ野良じゃねぇな。指揮を受けてる動きだった」

「えっ。ど、どういう事ですか?」

 

 私だけではなく、皆が天龍に注目した。

 

「俺を先に通さねぇ、って事を優先している動きだった。野良の深海棲艦はただ本能に従って目の前の敵と戦うだけで、そんな動きはしねぇよ。最終的には身体ごと突っ込んできやがったからよ、オレも避けきれずに大破しちまったってわけだ」

「ちょ、ちょっと待って下さい。深海棲艦の動きだけで、そんな事がわかるんですか?」

「あぁ? だから見りゃわかんだろ」

「……」

 

 私は言葉を失ってしまった。

 信憑性は無い。ただの主観と言ってしまえばそれまでだ。

 だが、天龍の観察力については、提督からも認められていると思われるほどの立派な能力だ。

 昨夜、提督を襲った激痛、そして満潮が隠していた疲労についても見事に見抜いていた。

 本人の戦闘力はともかくとして、駆逐艦を率いる力、艦隊を鼓舞する力、そして観察力については認めざるを得ない。

 歓迎会の最中に天龍を夜間哨戒に向かわせたのは、もしやそれを評価して――?

 

「龍田さんはどう思われますか?」

「うぅん……正直、闇の中だったし、私はそこまで正確に敵の動きを観察できていなかったのよね~……突っ込んでいった天龍ちゃんにしかわからない事だけど、天龍ちゃんの言う事なら、私は信じるわよ~?」

「……仮にそれが事実だったとするならば……指揮を受けていたという事は、規模は不明ですが主力艦隊が近くにいる可能性があります。流石に棲地とまではいかないでしょうが……」

 

 鹿島の持つ報告書を覗き見て、私は言葉を続ける。

 

「天龍が大破した位置……敵が立ち塞がったのはどの辺りですか?」

「そうだな……そのまままっすぐ行けばB島ってところだな」

 

 B島……敵の資源集積地に使われていた場所の一つだ。

 それを奪うべく備蓄回復作戦を立案したわけだが……そう言えば、B島への先遣隊がちょうどここにいる六駆の四人だ。

 不慮の事態によってB島まで辿り着く事はなかったが、私は四人に目を向けて訊ねた。

 

「貴女達はB島への先遣隊だったけれど、何か異常はありませんでしたか?」

「はわわ、と、特には何もなかったと思うのです。雷ちゃんは?」

「私も別に……響は?」

「右に同じだな――いや」

 

 響が何か気付いたかのようにそう言って、暁に目を向けた。

 

「何も確認できなかったから報告書には書かなかったが……向かっている途中に暁が言っていた。何か嫌な感じがする、と。そう言って、怯えていた。そうだろう」

「えぇっ? い、いえ、あの、その……た、確かに言ったかもしれないけれど、べ、別に怖がってたんじゃないからねっ⁉」

「暁は怖がりだものねぇ。未だに夜中に一人でトイレに行く事もできないし」

「い、雷っ! 今はそんな事関係ないでしょ⁉ もうっ!」

「ふ、二人とも喧嘩は駄目なのです!」

 

 やれやれと肩をすくめる雷に暁が食いつくのを、電が仲裁する。

 それに呆れたような視線を向けてから、響が私達を見上げて言葉を続けた。

 

「こう見えて、暁の索敵能力は駆逐艦随一だ。私達に気付かない脅威を感じる力があるのかもしれない。案外、夜中に恐怖を感じるのも、私達にはわからない幽霊の存在を感じているのかも……」

「ひ、響⁉ 褒めてくれるのは嬉しいけど怖い事言わないでよね⁉ おおお、おばけとか信じてないんだから!」

 

 暁は顔面蒼白になって、震えながら響の袖をぎゅっと掴んだ。

 確かに、この暁型の長女はちょっと見た目が頼りないが、横須賀鎮守府の駆逐艦の中で最も早く改二に目覚めた実力を持つ。

 更には、響も言っていたように、駆逐艦の中でも随一の索敵能力。

 暁自身が、常に高性能の電探を積んでいるようなものだ。それはつまり勘の良さや第六感と言ってもいいかもしれない。

 

