ラストダンスは終わらない   作:紳士イ級

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※ちょっと考えがありまして、第五章の艦娘視点は三人称での執筆に挑戦することにしました。
 慣れないもので用法的に色々と間違っている部分や至らぬ点があるかもしれませんが、生暖かく見守って頂けますと幸いです。


第五章『迷子の駆逐艦編(後)』
058.『最善手』【艦娘視点】


 数時間前の有り様が嘘のように整頓された倉庫の中――。

 間宮や伊良湖、鳳翔を除いた全ての艦娘達は、ただ一人彼女達の前に立つ大淀に向かい合い、神妙な面持ちで整列した。

 つい先ほどまで自室で待機しており、大淀によって至急の呼び出しを受けた駆逐艦や潜水艦達は何も分からぬ様子であったが、それでもただならぬ雰囲気から何かを察したように、表情を固くしている。

 一方で倉庫の片付けに尽力していた艦娘達は、大淀からまだ断片的にしか聞かされていないとはいえ、今置かれている状況が何となく理解できているようであった。

 

 血相を変えて倉庫に現れた大淀と、秘書艦を務めていた鹿島達。

 それとほぼ同時に、倉庫の片付けを手伝ってくれていた妖精達が明らかに急ぎ始めたのだ。

 大淀はその場の全員に、今から大至急で出撃する必要があるという事、その為にはこの倉庫内の装備を全て把握する必要がある事を端的に説明した。

 満足な説明をする間もなく夕張と明石に声をかけ、鹿島や羽黒と共に、全ての装備の種類、個数の確認に入った大淀であったが、その様子を見た長門は湧き上がる疑問を堪え、大淀の指示に従うべく艦娘達を仕切ったのだった。

 横須賀鎮守府の頭脳、そして提督の右腕の座に最も近い大淀があそこまで余裕を無くしている――それだけで疑う余地も無かったからだ。

 そしてそれは他の者も同じ意見であり、目配せひとつで互いに頷き合い――全力で片付けを終わらせて今に至る。

 

 大淀は全ての艦娘に目をやると、自らの不安や衝動を押し殺すかのように、ゆっくりと声を絞り出した。

 

「――提督より出撃の指示が出ました。主力艦隊の編成については、すでに提督から指定されています。……連合艦隊を、三艦隊です」

 

 大きなざわめきが沸き起こったが、大淀はそれに構わず淡々と言葉を続ける。

 

「読み上げますので、まずはその通りに整列をお願いします」

 

 そして先ほど提督から指定された通り、艦娘達の名を呼んだ。

 

「A島方面連合艦隊……第一艦隊、旗艦・那智。以下、足柄、利根、加賀、瑞鶴、龍驤。第二艦隊、旗艦・川内。以下、神通、那珂、朧、漣、潮」

「C島方面連合艦隊……第一艦隊、旗艦・妙高。以下、羽黒、筑摩、赤城、翔鶴、春日丸。第二艦隊、旗艦・天龍。以下、龍田、暁、響、雷、電」

「よっしゃあああっ‼」

 

 よほど嬉しかったのか、空気を読まずに歓喜の声を上げたのは天龍であった。

 しかし大淀にジロリと睨みつけられ、誤魔化すように咳払いをした後でいそいそと整列を始める。

 そんな天龍に呆れたような視線を向けていたのは那智であったが、そんな那智も大淀から見れば、高揚する気持ちが隠しきれていないのは明らかだった。

 一見して平静を装っているようにも見えるが、誇らしげな笑みを抑えられていないからだ。

 妙高と共に、連合艦隊の旗艦を務める事――それすなわち、提督が自身の実力を認めているという事に他ならない。

 決して挑発に乗ったわけではないが、先ほど、下手に奴に気を遣わずにしっかりと実力を見せたのが良かったのだろう、と那智は理解していた。

 

 大淀は何故か声に出すのを一瞬躊躇した後で、言葉を続ける。

 

「……そして、B島方面連合艦隊……第一艦隊、旗艦・長門。以下、青葉、朝潮、大潮、満潮、荒潮。第二艦隊、旗艦・大淀。以下、夕張、朝雲、山雲、霞、霰」

「何……だと……」

 

 長門は大きく目を見開き、固まってしまった。

 そして武者震いのようにわなわなと身体を震わせながら、確かめるように言葉を紡ぐ。

 

「い、いいのか……? 返せと言われても返さないぞ……?」

「何を仰っているのかよくわかりませんが、ちゃんと返して下さい」

 

 提督が着任してからというもの、数人の艦娘達が僅かに残念になっているという事は大淀も理解できていたが、今はそんな気分ではなかった。

 横須賀鎮守府の艦娘達を束ねるリーダーに、天龍に向けたそれよりも冷ややかな視線を浴びせた後で、残りの艦娘達に声をかける。

 

「そして、提督の指示により、鎮守府近海の警戒、兼、夜間演習の一環として、四つの艦隊を編成します。こちらの編成には、()()()()指定はありませんでしたので、私と香取さん達で相談して決めました。整列をお願いします」

「旗艦・千歳。以下、夕雲、巻雲、風雲、秋雲」

「旗艦・千代田。以下、長波、高波、藤波、沖波」

「旗艦・香取。以下、皐月、水無月、文月、長月」

「旗艦・鹿島。以下、朝霜、早霜、清霜」

 

