ラストダンスは終わらない   作:紳士イ級
<< 前の話 次の話 >>

6 / 48
005.『煤と油』【艦娘視点】

「あれっ、大淀、明石。その方はまさか……」

「本日より我が横須賀鎮守府に着任されました、新しい提督です」

 

 工廠についた私達の前に偶然現れた夕張にそう言うと、夕張は慌てて提督に敬礼する。

 今日、新しい提督が着任するとは伝えていたはずだが、作業服にシャツの、ラフな服装だ。

 また何か兵装の実験でもしていたのだろうか、煤やら油やらでその両手は真っ黒になってしまっていた。

 

「へっ、兵装実験軽巡、夕張です! どうぞよろしくお願いします!」

「うむ。お前の噂はよく耳にしている。これからもよろしく頼むぞ」

 

 提督はそう言って、夕張に右手を差し出したのだった。

 夕張はそれを見て、慌てて握手に応じたのだが――

 

「あっ」

 

 ――と、私と明石、そして夕張が思わず口にしたのは、ほぼ同時だった。

 あまりにも自然に握手を求められたので、何も考えずにその手を握ってしまったのだろう。

 提督の汚れ一つ無かった白手袋は、黒い煤や油で真っ黒に汚れてしまった。

 夕張の顔から血の気が引いていくのがわかる。私と明石もそうだったかもしれない。

 

「もっ……申し訳ありませんッ!」

 

 ぱっ、と手を放した夕張は泣きそうな顔になり、一歩下がって勢いよく頭を下げる。

 それも当然の事だった。

 

 何しろ、かつて前提督が工廠を訪れた際に、夕張が誤って軍服に汚れを跳ねさせてしまった事があるが、その時に酷い罵声を浴びせられた経験があるからだ。

 お国から賜ったこの軍服に汚れをつけるとは何事だ、と激しく非難され、それ以降、前提督は顔を合わせるごとに夕張を責めた。

 

 この戦いに勝つ為に、提督の為に装備の開発をしているのに、それが原因で責められた夕張のショックは大きかった。

 怒りよりも大きな悲しみに包まれ、ただひたすらに、前提督に落胆した。

 

 だというのに、新しく着任する提督に期待していなかった私や明石と違い、夕張は前向きな意見を話していた。

 この私にも、きっと今度はいい提督が来てくれると励ましをくれたのは、他ならぬ夕張だったのだ。

 

 しかしその彼女は、初対面の提督の白手袋を汚してしまった。

 気の短かった前提督に限らず、煤と油まみれの手で汚される事に不快感を感じる者は多いだろう。

 夕張もそれを悟ったのだ。

 大切な第一印象を自らの手で台無しにしてしまったのだから。

 

 夕張に悪気は無い。

 そう声をかけるべきか、私が悩むよりも早く、泣きそうな声で謝り続ける夕張に対して口を開いたのは提督だった。

 

「おおお、御手を汚してしまいましたっ! 本当に、本当にっ、申し訳ありません!」

「夕張、顔を上げろ」

「はっ、はいっ……!」

 

 その汚された手で頬を張り倒されるのかもしれない。

 そんな覚悟を持って夕張は顔を上げた事だろう。

 

 ――そんな夕張は、さぞ、驚いた事だろう。

 

 提督は両手の白手袋をその場で放り捨て、自ら夕張の両手を取り、それを優しく、素手で包み込んだのだった。

 当然、手袋により汚れていなかったその肌までもが、煤と油にまみれてしまう。

 提督は訳も分からず目をぱちぱちさせている夕張をじっと見て、真剣な表情で言葉を続けた。

 

「この煤と油まみれのお前の両手は、他ならぬお前の努力の結晶そのものだ。それに触れさせてもらえるとは、何とも光栄な事ではないか」

 

 なんとなく、私と明石はわかっていたのだろう。

 顔を見合わせて、困ったように目と目で笑った。

 