「あ、あの、その……確かにそう感じたけれど、自信があるわけではなくて、なんとなくというか、ただの勘だから……」

「――いいや」

 

 自信無さげに暁がそう言った瞬間、執務室の扉が開かれ、凛々しい表情の提督が姿を現した。

 いつから話を聞いていたのだろうか。提督は暁に歩み寄ると、膝を地面について目線を合わせ、帽子の上から頭を撫でながら言ったのだった。

 

「私は信じよう。フフフ、女の勘はな……当たるんだ」

「な、なんか一人前のレディっぽいわ! ……って、頭を撫で撫でしないでよ! もう子供じゃないって言ってるでしょ! ぷんすか!」

 

 頬を膨らませる暁に構わず提督は立ち上がると、私に目を向けた。

 不安と喜びが入り混じったような言いようのない感情に、どきり、と胸が跳ね上がる。

 

「大淀。少し、相談がある。入ってくれ」

「は、はい」

 

 ただ一人だけ提督に指名され、普段であれば光栄に思うところだが、私はどこか不安だった。

 椅子に腰かけた提督と執務机を挟んで対面する。

 そして、提督は真剣な表情で、ゆっくりと口を開いた。

 

「済まないな。だが、お前以外には頼めないのだ」

「はい。なんなりとお命じ下さい」

「うむ。とりあえず、聞くだけ聞いてほしい。備蓄に余裕が無いのはわかっているが……倉庫の片付けが終わったら、すぐに出撃してほしいのだ。その為の編成はすでに考えてある」

 

 執務机の上に広げられた海図には、艦隊編成用の名札が並べられている。

 私はそれを見て思わず息を呑み――そして衝動的に声を漏らした。

 

「……⁉ れ、連合艦隊……ですか……っ⁉」

 

 海図の上に並べられていた編成は、確かに連合艦隊を現していた。

 しかも――三つ。連合艦隊が、三つ、確かにそこに並べられていた。

 こ、こんな、制海権を取り戻したと思われる鎮守府近海で……⁉

 十二人からなる連合艦隊を三つ、三十六人同時運用……⁉

 確かに過去にも、複数の連合艦隊を用いて敵棲地を攻略する作戦はあったが、その時は順序立てて敵の拠点を制圧していった。

 偵察も満足に行えていないというのに、同時に複数の拠点に向かわせるとは。

 備蓄に余裕の無い状況……おそらく何度も出撃はできないだろう。

 これではまるで将棋の三面指しではないか。一人になって集中したかったのも納得ができるが……。

 

 私の名も確認できた。

 しかし、これは……何連合なのだ。空母機動部隊、水上打撃部隊、輸送連合……一体なんなのだ。

 一体何を目的として……。

 私はもう頭がパンクしそうになった。

 

「出撃の意図に関しては、暁の言っていた不安を拭い去るためと言っておこうか。皆にはお前の方から上手く説明しておいてくれ」

「は、はっ……!」

「できれば明日の夜明けまで粘ってほしい。完全に不安を拭い去るにはそれくらい必要だからな」

「はい……」

「だが、無理はするなよ。特に、大破した艦がいればすぐに帰還させてほしい。そのために、お前達にはこれを積んでもらう」

 

 提督がそう言うと、その頭の上に妖精さんがにゅっと顔を出した。可愛い。

 って、その私によく似た妖精さん達は……。

 

「艦隊司令部施設ですか……!」

「うむ。有効に使ってくれ。それ以外にも、一部の者については私の方ですでに積む装備を決めている。何か言われるかもしれないが……その時はお前の方から上手く説明しておいてくれ」

「了解しました……」

 

 私は海図の上に並べられた名札を凝視しながら返事をする。

 

【北東・A島方面連合艦隊】

第一艦隊:那智、足柄、利根、加賀、瑞鶴、龍驤

第二艦隊:川内、神通、那珂、朧、漣、潮

 