 読み上げられた通りに整列し、千代田は隣に立つ姉に縋りつくような眼を向けたが、千歳はそれに気付いていながらあえて微動だにしない様子であった。

 涙目になっている千代田の事が僅かに気にかかったが、今はそれどころでは無い――大淀が本題に入ろうと小さく息を吸ったところで、整列した艦娘達の端の方から不満そうな抗議の声が上がる。

 大淀は僅かに苛立った。

 

「お、おい! 大淀! この磯風の名が、いや、この磯風率いる第十七駆逐隊の名が呼ばれていないようだが何かの間違いか⁉」

「……」

「ま、まさか忘れていたわけではないだろうな⁉ くっ、さては最も司令の左腕に近いこの磯風が武勲を上げる機会を奪おうと……!」

「おどりゃ大淀姐さんになぁに失礼な事を言っとるんじゃ‼ ほらっ、謝りんさい!」

「かぁ~っ! 頭下げやがれってんだ畜生め!」

 

 谷風に無理やり頭を押さえつけられながらも、磯風は意地で抵抗しながら声を荒らげる。

 

「いいや、納得がいかん! 先ほど出撃したばかりの六駆や八駆が主力艦隊に選ばれているというのに! 浦風! 浜風! 谷風! お前達は納得できるのか⁉」

「そ、それは……」

 

 磯風の言葉に、浜風が口ごもってしまった。

 ――提督は何も考える事なく質問される事を嫌う。

 それを理解せずに真っ先に抗議の声を上げておきながら左腕を自称する磯風に哀れみを覚え、大淀は沈黙――いや、文字通り絶句してしまった。

 しかし、口では磯風を押さえようとしているものの、浦風、浜風、谷風にも同様の疑問の色が浮かんでいる。

 提督の主義とはいえ、僅かに支障が出てしまっている。

 全て教えるべきか、と大淀が考えるよりも先に口を開いたのは、十七駆の隣に大人しく控えていた金剛であった。

 

「フフフ、浜風達もまだまだデスネ」

「金剛……そう言えば、金剛達も名前を呼ばれていませんでしたね」

「戦艦四人が主力に含まれていねぇってのかい……⁉ かぁ~っ、こりゃあ一体どういうこったい⁉」

「こ、金剛姐さんは理由がわかっとるんけ⁉」

 

 浦風の問いに、金剛は親指を立てながら自信満々な笑顔と共に答える。

 

「オフコース! 全然ワカリマセーン‼」

「なぁんじゃ……一瞬期待したうちが馬鹿じゃった」

「ふふっ。しかし、たとえ今は理解できなくても、提督を疑う余地など無いのデスヨ。まぁ浦風達にはちょっと早いかもしれないネー」

 

 ウインクしながらそう言った金剛に、浦風は不愉快そうにジト目を向ける。

 

「むっ……う、うちらを子供扱いしとるんけ?」

「ウッフフ。そうは言ってないデスが、提督の指示に不安を感じているうちはまだまだそうなのかもしれないネー?」

「お姉さま……流石です!」

「これが大人の女性としての嗜みというものなのですね……榛名、憧れてしまいます!」

「流石お姉さま……データ以上の余裕ですね」

「な、なんか一人前のレディっぽいわ!」

 

 目を輝かせる妹達と暁からの視線を受けながら余裕の笑みを浮かべる金剛に、浦風は顔を真っ赤にして頬を膨らませていた。

 そして磯風にぐるんと顔を向け、ヘッドロックを仕掛ける。

 

「うぐぐ……おどりゃ磯風! うちらまで巻き込まれて子供扱いされてしもうたじゃろ!」

「い、いや、浦風も不安を感じていたのは事実では……オゴゴ、わ、わかったわかった! 悪かった!」

 

 提督の左腕とは程遠いその姿に大淀が情けなさを感じていると、金剛が自分に顔を向け、笑顔で親指を立てているのに気付く。

 助けられた事に軽く頭を下げ、改めて口を開いた。

 

「私達も、何も考えずに編成したわけではありません。提督が意図した事を読み解いた上で、貴女達第十七駆逐隊はあえて編成から外してあります」

「だったらその理由を……!」

「磯風っ、いい加減にしんさい! うちらで考えろと言うとるんじゃ!」

「そもそも連合艦隊の編成は提督が決めた事……大淀を問い詰めたところで何にもなりません」

「くっ……」

 

 浦風に叱られ、浜風に諭されて、磯風はようやく言葉を飲み込んだ。

 

「――そう、浜風の言う通り、主力艦隊については提督の指示です。まったく……貴女達のために一応説明しておきますが、千歳さん達率いる四艦隊は、あくまでも夜間演習の一環……演習が必要な駆逐艦を、と提督は仰りました。故に、練度の高さや武勲ではなく、それを優先して編成しました」

「かぁっ! なぁるほどねぇ……それで、谷風達よりは練度が低い夕雲型ってわけか! それなら納得だねぇっ」

「それと、つい先ほど改二が実装された文月と、実装されてしまった……というべきでしょうか、皐月を含む第二二駆逐隊。彼女達は練習巡洋艦・香取さんを旗艦とする事で性能の把握、調整を目的としています」

「えへへっ、いい感じぃ~」

「いやぁ、ボクも提督パワーのおかげで強くなっちゃったからなぁ~。提督パワーのおかげで! 『皐月改二』! フフフ。提督パワー」

 