 この御方は、この程度では決して怒るような人では無い、とても寛大な方なのだ。

 その身を包む純白の軍服は、前提督が言っていたように国から支給されるものだ。

 おそらく新しく鎮守府に着任するという事で、新品である事が推測できる。

 それに汚れが付くことも構わずに、いや、むしろ手袋を捨ててあえて素手で、何の躊躇いも無く夕張の手を包むとは――提督の懐の深さは計り知れない。

 

「あっ、あの、ありがとう、ございます、あの……で、でも、よ、汚れてしまいますから、あの……っ」

 

 夕張は顔を真っ赤にして、もごもごと何やら言っていた。

 だんだんと状況が飲み込めてきて、嬉しさと恥ずかしさが一気に襲い掛かってきて、訳が分からなくなっているのだろう。

 

 もしも私が同じ状況にあったら、どうだろう。

 あの提督が、私の両手を包み込みながら、あの真剣な眼で、じっと顔を見つめてきたら。

 汚れた自分を拒絶せずに、認めてくれたなら。

 

 ……そろそろ助け船を出した方がいいかもしれない。このままでは先ほどの明石のごとく、夕張が轟沈してしまいかねない。

 それに、個人的に、少しだけ、見ていて面白い光景でもないような気がした。少しだけ。

 

「提督。そろそろ建造を開始いたしましょうか」

「む……そうだったな。案内してくれ」

 

 提督を促して、私達は工廠の中へ足を踏み入れた。

 

「おおっ」

 

 提督が工廠内を見渡し、声を上げる。

 おそらく工廠内で働く妖精さん達を見ているのだ。

 妖精さんの存在だけは聞いていたのだろうが、やはり現場で働く大勢の妖精さんの姿は圧巻なのだろう。

 

 提督が妖精さん達に取り囲まれて、狼狽えてしまっている。

 私達艦娘は、妖精さんの姿を見る事はできるが、言葉を交わす事ができない。

 だが、どうやら提督が妖精さんに好かれている事だけはわかった。

 前提督には、妖精さん達はあんな風に近付こうとはしなかったからだ。

 

 まだ顔の赤い夕張が、ちょんちょん、と私の肩をつつく。

 

「ね、ねぇ大淀。あの新しい提督、いきなり建造するの⁉ 資源にもあまり余裕は無いと思うんだけど……」

 

 正直に言うと、私も驚いているのだ。

 何しろ、第一にこの鎮守府の艦娘の情報を読み込み、第二にこの一か月間の戦況分析を行った。

 その後に一体何をするのかと思えば、他の書類に目を通すでもなく、いきなり建造を始めるというのだから。

 

 艦娘の建造とは、現在も海の底に沈む艦の魂を引き上げる、サルベージする行為に似ている。

 燃料、弾薬、鋼材、ボーキサイトと呼ばれる、艦娘の体を構成する未知のエネルギーを依り代に、艦の魂をそこに降ろす。

 ほとんどの艦娘は、そうやって建造された――海の底から引き揚げられた者が多い。

 夕張もそうだ。

 私や明石などは、深海棲艦との戦闘後に海上を漂っている所を発見されたらしいが。

 

 そしてこの『建造』は――必ずしも新しい艦娘が引き上げられるわけではないのだ。

 『すでに建造された艦娘の艤装の一部』が建造される事もある。

 これは、一度建造された艦娘も完全な状態で海の底から引き揚げられたわけではなく、そのエネルギーの残りはまだ海の底に残っている為だと考えられている。

 そうやって建造された『艦娘の艤装の一部』は、その艦娘の艤装と合成する事で性能を向上させる事が出来る。

 これが『近代化改修』――艤装合成と呼ばれるものだ。

 しかしそれは既存の艦娘の性能を向上はさせるものの、数値上は微々たるものだ。

 艦娘一人が建造されるよりも戦力の増強としての意味には乏しく、何よりつぎ込んだ資材に釣り合うものではない。

 