【東・B島方面連合艦隊】

第一艦隊:長門、青葉、朝潮、大潮、満潮、荒潮

第二艦隊:大淀、夕張、朝雲、山雲、霞、霰

 

【南東・C島方面連合艦隊】

第一艦隊:妙高、羽黒、筑摩、赤城、翔鶴、春日丸

第二艦隊:天龍、龍田、暁、響、雷、電

 

「……」

「それと、千歳、千代田、香取、鹿島にもそれぞれ駆逐艦を率いて鎮守府近海の警戒に当たってほしい。必要とあらば連合艦隊に合流してもいいが、これらは夜間演習の一環とでも考えてもらっていい。故に、演習が必要な駆逐艦の面子はお前達で決めてくれ」

「はい」

 

 疑問が残ったが、それが口に出そうになるのをぐっと堪えた。

 横須賀鎮守府において重要な戦力である金剛型の名前が見えない……。

 いや、少し考えればわかる事だ。おそらくは何か重要な任務があるのだろう……。

 

 その後、一通りの説明を終えた提督は、一息ついた後に、不安そうな目を私に向けた。

 

「――それで……できるか? 無理を言っているのはわかる。もしもお前が無理だと言うのなら、私も、諦めるしかないが……」

 

 諦める……?

 一体、何を……――⁉

 瞬間、私は衝動的に執務机に両手を叩きつけ、前のめりになりながら叫ぶように口を開いた。

 

「やりますっ! 絶対にやり遂げてみせますっ! だからっ、だから諦めないで下さいッ! 提督の『欲望』をっ!」

 

 あえて欲望という言葉を使ったのは、少しでも提督の事を理解できたと伝えたかったのかもしれない。

 提督が欲しているもの、望んでいる事。

 私は理解した。私が何をしでかしてしまったのかを。

 何てことを、しでかしてしまったのかを――。

 

 諦めさせてはならない。

 私のせいで、諦めさせてはならない。

 提督の『欲望』を――誰一人沈めずに、この戦いを終わらせるという事を。

 

 提督は私の勢いにぽかんと口を半開きにして呆けていたが、やがて感動したかのように震える声を出した。

 

「い、いいのか……? 本当に……?」

「はい。この任務、必ず成し遂げてみせます……! 提督、羽黒さんに仰った通り、提督こそ、どうぞ『欲望』に忠実に……」

 

 私は提督の返事も待たずに踵を返した。

 

「倉庫の片付けを急がせ、早急に出撃の概要を説明してきます。失礼します」

 

 執務室の扉を閉じると、私の表情を見てだろう、妙高さん達が目を丸くしていた。

 何かを訊ねようとした香取さんに構わず、私は艤装を展開し、そして無線を繋ぐ。

 

「……やっぱり……」

 

 天龍が見抜いた敵の存在。

 暁が感じた不安。

 歓迎会の最中から、提督が警戒していた事。

 提督の右腕だ、真の秘書艦だと舞い上がっていた私の浅慮。

 あまりにも遠すぎる提督の領域――。

 

 動悸が激しい。目眩がする。

 香取さん達に目を向けて、私は動揺を必死に押し隠しながら、ゆっくりと言葉を続けた。

 

「……時雨達の艦隊と……連絡が取れません……」




大変お待たせ致しました。
これにて第四章の艦娘視点は終了となります。
次回の提督視点で第四章はおしまいの予定です。
新年度になり、仕事の割り振りや環境も変わり、執筆の時間が取りにくい毎日が続いております。

艦これではまさかの金剛改二丙の実装がアナウンスされていますね。
赤城改二や矢矧改二もそろそろなのでしょうか。
もうすぐ春イベが始まるというのもあり、何人のニューフェイスをお迎えできるのかが楽しみです。
朝風と秋月をお迎えできれば嬉しいですが、仕事の関係でまずイベントに参加できるかどうかが不安です。

次回の更新まで気長にお待ち頂けますと幸いです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。