 皐月が照れ臭そうに、しかし自慢げに頭を掻きながら見せびらかすように改二を発動したのを、他の駆逐艦達は興味深そうに眺めていた。

 提督パワーなる謎の言葉に誰も疑問を持たない事、そして一部の艦娘の羨望と羞恥が入り混じったような複雑な表情を見るに、どうやら皐月はかなり口が軽いらしい。

 朝潮は「あ、あれが噂の提督パワー……し、司令官、か、感服、感服……!」と呟きながらガクガクと震えている。

 提督があえて誤魔化そうとしていた情報を流布したという事で何か罰を与える必要があるだろうか、と大淀は一瞬考えてしまったが、今はそれどころではない。

 それよりも今、罰を受けなければならないのは――他ならぬ自分だ。大淀は心中でそう自嘲し、潜水艦隊に顔を向けた。

 

「潜水艦隊については、提督も今日一日は身体を休めてもらう事を望んでいます。今夜はしっかりと休んで、また明日から気持ちを切り替えて出撃しましょう」

「はい……」

「イムヤ! 提督の言う通り、明日からまた頑張るの!」

「お休みは大事でち! 今日はゆっくり休も?」

 

 責任を感じてであろう、イムヤが顔を曇らせるのを、イクとゴーヤが明るく励ました。

 どうやら潜水艦隊はもう大丈夫のようだと確信し、再び磯風に目を向ける。

 

「そして私達がこのように編成する事を提督が望んでいるのだとするなら、貴女達十七駆が残った事もまた必然、提督が望んだ事……という事です」

「それは一体、何の為に……い、いや。それはこちらで考えろという事だったな。了解した」

「うちらは指示があるまで部屋で待機じゃ。磯風、ちゃんとわかっちょるけぇ?」

「あぁ。司令の左腕たるこの磯風の名に賭けて、答えが出るまでおとなしく待機する事を誓おう」

 

 ドヤ顔で胸を叩いてそう言った磯風であったが、浜風と谷風からは疑いの視線を向けられていた。

 磯風の抗議から始まった一連の流れに業を煮やしていたのだろう、話がまとまったタイミングを見計らって、川内がぱんぱんと手を叩きながら声を上げる。

 

「大淀。それで、今回の出撃の目的は? 連合艦隊、しかも三艦隊って……只事じゃあないでしょ」

「……はい。提督はそう仰りませんでしたが……完全に私の落ち度です。申し訳ありません……」

 

 大淀は自身の見通しの甘さを悔いながら、自戒するかのように言葉を続けた。

 

「現在、私がA島方面へ向かわせた時雨、夕立、江風の三名と連絡が取れない状況です」

「時雨達と⁉ ちょ、ちょっとどういう事⁉」

 

 艦娘達に再びどよめきが湧き上がり、川内が動揺と共に大淀に問いかける。

 神通と那珂も目を見開き、大淀を見つめた。

 

「私は完全に制海権を取り戻したと判断し、最小限の資材消費で敵の資源集積地から資源を輸送する事を目的とし、念には念を入れて先遣隊を向かわせました」

「しかし……私の考えは甘すぎました」

「あれだけ大規模な資源集積地です。それは先日の戦艦棲姫率いる艦隊だけのためのものではなく、その後の深海勢力が本土へ侵攻するための足掛かりとなる事を見越してのものだとは理解していました」

「故に、それを防ぐために早急な対処をしたつもりでしたが……予想以上に敵の動きが速かった……」

「まさか翌日の夜――つまり提督の歓迎会を行い、勝利を祝っていた昨夜には敵がそこまで到達している可能性があるとは思いもしなかったのです……!」

 

 唇を噛み締め、肩を震わせながら自身の失態を語らざるを得ない大淀の悔しさは、その場の全員が理解できていた。

 何より、横須賀鎮守府の頭脳と称される大淀でさえ思いもよらなかった事を、他の誰が気付けたというのか――。

 勝って兜の何とやら――最高の提督の着任を祝い、勝利の美酒に酔いしれていたあの時を思えば思う程、その言葉が空しくなる。

 決して他人事では無い。誰一人として、そんな可能性など頭にかすりもしなかったのだから――。

 那智は自分自身への苛立ちからか、不愉快そうに大淀に訊ねた。

 

「……奴は知っていたというのか? その神眼とやらで」

「いいえ。流石に提督でも、そこまで知る事はできないかと……しかし、提督はご自分の歓迎会の最中だというのに、真剣に今後の備蓄について考えておられました……。そして、密かに天龍と龍田さんを夜間哨戒に向かわせていました。それは昨夜の内に近海の様子を確認したかったため、そして天龍の観察力を見込んでの事でしょう。警戒していたのは明らかです」

「フン……それで、異常は掴めていたのか?」

 

 那智の問いに、龍田が申し訳なさそうに眉を下げながら答える。

 

「私は全くわからなかったわ~……でも、実は天龍ちゃんは敵の様子がおかしい事には気付いていたみたいなんだけど~……大破してて報告するのを忘れてたのよねぇ……」

「チッ、その目を見込まれて哨戒に向かった意味が無いな。話にならん」

「ぐっ……わ、悪ィと思ってるよ」

 

 那智に睨まれ、天龍も自分のミスを認めて、言いたい言葉を飲み込んだようであった。

 天龍が帰投した時には、まだ先遣隊は出発していなかった。

 故に、しっかり報告が出来ていれば対策が練れていたかもしれないという事は否定できない。

 天龍の観察力を見込んで夜間哨戒に向かわせたというのに、肝心の報告を忘れていたでは、話にならないと言われてしまっても仕方が無い事であった。

 居心地が悪そうに目を逸らしている天龍を一瞥してから、大淀は言葉を続ける。

 