『建造』とはいわば『くじ引き』や『ガチャガチャ』に近い性質を持つのだ。

 ただ一つそれらと違うのは、ただの運だけではなく、『提督の指揮官としてのレベル』によって、艦娘を海の底から引き上げられる確率が変わる、と言われているところであろう。

 この『提督の指揮官としてのレベル』とは目に見えるものではない。

 だが、これまでの研究によれば、提督の能力によって明らかに建造の成功確率が変わっているそうなのだ。

 海の底に沈む艦の魂を引き上げるには、提督の、提督としての資質が何よりも問われる。そういう事なのだろう。

 

 つまり、前提督は……そういう事だったのだろう。

 

 前提督も、戦力になる、「使える」新しい艦娘を迎えるべく、毎日建造を行っていた。

 資源に余裕が無かろうと、毎日毎日、艦隊司令部からのデイリー任務分を超える数を、である。

 

 しかし前提督の前に、新しい艦娘が現れる事は一度も無かった。

 この鎮守府にいない艦娘(主に隼鷹)の艤装の一部ばかりが建造され、それは艦隊司令部の命令により、対象の艦娘が所属する各鎮守府へと分配された。

 前提督は、自分以外の提督の戦力が強化される事に、大いに怒り狂った。

 

 前提督は、自分だけが英雄になりたかったのだろう。この国を守ろうというのも、いつしか手段の一部程度になっていたのだ。

 狂ったように建造を続ける提督を流石に見ていられず、工廠を代表して夕張と明石が、そして私が前提督を諫めた事がある。

 

『すでに資材は枯渇寸前です! 出撃に向かう艦隊の分を除けば、建造に回す資材はありません! ここは出撃を最低限に控え、資材の備蓄を行うべきです!』

『戦果を挙げるには絶えず出撃し、敵中枢を撃破する必要があるのだ! 出撃を控えるなど言語道断だ!』

『ではせめて、資材の消費が多い戦艦と正規空母を、僅かでも消費の少ない重巡、軽空母へ編成しなおしてはいかがでしょうか!』

『そんなもの、戦艦と正規空母の下位互換だろう! 貴様は僅かな資材をケチり、負ける可能性を増やせというのか⁉ 全力を出さずにこの国が負けても良いというのか貴様は⁉』

『彼女たちも練度は十分です! それに、戦艦、正規空母たちの疲労は限界に達しています! 休養を挟まずにこれ以上の反復出撃は無理だと判断されます!』

『無理だと思うから無理なのだ! 貴様らにはこの国を守ろうという気合が足りん! そのような言葉が出る手駒しか持たんから、建造をする必要があるのだ。貴様らとは違う、使える駒を得る為にな』

『そ、そんな……! 提督!』

『もういい、下がれ! 資材が足りないというのならば、ろくに使えん軽巡、駆逐艦どもを遠征に送れ! 朝も夜もなく反復させよ! それでも足りない時は潜水艦どもを寝ずに動かせ!』

『て、提督の指示により、ただでさえ彼女たちには満足に補給が行き届いていない状況です! 彼女たちは提督の言葉に気を使って食事も満足に取れていません。そんな状態で遠征など、うまくいくはずがありません!』

『働かざるもの食うべからずという諺を知らんのか! 補給が欲しければ自分の足で稼げ! 出撃する前から失敗の心配など、どうやら貴様らには愛国心が無いようだ。真に愛国心を持つ者ならば、敵の弾が避けて通るわ!』

『提督! お考え直し下さい! 建造に回す資材があれば、遠征部隊にも補給が行き届き、遠征は成功し、数日経てば資材に余裕も……』

『ええい黙れ黙れ! 下がれと言っている! 建造は予定通り行う。貴様らのように口答えをしない、俺に従順な戦艦の建造をな! 資材は限界までつぎ込め! 次は、次こそは……!』

 

 ……思い出すだけで涙が出そうだ。

 