「いえ、私が()いていたのです。何故、提督が昨夜のうちに夜間哨戒を行ったのか……ちゃんと考えてから先遣隊を出撃させるべきでした。申し訳ありません……」

「提督は先ほど、私の立案した計画を一目見て……一目見ただけで、先遣隊の力量が適切であったかと疑問を抱いていました」

「お優しい御方です……提督は、自らの過ちに気付けなかった私を一言さえも責める事なく、ただただ(ねぎら)って下さって――」

 

 悔しさのあまり涙が出そうになるのを必死に堪える大淀に、香取が優しく声をかける。

 

「大淀さん。提督はあの時、鹿島と私にも問いかけましたが……わかっていなかったのは私達も同じです。お気持ちはわかりますが、そう自分を責めないであげて下さい」

「香取姉の言う通りです。私も自信満々に答えたのに……提督さんの領域、遠すぎます……」

 

 鹿島も自信を無くしてしまったかのように、しょんぼりと肩を落としながら呟いた。

 唇を噛み締める大淀の耳に、長門の力強く、しかし優しく大らかな声が届く。

 

「大淀、提督の領域に最も近いお前ですら予測できなかった事だ。鹿島達だけではなく我々も同じ事……お前を責める者など誰もいないよ」

「長門さん……」

「そしてその気持ちは提督だって同じはずさ。深く眠っていた提督の代わりに作戦を仕切ったお前に、提督も心から感謝しているだろう。だからお前を責めたりなどしないし――我らの失態をそのままにするつもりも無い。今回の出撃はそういう事だろう?」

 

 長門の言葉に、大淀は目元をぐしぐしと袖で拭い、気持ちを切り替えるように、俯きがちだった顔を上げた。

 そう――落ち込んでいる暇など無い。

 こう話している今もまだ、時雨達の安否は確認できていないのだ。

 彼女達の事が特に気にかかっているのであろう、川内が落ち着かない様子で口を開く。

 

「それより大淀、こんな悠長に喋ってる暇なんて無いんじゃないの? 早くしないと時雨達が――」

「あっ、申し訳ありません……気持ちを切り替えます。それと、実は先ほど、鳳翔さんが提督からの伝言を伝えに来て下さりまして……出撃時刻はヒトナナマルマルと」

「ヒトナナマルマルか……結構余裕あるね。提督が言うんなら文句は無いけど、随分とのんびりしてるね。手遅れになったらどうすんのさ」

 

 いつも朗らかな川内が珍しく、少し苛立ったようにそう言った。

 その気持ちは、今回の一件において責任がある大淀にもよく理解できている。

 一刻も早く出撃したいという気持ちはあるが、提督命令である以上は仕方が無い。

 川内の後ろに並んでいた神通が、窘めるように声をかける。

 

「川内姉さん、あのお優しい提督が悠長に構えていると思いますか。時雨さん達の安否が知れないこの状況を……」

「わかってるよ! でも時雨達の事を考えたら……!」

 

 焦りと苛立ちを抑えきれないのだろう、川内さんが苦々しげにそう言った。

 それを聞いて、大淀は少し躊躇してから、川内達に声をかける。

 

「実は……提督は、今回の出撃について、時雨さん達の事を諦める覚悟をしているようでした」

「えっ……⁉ う、嘘でしょ、あの提督が……⁉」

「はい、私に今回の出撃について一通り指示した後で、提督はこう仰りました。『無理を言っているのはわかる。もしも無理だというのなら、私も諦めるしかない』と……。あの心優しい提督に、私達を失う事を何よりも悲しむ提督に、そこまで覚悟させてしまったのは、私の責任です……申し訳ありません……」

 

 大淀が頭を下げると、黙って話を聞いていた足柄がゆっくりと口を開く。

 

「あの提督が時雨達を失う覚悟までして、そこまで言うなんて……つまり今回の出撃は相当厳しい戦いになると予想しているという事ね……」

「あぁ。そうなると、奴も悠長に構えてはいないだろう。おそらくは出撃時刻までのこの時間さえ、奴の考えた最善手に関わっているのだろうな」

 

 那智と足柄の会話を聞いて、神通はその拳を固く握りしめ、声を震わせた。

 

「……川内姉さん、私、悔しいです。自分自身の弱さが……」

「え?」

「だって、そうじゃありませんか。なんとなく、私にはわかります……おそらく時雨さん達を危険に晒すこの時間も、その他にも、提督は様々な手を打っています。それは、時雨さん達のためではなく……私達の弱さを補うためにです。私達がもっと強ければ、私達がもっと頼りになれば、提督はそんな手を打つ事もなく、すぐにでも出撃させる事ができたでしょう。私達が弱いから、頼りにならないから、提督が想定している敵に対して力不足だからこそ、提督は時雨さん達を失う覚悟までして……私達のために、様々な手を打っているのです……!」

「この時間は、私達のために……? 時雨達を危険に晒してまで……⁉ そ、そんな……」

 

 川内は言葉を失ってしまった。

 何をのんびりしているのだ、そんな暇は無い――無駄な時間だと考えていたそれこそが、他ならぬ自分達の弱さを補うためのもの。

 自分達がもっと強かったならば、頼りになったならば、川内が望む通りに、すぐにでも出撃できたのだ。

 誰よりも何よりも、時雨達の事を気にかけているであろう優しい提督に、時雨達を諦める覚悟をさせてしまったのは、他ならぬ自分達――。

 時雨達を危険に晒す時間を増やしているのは、自分達の弱さ故に――。

 その推測は、今までの提督の行動や発言と矛盾していないという事に、艦娘達も気が付いたようであった。

 川内は顔を上げて、大淀に問いかけた。

 