 その後、建造では横須賀鎮守府に所属していない艦娘(隼鷹)の艤装が完成。

 疲労の溜まった第一艦隊は大敗北。

 満足に補給の取れていない遠征部隊はどれも遠征失敗。

 疲労が積み重なり、大破、中破し、今にも倒れこんでしまいそうな彼女たちは入渠するよりも先に、提督に一時間ほど当たり散らされた。

 今回の大敗北、遠征の失敗は、私達の練度、愛国心、忠誠心、そして気合と根性が不足しているせいだという結論であった。

 

 あの日、建造に使用した燃料、弾薬があれば、どれだけの駆逐艦に補給が行き渡っただろうか。

 鋼材、ボーキサイトがあれば、加賀さん達は大破状態のまま数時間の入渠待ちをする事は無かっただろうか。

 そんな状況が積み重ならなければ――あの人を失う事は無かったのだろうか。

 

 そういった事情もあり、この鎮守府の私達は『建造』にあまりいい思い出が無いのだった。

 現在は最低限の出撃に留め、軽巡、駆逐艦の皆で協力して遠征に出ているおかげか備蓄は微増傾向にあり、何とか戦艦の建造に必要とされる程度の資材の余裕はある状況だ。

 

 もちろんそれは提督もよく理解しておられるはずだ。

 先ほどの報告書に、一日ごとの資材の増減も記載していたからである。

 この一か月間で得られた僅かな余剰は、鎮守府全体で歯を食いしばりながら備蓄した、汗と涙の結晶だという事も理解しているはずだ。

 この建造に失敗したら、提督の第一印象は最悪になる事も理解できているはずだ。

 鎮守府全体の艦娘を敵に回す事になると理解できているはずだ。

 このたった一回、戦艦を建造すれば吹き飛ぶ程度の資材が、どれだけ重いものかは十分に理解できているはずだ。

 

 それでも提督が、建造が必要だと判断したのだから、私はそれを信じてみたかった。

 使えない私達に代わる駒を探す為ではなく、この鎮守府に必要な艦を迎えるべく、建造をする必要性がある。

 どうしても、今、ここで、建造をする必要がある。

 提督はそう考えている風にしか思えなかったからだ。

 

 私は夕張に、小声で伝えた。

 

「信じます」

「えぇー……明石は?」

「……右に同じ」

「そうなんだ……さっき着任したばっかりよね? あんな目に遭っていた貴女達二人がそんなに信頼するなんて、一体何があったの?」

 

 首を傾げる夕張に、明石はこう言ったのだった。

 

「夕張は思い当たる節は無いの?」

「うぐっ……ま、まぁ、私も、信じたいけど! でも! 建造って本当に難しいんだから!」

 

 夕張は再び顔を赤くして、声を上げたのだった。

 

「大淀。建造とは、どのように行えばいい」

 

 提督が振り向いて私に声をかける。

 明石や夕張ではなく、私の名前を呼んでくれる事がどこか誇らしい。

 

「はい。建造ドックはあちらです。妖精さん達が、詳しく教えてくれると思います。私達艦娘は妖精さんを見る事はできますが、会話はできません。顔合わせも兼ねて、お話ししてみてはいかがでしょうか」

「ふむ。なるほどな。試してみよう」

 

 提督はそう言って、建造ドックへと向かっていった。

 その広い背中を見て私は思う。

 

 この僅かな時間で、提督という存在に大きな不信感を抱いていた私と明石、夕張の心を開いてしまった。

 あの方は、この見捨てられてしまった鎮守府に淀む重苦しい空気を吹き飛ばしてしまうのかもしれない。

 夕張の言うように、新しい艦娘の建造は成功するほうが難しい。

 前提督に至っては、成功率0%だ。

 しかしそれでも、あの方ならば。

 私程度の頭ではあの方が一体何を考えているのか、未だに見当もつかないが。

 

 きっとこの建造は、この鎮守府を立て直す第一歩なのだ。

 私にはそうとしか思えなかったのだった。

 




汚れた白手袋はその後夕張が綺麗に洗濯して返してくれました。







※この小説はログインせずに感想を書き込むことが可能です。ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に
感想を投稿する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。