「……大淀。提督が急に改二実装艦の観察を始めた事も……それと関係あるって事?」

「はい、おそらくは……。あの時も、提督は何か焦っているような様子でした。つまり、すぐに出撃するよりも先に、一刻も早く優先しなければならなかった事であると考えてもいいでしょう」

「提督は否定してたけど、文月に改二が実装されたのは、あれ絶対提督の力だよね……なんか皐月まで実装されちゃったし。って事は――」

 

 川内が言葉を続ける前に、大淀は頷いて言葉を返した。

 

「はい。やはり今回の戦いは、今の私達の力を持ってしても、相当厳しいものであると推測できます。故に、私達自身の更なる改装を戦力強化の一つの手段として考えたのだと思われます。長門さん達が提督への信頼を深めたら、更に強くなれるか、なんて的外れな事も仰っていましたし……」

「すでにこれ以上ないくらい信頼しているとは思ってもいなかったとはな……つ、つまりこの長門の力は期待外れだったという事かッ⁉ 私は先ほど、全力を見せたつもりだぞっ⁉」

「ですから、私達はまだまだ弱いんですよ……提督の求める領域には至っていないという事です」

 

 神通の言葉に、長門は肩を落としてしまった。

 強者揃いの横須賀鎮守府と呼ばれており、その自負が無かったと言えば嘘になる。

 横須賀鎮守府の艦娘達の自信や自負は、提督の領域という圧倒的な格の違いの前に砕け散ってしまったのだった。

 肩を震わせながら落ち込む長門に構わず、川内は首を傾げながら言葉を続ける。

 

「でも、結局何もしなかったね。文月で何かを掴んだのは明らかだし、それなら他の艦にも提督パワーとやらを与えて回ったりするかと思ったんだけど、提督パワーの存在すら否定してたし。明らかに嘘っぽかったけど……」

「それを頼りにされすぎても困ると考えたのかもしれません。検証した以上は、提督なりに何か考えがあるとは思うのですが……」

 

 大淀ですら、まだ提督が何を考えているのか推測できていないようであった。

 ならば、私達がこれ以上考えても仕方が無い。

 川内を始めとした他の艦娘達もその結論に至ったようで、彼女達はそれ以上、その事について考える事を止めた。

 一人で納得がいったような顔をして頷いている利根が、大淀に問いかける。

 

「ふむ。火急の事態だというのに装備の片付けを優先させたのも、それが必要だったからというわけじゃな」

「はい。もっとも、提督が倉庫の整理を命じられたのは私の計画書を見る前の事でしたから、装備の整理については今回の事態は関係なく、当たり前に行っておくべき事だったのですが……」

 

 もしも提督があの時、倉庫の整理を命じていなかったら。

 整理整頓を習慣づける事を説いていなかったら。

 今もまだ出撃の準備は完了していなかったかもしれない――大淀はそれを考えて恐ろしくなってしまった。

 日頃の行いが良かったから、とはこういう事を言うのだろう。

 提督が日頃から心がけていた事によって、出撃の準備を手早く整える事が出来た。

 これは決して幸運などでは無い。提督の日頃の行いが引き寄せた必然なのだ――大淀はそのように考えていた。

 

「主力艦隊の装備ですが、一部の艦については提督から指定がありました。ただ、最近使っていなかったものや、その……把握できていなかったものもあり、全ての装備を一度確認する必要があったのです」

「なるほどのぅ……なんじゃ? そんな難しそうな顔をして」

「い、いえ。何でもありません。それでは、各艦の装備を読み上げていきますので――」

 

 提督から指示があったメモを読み上げながら、大淀は不意に、夕張と目が合った。

 夕張もまた、疑問と諦めが混ざったような、何とも言えない微妙な表情で小さく首を傾げたのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 全ての艦に装備の振り分けが終わったところで倉庫に入ってきたのは、鳳翔、間宮、伊良湖――そして提督であった。

 艦娘達は瞬時に隊列を整え、提督に数々の疑問を投げかけたい気持ちを堪えながら、真剣な表情で口を噤む。

 先ほどのイムヤの轟沈騒ぎであそこまで取り乱した提督である。

 時雨達の事を考えれば、落ち着いていられるはずもない。

 提督は普段と変わらず凛々しさの溢れる表情であったが、その奥には今にも爆発しそうな衝動と感情が必死に抑え込まれている事が、艦娘達にも何となく理解できていた。

 

 鳳翔、間宮、伊良湖はその手にお盆を持っており、その上には見慣れた戦闘糧食の包みが載せられている。

 鳳翔は艦娘達に向けて小さく微笑み、落ち着いた声で話し出した。

 

「明日の夜明けまでの戦いになりそうだという事で、戦闘糧食を用意しました。ふふっ、今回は提督も手伝ってくれたんですよ」

「何……⁉」

 

 その言葉を聞いて、艦娘達の表情がこわばった。

 おそらくは多くの者が表情を緩め、わあっと歓喜の声を上げたい気持ちだったであろう。

 しかし、今も安否不明な時雨達、それを思う提督の心中を察すれば、そのような顔が出来るはずもない。

 故に艦娘達は、提督の前で不謹慎な態度を出さないように、何とか真剣な表情を保ったのだった。

 しかし、艦娘達のその鋭い瞳は、戦闘糧食の包みに僅かな違いが無いかと凝視しているように見えた。

 提督が手ずから握った握り飯――慈愛に満ちた提督の真心が、愛情がたっぷりと込められている事は明白であったし、あの提督が握った握り飯はどのようなものなのか、単純に興味もあったのだろう。

 

 長門が鳳翔達の持つお盆の上に並べられた包みを見比べながら、小さく尋ねる。

 

「……参考までに訊ねるが、提督の握ったものはどれだ……?」

「ふふっ、秘密です。皆、平等にいきましょう」

「……やむを得んか……」

 

 長門と鳳翔のやり取りを見て、提督が何かを堪えているような表情で小刻みに震えていた。

 取り乱す事のないように必死に取り繕っているようであったが、やはり時雨達の事で頭がいっぱいなのであろう――。

 提督から、より一層悲痛な雰囲気を感じ取り、艦娘達の決意と気合もより引き締まる。

 重苦しい雰囲気の中で、提督は大淀に歩み寄り、三つの手提げ袋を手渡した。

 大淀が中を覗き見ると、戦闘糧食の包みが三つずつ、それぞれの袋に入っていた。

 

「これはまだ出撃中の時雨達の分だ。お前達は、まずは周囲を捜索して、見つけたら渡してやってくれ」

「はっ。三つあるのは……各連合艦隊でひとつずつ持っていくという事ですね」

「うむ。お前の計画通りならA島方面だとは思うが、まぁ念には念を入れてな。入れ違いで帰って来られては困るからな……」

「? どういう……意味でしょうか……?」

 

 時雨達の安否確認は、提督が誰よりも何よりも気掛かりであるはず。

 たとえ連合艦隊と入れ違いになろうとも、無事に帰って来られたのならばそれに越した事は無い、と考えるのは普通であろう。

 だが、安心するでもなく、困るとは――?

 大淀は提督の言葉の意味がわからず、ほぼ反射的に疑問を口にしてしまった。

 その数瞬後には、考える事もなく疑問を投げかけてしまった事に気付き、提督を激怒させてしまうのではないかと思い、顔を青ざめさせてしまったが――提督は怒る事もなく、大淀の問いに答えたのだった。

 

「うむ、時雨達なのだが……合流できたらまず体調を確認してやってくれ。そして、もう戦えないようだったら帰投させて構わない。だが、本人達がまだ戦えると言うのであれば、お前達と一緒に行動させて翌朝帰投してほしいのだ。だが、決して無理はさせないでほしい」

「は、はっ。了解しました。……ちなみに、こちらは提督が?」

「あ、あぁ。一応な。元々は時雨達の分だけ握ろうと思っていたのだが、間宮達が皆の分も握るというから、そちらもいくつか手伝う事になってな……いや、私は断ったのだが、間宮と鳳翔さんが」

 

 元々説明する予定だったのか、提督を怒らせる事が無かったので胸を撫で下ろした大淀であったが、気が抜けたせいか妙な事を訊いてしまった。

 確実に提督の握り飯を食べられる時雨達に若干の羨ましさを感じつつも、そもそも食べられる状態にあるのか、いや、まず無事であるのかさえ判明していない事に気付き、緩んでしまった頭に活を入れる。

 そこに、赤城が真剣な表情で右手を挙げ、提督に問いかけた。

 

「提督。時雨さん達と合流しなかった艦隊は、その分余る事になってしまいますが、いかがいたしましょう」

「え? そ、そうだな。食べ物を粗末にするのは良くない。できれば誰かに食べてほしいのだが……そこは皆で決めてくれ。……なるべく喧嘩しないようにな」

「了解しました。穏便にですね」

 

 真顔でそう言った赤城に、提督は若干動揺しているようであったが、気を取り直すように咳払いをして艦娘達を見渡した。

 

「あ、明石は工廠で待機しておいてほしい。もしも大破して帰投してきた艦がいた時には、対応してもらいたい」

「はいっ」

「鳳翔、間宮、伊良湖も基本的には明石と同様、何かあった時のために甘味処で待機。明石もだが、今夜は指示があるまで絶対に持ち場から離れないように」

「はい。しかし提督、晩御飯は……まさかまたご無理をなさるつもりでは……」

「も、勿論、今から食べるつもりだぞ。無理もしない。今夜は長くなりそうだからな……精のつくものを頼もうか。昼と同じくらいな」

「は、はいっ! お任せ下さいっ!」

 

 張り切った様子で答えた間宮に、提督も満足気に小さく頷く。

 そして再び艦娘達を見回し――朝潮、大潮の後ろに並ぶ満潮に視線を合わせると、歩み寄って膝を折った。

 

「満潮。しっかり身体は休めたか? 無理はしていないか?」

「……おかげさまで。それより、私を編成したのは、妙な気を遣ったんじゃないでしょうね」

 

 それは満潮が立ち直った証であるとも言えるが、相変わらず捻くれたような物言いに、朝潮は慌てて振り向いた。

 確かに今までにない連合艦隊であったが、提督自らが考えた編成にケチをつけるような言葉だったからである。

 だが、提督はまるで手慣れたものであるかのように、満潮と視線を合わせながら淡々と答えた。

 

「いいや。私が必要だと思ったからだ。今夜の編成には、お前の存在が必要不可欠だとも言える……嫌か?」

 

 満潮はぐっと言葉に詰まってしまったが、すぐに提督の目を睨み返しながら吐き捨てるように言葉を返した。

 

「っ……! そこまで言われたのなら……私が出なきゃ話にならないじゃない!」

「うむ。気負い過ぎないようにな。今のお前ならきっと大丈夫だ」

「ふ、ふんっ! どうかしらね! ……でも、力は尽くすわ」

 

 そう呟いた満潮に、提督はどこか安心したかのように「よし」と呟き、頭にぽんと手を置いた。

 そうして立ち上がろうとした提督であったが、そこに山雲が気の抜けたような声をかけてくる。

 

「ねーねー、司令さ~ん? ちょっといいかしら~?」

「なんだ?」

「あ、あの、司令? 自分で言うのもなんだけど、私と山雲は皆と比べてちょっと練度低いんだけど……大丈夫かな?」

「私と朝雲姉は~、艦娘として現れるのが遅かったのよー。ねー?」

 

 現在、艦娘として現れている朝潮型の中で、朝雲と山雲は最も発見が遅かった。

 他の者達はこの戦いが始まった初期から見つかり、数々の戦場を潜り抜けてきた強者揃いであり、その練度の差は小さなものではない。

 特にこの一年間、前提督の指揮下では出撃の機会など皆無であったのだから、猶更である。

 今は提督への信頼によって練度が底上げされているとはいえ、艦娘としての戦闘経験自体が他の朝潮型の面子と比べて少なかった。

 そんな朝雲、山雲が連合艦隊に参加するというのは、やはり不安だったのであろう。

 提督は少し考え込んだ後で、二人の肩にぽんと手を置いて言ったのだった。

 

「そうだな……だが、不安はあるとは思うが、今夜はあえてお前達にも出てもらいたいんだ。たとえ練度が低くても、今夜はお前達の力が必要なんだ」

「フッ、心配するな。お前達の連合艦隊旗艦はこの長門だ……文字通り大船に乗ったつもりでいればいいさ。お前達には傷一つつけさせやしないよ」

 

 すでに改二を発動した状態の長門が、提督の背後から朝雲達に声をかけた。

 その自信に満ち溢れた言葉に、提督は振り返る事なく言葉を続ける。

 

「う、うむ。そういう事だ。長門がついていればまず大丈夫だろう」

「フフフ……返せと言われても返さないぞ」

「頼もしいのと同じくらい、なんか不安なんだけど……」

「ねー?」

 

 腕組みをしながら満足気に頷く長門を、朝雲は若干引いたような目で見ていた。

 何とか納得してくれた様子の二人に、提督は立ち上がって再び艦娘達の前に戻ろうと踵を返す。

 口を半開きにしてガクガクと震えている朝潮とすれ違った辺りで、提督を呼び止めたのは龍田であった。

 怪訝そうに眉をひそめながら、提督は手招きする龍田のもとへと歩み寄る。

 龍田は背伸びをして、提督に耳打ちするようにこう囁いた。

 

「うふふ……提督パワーって本当にあるのかしら~? もしもあるのなら、天龍ちゃんにもお願いしたいんだけれど~……」

 

 それを聞いて、提督は目を丸くして龍田を見下ろした後、呆れたように溜め息をついた。

 そしてきょろきょろと辺りを見回し、皐月を見つけると指を差して声を上げる。

 

「こらっ、皐月! さては言いふらして回ったな、こいつめ!」

「ボ、ボクは知らないよぉ~?」

 

 白々しく視線を逸らしながら誤魔化す皐月に、提督も困ったように頭を掻いて大淀に目を向ける。

 

「まったく……大淀!」

「はっ。虚偽の情報の流布に対する懲罰についてですね」

「違う、そうじゃない! お前の方から改めて周知しておいてくれ。そんなものは存在しない、とな」

「りょ、了解しました……」

 

 提督と息が合わなかった故にか、微妙に恥ずかしそうに肩を落とす大淀を尻目に、提督は龍田へと向き直った。

 

「しかし、龍田ともあろうものがどうしたんだ……いつものお前なら逆にお触り禁止とか言うところだろう」

「提督の言う通りだぜ。龍田お前、なに馬鹿な事言ってんだよ」

 

 提督と天龍に呆れた視線を向けられて、龍田はどこか寂しそうに答える。

 

「……だって、強くなるに越した事は無いじゃない? 天龍ちゃんも、もっと強くなりたいでしょう?」

「ったく、わかってねぇな……オレは強くなりてぇなんて思った事は一度もねぇよ。フフフ……何故なら元々強いからだ」

 

 自信満々にそう言い切った天龍に、那智を始めとした艦娘達からひんやりとした視線が集中した。

 龍田も諦めたように、悲しげに視線を落とす。

 しかし、その中で唯一、提督だけは天龍に対して、否定や哀れみの視線を向けずに、当然と言った風に言ったのだった。

 

「うむ。その通りだ。天龍はすでに強いからな」

「おっ! 何だよ提督、わかってんじゃねぇか! 世界水準軽く超えてるからなぁ~! へへっ、今回も旗艦に選んでくれてありがとな!」

「あぁ、旗艦のお前が六駆の皆を守ってやってくれよ。特に暁は怖がっていたようだったから……」

「し、司令官っ! しーっ!」

 

 慌てて口元に指を立てる暁の頭を撫でながら、提督は再び龍田に目を向けて、言葉を続けた。

 

「まぁ、天龍は二日連続で大破したからな……お前が心配する気持ちもわかるよ。皐月の言ったでたらめに縋るほどだものな……」

「……」

「だが、龍田。これは、その……あくまでも私の考えなのだが、欲し、望まない限り人は成長しない。何かを成す際に、モチベーションというのはとても大切なんだ。話を聞く限り、天龍は自分の強さにすでに満足しているだろう? 満ち足りているのにそれ以上を求める必要は無いし、求める事は出来ない……と、私は思っている。天龍が自分の強さに満足しているのなら、これ以上強くなる必要は無いんだ」

「……でも、それじゃあ」

「なるほどっ! 強くなるにも『欲望』が必要という事ですねっ⁉」

 

 二人の会話に割って入ったのは、興奮したように鼻息を荒くしている鹿島であった。

 先ほど教えられた事に繋がる何かを掴んだ故にであろうか、提督を見上げてキラキラとその目を輝かせる。

 対する提督はどこか困ったように顔を引きつらせていたが、気を取り直すように口を開いた。

 

「う、うむ。鹿島達には先ほど教えたな。そういう事だ。よく理解できているな」

「えへへっ、はいっ!」

「まぁ、龍田。つまり、天龍本人が満足しているのなら、お前がいくら急かしても意味が無いんだ。逆に天龍自ら、更に力を欲し、望んだのであれば、その時自然に成長するはずだと思う……焦らなくてもいいんじゃないか?」

「……そうねぇ……ふふ、ごめんなさいね~、変な事を言ってしまって」

 

 提督の言葉にどこか思うところがあったのか、龍田はいつもの調子で小さく笑みを浮かべた。

 そんな龍田に、天龍は腕組みをしながら自信満々に言ったのだった。

 

「へへっ、オレの事を気にする前に、自分の事を気にしろよな! まぁ、オレと龍田は今んとこ互角だから、お前も最強なわけだが」

「……そうね~……」

 

 龍田は物憂げにそう答えて、視線を逸らしたのだった。

 大淀の隣へと戻った提督は艦娘達に向き直り、時計に目を向けて口を開く。

 

「そろそろ時間だな……大淀、出撃準備は万全か」

「はっ」

「良し。では予定通り頼む。いいか、確認するが、大破した場合などの例外を除き、帰投するのは明日の朝だ」

「はい」

 

 提督は艦娘達に向けて言葉を続ける。

 

「出撃しない艦は持ち場、もしくは自室に待機。提督命令だ。必要時には私が指示をする。これに背いた場合は……あとで大淀に報告する」

「えっ? あ、はい。了解しました」

 

 心優しい提督の事だ。適当な懲罰を考えるのは苦手なのであろう。

 それに、そんな事を考えさせる時間が勿体ない――大淀はそのように理解した。

 提督は艦娘達の隅に控える金剛に目を向けて、僅かに躊躇した後で、口を開く。

 

「そ、それと……コ、コン、金剛は、日が沈んだら、執務室に来て下さい」

「ハァイっ! 了解デースっ!」

 

 何故か提督が敬語だったのが気になるが、やはりこの後に想定されている戦いは只事では無い故にであろう、と艦娘達は考えた。

 本当は提督も狼狽えているのだ。だが出撃する自分達にそれを見せないように、必死に押し隠しておられる……。

 出撃時刻が遅れてしまったのも、自分達の力不足を補うために手を打った結果だ――時雨達の身を案じている提督としては、気が気でないのが当然だ。

 

 ほんの一瞬漏れてしまった提督の動揺、本音に、艦娘達の心は強く引き締められた。

 この悔しさは忘れない――自分達の弱さ故に、提督に最善手を打たせる事が出来なかった、この悔しさは。

 

 大淀が第二艦隊旗艦の位置に整列し、提督に向かい合う。

 提督は目を瞑って大きく深呼吸し、それを数回繰り返した後にカッと目を見開き、凛とした声を発したのだった。

 

「出撃だッ‼ 基本的には陣形を保ち、戦況に応じて高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に! 連合艦隊という形にこだわらなくても良い! 何でもいいから、明朝までに鎮守府近海の深海棲艦を全て撃滅するつもりで戦えッ! だが大破した者は無理せず帰投だ! いいなっ!」

「了解ッ‼」

 

 ――ヒトナナマルマル。

 横須賀鎮守府主力連合艦隊――抜錨。

 まだ明るい空には、薄く満月が浮かんでいた。

 それはまるで、これから始まるであろう一部始終を見守るべく、席に陣どっている観衆のようだった。

 結末は――艦娘も、提督も、満月さえも、未だ誰にもわからない。

 水平線を朝日が照らす、その瞬間(とき)まで――。




大変お待たせ致しました。
前書きにも書きましたが、色々と考えがありまして、第五章の艦娘視点は三人称での執筆に挑戦してみたいと思います。
慣れないもので、筆力や語彙力の不足によりクオリティが落ちると思われますが、ご容赦頂けますと幸いです。

春イベの堀りが思った以上に厳しい事もあり、なかなか執筆の時間が取れませんでした。
あとフレッチャー、アイオワ、ガングート、朝風を掘らねばならないというのに燃料が十万を切りかけ、我が弱小鎮守府は現在備蓄にシフトしております。
ちょっと今回のドロップ率厳しすぎるような気がしますが、提督の皆さん最後まで頑張りましょう。

ちなみに第五章は提督視点がほとんど無い予定です。
予定通り終わらせる事ができるように頑張りますので、次回の更新も気長にお待ち頂けますと幸いです。

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